tonchan さん プロフィール

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tonchanさん: とんちやんの独り言
ハンドル名tonchan さん
ブログタイトルとんちやんの独り言
ブログURLhttp://tonchannohitorigoto.blog.fc2.com/
サイト紹介文教科書スタイルで日本の通史を素人が綴っています。ロマンは排除しており面白くないです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 28日(平均6.8回/週) - 参加 2018/01/24 22:07

tonchan さんのブログ記事

  • 弥生時代の暮らし
  • 縄文時代から日本では栽培のしやすい陸稲・粟・稗等の穀物の他、小豆や野菜、果実、海産物などを食していた。穀物等の食料は高床式倉庫に貯蔵した。高床式倉庫(Wikipediaより)水稲が伝わって米を作るようになったが、初めの頃はまだ主食として蒸して炊く飯ではなく、土器に他の穀物と混ぜて水で煮る雑炊のようなものをスプーンのような食器で食べていた。陸稲(おかぼ:斜面の畑に直蒔きし、雑草にも強い)粟稗弥生時代の酒日本書紀 [続きを読む]
  • 青銅器の作り方
  • 鉱床に存在する自然銅等の金属を叩くことで硬く変形させ、道具として使える事を人類は発見した。やがて古代中国では木炭や薪で鉱石をるつぼの中で溶かし、様々な金属の塊を作る鋳造が出来るようになった。 銅は原料も豊富にあって加工も容易なため広く使われるようになったが、錫(すず)を少し混ぜると適度に硬くかつ脆すぎない道具に適した金属になることを発見した。錫は銅鉱石の中に一緒に含まれていることが多いため世界各地で [続きを読む]
  • コラム:記紀・神社伝承の価値
  • 古事記、日本書紀には国生み神話や天照大神、スサノオの活躍を始めとする出雲の説話や天孫降臨、神武東征、欠史八代、祟神天皇、ヤマトタケル、神功皇后などの楽しいストーリーが散りばめられており、自分も大好きです。 また、脇役としてアメノウズメや猿田彦、天穂日尊やタケミカヅチ、塩土翁、ニギハヤヒと長スネ彦、四道将軍や武内宿禰など魅力的なキャラクターに満ちあふれています。 これらは記紀だけでなく、先代旧事本記 [続きを読む]
  • 初期の製鉄技術
  • 日本で製鉄が始まった頃のイメージとして下記のホームページから引用させていただく。ドロドロに熱く溶かした鉄を鋳型に流し込むのではなく、もっと手軽に製鉄が出来る事がわかる。(製鉄の歴史ーFNの高校の物理より)2.古い製鉄技術(1)原始的な製鉄法鉄の鉱石として主なものを次に記す。硫黄は鉄を脆くするので、黄鉄鋼のようにSを含んだものは、まず焼いて酸化鉄にして用いる。 初期の製鉄炉は木炭と鉱石を層状に装入して、 [続きを読む]
  • コラム:統べる一族
  • 古代、天皇と書いて「スメラミコト」と読んでいたようです。意味として「統べる高貴な人物」といったところでしょうか。「天」という漢字に「統治する」という意味が現代でもあるのか辞典を見てみましたが、載っていませんでした。記紀に登場する天孫・天神・高天原・天つ神々には、空の上にいる神様たちというよりは、日本の各地にある国々を束ねて統治する一族という意味合いの方が強いのかもしれません。「天つ神」=国政に関す [続きを読む]
  • 前方後円墳の広がり
  • 3世紀後半から吉備等西日本の様式の影響が見られる前方後円墳が纏向宮を起点として作られ始め、西日本からやがて全国各地に広まっていった。それまでは尾張を中心として東日本に広く分布していた前方後方墳にとってかわる形となった。墳墓造営は中央政権の制度として行われ、大和政権による日本統一の象徴とされた。造営には各地の経済力に応じて多くの人夫や資材が必要となり、公共事業としての役割があった。また、その費用負担 [続きを読む]
  • 大和政権内の派閥争い
  • 初期大和政権の誕生以来、最も主導権を握っていた尾張勢であったが、3世紀中頃、吉備と近江の勢力が手を組み、近江に宮を遷して天皇の后妃を近江から出し、尾張勢を排斥してその影響力を凌ぐようになった。九州に戦乱が起こると、討伐軍が吉備から進軍すると共に近江の軍も年少の后妃を擁し、日本海ルートで進軍して吉備の軍と合流した。 北部九州をすぐに平定した大和軍は、大軍を編成した機会に乗じて朝鮮半島に渡海し、新羅・ [続きを読む]
  • 九州の戦乱
  • 九州肥後国の熊襲は大和政権の軍と度々交戦し、一度は敗れていたが、常に反抗の気配があったため、北部九州の国々は筑後国の山門県を中心に事実上同盟を結び、対抗せざるを得ない情勢となっていた。三國志魏書東夷伝倭人の条(魏志倭人伝)には当時の様子が記されており、邪馬台国(山門県)の女王が伊都国(伊都県)や末盧国(松浦県)などの周辺国を傘下に治めていた。魏志倭人伝にはその他多くの国名が記述されているが、その旅程や所在 [続きを読む]
  • 中央行政の進行
  • 抵抗勢力を武力で平定した大和政権は、諸国に発令し、行政区画として国・郡・県・邑(むら)を定め、それぞれに造長(くにのみやつこ)・稲置(いなぎ)等を任命した。また、山や河を境界にして国・県を分け、当時の道に沿って邑(むら)を定め、地方行政機構の整備を図った。中央政権及び各国県への租税として米などの徴収を稲置等に委任し、その代わり治安と安全を大和政権の軍が保証した。 こうした戦乱の時代を経た日本の統一 [続きを読む]
  • 倭国大乱その3
  • 初めて東西日本を平定した大和政権は、各地の豪族が土地や民を個別に支配する体制から、中央政権が直接支配する行政を目指した。しかし既得権益を持つ豪族の反抗が各地で起こったため、軍勢が派遣され、九州の熊襲や出雲地方の豪族を討伐した。さらに東海関東にも軍勢を派遣し、抵抗勢力を討伐した。 [続きを読む]
  • 纏向の都
  • 九州から会津までを平定した大和政権は、大和の纏向に都を建設した。瀬戸内と東海を結ぶ交通の要衝に位置し、統一された国の象徴とした。発掘された建物跡や土器からは、尾張、吉備を始め出雲他各地の物や様式が集まっている。推古朝の時代、飛鳥に遷されるまでこの古代都市が、政治の中心地であった。古代大和纏向宮の位置(桜井市ホームページより) [続きを読む]
  • 倭国大乱その2
  • 3世紀初め頃、大和政権は日本海側勢力の脅威を払拭するため、本拠地である西出雲を徹底的に攻撃し、壊滅的な打撃を与えた。多くの民が虐殺され、古来からの出雲は実質的に滅ぼされた。他の日本海側や東の国々に知れわたることで反乱が起きないように、道路には常に関所が設けられ立ち入りが制限され、大和政権は事実を隠蔽した。(疫病の噂も流布した。) それ以来天皇家は、出雲に対する残虐非道な殺戮と破壊を行った後ろめたさと [続きを読む]
  • 倭国大乱その1
  • 吉備と尾張は連合して軍備を拡張し、鉄を独占する北部九州制圧のため、武力を背景に出雲に武装解除を迫り東出雲の意宇の地に拠点を設け、オオナムチ信仰と政体はそのまま存続させて同盟を結ぶという形をとった。この進駐により、尾張吉備は背後の懸念をなくした。日向に兵力を終結した尾張の軍勢は北部九州との戦に勝ち、鉄の入手ルートを収奪した。これによりこれまで尾張に半島への直接航路で少量ながらも鉄を供給していた丹波近 [続きを読む]
  • 初期大和朝廷と日本海側の情勢
  • 尾張吉備連合は、大和に王を共立という形で立て(ふさわしいと思われる人物を天孫と称して擁立した)、 実際は尾張など有力な豪族から后妃を出し実権を握った。(初期大和朝廷)しかし、日本海側の出雲、越、丹波、近江のクニも健在であり、初期大和政権にとってはいつ反攻、武力衝突が起こるかわからない予断を許さない状況であった。 [続きを読む]
  • 各地豪族の成長
  • 北部九州は、弥生文化伝来の起点として出雲と並び、鉄器の供給地として瀬戸内海から大和、伊勢尾張、東海への影響力を強めていった。吉備は出雲との結びつきで成長したが、次第に独自色を強めていき、瀬戸内海ルートの交易の中継地として北部九州から入手する鉄器他の物資を大和、伊勢、尾張、東海へ供給し、力をつけていった。吉備では後の前方後円墳の母体となる円形周溝墓が造られるようになり、やがて物部氏の祖となった。大和 [続きを読む]
  • 出雲文化の繁栄
  • 縄文時代から隠岐で産出する黒曜石を通じた交易が行われていた出雲は、対馬や壱岐、北部九州を拠点として朝鮮半島との航海ルートを確保し、弥生時代に入ると鉄製農具を用いた生産性の高い稲作技術や諸々の先進技術を持ち込み、各地に広め、ヒスイや木材などの産物を半島と取引し、因幡や能登、越などの日本海の地域との交易の中心のクニとして栄えた。また、丹波、近江、大和、伊勢や尾張にも拠点を拡大し、鉄器や稲作技術を東日本 [続きを読む]
  • 鉄器の伝来と広がり
  • 青銅器と同時期に日本に伝わった鉄器は、北部九州が量、技術共に圧倒的である。 入手ルートを独占して吉備や近畿、東国に供給することよって、富を蓄えクニが出来ていった。漢書東夷伝弁当辰の条には朝鮮半島南部に鉄が多く産出し、倭を含む周辺国が競って求めていた様子が書かれている。稲作の生産技術を高めるため、鉄製の農具は需要が高かった。 [続きを読む]
  • 中国、韓国の青銅器及び鉄器時代
  • 中国で青銅器が造られるようになったのは、 紀元前18世紀頃からである。欧州の鍛造と違い、鋳造技術が発達していた。製鉄技術は戦国時代(B.C.400〜B.C.200頃) に始まり、鋳鉄の製造も行われた。韓国では青銅器時代は紀元前15世紀から始まり、鉄器時代はB.C.300頃から始まった。農具や武器などの実用品が鉄になり、青銅器は祭祀用に造られるようになった。日本には青銅器と鉄器が一度に伝わっているため、民の個別の交易で自然にと [続きを読む]
  • 子供に伝える古代日本の歴史
  • 現在の小中学校の歴史の教科書や、本屋さんで売られているマンガ日本史を見ると、近年の考古学の進展があまり反映されていない気がします。 特に紀記の一部の内容を裏付ける発見が増えたにもかかわらず、相変わらず教科書の古代史では弥生時代の邪馬台国の話とその後の前方後円墳の広がりによる大和朝廷の成立、蘇我氏の専横とそれを大化の改新によって倒したことによるその後の律令国家の成立しか記述されていません。戦前の皇国 [続きを読む]
  • 青銅器の伝来
  • 紀元前2世紀頃から日本で青銅器が造られるようになった。同じ頃に鉄器も伝わったため、銅矛や銅剣などの武器類はもっぱらすぐに祭祀用に造られるようになった。日本で最も大量に青銅器が出土したのは西出雲の荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡で、その量は他を圧倒している。 [続きを読む]
  • 徐福伝説
  • 司馬遷の「史記」によると徐福という人物が秦の始皇帝(B.C.259〜B.C.210)の命を受けて不老不死の霊薬を探しに若い男女3000人と多くの技術者を率い、五穀の種を持って東方に出航した。広い平原と湿地を得てかの地で王となり、戻らなかったという。日本各地に徐福の伝承がある。日本で稲作が急速に広まった時期と重なり関係があると思われる。 [続きを読む]
  • 稲作の始まり
  • 稲作は縄文時代後期末、3000年前から九州地方で行われていた。そして紀元前300年頃に急速に近畿、近江、尾張辺りまで広まった。(第一次拡大期)同じような土器が見つかっており(遠賀川式土器)、九州地方から伝わったと見られる。さらにその後、弥生時代中期までには東日本全域にも広まった。 [続きを読む]
  • 古代の杵築大社の柱
  • 坂本屋三郎氏の著書「古代出雲で何が起こったか(青山ライフ出版)」によると神殿を支持する直径3mの柱の構造は、1m径の木材3本とその隙間を埋める割り材を分厚い鉄のバンドで束ねていたらしい。全部の鉄輪の総重量は50トンに達し、当時の鉄の流通量を考えると建設をしたのは当時の中央政府しか考えられないとの見解である。 [続きを読む]