お城 さん プロフィール

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お城さん: 百名城・城跡の探索ブログ
ハンドル名お城 さん
ブログタイトル百名城・城跡の探索ブログ
ブログURLhttp://trip-navi.jp/oshiro/
サイト紹介文城や城跡に関する情報サイトです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 17日(平均7.0回/週) - 参加 2018/04/01 10:28

お城 さんのブログ記事

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  • 旧下田邸書院・庭園
  • 箕輪城跡のスタンプ設置場所の箕郷支所の隣にある旧下田邸書院・庭園です。箕郷支所は、高崎市と合併前は箕郷町役場だった場所です。平成の大合併で2006年に多野郡新町、群馬郡群馬町・倉渕村と一緒に高崎市に編入されています。箕郷支所の同一の敷地内に旧下田邸は、武田氏に滅ぼされた長野氏の重臣の下田正勝の子孫が主家滅亡後に築いた屋敷です。地域の有力者であった下田家は江戸時代には代官に任じられていました。庭園は、赤 [続きを読む]
  • 郭馬出西虎口門
  • 二ノ丸南の郭馬出の虎口門が平成28年11月に復元工事が完了し公開されています。箕輪城主の井伊直政が高崎城に移転する前に建てられているので16世紀中に造られた門跡では関東最大級の規模です。馬出側からの画像です。木俣と呼ばれる曲輪からの写真です。木俣とは、家臣団の居住地だったと言われています。 [続きを読む]
  • 寿能城跡
  • 寿能城は、扇谷上杉氏の家宰 太田道灌の末裔である潮田資忠が築城し居城とした城郭です。築城は1560年頃で、大宮北高校から大宮第二公園まで広がる広大な城域でした。現在は宅地化が進んで、堀などの遺構はほとんど消滅しています。1590年の豊臣秀吉の北条征伐時に、浅野長政勢に攻められて落城しています。寿能城の本丸があったとされる寿能公園です。寿能公園内には城主の潮田資忠の墓があり、これが物見櫓跡と言われています。 [続きを読む]
  • 箕輪城跡
  • 箕輪城は15世紀末頃に長野氏によって築城されました。長野氏の業尚、憲業、業政、業盛の4代が本拠としていたようです。武田氏による上野侵攻に箕輪城を拠点として最後まで抵抗しましたが1566年に落城しました。その後は、武田氏、織田氏、北条氏と次々と主が変わり徳川家康の関東移封時に井伊直政が城主となりました。1598年に井伊直政は高崎城に移転し、箕輪城は廃城となりました。二の丸の郭馬出西虎口門です。平成28年11月に復 [続きを読む]
  • 八王子城本丸跡
  • 八王子城の本丸跡へは駐車場付近から40分くらい山道を登っていきます。標高460mに本丸跡があるので足腰に自身がないなら止めた方がいいです。駐車場奥にある八王子城の要害地区への入り口です。北条氏照の重臣 金子家重が守っていたと言われる金子丸です。尾根をひな壇状にした防御拠点だったようです。ここまでは麓から10分くらいです。八王子神社です。脇にある階段を昇っていくと本丸跡へ行けます。松木曲輪からの眺望です。中 [続きを読む]
  • 御主殿跡
  • 御主殿は、八王子城の麓にある城主の北条氏照の居住区や政務を行う施設があったとされています。石垣と土塁で囲まれた防御施設で、周辺にあるアシダ曲輪などと組み合わせて防御力を高めていました。虎口と呼ばれる御主殿の入り口は高低差が9mある「コ」の字になっています。御主殿と呼ばれる曲輪には、城主の北条氏照の居館があり主殿と呼ばれる政務を執り行った建物や会所と呼ばれた宴会場などの建物などが建ち並んでいたようです [続きを読む]
  • 中ノ門堀跡
  • 川越城の堀や土塁は、市街地開発でほとんど消失している中で中ノ門付近の堀は保存工事されて、公開されています。太田道灌が築城した城域は本丸と二の丸くらいでしたが1639年に川越藩主となった松平信綱は川越城を大規模な増築し、中ノ門もその時に造営されました。中ノ門は、3本の堀と二階建ての櫓門を組み合わせた堅牢な防御施設でした。 [続きを読む]
  • 八王子城
  • 八王子城は、北条氏の北条氏照が1571年に築城し、1587年頃にそれまでの本拠地である滝山城の防御に限界を感じて移転し、改築増強しました。八王子城の名前は、この山に牛頭天王と8人の王子が現れたとして八王子権現を祀ったことから八王子城と名付けられ、現在の市名にもなっています。1590年の豊臣秀吉の北条征伐で北方隊の前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの攻撃を6月23日に受けわずか1日の戦いで落城しました。落城の際には、北 [続きを読む]
  • 川越城 富士見櫓跡
  • 本丸御殿から300mほど離れた、川越高校の裏手にある小山が川越城の富士見櫓跡です。頂上にはちょっとした広場があり、御岳神社が祀られています。奥に見えるのは川越高校の校舎です。下から見た印象よりも眺望がよく、ここに三層の櫓が建てられていたようなので、さらに良い眺望だったと想像できます。 [続きを読む]
  • 川越城本丸御殿
  • 川越城本丸御殿は、1846年に二の丸御殿が焼失したのを受けて建築され1848年に竣工しました。川越藩17万石の格式にふさわしい御殿が造られ、現在の御殿の数倍の規模で建てられていました。奥の渡り廊下の先に家老詰所に武士の人形があります。 [続きを読む]
  • 真田丸
  • 真田丸は、1614年に起きた大坂冬の陣の際に真田信繁(幸村)が大阪城の弱点が南部にあると見抜き、それを補うために築いた出丸です。真田信繁は、真田丸で徳川方の武将 前田利常や藤堂高虎などを翻弄しました。JR大阪環状線の玉造駅から徒歩で10分程度の大阪明星学園のグランドから心願寺にかけて出丸城があったとされています。付近の三光神社には、真田信繁の像と真田丸からの抜け穴があります。 [続きを読む]
  • 和田倉門
  • 和田倉門は、当時は高麗門と渡櫓を持つ枡形の門でした。現在は、石垣のみが残っています。明治天皇が江戸城に初めて入場する際に通った門と言われてます。和田倉という名は、武器庫の蔵が並んでいたからという説と徳川家康公が関東転封時に江戸を本拠と定めたころにこの辺りに和田倉村があったからという説もあります。和田倉休憩所には、百名城のスタンプ台があります。 [続きを読む]
  • 川越城
  • 川越城は室町時代の1457年に扇谷上杉氏の家宰 太田道灌が武蔵国の拠点として築城し、対立していた古河公方に対する防御拠点としました。太田道灌が築城した当時は本丸と二の丸が城域だったようです。城域は、川越市役所から本丸御殿に隣接する初雁公園付近までありましたが現在は大半は失われています。江戸期には、川越藩の藩庁が置かれていました。川越城は、戦国期には河越城と呼ばれていました。天守閣はなく、本丸御殿の南西 [続きを読む]
  • 桜田門
  • 桜田門は江戸城の内堀の門の一つで正式には外桜田門と言います。内堀通りを挟んで警視庁と法務省の向かいにあります。三の丸にある桔梗門が内桜田門と呼ばれていました。外桜田門は、高麗門と渡櫓の二重構造で高い防御力があります。高麗門です。高麗門と渡櫓の間の枡形です。桜田門渡櫓を内側からの映像です。1860年に桜田門外で大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺された桜田門外の変が起こっています。井伊直弼の邸宅は桜田門から西側 [続きを読む]
  • 日比谷見付跡
  • 日比谷公園内の北東にある石垣が、日比谷見附(日比谷門)跡です。当時は、枡形、渡り櫓、番所などがあったようです。石垣に沿って、心字池がありますがこの池は元々は濠で、「心」をくずした形に似ていることから名づけられました。江戸初期にはこの付近に仙台藩伊達家の屋敷があり「伊達政宗公」の終焉の地でもあります。 [続きを読む]
  • 虎ノ門・溜池櫓石垣
  • 地下鉄虎ノ門駅の出口に江戸城外堀展示室があります。虎ノ門付近の石垣跡と石垣の構造や江戸城についての解説板が掲示してあります。当時は外堀がありましたが弁慶濠あたりから新橋にかけての外堀は明治時代に埋め立てられたようです。展示室から外堀通りを渡ったところに溜池櫓の櫓台の石垣を見ることができます。江戸期には櫓があったようですが、現在は取り壊されています。外堀の隅櫓は、ここと他には2か所しかなかったようで [続きを読む]
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