春之助 さん プロフィール

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春之助さん: イラストで学ぶ楽しい日本史
ハンドル名春之助 さん
ブログタイトルイラストで学ぶ楽しい日本史
ブログURLhttp://harunosuke-nihonshi.blog.so-net.ne.jp/
サイト紹介文日本史の勉強が楽しくなるような年号のゴロ合わせなどを、イラストたっぷりにお届けします!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 227日(平均1.0回/週) - 参加 2017/11/26 13:46

春之助 さんのブログ記事

  • 平安時代(13)
  • 武士のおこりの2回目は、平安時代に地方で起きた反乱を取り上げます。前回、武家の棟梁(ぶけのとうりょう)として、桓武平氏(かんむへいし)と清和源氏(せいわげんじ)が登場しました。まずは、彼らが一体ナニモノなのか…というところからお話ししましょう。*   *   *平安時代、皇位継承が確実におこなわれるよう、子どもをたくさんもうける天皇が少なくありませんでした。桓武天皇(かんむてんのう)は30人ほど、 [続きを読む]
  • 平安時代(12)
  • 今日から2回にわたって、武士(ぶし)を取り上げます。武士というと、チョンマゲでカタナを持っている姿を思い浮かべませんか?それはズバリ、江戸時代の武士です。時代劇の舞台はほとんどが江戸時代なので、どうしてもそのイメージが強くなってしまいますよね。(え?時代劇、観ないですか…??)今から見ていくのは、武士のおこりです。まだまだ江戸時代の武士みたいなスタイルではありません。では、はじまりのころの武士とは [続きを読む]
  • 平安時代(11)
  • 前回に引き続き、ややこしい荘園制を見ていきますよ−!頑張りましょう!!まずはプリントの左側、①荘園の歴史です。前回の内容と重複する部分がたくさんあるので、復習も兼ねて進めていきましょうね。8〜9世紀ごろの政府の課題は、人口増加による口分田不足の解消と、税の増収です。そこで、722年の百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶかいこんけいかく)、723年の三世一身法(さんぜいっしんのほう)を経て、743年に墾田永 [続きを読む]
  • 平安時代(10)
  • 今日取り上げるのは、ややこし〜いややこし〜い荘園制です。なかなか理解できませんよね〜、これ…私も高校生のころは、ナニがナンだかさっぱり分からなくて、ホントに苦手でした。なので、分かりますよ!その気持ち!!より多くの人に理解してもらえるよう、かみくだいた説明を心がけますので、しっかりついてきてください!では、スタートです!!はじめに、律令制度下の税制を、簡単に確認しておきましょう。・ 課税対象……戸 [続きを読む]
  • 平安時代(9)
  • 前回に引き続き、国風文化を見ていきましょう。今日は、宗教・美術、そして貴族の生活Ⅱ(日常の制約・年中行事・結婚)を取り上げます。まずは、プリントの左側にある宗教です。①仏教の浸透みなさんは、神社やお寺でどんなことをお願いしますか? 「健康で過ごせますように…」 「夏までに痩せますように…」 「志望校に合格できますように…」そんな感じのお願い事が多いのではないでしょうか…これらのお願い事は、すべて現 [続きを読む]
  • 平安時代(8)
  • 今日から2回にわたって、10〜11世紀に平安京を中心に栄えた、国風文化(こくふうぶんか)を取り上げます。藤原北家(ふじわらほっけ)による摂関政治(せっかんせいじ)の時代に花開いた文化なので、たまーに藤原文化(ふじわらぶんか)と呼ばれることもあります。この文化の担い手は、もちろん藤原北家をはじめとする貴族たちです。はじめに、国風文化のおもな特徴を、3つにまとめておきましょう。①大陸文化の摂取・消化のうえ [続きを読む]
  • 平安時代(7)
  • 今日は、藤原北家(ふじわらほっけ)による政治の3回目、藤原道長(ふじわらのみちなが)・藤原頼通(ふじわらのよりみち)親子の時代を取り上げます。摂関政治(せっかんせいじ)とは、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)が引き続いて任命され、政権の最高の座にあった10世紀後半から11世紀ごろにかけての政治を指します。天皇が幼少の時に置かれるのが摂政、天皇が成人してから置かれるのが関白です。安和の変ののち、摂政・ [続きを読む]
  • 平安時代(6)
  • 前回に引き続き、藤原北家(ふじわらほっけ)による政治をまとめていきます。平安時代(5)では、 ①藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ) ②藤原良房(ふじわらのよしふさ) ③藤原基経(ふじわらのもとつね)の3人を順番に取り上げましたので、その続きを見ていきましょう!④藤原時平(ふじわらのときひら)−藤原基経の子ども藤原基経の死後、宇多天皇(うだてんのう)はまだ若い藤原時平を関白(かんぱく)に任命せず、寛平の [続きを読む]
  • 平安時代(5)
  • 今日見ていくのは、平安時代(4)の続きにあたる、平安時代5枚目のまとめプリントです。3回にわたって藤原北家(ふじわらほっけ)による政治をとりあげます。藤原北家の祖って、誰でしたか?答えは、藤原房前(ふじわらのふささき)です。藤原房前にはじまる藤原北家は、9世紀ごろから勢力を拡大させ、11世紀ごろに最盛期を迎えます。その手法は、 ・他氏排斥(たしはいせき、他の有力な貴族を退けること) ・外戚関係(が [続きを読む]
  • 1052年 末法元年
  • 今日は取り上げるのは、末法思想(まっぽうしそう)です。末法思想とは、末法(まっぽう)の世になれば、仏法(ぶっぽう)が衰えて乱世(らんせ)になるであろう!という、仏教の予言思想です。平安時代、末法の世は永承(えいしょう)7年にスタートすると考えられていました。西暦になおすと、1052年です。この年、すなわち末法元年(まっぽうがんねん)が近づいてくると、人々の間に「もうすぐ末法の世とやらに突入してしまう! [続きを読む]
  • 1083年 後三年合戦が起こる
  • 前回は、東北地方で起きた、前九年合戦(ぜんくねんかっせん)を取り上げました。前九年合戦とは、1051年に陸奥国(むつのくに)の安倍氏(あべし)が陸奥守(むつのかみ)と衝突し、その後、かわって陸奥守となった源頼義(みなもとのよりよし)が、出羽国(でわのくに)の清原氏(きよはらし)の協力を得て、安倍氏を平定した、という出来事でしたね。前九年合戦で陸奥国の安倍氏が滅亡すると、出羽国の清原氏は、陸奥国にも勢力 [続きを読む]
  • 1051年 前九年合戦が起こる
  • 今日は、1051年に始まった、前九年合戦(ぜんくねんかっせん)を取り上げます。現在の山川出版社『詳説 日本史B』という教科書は、前九年合戦の表記を用いていますが、この出来事、一般には前九年の役(ぜんくねんのえき)と呼ばれています。役(えき)とは一体なんなのでしょうか。ほかに「○○の役」と呼ばれる事件といえば、元寇(げんこう)の、文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき)、朝鮮侵略(朝鮮出兵 [続きを読む]
  • 1019年 刀伊の入寇が起こる
  • 今日は、1019年に起きた刀伊の入寇(といのにゅうこう)を取り上げます。この出来事、刀伊の来寇(といのらいこう)、と呼ぶ場合もあります。入寇と来寇に共通する「寇」の漢字には、外から攻めてくる、という意味があります。つまり、この漢字が使われている出来事は、すべて外国から攻められたものである、ということです。元寇(げんこう)もそうですよね!ちなみに、「寇」の漢字の部首はウカンムリです、ワカンムリにしないよ [続きを読む]
  • 1016年 藤原道長が摂政になる
  • 969年の安和の変で他氏排斥を完了させた藤原北家は、向かうところ敵なしです。今日は、なかでもとくに栄華を極めた藤原道長(ふじわらのみちなが)を取り上げます。藤原道長は、どのようにして栄華を極めたのでしょうか?答えは、外戚関係の利用です。彼は、4人の娘を天皇や皇太子と結婚させ、およそ30年にわたって権勢をふるったのです。ややこしいので、最初に系図を載せておきましょう。いやー…これはややこしいわ…立体交差 [続きを読む]
  • 988年 尾張国郡司百姓等解が出される
  • 10世紀、朝廷は税制の大転換をはかります。従来の郡司にかわって、国司に税の徴収を請け負わせることにしたのです。その結果、国司はより強力に、より自由に、それぞれの国を統治できるようになってゆきます。このあたりの詳しいことは、のちのちまとめプリントでお話ししようと思いますので、ここではまず、「国司は10世紀にとてつもない力を得るようになる」、ということを覚えてください。では、ここで問題。国司に選ばれるのは [続きを読む]
  • 969年 安和の変が起こる
  • 藤原北家による他氏排斥事件のラストは、安和の変(あんなのへん)です。安和2年(969年)に起きた、なんともしっくりこない事件です。村上天皇が亡くなると、かわって息子の冷泉天皇(れいぜいてんのう)が即位します。冷泉天皇は、なにやら精神的な病を抱えていたようで、藤原実頼(ふじわらのさねより)が関白として補佐にあたることになります。前回触れましたが、藤原実頼は村上天皇の時代に権力を握っていた人物です。この [続きを読む]
  • 949年 天暦の治がはじまる
  • 前々回・前回と2回にわたり、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を取り上げました。このときの天皇は、醍醐天皇(だいごてんのう)の息子である朱雀天皇(すざくてんのう)でしたね。8歳で即位した朱雀天皇を支えたのは、摂政の藤原忠平(ふじわらのただひら)です。やがて朱雀天皇が成人すると、藤原忠平は関白となります。朱雀天皇の時代には、大変なことが次々と起こります。承平・天慶の乱のほか、富士山の噴火 [続きを読む]
  • 939年 承平・天慶の乱が起こる②
  • 前回に引き続き、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を取り上げます。今日見ていくのは、藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)です。藤原純友(ふじわらのすみとも)は、このころ絶大な権力を誇っている藤原北家の人間です。といっても、藤原純友はお父さんを早くに亡くしており、すっかり出世コースからはずれてしまっています。あるとき、藤原純友の親戚のおじさんが、伊予国(いよのくに)で1番エラい国司に [続きを読む]
  • 939年 承平・天慶の乱が起こる①
  • 今日から2回にわたり、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を取り上げます。承平・天慶の乱とは、939年に起きた2つの事件、平将門の乱(たいらのまさかどのらん)と藤原純友(ふじわらのすみとものらん)をまとめた呼び方です。このときの天皇は、醍醐天皇にかわって即位した、息子の朱雀天皇(すざくてんのう)です。朱雀天皇は8歳で即位したため、藤原時平の弟である藤原忠平(ふじわらのただひら)が摂政となりま [続きを読む]
  • 902年 延喜の荘園整理令を出す
  • 前回は、醍醐天皇の時代に菅原道真が左遷される様子を取り上げました。今日は、その醍醐天皇の政治を見ていきます。醍醐天皇は、父である宇多天皇にならい、摂政・関白をおかずに政治をおこないます。これを、親政とか天皇親政というんでしたね。901年に右大臣の菅原道真を左遷したのちは、左大臣の藤原時平とともに、くずれつつある律令体制の復興をめざします。まずは、班田収授のたてなおしです。班田は、6年に1度のペースでス [続きを読む]
  • 901年 菅原道真が左遷される
  • 前回は、宇多天皇の信頼あつい菅原道真が、遣唐使派遣の停止を建議する様子を取り上げました。ところが今回、菅原道真は左遷(させん)されてしまいます…ちなみに、左遷の意味は分かっていますね?そのときの身分よりも、低い身分に落とされることですよ!よく出てくる用語なので、しっかり理解しておいてください。897年、宇多天皇は、息子の醍醐天皇(だいごてんのう)に譲位します。その際、くれぐれも菅原道真を引き続き重用 [続きを読む]
  • 894年 遣唐使の派遣を停止する
  • 前回は、阿衡の紛議を取り上げました。阿衡の紛議とは、藤原基経が宇多天皇に勅書を撤回させ、さらに橘広相の排斥に成功した事件でしたね。このとき事態を収束させたのは、学者の菅原道真(すがわらのみちざね)です。今日は、その菅原道真が建議した、遣唐使派遣の停止について見ていきます。藤原基経が亡くなると、宇多天皇は関白を置くことなく、自ら政治をおこなうようになります。藤原基経の息子である藤原時平(ふじわらのと [続きを読む]
  • 887年 阿衡の紛議が起こる
  • 前回は、藤原基経が光孝天皇から関白に任命される様子を見ていきました。今日は、その光孝天皇の死後に起こる、阿衡の紛議(あこうのふんぎ)を取り上げます。887年、光孝天皇が亡くなり、かわって息子の宇多天皇(うだてんのう)が即位します。即位する前、宇多天皇は源定省(みなもとのさだみ)と名乗っていました。父である光孝天皇が、子どもたちに源の姓を与え、皇族を離れさせたためです。これは、「私は自分の子どもを次の [続きを読む]
  • 884年 藤原基経が関白に就任する
  • 前回は、応天門の変によって伴氏・紀氏といった有力者を排斥することに成功した藤原良房が、臣下で初めて摂政に就任したことをお話ししました。今日は、藤原良房の「息子」である藤原基経(ふじわらのもとつね)が、関白(かんぱく)に就任する様子を見ていきましょう。さきほど藤原基経のことを、藤原良房の「息子」と紹介しましたが、実の息子ではありません。藤原良房には息子がおらず、お兄ちゃんの息子、すなわち甥っ子を養子 [続きを読む]
  • 866年 応天門の変が起こる
  • 前回に続いて、藤原氏による他氏排斥事件を見ていきます。今日は、866年に起きた応天門の変(おうてんもんのへん)を取り上げます。842年に起きた承和の変によって、藤原良房の甥っ子である道康親王が皇太子となります。藤原良房は、すかさず娘の藤原明子(ふじわらのめいし、または、ふじわらのあきらけいこ)を、道康親王の奥さんにします。イトコとの結婚ですからね、藤原良房、なかなか必死です…850年、道康親王は即位し、文 [続きを読む]