拍子木( ひょうし木 )の声 さん プロフィール

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拍子木( ひょうし木 )の声さん: 聖書が言う「教会」についてークリスチャン集会所から
ハンドル名拍子木( ひょうし木 )の声 さん
ブログタイトル聖書が言う「教会」についてークリスチャン集会所から
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/kazuko746
サイト紹介文神が人を創造されたご目的とは何か?教会とはキリストの 有機的なからだであり、贖いはスタートライン。
自由文教会とは、主がかしらであり、私達が からだであるとこです。「教会」の真理を順次語って行きたい。何故なら悪魔サタンが最も恐れるのは 教会だから。教会の仕事はサタンに不法占拠されているこの「地」を奪還する事。また、創世記1章1節と同2節の間には 実は膨大な時間が存在した。創1:2の頭に接続詞があり「すると地は形がなく何も無くなった」と訳すべき。その原因は神の燃える怒りによる( エレミヤ4:23-26 )
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 235日(平均1.0回/週) - 参加 2017/12/29 22:26

拍子木( ひょうし木 )の声 さんのブログ記事

  • クリスチャン集会所から … NO.85
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 旧約の人々は どのようにして救われるのか?ー あるクリスチャンの質問旧約の人々は 無垢(むく)の動物を 生贄(いけにえ)として献げることによって、自分たちの身代わりとした。しかし、ヘブル10:4に「 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。」とある。とすれば、旧約の人たちは、どのようにして救われたのか? コロサイ2:17に「 これらは 来たるべき [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.84
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 旧約と新約の違い詩篇18:11に「 主は闇を隠れ家とし 」とある。旧約では、神は闇の中に、即ち、至聖所の中に住んでおられた。当時 神は奥義的な神であり、人に知られたり、理解され得る神ではなかった。例えば、夜 この部屋の電気を消すなら、私たちは 誰がこの部屋にいるのか分からないように、旧約では、人々は 神について推測ができただけだった。旧約時代の人 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.83
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ クリスチャンも裁かれる ー 前々81号の続き救われること( つまり永遠の命を持つこと )と 王国での褒賞を受けることとは 別の事である。永遠の命とは賜物である。それは無代価、ただで与えられる。信ずる者には 永遠の命はただで与えられる。ロマ6:23に 「 神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です 」と有る。神の賜物は永遠の命で [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.82
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ 4人の女 ー 聖書はある意味で女の書である創世記の最初 1章 〜 2章は 黙示録の最後 21 〜 22章と全く一致している。それらは、時の延長の両端で 互いに向かい合っている。聖書の底には 実は一貫(いっかん)して4人の女が流れている。創世記2章ではエバ、エペソ5章では妻( 即ち教会 )、黙示録12章ではまぼろしの女、黙示録21章では小羊の妻。この4人の女は 実 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.81
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ クリスチャンが必ずしも「皆」天のみ国へ入るのではない。ー マタイ 7: 21これは 重大なみ言葉の一つである。「 わたしに向かって、主よ、主よ、と言う者がみな 天のみ国に入るのではなく、天におられる わたしの父のみ心を行う者が入るのです。」ー マタイ7:21ここで主は、主よ、主よ、と言う者、即ちキリスト者は、基本的に天の王国に入るが 「みな」では無い [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.80
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 信仰が賛美を生む詩篇106:12にこう有る。「 そこで、彼らは みことばを信じ、主への賛美を歌った。」これはイスラエル人が、荒野にいた時の情景である。彼らは 信じたので歌った。また彼らは信じたので賛美した。賛美には、信じるという基本的な内容が有る。口から出まかせに賛美することはできないし、気ままに「 主に感謝します! 主を賛美します!」と言う [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.79
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ 賛美の生贄( いけにえ ) ー ヘブル13:15ー 前号の続編人に裏切られたり、逆に人を傷つけてしまったり、欺されたり、理不尽にされたり、根拠もなく非難されたり、吊し上げられたり、内側で我慢できないとか、どうしても赦せないような事がある。事実ではない事が 尾びれまで付いて人の噂になったり … 教会の中と雖(いえど) も、否 むしろ聖書の「 教会 」を [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.78
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 賛美ほど 主のみ手を動かすものは無い ー 第ニ歴代志20章20-22「 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣の時、ヨシャパテは立ち上がって言った。ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。それから、彼は民と [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.77
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 神はなぜ あなたやわたしをクリスチャンとしたか。たとえ「 教会 」が 一軒の家に集まっている一握りの単純な町の聖徒たちに過ぎないとしても、彼らが 自分自身をキリストのからだの現れとして キリストの中に見るなら、そして主のみ前に 自分たちの弱さを告白し、主の知恵と力を要求するなら、主はその側(そば)におられるのである。「 二人でも三人でも、わ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.76
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ 天の主は罪人を歓迎される主イエスは言われた。「 わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである 」( マタイ9:13 ) 主イエスはまた言われた、「 人の子が来たのは、失われた者を尋ね出して救うためである 」( ルカ19:10 ) もしあなたが 自分は罪人であり、失われていることを認めるなら、主は あなたを救われるであろう。あなた自身を罪人の [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.75
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 神の力使徒2:24に、「 また神の力強い大能の活動に従って、神は、その力強い大能をキリストの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ … 」とある。この一つの力は、キリストを 死人の中から復活させることができた。復活は、死がイエス・キリストを拘束することができず、死が彼を止どめることができなかった。今まで 誰一人死んで新しく生き返った人はいない [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.74
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 神に近づくことができる唯一の根拠ヘブル10:19に「 兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです 」とある。このみ言葉は、私たちが神の前に来る唯一の根拠とは、イエスの血であると言っている。うまく出来ることや、熱心や、霊的経験などによって 神の前に来る資格を持つとか、神に近付くにふさわしくなるとか、 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.73
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ 謙遜最も高い方だけが、最も遜(へりくだ)ることができる。4つの福音書を読む時、主イエスの全生涯の謙遜の生活を見る。彼のへりくだりの最も美しい面は、彼が被造物と共に働かれる事と、被造物を彼のみ業(わざ)の道具として 用いられることだ。主イエスは創造主である。彼は 無から有を創造する事ができる。彼が何かを語るや否や、それは成る。彼の言葉は 完全で [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から …NO.72
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 主に触れる第ニコリント5:16に、「 ですから 私たちは、今から後、誰をも 肉に従って知ろうとはしません。たとえ キリストを肉に従って知っていたとしても、今はもはや、彼をそのように知ろうとはしません。」とある。パウロは 肉によってキリストを知っていた時、ことさらに ナザレ人イエスの名を攻撃し、主の弟子たちを苦しめた。しかし、神が御子を パウロ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から…NO.71
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 母の膝の上で … ーある神学博士の述懐アメリカのバレー氏は、ある教会の牧師だったが、まだ救われていなかった。ある夜 誰かが 彼の教会堂のベルを鳴らした。しばらくベルが鳴りやまないので、バレー氏は、やむなくガウンを着て、戸口へ出た。そこには 身なりの良くない若い女性が立っていた。彼は、ぶっきらぼうに来意を問うと、彼女は、「 あな [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.70
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ 必要が奇跡の母祈りの第一の原則とは何か?祈りの第一の原則とは、信仰ではない、約束でもない。祈りの第一の原則とは「 必要 」 これである。必要のないところに祈りはない。神が、わたしの祈りに答えられる為には、わたしの中に「 必要 」を先ず置く。神が私に与えられる最初のもの、それは「 圧迫 」である。これによって、私は必要を感じ、どうしても神に行か [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.69
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 求めないから得られないのだ ー ヤコブ4:2 ( 口語訳 )主イエスの大胆さには 実に驚く!主はヨハネ14:13-14で こう言った。「 わたしの名に依って願う事は、何でも叶えてあげよう。父が子に依って 栄光をお受けになる為である。何事でも わたしの名に依って願うならば、わたしはそれを叶えてあげよう。」 この名は 千万の名を超えている。この名は 天上、地 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.68
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 弱さを誇る第2コリント12:9に「 すると彼は わたしに言われました。わたしの恵みは あなたに対して十分である。わたしの力は、弱さの中で完全に現われる。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ 大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と有る。「 弱さ 」というものは、決して人の悲しむべきものではない。「 弱さ 」は 泣くべきものではない [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.67
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 主イエス・キリストの福音とは何か?聖書は、このことについてとてもはっきりとしている。それは、主イエスが来られて 人に仕える事ではない。それは、彼が来られて教えたり、自由、平等、愛などのような高尚な思想を宣べ伝える事ではない。また、彼が来られて良い模範や偉大な手本となる事でもない。主イエス・キリストの福音とは、イエスの「死と復活」で [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.66
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ サタン( 悪魔 )の由来 ー 彼は何処から来たのか?サタンという語の響きには 何か恐ろしいもの、グロテスクなもの、奇怪なもの、怖いものというイメージがあるが、( 確かにサタンは恐ろしい黒幕なのだが、) 元来 サタンの元祖は、何を隠そう、それは天使の長であった。サタンとは、神が地を創造される前に創造された一人の天使だったのである。ヨブ記に、神が地 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.65
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 天地創造 ( 続々 )神の霊が水の上を動いていた( 創1:2 ) 形なく、空しく、闇の状態の中で、神は 休むことができなかった。神は また人が罪、死、サタンの下で制圧されている状況を喜んでおられなかった。なぜ神は、ご自身が正しく裁いた者を 依然として心に掛けられるのであろうか? なぜ神は、荒廃し滅ぼされるべき者を、依然として心に覚えておられるのだろ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.64
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 天地創造( 続 )「 はじめに神は天と地を創造された 」( 創1:1 ) の「 はじめに 」とは、この世の最も初めを意味する。天と地とが 初めに創造者の手から出て来た時、それは、何と新鮮で美しかったことだろう! 完全、純潔、美、輝きこそ 当時の 天と地の状態であった。ヨブ38:7に「 明けの星は相共に歌い、神の子たちは皆 喜び呼ばわった 」とある。それは 何 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.63
  • ブログランキング・にほんブログ村へ(文字を )◎ 天地創造聖書の冒頭 創世記1章1節は 単純明解、ヘブル語 7文字でできている。「 初めに、神が天と地を創造した 」次いで 2節が来るわけだが、近年 この創世記1章1節と2節の間には 気が遠くなるような 膨大(ぼうだい)な年月が存在している事が判明した。考えてみれば 創世記1章2節には形がなく、何も無かった、別訳では 茫漠として とか、空しく、とか混沌として、とあるが [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.62
  • ブログランキング・にほんブログ村へ(文字を )◎ 信仰「 激しい大雨の音がするから …」。( 第一列王記18:41 )エリヤという人は 一切のものを神に投入した人だった。当時、イスラエルは全国に渡って、三年半 雨が降らず、未曾有の旱魃(かんばつ)に見舞われた。従って水は最も貴重な物であった。しかしエリヤは 溜めておいたその水を惜しげもなく、神の燔祭の上に注ぎ出したのである。人々は驚いて「雨が降らないのに、どう [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.61
  • ◎ 教会とは神の器 主イエスが地上におられた時、彼は神の命の器であった。人が主イエスに触れ る時 神に触れ、主イエスを見る時 神を見たのである。神の満ち満ちた豊かさ は、ことごとく肉体の形を取って彼に宿っていた( コロサイ1:19 ) 今日、その 神聖な命は彼のからだである教会に委(ゆだ)ねられている。教会はその命の器 (うつわ)であり、神の全ての満ち満ちた豊かさを満たすようにと 定められてい る。( エペ [続きを読む]