拍子木( ひょうし木 )の声 さん プロフィール

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拍子木( ひょうし木 )の声さん: 聖書が言う「教会」についてークリスチャン集会所から
ハンドル名拍子木( ひょうし木 )の声 さん
ブログタイトル聖書が言う「教会」についてークリスチャン集会所から
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/kazuko746
サイト紹介文神が人を創造されたご目的とは何か?教会とはキリストの 有機的なからだであり、贖いはスタートライン。
自由文教会とは、主がかしらであり、私達が からだであるとこです。「教会」の真理を順次語って行きたい。何故なら悪魔サタンが最も恐れるのは 教会だから。教会の仕事はサタンに不法占拠されているこの「地」を奪還する事。また、創世記1章1節と同2節の間には 実は膨大な時間が存在した。創1:2の頭に接続詞があり「すると地は形がなく何も無くなった」と訳すべき。その原因は神の燃える怒りによる( エレミヤ4:23-26 )
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 54日(平均2.1回/週) - 参加 2017/12/29 22:26

拍子木( ひょうし木 )の声 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • クリスチャン集会所から… NO.67
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 主イエス・キリストの福音とは何か?聖書は、このことについてとてもはっきりとしている。それは、主イエスが来られて 人に仕える事ではない。それは、彼が来られて教えたり、自由、平等、愛などのような高尚な思想を宣べ伝える事ではない。また、彼が来られて良い模範や偉大な手本となる事でもない。主イエス・キリストの福音とは、イエスの「死と復活」で [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.66
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字を )◎ サタン( 悪魔 )の由来 ー 彼は何処から来たのか?サタンという語の響きには 何か恐ろしいもの、グロテスクなもの、奇怪なもの、怖いものというイメージがあるが、( 確かにサタンは恐ろしい黒幕なのだが、) 元来 サタンの元祖は、何を隠そう、それは天使の長であった。サタンとは、神が地を創造される前に創造された一人の天使だったのである。ヨブ記に、神が地 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.65
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ(文字を )◎ 天地創造 ( 続々 )神の霊が水の上を動いていた( 創1:2 ) 形なく、空しく、闇の状態の中で、神は 休むことができなかった。神は また人が罪、死、サタンの下で制圧されている状況を喜んでおられなかった。なぜ神は、ご自身が正しく裁いた者を 依然として心に掛けられるのであろうか? なぜ神は、荒廃し滅ぼされるべき者を、依然として心に覚えておられるのだろ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.64
  • にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ(文字を )◎ 天地創造( 続 )「 はじめに神は天と地を創造された 」( 創1:1 ) の「 はじめに 」とは、この世の最も初めを意味する。天と地とが 初めに創造者の手から出て来た時、それは、何と新鮮で美しかったことだろう! 完全、純潔、美、輝きこそ 当時の 天と地の状態であった。ヨブ38:7に「 明けの星は相共に歌い、神の子たちは皆 喜び呼ばわった 」とある。それは 何 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.63
  • ブログランキング・にほんブログ村へ(文字を )◎ 天地創造聖書の冒頭 創世記1章1節は 単純明解、ヘブル語 7文字でできている。「 初めに、神が天と地を創造した 」次いで 2節が来るわけだが、近年 この創世記1章1節と2節の間には 気が遠くなるような 膨大(ぼうだい)な年月が存在している事が判明した。考えてみれば 創世記1章2節には形がなく、何も無かった、別訳では 茫漠として とか、空しく、とか混沌として、とあるが [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.62
  • ブログランキング・にほんブログ村へ(文字を )◎ 信仰「 激しい大雨の音がするから …」。( 第一列王記18:41 )エリヤという人は 一切のものを神に投入した人だった。当時、イスラエルは全国に渡って、三年半 雨が降らず、未曾有の旱魃(かんばつ)に見舞われた。従って水は最も貴重な物であった。しかしエリヤは 溜めておいたその水を惜しげもなく、神の燔祭の上に注ぎ出したのである。人々は驚いて「雨が降らないのに、どう [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.61
  • ◎ 教会とは神の器 主イエスが地上におられた時、彼は神の命の器であった。人が主イエスに触れ る時 神に触れ、主イエスを見る時 神を見たのである。神の満ち満ちた豊かさ は、ことごとく肉体の形を取って彼に宿っていた( コロサイ1:19 ) 今日、その 神聖な命は彼のからだである教会に委(ゆだ)ねられている。教会はその命の器 (うつわ)であり、神の全ての満ち満ちた豊かさを満たすようにと 定められてい る。( エペ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から … NO.60
  • ◎ キリストはなぜ人を救いたいのか? 人はもともとサタンを覆(くつがえ)す責任を与えられていた。ところが、それ どころか人は堕落してサタンの手に権威を残したままになっている。人自身 彼に服従してしまっている。マタイ12:29にある通り、サタンは「強い人」と なり、人は彼の「家財」となってしまった。この事態は、神の国がそれを対処 する事を要求する。もし神の国が無いとするなら、人の堕落によるサタンの [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から…NO.59
  • ◎ 聖書とはいったい何を言っている本なのか? ◎ 聖書の中心は とどのつまり何なのか? ー あるクリスチャンの質問 以前、東北大学を卒業し、大手企業に勤務する ある青年が私に上記のような 質問をした。 私は 彼が何ら宗教的な先入観を持っていないのを感じて喜び、事は速いと直感 した。 私は簡単に 次のように答えた。 始めに、聖書 特に新約聖書は宗教とは何ら関係はなく、その目次を見れば [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.58
  • ◎ 教会の意義 ー 教会とは建物を指すのではなく、キリストのからだという有機的 なもののこと。 教会とは、主がかしらであり、わたしたちがからだである有機的なもののこと である。教会は、神がキリストの中に働かせた力に従って、彼が、彼の力強い 大能の活動を立証する処である。キリストの中で働かれたのと同じ程度の大能と 力強さを、今日 神は教会の中で働かせておられる。わたしたち [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.57
  • ◎「本当の教会はどこにあるのか?」 ー あるクリスチャンの質問 ー 福音館という教団に40年もいて、そこの指導者の側近でありながら、内部の 腐敗にいたたまれず そこを出た兄弟が、時々訪ねて来る。( その福音館なる ところは信者数が増え、4階建て、エレベーター付きのビルを信者の献金で建 てた。彼はその責任者だった。) 今は気慰みに近所の一搬の牧師教会へ行って いるという。しかし私のいる教会の集会 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.56
  • ◎ 人はどのようにして救われるのか ? 聖書はわたし達に、救いは2つのものに因ると告げている。即ち、? 神の恵み、 と? 人の信仰、である。 エペソ2:8に「あなたがたは、恵みの故に、信仰に よって救われた。」とある。恵みは神によって与えられる。神は わたしたちの 為に救い主を用意してくださった。神は、イザヤ53:6にある通り、われわれ すべての者の不義を、彼の上に置いた。イエスを十字架へと遣わし、 [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.55
  • ◎ よみがえりの神 わたしたちのあらゆる環境は 神によって按配されている。わたしたちが家に いようと会社にいようとその他の場所にいようと、わたしたちに環境を按配さ れたのは神である。順調な環境であろうと、逆境であろうと、神の意図は、 キリストの復活の命を現わす為に他ならない。成長するかどうかは、わたしたち が環境をどう取り扱うかにかかっている。わたしたちを圧迫するものは全て、 わたしたちを [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.54
  • ◎神のジレンマ ジレンマ( dilemma )に陥いるという言葉がある。 神の本質、本性は愛である( 第一ヨハネ2:8 ) 同時に神の本質、本性は義である ( ロマ3:26 ) ドロボーは盗んで来たそのお金が どんなお金かに注意を払わない。お金でさえ あればそれでいい。わたしたちは、自分が救われさえすればそれでいいと思って いる。その救いがどこから来たのか、その経緯については無関心だ。ところが 神はそういうわけ [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.53
  • ◎「わたしはすぐに来る‥‥」 ー 黙3:11 ー 前号に書いた通り、聖書は主イエスが再び来られる事、すなわち再臨について 318回述べている。第ニコリント6:2に「今は恵みの時、今は救いの日です。」 と有る。古典的賛美歌の312番に、「慈(いつく)しみ深き友なるイエスは、 われらの弱きを知りてあわれむ … 」とある通り、主イエスは神でありながら、 わたしたちに近づき、わたしたちを兄弟とさえ呼んでくださる。どの [続きを読む]
  • クリスチャン集会所から… NO.52
  • ◎ 神のみこころと「地」について … いわゆる「主の祈り」の中にこう有る、みこころが天で行なわれるように地で も行われますように( マタイ6:10 ) 全聖書の中で一度だけ主はこう祈りなさい、と命じられた。それがいわゆる主 の祈りと呼ばれている。「主の祈り」( マタイ6:9−13 )についてはNO.26.27. 28で詳述した。その中に「みこころ」という言葉が有る。キリスト者は「神の みこころ」、或いは「神のみ旨」に [続きを読む]
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