ロベルト島 さん プロフィール

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ロベルト島さん: ロートル審判よもやま話
ハンドル名ロベルト島 さん
ブログタイトルロートル審判よもやま話
ブログURLhttp://soccer-yomoyama.hatenablog.com/
サイト紹介文サッカーを競技者・指導者・審判・審判指導者・運営者・経営者のあらゆる目線からひも解いて行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供24回 / 135日(平均1.2回/週) - 参加 2017/12/21 17:19

ロベルト島 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 1970年W杯②
  • W杯の歴史を見てもエポック的な大会であったことは前回にも記した。システムと戦術に関しては、ブラジルの形態について続きを解説したいと思う。この頃のサッカー世界情勢は、それぞれの国のリーグでほぼ自国選手が登録されることが多く、現在のようなチームとして欲しいスタイルの選手を地球規模で探すようなことはあまり無かった。故にその国々のスタイルが逆に育つ環境であったと思う。ブラジルの流動的攻撃スタイルの続きとイ [続きを読む]
  • 1970年W杯②
  • W杯の歴史を見てもエポック的な大会であったことは前回にも記した。システムと戦術に関しては、ブラジルの形態について続きを解説したいと思う。この頃のサッカー世界情勢は、それぞれの国のリーグでほぼ自国選手が登録されることが多く、現在のようなチームとして欲しいスタイルの選手を地球規模で探すようなことはあまり無かった。故にその国のスタイルが逆に育つ環境であったと思う。ブラジルの流動的さの続きとイタリアについ [続きを読む]
  • 1970年W杯①
  • 前に書いたが…1970年W杯では、ターニングポイントとなる変更点がいくつかあった。〇史上初の高地での開催、しかもヨーロッパと南米以外〇テレビの国際生中継がヨーロッパのゴールデンタイムとなるよう試合時間が 日中の暑い時間となったことで、アウトオブプレー中に限り水分補給を承認〇高地の薄い空気を考慮して選手交代を2名まで認めた〇前大会の目に余るラフプレーや判定疑惑のジャッジの問題に関する反省から 口頭だ [続きを読む]
  • 1970年W杯①
  • 前に書いたが…1970年W杯では、ターニングポイントとなる変更点がいくつかあった。〇史上初の高地での開催、しかもヨーロッパと南米以外〇テレビの国際生中継がヨーロッパのゴールデンタイムとなるよう試合時間が 日中の暑い時間となったことで、アウトオブプレー中に限り水分補給を承認〇高地の薄い空気を考慮して選手交代を2名まで認めた〇前大会の目に余るラフプレーや判定疑惑のジャッジの問題に関する反省から 口頭だ [続きを読む]
  • 審判になったきっかけ
  • 文:ロベルト島高校でも少しサッカーをやってました。県の地区大会では優勝もしたことがありますが、一つ下の学年が結構強く、夏の総体の県代表にもなるくらいでしたのでちょっと肩身が狭かったです。1.市リーグに登録高校を卒業した後、高校のサッカー部だった者を中心にチームを作り、地元の市リーグに参加しようということになりました。2年程度しか続きませんでしたが…参加条件が登録料を含めいくつかありました。その中で [続きを読む]
  • 審判になったきっかけ
  • 文:ロベルト島高校でも少しサッカーをやってました。県の地区大会では優勝もしたことがありますが、一つ下の学年が結構強く、夏の総体の県代表にもなるくらいでしたのでちょっと肩身が狭かったです。1.市リーグに登録高校を卒業した後、高校のサッカー部だった者を中心にチームを作り、地元の市リーグに参加しようということになりました。2年程度しか続きませんでしたが…参加条件が登録料を含めいくつかありました。その中で [続きを読む]
  • イエロー・レッドカードの導入
  • 文:ロベルト島1970年メキシコW杯での初めてシリーズ…サッカーがサッカーになったのは、競技規則の制定された1863年と言われている。審判にとっても重要な年である。まだ日本では明治にもなってないのだから大したもんだ。このころのイギリスは、貴族がそれまでのスポーツらしきものを次々とルールを整備しスポーツへと進化させている。サッカーもその一つなのだ。遠からずその競技規則に反する競技者への懲戒は、罰と [続きを読む]
  • イエロー・レッドカードの導入
  • 文:ロベルト島1970年メキシコW杯での初めてシリーズ…サッカーがサッカーになったのは、競技規則の制定された1863年と言われている。審判にとっても重要な年である。まだ日本では明治にもなってないのだから大したもんだ。このころのイギリスは、貴族がそれまでのスポーツらしきものを次々とルールを整備しスポーツへと進化させている。サッカーもその一つなのだ。遠からずその競技規則に反する競技者への懲戒は、罰と [続きを読む]
  • イエロー・レッドカードの導入
  • 1970年メキシコW杯での初めてシリーズ…サッカーがサッカーになったのは、競技規則の制定された1863年と言われている。審判にとっても重要な年である。まだ日本では明治にもなってないのだから大したもんだ。このころのイギリスは、貴族がそれまでのスポーツらしきものを次々とルールを整備しスポーツへと進化させている。サッカーもその一つなのだ。遠からずその競技規則に反する競技者への懲戒は、罰として記載され実 [続きを読む]
  • 審判になったきっかけ
  • 高校でも少しサッカーをやってました。県の地区大会では優勝もしたことがありますが、一つ下の学年が結構強く、夏の総体の県代表にもなるくらいでしたのでちょっと肩身が狭かったです。1.市リーグに登録高校を卒業した後、高校のサッカー部だった者を中心にチームを作り、地元の市リーグに参加しようということになりました。2年程度しか続きませんでしたが…参加条件が登録料を含めいくつかありました。その中で自分たち以外の [続きを読む]
  • 三菱ダイヤモンドサッカー
  • 文:ロベルト島中学2年生だった。なぜ見たのか思い出せない。今と違って真面目な中学生で勉強にうるさい家だったので、よほど見たいと親に頼み込んだのだと思う。たいがいの家でもテレビは居間に1台の時代だったはずだ。1.第一回放送私の記憶が正ければ… タイトルが「三菱ダイヤモンドサッカー」となって第一回目の放送だった。10月上旬の火曜日22:10始まりかな〜?1970年メキシコW杯決勝戦ブラジルーイタリアの [続きを読む]
  • 三菱ダイヤモンドサッカー
  • 中学2年生だった。なぜ見たのか思い出せない。今と違って真面目な中学生で勉強にうるさい家だったので、よほど見たいと親に頼み込んだのだと思う。たいがいの家でもテレビは居間に1台の時代だったはずだ。1.第一回放送私の記憶が正ければ… タイトルが「三菱ダイヤモンドサッカー」となって第一回目の放送だった。10月上旬の火曜日22:10始まりかな〜?1970年メキシコW杯決勝戦ブラジルーイタリアの前半だった。ア [続きを読む]
  • キックオフ!
  • 文:ロベルト島長年サッカーに関わって生きてきました。プレーヤーであり、コーチであり、監督であり、審判であり…いろんな事がありました。これからもあるでしょう…そんなこんなで思いついたことを勝手に書き始めたいと思います。1.プロローグ小学校の頃は、軟式野球をやってました。今のように指導者もいなく仲間でチームを作って周りのチームと試合する感じで…自分では一生懸命やってたつもりでしたがいかがなものか… [続きを読む]
  • キックオフ!
  • 長年サッカーに関わって生きてきました。プレーヤーであり、コーチであり、監督であり、審判であり…いろんな事がありました。これからもあるでしょう…そんなこんなで思いついたことを勝手に書き始めたいと思います。1.プロローグ小学校の頃は、軟式野球をやってました。今のように指導者もいなく仲間でチームを作って周りのチームと試合する感じで…自分では一生懸命やってたつもりでしたがいかがなものか…?でも親父とよ [続きを読む]
  • プロフィール
  • □ 神奈川県横浜市在住□ 生まれて半年で立ったようで動くのが今でも好き□ 小学校時代は、野球少年でまだリトルリーグもなく、軟式野球に明け暮れる□ 中学校からサッカーを始め、高校まで何とかクラブ活動を行う□ 高校のサッカー部OBでチーム結成、市リーグに参加□ 市リーグ参加に伴い、4級審判取得□ 大学生活は、音楽関係に没頭したため暫しサッカーを中断□ 社会人になり、本社転勤からサッカー [続きを読む]
  • プロフィール
  • □ 神奈川県横浜市在住□ 生まれて半年で立ったようで動くのが今でも好き□ 小学校時代は、少年野球ではまだリトルリーグもなく、軟式野球に明け暮れる□ 中学校からサッカーを始め、高校まで何とかクラブ活動を行う□ 高校のサッカー部OBでチーム結成、市リーグに参加□ 市リーグ参加に伴い、4級審判取得□ 大学生活は、音楽関係に没頭したため暫しサッカーを中断□ 社会人になり、本社転勤からサッカ [続きを読む]
  • はじめに
  • 1960年代の日本では、サッカーは全くメジャーなスポーツではありませんでした。ただし、グラーバルに見ればFIFA加盟国は、国際連合参加国を上回る国と地域から参加し、競技参加者の数は地球で1番のスポーツであります。 ●あれから60年近く経ち、日本でも競技人口が大幅に増加し世界的のも大きな [続きを読む]
  • はじめに
  • 1960年代の日本では、サッカーは全くメジャーなスポーツではありませんでした。ただし、グラーバルに見ればFIFA加盟国は、国際連合参加国を上回る国と地域から参加し、競技参加者の数は地球で1番のスポーツであります。 ●あれから60年近く経ち、日本でも競技人口が大幅に増加し世界的のも大きな [続きを読む]
  • 過去の記事 …