たんぽぽ さん プロフィール

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たんぽぽさん: 神のいつくしみ  - 心の重荷をゆだねて‐
ハンドル名たんぽぽ さん
ブログタイトル神のいつくしみ  - 心の重荷をゆだねて‐
ブログURLhttps://kaminoitukusimi.exblog.jp/
サイト紹介文私の平和と幸せを望んでくださる神のいつくしみに出会いたい
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 154日(平均0.5回/週) - 参加 2018/05/01 15:23

たんぽぽ さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 信じがたい苦しみ
  • キリストの教えに従って生きてゆけば、人々の信頼を得、評判も高まり、それなりの役職につくこともあるでしょう。人との間に平和を築くこともでき、穏やかな日々を過ごすことができます。 しかし自分の十字架を背負い、日々の苦しみもあります。 すでに多くの苦しみがありすぎて背負いきれなくなって教会の門をたたいた人もいることでしょう。そのような人はさらに別の十字架を担うより、むしろ主の前で十字架... [続きを読む]
  • イエスはどこまで人間であられたか
  • イエスを神と信じる人にとって、ゲッセマネで死を恐れたイエス、十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びは躓きと感じることがあります。また「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キ... [続きを読む]
  • ペトロ、私を愛しているか
  • ご復活の後、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちにイエスが現れ、舟の右に網を下すように言うと大量の魚が獲れた話があります。主の受難と弟子たちの混乱、絶望、ユダヤ人の憎しみの渦巻いた怒涛のエルサレムでの出来事を離れて、主が示したとおり、弟子たちはガリラヤで主に会いました。 懐かしく静かなガリラヤ。かつてここで主がペトロに舟を出すようにお頼みになり、船上から、湖の岸を囲んでいる群衆にお話しにな... [続きを読む]
  • マルタのもてなしとマリアのもてなし
  • 皆さんはすでにご存知だと思いますが、マルタとマリアの場面です。 「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。 「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさ... [続きを読む]
  • 癒されて癒す
  • ヨハネ4章にサマリアの女とイエスが井戸端で語り合う場面があります。弟子たちは町に食べ物を買いに行っていて、井戸端で休んでいたイエスの所に、サマリアの女が水を汲みに来ます。この女は身持ちが悪いので人目に付かないようにやって来たと、たいていの注解書にはあります。イエスは女に「水をください」と話しかけ、会話が始まります。イエスは永遠の水の話をし、サマリアの女はこの方こそメシアだと知って、町... [続きを読む]
  • 自己否定の道は自己肯定のあとに
  • キリスト教的な霊性の中に自己犠牲や自己否定があり、これは古今東西の修徳に共通なものだとは思いますが、気をつけなければならないことがあると思います。 キリストの十字架の死を思いながら私たちも自分の生活の中に降りかかってくる苦しみや試練を捧げる、という生き様は尊いものです。また信心の本や修徳に関する本には己に死ぬことについていろいろ説明されます。 しかし自己否定の前に自己肯定が必要ではな... [続きを読む]
  • 自分を愛する
  • 自分を愛することはいけないことでしょうか。わがままな愛ならいけないことでしょう。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というのはキリスト教で神への愛に次ぐ大事なおきてですが、何人かの聖人は注意を促しています。隣人愛の前に必要なのは自分を愛することであると。自分を愛さなければ、自分を愛するように隣人... [続きを読む]
  • 罪人こそ私のあわれみを受けるにふさわしい
  • 聖ファウスチナに与えられたキリストからの啓示の中には、「罪人こそ私のあわれみを受けるにふさわしい」という言葉が何度も出てきます。「私は罪人を探して救うために来た」という聖書のみ言葉と呼応しています。 教皇フランシスコもよく刑務所の受刑者と関わり、「あなたたちの中にキリストがいる」ということをおっしゃいます。彼らにとって何と大きな慰めになることでしょうか。「最も小さなもののひとりにしたこ... [続きを読む]
  • 神は私たち以上に私たちの幸せを願う
  • 神が私たちの幸せを願う、という考え自体がある人々にとっては目新しいかもしれません。善人に報いを与え、悪人を罰する、という基本的な考えがあるからでしょう。 しかし神がひとり子イエスを私たちに与えてくださったということは、それほど私たちを愛してくださっている、ということの啓示でした。「神は独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3章16節) 罪を取り去ってくださった結果、許されるだ... [続きを読む]
  • 神は私たちが幸せであることに責任を感じてくださる
  • 教皇フランシスコが神のいつくしみの聖年のときに書かれた大勅書の中にとても気に入っている箇所があります。 「神のいつくしみは、私たちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。私たちの幸せを望み、わたしたちが幸福で喜びと平和に満たされているのを見たいのです。」(『イエス・キリスト、神のいつくしみのみ顔』17ページ) 神は創造主として、ご自分が創造なさった人間が苦しみに打ちひ... [続きを読む]
  • 私たちが幸せであることに神は責任を感じておられる
  • 教皇フランシスコが神のいつくしみの聖年のときに書かれた大勅書の中にとても気に入っている箇所があります。 「神のいつくしみは、私たちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。私たちの幸せを望み、わたしたちが幸福で喜びと平和に満たされているのを見たいのです。」(『イエス・キリスト、神のいつくしみのみ顔』17ページ) 神は創造主として、ご自分が創造なさった人間が苦しみに打ちひしがれているのを見るのは [続きを読む]
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