暗闇検校の埼玉県の城館跡 さん プロフィール

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暗闇検校の埼玉県の城館跡さん: 暗闇検校の埼玉県の城館跡
ハンドル名暗闇検校の埼玉県の城館跡 さん
ブログタイトル暗闇検校の埼玉県の城館跡
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou
サイト紹介文このブログは、主に私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供201回 / 263日(平均5.3回/週) - 参加 2018/02/27 22:14

暗闇検校の埼玉県の城館跡 さんのブログ記事

  • 鷲神社(茨城県美浦町)
  • 霞ヶ浦は日本第2位の広さを持つ湖として有名ですが、実は、海域とされています。周囲には農地造成や治水を目的とした干拓地がかなりあります。今回行った鷲神社は余郷入という、入り江の出口に突き出した小さな半島に残された小さな山の上にある小さな神社です。現在では余郷入は干拓されてしまいましたが、昔は、しょうゆ工場があり、その荷を下ろす港があったそうです。国道125号線を、美浦町の大山地区に向います。下の写真は [続きを読む]
  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)③
  • 天満宮のある丘の周辺を見て見ましょう。丘の背後に回ると、小さな山になっているのがわかります。なるほど、たしかに島だったんですね。天満宮のある小山の後ろにはもう一つの小山があり、沼地の名残の池が残されています。背後の小山にも何か祀られているようですが・・・。ここが菅原道真公の御廟所だったんですね。ということは、これが天満宮の御神体ということに・・。右側の道を登ると・・・。大黒天が祀られていました。石 [続きを読む]
  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)②
  • 天満宮の本殿です。境内には、親鸞上人礼拝の杉というのがあります。これは、奉納相撲の土俵ですね。解説の碑を見る限り、「お手植えの杉」の方が名前にふさわしいと思いますが。この古木も台風によって、折られてしまったなんて・・・・。ものすごいことですね。残された茅の輪が、祭りの後の倦怠を感じさせます。こういう感性は、ひと時代古いのかもしれませんが。境内では、祭り関係の設備の撤収のための作業が続けられています [続きを読む]
  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)①
  • 菅原道真を祀る大生郷天満宮は、茨城県常総市にあります。訪問日は2018年08月06日です。大生郷天満宮は、道真公の三男菅原景行公の手で作られ、遺骨も納められたことから、日本三天神と数えられています。大生郷天満宮境内ははかつては、飯沼という広大な沼地の島だった場所であり、現在は平野に突如現れた小山のように見えます。大きな駐車場は境内の裏にあります。車はそこに止めましたが、参道側に回り込んでそこからスタートし [続きを読む]
  • 増田館(文珠寺)1986年(旧江南町)
  • 以前、升田館(文珠寺)については、探訪の記事を書きましたが、今回は、1986年秋に訪問したときの写真が見つかったので、記事に致しました。増田館には現在でも大規模な構え堀と土塁が、また、郭内には建造物跡とみられる土壇が残されています。下の写真は、西側、境内裏の構え堀です。下の写真は、土壇を撮影したものです。下は土壇の上に登って撮影したものです。 [続きを読む]
  • 新開氏館跡 1985年②(深谷市)
  • これまで、一度、新開氏館跡について記事を書きましたが、新たに写真が見つかったので、書きたいと思います。新開荒次郎実重の館跡は、東雲寺と大林寺の間にあったとされています。前回記事では、高校の帰りに訪ねたために、夕方の薄暗い写真になっていました。ここで載せる写真は、日を改めて日曜日に訪問した時のものです。当該地は、農地になっており、施設野菜(当時、きゅうりの栽培が盛んだった)のビニルハウスが設置されて [続きを読む]
  • 羽尾城跡 1987年(滑川町)
  • 今回は、羽尾城跡について書きたいと思います。羽尾城跡は、森林公園の南、旧有料道路沿い東側の市野川の北側沿いの、河岸段丘上にできたテラス状の平場上にある方形の小城郭です。これまで、3度ほど訪問したことがありますが、最近は全く行っていないので、現在の状況は分かりません。初訪問は、1985年晩夏のことで、当時は、案内板などは何もないところでしたが、有料道路沿いにあり自転車で訪問したせいもあってか、案外あっさ [続きを読む]
  • 黒澤家住宅(群馬県上野村)
  • 黒澤家住宅は、上野町、万場町、中里村、美原村からなる、幕府天領「山中領」の上山郷の名主総代を務めた旧家です。国指定の重要文化財です。上山郷は将軍の鷹狩用の鷹を献上する地域であり、黒澤家は、お高山を管理していました。その代表的なものが御巣鷹山でした。不二洞のすぐそばにあります。非常に大きな旧家で、日本建築好きの方にとっては、一見の価値があると思います。訪問日:2018年07月31日 [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)⑦
  • 灯の柱を過ぎると、彼の世此の世という場所があって、外の光が差し込んできます。意外に地表の近いところに出てきたようですが、見学ルートはまだ先にあります。つづいて冰石。蛍光灯のもとで氷塊のように見えたところから、その名がついたそうです。LEDで無理矢理冰っぽくなっています。再び、下降していきます。風穴です。冷たい風が吹き出してくる穴で、未知の洞窟が続いている可能性がある場所ですが、現在はあまり注目されて [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)⑥
  • 昨日の弘法の杖ですが・・・うしろから見るとこんな風になります。弘法の杖の斜め向かいには、音楽堂という立派な鍾乳石のカーテンがあります。以前は、たたいて音を聞くことができたのですが、現在は、鍾乳石を保護する忌で禁止行為となっています。上部にはたくさんの鍾乳石があります。ここから、胎内くぐり、産湯の滝、蓮華の塔、灯篭などがありますが、撮影し損ねたようです。もう、後ろの観覧者たちが走って来ます。しかも、 [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)⑤
  • ここは死出の山。粘土が堆積しています。この辺りは粘土の多いエリアです。針の山細い鍾乳石が針のように並んでいます。そして、亡者の穴です。この穴は粘土質の横穴です。暗い穴で気味が悪いですね。大日嶽、如来堂、六地蔵と自然の造形物が続きます。六地蔵です。鍾乳石が地蔵に見えますね。そして、弘法の杖。巨大な鍾乳石です。もう手ブレしまくりですね。 [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)④
  • さて、竜王の滝というのがあって、水穴の奥の岸壁ですが、LEDの効果で神秘的にはなっていますが、訳が分からなくもなっています。このあと、三界の橋というのがあります。鍾乳石の作った天然のアーチということですが、「じょうずにくぐり抜けてください」とあるので、この狭い穴がそうなのでしょう。だんだん、名前がおどろおどろしくなってきました。大きな石柱が見えてきました。閻魔の金剛杖という洞内屈指の見所です。日暮し [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)③
  • 不二洞の20年ほど前のパンフレットを見つけました。不二洞内には、様々な景色に名前を付けているわけですが、洞内の状況変化によってなのか、景色の数が減っているようですね。さて、コウモリグアノがある場所の奥には、禅堂の間という場所があり、そこには入定した、悦顔上人の墓所があります。ここを見るのが目的だったわけですが、写真はあまり良いものがとれませんでした。このコースには以前は、雲上の景というのがあったよう [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)②
  • 秩父地域は石灰岩が豊富に産出することで知られ、特にその代表は武甲山です。武甲山のふもとには橋立鍾乳洞というのがあり、ここも宗教遺跡的な意味合いを持っているのですが、行ってみるとかなり窮屈で狭いものです。ところが、不二洞の規模たるや、橋立鍾乳洞とは比較にならぬ有様です。昨日、紹介の空穴ですが、これが主洞とされるのは、旧入り口から入ると間もなく、この縦穴が真下に落ちているためです。わたしたちは、縦穴の [続きを読む]
  • 不二洞(群馬県上野村)①
  • 群馬県上野村にある不二洞は関東最大の鍾乳洞であると同時に、宗教遺跡でもあります。私も過去数回、不二洞に行ったことがありますが、久しぶりに訪問いたしました。鍾乳洞というよりも、宗教遺跡としての面を重視しての探訪です。2018年07月31日の訪問です。不二洞は群馬県の下久保ダム沿いを経由して、神流川をさかのぼり恐竜の足跡の化石で有名な神流町恐竜センターのさらに奥にあります。新道は非常に整備されていますが、そこ [続きを読む]
  • 宗悟寺と森川氏墓(東松山市)
  • 比企氏遺跡群の近くには、宗悟寺という寺院とそこにある徳川幕府重臣の森川氏墓所があります。既に多くの方のブログなどで取り上げられていますが、わたくしも記事にしてみたいと思います。訪問日は2018年07月29日です。宗悟寺は森川氏の開基になるお寺です。実は、この宗悟寺と私の母方の祖母が懇意にしていたため、和尚さんの話をよく聞いていました。ビールは麦般若と呼ぶらしいですね。まあどうでもいいのですが。私が中学生の [続きを読む]
  • 比企能員館跡と比丘尼山(東松山市)
  • 今日は、比企能員館跡と比丘尼山ということで、若干の下調べ見学について書きたいと思います。源頼家の舅であり後見人でもあった比企能員は、頼家謀殺の後、北条時政に謀られて命を奪われました。頼家の側室であった若狭の局は、比企氏の根拠地であった当地に隠棲します。普通こんな無念な滅び方をしたら、祟りの一つや二つあってもおかしくないよね・・・。それはともかく、比企氏の館(比定地の一つ)が谷津の奥のゴルフ場の中に [続きを読む]
  • 比企能員館跡と串引沼(東松山市)
  • 中学生時代以来、30年以上の時を隔てて、比企能員館跡と串引沼に行ってまいりました。冬場の調査の下ごしらえという感じです。訪問日は2018年07月29日です。比定地についてはいろいろ変化もあるようですが、中学生時代に地元の方々のご教示頂いたように、串引沼の対岸、ゴルフ場内の丘の上にあるということで、再訪しました。国道から細いわき道をはいっていくのですが、道端には石造物があります。道路開発が進み、館跡との距離感 [続きを読む]
  • 諏訪神社(江南町)
  • 今回は、旧江南町にある諏訪神社です。訪問日は2018年08月11日です。諏訪神社は、旧江南町の上新田地区にあります。最近、本殿が市の文化財に指定されました。本殿の装飾が非常に優れているとされ、妻沼の聖天堂を造営にかかわった三ヶ尻村の内田清八郎が棟梁となって作られたものだということです。尤も、本殿は外部からは見ることが出来ません。これは、拝殿です。解説板には本殿のことが書かれています。地味にすごい神社です。 [続きを読む]
  • 山崎城(滑川町)③
  • さて、稜線に沿って、東西を横切っていた土塁・空堀は南に曲がって斜面を下ります。東西に走っていた土塁・空堀よりも、やや浅くなっています。斜面の起伏もあるので、空堀の中は結構歩きにくいです。下の写真の辺りで、土塁と空堀が小さな方形の郭状の遺構を作っているらしいのですが、夏場でもあり、やぶのようになっています。空堀内の歩行も困難になったので、梅園内に上がります。梅園内の写真を見ると分かるように、城内はか [続きを読む]
  • 山埼城(滑川町)②
  • さて、山崎城跡のある庭園入り口に到達すると、そこには土塁と空堀とはっきりわかる遺構があります。かつては、わかりにくいやぶの中にあって遺構の規模もはっきりしなかったのですが、非常に見学が容易になったわけです。山田城と同じく、空堀の中を歩きながら、東に向かって見ていきたいと思います。これだけのものが山林の中にあるのを発見したならば、きっと感激するんだろうなあ・・・などと思いながら歩きます。両側が高く盛 [続きを読む]
  • 山埼城(滑川町)①
  • 今日は、滑川町の国営武蔵丘陵森林公園内にある城跡の一つ、山埼城について書きたいと思います。調査日は2018年08月18日 です。山崎城は、山田城とともに森林公園内にある城です。山田城と同じく南口近くにあります。規模は山田城よりもはるかに大きく、鎌倉街道沿いの南斜面の広範囲にわたって土塁と空堀を残しています。現在は、梅園として整備されたために、遺構の確認が容易になっています。山田城下の旧鎌倉街道を進むと解説 [続きを読む]
  • 須賀広陣屋跡 1987年(旧江南町)
  • 須賀広陣屋は田村陣屋とも呼ばれ、田村氏の居館であったといわれています。須賀広陣屋跡は、現在でも比較的遺構がよく残されています。さて、ここに紹介する写真は1987年の写真です。須賀広陣屋の池とつながった水堀は須賀広陣屋のシンボルと言っていい存在です。中に小島があります。下の写真は須賀広陣屋内の社の周囲の水堀を撮影したものです。須賀広陣屋の水堀はなかなか規模が大きく、印象的だと思います。 [続きを読む]
  • 霊山院(都幾川村)
  • 都幾川村にある霊山院は、慈光寺のある山の奥にあります。建久8年(1197年)創建の、東日本最古の禅寺とされ、慈光寺の塔頭です。霊山院は庭が見事です。訪問日は2018年08月01日です。庭師さんが手入れの真っ最中でした。境内は非常に静かで、はさみの音だけが聞こえてきます。文化財に指定されている石塔婆です。境内の外にある駐車場の脇にあった祠です。ハチがうるさくて、危険なので近づけませんでしたが。 [続きを読む]
  • 永田城 1988年(秩父市)
  • 秩父札所22番永福寺の境内にある城跡が永田城跡です。荒川本流と支流の沢の合流点にできる舌状の河岸段丘を水堀で切り離す築城方法は、黒沢民部城とよく似ています。永田城は新年に父と一緒に訪問しました。永福寺前にある有名な水堀の水は少なくなって、中には冬枯れの葦が茂っていました。 [続きを読む]