太田道灌 さん プロフィール

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太田道灌さん: 江戸城
ハンドル名太田道灌 さん
ブログタイトル江戸城
ブログURLhttp://edojo-honmaru.seesaa.net/
サイト紹介文江戸城(皇居)についての情報ブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供18回 / 123日(平均1.0回/週) - 参加 2018/04/02 14:30

太田道灌 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 四谷見附跡
  • 四谷見附は、江戸城36見附の一つで江戸城西側の外堀の市ヶ谷見附と喰違見付の間に位置し、甲州街道と青梅街道につながる、重要な交通拠点です。四谷の名前の由来は、4軒しか家がなかったとか4番目の谷だった(市ヶ谷は1番目の谷)とか言われています。今では、石垣の一部しか残っていませんが、枡形の門で四方を石垣に囲まれて、高麗門の渡櫓門の二重構造の外桜田門や大手門同様の頑強な防御拠点でした。真田信之が建築したと言わ [続きを読む]
  • 喰違見付跡
  • 喰違見附は、江戸城外堀の赤坂見附と四谷見附の間にある門で、江戸城の見附と呼ばれる城門は、枡形門という高麗門と渡櫓門の二重構造の門が多い中で、喰違門は、虎口と呼ばれる土塁を前後に伸ばして、その間に門を築いた城門でした。喰違門付近は、江戸城西側の外堀辺りで最も高い場所で、外堀が造られる前から、何らかの建築物があり、防御拠点として機能していたと思われます。喰違門の内側にはホテルニューオータニがあります。 [続きを読む]
  • 赤坂見附跡
  • 赤坂見附は、江戸城の外堀にあった門の一つです。見付とは、城の外郭に位置して外敵の侵入を防いだり外敵の接近を見張るための城門です。赤坂見附は江戸城の他の門と同様に石垣と高麗門と渡櫓門を組み合わせた枡形と言われる防御施設でした。現在は、石垣の一部が残っているだけで、高麗門や渡櫓は取り壊されています。赤様見附跡の西側には、弁慶濠が現存しています。 [続きを読む]
  • 半蔵門
  • 半蔵門は、江戸城内郭の西側の吹上につながる門です。江戸期には半蔵門は枡形の高麗門と渡櫓門の二重構造でしたが現在は渡櫓は撤去されています。皇居の通用門として利用されています。半蔵門という名前は、徳川家康の三河時代の頃のからの家臣服部半蔵とその一族がこの付近に屋敷を構えていたため付けられたと言われています。北の丸付近や桜田門付近より深く広い濠になっています。 [続きを読む]
  • 北桔橋門
  • 北桔橋門(きたはねばしもん)は本丸の北側の門です。皇居東御苑の北側の出口で北の丸公園につながります。太田道灌が江戸城を居城していた時にはこの門辺りが大手だったようです。本丸側の北桔橋門です。入る時には簡単な手荷物検査があります。入るとすぐに天守閣跡の裏が見えます。北桔橋門辺りの濠は約18mと非常に深く、江戸期には跳ね橋だったようで、堅牢な門だったようです。 [続きを読む]
  • 平川門
  • 平川門は、江戸城三の丸の北部にある高麗門と渡櫓門の二重構造の枡形門です。大名などが通る大手門に対して、女中などが通る通用門として使用されていたようです。御三家と三卿家はこの門から城内に入っていたとも言われています。奥にあるのが帯曲輪門です。江戸城内で死者や罪人が出た場合はこの門から城外に出されていたようで、不浄門とも呼ばれていました。城内から見た渡櫓門です。平川門から皇居東御苑に入るなら、最寄り駅 [続きを読む]
  • 白鳥濠 展望台
  • 本丸跡の南西付近に白鳥濠展望台があります。樹木に隠れていてちょっと目立たないのであまり人がいなく隠れ家的なスポットとしてお気に入りです。展望台への入り口です。展望台から見た、潮見坂です。この展望台は、台所前櫓があった場所だそうです。残念ながら、この櫓は焼失したそうです。 [続きを読む]
  • 中之門跡
  • 中之門は江戸城の中でも最大級の巨石を使用していてほとんど目地のない整層の石垣です。奥にあるのは大番所です。大番所は中之門の内側に設けられていた警備詰所で比較的位の高い武士が勤務していたようです。付近には百人番所もあります。 [続きを読む]
  • 富士見多門櫓
  • 本丸の西側の蓮池濠に面した石垣に富士見多門はあります。多門とは長屋造りの防御施設で江戸城には多数の多門がありましたが、現存するのは富士見多門と二重橋近くの伏見櫓の両側にある2つの多門のみです。富士見多門の内部です。2年前くらいまでは、フェンスで囲まれて近づけませんでしたが最近は内部も見学できるようになりました。富士見多門から天守台よりある石室です。火事など非常時の大奥用の調度を見られているようです。 [続きを読む]
  • 二重橋
  • 二重橋濠に架かる正門鉄橋の別名が二重橋です。皇居の正門に架かる正門石橋のことと誤解されてることが多いようです。正門鉄橋と正門石橋を合わせて、「二重橋」と言われることもあります。正門石橋は西の丸の大手門に架かているため「大手橋」と呼ばれていました。皇居正門は普段は閉じられていて、特別な行事の時や国賓の来訪時に開門されます。 [続きを読む]
  • 桜田門
  • 桜田門は、正式には外桜田門と言い、三の丸にある桔梗門が内桜田門と呼ばれていたようです。西の丸を守る枡形の二重構造の門で、高い防御力を有していました。高麗門です。渡櫓です。桜田門の付近で桜田門外の変が起きています。水戸浪士が幕府重臣の井伊直弼を暗殺した事件です。ちなみに井伊直弼の館は桜田門から西へ500mくらいの現在の国会前公園付近にあったそうです。 [続きを読む]
  • 大手門
  • 大手門は江戸城の正門で、諸大名が江戸城に登場する際に使用しました。高麗門と渡櫓を組み合わせた枡形の二重構造で高い防御力を備えた門です。渡櫓は、第二次大戦の空襲で焼失し、戦後に再建されました。 [続きを読む]
  • 江戸城 天守閣
  • 江戸城の天守閣は、1607年の慶長度天守、1623年の元和度天守、1638年の寛永度天守と3度に渡り建てられましたが、1657年の明暦の大火で焼失しました。江戸幕府は再建を検討しましたが、財政難などから天守閣は不要と判断し、以後天守不在となっています。天守台からの本丸跡です。江戸期には、本丸御殿と言われる建物が立ち並んでいました。その中には、大奥や松の廊下などもありました。 [続きを読む]
  • 江戸城 皇居
  • 江戸城は、扇谷上杉氏の家宰 太田道灌が築城しました。太田道灌のころの江戸城は現在のの本丸跡程度の大きさで日比谷の辺りまで海だったそうです。徳川家康の関東移封時に、江戸城を本拠地と定めて、城域が拡張していき三代将軍徳川家光のころに総構えが完成しました。明治維新で江戸城無血開城が行われて、明治以降は皇居となりました。桔梗門です。申し込めばここから入場して皇居の見学が可能です。坂下門です。乾通り一般公開 [続きを読む]
  • 江戸城 見学
  • 江戸城の主郭部分である本丸・二の丸・三の丸は皇居東御苑と呼ばれていて一般開放されています。東京駅からなら大手門から入ることができます。他にも北の丸から清水門からも入ることができます。皇居内ということで、入るにはセキュリティチェックをされますがカバンの中を見せるくらいで簡単なものです。入る時に入園票を渡されます。月曜日と金曜日は閉園しているので注意してください。 [続きを読む]
  • 江戸城無血開城
  • 戊辰戦争と言われる長州・薩摩を中心にした新政府軍と徳川幕府軍との戦争が起こり、緒戦の鳥羽伏見の戦いで幕府軍は大敗しました。戦場は東に移り、江戸城の攻防になる時に幕府軍の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が江戸の薩摩藩邸で会談しました。勝海舟は、徳川将軍家への寛大な処分を条件に、江戸城無血開城を西郷隆盛に提案しました。新政府軍と幕府軍が合意し、江戸城下が戦火に包まれることが避けられました。薩摩藩邸での会談の [続きを読む]
  • 江戸城跡
  • 徳川家康が築き、三代将軍徳川家光のころに城域拡張が終わった江戸城は、明治時代から皇居となっています。江戸城主郭である本丸や二の丸は皇居東御苑として開放されています。月曜日と金曜日は閉園していますのでご注意を。本丸跡に入る汐見坂からみた白鳥濠です。天守台跡です。江戸城の天守閣は1657年の明暦の大火で焼失し再建計画はありましたが、幕府の財政難のために再建を中止しました。天守台から見た本丸跡です。江戸期に [続きを読む]
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