パイかん さん プロフィール

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パイかんさん: 元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について
ハンドル名パイかん さん
ブログタイトル元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について
ブログURLhttp://colonelyahara.blog.fc2.com/
サイト紹介文元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について調べたことを紹介しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供65回 / 327日(平均1.4回/週) - 参加 2017/11/15 07:48

パイかん さんのブログ記事

  • 日本軍の沖縄作戦:秘録写真戦史総集編 (沖縄戦史刊行会)(1985年)②
  • 日本軍の沖縄作戦:秘録写真戦史総集編 (沖縄戦史刊行会)(1985年)よりP95軍司令部は第一線よりはなれ洞窟に閉じこもって居れば生命の心配はないせいか、愛人やなじみの女性を引き込みなかば同棲生活を楽しんだ幕僚(参謀、副官)も少なくない。八原大佐に関しては辻遊郭の健在当時のことは別としてその後はこの種の風評は聞かれないが、外は例外ではなかった。辻出身の女性及び球クラブの女子従業員が数名ずつ、首里当時からの軍属 [続きを読む]
  • 西野少佐の詩に関して
  • 以前の記事で紹介した西野少佐の詩の中にある若い少尉と若い娘が恋をしたほのかなランプのついている壕の中でしずくのたれる壕の中で若い少尉は戦死した若い娘もいなくなった外は弾嵐の龍巻だ地球の上に一瞬咲いた朝顔のような娘達司令部 壕の中で彼女たちは苦しんだ円陣にスクラム組んで手榴弾で自決したの部分について「若い少尉と若い娘」はだれのことかと申しますとこれまた以前紹介いたしました『大津賀伝蔵の戦時中の沖縄』 [続きを読む]
  • 日本軍の沖縄作戦:秘録写真戦史総集編 (沖縄戦史刊行会)(1985年)①
  • 日本軍の沖縄作戦:秘録写真戦史総集編 (沖縄戦史刊行会)(1985年)より京僧少佐の嘆願によって本土脱出を果たした森脇中尉について以下にP89又神中佐につづいて本土へ脱出した森脇弘二大尉(筆者注:原文ママ。本当は中尉)(56)は7月15日大本営に出頭、大要次のような報告を行っている。作戦準備三か月、自己の陣地にて戦闘せしは一兵団(註:第62師団のこと)のみ軍・幕僚の考えと現状の喰い違い、第一線の視察少し、港川に牽制さ [続きを読む]
  • 「日本軍の暗号作戦」保坂廣志 紫峰出版 2012年 
  • 「日本軍の暗号作戦」保坂廣志 紫峰出版 2012年 (P42-43)より引用「CIC協力者」をめぐる論議の中で特記すべきものとして、日本守備軍の高級参謀として沖縄戦を領導した八原博通大佐逮捕に関わることが挙げられる。八原大佐は、6月末、摩文仁丘の第32軍司令部を脱出し、民間人に変装し知念村から北部脱出の機会を伺っていた。八原大佐は、7月26日頃、知念村にてCICの審査を受けることになり、屋比久検問所に出頭した。審査官は [続きを読む]
  • 西野 弘二『紅焔(KOUEN)―沖縄軍参謀部付一少佐の手記』 1994年②
  • 参謀部所属西野少佐の『紅焔(KOUEN)―沖縄軍参謀部付一少佐の手記』 より司令官、参謀長自決のその時を描いた絵と詩です船出おお死よ死の中に生があるのか生の中に死があるのか壕は今 混沌としている伏して冷たくなった 草産す屍を前に軍司令官と参謀長の船出だ永遠の旅路に未だ生ある十数名の者達集まって訣別する 別れの酒杯は回った司令官は軍装をととのえ参謀長はワイシャツ姿で背には血書忠則尽命と軍刀を片手に 淡々と両 [続きを読む]
  • 西野 弘二『紅焔(KOUEN)―沖縄軍参謀部付一少佐の手記』 1994年
  • 「沖縄決戦」にもたびたび登場する、参謀部所属の西野少佐の手記、詩、絵などをまとめた書籍『紅焔(KOUEN)―沖縄軍参謀部付一少佐の手記』 より6月19日の、木村、薬丸、三宅、長野ら参謀たちとの別れの宴を描いた絵と詩のようですおそらく、青い丸で囲った方が八原大佐ではないかと最後の晩餐虚脱と迷夢が襲った壕暗闇の壁 光の壁妖魔の巣と化した鍾乳洞人の影が動く 闇を分けて劇は終った狂乱の三ヵ月 草生す屍かげろうと共に [続きを読む]
  • 32軍における日時の把握について
  • Roy Appleman らによる米軍公刊戦史OKINAWA: THE LAST BATTLEのChapterXVよりThe evidence is conflicting concerning the date when the 32d Army headquarters left Shuri. The cook for the 32d Army staff said that the Army headquarters left Shuri on 26 May and arrived at the Hill 89 headquarters cave near Mabuni on 29 May. Officers of the 62d Division confirmed this, stating that the Army headquartes left [続きを読む]
  • 八原氏の行動の時系列
  • 八原氏の終戦前後の行動について様々な資料からの推測に基づく時系列を書き出してみました6月19日 長野、薬丸、木村、三宅の各参謀が変装し司令部壕から出ていく6月X-1日 八原氏、背広(ゴルフジャケツ?)に着替えていったん司令部壕から出るが、他の人に知られないように再び壕に戻る(参考:吉村 昭 『新装版 総員起シ 』、新垣隆生「逃げまどった司令部」 、新垣隆生『牛島中将自決現場にいた私』)6月X日午前4時30分   [続きを読む]
  • 1945年2月の第32軍司令部写真
  • https://history.army.mil/books/wwii/okinawa/chapter4.htmより引用JAPANESE COMMANDERS on Okinawa (photographed early in February
    1945). In center: (1) Admiral Minoru Ota, (2) Lt. Gen. Mitsuru Ushijima, (3) Lt. Gen. Isamu Cho, (4) Col. Hitoshi Kanayama, (5) C
    ol. Kikuji Hongo, and (6) Col. Hiromichi Yahara.よく見かけるこの写真ですが、八原大佐はいったいどこなの
    か全然わからなかったのですが上記サイトによ [続きを読む]
  • 古川成美『死生の門─沖縄戦秘録』1949年
  • 古川成美『死生の門─沖縄戦秘録』1949年著者名、書名ともにWikipediaでは検索してもでてこない本著ですが、八原氏と深い関りがある書ですので特に紹介したいと思います。まず著者の古川成美氏ですが、1941年(25歳時)広島文理科大学史学科を卒業し、教員として勤めていましたが、1944年(28歳時)召集され、独立高射砲第81大隊(球12425部隊)として沖縄戦に参加し辛くも生き残ったという経歴を持っています。戦後は広島文理科大 [続きを読む]