もなか さん プロフィール

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もなかさん: 場面緘黙と、これから
ハンドル名もなか さん
ブログタイトル場面緘黙と、これから
ブログURLhttps://ymonaka.hatenablog.com/
サイト紹介文緘黙症だった頃の記憶を中心に綴っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供25回 / 53日(平均3.3回/週) - 参加 2018/03/01 01:41

もなか さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • ぽかぽか陽気
  • お花を見に行った。天気が良くて暖かいと出掛けたくなる。全然関係ない話だけど、私は真顔でいると話しかけづらい雰囲気があるらしい。何故か心配されることもある。だから人と話すときは表情にとても気を遣っているのだけれども、やはり緊張しているときは表情が固いらしい。いつも笑っているような穏やかな表情になれたら良いのにな。 [続きを読む]
  • 進路
  • 高校卒業後の進路にはとても悩みました。私が行っていた高校は、進学する人と就職する人の割合が半々くらいでした。心理学を勉強したいと思っていたものの、もう学校に通うのは嫌だという気持ちのが強く、進学は考えませんでした。就職についても、厳しい状況でした。担任の先生から「あなたには就職の面接は厳しいと思う」と言われ、就職を引き留められる形になりました。学校での私を見ていて、先生は私には面接が厳しいと思った [続きを読む]
  • アルバイト
  • 中学の時と違い、高校では緘動がでることはなくなりました。緘動がなく、お弁当も食べられたことからそれまでと比べると学校生活は楽なものになりました。コミュニケーション面については人並み以下といった感じで、自然に笑うことも、自分から話題をふることも殆どできず、何気ない質問にも何て返事を返せば良いのか考えてしまって、答えに時間がかかっていました。クラスの子は優しく、中学のときと比べてからかわれることは全く [続きを読む]
  • 体育
  • 高校で1番苦労したのは、体育の授業でした。体育や家庭科の調理実習など、グループで行うものがとても苦手でした。体育の授業は週3回あり、その度に憂鬱でした。高校の体育の授業はゆるい感じで、好きな子とグループを作ってバドミントンやボール投げの練習をすることが多かったです。まずグループに入るのが大変でした。自分から「一緒にやって良い?」と言うことに凄いエネルギーが必要でした。グループに入れてもらっても、運 [続きを読む]
  • 上手くできなくても良い
  • 高校で自分の思うように話せず、落ち込む毎日でした。とりあえず、何か話しかけられたら声が小さくても良いから返事をすること挨拶を返すこと何かして貰ったらお礼を言うことそれだけはやれるように頑張ろうと思いました。「話すのが苦手でも、一生懸命話してくれる人に悪い感情を抱く人はいない」と支援学級の先生が言っていた言葉を思い出し、「声が小さくても上擦ってもスラスラ話せなくても良いから、頑張って話そう」と考える [続きを読む]
  • 第3の難関
  • 高校入学後、第3の難関がお昼でした。中学では給食を全く食べられなかったので、高校でお昼を食べられるか、緘動がでないかが心配でした。それに加えて心配だったのは、一緒に食べる人がいないということ。既に仲良しグループが出来上がって来ている中、私はまだクラスの誰とも話していませんでした。誰かに話しかけよう。話しかけて仲良くなるならお昼がチャンスだと思いました。お昼時間になり、心臓はドキドキ。とりあえずお弁 [続きを読む]
  • 高校入学後
  • 高校は周囲から通信制に行くことを勧められたけど、普通校に行くことに決めました。高校に行ったら話すんだ。普通になるんだ。そんな思いが強かったので、通信制高校という選択肢は自分の中にはありませんでした。今考えると通信制を選んでいたほうが無理なくステップを踏めるので緘黙の治療には良かったのかもしれません。県立高校に進学し、最初の難関は入学式でした。新入生の名前が一人ずつ呼ばれ返事をしないといけなかったの [続きを読む]
  • 初めて学校で話せた
  • 特殊学級に在籍するようになり月日は流れて、3年の終わり頃、特殊学級の先生と話せるようになりました。といっても、その先生と二人きりの時じゃないと話はでなかったし、先生も忙しかったのでそういった機会は少なかったのですが、それまで誰に対しても無言だった私にとって、とてもとても大きな変化でした。なぜ、話せたのか?ハッキリとは分かりません。特殊学級という場所が、教室よりも安心できる場所で不安感が減ったこと。 [続きを読む]
  • 再登校
  • 退院して、しばらくの自宅療養後、再び学校に登校するようになりました。母がスクールカウンセラーの先生に色々と相談してくれたようでした。再登校後、転機が訪れます。学校に行くと、緘動で給食が食べられないこと、摂食障害もまだ完治していなかったことからお昼は家で食べた方が良いと言われました。また、緘動の状態で一日を過ごすことは負担が大きいからしばらくは午前中のみの登校にすることになりました。摂食障害の発症を [続きを読む]
  • 病院②
  • 最初は不安で退屈で仕方のなかった入院生活にも次第に慣れていきました。入院中は本をたくさん読みました。当時はまっていた作家はシドニィ・シェルダンやダニエル・スティール、アガサ・クリスティーといったミステリー作家。シドニィ・シェルダンやダニエル・スティールの本に出てくるヒロインは何故か決まって才色兼備。漫画や本のキャラクターから影響を受けやすい私は、そんな才色兼備のヒロインに憧れ勉強のモチベーションを [続きを読む]
  • 優しさ
  • 人に優しくするのって、心が強い人こそできることなのかもしれない。心が強いの定義もよく分からないけど、自分に余裕がないと人を心から思いやることは難しいと思う。私はそうだった。思いやる行動はできても、心から思いやれてはいなかった。鬱の兄弟に対しても「いいよね。病気だと周りから気を遣ってもらえるんだから。周りに迷惑をかけても病気だからで許してもらえるんだから。」と内心思っていたことがあった。そんな思いは [続きを読む]
  • 病院
  • 病院に行くと、即入院することになりました。そこから約3ヶ月程、入院生活が始まりました。入院生活は不安でした。一日中家ではない環境にいることや、困ったことがあっても自分から伝えられる自信がなかったからです。病院でも緘黙と緘動の症状はでました。看護師さんが部屋に入ってくると、途端に緊張して固まり話せなくなる。それでも看護師さんはみんな優しく、当時はとても憧れて将来看護師さんになりたいと真剣に考えたこと [続きを読む]
  • 中学入学後
  • 中学入学後は、ひたすら耐える日々でした。話さず、給食も食べず、席から動かず固まったように座っている私はクラスメイトから面白がられ、からかわれるようになりました。「何で話さないの?」「喋ろよ」「そいつに話しかけても無駄だよ」「シカトするな」「きもい」「病んでる」緘動で動きが遅かったので「トロトロ歩いてんなよ。邪魔なんだよ!」と怒鳴られたり。そんなことを度々言われ、からかいはあったけど、いじめと言うほ [続きを読む]
  • 家族について
  • 母と兄弟は過去に鬱病を発症しています。私が小学1年〜3年辺りまでは母が鬱で、母が落ち着いてきた頃に兄弟が鬱を発症しました。そういった母や兄弟を見て育ったことは私の性格に少なからず影響を与えていたと思います。家族は私みたいに話せないといった症状はなかったものの、それぞれ私とは違った形で人と関わることに困難を抱えている人達でした。みんな性格は違っていたけれど、精神疾患に陥りやすい考え方だけは共通していた [続きを読む]
  • 何も分かっていない
  • 先日、久しぶりに実家に帰りました。今の私は結婚し地元を離れ、夫と一緒に暮らしています。緘黙の話すことができないといった症状がでることは、現在は殆どありません。ただ、対人恐怖が強く人と関わることが苦手で、人と会うとすごく疲労するところはあまり変わっていません。先日、夫と一緒に実家に帰ったときに、父に会ったのですが相変わらずというか…夫に「昔の私は大変だった」という話を始めたのです。夫は私のことについ [続きを読む]
  • 緘黙の症状が出始めた頃
  • 学校に行きたくない理由を母に話した後、私は1週間程学校を休みました。だけど母はこのまま私が学校に行かず不登校になってしまうことや、小学生の子どもを昼間1人で家に居させておくことが心配だったようで保健室に登校しなさいと言ってきました。保健室に登校している生徒は私だけで、知り合いが保健室に来るたびに「何でここにいるの?」と聞かれたり、ジロジロ見られるのが恥ずかしくて嫌だったけど、それでも教室に行くより [続きを読む]
  • 自信をなくした出来事④
  • 公園に向かった私は、学校が終わる時間までここにいようと考えました。だけど、小学生が昼間に1人で公園にいることを心配した近所の人が学校に連絡をしたようで、一人の先生が公園に来ました。その先生は私を見ると「何で公園にいるの?」と聞きました。怒っている口調でした。私が何も言えないでいると、「近所の人から連絡があって来たんだよ。今は学校にいる時間なのに何で公園にいるの?」とさらに強い口調で聞かれ、「体調が [続きを読む]
  • 自信をなくした出来事③
  • 夏休みに入ると、私はそれまでが嘘のように元気になり毎日のように遊びに行きました。友達と一緒に夏休み限定の学習塾に通ってそこで勉強した後は、友達と遊んで家に帰るといった日々でした。元気な私の様子に母も安心したのか、学校のことはあまり聞かれなくなりました。だんだん夏休みが終わりに近づいてくると、不安が大きくなって気持ちが落ち込んでいたけれど、それを表には出さないようにしていました。夏休みの最終日、死ぬ [続きを読む]
  • 父の言葉
  • 私が学校に行けない理由を言い出せなかったのは、父の言葉も影響していたと思います。父は仕事熱心で、子どものことは母に任せっきり、それに加え無口で1人でいることを好み子どもと自分から関わろうとすることのない人でした。私が登校拒否をしていることを、母が父に愚痴ったのだと思います。ある日、普段話しかけてくることが滅多にない父が突然私の所に来て、怒った口調で言いました。「お前、学校に行ってないんだって?」そ [続きを読む]
  • 自信をなくした出来事②
  • 病院に行って健康そのものだと判明した後は、仮病を使って学校を休むことはできなくなりました。学校に行かなくちゃいけない。それは分かっていても、学校に行くことを気持ちが強く拒否していました。毎朝、支度してランドセルを背負っても家からなかなか出られない。母に「もう学校に行く時間でしょ」と言われてノロノロと出かけていました。だけどある日、どうしても家から出られずランドセルを背負ったまま固まってしまいました [続きを読む]
  • 自信をなくした出来事①
  • 人見知りが激しく、友達ができにくいといった問題はあったものの、私は楽しく学校に通っていました。だけど、小学6年生のときに初めて登校拒否するようになりました。その時は、楽しかった学校がとても辛い場所に変わっていました。(その理由はこの記事では省きますが、徐々に書いていくつもりです)とにかく、学校に行きたくない。学校に行くことが不安で怖くて、朝起きて支度してランドセルを背負っても家から出ることがなかなか [続きを読む]
  • 人見知りの激しい性格だった
  • 前記事に書いたように、子どもの頃から人見知りする性格でした。仲良しの子と、そうじゃない子の前では態度が別人のように変わっていました。意識的にそうしていたわけでなく、自然体でいたいと思っているのに親しくない子に対しては緊張して普段の自分を出せなかったのです。小学生のとき、登校班で一緒だった子とは殆ど会話をしませんでした。自分から話しかけることができず、基本的に話しかけてくれた子と仲良くなっていました [続きを読む]
  • 略歴
  • 私が緘黙を発症したのは中学に入学してからです。それまでは、仲良しの子の前ではすごくお喋り。だけど、あまり話したことのない子に対しては無口になる。仲良しの子以外には自分から話しかけられない。といった人見知り傾向があって友達は多くなかったものの、普通に喋れていました。中学入学〜高校卒業するまで、学校では全く話せませんでした。全く話せなくなったのは中学に入ってからですが、その前(小学6年時)から緘黙の症状 [続きを読む]
  • はじめまして
  • 場面緘黙だった頃の記憶を少しずつ書いていきたいと思います。※ネガティブな記事を投稿することもあると思います。苦手な方は読むのをスルーしていただければと思います。にほんブログ村 [続きを読む]
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