げんさん さん プロフィール

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げんさんさん: 脱サラ教師のゲーム工房
ハンドル名げんさん さん
ブログタイトル脱サラ教師のゲーム工房
ブログURLhttp://game.dassarakyoshi.com/
サイト紹介文コンピューターゲーム(おもにRPG)の制作とゲームプレイ(おもにSLG)を楽しんでいます(^^)
自由文コンピューターゲーム(おもにRPG)の制作とゲームプレイ(おもにSLG)を楽しんでいます(^^)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供18回 / 18日(平均7.0回/週) - 参加 2018/01/04 18:24

げんさん さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 毛利元就、陶晴賢と断交す(=防芸引分)
  • 【1552年(天文21年)1月】志川瀧山城の攻略に成功。志川滝山城は戦国時代に備後国で一大勢力を誇っていた国人「宮氏」によって築かれたといわれ、神辺平野の北部、芦田川水系四川の水源地に近い急峻な山中に位置している。「Wikipedia 志川滝山城」宮氏の現当主は宮景盛。山内氏に奪われた大富山城を奪還すべく奮闘中の模様。【1552年(天文21年)2月】さて、次の一手をどうするか……などと言いながらも、領土拡張のためには陶の [続きを読む]
  • 江田家を従属させた
  • 【1551年(天文20年)10月】足利義輝、史実より5年遅れで将軍の座に。宣教師ルイス・フロイスは、義輝を「とても武勇すぐれて、勇気ある人だった」と評している。剣豪として名を馳せていた塚原卜伝から指導を受けた直弟子の一人である。奥義「一之太刀」を伝授されたという説もあり、武術に優れた人物であったのではないかと言われている。永禄の変の際、フロイスの『日本史』では「義輝は自ら薙刀を振るって戦い、人々はその技量 [続きを読む]
  • 大寧寺の変 勃発とそれに続く混乱
  • 【1551年(天文20年)8月】銀山城を落としてホッとしたのもつかの間、予定どおりというか「大寧寺の変」勃発。さて、どのような結果になったのか、マップを眺めてみる。★安芸★備後★石見旧大内領がすべて陶家の領土になり、大内に従属・臣従していた大名は独立した模様。で、毛利とそれらの勢力との関係は「無関係」つまり「敵対」状態になってしまったようだ。おいおい、史実では毛利は陶の叛逆に加担してさしあげたんですが… [続きを読む]
  • 備後・銀山城を攻略
  • 【1551年(天文20年)3月】蝦夷松前に交易船を送れるようになった。月あたりの利益額が大きいので、ありがたい。農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換した。アイヌは魚や毛皮を輸出品目とし、和人の生産する道具(鉄器や漆器)や嗜好品(米、茶、酒)と交換した。Wikipedia「アイヌの歴史」今、気がついた。旧沼田小早川家の田坂義詮(全景)って生きてるじゃん。史実で [続きを読む]
  • 温湯城も攻略
  • 【1550年(天文19年)11月】次は予定どおり、温湯城の攻略に向かう。あまり小笠原を追いつめると、思いあまって尼子に臣従してしまうかもしれんな。尼子の援軍がやって来られたらちょっと厄介だけど、もう後には引けんし……。小笠原長雄も刺賀長信も史実では毛利に帰順したんだから、このあたりで尼子を見限って、さっさと毛利の軍門に下ってくれよ。例によって、吉川元春率いる吉川勢が温湯城に向かって出陣。小笠原勢も迎撃の構 [続きを読む]
  • 石見小笠原家の雲井城を攻略
  • 【1550年(天文19年)8月】前月の重富城攻略戦で捕虜にした武将たちの様子をうかがってみると…そろって「登用拒否」。ま、そりゃそうだよな。腐っても鯛、出雲守護代を務めた名門だよ。重富城を落とした勢いに乗って、石見小笠原家の雲井城攻略に着手。あまり関係ないかもしれないけど「大寧寺の変」発生前に雲井城と温湯城は手に入れておきたい。第一次野戦は、言うまでもなく吉川元春率いる毛利軍の勝利。ほぼ吉川軍と言っても [続きを読む]
  • 尼子家当主・尼子晴久が捕虜に…
  • 【1550年(天文19年)5月】三原城からは博多にも交易船を派遣できるようだけど、堺よりも時間がかかる上に(予想)利益も少ない。三原−博多間の方が若干距離は長いとはいえ、これじゃあちょっとね。堺との交易に専念しよう。石見中部は計算どおりの展開に。それでは、いざ出陣!【1550年(天文19年)7月】3ヶ月足らずの兵糧攻めの結果……落とした城自体は、要衝ともいえないほどの一拠点に過ぎないのだが、収穫は歴史を転換させ [続きを読む]
  • 沼田小早川家を併呑
  • 【1550年(天文19年)4月】待望の沼田小早川家併呑イベント発生!沼田(小早川家)の当主だった繁平はこの年9歳。父の正平が富田の陣(第一次月山富田城の戦い)で戦死したため、幼くして家を継いでいたのだが、眼病を患い、このころに失明していたとされる。先行きに不安を感じた沼田重臣の乃美隆興・景興父子や椋梨盛平らは、繁平を廃して隆景を繁平の妹(問田大方)と娶せて養子とし、新当主とするプランを考えたのだ。隆景を迎 [続きを読む]
  • 大内−大友が不戦同盟を締結した結果…
  • 【1549年(天文18年)7月】山内家と久代宮家が不戦同盟を締結。先月、山内豊通らが久代宮家の大富山城を落としたんだよね。獲るもの獲って、ちゃっかり講和か。【1549年(天文18年)8月】約20年後、浦上宗景は宇喜多直家に寝首をかかれることになるんだけど……。【1549年(天文18年)10月】大友家と大内家は不戦同盟を結んだ模様。さて、これが中国路にどう影響するか。【1550年(天文19年)1月】【1550年(天文19年)2月】義鑑の [続きを読む]
  • 織田信長、那古屋城に登場
  • 【1549年(天文18年)1月】年が改まったところで、この男が表舞台に姿を現しました。交易船が肥前平戸から帰港。派遣費用が1000貫×2隻=2000貫で、収益2320貫なので、320貫の黒字。よしよし。【1549年(天文18年)2月】大内義隆に従属する福屋隆兼の石見・三子山城が尼子勢に…。尼子がこの城を奪うと厄介なことになりそうな気がする。ちなみに、昨年12月に登場した吉川家臣の森脇春方は、この城の城主になるはず。ここは一つ、大 [続きを読む]
  • 交易船を肥前平戸に派遣
  • 【1548年(天文17年)11月】少しずつ軍備も充実させていくか。[武勇]が高く[野戦統率]が低い武将に優先的に兵を集める。[武勇]も[野戦統率]も高い武将は、本陣で総大将として全軍を率いてもらうため、あまり多くの兵を与える必要はない。万一の敵の奇襲に耐えられる兵力があれば。基本的に兵力は先陣に集中させ、先制の一撃で敵の士気を一気に下げる戦法をとっている。先陣・第二陣に兵力を分散させる意味はないよな。【15 [続きを読む]
  • 財政改革の切り札=交易船を建造
  • 【1548年(天文17年)9月】おお、豊作だ。枯渇寸前だった資金(681)が31427に増えた。ところで、貨幣単位は「貫」でいいのかな?備後で早くもいくつかの攻城戦が発生。国竹城の有地隆信が杉原理興らに攻められている。当家の従属大名なので救援してやりたいのはやまやまだが、経路がつながっていないのでどうしようもない。何とか頑張ってくれ。見守っていてやるから。確かに郡山城の町経済最大値が増えている。9月は193だったが1 [続きを読む]
  • 沼田小早川家を早く併合してほしい
  • 初めてのシナリオなのでマップを眺めて領国の周囲の状況を確認してみる。敵の拠点と接しているのは…小倉山城と矢羽(琵琶甲)城。小笠原氏の雲井城と山路で結ばれている。他には……ちょっと待て。地図を眺めていて厄介なことに気づいた。木村城・一乗山城・翁山城って孤立してるじゃん。自勢力の他の城との間に経路がつながっていない。これはマズいな。今のところ周りは不戦条約を結んでいる勢力だからいいようなものの、いつ状 [続きを読む]
  • 超大型シナリオ「天文戊申」でリプレイ
  • 「戦国史」の攻略サイトを眺めていて、実に興味深いシナリオを見つけた。天文戊申(てんぶんぼしん?)0.12a → 配布先はこちら城数:1767 大名家数:880 武将数:10444 交易対象諸外国数:40…というスペックの超大型シナリオです。「戦国時代を舞台とした史実系シナリオ。瞠目すべき美麗なマツプ、旧字体を用いた人名・地名、そして包囲網イベントは、独特の雰囲気を釀し出す」(原文は旧字体)という謳い文句に惹かれ、サンプル [続きを読む]
  • 尼子新宮党、誅殺さる
  • 1552年(天文21年)9月、旗返(旗返山=はたがえしやま)城を攻略。捕虜になった城主の江田隆連。こっちについたりあっちになびいたり腰の座らん武将だけど、一応登用。史実だと、大内家の実権を握った陶隆房に対して、毛利元就は旗返山城の所有を認めるように懇願したが、隆房は毛利の勢力がそれ以上拡大するのを警戒して、自らの腹心・江良房栄を城番とした。このことが「防芸引分」(=陶と毛利が袂を分かつ)の遠因になったと [続きを読む]
  • 大寧寺の変 勃発
  • 尼子による琵琶甲城および比叡尾城への攻撃をしのぎながら……1551年(天文20年)6月(史実では9月)に至って「大寧寺の変」勃発。史実どおり、佐東銀山城が毛利の所領になった。吉田を中心とした山間地域の所領が大半だった毛利家は、瀬戸内海への出口を確保したことになる。のちに毛利輝元がこの地に城を築いて本拠とした。広島城である。さらに1551年(天文20年)10月。日野山城・安芸高山城・桜山城を確保。今後の軍事侵攻を支 [続きを読む]
  • 再度、1550年(天文19年)秋
  • 2回目開始。1回目と打って変わって動きがない(=尼子が侵攻してこない)な。内政に専念して、時機を待つか。1550年(天文19年)8月に至って初めて尼子が攻勢を仕掛けてきた。2千弱の尼子軍が琵琶甲城を包囲。1ヶ月の放置後、1550年(天文19年)9月に毛利軍が琵琶甲城を救うべく出陣。元就以下、隆元・元春・隆景の精鋭三兄弟で3900の兵力です。尼子軍を見事に撃退。10月、またも琵琶甲城に尼子軍が…。急に活動を活発化させてきた [続きを読む]
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