山内聡 さん プロフィール

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山内聡さん: 僕の好きな名句
ハンドル名山内聡 さん
ブログタイトル僕の好きな名句
ブログURLhttp://meikulife1010.blog.shinobi.jp
サイト紹介文僕の偏った好みの句を一日一句紹介します。一句一章の句が好きです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 15日(平均10.7回/週) - 参加 2018/01/01 03:02

山内聡 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 2018年1月15日月曜日
  • 大根引き大根で道を教えけり 一茶大根引く(だいこひく)と読んで初冬11月の季語。引いた大根で道を指し示す。諧謔味のある詩になっています。一茶の句はどの句にも諧謔味がある。一茶ならではの視座がある。この句を読むとたちまち脳裏に映像が流れる。どんな人でもこの句を理解して同じ映像を浮かべるのではないでしょうか。大抵の句はいろいろな取り方をして人それぞれの解釈をすると思われるがその余地がない。 [続きを読む]
  • 2018年1月14日日曜日
  • をとゝひのへちまの水も取らざりき 子規子規絶句三句のうちの一つ。おとといの糸瓜の水を取らなかった。糸瓜の水で痰が切れるのならばそうすれば良いものの、もう自分の死を諦観した。もうそろそろいいんじゃないか、この辺で。子規の気力がここで尽きたと言っても良い。子規絶句三句を眺めて、子規は最後まで句を詠み俳句を愛したことがわかる。この次の日9月19日没。 [続きを読む]
  • 2018年1月13日土曜日
  • 痰一斗糸瓜の水も間に合わず 子規子規絶句三句のうちの一つ。糸瓜(へちま)が秋の季語。一斗は約18リットル。数字を誇張するのは文学の一つの手法。痰が次から次へと出る。糸瓜の水が間に合わない。死期がまさにそこまで迫っているのに涌き出でる句を詠むことの執念。しかし死がそこまで迫っていても句を詠むことに幸せを感じていたのではないでしょうか。芸は身を助く、死の間際においても。 [続きを読む]
  • 2018年1月12日金曜日
  • 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな 子規子規絶句三句のうちの一つ。糸瓜咲く、は晩夏の季語。子規忌は九月十九日で仲秋である。この絶句を詠んでから死に至るまでタイムラグがある。子規が結核性脊椎カリエスで、晩年の病牀六尺は有名。糸瓜の水は痰を切るのに効果的だと言われている。その糸瓜の水も効果なく痰が詰まって成仏してしまっている、と詠んでいる。自分が死んでしまったことを詠んでいる。こんな凄絶な詠句があるだろう [続きを読む]
  • 2018年1月11日木曜日
  • やれ打つなはえが手をする足をする 一茶季語は「はえ」で夏。一茶の優しい一面が最もよく出ている句ではないでしょうか。蝿なんてものは殺したら清々しい気持ちになるものですが、蝿が持っている命に対しても一茶は殺してはならないと説いている。そして細かい描写。手をすって足をすっているのを命乞いでもしているかのように一句に仕立てている。やれ、と呼びかけて、殺すなよ、と説くこの上五。よく上五に収めたものだなと [続きを読む]
  • 2018年1月10日水曜日
  • 名月をとってくれろと泣く子かな 一茶これもフィクションくさい。物を欲しがって泣く子だから年は5歳未満。5歳未満の子供が月を賞でる心があるだろうか?もしも居るとしたらかなり早熟な子であろう。今ふと考えたのだが、名月をとってとかつて一茶がごねたことがあるのを思い出して句にしたのではないかという思いがした。名月を賞でるような子供はやはり俳句か短歌の道に進むような気がする。考えすぎだろう、たぶん。 [続きを読む]
  • 2018年1月9日火曜日
  • 秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉「日脚伸ぶ隣は何をする人ぞ」「花満ちて隣は何をする人ぞ」「万緑や隣は何をする人ぞ」「秋刀魚焼く隣は何をする人ぞ」「降る雪や隣は何をする人ぞ」・・・。「秋深き」でなければならないのか?季語が動くという問題に答えられないが、これを名句として諳んじている自分がいる。こういう名句は多い。この句は僕の中で例外的に受け入れているが、芭蕉ではなく他の誰かがこの句を詠んだとして、そ [続きを読む]
  • 2018年1月8日月曜日
  • 梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪梅は2月の季語。しかし掲句からは探梅の季節1月のようすを表したものだと思います。観梅となると2月の季語になります。早咲きの一輪が1月の暖かい日を得て咲いたという事実をポエムにしています。一輪を強調することで読み手にどれほどの暖かさなのかというのを伝えんとしている。一語一語に全く無駄がない、これぞ名句。 [続きを読む]
  • 2018年1月7日日曜日
  • 目出度さもちう位也おらが春 一茶めでたさ、それが中位。僕のめでたさはどのくらいだろうか?やはり中位?幸せのバロメーターは色々ある。恋人がいるか?愛する人がいるか?子供がいるか?孫が何人いるか?親は元気か?近所づきあいはどうか?お金に困っていないか?食べるものに毎日満足しているか?自分の今の仕事に満足しているか?夢に向かって邁進しているか?並べ立てていたらきりがない。さらにそれが得体の知れない世 [続きを読む]
  • 2018年1月6日土曜日
  • 我と来て遊べや親のない雀 一茶親のない雀とあるが、果たしてそういうものが判別つくのだろうか?つかないと思います。ただ、自分の心情を吐露する上で親のない雀が必要だったということではないでしょうか。寂しさが一句を覆う、同情を誘う句のように思いますが、これは全くのフィクションだと思います。自分の寂しい気持ちを一句にしたいがためにフィクションを必要としたのでしょう。 [続きを読む]
  • 2018年1月5日金曜日
  • 朝ご飯トマト好きな子嫌いな子 鷲田環トマトが晩夏7月の季語です。子供が何人いるのか知らないけれど、トマトが好きな子供もいれば嫌いな子供もいる。朝食といえばトマトが食卓に上る頻度は高いと思います。トマトが好きな子は良いとして、トマトが嫌いな子供と毎朝どんな問答をしているか気にかかります。兎にも角にも、家族を持った人が同じ自分の子供なのに味覚について同じ嗜好を持っていないことに、持ってもしょうがない [続きを読む]
  • 2018年1月4日木曜日
  • 痩蛙まけるな一茶是に有 一茶微妙に痩せている蛙を発見した一茶。その蛙にエールを送っている、負けるなと。そしてそのエールは自分に返ってきている。面白い構造の一句となっています。また、自分の名を句に詠むのは珍しい例ではないでしょうか。色々な苦境があって自分に負けそうな一茶。痩蛙、頑張れ、俺も頑張るぞ。痩蛙のそのものの存在が一茶へのエールとなっている訳です。 [続きを読む]
  • 2018年1月3日水曜日
  • 眼には青葉山郭公初松魚 素堂「めにはあおばやまほととぎすはつがつお」と読みます。青葉、郭公は夏の季語。初松魚は初夏五月の季語。三重季語で初夏を詠んだ句です。季語が重なるのは良くないと言われてますが、掲句の場合は許されても良い例の句であろうかと思います。夏がきて視覚的には青葉が、聴覚的にはほととぎすの声が、味覚は初がつお。視覚、聴覚、味覚の三つを同時に詠みこんでいる句は珍しいでしょう。初夏が来る [続きを読む]
  • 2018年1月2日火曜日
  • 万緑の中や吾子の歯生え初むる 草田男僕には子供がいないので子供がいる人の気持ちが実感として伝わらないのだが、それはそれは嬉しいものなのだろう。万緑の頃に自分の子供の歯が生えそろった。子供が育っていく中でひとつの喜びの通過点。中七の真ん中で切れ字を持ってきて詠嘆が一層喜びを伝えてくる。ところで万緑という季語、これは草田男が使い出したのが始まりと言われている。とてもいい季語なので僕も再々使わせてい [続きを読む]
  • 2018年1月1日月曜日
  • 去年今年貫く棒の如きもの 虚子新年にふさわしい名句をもってきました。去年今年と書いて「こぞことし」と読みます。俳句の初心者の方、もしくは俳句を詠まれない方、ご存知ないかもしれません。去年今年は新年の季語。年が去って新しい年を迎える、という感慨が込められた季語です。この句は上五に去年今年と詠嘆して、去年今年とは貫く棒のようなものであると詠んでいます。僕の解釈で申し訳ないのですが、要するに自分を貫 [続きを読む]
  • 2017年12月31日日曜日
  • をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏全部ひらがな表記。はらりとおもき、とあるからはらりと言う軽さにそのものの持つ重さと言うのをしっかりと受け止めた。をりとりて、であるから手にとったとしても二、三本。重いはずがありません。いわば軽さを否定することでその軽さを一層際立たせた、という句だと思います。はらりとかるく、ともし言ったならばがくんと詩情がなくなってしまう。全部ひらがな表記にすることで芒の [続きを読む]
  • 2017年12月30日土曜日
  • くろがねの秋の風鈴なりにけり 蛇笏この句の良さは取り合わせが良いのかなと思います。「鉄の」を「くろがねの」とひらがな表記したところがいいと思います。そしてただ風鈴といえば夏の季語。秋の風鈴といったところでがらっと一句の雰囲気が変わる。下五はただただ「なりにけり」と詠んだだけ。風鈴は鳴るのが当たり前なんだからこれはいらないのではと初心者の方でも思われるかも。そしてもう一回、この句の全体を眺めてみ [続きを読む]
  • 2017年12月29日金曜日
  • 鶏頭の十四五本もありぬべし 子規名句論争になった句だそうです。しかし、この大胆な句の構図。根岸の庭でしょうか。下五のありぬべしと断定していることに子規の、あるこだわりが感じられていい句になっているのかなと思います。十四五本、という大胆な数字にも驚かされます。子規には必要だったのです鶏頭の十四五本が。数字を扱う句が多い中でこの句は異彩を放っています。子規のある感性が読み手に共感を呼び起こす。しか [続きを読む]
  • 2017年12月28日木曜日
  • 閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉これも名句中の名句。周りの音は蝉のみ。その蝉の声が岩に染み入って静けさを感じている芭蕉。しかし上五もさることながら中七の表現、白眉ですね。中七で成功している句といっても良いぐらい。岩に蝉の声がしみいるはずもないのですが、そうと感じた芭蕉のすごさですよね。なかなか真似のできない詠み方だと思います。詩情が美しいというよりも侘び寂びを感じる句に仕上がっていると思います。 [続きを読む]
  • 2017年12月27日水曜日
  • 流れゆく大根の葉の早さかな 虚子これも超有名句。大根が季語で冬。冷たい川で大根を洗っているのでしょうか。折に葉が取れてさーっと下流に流れて行く大根の葉の意外な速さを捉えている一句。川の流れだけではそんなに速さを感じるわけではないのに何かものが流されると川の速さを感じられる。あらあらと言う間に大根の葉は自分から離れて行く。それを高級なポエムに仕立てた掲句はやはり素晴らしい。有名句にあってもポエム [続きを読む]
  • 2017年12月26日火曜日
  • 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 子規名句と言えばこの句を先ず諳んじる人が多いような気がします。小学生の教科書にも載っている超有名句。子規は果物好きで有名です。掲句にある柿ももしかしたら十個目ぐらい食べたところで法隆寺の鐘が鳴ったのではないでしょうか。法隆寺の固有名詞を頭に浮かべるとこの掲句を連想してしまうぐらいですよね。日本国民の誰もが諳んじるこの句を詠んだ子規はやはりすごい人です。 [続きを読む]
  • 2017年12月25日月曜日
  • 菜の花や月は東に日は西に 蕪村またまた名句中の名句です。菜の花が一面に咲いていて月が東にあり太陽が西にある。太陽が西に沈みかけているところに月が東の端に出でんとしているわけだから月はほぼ満月に近い。菜の花は4月晩春の季語。月も秋の季語ですがここでは菜の花が主題になっていて厳密には二重季語となりますが、これは避けられません。俳句では絶対二重季語が駄目だということもありません。ただし許されるのは掲句 [続きを読む]
  • 2017年12月24日日曜日
  • 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉古池に蛙が飛び込んで音がした。いきなり直球の名句です。この句のような侘の世界を僕も詠みたい。季語は蛙(かわず)で春の句です。色々な解釈があるようですけど、僕がこの句から得る印象は静かな寂しい風景。俳句は作者が詠んだ時点でそれは作者から離れて自由に解釈されるものです。あなたはこの句からどのような世界を心に描きますか? [続きを読む]
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