enhyo さん プロフィール

  •  
enhyoさん: 遠州漂流
ハンドル名enhyo さん
ブログタイトル遠州漂流
ブログURLhttp://enhyo.hateblo.jp/
サイト紹介文遠州灘で難破したり漂流した船や人について研究します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供9回 / 39日(平均1.6回/週) - 参加 2017/11/05 17:25

enhyo さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 江戸の年号 西暦 対応表
  • 慶長けいちょう 1596.10.27元和げんな 1615.7.13寛永かんえい 1624.2.30正保しょうほう 1644.12.16慶安けいあん 1648.2.15承応じょうおう 1652.9.18明暦めいれき 1655.4.13万治まんじ 1658.7.23寛文かんぶん 1661.4.25延宝えんぽう 1673.9.21天和てんな 1681.9.29貞享じょうきょう 1684.2.21元禄げんろく 1688.9.30宝永ほうえい 1704.3.13正徳しょうとく 1711.4.25享保きょうほう 1716.6.22元文げんぶん 1736.4.2 [続きを読む]
  • 大黒屋光太夫 天明2年(1782年)
  • 大黒屋光太夫は、伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の船頭。天明2年(1782年)江戸に向かう途中、駿河湾沖で嵐に遭い、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国のサントペテルブルクで女帝エカテリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から9年半後の寛政4年(1792年)に根室港から帰国した。桂川甫周の聞き取りによる「北槎聞略」が資料として残されている。井上靖「おろしや国酔夢譚」吉村昭「大黒屋光太夫 [続きを読む]
  • 遠江国篠原浦の漂流船積荷略奪事件 宝永五(1708)年判決案
  • 新井白石が関与した訴訟の一つ。紀伊国船津村の船が風に吹き流されて遠江国篠原の浦に打ち上げられた。その辺りの天領の者が集まって船を破壊して積荷を奪い取り、これに対し、船頭が脇差を抜いてその一人を傷つけたことから事件となったもの。評定所では、有力者萩原重秀が、天領と私領の者の争いでは常に私領の者に罪があるというような人で、また、盗んだ者があまりに多くすべてを罰しきれないからなどという法を無視した理由を [続きを読む]
  • 江戸時代の裁判
  •   日本の江戸時代にも裁判制度があった。訴訟はおおむね吟味筋(刑事訴訟)と公事出入筋(民事訴訟)にわかれており、天領内・藩内であればその役所、またがる場合は評定所(寺社奉行、町奉行、勘定奉行)がとりしきった。 出入筋としては、村同士の境界の争い(村境争議)、入会(いりあい)権などの用益物権に関する争い(入会争議)、農業用水をめぐる争い(用水争議)、鷹場の負担に関する争い(鷹場争議)、交通負担に関す [続きを読む]
  • 米津の六義人 1773
  • 1773年(安永2年)秋、紀州藩御用船が遭難。米津村の村人が積荷を回収し届けるも、不足があると咎められ、村を救うため村人6名が犠牲となり江戸に向かい、小塚原で処刑された。わがまち倉松| 静岡県浜松市 社会福祉法人 ほなみ会 南風"米津六義人"http://msgrp.hamazo.tv/e3783939.html”先日の日曜日、地元米津町の安泉寺にて「米津六義人供養祭」という自治会行事に参加してきました。”http://hyakujyu.hamazo.tv/e [続きを読む]
  • 小栗重吉 1813
  • 小栗重吉は、江戸後期、三河湾に浮かぶ佐久島(現愛知県西尾市)に生まれた。1813年(文化10年)、尾張藩小嶋屋庄右衛門所有の船・督乗丸(約120トン)の船頭として、部下の乗組員13名と共に、知多半島の先端、師崎から江戸に向かい、帰りに遠州灘で暴風雨に巻き込まれて遭難。カリフォルニア州サンタバーバラ洋上まで484日間にわたり漂流した。後に新城の池田寛親が重吉から聞き取ってまとめたものが船長日記。船長日 [続きを読む]
  • 過去の記事 …