keystonesapporo さん プロフィール

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keystonesapporoさん: 札幌時空逍遥
ハンドル名keystonesapporo さん
ブログタイトル札幌時空逍遥
ブログURLhttp://keystonesapporo.blog.fc2.com/
サイト紹介文札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。
自由文札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、 石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……心にうつりゆくよしなしごとを日々そこはかとなく書き綴っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 50日(平均7.4回/週) - 参加 2018/01/04 22:43

keystonesapporo さんのブログ記事

  • 花園のよすが
  •  かつて東皐園に植えられていた樹が、今も別の場所で名残を留めています。 上島正の曾孫・Kさん宅のライラックです。 1935(昭和10)年に転居した際、Kさんの父・Tさんが花木の一部を持ってきました。かつては家の付近一帯にシャクヤクを植えていたそうです。Tさんは戦後も10年くらい花卉業を営み、シャクヤクやチューリップを市場に出していました。前掲画像のライラックのほか、オンコの木も東皐園ゆかりとのこと。『札幌百年 [続きを読む]
  • 東皐園の痕跡?
  •  東区北11条東1丁目に遺る物件です(黄色の矢印の先)。 この物件は昨年(2017年)12月、札幌建築鑑賞会のスタッフで東皐園跡の現地を歩いたとき、スタッフNさんに教えていただきました。「なにやら古い木の柱」という印象を受け、「もしかして東皐園の痕跡だろうか?」と判じあったものです。 物件の所在地を現在図で示します(原図は国土地理院サイト標準地形図から抜粋)。 黄色の矢印の先、仲通りの入口です。緑色で囲った [続きを読む]
  • 東皐園の初出?古写真
  •  上島正の曾孫Kさんから、東皐園を写した古写真を見せていただきました。 ハナショウブやボタンなどが咲く花園を写したものは郷土誌などに既出していますが、この光景は初めて見ました。右の門柱に「東皐園」、左に「牡丹遊覧?」という看板が掛けられています。門柱は奥にもあります。奥の門柱は邸宅への入口なのでしょう。 手前の門柱の「牡丹遊覧?」というのは、折々掛け替えられていたのではないかと思います。 「牡丹」 [続きを読む]
  • 東皐園は、いつまであったか
  •  上島正のご子孫にお会いし、お話を訊くことができました。 私が一つ確かめたかったのは、東皐園の“その後”です。札幌市東区役所『東区今昔』1979年によると、「東皐園は明治11年から昭和20年ころまであった」といいます(p.153)。「昭和20年ころ」というのが、気になっていました。どのように終焉を迎えたのだろうか。 ご子孫からの聞取りの前に、まず物的な史料を見ます。 2月8日ブログに載せた「最新調査札幌明細案内図 [続きを読む]
  • 明治のクリエーター・上島正 
  •  『北海道毎日新聞』1891(明治24)年7月10日に載った東皐園の広告です(札幌市公文書館蔵)。 7月10日から24日までハナショウブを公開、入場料大人1銭、子ども5厘。東皐園の所在地が「札幌区北八条東一丁目」となっていますが、これはこのあたりの「条丁目」が当時まだ北8条までしかなく、以北はすべて北8条だったためでしょう(末注①)。 市公文書館所蔵記事によると、上島正は明治20年代から大正期にかけて、毎年のよう [続きを読む]
  • 上島絵巻「東皐園の始」を解読する
  •  『上島氏開拓絵巻』1899(明治32)年(北海道博物館蔵)の文章解読を試みました。「東皐園の始」の項です。 私の古文書解読能力は初心者級、スキーに例えればかろうじてボーゲンで滑れる程度です。原文はくずし字としては比較的判りやすい部類だと初心者にも見えるのですが、すんなりとはいきません。 昨年、とある古文書を目にしてほとんど判読できなかったため、一念発起し、先月、札幌市公文書館の「古文書講座」初級コース [続きを読む]
  • 上島絵巻に見る東皐園の地形
  •  碁盤目状に区画される前の東区の地割を見てきました。いったん話を東皐園に戻しましょう。大友堀周辺の短冊状地割については、別途あらためて逍遙することとします。 上島絵巻(北海道博物館蔵)に描かれた東皐園を再掲します。 黄色の□で囲ったところを拡大しました。 開拓前から生えていたであろう大木が切り倒されたばかりのようです。ショウブとおぼしき花が無数に咲いていいます。樹種や草種の同定は、3月21日「札幌百 [続きを読む]
  • 川と地割、土地利用の関係
  •  昨日ブログで、大友堀を基軸とした地割のことを記しました。用水路に沿って短冊状に仕切られた土地です。 私の郷里の古い空中写真を見たところ、同じような地割が見えました。 愛知県稲沢市、古いといっても1961(昭和36)年です。青くなぞったのが水路で、U字状に弯曲しているのが三宅川、二本に枝分かれしているのが大江用水です。前者は自然河川、後者は平安時代に開削された用水路です(2015.6.5、6.7ブログ参照)。橙色 [続きを読む]
  • 東皐園のナナメの地割の由来を探る
  •  昨日ブログの続きです。 東皐園の地割がなぜ、いびつだったか。古地図から探っていきます。 まず「札幌市街之図」1901(明治34)年です。 赤い○で囲ったところに東皐園と書かれています。 明治30年代、このあたりがまだ碁盤目状に地割されていません。ほとんど原野のように描かれていますが、実際には昨日ブログに載せた1884(明治14)年の「地所払下願」添付図に垣間見えるように、碁盤目とは異なる地割がすでにありました [続きを読む]
  • 「上島氏開拓絵巻」を味わう
  •  昨日ブログに載せた「上島氏開拓絵巻」(北海道博物館蔵)に描かれた東皐園を再掲します。 赤い□で囲った部分を拡大してみましょう。 手前に水路らしき流れが描かれています。 これは創成川でないでしょうか。 「最新調査札幌明細案内図」1928年と照らしてみます。 黄色の○で囲ったところが東皐月園、青の矢印の先で示したのが創成川です。 前掲上島絵巻は、創成川の西側から東を望んで描かれたように見えます。 2月8日 [続きを読む]
  • 東皐園 上島正の絵巻物
  •  2月8日ブログの続きです。 現在の東区に、「東皐園」という私設庭園がありました。この庭園を開いたのは上島正という人物です。先日、上島が1899(明治32)年に遺した絵巻物を北海道博物館で閲覧してきました。長大な巻物で、正確に計測はしませんでしたが8mはあったかと思います。 この絵巻物のことは黒田重雄氏(北大名誉教授)が詳細に解題され、『厚別 黎明期の群像』2013年に掲載されています(pp.213-268)。3月21日 [続きを読む]
  • 札幌オリンピックの残影
  •  札幌オリンピックの組織委員会事務局の看板を、とある街中のビルで見かけました。 招致を目指しているという2026年のそれではなく、1972年のときのものです。 私は当時札幌にいなかったので、現地で体験した人ほどにはオリンピックが印象づけられていません。ただ、私にとっては札幌を初めて意識し、後年、北の街・札幌に惹かれたきっかけになったとはいえます。 実際に札幌に住むようになって、私の歴史観に通底する“光と影 [続きを読む]
  • なんちゃって百年記念塔 #2
  •  「さっぽろノスタルジック散歩」のYさんに月形の「ライオンズの塔」をお伝えしたところ、厚別区もみじ台に同種の記念塔物件があることをYさんから教えていただきました。Yさんによると、田上作品ではさらに幾つか疑わしい物件がある由です。  Yさんに触発されて、私もさっそく見つけました。 私はこれを、「なんちゃって」に認定したい。 なんとなれば…。 名にし負う「記念塔病院」(厚別区厚別東)にある物件だからです。 [続きを読む]
  • 札幌の緑の歴史 こぼれ話
  •  3月21日開催の「札幌百科 第15回」で、造園家・笠康三郎さんに語っていただきます。  詳細は、札幌建築鑑賞会公式ブログをご覧ください。 笠さんは大通公園・中島公園・円山公園の歴史について造詣が深いのですが、今回はその三題噺に加え、あまり知られていない庭園についても史料を読み解いていただこうと思っています。 その一つが明治時代、現在の東区に作られたという「東皋園」です。この私設庭園のことは笠さんのブロ [続きを読む]
  • 篠路駅東口 10年後の現在形?
  •  2月4日のシンポジウムの朝、JR篠路駅東口に降り立ちました。 10年後には駅が高架化され、駅前広場ができる計画が目下、立てられています。 こちらは、JR新琴似駅の東口駅前広場です(2017年6月撮影)。 かつてこの地にあった農協倉庫の煉瓦が、モニュメントとして遺されています。倉庫は1960(昭和35)年に建てられ、2001(平成13)年1月に解体されました(末注)。 この風景が、10年後の篠路駅の“現在形”なのだろうか [続きを読む]
  • なんちゃって百年記念塔
  •  「ホッケン研」(北海道建築研究会)を主宰するYさんのサイト「札幌ノスタルジック散歩」に、目を奪われました。最近公開された画像で、「月形ライオンズクラブ記念碑」が詳解されています。田上さんのデザインです。1969(昭和45)年建立。Yさんが書き添えたコメントに、唸りました。  気になって、「月形ライオンズクラブ」を電網検索したところ、下記サイトに当たりました。 ↓http://www.e-clubhouse.org/sites/tsukiga [続きを読む]
  • 篠路駅前 農協倉庫の歴史
  •  2月2日ブログの解答をお伝えします。 古い順に、次のとおりです。 ⑤軟石 1930年代(昭和戦前期) 籾貯蔵庫 ↓ ③煉瓦・切妻 1958、61、62(昭和33、36、37)年 〈雑穀庫、小豆加工場、タマネギ貯蔵庫)タマネギ包装用ダンボール保管庫 ↓ ①煉瓦・カマボコ 1963(昭和38)年 コメ貯蔵庫 ↓ ②セラミック・カマボコ 1968、69(昭和43、44)年 タマネギ貯蔵庫 ↓ ④セラミック・切妻 1978(昭和53)年 野菜貯 [続きを読む]
  • 篠路のシンポジウム、終わりました。
  •  「篠路のまちづくりを考えるシンポジウム」が終わりました。  壇上に上がった三人の話を、私なりにかいつまんで速報します。先日来の都市計画審議会と同じく、これもあくまでも私なりの解釈です。 トップバッターの塚田さんは、篠路の歴史を切り口に、篠路に住んで30年の暮らしの中で、篠路の「まち文化」に気づき、伝え、遺してきた経験を語りました。最後に、駅東口に計画されている駅前広場に絡んで、「これまで新たにでき [続きを読む]
  • 篠路 駅東側の倉庫群の近くにあった建物
  •  昨日ブログの問題について、ぶらじょにさん、回答いただきありがとうございます。答えは、明日の行事が終わるまで、しばしお待ちください。おって解説付きで(というほどでもないのですが)お答えします。 さて、もう一つ問題。 こちらも篠路駅近くにあった建物です。現存はしていません。駅東側、篠路3条7丁目にありました。 そこはかとなく雰囲気を醸していて、やはり2000年に撮りました。問題は、この建物の由来です。何の [続きを読む]
  • 篠路駅前倉庫群を予習しましょう
  •  JR篠路駅周辺には、かつて農業用倉庫が数多く建ち並んでいました。 「数多く」というのは、昨日ブログで引用した北海道新聞のコラムには「かつては約20棟を誇った」と記されていますが、数えようによってはもっと多かったともいえます。当の道新は、2000年4月11日の記事では「JR篠路駅の両側に三十以上は並ぶ倉庫」と書いています(「駅かいわい JR篠路駅 歴史みつめる倉庫群」)。ことほどさように、史実はそれらしく独り歩き [続きを読む]
  • 篠路駅の高架化に想う
  •  JR篠路駅周辺の都市計画(JR線の高架化、道路拡幅、区画整理)が、実現に向けて進みます。 2月4日に開かれるシンポジウムは、この都市計画と向き合うものです(1月24日ブログ参照)。1月23日の審議会で承認された都市計画はいわば“骨組み”といえます。“肉付け”をするのはこれからであり、シンポジウムもそのきっかけの一つになればと願います。 とはいっても、地域の歴史を知る催しであり、午後からは多彩な展示や実演もあ [続きを読む]
  • 篠路駅前の倉庫をめぐる都市計画審議会の議論
  •  1月26日ブログの続きです。  篠路駅東口の区画整理をめぐって、1月23日に開かれた第97回札幌市都市計画審議会で交わされた議論を整理します。  数名の委員から、駅前の倉庫の保存を求める意見が出されました。 「駅前の倉庫の保存を求める多くの意見書が出された。超一級の文化財ではないにしても、地域の景観的価値への住民の関心が高い」。 「どこでも同じような駅前ではなく、個性ある景観のために倉庫の保存を求めたい [続きを読む]
  • 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第78号発行
  •  表紙絵のカラー版を鑑賞会公式ブログに載せましたので、そちらも味わっていただければ幸いです。 作者のSさんの添書き文にあるように、描かれたK牧場(北区篠路町上篠路)のサイロ・牛舎は解体されて、すでにありません。私は昨年4月にKさん宅を尋ね、牧場の由来をお訊きしたのが最後となりました(2017.4.10ブログ参照)。 昨年12月下旬に撮った現況です。 サイロ在りしとき、Kさんからお話を伺っておいてよかったと思 [続きを読む]
  • 大通公園の黒田、ケプロン像
  •  佐藤忠良のレリーフ「開拓」(1月27日ブログ参照)は、“まぼろしの百年記念塔”構想(1月17日ブログ参照)が一つのきっかけとなったと私は想います。“まぼろし”塔が階層性、上下関係を明確に示していたのに対し、レリーフは必ずしもそうは見えません。北海道の歴史が時系列で横並びされています。“開拓”の視点であることは否めません。こんにち的にみれば限界、制約はあります。しかし私は、このレリーフもまた歴史的な産 [続きを読む]
  • 忠良さんのレリーフ 道庁と百年記念塔
  •  佐藤忠良のレリーフ「開拓」。 道庁庁舎の説明によると、1967(昭和42)年から1968(昭和43)年6月に制作されました。 道庁の大理石壁面と北海道百年記念塔の鉄製を見比べると、一部異なっています。 前者では、先住民の狩猟に続いて右側には針葉樹林(エゾマツか)、そして木を伐る開拓者が彫られていますが、後者では樹林の隣は馬に乗る二人の人物、開拓使の本庁舎が続きます。樹林の上のエゾシカ?は、道庁のは2頭ですが [続きを読む]