sinfu さん プロフィール

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sinfuさん: 邪馬台国の研究
ハンドル名sinfu さん
ブログタイトル邪馬台国の研究
ブログURLhttp://yamatai.blog.jp/
サイト紹介文邪馬台国の場所が、日本のどのあたりに有ったのかを、 私の解釈で、ひも解いて行きたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 140日(平均1.4回/週) - 参加 2018/05/09 20:01

sinfu さんのブログ記事

  • 邪馬台国の研究 遂に判明(末盧国=博多 伊都国=日田)
  • 伊都國は日田末盧國は博多博多から日田に行く日田街道なるものがあるということを発見しました。日田街道は博多から甘木→朝倉→日田に着きます。この日田街道は、また日田往還とも呼ばれてます。いわゆるこの日田往還は日田から博多、久留米、中津、熊本、別府へ通じる街道があり、日田は、いわばハブ的な地域でありますこの日田往還とは、江戸時代に博多、久留米、中津、熊本、別府の各地から日田に通じる街道の総称ですが、筑前 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其25の話 (伊都國が何処か・・・)
  • 私はこれまで、このブログ上で公明正大(中国では光明正大)に魏志倭人伝(原文)を解釈して来まして、自分的には私の解釈(光正解釈説)で魏志倭人伝に記述ある国々は、濃い霧から薄っすら光が漏れてきて、あの国はこのあたり、この国はあのあたりと、朧気ながらも見えて来たような気がします。が、精細な位置はまだ、もやっとしていて、まだはっきりしません。しかし、魏志倭人伝から更に調べ様にも、魏志倭人伝の漢文からは、も [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其24の話(末盧國が何処か・・・)
  • 魏志倭人伝に記載されている倭国の對海國、一大國、末盧國、の国から先ずは推測していきます。とくに末盧國に関しては諸説あります。倭人在帶方東南大海之中 從郡至倭循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對海國 又南渡一海千餘里名日瀚海至一大國 又渡一海千餘里至末盧國 ここに書かれてる對海國(千余戸)と一大國(三千許家)は九州の北部の海上に位置してる対馬と壱岐で異論を挙げる人は少 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其23の話(場所探し開始)
  • 魏志倭人伝に書かれている倭国とは?私(sinfu)がこれまで魏志倭人伝(原文)を読んで、自分なりに解釈した魏志倭人伝を読む限り、私がイメージとして思い浮かぶのは、中国の使者が書いた魏志倭人伝(原文)に記載している倭(国)の国々の所在地は、九州地方に全て位置しているとしか読み取れませんでした。すなわち、この魏志倭人伝(原文)を書かれた頃、中国側の使者が記述した倭(国)とは、九州地方を指し、九州地方以外は [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其22の話(奴国は2つ有った?)
  • 奴國に対してのもう一つの考え方以前にも書いたように、魏志倭人伝は邪馬台国への道程を書いたものではない。じゃあ、なんで国々を次々に名を挙げて説明してるのは何のため?魏志倭人伝をよく読んでみると倭人在帶方東南大海之中 依山?為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国。」と書き出し [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其21の話(奴国Aと奴国B)
  • 奴国(A) と奴国(B)について倭人在帶方東南大海之中 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里始度一海 千餘里 至對海國 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 又渡一海 千餘里 至末盧國 東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴國(A) 百里 東行至不彌國 百里  南至投馬國 水行二十日。南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其20の話 〔年已長大)
  • (卑弥呼)年已長大広く一般に解釈されている説はもうすでに年老いてるすでに年寄りだすでに年取ってるのように解釈されていて私も、 テレビ?雑誌?書籍等で多くはそのように説明されていたので いままで卑弥呼の年齢はすでに高齢だと思っていました。しかし 中国人にこの箇所を確認したらすでに年老いてるすでに年寄りだすでに年取ってるすでに高齢 の意味にはならないという素直に解釈すれば すでに大きくなっている すでに成人し [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 (到伊都国と至伊都国)
  • 到と至について東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴国 百里 東行至不彌國 百里  南至投馬國 水行二十日。南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月この箇所で気になるのが東南陸行 五百里 到伊都國とここだけ到の字が使われていて、その他の箇所はすべて至の文字が使われています。「到と至」どちらも、〜へ いたるの意味ですがどうしてこの箇所は他の箇所と同じく至の文字を使って東南陸行 五百里 至伊都國とは書 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 (女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種)
  • 「光正解釈説」より導き出された情報に、さらに、魏志倭人伝に記載されている戸数情報を記入すると、① 末盧國(4,000戸余り)から東南へ五百里歩いて行く  と  伊都國(1,000戸余り)に到る。② 末盧國から東南へ百里で  奴國 (20,000戸余り)へ至る。③ 末盧國から東へ百里で  不彌國 (1,000家余り)へ至る。④ 末盧國から南へ水行二十日で  投馬國 (50,000戸余り)へ至る。⑤ 末盧國から南へ水行で行けば [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈 (要約)
  • [光正解釈説要点]いままで書いてきた「私の解釈」の要点だけをまとめて、箇条書きにすると① 末盧國から東南へ五百里歩いて行くと 伊都國に到る。② 末盧國から東南へ百里で奴國方面に至る。③ 末盧國から東へ百里で不彌國方面に至る。④ 末盧國から南へ水行二十日で投馬國方面に至る。⑤ 末盧國から南へ水行で行けば十日、陸行すれば一月で女王が都する邪馬壹國方面に至る。⑥ 女王國より北には 順に、   斯馬國 巳百 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈総まとめて編
  • [光正解釈説]いままでの“私の解釈”を今回まとめて記載致します。魏志倭人伝(原文)を中国語学習暦16年の私が解釈して1番知りたいのはそれ(魏志倭人伝)に書かれてる邪馬台国が日本のどこに一体あったのか?・・・・・です。そのために魏志倭人伝(原文)の漢文より邪馬台国の位置が関係している箇所が表記してある必要最小限の語句だけを抜粋した漢文を私なりに解釈していきたいと思います。抜粋した内容は下記になります。ーー [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈7(自郡至女王國萬二千餘里 )
  • [光正解釈説]自郡至女王國 萬二千餘里 (郡より女王国に至る。万二千余里)この箇所を説明します。この箇所には、郡から女王国(邪馬台国)まで万2000里余りであると書かれてます。万2000里余りと万の前に数字がありませんが、中国では万里の長城のようにとても長い距離を表わす時にハッキリした距離を書かずに万里の長城のような表現をよくします。また、大昔は万古と、万を使い、万はとても(多い)・(長い)イメージで使 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 質問に対しての返答
  • コメント欄で質問がありましたので、私なりにご説明させて頂きますがこのブログに書きました解釈はあくまで私の独自の解釈ですので世間一般に解釈されているのとは部分部分相違箇所がありますので返答違いがあるかも知れませんがお許し下さい。頂きました御質問は下記内容になります。 「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國・・・」>そして"女王国より北にある"国を次有り・・次有り・・と続け [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈6 (其南有狗奴國)
  • [光正解釈説]女王國より北には ”〜国” 有り、次に ”〜国” 有り、次に ”〜国” 有りと順に国名を並べ最後に次有奴國 此女王境界所盡(次に奴國有り、ここは女王国の尽きる所です。)そのあとに、其南有狗奴國 不屬女王(その南、狗奴国有り。女王に属さず)と、書いてあります。其南の、其を女王国(邪馬台国)と解釈してあるものが多くまかり通ってますが、其南の其は文脈から素直に読みとれば奴國としか解釈できません。其を [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈5(自女王國以北)
  • [光正解釈説]自女王國以北女王国の以北は其戸數道里可得略載その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが其餘旁國遠絶その他の傍らの国は交流が遠ざかっているので不可得詳詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國次有不呼國 次有姐奴國次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈4 (水行十日陸行一月)
  • [光正解釈説]東南陸行 五百里 到伊都國  「末盧國から東南に五百里行くと伊都国に到る。」東南至奴国 百里  「末盧國から東南方面は奴国に至る。百里です。」東行至不彌國 百里  「末盧國から東方面に行くと不弥国に至る。百里です。南至投馬國 水行二十日 「末盧國から南方面に船で20日で投馬国に到ります。  南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月  「末盧國の南方面は邪馬壱国に至ります。女王の都とする所。 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈3(東南到伊都國)
  • [光正解釈説]東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴国 百里 東行至不彌國 百里  南至投馬國 水行二十日。南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 どうしてこの箇所が、すべて末盧國を基点にした場所説明になっているのかを、更にご説明いたします。この箇所の説明をよりわかり易くする為に、さらに不必要な個所をカットすると下記になります。東南 到伊都國 東南至奴国  東至不彌國  南至投馬國南至邪馬壹國東南 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈2(東南陸行五百里到伊都國)
  • [光正解釈説]倭人在帶方東南大海之中 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里始度一海 千餘里 至對海國 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 又渡一海 千餘里 至末盧國 東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴国 百里 東行至不彌國 百里  南至投馬國 水行二十日。南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 それでは、又渡一海 千餘里 至末盧國から以降の説明をします。中国船 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其8の話
  • 鳥は卵が孵化した時、初めに目にしたものを親と認識するそうで、それを刷り込みと言うそうです。そういえばドラえもんのアニメ《のび太と恐竜》で恐竜の赤ちゃんが卵から孵化した時、初めに目にしたのがのび太だったので、恐竜の赤ちゃんはのび太のことを、親と認識してしまったという話がたしかあったような・・・私は、中国で後世、政権を得た国が、史書を作成する時、魏志倭人伝、及び、その他の資料を参考に編纂した、学識があ [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 私の解釈開始 (倭人在帶方東南大海之中)
  • それでは、魏志倭人伝(原文)を少しずつ私なりに解釈していきます。倭人在帶方東南大海之中(倭人は帯方の東南方面の大海の中に在ります。)從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里(郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、南に行ったり又東に行ったりすると、その[→倭国の]北岸の狗邪韓国に到る。七千余里。)(從郡至倭)群から倭に至るには・・・と書いてあり(從郡至邪馬台国 [続きを読む]
  • 邪馬台国研究 其6の話
  • 私が中国語の文章(故事等)を訳す時、そのまま訳すと話のつじつまが合わなくなる時があります。中国語の老師(先生)はそのまま日本語に直訳するのではなく中国語を訳す時は前後の文脈、全体の内容等を加味して、話の内容にあった日本語にしないとだめと指導してくれます。魏志倭人伝(原文)もそのまま訳すのではなく、全体的に考えて、どのような事を伝えたいのかを読み取る事で正しく解釈できるのではないかと考えています。と [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 魏志倭人伝より抜粋
  • 魏志倭人伝(原文)を中国語学習暦16年の私が解釈して1番知りたいのはそれ(魏志倭人伝)に書かれてる邪馬台国が日本のどこに一体あったのか?・・・・・です。そのために魏志倭人伝(原文)の漢文より邪馬台国の位置が関係している箇所が表記してある必要最小限の語句だけを抜粋した漢文を私なりに解釈していきたいと思います。抜粋した内容は下記になります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー倭人在帶方東南 [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其4の話
  • 魏志倭人伝(原文)と日本語訳の魏志倭人伝を照らし読むと諸先輩によっていろいろ解釈があり、その解釈する人の都合で魏志倭人伝の解釈がいくつかあり、それぞれ解釈がところどころまちまちです。皆様それぞれ自分の考え、研究によって導き出された答えですので、当事者からすれば自分と違う考えは間違っているという展開になると思いますが、100通りの解釈があっても真実は1つですので99の解釈は違っていることになります。そん [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其3の話
  • youtubeでたまたま見た、邪馬台国四国説にすっかり信じ込んだ私は、その後邪馬台国徳島説をもっと詳しく調べたいとWEB検索しました。そこで私は「エッ! 邪馬台国は四国にあった?」というページを見つけ、その方が考えた素晴らしい解釈(越智説)を読ませて頂いて、その方の考えた越智説に私はとても感銘を受けました。越智説→中国船が末盧国に着き、そこから歩いて東南に500里先の伊都国。そこから東南に100里先の奴国。そこか [続きを読む]
  • 邪馬台国の研究 其2の話
  • 私が参加している中国語学習サークルは、月に二回開催してますが、順番に中国語で好きなテーマで作文を作るという宿題があります。サークル仲間は全員で6人なので、3ヶ月に一度順番が回って来ます。今回は、私の番なので、授業が始まる前に私の趣味は邪馬台国の研究ですと黒板に中国語で作文を書きました。授業が始まると、中国人の先生に添削してもらいましたが、実は、この時は、私の邪馬台国熱も冷え切っていて、私自身興味が全 [続きを読む]