勝鬨美樹 さん プロフィール

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勝鬨美樹さん: 勝どきミキ/おはぐろ蜻蛉
ハンドル名勝鬨美樹 さん
ブログタイトル勝どきミキ/おはぐろ蜻蛉
ブログURLhttps://ameblo.jp/pasta-and-wine-miki/
サイト紹介文ワインにまつわる欧米の歴史がメインテーマです。
自由文ワインは三つの要素で出来上がっている。テロワール/セパージュ/生産者だ。そして実はもうひとつ、大きな要素がある。それは歴史だ。歴史を識らずしてワインを語るのは空疎だ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 10日(平均11.2回/週) - 参加 2018/02/11 13:49

勝鬨美樹 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • ボルドー史略#33 千年紀最初の500年"葡萄の時代#3"
  • ビトゥリカBituricaという寒冷対応種の登場が、ピレーネ山塊を越えたアキテーヌ盆地南側地帯での葡萄栽培を可能にさせました。そしてこれがブルディーガラでワインを売っていた人々のビジネスモデルを大激変させたのです。今回はその話を。葡萄の木を寒冷地で栽培するには、耐寒種を交配によって作り出さなければならないのです。葡萄は温暖地の植物ですから、この壁は極めて高い。したがって葡萄をイタリア半島以西の地中海北岸 [続きを読む]
  • ボルドー史略#32 千年紀最初の500年"葡萄の時代#2"
  • 純粋な商人の町として始まったブルディーガラ(ボルドー)は、カエサル軍通過後、初代皇帝アウグストゥスの帝政ヨーロッパの管理下へ入ることで、ローマの政治的支配下に入り急速にローマ化しました。これを全く抵抗なく商人たちが受け入れたのは、言うなれば彼らが費用対効果を推し量ったからでしょうね。商人たちは、ローマの支配下にはいることで与られる恩恵を、商売を伸ばすためのツールとして十全に活かそうとしたのです。 ひ [続きを読む]
  • ボルドー史略#31 千年紀最初の500年"葡萄の時代"
  • 物流コストは、当然"距離"が大きな要素の一つになる。特に陸路の場合、これが顕著です。それも有って、ナルボンヌの港から出荷されるナルボンシス製のワインは、当初港に近い地域で栽培され醸造されたものが中心でした。それが拡大したのは、ふたつの理由です。①ニーズ(需要)にシーズ(供給)が間に合わなかったこと。②そして退役軍人の増加です。イベリア半島東側の諸都市との諍いに参戦した兵士たちは、報償として市民権と土地 [続きを読む]
  • ボルドー史略#30 千年紀最初の500年"ストラボンとプリニウス"
  • ボルドー(古名ブルディーガラ)の最初の500年を話す時、ストラボンとプリニウスが水先案内人です。「ギリシア・ローマ世界地誌 龍溪書舎」と「プリニウスの博物誌 雄山閣出版」を横に置きながらのおしゃべりになる。今回はその二人のことに少し触れてみたいと思います。ストラボンStrabonはローマ時代のギリシア人歴史家/地誌家です。B.C.63年頃小アジア北部にあったポントス属州アマセイアで生まれています。裕福な家庭に育ち小ア [続きを読む]
  • ボルドー史略#29 千年紀最初の500年"おさらい"
  • 簡単なお習いから、千年紀最初の500年へ進みたいと思います。ローマは、外地との交易にワインを使用していました。そのワインの殆どは中央イタリア半島で製造されたもので、アンフォラ(陶器の壺)に詰められて、主に水路(海路)で運ばれていました。販路は東北部/アルプス深部、ローヌ川上流そして地中海を西にジブラルタル海峡を越えて大西洋沿岸を北上したブルターニュ地方/ブリテン島でした。交易物の主たるものは錫です。青銅 [続きを読む]
  • ボルドー史略#28 千年紀最初の500年"ローマ街道"
  • カエサル軍がブルディーガラ(ボルドー)に残した最大の問題は、この街の豊かさをローマに強く印象つけたと云うことです。ローマ属州の外に(意図的にか)作られたブルディーガラは、租税回避地(タクスヘィブン)でした。如何に大きな商取引があっても、ローマはこれに課税できなかった。だからこそ挙って、地中海側の商人がこの地に居を構え、北のガリア人も集まったのでした。沼地の真ん中にある丘の上に街が出来上がったのは、そこ [続きを読む]
  • ボルドー史略#26 番外:ケルトとカエサル"ゲルマンの西進"
  • カエサルが謀略で斃れ、それでもローマが帝政期に入った後、ガリアの地にある属州は元老院直属管理のナルボネンシス属州(アルプス以南)と3つの元首管理の属州ルグドネンシス、ベルギカ、アクィタニア(アルプス以北)に纏められた。そしてルグドゥヌム(リヨン)を全ガリアの属州会議の開催地とした。以後、ルグドゥヌム(リヨン)はガリア内の重要な拠点となり、ここを中心に四方へローマ街道が敷かれた。このローマ街道で繋がれた各地 [続きを読む]
  • ボルドー史略#25 番外:ケルトとカエサル"強者が説く正邪"
  • カエサルの北征以降、ガリアの地は"ローマ化"に拍車がかかり、反ローマ的な動きは局地的なものになっていく。じっくりとガリアの地(欧州)にパクスロマーナ(ローマによる平和)が浸透していく。・・しかし僕は考えてしまう。カエサルのガリア侵攻が無ければ・・パクスロマーナは、この地に無かったのか?カエサルのガリア侵攻にどんな意味も価値が有ったのだろうか。どう取り繕っても、カエサルの北征は私的蓄財が主目的だった。「野 [続きを読む]
  • ボルドー史略#24 番外:ケルトとカエサル"借金王カエサル"
  • カエサルのガリア北征の背景である「カエサルと彼を囲む人々の野心」について語るには、やはりどうしてもカエサルの出自に触れなければならない。生誕はB.C.100年7月13日。名門だが没落した貴族(パトリキ系の傍系)である。決して豊かではなかった。84年に民衆派のキンナの娘コルネリアと結婚したため、閥族派のスラに嫌われ、彼が没するまで属州アジアおよびキリキアで従軍している。スラ死後ローマへ戻り、民衆派として政治の世 [続きを読む]
  • ボルドー史略#23 番外:ケルトとカエサル"ゲルマンの台頭"
  • カエサルのガリア北征の背景は、大きく二つある。ひとつは、カエサルと彼を囲む人々の野心である。そしてもうひとつは、東方ゲルマン人の台頭だ。ローマは、ゲルマン人との境界線をドナウ川/ライン川としていた。そしてアルプスから北のガリアの地を、そのための緩衝地帯としていた。つまりアルプス→ドナウ川/ライン川→ゲルマン人の地、という棲み分けである。しかしこれが、B.C.113から101年にかけて、ドナウ川周辺のガリア人 [続きを読む]
  • ボルドー史略#22 番外:ケルトとカエサル"ガリア人の信義"
  • ガリアの人々の性格を示す逸話をひとつ、紹介したい。B.C390年、最初のローマ・ガリア戦争の時。ガリアの族長ブレンヌスは特使を出して、ローマと話し合いの席を設けた。話し合いはローマ市の郊外で行われたが、その席で激昂したローマ将兵クイントネス・ファヴィウスが、ブレンヌスの特使を殺してしまった。ファヴィウスは貴族の子である。ガリアは怒り、すぐさまローマ総攻撃といきり立った。当時兵力は圧倒的にガリアのほうが [続きを読む]
  • ボルドー史略#21 番外:ケルトとカエサル"ローマ軍"
  • ローマとは何かということについて大雑把な理解するために、ローマ軍の構造について書いてみたい。軍の構造は、その民族の気質を見事に反映するものだからだ。ローマ軍は、ローマの身分制度の延長線にある。①元老院(貴族)②騎士③一般市民④半市民(解放奴隷/属州民)⑤奴隷当初ローマ軍は常設されていなかった。諍いがあると②③から徴兵が行われ、其々の戦いに赴いた。軍役は市民にのみ有り、④⑤にはなかった。しかしローマが大 [続きを読む]
  • ボルドー史略#20 番外:ケルトとカエサル"エトルリア"
  • 相変わらずガリアとローマの話は、ローマ側の一方的な話を聞きながら進めるしかない。したがって僕の姿勢は「彼が何を言ったか」ではなく「何が彼にそう言わしめているか」に終始する。ティトゥス・リウィウス「ローマ建国史(岩波文庫)」を横に置きながら続けたい。紀元前390年、ガリアの族長ブレンヌスがイタリア半島を南進した。最前線で矢面に立ったのはエトルリア(ギリシャ語ではティレニア)だった。エトルリアはイタリア中央 [続きを読む]
  • ボルドー史略#19 番外:ケルトとカエサル"異民族蔑視"
  • そしてローマ人も、北の民をケルティと呼んだ。もっとも彼らの云う「北」は、当初イタリア半島の根元辺りのことだ。彼らが暮すラティウム地方の北東はEtruscanであり、北西はUmbrianである。それより北に住むのがCeltだったのだ。ただ。ひとつ注意しなければならないのは、ここで話題にする問題についての一次資料がティトゥス・リウィウスTitus Livius(B.C.59年頃-17年)がアウグストゥスの指令により書いたAb Urbe Condita「ロー [続きを読む]
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