‡Azure‡ さん プロフィール

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‡Azure‡さん: ‡Azure‡のbaseball日記
ハンドル名‡Azure‡ さん
ブログタイトル‡Azure‡のbaseball日記
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/azurebaseball/
サイト紹介文リニューアルしました。懐かしの高校野球選手を紹介していきます。名勝負・トリビアもあり。
自由文野球選手カテゴリに特化したブログに生まれ変わりました。懐かしの高校野球選手(プロ経験者は除く)を紹介していきます。時代・地域を問わず、メジャーな選手からマニアックな選手まで幅広く取り上げる予定です。名勝負・トリビアも交えますので、旧ブログに引き続き、応援よろしくお願い致します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 22日(平均5.4回/週) - 参加 2017/12/25 16:00

‡Azure‡ さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 17."あと一人"から痛恨の死球、目前で砕け散った"完全試合"の夢
  • 1982年夏、佐賀商のエース・新谷博(のち駒澤大→日本生命→西武→日本ハム)は県大会トップの防御率で甲子園に乗り込んだ。当時、新谷は捕手の田中孝尚(のち阪急)との大型バッテリーが多少、話題になった程度の存在であった。(画像)新谷は短期間でカーブ、スライダー、フォークをマスターし、いずれの球種でもストライクが取れるようになっていた。初戦の相手は木造(きづくり)だったが、試合前、知力では佐賀商が一枚上と言 [続きを読む]
  • 16.9回2死無走者から嵐の反撃、3点差から鮮やかな逆転サヨナラ劇
  • 「野球は2アウトから」1990年夏、葛生(現・青藍泰斗)は県大会決勝で日光(現・日光明峰)を5-2で下し、初の甲子園出場を決めた。県大会6試合全てに登板したエース・早川貴弘は、50イニングスでわずか3失点の活躍を見せたが、連投で右脇腹を痛めた。大きな重圧を抱えて乗り込んだ甲子園。初戦の相手が山陽に決まったが、チームに不安と緊張が入り交じる中での登板となった。しかし、そんな心配をよそに早川は淡々とアウトカウント [続きを読む]
  • 15."逆転の報徳"はここから始まった、6点差はね返した奇跡の大逆転劇
  • 「逆転の報徳」はここから始まった。報徳学園は激戦区・兵庫に位置しており、今では全国区の強豪だが、当時は県内のライバル校に歯が立たなかった。1958年夏は決勝まで勝ち進んだが、あと一歩で姫路南に敗れていた。目と鼻の先にある甲子園が「はるかに遠かった」のである。しかし、1961年夏、エース・酒井葵三夫(のち明治大→鷺宮製作所)を中心に、兵庫大会を勝ち進み、ついに念願の甲子園への切符を手に入れた。(画像)大きな [続きを読む]
  • 14.2試合連続完封&本塁打を記録、横浜商・2年生エースの活躍
  • 「一発狙ってました」横浜商の2年生エース・古沢直樹の打球は左翼ラッキーゾーンへ一直線に向かい、天理の夏連覇の夢を打ち砕いた。2桁背番号の選手が2試合連続本塁打を放ったのは、1983年夏のPL学園・小島一晃(のち駒澤大)に続き、史上2人目となる快挙だった…。1986年夏、古沢は甲子園に出場。当時はまだ1年生だった。登板機会はなかったが、初戦で熊本工に2-3xでサヨナラ負けを喫した。その翌年、古沢の才能が開花。殆どの試 [続きを読む]
  • 13.京都大会で奪三振の嵐、強気な投球で強豪に挑んだ"沢村2世"
  • 京都商(現・京都学園)のエース・井口和人は168cmと小柄な身長だったが、140キロ台のストレート、大きく曲がり落ちるカーブで打者を翻弄。母校の大先輩・沢村栄治(元巨人)にあやかり、"沢村2世"と呼ばれた。1980年夏、2年生だった井口は府大会決勝で東宇治に0-4で敗退。しかし、厳しい練習を課して挑んだ最後の年、素晴らしい成長ぶりを見せる。京都大会2回戦で20奪三振、準々決勝で21奪三振に加え、ノーヒットノーランを達成。 [続きを読む]
  • 12.サイクルヒット達成、初出場・初優勝に貢献した大阪桐蔭の2塁手
  • 「記録のことは全然知らなかった」3回戦の秋田戦で11回、先頭打者として打席に入った大阪桐蔭の2塁手・沢村通のバットは、菅原朗の140球目を鋭く捉えた…。1991年春、準々決勝の松商学園戦で沢村は最後の打者となり、3試合でわずか1安打、エラーも犯すなど屈辱を味わっていた。府大会でも打率は.217と不振に陥った。チームは甲子園出場を決めたが、初戦の樹徳戦では8番に降格された。(画像)準々決勝の松商学園戦で最後の打者とな [続きを読む]
  • 10.復活が待たれる、甲子園で最近見かけなくなった古豪・強豪校①
  • 甲子園で最近見かけなくなった古豪・強豪校シリーズ第1弾である。今回は商業高校のみをピックアップした。クイズも挟んでいるので、宜しければ答えを考えながら読み進めてほしい。☆松山商(愛媛)☆(画像)Q1.この投手のフルネームを答えよ。【ヒント】1986年夏に準優勝。某大手出版会社のカメラマン。出場回数:42回初出場:1919年(夏)直近:2001年(夏)通算成績:80勝35敗優勝:7回準優勝:4回主なOB:藤本定義、千葉茂、景 [続きを読む]
  • 9.甲子園で懸命なプレー、人々に勇気と希望を与えた義足の3塁手
  • 今治西の3塁手・曽我健太の足は義足だった。5歳の時、ミカン畑で農作業のトロッコに足を挟まれ、左足首を失ってしまったからだ。父親とのキャッチボールを通じて野球に興味を抱き、名門・今治西に進学。義足のハンディを過酷な筋トレで補い、レギュラーの座を掴んだ。2003年夏、県大会で21打数12安打、9打点、打率.571で大活躍。甲子園出場を決めた。また、50メートルを6秒6で走る俊足も兼ね備えていた。義足のハンディを感じさせ [続きを読む]
  • 6.笑顔で終えた夏、"さわやか旋風"を巻き起こした浦和市立のエース
  • 「ピッチャーをやるつもりもなかったし、考えもしなかった」浦和市立(現・さいたま市立浦和)のエース・星野豊はきっぱりとそう言い切った。高校に入学し、3塁についてはみたが捕球が上手くいかない。即座にコンバートを命じられ、外野手に定着した。しかし、そんな星野に転機が訪れる。エース・横田が肩を痛めて投球ができなくなってしまったのだ。当然、代わりの投手はいない。そこで、強肩だった星野に白羽の矢が立った。肩を [続きを読む]
  • 5.同チーム1大会2本のサヨナラ本塁打を記録、"ミラクル新田"の軌跡
  • 新田はこれまで、松山商、西条、今治西など、強豪校の陰に隠れていた。1985年、一色俊作監督が就任。一色監督は松山商監督時代の1969年夏、三沢との"延長18回引き分け再試合"を制して全国制覇を達成していた。一色監督の指導を受けようと県外からも有望選手が集まるようになり、創部47年目にして初の甲子園への出場権を掴んだ。(画像)松山商監督時代に優勝を成し遂げた一色監督。1985年に新田高校の監督に就任し、厳しい指導で選 [続きを読む]
  • 4.急造投手が大活躍、準優勝に貢献した東海大浦安・背番号4のエース
  • 旧ブログで大人気だったため、記事番号はそのままにし、大幅に加筆・修正を施した。2000年夏、エース・井上大輔(のち東海大)に悲劇が襲う。予選前、体育の授業中に足を怪我し、今大会に間に合わなくなってしまったのだ。当然、代わりの投手はいない。そんな中、「怪我をしたエースの代わりに是非」と立候補した選手がいた。主将・浜名翔である。浜名は元々投手を志望していたが、森下倫明監督は内野手(2塁手)としてのセンスに [続きを読む]
  • 2."長姫旋風"の立役者、無名チームを優勝に導いた"小さな大投手"
  • "小さな大投手"と言えば、磐城・田村隆寿(のち日本大→ヨークベニマル)、秋田商・今川敬三(のち早稲田大)などが印象深いが、当時、無名校でありながら強豪校相手に臆することなく勝負し、チームを優勝に導いた"小さな大投手"がいた。飯田長姫(現・飯田OIDE長姫)のエース・光沢毅である。1954年春、この大会は中京商(現・中京大中京)、浪華商(現・大体大浪商)、小倉、高知商など、優勝候補が目白押しであり、初出場の飯田 [続きを読む]
  • 1.勝利の方程式で掴んだ優勝、投打で活躍した智辯和歌山のエース
  • 「来年はベスト8に入ってほしい」1993年夏、智辯和歌山のエース・有木鎮嗣は後輩に夢を託し、甲子園を去った。1回戦の東北戦、有木は2回に先制本塁打を放ち、投げては9回途中まで4安打の力投。時折投げるスライダーが冴え渡っていた。完封すれば投打に渡るヒーローとなるはずだったが、9回、四球、3塁打で1-1の同点にされ、無念の降板。マウンドを松野真人に譲った。12回、智辯和歌山は松野が左中間2塁打を放ち、2x-1のサヨナラ勝 [続きを読む]
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