シェアル・ヤシュブ さん プロフィール

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シェアル・ヤシュブさん: 遠くの神
ハンドル名シェアル・ヤシュブ さん
ブログタイトル遠くの神
ブログURLhttp://decree.at.webry.info/
サイト紹介文「わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。」(エレミヤ書23:23)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 57日(平均2.1回/週) - 参加 2018/03/09 02:17

シェアル・ヤシュブ さんのブログ記事

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  • 「遠くの神」の意味
  • エレミヤ書23章23節の「遠くの神」の「遠く」とは、いかなる意味で遠いということなのであろうか?ある説教では次のように語られている。「遠くの神、遠くからの神というのは、そのあとの言葉をみますとこうなっております。『誰かが隠れ場に身を隠したなら、わたしは彼を見つけられないというのかと主はいわれる。天をも地をも、わたしは満たしているでないかと主はいわれる』。これをみますと、遠くからの神ということは、ど [続きを読む]
  • 「遠くの神」の意味 Ⅱ
  • 並木浩一著『人が孤独になるとき』(新教出版社)の中に、「遠くの神ではないのか」と題された章がある(p24〜)。その中でこのように述べられている。テクストはエレミヤ書23:23〜32節。岩波(関根清三)訳では以下の通り。 [続きを読む]
  • 聖定の主なる神 (2)「ウ・大教理問答書講解」の神観
  • 私は、(厳密にはJ・カルヴァン自身の神観と合致するか否かはともかく)「ウェストミンスター信仰基準」の神観、ひいてはヨハネス・G・ヴォス博士が著し玉木鎮牧師が訳した『大教理問答書講解』の神観に共感する(但し、三位一体の理解などについては別)。なぜなら、改革派系のバルト神学にせよルター派系の北森神学にせよ、救済論とキリスト論に偏重した聖書解釈ないしは「福音」主義神学は「民主的神」観に堕す傾向があること [続きを読む]
  • 聖定の主なる神 (5)信仰とは神賛美なり
  • 私が、信仰的立場は違ってはいてもその信仰者としての生き方に学びを与えられた人物のひとりに原崎百子さんというクリスチャンがおられる。<ガンで召された一人の牧師夫人(日本基督教団)・原崎百子さんの『わが涙よ、わが歌となれ』という書物のことを思い出します。この中には読まれた方もおられることでしょう。原崎百子さんは、肺ガンの中でも最も悪性のガンに冒されて、とても苦しい闘病の末、1978年8月10日に天に召されま [続きを読む]
  • コーヘレトの遠くの「神」
  • 私が思う「遠くの神」のイメージとして、聖書の中で最も合うのは、一書としてはコーヘレト書に示される「神」である。有賀鐵太郎氏は、コーヘレトの神は「自己啓示の神ではなく、全く自らを隠す神、近き神ではなく遥かなる神である」と述べている(『キリスト教思想における存在論の問題』〔創文社〕第一部「ヘブライ思想における特殊性と普遍性」の「第三章 コーヘレト哲学」〔p97〜〕)。そして、「コーヘレトは神をただ天上高 [続きを読む]
  • 神観研究 ― 「超越/内在」、「人格/非人格」 ―
  • 関根清三氏によると、イザヤ書57章15節は、前半で神の「偉大さと超越」、後半で神の「低さと内在」を述べており、両者相俟って「聖書的な神観の一つの到達点」を示しているという。すなわち私は当ブログや兄弟ブログの「全一者」で探求している「聖書的神観」・・・実際的要請により聖書を通して啓示され、聖書から導き出される神観・・・というものは、「偉大なる神/低きに下る神」と「超越する神/内在する神」という二面性 [続きを読む]
  • たとい神がアンフェアであっても
  • 信仰は人が必要に迫られ縁あってなすもの。この物質世界の競争社会において人は優劣比較意識があり自尊欲求が強いからこそ、ちょっとしたことで争いごとになる。だからその世間的価値観を相対化する世界観が実践的に要請されるのだ。ところで、「スピリチュアリズム普及会」のサイトで、「物質界も含めて幽界も霊界の各界層も、すべて一つの場に存在している」と言われている点は(http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sp-introduc [続きを読む]
  • 「十字架の神学」の詭弁
  • 「ただ遠く十字架を眺めて瞑想する十字架の神学より、十字架の事実そのものに肉迫することが必要であると信ずるのであります。」(小田切信男著『キリスト論・ドイツの旅』〔紀伊国屋書店〕p338)「十字架の神学」という表現は宗教改革者のルターに由来するらしいが、それまでのカトリックの「栄光の神学」に対するものだったようだ。現代の「十字架の神学」においては神義論的問いに対する答えを「神の共苦」に求め、それによって [続きを読む]
  • キリスト教における迷信
  • 自分がカトリック教会ではなくプロテスタント教会に属する理由は、カトリック教会には化体説をはじめとする迷信が多いからだ。これにより、次のようなバカげた小説も出てくることになる。北森嘉蔵著『文学と神』(日本の薔薇出版社)より引用する。(以下、引用開始)福音とは、結びついてはならないものが結びついたという音ずれである。ところで結びついてはならないものが結びついている点で、石川淳の文学に匹敵するものが他に [続きを読む]
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  • {%キラリwebry%}「全一者」http://inri2009.at.webry.info/ [続きを読む]
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