piyoyo1230 さん プロフィール

  •  
piyoyo1230さん: いつも側にいる
ハンドル名piyoyo1230 さん
ブログタイトルいつも側にいる
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/piyoyo1230/
サイト紹介文愛しい娘を送って5年、行きつ戻りつの日々と 娘の想い出を綴ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供182回 / 328日(平均3.9回/週) - 参加 2017/12/30 04:11

piyoyo1230 さんのブログ記事

  • 愛と人生と そして最後のごあいさつ
  • Love the life you live,Live the life you love.あなたの生きる人生を愛せあなたの愛する人生を生きろボブ・マーリィの名言である私のそれまでの座右の銘は娘の死とともに崩壊した。娘を亡くしたのに、どうやったらこの人生を愛せる?この人生を愛せないままに、どう生きたらいい?ボブ・マーリィを恨んでも答えは分からなかった。この言葉を憎むようにさえなった。でも、娘の七回忌の今日、私は娘に誓う。また自分の人生を愛せる [続きを読む]
  • Found you ②
  • 一度だけでもじゅうぶんだったのに、二度目もある。二番目の娘がうまれて半年ほどした夜のことだ。真夜中にふにゃふにゃと泣き出した妹娘を抱っこして寝室を出ていつもの定位置、ソファに座り娘を胸の上に乗せ授乳する。このうつ伏せ気味の姿勢が心地よいのか、娘は乳を飲みながらいつも寝てしまう。こっちも眠い。真夜中の授乳は孤独なものだが、TVを見ながら授乳すると赤ちゃんの心の発達に問題が出る・・・などと言われているの [続きを読む]
  • Found you ①
  • 私はスピリチュアリズムを信じていなかった。特にTVに出て死者の声を伝えたりする番組、高額な料金を取るミディアムシップなどは全部怪しいと思っている。もちろんそれを信じる人たちを単細胞だのバカバカしいだの批判するほど傲慢じゃない。スピリチュアリズムやミディアムシップや死後の世界や宗教を支えにして生きる人たちが非難されるいわれはない。2013年11月22日娘の一周忌の夜、Kちゃん夫妻を招いて家で食事をすることにし [続きを読む]
  • 死別ブログについて
  • 自分が死別ブログを書くことになるとは、書き始めるほんの2,3日前まで全く思っていなかった。娘のこと、娘に関する私の想いを書き残したいという気持ちはあったものの、それを公開して誰かに読んでもらいたいとは思っていなかった。読んでもらいたいと思わないというより、理不尽なバッシングにさらされ、娘のことを汚されるのが嫌だった。(私自身は煽り耐性0の上、まあまあ好戦的な人間であるため、バッシングそれ自体には猛然と [続きを読む]
  • Find you
  • どうしてだろう。私は、なぜだか娘が逝ったときこれが終わりだと二度と娘に会えないのだとどうしても思えなかった。悲しみになぎ倒されこのまま立ち上がれないのではないかというほどの絶望の中にいてもきっとまたいつか会えると娘のからだはなくなったけどそれが終わりではないといつか必ずまた会えると心のどこかでそう信じていたのだ。I will find you. より多くの方に知っていただくために… 押してくださったらうれしいです。 [続きを読む]
  • ちくちく
  • うまれたとき娘は1280gしかなかった。おむつ一枚だったクベース(ガラスの箱)を出てコット(ベッド)に移ったとき持ち込んだ産着を着せていいことになった。(要求したのだが)普通に売られている新生児用の服では大きすぎる。小さくうまれた子ども専用の服をネットで見つけ、ジャストサイズの服を何枚も買った。一枚3000円ほどである。まぁまぁの出費である。そのうち娘の枕元で何枚も手縫いで作るようになった。死産でうまれた [続きを読む]
  • ちいさなちいさなわが子を看取る
  • 娘が逝って半年ほど後、この本を見つけた。読み終わったとき、これまで本を読んでここまで泣いたことはないというくらい泣いた。床を転げまわって泣いた。出生後ダウン症と診断され、心疾患をはじめいくつも持病を抱えた女の子がNICUで人生を過ごす。いよいよ状態が悪い、というときに医師が申し出る。家族だけでの看取りを。女の子にはお姉ちゃんがいたが、NICUは両親以外立ち入りが制限されていたためお姉ちゃんはそれまであまり [続きを読む]
  • コンプリート
  • 娘を夜が明けるころ家に連れて帰り、その日丸一日、そして翌日16時まで、家族3人で過ごした。葬儀社を朝決め、打ち合わせをしたのだが、ドライアイスを置いて安置したりする必要はないということだった。家じゅう抱っこして回り、食事の用意をするときなどどうしても手が離せない時だけ、ちょっと待っててね、TV見といてね〜、とソファに寝かせ撮りためておいたおさるのジョージを流した。食事の時は抱っこしたり、ソファで一緒に [続きを読む]
  • Blackbird
  • ブラックバードが漆黒の夜に唄う 傷ついた羽で飛ぼうとしながら うまれてからずっと飛び立つ瞬間を待っていたブラックバードが漆黒の夜に唄うくぼんだ眼で見ようとしながらうまれてからずっと解き放たれる瞬間を待っていたブラックバードよ 飛べブラックバードよ 飛べ漆黒の夜の中 光を目指してBlackbird singing in the dead of nightTake these broken wings and learn to flyAll your lifeYou were only waiting for this [続きを読む]
  • おうちに帰ろう
  • ほとんど一日中薬で眠っているようになってもむくみが出てきて導尿することになっても輸血をするようになっても私は、娘はきっと持ち直す、また状態は良くなる、今はまだ術後で安定していないだけだそう信じていた。2012年11月21日その日の面会もいつもと同じだった。眠る娘を見つめ、そっと頬や髪や手足に触れる。仕事を終えた夫が合流し、3人での時を過ごす。いつもと同じだった。面会を終えて家に戻り、食事を始めたところで携 [続きを読む]
  • 俺たちには『It』がある
  • 一番好きな海外ドラマ『Dr.HOUSE』の1シーン、天才診断医ハウスと重病のミュージシャンの会話。ミュージシャンはALSを患っていると思われるが、いざというときの救命処置を拒否する。救いたいハウスに患者は言う。「世の中のヤツらが結婚し子どもを作り、週末の楽しみに精を出すのはなぜだと思う?あいつらには『It』がないからだ。あんたには友達もいないだろう?俺には音楽、あんたには診断が全てなんだ。そんな俺たちが『It』を [続きを読む]
  • スラックラインとスノボ・自転車・チャップリン
  • お天気が良かった週末、娘の自転車練習で公園に出かけた。昭和世代としては、三輪車→補助輪付き→自転車と行きたいところだが、現代は最初から漕ぎペダルだけがない普通の自転車に乗る。サドルにまたがって足で漕ぐのである。まっすぐ!前見て!前見て!前見たら転ばんよ〜!下見たら転ぶよ〜!全く我ながらボキャブラリーが少なくうるさいだけである。公園で、スラックラインをやっている人たちがいた。二本の木にロープを渡して [続きを読む]
  • そのときが来たら
  • やっと娘の容体が落ち着いたとき、すでに面会時間の終了22時を大幅に過ぎていた。いつもは22時には必ず追い出されるのだが、この日は黙認されたようだった。Y先生は言った。今のは本当に厳しかったと思います。もう救命といっていい事態でした。ただ、今は落ち着きましたし、血液検査や呼吸の様子から考えても、今すぐどうこうということはないと思います。あくまで、気管切開してからの状態がまだ落ち着いていないということかと [続きを読む]
  • Everytime
  • Notice meTake my handWhy are we strangers When our love is strongWhy carry on without me?Everytime I try to flyI fall without my w
    ingsI feel so smallI guess I need you babyAnd everytime I see you in my dreamsI see your face, it's haunting meI guess I need
    you babyI may have made it rainPlease forgive meMy weakness caused you painAnd this song is my sorry私に気づいて手を握
    ってどうしてこんなに離れ [続きを読む]
  • 執着か 愛か
  • 2012年11月9日呼吸器との同調が難しく、合わなくなると苦しそうになり、看護師や医師を呼んでバギングしてもらう。そして落ち着かせるために鎮静で眠らせる。それでも、少しずつ娘の状態は安定してきた。ミルクも少量から再開された。しばらく絶食が続いていたので、手足は以前よりかなり細くなっていた。顔色はあまり良くなく、目を開けてはいても表情は乏しかった。この日の夜、また呼吸が乱れてきて、看護師がバギングを始めた [続きを読む]
  • ある赤ちゃんの死
  • NICUは18床あり、18人の赤ちゃんが入院していた。そう広いスペースがあるわけではないので、他の赤ちゃんをまじまじと見ないようにと言われてはいても隣の赤ちゃんは見えてしまうし、面会にずっと来ているママがいれば、話をするついでに赤ちゃんを覗き込み、名前を呼んだりすることもある。だが基本的に、2つ以上ベッドが離れていて親とも交流がなければその赤ちゃんの名前も顔も容体も知ることはない。手術後の娘は相変わらず安 [続きを読む]
  • 見守るだけ
  • 喜世の手術と前後して、もう一人の赤ちゃんAくんの手術が行われた。Aくんは食道閉鎖でうまれ、体重の増加を待って手術で食道と胃をつなぐことになっていた。もちろん胃ろうをしてミルクは直接胃に送られていた。ミルクは上からぶら下げたシリンジから落とされるので、他の赤ちゃんを見て、あの子も食道閉鎖かな・・・?というのは予想がつく。うちもA君の両親もお互いに子どもたちが食道閉鎖だと気づき、話をするようになっていた [続きを読む]
  • 身体は正直
  • 10月は心底辛い月だ。2011年の10月は、おなかの赤ちゃんに異常があると指摘され、幸福の絶頂から叩き落された。2012年の10月は、気管切開をするかどうかさんざん悩み、手術に踏み切った。毎年この時期になると眠れなくなる。早朝にベランダに出て夜が明けるのを見ていると2011年のこの頃、大きなおなかを抱えてこの時間に朝のこの空を見ながら泣いていたのが昨日のことのように思える。10月は辛い。そして今年は、このブログを書く [続きを読む]
  • 終わりの始まり
  • 手術室から戻ってきた娘は、全身麻酔の影響でぐっすり眠っていた。それまでいたGCUではなく、NICUに戻ることになった。重症児としての管理下に置かれるのだ。数時間して、娘の目が覚めた。いつもの経鼻マスクとそれを固定する帽子がないので違う赤ちゃんのように見える。目を薄く開け、なにがおこったの?といいたげな不思議そうな顔をして顔をゆがめて泣き出した。なにしろ喉に穴があけられているのだ。痛かっただろう。怖かった [続きを読む]
  • 立ち直らない 乗り越えない
  • 世代が違う人には何のことやら分からないと思うが、私が『立ち直る』という言葉を聞いて思い浮かべるのは高部知子と伊藤麻衣子のちりちりパーマ頭で黒い口紅をつけシンナーを吸ったりチェーンを振り回したりしている姿から家族や恋人の手厚いサポートにより心を入れ替え、パーマを取り清楚な服ではにかむすっぴん少女に変わるものである。(無垢な田舎の小学生にはあまりに衝撃的なドラマだったからか…?笑)要するに、『一度は道を [続きを読む]
  • To me,To all
  • 『謝りたい』の記事にコメントを頂いた。他の方のお言葉を丸ごと記事にするのもどうかと思うのだが、私は職業ブロガーではないし、何よりこのコメントを今なお愛する人を亡くした時の後悔を胸に抱え苦しみながら生きている方に読んでほしいし、コメント欄の返信よりも記事にするほうが目に留めてくださる方が格段に多いはずだと思うのでこちらに書こうと思う。私に向けてくださったメッセージであるとともに喪失の痛みと苦しみ、悔 [続きを読む]
  • 謝りたい
  • 英語の歌のいいところは、歌詞を自分のシチュエーションに合わせて解釈できるところだ。この唄は別れた恋人を想ってのものだし、私はカリフォルニアにもいないのだが、このアデルの絶唱には胸を引き裂かれる。初めて聴いたときには、私の気持ちそのままだと胸を撃ち抜かれ、声をあげて泣いた。Hello, can you hear me?I'm in California dreaming about who we used to beWhen we were younger and freeI've forgotten how it felt [続きを読む]
  • ひまわりさんへのメッセージ
  • 息子さんの3回忌にコメントをくださったひまわりさんでしょうか。細かい事情は知らずとも、決断の後悔がどれほどひまわりさんを苦しめているか心の底からわかります。お子さんの命を左右するとわかっていての決断だったとしてもまさかそんな結果が待っているとは夢にも思わない中での決断だったとしても。もう一つの道を選んでいたら、結果は違っていたのではないか。選び損ねた。失敗した。その思いが残された人に後悔と罪悪感と [続きを読む]
  • 分岐点
  • 10月24日娘の気管切開の手術の日だ。前夜に書いた日記には、「喜世ちゃんは絶対に絶対に絶対に大丈夫だ。確信がある」と書いている。確かに『手術室から生還する』という点ではその確信は当たっていた。朝7時に夫と病院に入った。主治医はもう来ていた。看護師さんがほっとしたように、「良かった〜、喜世ちゃん、ママだよ〜」と喜世に声をかけた。喜世は夜中ずっと機嫌悪く、泣いたり怒ったりして全然眠っていなかったそうだ。私 [続きを読む]
  • 祖父母面会(波乱あり)
  • 10月22日、両親以外立ち入り禁止のGCUで、私たち夫婦の両親4人が喜世と面会できた。今では日本全国のNICUで、赤ちゃんの両親だけでなく、祖父母、赤ちゃんのきょうだいまで面会が許されている施設も多い。喜世の入院しているところでは、両親以外は面会禁止だった。面会可能な別室なども設けられていなかった。入院している赤ちゃんのきょうだいが面会できず家族として一緒に過ごせない。それは気の毒だと面会を許す病院に感謝する [続きを読む]