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2018/02/25

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  • 有名人

    自分の中だけの有名人がいる。 服のコーディネートがちょっと普通じゃなくて、踊っているような歩き方をする高齢女性。 その方が、先日すれ違いざまに「今日は、雨降るかしら?」と聞いてきた。 トキメキに近い動揺を覚えたが、そんなことは隠して「予報だと10時頃から降るみたいです。」と答えたら「え?!10時?でも、雨も降らなきゃね。」と言って立ち去った。 夢のような出来事だった。 そして今日、別の個人的な有名人と対話してしまった。 レジの前に並んでいた中年男性で、身なりはさして目立ってはいないけれど、少し外国人的な顔立ちが印象に残るタイプ。 何かカゴに入れ忘れていた物があったようで、「お先にどうぞ。」と順…

  • 減らす

    服を減らす。 道具を減らす。 やらなくてはいけないことを減らす。 考えることを減らす。 人づきあいを減らす。 言葉を減らす。 言葉を減らす。 言葉を減らす。 にほんブログ村 こころの風景

  • こだわりを捨てて

    仕事、用事など、他の人にゆだねられることを考えてみる。 少しの勇気で実現できそうだ。 そうすれば、長年こだわっていたことが、軽やかに飛び立っていく。 そして、自分の中に生まれた空き地に、いつの日か種を蒔きたくなるかもしれない。 でも、焦らず、無理をせず。 にほんブログ村 こころの風景

  • 食への想い

    悪いことを思わぬように、元気な心と体になりますようにと祈りながら調理をしたい。 素材の命をいただけることに感謝しながら。 にほんブログ村 こころの風景

  • 新しくなった自分

    サンカルパやヨガ、フェルデンクライスメソッドを続けて、変わるべきところに気づき、実行できた。 簡単に言えば、お人好しなところがあった。 気を遣いすぎ、繋がりを持とうとし過ぎていた。 以前記した「挨拶を返してこない人」は、こちらがやや構えていてもその人の方から笑顔で挨拶してくれるようになった。 わたしが自然体になってきたからだろう。 もっと簡潔に多くを望まず生活していけばよいのだと思う。 にほんブログ村 こころの風景

  • 過去の自分を振り返る

    過去と言っても、ほんの6ヶ月くらい前の自分。 でも、とても違う自分として客観視できる。 一言で表現すると「お人好し」。 なぜそうだったかというと、嫌われたくない、八方美人でいたいという深層心理があったからだ。 だから今は、嫌われることを恐れない。 人はたくさんいる。 自分と波長の合う人が必ずいるし、今いなくても無理せず自然体で生きていれば近い将来に出会うことが出来る。 そう思って日々を送っている。 にほんブログ村 こころの風景

  • サンカルパの変化

    少し前までは心を強くすることが何よりの目標だったが、今のサンカルパは「自然体で生きる」と唱えている。 強い心へと変化をしたことを自覚していてそれが自然な状態なので、これからはその状態を維持してい行こうと思っているのではと自己分析する。 変えようと思えば変えられるという自信がついた。 にほんブログ村 こころの風景

  • 今よりお金が無くなったら

    裕福の線引きは、すべての人に共通ではない。 上を見ればキリが無いし、裕福の意味をどうとらえるかで全く違ってくる。 金銭的な面のみで考えるか、心や環境のことを重視するのか。 収入がそれほど多くなくても、裕福な心を持っていられることは事実だ。 逆に手持ちのお金が限られると、自分が何について価値を高めているのかということが明確になってくる。 今よりもっとお金が無くなったらどういう生活をするだろう。 1.余り布を使って手縫いでサブバッグを作る。 2.安い小さな花の苗を買ってきて、ベランダで育てる。 3.公園へ行って森林浴をする。 4.自宅でするヨガの時間を増やす。 5.丁寧な料理をする。 こうしてあげ…

  • 雑草を愛する

    雑草は愛らしい。 葉の形、生え方やはびこり方、葉色のグラデーションなど。 雑草のアレンジメントをされている人のインスタを見て、わたしもチャレンジしてみた。 すっきりしてまさに自然体で、見ていて癒やされる。 お金をかけないでこんな素敵なことができるって、幸せだ。 にほんブログ村 こころの風景

  • サンカルパの効果

    1ヶ月ほど前にきつい言葉を投げかけられ心が乱れた。 眠りのヨガでサンカルパを「強い心を持つ」と唱えた。 5回くらいやっただろうか。 そして、実行した。 優柔不断にならず自分のNOを貫いて意思を伝えることが出来た。 それは、「いい子」を捨てるということにもなる。 出来た事実が重なれば、潜在意識を呼び覚ました真の自分に生まれ変わることが出来る。 にほんブログ村 こころの風景

  • 人間がわかっていること

    人間が解明したと思っていることは、自然界のほんの一部に過ぎないのではないか。 人間が解き明かせないことを否定ということで結論付けてしまうのは、人間の勝手な判断、おごりだと思う。 にほんブログ村 こころの風景

  • 最近のサンカルパ

    サンカルパは、ヨガニドラ(眠りのヨガ)を行うときに心の中で唱える言葉。 今望んでいる心のありよう、あるいはプライベートや仕事で望んでいることを覚えやすい短い言葉で念じる。 その言葉は永遠に同じではなく、その時々で変わるのが自然だ。 最近は「自分の意見をその場で言う」だ。 その場でというのが苦手なのである。 つい言いたいことを飲み込んでしまって、後でメールや電話で反論したりする。 そのあたりを改善したい。 にほんブログ村 こころの風景

  • 断捨離

    物だけでなく、人間関係も軽快にしていきたい。 自分の気持ちに逆らわず、おつき合いを切ってもよいと思えば実行していい。 気づかれないくらいに、さりげなく。 にほんブログ村 こころの風景

  • 親と自分

    親を嫌いになるということは、自分を嫌いになるということなのか? 違う。 親と自分は、血は繋がっていても別の人間。 親のことは少し離れたところから見る気持ちで、冷静に。 にほんブログ村 こころの風景

  • 「あん」を観て。

    「わたしたちはこの世を見るために聞くために生まれてきた。 だとすれば、何かになれなくてもわたしたちは わたしたちには、生きる意味があるのよ。」 命が限りあることを実感したとき、まず思ったのは「死んだら何も見られなくなるんだな。」ということ。 だから、この言葉には切実なものを感じる。 にほんブログ村 こころの風景

  • 強いとは

    強い人間とは、どうゆうことなのだろう。 強いは優しいを伴っていなければならないのでは。 でないと、他者を傷つけることになってしまうと思う。 でも、傷つけまいと思うあまりに自分を痛めることも。 わたしはこれから、少し他者より自分を大事にしたい。 静かに自分の意見を言える人になりたい。 にほんブログ村 こころの風景

  • 外食

    最近、気に入っていたお店の食事が少し美味しくなくなってきた。 季節の野菜をふんだんに入れて作るパスタが美味しかったイタリアンは、炒め過ぎの野菜が気になる。 蕎麦屋は、どんぶりと冷したぬきにがっかりした。 2店舗で感じたということは、自分の味覚の問題だろうか。 自宅で料理することが増えた。 自分の料理はけっこう美味しいということに、気づく。 にほんブログ村 こころの風景

  • 食材のことを思う

    ひとつの食材に対して、一番美味しく食べるにはどうしたらよいだろうと考えると、おのずとシンプルで豊かな味の料理が出来る。 にほんブログ村 こころの風景

  • カラスの子ども、その後。

    15日(火)に、カラスの子どもが保護されている公園の前を通った。 保護に使われていたゴミ収集箱が無くなっていた。 周辺もきれいで、高い木の上から見ていた親カラスも居なくなっていた。 無事に飛び立てたのだろうか? どうなったのか、聞いてみたい。 ネコの世話をしている人に会ったら、たぶん知っているだろうから問いかけてみようと思ってる。 今は、よい方に考えるしかないだろう。 にほんブログ村 こころの風景

  • 思いがけない展開

    翌々日の10日(木)、カラスの子どもの様子を見たいような見たくないような気持ちのまま公園へ行ってみた。 気温が低く雨模様だったので、もしや・・・の不安もあった。 あのゴミ箱はあるのだろうか? あった。 傘を広げて、カラスの子どもが雨に当たらないようにしてあった。 そして、水に濡れないように保護されたA4の紙に「カラスの子どもがいます。親カラスが威嚇するかもしれないので、近寄らないでください。」と印刷されてカゴの前に留めてあった。 すごい・・・と思った。本気だ。 そして翌日、また見に行ってみた。 そしたら、市の名前がある工事現場などで使われるコーンが置いてあり、黄色と黒の模様のついた棒が渡してあ…

  • 生きていた

    昨日は、公園に見に行かなかった。 夕方からは、雨が降ってきた。 カラスのこどもは、もう死んでいると思っていた。 今日、自転車で公園の前を走って、横目で見たらゴミ収集の時に使う入れ物が木のそばにあった。 あの中に死骸があるんじゃないかと思った。 2時間後、用事を済ませて再び公園の前を通る。 違う道でも帰ることは出来るのだけど、やはり気になった。 まだあのゴミ収集の入れ物は同じところにあった。 新しい花の苗が、たくさん植えられているのに気がついた。 あまり人気の無い小さな公園だけど、人が出入りしたんだなと思った。 通り過ぎようかと思ったが、思い切って自転車を止めて公園へ入った。 カラスと思われる黒…

  • カラスの子ども

    たぶん3日くらい前だと思うが、犬の散歩で時々歩く小さな公園に黒い塊が見えた。 カラスみたいだ。 ほんの少しだけ羽が動いているけど、頭は沈んだままで尾が無いように見えた。 瀕死の状態。 人に悪戯されたのか、それともネコなのか。 日に当たる地面にいるので、暑くてよけいに苦しいだろうと思った。 でも、なんだか怖くて近くに行くことさえできない。 足が切断されていたりしたらどうしよう、などと憶測してしまう。 結局、何もしないままその場を立ち去る。 10分後くらいに再びその公園の前を通ったら、カラスの姿が無い。 犬の散歩をされている老夫婦の姿が見えたので、その方が日陰に移動してくださったんだろうと勝手に判…

  • 未知の自分

    最近も、人との会話で嫌な気持ちになったことがある。 でも少し前だったら、その原因は相手にあるように判断していたと思う。 しかし、今は自分に原因があると思うようになった。 「あ、また今日も少し話しすぎたな。」と。 それは、自己否定とは少し違う。 生き方を楽な方向に変えていこうというプロセスの途中なのだ。 人を嫌な存在にするより、自分の行動を少し修正しようと考える方が、未知の自分を見つけられるようで楽しい。 にほんブログ村 こころの風景

  • 物差しを捨ててみよう。

    予定の時間より早く着いたので、回り道していて目に留まったメッセージ。 「あなたの心を乱すもの、それは自分が持っているその物差しです。」 答えはひとつではない、自分がよいと思っていることは答えの中のひとつに過ぎないのだ。 人は人、自分は自分。 人のことを気にしすぎない。 人に関わりすぎない。 にほんブログ村 こころの風景

  • 瞑想をして気づいたこと

    瞑想とは脳を休めること。 何も思わなくていい時間は、幸せな時間だということに気がづいた。 瞑想とは、幸せを味わうことなのだ。 にほんブログ村 こころの風景

  • 大らかな自分へ

    フェルデンクライスメソッドの「呼吸のレッスン」で得たもの。 今まで、息を吸い込むとからだの表側だけに空気を入れる感覚でいた。 しかしメソッドでは、体の横や後ろにも空気を入れるようにと指導される。 やってみると「胴体」いう表現を実感できる。 自分の体が一回り大きくなっていくような感覚になる。 それが、少しずつ自信へと繋がっていくのではと予感される。 そして、大らかな精神を持つ自分になっていくという喜びへと繋がる。 にほんブログ村 こころの風景

  • フェルデンクライスメソッドの効能

    指の問題がきっかけで始めることになったフェルデンクライスメソッド。 自宅でも音声データをかけて2パターンを毎日交互に行っている。 所要時間は、30分ほど。 体の前後左右を充分使って呼吸するメソッドで、疲れると息が上がりやすかったのが治り、以前より楽に生活できるようになって嬉しい。 「間違った習慣を壊し、楽に動ける新しい回路を脳に生まれさせる。」というこのメソッドは、体改革だけでなく、精神面にもよい効果があると予想される。 生き方改革まで繋がることを感じた。 ヨガから得た体の使い方が、このメソッドでも大いに役立っている。 にほんブログ村 こころの風景

  • インプットを始めてみる

    溜まった気持ちをブログにアウトプットし続けて、少し落ち着いてきた。 嫌な気持ちを早い段階で消していこうとする作業を、身につけつつあるように感じる。 基本は「自分を責めない。」と同時に「相手も責めない。」 要は、「人ごと」と思うよう努力し、近い将来にはもっと軽い気持ちで習慣化できればいいなと思っている。 そして、新たに「フェルデンクライスメソッド」の個人レッスンを受け始めた。 指の関節が痛み、腫れたり変形したりするヘバーデン結節という持病があり、ピアノを弾くのに少し辛いので、その物理的な悩みとそれに伴って鬱っぽくなる状態を改善したいと思ったから。 即効性があって、予想以上に面白いレッスンだったの…

  • 少し迷う

    前回の記事で、挨拶しても知らん顔する人・・・と書いたその方々(ふたり)が、話しかけてきた。 知らん顔ではなかったのか? 反応がわかりにくい人なのか、顔だけで少し反応する人なのか。 少し、難しくなってきたけど、ならば、わたしもごくごくあっさりした挨拶程度にするのがよいのか? そういう風に悩むことを、そもそもやめればいいのか? また会ったときに、その場でどう反応するか、自分自身を観てみよう。 にほんブログ村 こころの風景

  • 少し過去の自分を振り返る

    今、もっと生きやすいように自分自身の修正をしている。 心に溜めていた想いや言葉をブログにアウトプットしているのも、そのひとつ。 人に不快感を与えないために愛想良くしているのがよいと思っていた。 でも、やり過ぎだったんじゃないかなと最近思うようになった。 挨拶をしても知らん顔の人。 傷つく。 よく考えたら、別に挨拶しなくても問題無いような人だ。 もっと挨拶対象を狭めてもよいんだと思った。 もっと軽快に生きてみよう。 自分を信じる 超訳「北欧神話」の言葉 にほんブログ村 こころの風景

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