古田史学会インターネット事務局横田 さん プロフィール

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古田史学会インターネット事務局横田さん: 古賀達也の洛中洛外日記
ハンドル名古田史学会インターネット事務局横田 さん
ブログタイトル古賀達也の洛中洛外日記
ブログURLhttp://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/
サイト紹介文古田史学の会のブロクです。2005年9月に古賀事務局長が始め、2009年6月に改題しました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供97回 / 134日(平均5.1回/週) - 参加 2018/05/09 14:03

古田史学会インターネット事務局横田 さんのブログ記事

  • 第1751話 2018/09/15
  • 9月26日(水)合田洋一さん講演会の案内 今治市朝倉歴史文化講演会 期日 2018年 9月26日(水) 午後1時30分〜 場所 於:今治市朝倉公民館 2階大会議室 〒799-1604 愛媛県今治市朝倉北甲393 参加され... [続きを読む]
  • 第1749話 2018/09/11
  • 飛鳥浄御原宮=太宰府説の登場(2)  飛鳥浄御原宮を太宰府とする服部新説ですが、もしこの仮説が正しければどのような論理展開が可能となるかについて考察してみました。もちろん、わたしは服部新説を是としているわけではありません... [続きを読む]
  • 第1748話 2018/09/09
  • 飛鳥浄御原宮=太宰府説の登場(1)  本日、i-siteなんば(大阪府立大学なんばキャンパス)で『発見された倭京』出版記念大阪講演会を開催しました。今回は福島区歴史研究会様(末廣訂会長)と和泉史談会様(矢野太一会長)の後... [続きを読む]
  • 第1747話 2018/09/06
  • 古代建築物の南北方位軸のぶれ  先日の東京講演会(『発見された倭京』出版記念)の終了後、後援していただいた東京古田会・多元的古代研究会の役員の皆さんと夕食をご一緒し、親睦を深めました。講師の山田春廣さん・肥沼孝治さんもご... [続きを読む]
  • 第1746話 2018/09/05
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(6)  古田先生が晩年において、近畿から出土した金石文に見える「天皇」や「朝廷」を九州王朝の天皇(天子)のこととする仮説を発表された前提として、近畿天皇家は7世紀中頃において「天皇」を名乗っていな... [続きを読む]
  • 第1745話 2018/09/04
  • 「九州王朝律令」儀制令の推定(2)  九州王朝が木簡への年号使用を規制していたとわたしは推定していますが、その律令の条文は『大宝律令』に受け継がれたと考えています。従って、九州王朝律令の「儀制令」にも「凡そ公文に年記すべ... [続きを読む]
  • 第1744話 2018/09/04
  • 「九州王朝律令」儀制令の推定(1)  現在、大型台風21号の強風に揺れる拙宅にて「洛中洛外日記」を書いています。築百年以上のおんぼろ家屋ですので、とても不安です。初めて聞くような轟音と家の振動に怯えています。なんとか無事... [続きを読む]
  • 第1743話 2018/09/03
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(5)  古田先生は晩年において、近畿から出土した金石文に見える「天皇」や「朝廷」を九州王朝の天皇(天子)のこととする仮説を次々に発表されました。その一つに今回取り上げた「船王後墓誌」もありました。... [続きを読む]
  • 第1742話 2018/09/02
  • 8月に配信した「洛中洛外日記【号外】」  8月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。  配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmai... [続きを読む]
  • 第1741話 2018/09/02
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(4)  「船王後墓誌」の「阿須迦天皇」を九州王朝の天皇(旧、天子)とする古田説が成立しない決定的理由は、阿須迦天皇の末年とされた辛丑年(641)やその翌年に九州年号は改元されておらず、この阿須迦天... [続きを読む]
  • 第1740話 2018/09/02
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(3)  「船王後墓誌」に記された「阿須迦天皇」の在位期間が長ければ『末』とあってもそれは最後の一年のことではなく、晩年の数年間を指すと解釈できるとする古田先生は、西村秀己さんの次の指摘を根拠に「阿... [続きを読む]
  • 第1738話 2018/09/01
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(2)  今朝は東京に向かう新幹線車中でこの「洛中洛外日記」を書いています。午後から東京家政学院大学のキャンパスで開催する『発見された倭京』出版記念講演会に出席するためです。  車窓の外は雨空が続い... [続きを読む]
  • 第1737話 2018/08/31
  • 「船王後墓誌」の宮殿名(1)  記紀や7世紀の金石文に見える宮殿名について考察を続けていますが、新たに「船王後墓誌」に記された宮殿名についても論じたいと思います。というのも、晩年の古田説では同墓誌は九州王朝系のもので、そ... [続きを読む]
  • 第1736話 2018/08/30
  • 那須国造碑「永昌元年」の論理(7)  那須国造碑や釆女氏塋域碑に記された「飛鳥浄原大朝庭」「飛鳥浄御原大宮」について、ここで少し考察してみます。  「洛中洛外日記」902話(2015/03/19)でわたしは?「浄御原」「... [続きを読む]
  • 第1732話 2018/08/26
  • 『日本書紀』に見える「采女竹良」  「采女氏塋域碑」に記された、「飛鳥浄原大朝庭の大弁官」で「直大弐」の冠位を持つ「采女竹良卿」の名前は、『日本書紀』にも「采女竹羅」「采女筑羅」として見えます。次の記事です。 ○(秋七月... [続きを読む]
  • 第1731話 2018/08/26
  • 「采女氏塋域碑」拓本の混乱  ?那須国造碑「永昌元年」の論理?ということで、理屈っぽい「洛中洛外日記」が続いていますが、ここで話題を少し変えて「息抜き」することにします。もっとも学問的には重要なテーマですから、しっかりと... [続きを読む]
  • 第1730話 2018/08/24
  • 那須国造碑「永昌元年」の論理(6)  「直大弐」(11番目)の冠位が記された「釆女氏榮域碑」には次の表記があり、わたしは以前から注目してきました。それは「飛鳥浄原大朝庭」という王朝名が7世紀末(己丑年、689年)の「評制... [続きを読む]
  • 第1729話 2018/08/23
  • 那須国造碑「永昌元年」の論理(5)  那須直韋堤に「追大壹」を叙位した「飛鳥浄御原大宮」の権力者が唐の影響下にあったため、「永昌元年(689年)」という唐の年号を用いた叙位「任命書」を発行したとするわたしの仮説は、その権... [続きを読む]
  • 第1728話 2018/08/23
  • 那須国造碑「永昌元年」の論理(4)  那須直韋堤に「追大壹」を叙位した「飛鳥浄御原大宮」の権力者が九州王朝ではないとすれば、通説の近畿天皇家(持統天皇)による叙位となりますが、それでは当時の近畿天皇家が唐の影響下にあった... [続きを読む]
  • 第1727話 2018/08/22
  • 那須国造碑「永昌元年」の論理(3)  那須国造碑に唐の年号「永昌元年」が記された理由として、那須直韋堤に「追大壹」を叙位した「飛鳥浄御原大宮」の権力者が唐の年号を使用して「任命書」を発行したとする仮説を考えたのですが、そ... [続きを読む]