古荘冬馬人 さん プロフィール

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古荘冬馬人さん: 卑弥呼の都へ旅をする
ハンドル名古荘冬馬人 さん
ブログタイトル卑弥呼の都へ旅をする
ブログURLhttp://anisakuayataka.blog.fc2.com/
サイト紹介文魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど 徒然に記します。
自由文邪馬台国がどこにあったかや、日本神話や古代史の謎を解明したいのはもちろんですが、それに向かってどんなことが考えられるか、どんな考えがあるか、そんなことを楽しみながら書いていきたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供136回 / 179日(平均5.3回/週) - 参加 2018/02/21 12:04

古荘冬馬人 さんのブログ記事

  • ワインと倭の五王
  • 酒は各地の文化の妙味です。ロシアはウォッカ。中国は老酒ブリテン島はウィスキー日本は日本酒あと各地にそれぞれ焼酎がありますね。そしてヨーロッパはワイン。 ワインというお酒はそもそもはメソポタミアのどこかの後宮の女が皇帝の寵愛がなくなり絶望して、腐ったブドウを入れた樽の中からブドウの果汁(腐敗して毒のようなものだと思った)を飲んだのがはじまりだとか。その腐ったブドウの樽から、絶対死のうと思っ [続きを読む]
  • 天皇家という氏族にはなぜ名前がないのか?
  • 天皇家という氏族。「氏」の名称がないのは不思議ですよね。「天皇家」だからと聞かされてますが世界中の王族には氏名はある。「将軍家」だって、徳川とか足利と源とか姓があります。吉宗将軍、家康将軍とは言いません。古代においてすでに日本の王には氏名がなかった。ということは、やはり纏向連合祭祀都市を作ったときに、忌部氏とか物部氏とか蘇我氏とか、大伴氏とかが、交代で王になっていたのではないのか。最大のポイントと [続きを読む]
  • 藤原氏とは女系天皇家である   古代の氏族概観
  • 古代世界には歴史上の重要プレーヤーとして多くの氏族名が出てきます。藤原氏や蘇我氏などは、日本人なら誰でも聞いたことがあるわけですがその他にも物部氏や大伴氏や忌部氏や宗像氏、そして秦氏などがいます。どの氏族も遡っていくと神秘的な雰囲気を持ってくるものです。どれか氏族を選んで徹底的に調べると日本古代史の謎が解けていく、そんな説もたくさんあります。物部氏 饒速日命 蘇我氏 武内宿禰中臣氏 天 [続きを読む]
  • 先代旧事記を復権させよう
  • 先代旧事記を復権させよう。これは偽書ということになっていて、資料的価値なしというのがいわゆる通説です。ウイキペディアにはこう記されています。「  先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したと [続きを読む]
  • 縄文時代とは黒曜石文明だった 説
  • 縄文1万年は黒曜石経済であり軍事力もつまりは武器も、黒曜石だったでしょう。諏訪などは12000年くらい前から2000年くらい前まで本当に1万年継続した集落密集地でした。世界的にそんな例は諏訪湖周辺だけでしょう。こういう火山岩を人々は今のダイヤや鉄やウランのように求めた。武器にもなる。矢じりは黒曜石です。したがってくに的な団体は黒曜石をもつことが前提条件である。こんな装飾品にもなる。 そして国内に2か所、 [続きを読む]
  • 三内丸山遺跡と縄文日本
  • 三内丸山遺跡について約5500年前〜4000年前の時代だから紀元前3500年から紀元前2000年までの1500年もの長期間継続した集落です。黄河文明と同じくらい古い。そして稲作ではないものの植物栽培をして食料確保をしていました。Wikipediaより遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かり、多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻、→この類で人体に必要な栄養がほとんど [続きを読む]
  • 邪馬台国 不弥国 女王国
  • 邪馬台国についてよくある勘違いというか、スルーされてしまっていることがあります。そのうちの一つ魏志倭人伝は帯方郡から邪馬台国へのルートを書いていないし書こうともしていない 魏志倭人伝を読むことなく、研究本的な二次的資料を読むと、もう倭人伝には邪馬台国へのルートが書かれているような論調になっています。さらにすごいものになると、魏の使いが実際に邪馬台国へ到着した道のりそのものを書いたというのもあります [続きを読む]
  • 邪馬台国台湾説について
  • 九州から南に20日も海を渡れば沖縄くらいに行きます。そしてそこから十日で台湾です。沖縄までは有視界航路なのですね。実際にはもっと合理的な海路や流されたりもするでしょうけど、基本的にいつも50キロ以内に島がある海路です。 倭人伝の通りに博多湾あたりから南に下るとすれば投馬国は沖縄、邪馬台国は台湾となります。まあそんなことはないと思いますが、しかし呉にとってはそれがもし万一本当だったらおおごとです。親魏 [続きを読む]
  • 珍説の邪馬台国 水行と陸行
  • 邪馬台国への、行きと帰りで、道が違ったのではないだろうか? 海の民である倭人は、博多湾から半島に向かうときは博多湾から出発するが有明海から帯方郡に向かうときは、当然有明海から直接出発する。投馬国5万戸と邪馬台国7万戸、その両方に使者が訪れるのならばその両方がゴール。なのではないかそして帯方郡までどうやって帰ったかまで実は書いていた。「南投馬国に至る」 でゴールです。そしてさりげなく簡潔に帰路を書いた。 [続きを読む]
  • 空白の4世紀とは黄河文明圏の崩壊だった
  • 日本の世界史教育は世界一ではないかと思います。わたしたちは普通にヨーロッパやアラビア、インドや中国の大まかな事績を知っています。中国についてはしかし、殷や周、秦、漢や隋、唐や宋や元や明など。古代から中世の中国について統一王朝については割と頭に残りますが、一時代を築いた王朝が滅びたあとの混乱期については頭に残らないのではないかと思います。周の終わりが春秋戦国というのは、まあこの頃に諸子百家などが活躍 [続きを読む]
  • 欠史八代は皇后の時代 大国主の巫女たちこそ真の倭王
  • 出雲に大国主という役職があったと思います。それはつまり王という意味です。大国主=王大国の主なのだから王でしょうね。そして事代主は神主。それも大神主ではないかとふと思いました。国譲りに際して大国主は子供の事代主に意見を聞いたのではなく巫女の事代主に神託を聞いたのではないかと想像してみました。【事代主神】 出雲神話の神。大国主命の子。国譲りに際して父に国土の献上を勧めた。そうすると大神主=事代主なら [続きを読む]
  • 南九州の古代
  • グーグルアースで南九州を見てみました。これは津軽海峡閑話休題:これは鹿児島湾。なんだかとてもにてますね。北と南。 これは単に地理的外観の感想です。鹿児島は海に向かって意識が開いている。北欧がフィヨルドによって日常的に海につながっていたから遠洋航海ができたという考え方がります。そうすると深く湾が入り込むこの立地では、そこを抜けて、奄美諸島、沖縄諸島へと常につながっていたと思います。そして九州より [続きを読む]
  • 食料 人口 邪馬台国
  • 魏志倭人伝には邪馬台国は7万戸、奴国は2万戸、投馬国は5万戸。とあります。同時期の韓の一戸当たりの人数は4人ほどだったとか。同じであれば、邪馬台国の人口は戸数×4人として約30万人。近隣の奴国も8万人として合わせて35万人くらいはいる。投馬国は5万×4で20万人。この世界はこまごま併せて60万人くらいがいたということではないか?まあそうなります。この他に狗奴国があるし、おそらくはこの中には信州以東は入っていない [続きを読む]
  • 期せずして邪馬台国阿波説になってしまった  狗奴国=吉備出雲説
  • 北海道は博多から東北にありますが、九州に住む私は北海道の方角を聞かれたら北と答えます。同じ福岡県の小倉は東と答えます。宮崎は東南ですが聞かれたら南の方ですといいますね。そして朝鮮半島は北にあると言いますね。実際には北西ですがそうはいわない。小倉については改めて地図をみると、小倉って福岡の東北方向ですね。はじめてきづきました。福岡市内だって、福岡市東区は中央区からみると東北方向にあるのですが感覚的に [続きを読む]
  • 遺跡出土物の分布からみるヤマト王権
  • これは西日本に分布する土笛の分布図です。出雲を中心に丹後半島から九州の宗像に至るまでの範囲で出土します。注目すべきはこの年代は紀元前200年から紀元前400年ころらしいのですが、福岡平野の遺跡からは土笛は一切出ておらず、明確に宗像で線引きされています。どうやら出雲の勢力範囲を示す分布となっているようなのです。丹後半島と言えば赤坂今井古墳この勢力が土笛の東の端となりますね。さて同じ時期の東国です。S字状土 [続きを読む]
  • 白村江の戦いから壬申の乱へ
  • 663年白村江の戦い。→672年壬申の乱671年に「筑紫君薩夜麻」が2千余人の兵と共に白村江の捕虜から解放されて倭(九州)に帰国しました。帰国後翌年に壬申の乱なのです。そしてその時唐軍は太宰府に1500人ほど駐留しています。唐軍がいるのに内乱をしたのです。ところで白村江の戦いの敗因の一つが福信事件。帰国した王子と現地の将軍の仲たがい663年6月百済王・余豊璋(よほうしょう→倭から帰国した王子)が、鬼室福信を謀反 [続きを読む]
  • 白村江の戦い 百済や唐の事情とは?  対馬海峡波高し②
  • 白村江の戦いで日本軍は約3万人。百済復興軍の数は不明。すでに唐への防衛戦争で疲弊し王都の攻城戦で壊滅した軍隊ですから、残党が唐の高句麗遠征中に奮闘したとしても1万人もいなかったのではないか?唐軍はといえば百済滅亡の時の軍団構成と同等であれば唐軍13万、新羅5万。??えってなりますね。知ってたら百済救援軍などださなかったかもしれない。倭軍が九州滞在中含めて5万人、勝ちが続けば百済から3万人くらいが参加 [続きを読む]
  • 白村江の戦いの不思議なこと  対馬海峡波高し①
  • 白村江の戦いは多くの誤解がありまた多くの重要な点が見過ごされていてそれほど言及されていません。まず場所です。一般に「あーここであったのか」という程度の認識しか持たれません。でも細かく見ていくと驚くことしきりです。一体何人が行ったかと言えば記録によると出征兵士は28000人。当時の人口は400万人くらいというから実に人口の0.7%だ。現在の日本の人口は当時の40倍の12000万人。もし現代の人口比でこれが行われたら [続きを読む]
  • 徐福が日本にやってきた雑感 文字はどこへ?
  • 徐福が日本に来たとしたらそれは紀元前200年頃のことです。日本では弥生前期が終わり弥生中期が始まる頃です。秦という国は紀元前778年 - 紀元前206年の間、存在してました。中国全土を統一したのは前221年ですから、そのわずか15年後に滅亡。始皇帝は前210年に没。徐福は始皇帝が統一してから死ぬまでの間に出発しています。それにしてもこんなことなら統一しなければよかったですね。せっかく500年もの間、中国最強国だったの [続きを読む]
  • 徐福船団の出港〜ケース②長江流域を出発の場合  天孫族の船出
  • さて、前回は徐福の船団の出発地をケース①秦皇島の発の場合で考えました。黄海の北の秦皇島からの場合の推測。この場合は沿岸航海。最後の対馬海峡だけが難しい。総計1100キロ以上の大移動ですが、沿岸航海ということで安全ではあったでしょう。今回は上図の長江流域を出発した場合です。ここから東に向かう航海というのは、東シナ海を横断して850キロを外洋航海。とても危険な航海に思えます。なぜならこの航海というのは [続きを読む]
  • 徐福船団の出港〜ケース①秦皇島の発の場合  天孫族の船出
  • 徐福は秦の始皇帝の時代、紀元前200年頃=ちょうど日本で弥生前期が終わる頃=一説では出雲で国譲りがおこなわれたころ、日本にやってきたのではとされています。その出港地の二大候補地は何故だかとても離れていますがいずれにしても秦の咸陽の都からははるかかなた、船団の準備など割合のびのびやれたかもしれません。 一つははるか長江の河口の慈恵市の地です。もう人は黄河を出て黄海があり、その少し北のその名も秦皇島という [続きを読む]
  • 徐福が倭にやって来た①邪馬台国前夜の世界
  • 出雲を中心に東は若狭湾の丹後半島、西は宗像まで、おおよそ紀元前400年から紀元前200年の弥生前期に、土笛がそのゾーンで使われていました。その終了時期は中国の秦が統一して滅亡する頃とぴたりと一致します。また宗像から以東の九州地域には古来、板付遺跡などがあり、奴国があって漢委奴国王の地でありますが、土笛はなかった。使われていませんでした。宗像を境に文化的境界があったようです。そして、紀元前200年頃 [続きを読む]
  • 邪馬台国と出雲王朝と徐福  古田武彦さんの講演を読み解く
  • 下関の綾羅木豪遺跡から出土した土笛を巡っての話です。遺跡の出土物というのは地味ですが、特にその分布をみることでいろんなことが見えてきます。東海北陸地方から出土するS字状土器などはその分布から、古代尾張の交易範囲が見えてきます。尾張、信州北陸、駿河、関東と一大交易圏が形成されていたのです。さて土笛は、弥生前期=紀元前400年ごろから紀元前200年頃までの時代にありました。この発掘場所は、九州の宗像から [続きを読む]
  • 倭人伝の国々の官名からの雑感
  • 前回からさらに詳しく邪馬台国連合の官の名前を考えます。まずは対馬から、唐津半島、糸島半島を経由して福岡平野へ入り、現在の宇美町あたりまでの国々です。これらの国々の副官はみな卑奴母離 です。ところでこの官と副官というのは一体なんなのでしょうか?登場する国には必ず二人がいるのです。このようなことはその後の日本史にあったのでしょうか?そもそも卑弥呼自体が弟が実務で卑弥呼が司祭のようなものでしたからあるい [続きを読む]