Ardrey Junko さん プロフィール

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Ardrey Junkoさん: 1970年前半の老人介護の経験
ハンドル名Ardrey Junko さん
ブログタイトル1970年前半の老人介護の経験
ブログURLhttp://1970kaigo.blogspot.jp/
サイト紹介文1970年代前半にじいさんの介護をやった体験談です。
自由文介護の大変さと、現在の介護システムの充実を図ることをしてほしいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供21回 / 3日(平均49.0回/週) - 参加 2018/03/26 12:30

Ardrey Junko さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 【番外編】母は同じ話を何度でもする
  • じいさんの介護からもう40年以上たった。どうも数年前から母の様子がおかしい。同じ話を何度でもする。よく聞いてみると、「私は死んだおばあさんにこんなにいじめられた」という話であったり、「あの人はこんなこともできない。私はできるから、私の方が偉い」という話であったり、「ディケアに行っても、私を優遇してくれない」などという。私たちが、「そんなこと、ありませんよ」と言っても耳が遠いので、聞こえないふりをして [続きを読む]
  • じいさんの介護のまとめ
  • じいさんの認知症はかなりひどかったと思うが、生来じいさんは人がよかった。現在では当たり前のように言われている、大声を出すとか、悪口をまき散らすとか、何かにつけて怒りまくるとかの症状が出なかった。そのような症状が出たなら、介護はもっと大変であったと思うし、恐らく私の手には負えなかったであろう。介護を家庭で行うというのは、大変である。現在は介護用品がたくさん出て便利になっていると言っても、夫婦共に働い [続きを読む]
  • じいさんの他界と私の受験
  • 2月の中旬のことである。じいさんが寝込んで起きられなくなった。意識はあるのだが喋れないので何も分からない。食事はおかゆなどを作ってみたが、あまり食べない。 「俺の作ったものが食べられんというのか!」 とかなんとか言っている間に、2月18日に他界した。 私の受験が2月28日しかも一番難しい大学だったので、これはマズいことになったとおもったら、案の定ばあさんが、「葬式は家でやる」と言い出した。私はさすが [続きを読む]
  • じいさん排便をする(食事前には読まないこと)
  • じいさんは喋れなくなって、欲求のおもむくままに生活するようになると、私が家にいる間はとんでもない目にあう。私が一番嫌だったのが排便の世話である。トイレでさせて拭いてあげるぐらいなら、まだましである。もちろんおしめはしていたが、じいさんは気持ちが悪いとおしめを自分で脱いでしまう。黙って脱ぐものだから誰も気が付かない。私にしてみれば、ばあさんが暇なのだから、見張ってて欲しいのだが、そこはもちろんばあさ [続きを読む]
  • じいさんしゃべれなくなる
  • 訳のわからないことを言っていたじいさんは、やがて「あ〜う〜」となり、亡くなる1年ぐらい前には、とうとう「・・・・・・」と、喋れなくなってしまった。 しかし、それでもゆっくりながら歩けるし、食欲はあるようで、やりたい放題になった。四六時中、誰かが見張らなければならない。動きが遅くなったので、外に出ようとして玄関で倒れていたり、すぐ近くの溝に落ちたりして、警察の厄介になる前に発見できるようにはなった。私は時 [続きを読む]
  • じいさんお茶を飲む
  • 私が家にいるときは、食事は一家全員で食べていた。当たり前と言えば当たり前かも知れないが、最近ではそうでない家も増えているようである。その日、ちょっと食事には早かったので私は椅子に座ってお茶を飲んでいた。そしていつものように、じいさんがやってきた。私は横を向いてばあさんと話をしていたが、ふと見るとじいさんが向こうの椅子に座って、嘔吐していた。ふと見ると右手に「味の素」を入れた壺にお茶が入っていた。ど [続きを読む]
  • 警察から学校へ電話がくる
  • 私は運よくこの地方では名門と言われていた高校に入学した。勉強して、クラブしての普通の高校生活が始まった。しかし、ある日、ばあさんから高校に電話がかかってきた。私は職員室まで行って電話に出なければならなかった。ここで少し説明すれば、当時は携帯電話などこの世に存在していなかった。携帯電話が世に出たのは私が就職してからである。ポケベルや自動車電話もなかった。従って個人に電話をかけることはできない。ばあさ [続きを読む]
  • ばあさんはじいさんを病院に入れるのに大反対
  • ばあさんはじいさんを病院に入れるのに大反対だった。世間体が悪いというのがその理由である。父はマザコンでばあさんの言いなりであったから、ばあさんに従って、老人病院に入れることに反対である。この二人が反対してしまうと老人病院に入れることはできない。介護保険のない時代だから、健康保険で入院することになるのだが、健康保険適用外のものが多く、結構お金が必要だったらしい。かと言ってばあさんや父がじいさんの介護 [続きを読む]
  • じいさんが電話に出る
  • じいさんの認知症もそれなり進んでくると、判断ができなくなり、言葉が喋れなくなってくる。この頃の私の家には電話があった(今でもありますが)。当然のことと思ってはいけない。当時、電話はかなり普及していたが、電話のない家もある。電話のない家に連絡する時にはどうするか?もちろん電報である。さて、電話がかかると、当然誰かが電話に出るわけだが、残念なことに、じいさんが電話に出てしまうことがある。じいさんが電話 [続きを読む]
  • じいさんお漏らしをする
  • 前々から時々あったのだが、とうとうじいさんが失禁をするようになった。当時から紙おむつというか、紙パンツは出たばかりであったが値が高かった。またもや、ばあさんが、「そんな格好の悪いことができるか」と言って、布おむつとなった。私は布おむつのはかせ方を知らなかったので、教えてもらうことになった。布おむつを洗うのは、ばあさんの役目にしてしまった。紙おむつにしたら洗う手間が省けるので、当然ばあさんが洗うべき [続きを読む]
  • 認知症の評価方法
  • 認知症の評価は、「長谷川式簡易知能評価スケール」を使えば、一応は簡単に判断できる。もっと詳しい試験は、病院に行けばやってくれるが、これを基礎としている。私は、もっと詳しいテストを精神神経科で受けさせられたが、別に認知症ではなくただの天然だったらしい。さあ、皆さんも挑戦してみよう。大人用おむつならこちら介護ベッド・車椅子ならこちら 介護施設を捜すならこちら [続きを読む]
  • じいさん溝にはまる
  • その時、私は家にいなかった。私が家に帰って来たとき、じいさんがいなくなっていた。いつもの散歩(徘徊)である。あてにはしていなかったが、ばあさんに「じいさん、知らんか?」訊いてみた。案の定、「知らん」の一言で片づけられたが、「ちょっと、捜してきて」とのこと。言うんじゃなかったと思いつつも、あちこちあてもなく捜していると、家からさほど遠くない所で人が数人集まっている。もしやと思って近づいてみると、もし [続きを読む]
  • じいさんご飯を食べる
  • 私はクラブをしていたので帰りが遅くなる。7時8時はあたりまえである。練習が7時ごろまであるのだから当然である。当時はクラブの時間にあまりうるさくなかったが、先輩からいじめられたりしなかったから、まだいい方である。 当然ながら、私としてはさっさと夕食と入浴を済ませて寝たい。翌日も朝練があるから、さっさと寝たいのだ。私が食事をしているとじいさんがやって来る。うちは6時から7時の間に夕食を食べるので、じ [続きを読む]
  • 当時の老人病棟の実態
  • 当時、親戚のおばあさんが老人病院に入院したのでお見舞いに行ったことがある。親戚のおばあさんの息子が医者だったので、当時としてはそんなにひどいところに入っていないと思う。老人病院/こんなところであるそれでも、今の病院の4人部屋より少し大きい部屋に、8人ほどがぎっしり入っており、隣のベッドの間のカーテンもなく、各々が勝手に叫んでいるような状態。認知症の程度に関係なく押し込んでいるようなところであった。 [続きを読む]
  • 認知症の治療薬
  • 認知症の治療薬(輸入薬。詳細はリンク先。必ずリンク先を確認して下さい。)効果は患者により変わります。 アリセプト:アルツハイマー型認知症薬。レビー小体型認知症薬としても承認を受けた。認知機能の低下を遅らせる薬で、古くから用いられている。アルツハイマーでは唯一全てのステージと予備軍に効果があると言われている。効果が現れるのに最低3か月かかるのと、副作用で怒りっぽくなるのが欠点。アリセプト(Aricept)10mg [続きを読む]
  • じいさん散歩に行く
  • ちょっと認知症が進んで来ると、じいさんは家を抜け出すことが多くなった。家人の目を盗んでこっそり出かけるから始末が悪い。まあ私はクラブに行ってるし、父母は仕事、弟は遊び歩いて、家にはばあさんしかいない。そのばあさんもじいさんのことを気にかけない。じいさんにしてみればこっそりと出かけるチャンスは多い。認知症の事情を知っている近所の人が、じいさんを見つけるたびに、「おじいさん。散歩に行くんですか?」と声 [続きを読む]
  • 姫路の話
  • じいさんは姫路生まれであるが、4人兄弟の4番目であったため家を出た。昔の家ではよくあることである。実家は大きな家だったらしく、たくさんの小作人を使って田畑を作っていたらしい。何十丁(町)かの田んぼと山が4つか5つかと言っていたが、1丁(町)がどのぐらいの大きさか分からんので、私は「ふうん。そりゃすごいな」とか適当な返事をしていた。1丁(町)が0.99ha、すなわち約1haと知ったのは随分後のことであり、ど [続きを読む]
  • じいさんと太平洋戦争
  • じいさんがボケかけた頃、私は中学生だった。何回か太平洋戦争の話を聞いたことがある。今伝わっていることとはかなり違うが、従軍慰安婦も強制労働も問題となっていなかった時代である。じいさんは朝鮮のとある鉱山の管理をしていたらしい。確か市役所に勤めていたが、戦争のために他の企業の人員不足のために駆り出されたらしい。官民一体となっていいかげんな人事をやっていたようだ。私が言うのもなんだが、じいさんは大変いい [続きを読む]
  • パンを買いに行って下さい
  • 私がまだ小学校の高学年の頃である。いきなり1960年代の話になって申し訳ないが、あまり気にすると将来、良いことがおきないぞ。じいさんは非常にいい人柄で、毎朝、食パンを買いに行ってくれた。それがだんだんと私たちに都合よくなってきた。朝食だから食パンだけでいいのだが、「菓子パンを買って来たらあかんで」と言うと必ず菓子パンを買ってくるようになった。最初は孫が菓子パンを欲しがっているから買ってくるのかと思って [続きを読む]
  • 私の家の家族構成
  • 当時、私の家は6人家族であった。私の父母と父方の祖父母、弟と私の6人である。祖父は認知症となったこの話の主人公である。父は次男であったが、何故かじいさん・ばあさんと同居していた。次男であるからにはお兄さんがいるのだが、年に1回ぐらいしか親の顔を見に来なかった。私の叔父とはいえ親不孝な輩である。数年前にお迎えが来て旅立った。話とは関係ないがこの人の奥さん(私の義理の叔母)は何かと口先を突っ込んで話を [続きを読む]
  • 1970年代前半の社会情勢について
  • 1970年代前半の世界的な出来事は、1973年に起こった(起こした?)湾岸戦争の影響で原油価格が高騰し、第一次オイルショックが起こったことである。これに端を発したインフレーションで国家公務員の初任給も、1970年3万円そこそこだったのが、1975年8万円にまで上がった。他にどんなことがあったのか軽くあげておこう。記憶の中で軽くご無沙汰していた人もおられるだろう。できるだけウィキペディアや公式サイトにリンクさせてお [続きを読む]
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