勝鬨美樹 さん プロフィール

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勝鬨美樹さん: 勝どきミキ/おはぐろ蜻蛉
ハンドル名勝鬨美樹 さん
ブログタイトル勝どきミキ/おはぐろ蜻蛉
ブログURLhttps://ameblo.jp/pasta-and-wine-miki/
サイト紹介文ワインにまつわる欧米の歴史がメインテーマです。
自由文ワインは三つの要素で出来上がっている。テロワール/セパージュ/生産者だ。そして実はもうひとつ、大きな要素がある。それは歴史だ。歴史を識らずしてワインを語るのは空疎だ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供86回 / 162日(平均3.7回/週) - 参加 2018/02/11 13:49

勝鬨美樹 さんのブログ記事

  • 「国運振興の詔書(新日本建設に関する詔書)」
  • 「なぜ昭和天皇の"人間宣言"について触れないのか」と云うご質問ですが。深慮した結果、触れないでおこうと考えました。「小説・日本国憲法」中、1946年1月元旦の部分を書くときに、この事はとても悩みました。それは、あの勅書を「人間宣言」であるとすることに、強い違和感を持っているからです。どうも戦後日本を語ろうとすると、使用される"言葉"の裏側に埋め込まれた「嫌な臭い」がするものが多い。例えば・・明治憲法。嫌な [続きを読む]
  • あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す
  • 真冬のマンハッタンはマイナス20度cの夜がざらにある。とくに雪のない、風の強い夜は辛い。そんな夜にランドリーへ出かけたり、夜の食事に出かけたりするのは本当に辛い。80年代の初め。僕はNassau St.のボロ・アパートメントホテルにいた。もちろん、ランドリーは通りのずっと向こうだし、ダイナーも同じブロックにはなかった。なにしろ周りは潰れかかったユダヤ人の洋服屋と雑貨屋ばかりだったからね。ロアーマンハッタンは金融 [続きを読む]
  • けんけんぱ
  • 拗ねて片寄る布団の外れ 惚れた方から手がのびるうちの店で待ち合わせをしてお帰りになるご夫婦が多い。いずれも鴛鴦な方ばかりだ。昨夜もおひと組あった。ところが旦那さんのほうが中々いらっしゃらない。付きあい酒が長引いているらしい。それでも漸う来られると奥様が開口一番言われた。「もう呑むだけ呑んじゃったでしょう」「そんなことあらへん。ええとこで、おいとったわ」「うそ。もう目が据わってるわよ。」「すわって [続きを読む]
  • コロンブス交換
  • 揺動する世界情勢の中で、ヴェニスの商人たちは、強かに機を見て敏に動いた。彼らの取引先は、オスマントルコであり、半島西南を支配したスペインであり、フランスでありハプスブルグ家だった。そして北のイギリスさえ顧客として様々なものを売り買いした。しかし・・その視線から、驚くべきことに新大陸は外れていた。あれほど東へ東へと新開地を求めて旅したマルコポーロの裔が・・である。アメリカ大陸を見ようとはしなかった [続きを読む]
  • イタリアと云う名の貴婦人への強姦
  • オスマントルコによって、あっけなくビザンチン帝国が滅びる(1453)と、一番危機感を抱いたのはイタリア半島内の都市国家だった。明日はわが身・・と思ったに違いない。たしかに商人たちは、したたかにオスマントルコを相手に商売をしていた。交易を断絶したわけではない。オスマントルコの柔軟な政治体制が帝国内異教徒の存在を許していたからである。しかしだからこそ、オスマントルコのさらなる拡大の可能性を実感として受けて [続きを読む]
  • 早朝のサンマルコ広場を散策。
  • 早朝のサンマルコ広場を散策。オスマントルコとヴェネチア共和国の抗争を思い巡らす。東方貿易(奴隷貿易)を失ったベニスの商人たちは欧州内陸に商路を広げるしかなかった。彼らもまた、イタリアの諸国家都市と同じように大西洋へ活路を見出そうとはしなかった。新大陸がもたらす衝撃を過小評価したのだ。・・こうして次第にヴェニスは世界の最前線から退いていく。しかし栄華は残る。残るゆえに、時代がコペルニクス的展開を始め [続きを読む]
  • 何処の町へ行っても市場歩きと博物館歩きはする。
  • 何処の町へ行っても市場歩きと博物館歩きはする。観光客が大半を占めているヴェニスにだって、生活している人は居る訳だし、その人たちのマーケットはあるのですよ。・・しかし、モノの本によると、ヴェニスは人口減少に苦労しているらしい。たしかに見回しても、訪問客相手の商売しかないからね。新進の気概がある若者は、さっさと町を出てしまうのだろう。だから島の中で働く人々は高齢化するばかりなのだとのこと・・朝早く、 [続きを読む]
  • ベニス逍遙#33/ベニスの商人
  • ベニスの商人は、売れるものなら何でも売った。人であろうとモノであろうと、儲かるなら商材は何でも良かった。道義感は次善だった。ローマ教会が如何に非難しようと、ベニスの商人たちはノラリクラリとそれを交わし、奴隷狩りを続けた。人身を売買すること。そのための人狩りについては、何の罪悪感もなかった。神は儲ける者を祝福する。そう信じていたのだ。ある種、資本主義的な弱肉強食感だろうか。弱者は強者に食われること [続きを読む]
  • ベニス逍遙#32 ビスコンティ幻想/ベニスへの小旅行#07
  • キリスト教文化は抑圧的だ。そのため美幼女は存在し得るが、美少女は存在し得ないのではないか。美少年タッジオと共に母親が連れている姉妹について、トーマスマンはこう書く。「さらに目についたのは、この姉弟の服装や一般的なしつけの標準になっているらしい、教育上の観点と観点とのあいだの明らかに根本的な対比だった。三人の少女たちの拵えは・・中で一番年嵩なのは大人と言ってもよかったが・・醜い感じを起こさせるほど [続きを読む]
  • ベニス逍遙#31 第42代総督ダンドロ/ベニスへの小旅行#06
  • ホテル・ダニエリは三つの年代の屋敷が横に繋がってホテルとして利用されている。中央が1300年代に第42代総督エンリコ・ダンドロによって建てられたものだ。ここが現在はホテルエントランスとして使用されており、チェックイン・アウトカウンターとコンシェルジェサービス、ロビーがある。ロビーの傍にバーが併設されているので、古い博物館級の家具に腰掛けながらコーヒーも楽しめる。こいつが中々よろしい。バーカウンターも良 [続きを読む]
  • ベニス逍遙#30 ムラーノ島/ベニスへの小旅行#10
  • ミッシェル・トゥルーズMichel Thoulouze氏のワイナリーを辞して、水上バスでムラーノ島へ。昼食の後、島を散策するつもりだった。とは言っても、ガラス工場歩きをするつもりはさらさらなく、運河に沿った町並みと店々を見て歩こうと思っていた。選んだレストランは、波止場からまっすぐ島の中を進んで、突き当たった運河沿いに面した店。こんなときもグーグルマップは大活躍する。ほんのちょっと前までは、地図を持ってウロウロ [続きを読む]
  • ベニス逍遙#29 ベニスへの小旅行#09
  • ワイナリーのオーナーであるミッシェル・トゥルーズMichel Thoulouze氏が家族とともにこの島へ越してくることを決めたとき、古地図を調べていたら(彼は元フランスのTVプロデューサー)此処がベネチアの貴族がワイン畑として所有していたことを発見したそうだ。それで、よし!此処でワイン作りをしようと決心したのだと云う。しかし同地は1966年11月の大洪のダメージが強く、殆ど沼地ブッシュになっていた。そこでトゥルーズ氏は、彼 [続きを読む]
  • ベニス逍遙#28 ベニスへの小旅行#08
  • 「自根ワイン」という言葉は、ワイン呑みにとって無類の魅惑を持った言葉だ。フィロキセラ禍は、世界中のワイン用葡萄の木をほぼ全滅させた。現在、根まで全て単一種で育てることは、ほんの一部の土地を除いて不可能だ。根の部分はフィロキセラ(北米東海岸原種のアブラムシ)に耐性がある北米の葡萄の木を使用し、ワイン用の葡萄の木を、そこへ挿し木して育てている。実は、ボルドー五大シャトーだって、ブルゴーニュの王DRCだって [続きを読む]
  • ベニス逍遙#27 ベニスへの小旅行#07
  • 今回のヴェネチア行きの大きな目的のひとつは「ヴェネチア室内合奏団」の演奏を、彼らのホームグランドのサン?ヴィダル教会で聞くこと。この教会は17世紀に建立されたものだそうだ。日本から予約を二晩分だけ入れといた。それと出来ればオペラハウスへ行って見ること・・そう決めていた。ヴェネチア合奏団は開演が夜の九時から、事前に場所調べで昼間行ってみた。席数は・・1000くらいかな。天井の高い理想的な空間だった。で。 [続きを読む]
  • ベニス逍遙#26 ベニスへの小旅行#06
  • ダニエリのコンシェルジェは世界一のグレードだそうで、こりゃ使うしかないと思って声掛けしてみた。「バーカロへ行きたいンだけど、近所に良いトコある?」そしたら即答してくれた。「近所はだめ。リアルト橋の向こうならあります」って。そりゃ知ってるんだよね。でもさ、今日は此方側サンマルコ周辺の露地を彷徨ってみることにしてるんだ。だからどうしても此方岸で探したい。それでもしばらく考えて「んん。ないですね」だった [続きを読む]
  • ベニス逍遙#25 ベニスへの小旅行#05
  • 朝食はダニエリのルーフトップレストラン「テラッツァ・ダニエリRestaurant Terrazza Danieli」で。ロケーション抜群だけど、さすがに寒いから室内での食事になった。でも窓の傍テーブルだったからラグーンを行き交う船を眺めながらの食事だった。良かったよ。ときおり大きなカモメが、ちょこんと窓辺に止まるのがかわいい。食事のクオリティもサーブも気配りが出来て、満足度は高い。きっとこれがダニエリの"魔力"なんだろうな。 [続きを読む]
  • ベニス逍遙#24 ベニスへの小旅行#04
  • 今回のヴェニス道行きは、あんまり本を持ってきてない。五冊だけ。kindleで済ませるつもりだった。ところが・・kindle忘れてきた。カメラに気を取られていての大チョンボである。ま、仕方ない。気を取り直して机の上に、五冊だけ積んだ。・・はは。これで"僕の陣地"らしくなる。この"僕の陣地"って大事でね、アリジゴクみたいに先ずアナ掘って、その中に潜り込むわけね。そうするとようやく落ち着くという寸法だ。その今回持って [続きを読む]
  • ベニス逍遙#23 ベニスへの小旅行#03
  • 部屋は、三つ並んでいる館の右側Palazzo Casa Nuovaの三階241号室だった。角部屋で広い。窓からは、眼前に美しい大運河が広がる。すぐそこにサンタマリア・デッラ・サルーテ教会のドームが見える。歴史を感じさせるアンティークな家具。木製のドア。古びた年代モノの鏡、煌めくシャンデリア。まあ、たしかにすごいね。完全に時代が止まっている感がある。しかし古びているけど、きちんと管理されていてボロさは欠片もない。・・す [続きを読む]
  • ベニス逍遙#22 タクシーボートでダニエリへ/ベニスへの小旅行#02
  • そのホテル・ダニエリだけど、まあ随分由緒正しいところのようで、調べてみたら、ヴェネチアの第42代ドージェ(総督)エンリコ・ダンドロの一族の館だったことが分かった。びっくりしたね。ダンドロと云えば悪名高き第四次十字軍を引き連れてコンスタンティノープル略奪を果たした盲目のダーティ・ヒーローだ。へえ、さすがヴェニスだね、700年前の人物が暮らした商館が残っていて、それもホテルとして使用されているとはね。場所は [続きを読む]
  • ベニス逍遙#21 ベニスへの小旅行#01
  • 今年の正月、NYCに居たとき、ヴェニス逍遙の夢を見た。ンで、こいつは行くっきゃないなと決めた今回の旅行である。まあ、足の向くままってぇのは昨日今日始まったことじゃないから、僕が唐突にそう言い出しても嫁さんはたいしてビックリしなかった。なンで、フライトを取ったのはマンハッタンでだった。調べてみるとTYO(東京周辺)からVCEマルコ・ポーロ国際空港Malco Polo International Airportへの直行便はない。トランジットが [続きを読む]
  • べニス逍遙#20/パパ・ヘミングウェイが見たベニス#4
  • パパは自分の一番根深いところに、熱将ダヌンツィオの言葉が余燼のように残っていることを知っていた。そして同時にそれが、ただ一方から見ただけの"義"であることも、今は気付いていた。「俺は何を手に生きてきたのか?」ヘミングウェイの"老い"は、その問いを彼に突きつけていた。熱に浮かれた少年兵として、ラグーンの草叢に這いつくばった所へ還ってきたとき、彼の虚無は彼の前に巨人のように立ちふさがったに違いない。「川を [続きを読む]
  • べニス逍遙#19/パパ・ヘミングウェイが見たベニス#3
  • 僕の最初のヘミングウェイは「老人と海」だった。中学後半だ。一気に読んで、そしてすぐさま原文を読もうと思った。つまり僕の最初の英文体験が「老人と海The old man and the sea」だったわけである。これは僥倖だった。「He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days now without taking a fish.彼は老いていた。小さな船でメキシコ湾流に漕ぎ出し、独りで漁をしていた [続きを読む]