パイかん さん プロフィール

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パイかんさん: 元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について
ハンドル名パイかん さん
ブログタイトル元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について
ブログURLhttp://colonelyahara.blog.fc2.com/
サイト紹介文元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について調べたことを紹介しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 8日(平均8.8回/週) - 参加 2017/11/15 07:48

パイかん さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 大田昌秀 『沖縄のこころ』②1972年8月初版
  • 大田昌秀氏の『沖縄のこころ』の最後あたりには、軍司令官と参謀長の墓を見つけたとの描写もあります(P208〜210)七月に入ってまもなく、わたしは、食料をもとめて摩文仁が丘の頂上に出た。珍しくこの日は敗残兵の影もまばらで、ぷーんと潮香をふくんだ風が丘をよぎって吹いていた。丘の東北端まで来たとき、わたしはその場に釘づけになった。目の前に沖縄守備軍司令官牛島満中将と長勇参謀長の墓標が立っているではないか。そこ [続きを読む]
  • 大田昌秀 『沖縄のこころ』①1972年8月初版
  • 大田昌秀氏の『沖縄のこころ』(1972年8月初版)には軍司令部の最後のようすが伺える描写があります(P202〜204)わたしは、益永隊長に報告するため、軍司令部の壕へ行った。目印にしていた岩や丘の起伏が原型をとどめぬほど変形し、いつまでも壕の入口を見付けることはできなかった。岩の割れ目から出てきた一兵士に教わって、壕の中へ入って行くと、どこからやってきたのか、負傷者や骸骨のようにやせ衰えた将兵が、身動きできぬ [続きを読む]
  • 大田嘉弘『日本の戦史 八原大佐と沖縄作戦』①2002〜2009年
  • 『沖縄作戦の統帥』、『沖縄陸・海・空戦史』を著した大田嘉弘氏ですが、2002〜2009年にわたり、雑誌『軍事研究』上に連載を持っておられました。 『日本の戦史 八原大佐と沖縄作戦』と題したこのシリーズでは、大田氏による、八原氏や神直道氏等、多くの生存者、関係者に対するインタビューが引用されています。(ただし『沖縄作戦の統帥』、『沖縄陸・海・空戦史』を入手できていないのでわかりませんが重複する内容であるのか [続きを読む]
  • 児島襄『参謀(上)』
  • 児島襄『参謀(上)』P180〜192で八原氏を取り上げています。以下引用(p181)「当時中央部のヤミ取引人事は相当なもので、親分子分の一党一派の専制、陸士陸大の成績優秀者の排撃、そのくせいわゆる“無天組”(注、陸大卒は“天保銭”と呼ぶ徴章をつける。“無天”は非卒業者をいう)の冷遇。さては幼年学校出身者の中学出身者にたいする制圧(注、八原大佐は米子中学校出身)等々、唾棄すべき不正相剋が他の社会よりはなはだしい [続きを読む]
  • 宮古飛行場用地買上げの事情について
  • 沖縄県公文書館所蔵の資料より(同館HP内で見られます)宮古飛行場用地買上げの事情について私は昭和19年3月沖縄に第32軍が配置された頭初から(注:原文ママ)軍の高級参謀として作戦一般を担任していました。当時軍は作戦上の要請に基づいて宮古島に早急に軍飛行場を設定するため、農地の強制的買収を行いましたが、このことはいうまでもなく同等の住民の生活の根底を脅すことになる一方戦争が終れば作戦上の目的は消滅するので [続きを読む]
  • 『牛島中将自決現場にいた私』新垣隆生
  • 雑誌の潮 (146) (1971年)の記事生き残った沖縄県民100人の証言--住民の三人に一人が犠牲に (p107〜199)内の記事です(以下引用、P180〜181)『牛島中将自決現場にいた私』新垣隆生(当時軍属・28歳、現在自動車整備工場経営)東宝映画『沖縄決戦』をみましたが、牛島司令官と長参謀長の自害のシーンは違っています。三十二軍司令部付の軍属だった私は、あの自害のさい、ちょうど現場に居合わせていたのです。“沖縄玉砕”の二 [続きを読む]
  • 『ひめゆり部隊証言 八原参謀証言』
  • 『ひめゆり部隊証言 八原参謀証言』1979年4月22日実施の八原氏に対するインタビュー音声です(聞き手についてはわからず)。31分37秒。1976年の脳卒中後で少し呂律が回っていない印象を受ける話し方ですが、八原氏の肉声が聞ける貴重な資料です。沖縄県公文書館所蔵(原本媒体はカセットテープ)。同館に遠隔複写の申請可能です。途中で犬の吠える声がうるさくて聞き取りにくい部分あり・・・(以下内容抜粋、聞き取りにくい [続きを読む]
  • 新垣隆生「逃げまどった司令部」
  • 創価学会青年部反戦出版委員会『戦争を知らない世代へ⑥沖縄編 沖縄戦−痛恨の日々−』新垣隆生「逃げまどった司令部」P113〜p116『沖縄決戦』にて、摩文仁からの脱出行に同道し、「猟犬的能力」を発揮して八原氏の生存に大きく貢献したと思われる「新垣上等兵」その人の記述と思われます。以下引用六月二十日、高級参謀大佐と私は大本営へゆけと命令が出た。アメリカは山の上でサクガン機で穴を掘って爆弾を仕掛けて、爆発させる [続きを読む]
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