zencha さん プロフィール

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zenchaさん: 禅と茶の集いブログ
ハンドル名zencha さん
ブログタイトル禅と茶の集いブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/zenntocha
サイト紹介文千葉市中央コミュニティセンターで40年以上も続いている坐禅と茶道の市民グループです。
自由文禅と茶の集いは昭和52年6月に結成されました。

日程:第1・3・5金曜日 午後6時〜読書会、お茶、坐禅
   第2金曜日 午後7時〜坐禅 2柱香
   第4金曜日 午後6時〜坐禅、午後7時〜ワークショップ

会場:千葉中央コミュニティセンター 5階和室
参加費:300円(菓子代)第2・4金曜は無料
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供55回 / 88日(平均4.4回/週) - 参加 2018/01/19 19:22

zencha さんのブログ記事

  • 「禅と茶の集い」便り(191)
  • 偶数月の第二週は7時スタートです。坐禅を2柱香するのですが、間に6月開催予定の禅体験教室の企画の相談や坐骨体操も行いました。次週は第3週、栗田さんのお点前でお抹茶をいただきながらの輪読会予定です。もちろん坐禅も行いますので初めての方もどうぞいらしてください。6時スタートです。皆さんのご参加をお待ちしてます。(Y)「禅と茶の集いブログ」https://blogs.yahoo.co.jp/zenntocha 問い合わせ先 yfe53531@nifty.c [続きを読む]
  • 補遺2・・・隻手の方の坐禅(3)
  • *ここで前述の第三の方法で述べました「右掌で水を掬うという感覚」の意味を、少し調べてみたいと思います。(ここと次の*では、坐禅の姿勢から離れて、手だけの形に繋意して貰ってもよろしいです)実は、このような形で右掌に繋意することは通常の坐禅の時にはありませんので、坐禅の時にはこの意味を感じる機会は殆どありません。しかし私の提案する「歩行と発声の訓練」では重要な意味を持っていることに、皆様は気が付かれる [続きを読む]
  • 補遺2・・・隻手の方の坐禅(2)
  • *七合目から十合目とその別峰までの工夫としては、前述の二つの方法に加えて後述の第三の方法があります。     第一の方法の場合      七合目から九合目までは、適応しません。      十合目に近い技法として、右第一指の赤丸と右第二指の橈骨側の爪の角が接した部位に意識します。呼気吸気共にこの部位のみに、只々繋意します。十合目 別峰に近い技法として、右第一指の赤丸と右第二指の橈骨側の爪の角が接した [続きを読む]
  • 補遺2・・・隻手の方の坐禅(1)
  • *51年前、私は医学部の教養時代の時に坐禅を始めました。その時、お一人だけ隻手の先輩にお会いしています。中央大学を卒業された少壮の学者で、既に『兜率三関』の第一関を透過され、耕雲庵老大師より黒絡子を授与されていらっしゃいました。     当時は私自身の「安心」を求めるのに精一杯で、隻手の方の工夫が如何なるものかについては、全く関心はありませんでした。今から思うと残念なことですが、隻手の工夫について [続きを読む]
  • 補遺1・・・椅子による調息
  • *古来から調息の実習では、②の「数息」「随息」「止」の定義にもありますように、結跏趺坐又は半跏趺坐という坐法を前提にしています。ですから椅子による調息の指導書はないというのが実情です。      そこで参考までに私なりの考えを記しておきます。     *椅子に坐る時、足の開きは肩幅くらいにします。膝関節の位置より股関節の位置を少し高めにして、両足の爪先・土踏まず(「足心」)・踵(「失眠」)が全て床 [続きを読む]
  • 奥ノ院への道
  • *十合目の別峰で幸せ感・充足感をしばし味わっています。そのうち別峰の周りの景色を見る余裕が出てきた処で、どうも誰かがこの先を通ったかのような跡が微かにあるのが見えます。訝りながら少し行ってみると、足元の古ぼけた石の道標に「奥ノ院への道」と彫ってあるのが微かに読めます。もう少し行ってみると先ほどのよりはるかに大きな古ぼけた石碑に、なにか彫ってありますがよく見えません。そこでもう少し進むと道の真ん中に [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ(11)
  • 現代社会において、「慎独」の方々の役割はいろいろあるかと思いますが、少なくとも次の二つが挙げられるでしょう。第一は、中核自己に基づく「自己肯定力」の育成です。人が生きていくためには、「いきがい」とか「自己充実感」はとても重要なものです。現代の教育界においても、幼少期の体験が本人の「自己肯定感」の形成に大きな影響力を持っていると考えられています。確かにスポーツや芸術・芸能関係で、能力のある子供達が( [続きを読む]
  • 禅修行の階梯を考える⑨「禅と茶の集い」便り(190)
  • 関東ではソメイヨシノの開花宣言がありましたが花冷えのする3月末の禅茶の集いでした。第4週なのでワークショップですが、まずは一柱香の坐禅より開始です。今週は坐禅中の脳内の状態についての説明でした。「一次体性感覚野」「頭頂連合野」「大脳辺縁系」「島皮質」といった医学用語も交えながらの図式されての説明でした。太田先生は坐禅を「普段とは違う脳の使い方のトレーニング」としても捉えていらっしゃり、脳生理学より [続きを読む]
  • 禅と歴史形成「禅と茶の集い」便り(189)
  • 三寒四温で気温が乱高下した今週ですが今日も茶室一杯の会員での輪読会からスタートです。『禅と対話する』の「禅と歴史形成」の章を読みました。この章は社会学者の野沢教授と、白田老師との議論なのですが、片や社会科学者、片や宗教家の立場からの発言なので議論がかみ合っていないような・・司会の島津先生が間に入って質問をするのですが「禅を一人だけが極めてるんじゃなくて、たくさんの人が極めて、そのたくさんの人によっ [続きを読む]
  • シンポジウム「仏教と脳科学とマインドフルネス」
  • 大学仏教青年会連合主催のシンポジウム「仏教と脳科学とマインドフルネス」に禅茶メンバー3名で参加してきました。http://higan.net/now/2018/02/b_b_m/東京大学本郷キャンパスで13:00〜17:40までの長丁場でしたが、素晴らしい講師陣でした。ご紹介させていただきますと・・・☆講師陣一覧佐久間秀範・筑波大教授有田秀穂・東邦大学名誉教授貝谷久宣・精神科医 東京マインドフルネスセンタープラユキ・ナラテボー タ [続きを読む]
  • 佐々木閑 講演会
  • 最近見つけた講演で花園大学の佐々木教授の仏教講座がとてもわかりやすいのでこちらでも紹介しておきます。教授はもともと京大工学部だったのですがそれから仏教哲学に転向されたという経歴の持ち主で科学的な視点というか、われわれ現代人がより共感しやすい仏教入門を説かれております。まだご覧になってない方はちょっと眺め90分ですが、下記の講演会をごらんになったはいかがでしょうか?仏教における科学と信仰 我々はなにを [続きを読む]
  • 禅と学問、社会の関わり「禅と茶の集い」便り(188)
  • 3月に入って気温もぐんと上がりいよいよ春へと季節が移ろうとしております。そして禅と茶の集いにも春が舞い込んできたようで一つは義存さんがご快癒されて久しぶりに参加いただけたこと、今一つはこのブログをみて初参加の方がみえられたことでした。嬉しいことに茶室がいっぱいとなりました。輪読会は『禅と対話する』の「禅と学問」「禅と社会の関わり」の2つを読み進めました。久しぶりの義存さんの名解説に聞き入ったのです [続きを読む]
  • 禅の人間学
  • 人間禅で白田老師より長きにわたり指導を受けてきた著者の第二弾の一般書です。前書は「ビジネス禅」という本で一応購入して読んではみたのですがその当時は余り心に響かず一度読んでしまっておきました。でも今回の「禅の人間学」は内容充実してます。個人的に椅子坐禅に興味があることもあり、前書もひっぱりだして再読し始めました。前書を出されてからずーっと月一回、東京秋葉原で「禅の知恵を古典を学ぶ人間勉強会を主催され [続きを読む]
  • 禅修行の階梯を考える⑦「禅と茶の集い」便り(187)
  • 2月最後の禅茶は太田先生のワークショップでした。本日は「慎独の道」など調息山の復習から入り、「禅天魔について」の項を読み進めます。これまで伝統的な禅修行階梯の問題点という核心に迫る項目で太田先生の教鞭も参加者からの質問も熱を帯びてまいります。ちょっとだけご披露すると問題のひとつは太田先生曰く「坐禅の断の機能ばかり重視している」ところ。先生がかねがねご提案されている三つの宝物の内ひとつに偏り過ぎてい [続きを読む]
  • 「禅の語録」導読
  • Eテレのこころの時代を時々見ているのですが、今までで何度も見返している番組の一つが「禅の語録を読む」小川隆先生の講義です。小川先生は駒澤大学というから曹洞宗系の大学教授なのですが、中国語に堪能でいらっしゃり番組の中でも「麻三斤」の解釈など目から鱗が落ちるようなお話がたくさんでした。禅問答のようなという形容詞があるがごとく、公案はいつも非論理的だとばかり思っていたものがぐっと身近に感じられるようにな [続きを読む]
  • 禅と茶の集い40周年記念パーティ
  • 話は昨年末に遡ります。昨年最後の集いは太田ワークショップだったのですが、数名でちょっとした打ち上げかねてワインを飲みに行きました。その際に松風の配布方法について相談し始めたとき、栗田さんから折角だから寄稿してくれた方々みんなに声かけて記念パーティを開こうとの提案がありました。その場の勢いかと思いきや、年明け最初の禅と茶の集いには栗田さんより企画書が配布されすっかり本気モード。事前準備から、出欠確認 [続きを読む]
  • 道元禅「禅と茶の集い」便り(186)
  • 立春をすぎ、光の春とはいえまだ気温は寒い日が続く毎日です。今週は明後日の40周年記念パーティを前に、10名以上の参加となり盛会となりました。『禅と対話する』の「禅の位置づけ」「道元禅の特質」の章の輪読です。「禅の位置づけ」では五家七宗の説明がなされ、特に白田先生は道元禅師の細やかな哲理が衆生への説明の際にわかりやすく、お借りしてお話ししますと書かれておりました。栗田さんのお点前でお抹茶頂きながら、今日 [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑩
  • 一例を挙げてみましょう。以前「新幹線の中で泣きわめいていた乳児の母親に対して、怒った乗客がいた」と新聞紙上で話題になったことがありました。 新幹線の中という閉じ込められた空間の中で、乳児の泣きわめく声が長時間聞こえてくる状況は、近くにいる人にとって確かにきつい事だと思います。しかし当の母親はもっとつらい思いをしているはずです。この時、禅者ならばどうすればよいのでしょうか。 私が提案する「風の感覚・ゆ [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑨
  • *少し前の処で、「何かの祟り」とか「原罪」とするのは、大脳辺縁系が生み出す幻影(大脳辺縁系が有している機能に捉われている)にすぎないというのが禅の立場です、と申しました。            ここで、大脳辺縁系が有している機能がまるでヒトの脳の全機能であるかのように、あたかも自分の全人格であるかのように思いこんでしまうという現象を少し見てみましょう。(いずれ別稿の『禅仏教の方向性』で改めて検討さ [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑧
  •       *既述で修行者の「坐禅のレベルが神光居士の坐禅のレベルに達していない」というふうに述べ、全てが修行者側の責任であるかのような印象を与えたかもしれません。しかしこの問題の裏にはこの公案の解答を求める師家(しけ、禅で修行者を指導できる資格のある方、一般には老師と呼ばれる方)の力点の置き方、つまり指導方法の相違という問題が潜んでいるのです。では指導方法の相違というのは何なのでしょうか。この問 [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑦
  • 次に40頁で述べた第二の問題に触れます。これは、生活が行なわれる「場」に絡む問題です。生活が営まれる場が、「僧伽」(我々一般社会人 勤労者・主婦・学生・年金生活者の場合は「接心会」)での生活なのか、一般社会での生活なのかという問題です。この問題は、道元禅師の流れをくむ曹洞宗よりも臨済宗における問題といえます。と申しますのも、伝統的な臨済禅では、「僧伽」の生活と一般社会での生活とを区分けすることは曹洞 [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑥
  • 一方禅修行の後期(奥ノ院への道、次稿では「祖師禅」あるいは「磨甎の道」のレベルと定義されます)での、「正念不断相続」は少しく様相が異なりますが、この点については次稿等で説明します。以上述べましたように、1自伝的自己を棚上げするために中核自己の領域に入っていく、2「中核自己に備わっている1つめの宝物」(「断」の機能)の体得、3「中核自己に備わっている他の2つの宝物」の体得、4僧伽(接心会)の生活の中 [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ⑤
  •       *従来の禅では、坐禅上での「断」の機能の体得と日常生活上での「断じて行う」ことの関係を単なる応用としか見ていなくて、この二者の間に次のような二つの問題が存在していることに無頓着というか気付いていなかったようです。問題の第一は、坐禅上での「断」の機能の体得の後、次の段階で何を体得すべきか?という問題です。この問題は既に17頁で提起しておきましたが、ここでもう少し見ておきましょう。次稿『禅 [続きを読む]
  • 「調息山」登頂のためのエピローグ④
  •       *2015年の年末に、道友から薦められて、鈴木俊隆師(曹洞宗の僧。       1959年から米国で禅の指導をされる。1971年逝去)の『禅マインド         ビギナーズ・マインド』(株式会社サンガ刊)を読みました。        この書の40頁に「両手は、「宇宙の印(コズミック・ムードラ)を結ぶようにします。右手の上に左手を置き、中指の第二関節をあわせるようにします。そして親指 [続きを読む]