人生一度きり さん プロフィール

  •  
人生一度きりさん: パニック障害との33年間の闘い。
ハンドル名人生一度きり さん
ブログタイトルパニック障害との33年間の闘い。
ブログURLhttp://www.panikokufuku33exmple.com/
サイト紹介文18歳パニック障害を発症。49歳での再発。大発作。テーマは『人生観』。
自由文18歳で突然パニック障害を発作。その後の人生は底を這う生き方で青春時代をすべて病気に翻弄されてきました。20,30,40代と病気を背負っての社会生活。何とかやり過ごしながら送ってきた50歳目前、大発作に襲われて以後の生活がはたまた一変。心療内科に通い始め改善の道を歩くなか、過去に出来なかった経験を存分に享受することにまで回復。人生やり直しのブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供21回 / 10日(平均14.7回/週) - 参加 2018/01/08 20:39

人生一度きり さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 病気の改善へ 【もっとシンプルに考えよう】
  • 兎角、頭の良い人は簡単なことを難しく伝える思考がある。本当に自頭の良い人は難しいことを簡単に伝えるロジックが出来ている。アップルの創設者:スティーブ・ジョブズはシンプルさを追求した。シンプルに思考し行動せよ。「Think Simple」の著者が語る。アップルの成功は “シンプルさ”がすべてと言っても過言でない。物事の思考を捉えてみると結論を決めて行動するひと。行動をしながら結論を導く人。両方を使い分ける人。様々 [続きを読む]
  • 病気の改善へ 【メンタル解放旅 長野 御射鹿池】
  • 診療内科への通院は続いている。先生と交わす会話は「電車に乗れていますか?睡眠は取れていますか?」簡単な会話。診察時間は5分程度だ。今ではすっかり常連となって予約の時間が早くても日にちを連絡なしで変更しても何も言われることはない。なので予約時間に縛られることなく仕事の都合に合わせ受診できるまでになった。自分のペースで病院に行けるという安堵感も改善の一助になっているのだろう。その後行きつけの薬局に行っ [続きを読む]
  • 病気の改善へ 【本田圭佑の言葉 成長の先に成功がある】
  • 一組織のトップになって一年半。部下と期末の面接をする時期がやってくる。一年の集大成、ここがトップの腕の見せどころ。一年の成果を正確に見極め部下と時間をかけて面談する。一年間の思いを余りなく話しをしてほしい。来期の給与、処遇に関わる大事な場面である。一年間の成果を聞く場面だ。そんな中でやはりメンタルを痛め苦しんでるいる部下はいる。何を抱え苦しんでるいるのかとことん話しをしてきた。自分も今治療の真っ只 [続きを読む]
  • 病気の改善に向かって 【価値を生み出す】
  • 2016年1月13日から診療内科の受診が開始。病名は「パニック障害」。先生と話をし会社を休まなければならないかいと相談したが、このまま通院で様子をみましょう。大発作以来、電車に乗ることができなくなる。池袋から高田馬場の山手線、そこから東西線で中野方面の電車に乗り換える。中野方面の電車はがらがらなために恐怖心は起こらなかったが、山手線にはどうしても乗ることが出来ない。じゃ歩こう。池袋〜高田馬場までは [続きを読む]
  • 本物のリーダーになる 【オムロン創始者 立石一真氏の言葉】
  • 現場の所長に復帰し11名の部下を得た。リーダーの資質ってなんだろう。数字を上げること、人材を教育することなの。社内の様々な研修に参加をして来たが自分のリーダー像は固まっていた。 22歳からお世話になった現場の所長。恩師であり親代わり。人を褒める良いところを見つけ伸ばす。そんな姿勢に共感し自分もいつかあんなリーダーになりたいと思っていた。 まさに人格者であり所長を慕っている人間は数知れず。その中でも自分を [続きを読む]
  • 現場に復帰 【人が財産】
  • 45歳の冬、現場に復帰。誰もが知る知名度の高いビルの所長となった。部下は11名。40歳からの5年間は干され気味であったがその間は決して腐らず他社の研修に参加したり外部の研修に積極的に参加するようにしていた。そうした場面で人を大事にする会社の理念に共感し、自身も自己啓発への取り組みを始める。自己啓発には学生の頃から興味があり頻繁に本屋に出向いた。自分にあった本がないかとあら探し。まずは広兼憲二に行き着き全 [続きを読む]
  • 闘将 星野仙一さんを偲んで
  • 星野仙一さんを偲んで 2016年1月4日、星野仙一さん逝去した。星野さんの印象はまず喧嘩早い、物に八つ当たりするといったイメージが強い。自分の一番の印象的な場面はやはり何と言っても巨人との日本シリーズを制したこと。三勝三敗。前日はエースの田中マー君が160球近くの球数を投げ敗戦投手になった第7戦目。プロ野球界の常識では絶対にあり得ない出来事。最後の抑えに前日にこれほどの球数を投げた投手を抑え、胴上げ投 [続きを読む]
  • 新たな出発へ
  • 営業職になってガムシャラに働いた。気づけば40歳。自分のスタイル生き方は36歳の転機から変わらずやっている。方や色々な批判をする人間も居たがそんな生き方に同調してくれる仲間も多く作れた。自分は生きている、底を這っていた20代、30代の鬱時代。嘘のように消えていた。病院に頼らず自己暗示、また、回避方法を取得して苦しさのタイミングをずらしながら時折やってくる波を避けていることが変わらず日課と なってい [続きを読む]
  • 転機到来 【本社の営業部への抜擢】
  • 36歳、転機が訪れる。管理職への昇格が発令された。労働組合の執行委員長を降りたが現場の所長は継続している。そんとき本社の営業をやってみないかとの打診があった。晴天の霹靂である。まさか技術畑だった自分が営業職をやるとはいわゆる技術営業である。技術を知った営業マンが誕生した。担当物件は50件ほど、聞いた途端に膝が落ちた。そんな物件数出来る訳ない。未知の世界へ飛び込んで行く。まずはPM会社の付き合い。PM [続きを読む]
  • パニック障害から鬱を併発
  • 34歳の春。 労働組 合の執行委員長を引き受けたことから相当なストレスと重圧を感じていた。 自分を追いみすぎていたことは自身で理解していたがそれでも組合員のためにとことん組合に入り込んだ。気が付いたら鬱状態に陥りパニック障害と両悪魔が身体を蝕んでいる。34才からの2年間は何度も死を考え本物の谷底を知ることににる。毎日が苦しいどうしても底から這い上がれない。現場では所長、労働組合では執行委員長の両輪、 [続きを読む]
  • 20代も終わり
  • 27歳の秋、労働組合の青年部に参加。そのまま青年部長を任された。病気を背負ったことで弱者救済の想いが強くなり 何か貢献したいと思っていた。10代の頃は司法を目指そうと思ったこともあったが家庭の事情により大学への進学を諦める。それでも心の中にはいつも「誰かのために役に立ちたい仕事をしたい」と思っていた。その後、労働組合の青年部を経て、書記長、委員長になっていくことになったが途中結婚し二人の子供(女)にも [続きを読む]
  • 生涯のお客さんとの出会いなど
  • 病気のことも忘れることが多くなっていた。仕事に集中していたのだろう。お客さんとの出会いも増えしーちゃんの相性で仲間が増えていた。今になっても付き合いは続いている。先輩の一人から車を貰う。ホルクスワーゲン。先輩の家にも良く遊びに行っていた。先輩の奥さんの手料理もいっぱいご馳走になった。中でもすき焼きは最高にうまかった。ご馳走の代わりというほどでもないけど先輩のマンションの電気工事を無償で請負い、便利 [続きを読む]
  • 国家試験 電気部門の最高峰に挑戦 合格通知
  • 自分は専門学校で電気工学を学んだ。電気工学の国家試験で最高峰の資格は電気主任技術者である。第1〜3種までのランクがあるがまずは第3種電気主任技術者を目指すことに。専門学校を卒業し就職、勉強は続けている。試験日は10月、ゴールデンウィークもお盆も帰省せずひたすら勉強に打ち込んだ。合格を願い参考書がすりるほど読み返している。この国家試験は数学がメインだ。ベクトル、行列式すべてが1からのスタート。後は暗 [続きを読む]
  • 19歳の秋
  • 発病から1年が経った。苦しみながらも1年を生きている。そろそろ就職を考えなければならない時期にあったが自分に何か出来るだろう。専門は電気工学。電気主任技術者を目指していた。就職部に相談に行く。電力会社は専門学校生は受け入れないことがわかった。じゃ何が出来る。パッと目に入ったのはビルメンテナンス会社だ。それも筆記試験がない。面接だけの募集要項。 迎えた面接試験日面接の最中に発 [続きを読む]
  • 病名を知る
  • こんな病気があったのか不治の病なのかどのような治療が必要なのか。19歳の夏、苦しみの底を這い回り、電車も各駅停車しか乗れない。将来、どんな仕事ができるのだろう。中華料理屋でのバイトも続けていた。店のチーフともよく飲みに出掛ける。沖縄出身の色黒のおじさん。近所の幼馴染も東京に来ていた。彼は善福寺に住んでいた。自分は高円寺。頻繁にお互いの家を行き来し酒も交わしてした。彼はW大学の教育学部、子供のころから [続きを読む]
  • 19歳の春
  • 学校を辞めようと決意したものの、親にどやされ年明けから復活。 当然ながら学校には行けず、友達の代返で何とか乗り切っていた。 病気になってから食欲がなかったが、夜食(カップラーメンと石焼き芋)にストレス解消を求め体重が激増した。食べることでしか解消できない辛さ。いよいよ本格的に治療をしなければならないのか自分はどんな病気なんだろう。当時はインターネットなど当然のことなく調べる手段は本屋。そこで自分が「 [続きを読む]
  • ひきこもり
  • 平凡な生活から一変、変わらず深い谷底を歩いている。 不眠症から近くの内科を受診し睡眠導入剤を服用してもらう。昼夜が逆転した生活。学校にも行けなくなった。家から出るのが怖い、電車にも乗れず、授業の席にも座ることが出来ない。周りは何も変わっていない、何故自分だけがの思いでどんどん深みにはまっていく。11月に東京との決別を決意。田舎で家業を継ごう(電気工事店)。仕事をすることできっと苦しみから解放される [続きを読む]
  • 18歳の秋、突然の降臨
  • 18歳の秋、夜中に突然、身体に電気が走った。忘れもしない夜中の3時半。苦しい頭が真っ白、吐き気が収まらず朝まで放心状態が続く。自分は何だろう自分は誰だろう、そんな自分が自分で無くなってしまった9/27 の出来事。その日の夜は専門学校の友達と新宿で映画をみる「フットルース」。帰りがけにいつも寄る中華料理屋 「大三元」で夜ごはん。ほとんど毎日と言っていいくらい夜はそこで済ます。いつしかおやじさん、おかみさんと [続きを読む]
  • 病気発症
  • 33年前、世の中が変わってしまった。今までの人生観が全て消し去られた瞬間、パニック障害との闘い。現在51歳、克服までの道のりを日々のブログを通じて今苦しんでいる人へのメッセージとして励みにしてほしいです。必ず、治るという事実と現実的なブログです。51歳までの人生をパニック障害を背負った一人の男の生き様を知ってほしい。40代後半に起きた生涯忘れることのない体現。33年間の闘いと「苦悩」。様々な観点から今 [続きを読む]
  • 過去の記事 …