寅 さん プロフィール

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寅さん: 釣り宿 寅
ハンドル名寅 さん
ブログタイトル釣り宿 寅
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ishikawatonegawa
サイト紹介文釣り宿を計画してます、その過程を投稿したいと考えてます。
自由文釣り宿を作るために 間もなく80歳を迎える寅
昨年末不動産屋に就職 3年計画でメコン川の中州にある寅の家を 釣り宿に作り替える資金をためるつもりです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供99回 / 41日(平均16.9回/週) - 参加 2018/01/17 18:56

寅 さんのブログ記事

  • 釣り宿 「寅」 戦争記事もこの辺で
  • 戦争の被害者は ほとんどが関係ない弱者だ。戦争は人間を非人間にする。ベトナムの今の若い人は戦争がないから幸福だ。何百年の歴史があるベトナムは昔中国に攻められ、フランス植民地で苦しめられり イギリスに、 日本も一時ベトナムを占領 噂ではそのために100万人が餓死したという。日本テレビで時々使った通訳も 日本軍に 首まで土の中に埋められ 日本刀でほっぺたをぺたぺたされたり、おしっこをかけられ、スパイに [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 不動産業お休み状態
  • 寅の今勤めている不動産事務所の社長は 仲間同士の情報交換で稼いでいる。寅はもともと常磐線沿線の人間 練馬近くの業者は知り合いがない 先日売れた家も常磐線の不動産業者のものだった、そんな物件はそうそうない。そこで社長が寅のために 工務店に土地を世話し 家を建ててもらい売らしてもらえる物件を頼んでいるが、現在図面の段階で出来上がるまでには4か月はかかるだろう。その間遊んでいても仕方がないので 今寅が住 [続きを読む]
  • 釣宿 「寅」 美しい山岳民族の女性の沐浴
  • 山岳民族地帯は自由砲撃地帯で 常に命の危険がある 住民の水くみもふつう夜にやるそうだ。 実はこの川に降りてきたとき ちょうど一人の女性が沐浴していた。あまりの美しさにシャッターを切るのも忘れた次第、皆様にお見せできないのが残念である。この写真も当時の写真で 現像液を何度も使うために上りが悪く おまけに50年近くもたっているために、セピア色に近い状態で申し訳ありません。 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 1970年代この札持参人は殺される。
  • このお札 当時は北ベトナムのもので、南ベトナムのお札は ドンではなくリエルだった。北ベトナムに1975年南が負け その後南もドンに統一された。このお札は、サイゴン支局に勤めていた 南ベトナム情報省の人に寅がもらったもので くれぐれも他人に見せないように注意されていた。南ベトナムでは 敗戦を予想 当時の大統領から国外逃亡するための準備で ドルを欲しがった。当時のドルは 日本でも貴重で1ドルが360円 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 いつもどん底人生だが
  • 寅は約80年生きてきて成功した期間は短い、そんな人間だが生活苦で困ったと思ったこともない。上の写真は一瞬だが成功したとき 光岡のオーブンカーでボデーはフォードのエンジン 銀座を走っても実に目立った。この車は2ドアなのに全長が6メーターもあったため普通サイズの駐車場ではドアが長いため 開けると隣の車にぶつかる 2台分借りないと車に乗れない、その時同時にロールスも持っていた。銀座一丁目で商売してたので1 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 思い出の女性
  • 1970年から71年にかけ恋人だった人 名前はグエン・チ・タンタム 年齢は現在66歳ぐらい会社から帰国命令が出ては 当時は帰国せざるを得なかった。初めから納得してのお付き合いだったが、別れが来たときは大変だった。寅のいなくなった後を心配 それなりのお金を置いてきたが その金を全額金に替え日本人に託し(前回投稿した髭の岡本氏に)寅に送り返してきた。日本人がベトナムへはいれるようになった時 何度か訪越 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 サイゴンの街も戦場と同じ危険
  • 1970年日本テレビサイゴン支局には、防毒マスクに防弾チョッキが用意されていた。サイゴンにいる日本人も 毎晩落ちるロケット弾や 野戦警察官の手入れ 町のどこかから聞こえる銃弾を打つ音で ストレスがたまる。酒が好きな人は常時飲むようになり、 3か月もするとアル中になる人もいた。強盗や殺人事件は当然多発 喫茶店の窓も解放戦線に手投げ弾を投げ込まれないように、窓は金網でふさがれていた。寅の知っているお医者さ [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 お風呂屋に監禁された寅 
  • (上の写真は戦場へ向かう寅)当時のお水系の女性は気位が高かった。初めての店でついた子を 次回来た時も指名しないといけない。女の子のメンツをつぶさないために。寅は若かったので何とか風呂屋へは時々入った。その風呂屋で前回の女性を指名したが、先客がついていたので別な子を指名用をすませた。その帰り前回の何とか譲の部屋の前を通ろうとすると「おい寅!このスケベ 私という女がいながら」と有無をいう暇も与えず 寅 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 子供はお爺さんにも気を遣う
  • 孫は可愛い 秀さんの口癖だ寅にも孫がいる この孫の両親は 寅を好きではない 10年以上前この孫のところへ遊びに行った。まだ4歳の孫が家庭の空気を読み 寅を外に誘い 大型スーパーへ連れて行ってくれた。孫は二人で写真を撮ろうと寅を誘う。帰りにそっと 寅に紙をくれた。 その写真が上の写真だ。 この紙を見て涙が出るほどうれしかった。その後 孫の成長を見たいが 家を訪れたことはない。 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 1970年のヴェトナム その3
  • *1番上の写真は傷痍軍人のデモ(恩給を上げろと) *いつ殺されるか分からない解放区で のんきに水牛に乗る寅(水牛は日本の牛より危険で 乗るときは雄牛のタマタマちゃんを優しくなでてやり うっとりした時を狙って飛び乗る)1970年は1番日本人が死亡した年だといわれている 18人が亡くなったと。戦争は激しかったが、南ベトナムに関しては 第2次世界大戦下の日本とは全然違い 食べ物がないなんてことはなかった [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 大杉れんさん急死
  • みんなに慕われた俳優 大杉さんが今月21日に心不全で亡くなられた。まだ66歳だった。大杉さんは多趣味で 音楽・スポーツが好きで 猫も可愛がった。その猫の名が「とら」  音楽もバンドを作り スポーツではサッカーチームも作り活躍 俳優としては 武監督に見いだされメキメキ名が売れ最近はあらゆるジャンルで活躍していた。ご冥福を祈ります。寅 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 パパとは寂しい立場
  • *上の写真は1970年のダラット*下の写真は山岳民族兵と寅家は大島団地の小さな2DKに住んでいる。(家賃は9万円近い)普段は寅と子供2人で一部屋に寝ているが 1週間に一度子供たちは母親の部屋で寝ることが許される、土・日のどちらかで 許される日は喜んで2人とも行く。上の子はすでに小学校6年 ましてもうすぐ中学生になる。子供にとっては母親が1番だと 分かってはいたが いくつまで母親べったりで行くのか? [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 1970年当時 その3
  • 米軍はマスコミ対し「税金をいかに使用しているかの監視役と認め」 扱いは親切で飛行機へ乗るときも いつも敬礼され1番良い席を提供されていた。当時の小型軍用機にはトイレがなく 一升瓶に使うじょうろがついていて その先にホースがついている おしっこはそれを使用した。米軍はぜいたくで 最前線にも冷蔵庫をヘリでつるして持って行った。マスコミに配られる食事も フルコースで 大きいサイズのカンズメ5個が渡される [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 1970年のベトナム その2
  • 「写真は戦争当時のタンソニャット空港 寅と通訳」この空港には常時来ていた、撮影したフイルムを東京へ送るために。空港まで車で行く途中 検問所が2回所ある そこで身分証明書を見せ空港に入るわけだが 証明書は ベトナム政府・ベトナム政府軍・アメリカ情報証・などの証明書が必要だった。 仲間にあらゆる証明書を1冊の証明書入れに入れて見せれば、検問兵士は偉い人と勘違いし 楽に通してくれると聞き、寅は運転免許証 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 1970年のベトナム
  • 解放区ではバスも時々止められ 乗客の持ち物を警察官によって調べられた。(写真はその風景)当時はサイゴンにいること自体 命の保証がなく 戒厳令が敷かれ 夜10時以降は出られないことになっていたが 町の中心を酔って大声を出しながら歩く日本人がいた。当時のベトナム滞在日本人は500人とも350人ともいわれていた、ちなみに日本食レストランは3店 京・レストラン東京・日本橋 京には南ベトナムNO2のグエン・カ [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 
  • この写真はカンボジアへ取材に行く途中のカントーを流れる船の中 メコン川はベトナムで9本に分かれ その1本がミトとヴィンロンの間にあり ヴィンロンとカントーの間にあるメコン川を船でカンボジアへ サイゴンからカントーへは 国道1号線をタクシーで走ってた この道には 以前村民が解放戦線だと政府軍に殺され 道路に放置された場所だ。家族が埋葬するのでという訴えも聞いてもらえなかった所だ と考えていた時 3キ [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 釣り宿対岸の船着き場
  • 釣り宿建設予定地は この船着場の対岸にある この辺の土地も値上がりしだし寅の店の隣の空き地は間口5メートル 奥行25メートルの土地で 現在の売値が7億ドン 日本円で350万円になる。寅がこの店を買った10年前は 土地が2.5倍あって建物も付いて250万円だった。10年前のホーチミンの給与が約1万円 その給与が現在は3万円なので まあしょうがないかと思う値上がりだ。メコン川の源はチベット高原で 4 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 現在のベトナム
  • 現在のベトナム日本人街レタントンにある すしバーの先 サイゴン川沿いにできた 高層マンション街 40階建て〜80階建てすごい 嫁が買ったマンションは一番左の40階建ての真ん中の階 価格は内装代を入れると約3000万円を少し切る。寅もすでに田舎者 手抜き工事で倒れないか 火事になったら逃げられるのと心配になる。もっと悪く言えば 1970年代のフランス風建物のほうが寅は好きだ。この建物なら世界どこへ行 [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 戦争だけはごめんだ。
  • 寅はテレビ局のカメラマンだったので 1枚写真ではなく16ミリフイルム使用のカメラマンだった。予備のカメラやレンズ三脚一式の合計は60キロになる。そのほか暑い国なので水筒2個 それで兵隊について行軍すると へとへとになるそんな時ひゅるひゅるとロケット砲の球が飛んできた。音が先行するので慌てて伏せる、伏せればロケット砲の破片はA角に上に上がる、その破片が引力で 寅の体に降り注ぐ、 その時は柔らかい土に [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 米軍ついに撤退が始まる。
  • アメリカ軍第1次撤退式の写真核以外あらゆる武器を使っても勝てないどころか、自国からも反戦運動が盛り上がりとうとう撤退が始まった 1970年のことだ。アメリカ軍指導の拷問はすごかった。軍は常に電気ショックの道具を持ち歩きそれを使うのは日常的 アメリカ兵はいつ狙撃されるかと不安からか 多くの兵がたばこ並みに マリファナを公然とすっていた。寅が聞いたひどい拷問に 以前も書いたが ヘリコプターと呼ばれてい [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 戦争中サイゴン川で泳ぐバカ
  • 寅は逗子育ちで 泳ぐことが好きだった。サイゴン川上流で泳ぐバカは寅ぐらいだろう、バカ寅は 海でも泳いだ その海は陸が見えない海で。ベトナムから帰国後ミニスーパーを開いてた時 1日休みを取り茨城は波崎の海岸へ ここは銚子の地図上ではすぐ上 親潮と黒潮がぶつかり アメリカのほうに潮の流れが速まるところ。子供を泳がした後 今度はパパの番だといい子供用の小さなゴムボートに乗ると とつぜん岸から突風が吹いて [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」 歩き方を忘れた
  • 最近歩き方で社長に注意された。寅さん背筋はピンとたって歳を感じないが 歩く歩幅が狭い そのうえ左足が右足より前に出ないと注意された。寅はダンプに追突され15メーターも飛ばされ 頸椎をやられて一時歩けなくなり慈恵医大病院で11時間もかけ 首の骨7本を3センチ広げた。歳を取るとこの病気は再び出るらしい、そこでこの1か月 歩くときに歩幅を無理に広げるので疲れる。そのおかげで歩幅は多少広がった。歩幅が狭い [続きを読む]
  • 釣り宿 「寅」  明日から寒風の中ポスト・イン
  • 住宅を大量に作り やすく売る業者に電話や訪問して オープン・ハウスをやらせてほしいと頼むが すでに売る業者は決まっていると行く店・行く店で断られる。仕方がないので オープン・ハウスをできる家を 1軒1軒ポスト・インして自分でさがそうと決意 本日広告チラシを社交に作ってもらった。広告は「即金買取・仲介も可」このやり方も古いが 以外に「売ってほしい・買ってほしい」というお客さんが出てくるかもしれない。 [続きを読む]