lifelog- check さん プロフィール

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lifelog- checkさん: ライフログ チェック
ハンドル名lifelog- check さん
ブログタイトルライフログ チェック
ブログURLhttp://lifelogcheck.seesaa.net/
サイト紹介文自分の半生を振り返り、今後の人生に活かしたいと思います。
自由文日本人の平均寿命の半分を過ぎたので、自分の半生を振り返り、今後の人生に活かしたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 34日(平均3.5回/週) - 参加 2017/11/10 08:07

lifelog- check さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 小学校時代を振り返って
  • 小学校時代を思い出して書き出したのでそれを振り返ってみた。父の会社立ち上げの苦労から、なるべく出費は抑える習性がついた。怖いけど尊敬できる父との死別。過労死に近い状況だった。更に節約に拍車がかかった。今は家族を食べさせる収入は得ているが、これは変わらない。これを変えて浪費癖がついてお金で窮地に陥りたくない。妻は全然違う考え方。浪費する訳ではないが楽しいことにお金をドンドン使うタイプ。どちらが正しい [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 8
  • 出願の時期に塾長と母と面談があり、どの中学校を受験するか話し合った。私の学力では開成は厳しいけどチャレンジしてみよう、という話になった。本命は某国立中学だが、受験前に3/10の抽選を通る必要があった。あと1-2レベル落ちる私立中学。これは受験慣れするために受けるようなものだった。母はこの私立しか受からなかったらそこへ行って欲しかったみたいだが、父がいない我が家が私立なんかに通える訳がない、無理に通ったら [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 7
  • 学校ではよくサッカーをしていた。自分の運動神経はイマイチと分かっており、また周りより背がかなり高くなってきたので、キーパーをやる事が多かった。点をとって目立ちたいという感じではなかった。これは自分のサッカーへの自信のなさだったと思う。空手でも弱い方だった。背が高くスライドが大きい事から走力は人一倍あり、小6の時に100mリレー選抜に選ばれて他校と走った事がある。だが自分としては運動神経に自信が持てない [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 6
  • 中学受験へ向けて空手は辞めてしまったが、言われた事はあ完遂する、という能力が備わったのかも知れない。生来の性格もあるのだろう。塾の宿題は難しく膨大だったが毎回やりきっていた。 [続きを読む]
  • 小学校中学年 - 3
  • 中学年の時の担任は最高に面白い方だった。ベテランの色黒の男性教師で、よく茶系のジャージを着ていた。言うことを聞かない生徒達は教室の前に並べられて「コチョコチョの刑」とか、ガムテープを頭の上に叩き落とす「天使の輪っか」などが行われる事があった。やり方次第では体罰になるが、周りは大ウケで本人もウケた事を喜んでいた。でも今思い出すと男子生徒にのみ行っていた。やはり生徒を見極めてそういうことをしていたのだ [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 5
  • その小さな塾には 2人のズバ抜けた同学年の男子がいた。他にもそこそこな成績の同学年の子も4-5人いた。当然ながら私が入ったクラスは彼らの下で、5人程度の生徒を1人の塾講師がみる形だった。その先生がかなり良い先生で、熱心で、またジョークの楽しい人だった。いま思い返すと20代前半だったと思う。しかし勉強の教え方に関しては学校のベテラン先生とは比べ物にならなかった。 [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 4
  • 通っていた公立小学校では、図工と体育は並だったが、それ以外は成績が良かった。公文も数学年上の問題を解いていた。それを見た父は生前、私を地域で最難関の公立高校、東大に行かせたかったそうだ。母はその意思を継ぎ、私を中学受験に向かわせた。父が他界して数ヶ月後、母に電車で連れられて、四谷大塚の全国模試みたいなのを受けに行った。結果は、まあまあ上のクラスに入れる、というものだった。公文の算数以外は学校の勉強 [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 3
  • 父が会社で夜倒れてしまいそのまま帰らぬ人となった事から、起業は命がけであること、仕事は一生懸命やると死んでしまうもの、と刷り込まれたと思う。大学を出て外資IT企業に入り、とことん働く人、ベンチャーへ転職する人、自分で起業する人を見てきたが、自分にはできないしやりたくない、と思って見ていた。あとこれに関連して親戚にも不幸が起きた。これは後で書くことにする。 [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 2
  • 父が急死して、自分の中で色々な変化が起きた。まずお金の心配がより強くなった。一家で唯一働いていた父がいなくなり、生活費がどうなるのか非常に不安になった。父が会社を立ち上げてから金策に非常に苦労し、お金は無駄遣いをしてはいけないとそれまでも叩き込まれていた。創業当時、荷物を縛る紐ですら短いのを繋げて繋げて使っていた話はよく覚えている。あと、1円足りないだけで飛行機に乗れないこともあるから無駄にするな [続きを読む]
  • 小学校高学年 - 1
  • 小5の時、父が急死した。その日は空手の稽古の日。今まで一度も休んだ事がなく、その日も学校から帰って2階へ上がり道場へ行こうとしていた。すると母が大泣きした顔で2階へ上がってきてこう言った。「お父さん、死んじゃったの」前夜まで普通に生活していたと思っていたので、最初は全然意味が分からなかった。少ししてもらい泣きを始めた。そして1階に降りたら、父が棺桶に入っていた。帰宅して2階に上がる時の記憶が全く記憶が [続きを読む]
  • 小学校中学年 - 2
  • ファミコンの登場の衝撃は凄まじかった。それまでは単色のキャラしかいないゲームとか、そもそも画面全体が単色で1つしかゲームできないとかだったのに、数十色、音は3つほど同時に鳴る、しかもカセットを変えれば全然違うゲームが遊べる。もうそれまでの家庭用ゲーム機とは次元が違った。全国中の子供が虜になった。だがうちでは買ってもらえなかった。あの厳しい父が買ってくれる訳がない。ファミコンは友人宅で遊ばせてもらうも [続きを読む]
  • 小学校中学年 - 1
  • この頃に友人と漫画を描いていた時期があった。当時流行ったゲームセンターあらし的な内容を自分でつくったキャラで描く。さほどオリジナリティーのあるものではなかったと思う。creativityに乏しいのは昔から。あと親が空手を習わせ始めた。観たいアニメの時間帯に稽古で泣いて嫌がった覚えがある。週2-3回、道場周りのドブさらいをしたり床を雑巾掛けしてスタート。空調のない道場で、型を習ったり筋トレをしていた。筋トレはか [続きを読む]
  • 小学校低学年 - 1
  • 徒歩で15-20分くらいの公立小学校へ入学。ただ学校での記憶はあまりない。特に大きなイベントもなかったと思う。学校から帰ると、近所の一つ上の子が一緒に遊んでくれていた。そのほとんどが1対1でサッカー。その子は地元のサッカークラブに所属していた。全然敵わなかったけど楽しかった。後は自宅の向かいの同い年の女の子のところでままごとをした事もあった。でも楽しくなかったのだろう。1回だけだった。おそらくこの頃に公文 [続きを読む]
  • 幼稚園時代
  • 自宅から大人が自転車で10分くらいの幼稚園へ入園。この辺りだと少々記憶がある。確か年中でお遊戯会で敵役の蜘蛛の役をやった。どうやら誰もやりたがらなかった役を買って出たらしい。年長では幼稚園全体の鼓笛隊の指揮者をやった。みんなの先頭に立って大きな指揮棒を担いで歩いた。市民ホールでも演奏(私は楽器じゃないけど)。その時の写真は仏間にずっと飾られていた。あとどうでも良い事だが、両足を首に引っ掛けて股関節が柔 [続きを読む]
  • 幼稚園に入るまで
  • 3歳くらいまで記憶が残ってない。ちなみに写真も手元にない。いや、見当たらないだけで、うちのどこかにはあると思う。記憶の中にある写真としては、バナナを食べているもの、ベランダ(後に改造して部屋になった)にいるもの、近所の公園で姉に遊んで貰っているもの。母から聞いた話によると、なかなか喋らないので、医者に診せたことがあるらしい。男児は女児より言語の発達が遅く、姉達と比較して心配になったのだろう。そう言え [続きを読む]
  • 誕生
  • 自宅の近くの産婦人科で産まれた。当時、父は33歳。母は30歳。母の母、つまり祖母は年齢を思い出せない。ただ母が三女だった事を考えると50代だったと思う。きょうだいは、7つ上の長女、5つ上の姉妹の次女と三女。家族写真をみると、男の子が欲しかったんだね、という絵になる。実際、父は男児が欲しかったようだ。名前も、父から一文字貰った。 [続きを読む]
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