山内聡 さん プロフィール

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山内聡さん: 僕の好きな名句
ハンドル名山内聡 さん
ブログタイトル僕の好きな名句
ブログURLhttp://meikulife1010.blog.shinobi.jp
サイト紹介文僕の偏った好みの句を一日一句紹介します。一句一章の句が好きです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供259回 / 251日(平均7.2回/週) - 参加 2018/01/01 03:02

山内聡 さんのブログ記事

  • 2018年9月8日土曜日
  • 朴の芽を鳥科植物とも思ふ 能村研三朴の芽だから2月初春の季語かな。朴の芽は見たことがない。朴の花は見たことはあるが、随分と大きい芽なんだろうなと想像がつく。それが鳥科植物というへんてこりんな造語で句を詠んでいることに共感。今にも空に飛び立ちそうな植物、面白い。 [続きを読む]
  • 2018年9月6日木曜日
  • 木蓮のため無傷なる空となる 細見綾子木蓮が仲春3月の季語。ちょっとよくわからない句なんですけど、なんとなく惹かれる句。木蓮のおかげで無傷なのか、木蓮のために無傷でいるのか。無傷なる空となる、という措辞が詩的です。 [続きを読む]
  • 2018年9月5日水曜日
  • 雪渓に散りて色なき辛夷かな 西本一都雪渓が晩夏7月の季語、辛夷が仲春3月の季語。この季語重なりはどうしようもありませんね。この景を詠もうとしたらどうしても避けられない。多分東北の景を読んだものと思われるので時期は晩夏。辛夷が雪渓に散る、もはや色はない。 [続きを読む]
  • 2018年9月3日月曜日
  • ばらの芽に夢の脈絡つなぎけり 松田淑ばらは初夏5月の季語。ばらの芽にわすれていた夢がふと立ち上がってきて紐を手繰るように夢の朧な形が蘇ってきた。こんな経験は僕にもあります。句を鑑賞する上で共感というのは大きな力となりますね。でもこの句、複雑なことを且つ詩的に表現しているところがすごいです! [続きを読む]
  • 2018年9月2日日曜日
  • 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子この句、最高に好きです!満開の花、溢れる花はない、こんな一瞬ってあるのかなぁ?でもこんな風に句に詠める虚子は凄いです!この句を想像するだけでそこに花があるかのごとく錯覚を起こします。凄い句! [続きを読む]
  • 2018年9月1日土曜日
  • 駅ごとの赤い椿に停まりゆく 今井千鶴子椿が春の季語。どこかのローカル線。停まる駅ごとに赤い椿が咲いている。意図的にそうされているものなのだろうか?どちらにせよ停まるたびに赤い椿があるというのは景が美しい。格好の句の題材となった。 [続きを読む]
  • 2018年8月31日金曜日
  • 赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐椿は春の季語。椿は10月の末から咲き始めますけどね。掲句、ただただポエムである。赤の椿、白の椿が落ちた、それが詩となる。単純明快すぎるぐらいにわかりすぎる句だが、これを詠んだのは碧梧桐。時間のフィルターを超えて残り続ける名句。 [続きを読む]
  • 2018年8月30日木曜日
  • 紅梅の紅の通へる幹ならん 虚子梅は2月春の季語。これは事実の報告。多分草木染めのことを言っているのだろう。虚子でさえこのような句を作るのだから、自分たちが作る俳句はもっと自信を持っても良いと思うに至る。暴言か? [続きを読む]
  • 2018年8月29日水曜日
  • 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏これは面白い句だと思う。もしも俳句が分類できた時、この俳句はどのカテゴリーにも属さないのではなかろうか。こんな発想は僕の経験上、ない。 [続きを読む]
  • 2018年8月28日火曜日
  • 美しき小石がひとつ浅蜊汁 光永峡関浅蜊が春の季語。浅蜊汁に小石が入っていたら普通は不快な思いをする。しかしそれが美しい小石だった。あまりに目立つので口に運ぶこともなかったのだろう。 [続きを読む]
  • 2018年8月27日月曜日
  • 掬ふたび同じ音たて浅蜊売 小山祐司浅蜊(あさり)が春の季語。あさりを売っている。ジャリジャリとあさりを掬って売っている。もちろんそれは同じ音。毎回同じ音。その同じことが当たり前なのだがそこに着眼したところが詩人です。 [続きを読む]
  • 2018年8月26日日曜日
  • 白魚のさかなたること略しけり 中原道夫白魚が2月春の季語。この句も措辞が素晴らしい。下五の中七を受けての、略しけり。白魚が透明でもはや魚の体を成していない、と詠んでいる。ちょっと白魚さんに失礼なような気もしますが確かに白魚ってそういう存在ですよね。 [続きを読む]
  • 2018年8月25日土曜日
  • 白魚の水より淡く掬はるゝ 田畑美穂女白魚が2月春の季語。中七のフレーズ、詩人です。はんなりと白魚をすくうことを表現している。こういう句に出会うたびに俳句は結局のところ措辞であると結論づけてしまう。 [続きを読む]
  • 2018年8月24日金曜日
  • 明ぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉しら魚が2月春の季語。芭蕉の句が今ごろ…。朝の早い食事に白魚が出たのでしょうか?しろきこと、となっているので茹でて透明なしら魚が白くなっているのだと思うのですが。白魚の色と長さを句に詠み込んだわけですね。春のあけぼのに白魚で詩を詠みあげる。素晴らしいと思います。 [続きを読む]
  • 2018年8月23日木曜日
  • 囀りを聴く切株の自由席 本宮鼎三囀りが春の季語。森の中の至福のひととき。杣を生業としている人だろうか。切り株が自由席というのがとても面白い。本来自由席というものはこういうものだろう。しかし電車で自由席というと指定席より劣る。不思議な日本語になっている。 [続きを読む]
  • 2018年8月22日水曜日
  • 鴨引いて川つまらなくなりにけり 河野美保子 鴨引くが初春2月の季語。鴨が北国へ帰ってしまった。川を歩くのはいつもの散歩コース。鴨がたくさんいるのを見て可愛いなぁと思っていた作者。それがほぼ一斉にいなくなってしまった。これはつまらない。 [続きを読む]
  • 2018年8月21日火曜日
  • 揚雲雀母校はいまも山を背に 藤岡筑邨揚雲雀が春の季語。母校の変わることのない変わるはずのない佇まいを、あえて、今も、としたところに詩心がある。ただ、なにかが変わっているという印象を受けたのではないでしょうか。たぶん自分自身が変わったのでしょう。 [続きを読む]
  • 2018年8月20日月曜日
  • 牛蛙ぐらりと昼をくらくせり 山上樹実雄牛蛙が6月夏の季語。牛蛙が低く深い鳴き声を出す。ここで作者の特別な感覚が、ぐらりと昼を暗くした。牛蛙の鳴き声は何か目に見える風景を暗くする感覚が僕にもある。ぐらり、が効いている。 [続きを読む]
  • 2018年8月19日日曜日
  • 一力は娘の嫁ぎ先大石忌 生島五郎大石忌が旧暦2月4日仲春の季語。その人にしか詠めないという句がある。掲句は最たるもの。かつ句として成り立っていて良い句だと思う。しかし、その個人的にしか詠めない句を、その瞬間をサボっているというか俳句脳になっていないとせっかくの事柄が台無しになる。常に俳句脳にしておくのはまず無理だし不可能だと思うが俳句に対する嗅覚を研ぎ澄ますことでその一瞬を俳人は嗅ぎ分ける。 [続きを読む]
  • 2018年8月17日金曜日
  • ありありと春愁の眉阿修羅像 倉橋羊村春愁が春の季語。阿修羅像。これを一句に入れて一句にしているところが素晴らしい。阿修羅像の潜めた眉はたしかに憂いをたたえている。上五のありありと、がこの句を一句に仕立てている。 [続きを読む]
  • 2018年8月16日木曜日
  • ふらここの鉄の匂ひの夕心地 佐藤公子ふらここが春の季語。ブランコの鉄の匂い。その匂いは幼少のころに嗅いだ鉄の匂いと同じである。滅多にないことですが、ある香りが記憶を喚起させることはあります。なんだったかなあと思い出せないこともあります。そんな思いに浸りながら夕方のひと時を過ごしている。 [続きを読む]
  • 2018年8月15日水曜日
  • 定年の後のことなどふらここに 稲富義明ふらここがブランコのことで春の季語。定年が迫っている。定年後どうしようか。通りかかった公園に誰もいないブランコが。座ってみる。漕いでみる。何も浮かばない。しかしこの人は俳句を詠む。多分俳句にのめり込む定年後となりそうだ。 [続きを読む]
  • 2018年8月14日火曜日
  • 石鹸玉吹けば此の世の色尽くす 三好潤子シャボン玉は春の季語。シャボン玉を吹いてシャボン玉の表面の色を観察しているとこの句ができた。この世の色尽くす、という措辞はやや言いすぎの感もあるがこれぐらいいった方が読み手側にインパクトを与えることでしょう。 [続きを読む]