古荘英雄 さん プロフィール

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古荘英雄さん: 卑弥呼の都へ旅をする
ハンドル名古荘英雄 さん
ブログタイトル卑弥呼の都へ旅をする
ブログURLhttp://anisakuayataka.blog.fc2.com/
サイト紹介文魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど 徒然に記します。
自由文邪馬台国がどこにあったかや、日本神話や古代史の謎を解明したいのはもちろんですが、それに向かってどんなことが考えられるか、どんな考えがあるか、そんなことを楽しみながら書いていきたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供183回 / 295日(平均4.3回/週) - 参加 2018/02/21 12:04

古荘英雄 さんのブログ記事

  • 地図で勝手な想像をする日本古代史〜これは趣味の遊びですから〜
  • 豊前の海岸は瀬戸内海への表玄関景行天皇の九州親征図です。巡行といいますが征服です。景行天皇は九州方面の国造に、大和朝廷からの赴任する国造に地位を譲るように命じましたが、九州の国造たちはその命に従わず、反逆にでました。景行天皇は反逆する国造を平定するために九州地方に巡幸した。豊前の海岸に上陸して九州南部、中部を進軍していきます。まずこの豊前上陸ですが、この時代、古代においては関門海峡を渡って九州に来 [続きを読む]
  • 忌部氏ことはじめ  古代四国の探求2018/12/5
  • Wikipediaより忌部氏(いんべうじ)、のち斎部氏(いんべうじ)は、「忌部」または「斎部」を氏の名とする氏族。天太玉命を祖とする神別(天神)の古代氏族で、「忌部首(いんべのおびと)」、「忌部連(いんべのむらじ)」、「忌部宿禰(いんべのすくね)」のち「斎部宿禰」姓を称した。古代朝廷における祭祀を担った氏族である『古事記』や『日本書紀』では、天岩戸の神話において天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天児屋命( [続きを読む]
  • 水行10日陸行一月の謎
  • 水行10日陸行一月。日本国内のどこを歩けば一ヵ月もかかると言うのだろうかと思うのです。河内から青森まで歩けばそれくらいかかるだろうか道が整備されていないからという話もあるが邪馬台国という首都に行くのに草ぼうぼうのわけはない中国の使節が宴会しながら移動したからだというのもあるがちょっと厳しい実は歩いたのは日本国内ではない最終的に洛陽から邪馬台国をみたらどうかというのがラストに書かれていたのだとする説 [続きを読む]
  • 3つの支の地 一支国と伊都国と出雲国
  • 倭人伝から数遊び。3つの支国①壱岐は一支国。②伊都国の長官は「爾支」ニキ。二支と書くのが本当ではないか?邇邇芸=ニニギの上陸地点は糸島=伊都国だからつまりこの地は二支の地。③では三支の地はないのだろうか?投馬国は官名は 長官は「彌彌」「一支」「爾支」ときての「彌彌」投馬国の有力候補地は出雲か日向。しかしこれを海のポイントしてとらえると一支?二支?三支となるから「彌彌」つまり三番目のポイントは出雲と [続きを読む]
  • 海路からみる倭の五王と九州王朝と遣唐使
  • 遣唐使630年から838年まで遣唐使が唐に行きました。12回説 14回 15回 16回 18回 20回説などがあります。計画はしたけど中止になったものや、渡航しようとしたけど難破して到着できなかったものなどそういうものがあるので回数を測り方が難しいのでしょうか?いずれにしても最低でも12回は行ってる。さて約200年の間に12回。当初の航海は半島から黄海をわたって山東半島へ行き、そこから南下してましたがやがて半島経路 [続きを読む]
  • 真実の壬申の乱
  • 白村江の大敗戦白村江の戦いが663年。 天智天皇崩御が672年1月。壬申の乱が672年7月24日から8月21日。まずこの3つの時系列が大事です。白村江の大敗戦。朝鮮半島まで2万人を超える兵を出して完敗。動員した兵力はさらにあと3万人くらいいて、半島にいくはずだった。動員兵力は5万人にも及ぶ。そして動員には相当時間がかかり二年くらいもかかったようです。 このことから何がわかるか。当時は明治以来の近代国家ではないから、中 [続きを読む]
  • 土笛と宗像三女神と出雲
  • 古代世界で、朝鮮半島経由で倭に来るときには対馬へ行き、そこから壱岐を行き、壱岐から九州に上陸するというのがルートだったでしょう。壱岐は魏志倭人伝に登場する一支国であり、その原の辻遺跡には、漢の時代の楽浪郡の土器もありますし、東アジア最古の人口の船着き場もありました。国際中継交易都市だった様相があります。漢の倭の奴の国王の金印は奴国王あてのようですが、その時代に半島との行き来には壱岐→対馬→半島だっ [続きを読む]
  • 邪馬台国日田説の風景 「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 北部九州が女王国である。この地図のゾーンである。 さて、九州の山は低いので、山がそれほど明確に生活圏を区切らなかったりする。中国山地における山陽と山陰の区切り方とは少し違う。いやだいぶ違う。日田から阿蘇へな簡単に行けるし阿蘇から高千穂も簡単に行けて高千穂まで来ると川に沿って延岡に簡単に来れる。つまり日田から延岡には山道を通っても簡単に行ける。私は別府から宇佐にしょっちゅう行き来していたことがあるが [続きを読む]
  • 呉書倭人伝と魏書鮮卑伝「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 魏志倭人伝という書物はないそもそも魏志倭人伝などという単独の独立した書物はありません。これは下記のような構造の中の最後の最後のおまけのような文章ですね。三国志の一部です。三国志は蜀の家臣でありその蜀の滅亡とともに晋王朝に仕えた陳寿が作者です。それに南朝の宋の時代になって簡潔すぎる陳寿の三国志に裴松之が注を加えたものが今日本で和訳されています。幻の呉書倭人伝ここで空想するのですが呉書倭人伝なんかもあ [続きを読む]
  • 真面目な邪馬台国論「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • ヘーゲルとかランケとか史上稀有な歴史学者や歴史哲学者になったつもりで邪馬台国というものを論じようとするとブログの一記事分では足りません。なので毎回小出しに勝手に想像しているのですが今回はこんな話です そもそも魏志倭人伝の倭国への行程は倭の土地への行程であり邪馬台国という国に向かっていくには・・・・・という意図では書かれていません。なんだけどみな真剣にルートがどうしたこうしたとか議論する。ルート [続きを読む]
  • 邪馬台国四国説の風景〜日本古代史 邪馬台国と卑弥呼を探検する
  • 邪馬台国四国説の昨今邪馬台国と言えば九州か畿内そして例外として吉備か出雲それが大筋の主張です。ただ九州といっても宇佐、福岡、島原、熊本、宮崎、日田、大分、別府、佐賀、などなどあちらこちらに主張があります。最近新潟説に力を入れてる方の本を読みそれなりに感銘を受けましたが四国説。どうなんでしょう。四国にもいろいろあって阿波説、高松説、高知説、そして四国山上説などがあります。四国山上説は結構人気があって [続きを読む]
  • 地図で考える邪馬台国 水行陸行の解決 ランダムな思い付きです
  • この地図は水行陸行問題の解釈の一つです。邪馬台国までの水行10日陸行1月その前の投馬国まで水行20日をいれると邪馬台国までは船で30日 歩いて一ヵ月かかるとなります。さて日本列島でそんな場所はないというのが結論です。日本列島のある地点からある地点に船で30日かかって上陸してその地点からさらに歩いて一ヵ月かかるような地理的要件は満たせるわけがない。道なき道を歩いたとか宴会しながら進んだからとか潮の流 [続きを読む]
  • 倭人世界の南方の海「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 魏志倭人伝南方編女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至「女王国の東、海を渡ること千余里。復(また)国有りて、皆、倭種。又、侏儒国有りて、その南に在り。人長は三、四尺。女王を去ること四千余里。又、裸国、黒歯国有りて、復、その東南に在り。船行一年にして至るべし。」 女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、 [続きを読む]
  • 伊都国の正体②太宰府編「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 前回は福岡県糸島に伊都国があったという話を書きました。伊都国についてはもうそれが定説化している感もありますが今回も地元福岡から地理的な話で考えてみたいと思います。伊都国は太宰府の場所にあった説。一応ぼく個人は糸島に伊都国があったと考えていますがぼくの邪馬台国の楽しみ方は様々な説を地理的にシュミレーションしていくことなのでどこに何があっても楽しいです。さすがに邪馬台国エジプト説などはつきあえませんが [続きを読む]
  • 伊都国の正体①糸島編「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 伊都国は明らかに九州にありますね。①伊都国は糸島 ②伊都国は太宰府③伊都国は宗像という3つの説について考えていきたいと思います。②と③は珍しい方になりましたが、例の水行を考えるときには②の場合は有明海を使って③の場合は瀬戸内海を使ってとても面白い仮説になるので楽しいシュミレーションです。さて今回は①伊都国は糸島であるを考えます現在では定説化しています。糸島が。この糸島というのはもともとは律令制下で [続きを読む]
  • 台風が生んだ天孫降臨
  • 歴史は必然が生むのか歴史が進化するかのように流れているこれはたぶんヘーゲルの歴史哲学が生んだ幻想だと思うんです。人類は原始状態から発展し、やがて神権政治となり次に王政となり、次に法治国家の民主主義となる。(このあと共産主義になるというのがマルクス)そうやって発展していくものである。 これは人類の歴史の流れとして必然であり、特定の個人・事件がなくても代替のものが登場し、結局そうなるのだという考えかた [続きを読む]
  • 神武東征は邪馬台国男王の逃亡だった③
  • 神武東征の謎の一つに最初の頃宇佐の次に遠賀川の河口である岡田宮に行ったことがあります。 安芸=広島に7年もいるのですから岡田宮に行かず最初から宇佐から安芸に行けばいいわけですね。わざわざ関門海峡という難所を越えて岡田宮=遠賀川河口のゾーンに行くのはこれは不自然極まりない。軍団を募って合流するために行ったという話があります⇒その場合、やはり安芸に7年、吉備に8年はおかしいですねこの頃周防から宇佐とい [続きを読む]
  • 海神族と天孫族とアマ族「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 倭人は海神族です。海の民。志賀島の安曇氏。宗像の宗像氏など。あと壱岐や対馬や伊勢や丹後の赤坂今井古墳も海の民の古墳でそのすぐそばに海部氏の本拠地元伊勢神社がありますね天皇家という家を考えるならそれはアマ族であり、海神族の連立政権 海部氏というのは丹後が本拠ですがなぜだかぼくのふるさとの大分県臼杵市から大分市にかけても海部氏の古墳がありますし、生まれたところの旧地名はまさに海部郡です。九州の瀬戸内科 [続きを読む]
  • 厩戸皇子:聖徳太子の役割「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 聖徳太子の登場前の時代空白の4世紀には朝鮮半島と深く関わる多くの出来事があったのだろうと思います。 その結果、倭の五王の時代にも倭軍は半島で大きな勢力の一つであった。 その結果として倭軍の支援の欲しい百済から仏教が伝来したのではないか。 この200年以上にわたる一連の半島と列島の歴史の中で、 厩戸皇子が 聖徳太子が 登場します。 それはまさに登場だったのではないか。 南朝とも百済とも新羅とも違う仏教のあり [続きを読む]
  • 古代の渡来人ってなんだ?「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」
  • 古代の渡来人について対馬海峡の両岸には同じクニがあったと考える方が人間の営みとして必然か。そうするとわざわざ日本に行こうという心理ではなくて、対馬の半島南端ゾーンに来たら、海の向こう側のゾーンに行ってむる。いや対馬や壱岐に行こうとする。 つまり渡来するのは列島にではなくて対馬海峡両岸ゾーンすなわち倭の地に対してであり弁韓任那に来たらそこはもう倭であるということ。倭に来たら対馬と壱岐の船で自由に九州 [続きを読む]