keystonesapporo さん プロフィール

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keystonesapporoさん: 札幌時空逍遥
ハンドル名keystonesapporo さん
ブログタイトル札幌時空逍遥
ブログURLhttp://keystonesapporo.blog.fc2.com/
サイト紹介文札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。
自由文札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、 石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……心にうつりゆくよしなしごとを日々そこはかとなく書き綴っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供174回 / 171日(平均7.1回/週) - 参加 2018/01/04 22:43

keystonesapporo さんのブログ記事

  • 永山武四郎邸で、故人を偲ぶ
  •  旧永山武四郎邸の南面を眺めました。 向かって左側の縦長窓が洋風応接間、右側の引き戸は和風の座敷です。縁側をはさんで障子窓が入っています(うしろのペパーミントグリーンの洋館は昭和戦前期築の旧三菱鉱業寮)。 旧永山邸の意義、特徴については下記サイトをご参照ください。 ↓ http://kai-hokkaido.com/feature_vol39_takeshirohome_01/ 永山は明治10年代、この邸宅の土地(975坪)を35円70銭で取得したとみられます [続きを読む]
  • 札幌の永山武四郎邸から、薩摩の原風景を想う
  •  6月23日から再公開される旧永山武四郎邸(北海道指定有形文化財)の正面です。 隣接の旧三菱鉱業寮のほうは6月13日ブログで記したように外壁のペンキが塗り変えられたりしましたが、こちらは改修前と一見ほとんど変わってません。今回は最小限の修繕にとどめたとのことです。 玄関の内部です。 6月13日の内覧会で建築史家の角幸博先生は「無装飾で、質実剛健な印象」と解説されました。先生はその数日前、鹿児島の知覧で武家 [続きを読む]
  • 北1西1の記憶 ②
  •  北1条西1丁目の6年前の風景です。 2011年10月、市役所の屋上から撮りました。この風景も、忘れ去られつつあります。 同じ場所の現在です。 「創成スクエア」が建っています。同じアングルでは、ビルのてっぺんまで収まりません。 26階建て、超高層のオフィス棟です。 建物が竣工式を迎えたそうですので、拙ブログでもそれを記念(?)して、この3年余を振り返っておきましょう。   2015.3.5 2016.7.9 2016.9.3 2016.1 [続きを読む]
  • 永山武四郎の出自を探る
  •  6月1日ブログで、鹿児島の永山武四郎生誕地のことを記しました。その文末を次のように締めくくっています。 幕末維新で活躍した薩摩藩士の多くは下級でしたが、永山も俸禄は高くなかったのではないでしょうか。 私は、この原風景が永山のその後、とくに北海道での人生を方向づけたのではないかと深読みしてしまいました。 永山武四郎の出自は、次のとおりです(末注①)。 天保八年(一八三七)四月、薩摩国鹿児島郡薬師馬場 [続きを読む]
  • 北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎 ⑤
  •  6月11ブログの続きです。 東8丁目通り(主要市道真駒内篠路線)は、東1丁目通り(市道幌北線)を基線として引かれたと思われます。両者の距離は915m(503間)。一つ考えられる根拠として‘71間基数説’を示しました。碁盤目街区60間+道路11間の、ほぼ7つ分に当たります。実際、現在は東1丁目から7丁目まで、碁盤目状に街区が形成されています。  しかし自分で示しておいて言うのも何ですが、私は‘71間基数説’説には [続きを読む]
  • 旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮 保存の秘話
  •  「秘話」などと扇情的なタイトルを付けたわりに、本文が竜頭蛇尾になりますがお許しください。 旧永山邸・旧三菱鉱業寮にまつわる物語は?安正明『よみがえった「永山邸」 屯田兵の父・永山武四郎の実像』1990年に詳しくまとめられています。越野武先生(当時・北大)を中心とする建築の調査報告も転載され、本件建物を知るうえでもっとも役に立つ文献です。 これに加えて、昨日ブログでも引用した武井時紀先生の『おもしろいマ [続きを読む]
  • 旧三菱鉱業寮に置かれた母子像
  •  先日の旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮の内覧会で、ひときわ目を惹いた逸品です。 旧三菱鉱業寮の1階、玄関を入ってすぐの部屋に鎮座していました。 作品名や作者名、由来などの説明は何もありません。  その“無言”なたたずまいが、昭和戦前期の洋館の一室に特異な存在感を醸していたのです。あに、場違いと言うなかれ。 本件建物の指定管理者となったN社の担当Gさんに、思わず私は「やあ、いいですね、コレ」と言ってし [続きを読む]
  • 父母の血しおを今に 百年の塔は東に
  •  北海道百年記念塔を校歌に歌う学校が、さらにありました。 札幌市立東光小学校。所在地は札幌市東区本町2条1丁目です。 東光小学校の学校だより「こぶし」2018年2月28日号に、教頭先生が「校歌に思う」という一文を寄せています。電網上で検索していてこれを知ったとき、みずからのウカツを恥じました。 前に東区東雁来町にある高校のことを拙ブログで記したとき、次のようなコメントをいただいていました(2017年5月1日 [続きを読む]
  • 札幌で永山武四郎ゆかりの地を拝む
  •  改修のため2年余り休館していた「旧永山武四郎邸」(道指定有形文化財)を、6月23日の一般公開に先立って見に行ってきました。 地元住民、観光ボランティアガイド、関係者を対象とした内覧会に参加させてもらったものです。 2016年以来の改修では、特に併設の「旧三菱鉱業寮」の整備に力点が置かれました。 三菱合資会社によって1937(昭和12)年頃に建てられた洋館です。永山が1904(明治37)年に亡くなった後、邸宅敷地を [続きを読む]
  • 「開道」120年の残照
  •  7月に開催を予定する札幌建築鑑賞会「2018大人の遠足」初夏の編に備えて、再び八紘学園に足を運びました。地下鉄「南郷13丁目」駅から学園まで、月寒川を遡るように歩いて30分弱です。 途中、「月寒グリーンドーム」の跡地を眺めました。 建物はすでに解体されて、ありません。 ドーム在りし日の写真を載せて、偲んでおきましょう。 昨年4月に撮ったものです。その前年(2016年)3月末をもって閉鎖されていたので、この時 [続きを読む]
  • 北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎 ④
  •  6月9日ブログの続きです。 東8丁目通り(主要市道真駒内篠路線)は、東1丁目通り(市道幌北線)を基線として915m(503間)の距離で引かれています(各道路中心線で計測)。町(チョウ=60間)に換算しても、整数になりません。これは何に由って来たるのか? 可能性として排除できない説を、一応考えたいと思います。 そのまえに、東8丁目通りを俯瞰してみましょう。  本件北12条のクランク(黄色の○の箇所)とは別に [続きを読む]
  • 6月10日の記念樹を寿ぐ
  •  昨年の6月9日に母が退院して、1年が無事に過ぎました。 母は、術後の経過は良かったものの、なにせ食が細く、経鼻栄養を続けていました。「このまま退院して経鼻をやめたら、てきめん衰弱する」と言われていたのですが、手術を成功裏に終えてくださったことに私は感謝しつつ、「もしものことがあっても、天命だと思います」と言って、退院させてもらいました。90歳。病院食で長らえるのと、拙宅に帰って好物だけで過ごして仮 [続きを読む]
  • 北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎 ③
  •  東8丁目通りの北12条以北は東1丁目通りを基線として引かれたと推測しました。では、東1丁目通りからの距離は、何に基づいたのでしょうか?  まず、東1丁目通り(市道幌北線)と東8丁目通り(主要市道真駒内篠路線)との間の距離を、現在図で確認します。 着色は以下のとおり。 東1丁目通り(市道幌北線):黄色の線 東8丁目通り(主要市道真駒内篠路線):茶色の線 創成川:青色の線 クランク:赤い○の場所 東1 [続きを読む]
  • 北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎 ②
  •  昨日ブログの続きです。 北光線(東8丁目通り)は、北12条でクランクしています。なぜ、このクランクができたか? あらためて確認すると、この通りは北11条以南と北12条以北で、拓かれた時期が異なります。前者が先で、後者が後です(末注①)。そして、それぞれ異なる根拠に基づき道が作られたことが察せられます。 前者すなわち北11条以南については、拙ブログで過去にその経緯を記しました(2017.7.31ブログ参照)。端的に [続きを読む]
  • 北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎 ① 
  •  本年3月10日ブログから始めた「東区 北光・鉄東の謎 4題」を再開します。 ① 「北光線(東8丁目通り) 東区最大のクランクの謎」 なぜ、北12条で曲がっているか? ② 「創成川の謎」 なぜ、鉄道以北で少しずつ北北西に向きを変えて流れるか? ③ 「ビッグハウス、オートバックス、元ツタヤの謎」 なぜ、道路に対してナナメか? ④ 「北12条通りの謎」 なぜ、境界線(旧札幌区と旧札幌村)が引かれたか?   ④(3月 [続きを読む]
  • ひばりが丘小学校の校章に描かれた百年記念塔を考証する
  •  拙宅のもっとも近くにある小学校の「学校だより」です。 校章に北海道百年記念塔が描かれていることに、つい最近まで気づきませんでした。 町内会の回覧板に入っているので、これまで何十回ではきかないくらい目にしてきたはずなのですが、またしても「視れども見えず」です。 いわれてみれば、記念塔です。 ですが…。 一般的によく見るフォルムと比べると、若干異なっています。 てっぺんの部分です。 拡大してみます。 [続きを読む]
  • 北1西1の記憶
  •  「さっぽろ創世スクエア」です。 5月31日に竣工したそうなので、見てきました。 超高層なので、カメラのレンズを横長にしたら建物が収まりきれません。 同じ場所の2003年の風景です。 私の目当ては、かつてあったこの建物の痕跡をたどることでした。 2015年2月13日ブログで記したとおり、新しくできる建物の片隅に‘土地と建物の記憶’を遺してもらうことをお願いしてあったからです。このたび、その物件を拝見してきまし [続きを読む]
  • 鹿児島中央駅前で、サッポロビールの祖を拝む
  •  「鹿児島 ぶらりまち歩き」で、ボランティアガイドさんに案内していただきました。  全部で16のコースが用意されている中で私が申し込んだのは「明治維新と近代日本を築いた偉人たちの誕生地を訪ねる」です。今回の鹿児島行で私には「薩摩出身の北海道“開拓功労者”を原風景を辿る」というテーマがありました(5月17日ブログ参照)。その観点で街を歩きました。  冒頭画像は、鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」というモ [続きを読む]
  • 鹿児島市維新ふるさと館で、黒田清隆と永山武四郎に逢う
  •  鹿児島の「維新ふるさと館」です。 西郷らを生んだ加治屋町の一角にあります。明治維新、日本の近代化で薩摩がいかに大きな役割を果したか、縷々展示されています。 一隅にあるジオラマの一つで、北海道開拓がテーマとして取り上げられていました。 黒田清隆と永山武四郎が登場します。札幌のまちづくりを語らっていました。(ナレーション) 明治の初め、北海道の開発を目的に設置された北海道開拓使。その要職者の多くは薩 [続きを読む]
  • 薩摩の外城
  •  鹿児島県歴史資料センター黎明館で展示されていた模型です。 県下の出水(いずみ)というところの藩政期の街並みを表現しています。薩摩藩では江戸時代、藩内の要衝各地に「外城」というミニ城下町を設け、武士を配し、外敵に備えていました。「外城」については、次のように説明されます(末注①)。 近世の薩摩藩は,外城制度・門割制度という独特の軍事・行政を行う仕組みを作り上げて藩の体制を固めた。外城制度は鹿児島城 [続きを読む]
  • 鹿児島で永山武四郎の生誕地を拝む
  •  永山武四郎の生誕地です。 矢印を付けた先に、説明看板が立っています。 住宅地の一角ですが、住宅は永山とは関係ないようです。  説明看板の前に置かれている石は安山岩のように見えます。 看板は鹿児島市が設置したもので、記述は次のとおりです。 永山武四郎誕生地 「屯田兵の父」とされる永山武四郎は、天保8(1837)年に西田村のこの地に生まれた。 明治維新のとき幕府側の会津藩との戦いで名をあげ、明治5(1872) [続きを読む]
  • 高く聳ゆる大久保利通
  •  鹿児島の大久保利通像です。 ボランティアガイドさんから、台座が高いのは像にイタズラされるのを防ぐためだとお聞きしました。  建立されたのは1979(昭和54)年、暗殺された1878(明治11)年から百年を記念してのことです。市内の西郷像は1937(昭和12)年、自刃から60年で建てられています。遅れること40年余、それでもなお「西郷を討った敵役」という怨念が、台座を高くした。  ガイドさんから、背面も見るように促され [続きを読む]
  • 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第79号 発行
  •  今号の表紙は、会員Sさんの作品「旧小熊邸」を掲載させていただきました。 彩色の原画を札幌建築鑑賞会公式ブログに載せましたので、そちらもお楽しみください。 ↓https://ameblo.jp/keystonesapporo/entry-12379807538.html ところで、絵に添えた文は次のような出だしで始めています。 画像では読みづらいと思いますが、赤い傍線を引いた「小熊捍」のところに「おぐま まもる(かん)」とルビを振りました。  一般的に「 [続きを読む]