秀峰 さん プロフィール

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秀峰さん: 秀峰のブログ
ハンドル名秀峰 さん
ブログタイトル秀峰のブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/shuhom/
サイト紹介文非二元・仏教・スピリチュアルなどの思いつき日記
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 26日(平均4.6回/週) - 参加 2018/05/25 20:38

秀峰 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 障害物競争
  • 仏教では基本的に「生きることは苦である」としています。「苦(ドゥッカ」とは、「思うがままにならにこと」という意味です。私はこのことを知った時、逆に救われた思いがした。つまり、人生、うまく行かないのが当たり前という前提を立てると、苦しいことがあっても、これがデフォルトだから、何かうまく解決できればラッキー、という考え方を知って、なぜか安心したのです。 そこで思い出したのが「障害物競争」です。「競争」 [続きを読む]
  • 引き寄せの法則
  • 法則と言うからには、「万有引力の法則」と言うのと同じで、どんな人でも何を実践してもしなくても、共通にあてはまるものでなければならない。ところが、「法則」ではなくて「引き寄せ能力」と解釈して、あたかも引き寄せは「能力」と定義して、「能力セミナー」などと商売しにする輩が多い。 私が思うに、引き寄せの法則とは、単なる「類は友を呼ぶ」だろう。だから、誰かが何かを意図してなくても、「類は友を呼ぶ」ということ [続きを読む]
  • 莫妄想(まくもうぞう)
  • 8〜9世紀の中国の禅僧「無業和尚」は、いつでも誰から何をきかれても、「莫妄想(まくもうぞう)」、としか答えなかったそうです。「莫妄想」、すなわち“妄想するなかれ”は、たった3文字なのに、禅の神髄と悟りの境涯を示した言葉として有名です。 「妄想」というと、一般的には、荒唐無稽なことを考えたりすることですが、「莫妄想」でいう“妄想”は、もっと意味の幅が広くて、「考え事」「余計な考え」などを指します。つ [続きを読む]
  • 探究心がなくなってきた
  • 前のブログで、「探究は終わらない」旨の記事を書いたんだが、実は秀峰は、この1年、いわゆる「探究心」が劇的に少なくなっている。ここ1か月は特にひどく、「なんで自分は探究などしていたのだろう」とまで感じるようになった。 よく「脱・スピ」とか言って、精神世界の探究から離れ、離れるどころか、未だにスピリチュアルに取り組んでいる人たちを、批判したり馬鹿にする流れがある。「自分はオカシナ探究に夢中になり、時間 [続きを読む]
  • 非二元などのお話し会
  • 今日、BIGLOBEからメールがきて、「ウェブリブログに登録してから、あと2日で2周年になります。」というお知らせだった。何のことかと思ってみたら、2年前・・・ スピリチュアルTVの視聴者を集めて、スカイプで通話会(集団でフリートークする会)が流行っていて、私は「非二元などのお話し会」というのを主宰しており、「わだつみ」と称していた。その時の講義のレジュメとして作ったのが、「非二元などのお話会」の参考資料と [続きを読む]
  • 探究に終わりはあるのか?
  • よくね、悟りとか解放をゲットした人は、「探究は終わった」というんですよ。初めてそういう体験をした人は、「もう私は究極に達した、これ以上、探究する必要はない」と思ってしまうんですよね。 「探究の終わり」がキャッチフレーズのように喧伝されているけど、多くはそれは単なる神秘体験をしただけで、すべてにおいて完全に探究が終わったわけではないんです。ある「ティーチャー」が、探究の終わりについて「卒業」と「中退 [続きを読む]
  • 地球ひろしさんのご著書の朗読会
  • 先日、地球ひろしさんのご著書「ボクが地球を救う!」のオンライン・ビデオ通話(Zoom)の朗読会に参加してきた。参加者は、地球さんと、YouTubeで朗読動画を配信されている青空永音(えりね)さん、私、そして只者ではなさそうなお兄さん、この4名だ。永音さんが本の一部を朗読し、その部分について、みんなでディスカッションや意見交換する、といったスタイルだった。私が最も興味があったのは、スピリチュアルと非二元を、どの [続きを読む]
  • 禅は一元論か
  • 私の敬愛する禅者で故人の澤木興道老師という曹洞宗の方がいる。この方は、組織や住職も持たず、ひたすら孤高の存在を貫いた方だ。 その言葉で最も好きなのが、「坐禅をして何か良くなろうとしてはいかん。大事なのは“良し悪し”を忘れることじゃ!」という言葉だ。 悟ろうと思って坐禅をするなど、もってのほか。それは“待悟禅”といって、曹洞宗ではかなり嫌われている。つまり、坐禅は、悟りを得るための手段にしてはいけない [続きを読む]
  • 溝口あゆかさんとの対話で思ったこと
  • スピ系や悟り系の人は、うつ病などの精神疾患を、現代医療(薬物療法)で治すことを嫌う。「クスリに頼ってはいけない」「製薬会社と医師の陰謀だ」といった理由だ。そういう人は、民間の代替療法やセラピスト、カウンセラー、ヒーラーなどのもとに走る。私は前々から、こうした無資格の治療者に疑問を持っていて、ヒーラー養成・資格商法といった、無法地帯での「医療行為」に批判的だった。それを、溝口あゆかさんのブログ・コメ [続きを読む]
  • 私の気づき体験
  • よく喧伝されるような「何を見ても私に見える」「宇宙全体が私だと思える」と感じるワンネス体験や、「私がいない」「個人はいない」「誰もいない」といった非二元的な神秘体験はないんだけど、数年前、夜のウォーキング中に、いきなり強烈な気づきに、深く納得してしまったことがある。 それは、①人はみな平等である、いや、動物やら何をかも含めて、すべての存在は平等である。②あやゆるものは、ありのままで、その在り方で何 [続きを読む]
  • じゅんころさんとの対話
  • 先日、Facebookで、じゅんころさんとえらい長い対話をした。彼女が「お話会」をやるというので、お話したいので申し出たワケですが、どうも彼女が募集していたのは、単なる「お話し」を求めている人でなく、私は単なる「お話し」を求めていたという齟齬が生じていた。 彼女は、いわゆる「解放」を熱心に求めて探究している人を「解放」へ導くためのメソッドを提供し、それを享受する相手を求めていたようだ。だから彼女は、それな [続きを読む]
  • 解放を望んでるのは誰か?
  • いま悟り系のティーチャーやメソッドが色々出てますけど、目的は「悟り」とか「解放」ですよね。 でもね、それを望んでるのは誰か、と考えてみると、やっぱり自我(エゴ)なんですよね。「悟り」や「解放」を、“自分意識の解消”と定義してみると、つまりはエゴが自らの消滅を求めている、自殺を望んでいるというパラドックスになってしまいます。 言い方を変えれば、「解放」に向けてワークとかしてる人は、「自分には“解放”が [続きを読む]
  • 知識と実践
  • 精神世界の本をたくさん読んで、知識ばかりを詰め込んでいる人を批判する人がいますが、それは間違いだと思います。 まず知識があって、そこから実践が生まれると思います。キリスト教徒で聖書という本を読まない人がいますか?イスラム教徒でコーランを、ユダヤ教徒で旧約聖書を、仏教のお坊さんで経典を、みんな基本は“読書”による“知識の獲得”です。 よく「実践あるのみ!」と息巻いている人がいますが、自分の“実践”が特 [続きを読む]
  • 思考と考え事
  • よく悟り系のメッセージで、思考が悪者にされますよね。思考の湧くのを止めるワークとかあったりします。 でも、思考は、良いものでも悪いものではなく、ただ勝手に湧いてくるので、それに新たな思考を継ぎ足さなければ、自然と消えていくものなんですね。 ところが、ある思考に、関連する思考を継ぎ足したり、思考を追いかけたりすると、それは「考え事」になってしまいます。それでも、考え事を良くも悪くもない、見て受容してあ [続きを読む]
  • ものの言い方
  • 非二元や悟りを説明したり語ったりするときに、話が日常の言葉とかみ合わなかったりチグハグになる事がよくあります。 これは、ちょっと専門的な言葉になるけど、「勝義諦(しょうぎたい)」と「世俗諦(せぞくたい)」という術語で分類すると分かりやすくなります。 「勝義諦」とは、究極の真理や悟りの境地やら真理そのものを言葉にした場合を言います。それに対し、「世俗諦」とは、日常の範囲の表現で、いわば世俗的にものごと [続きを読む]
  • 輪廻
  • 日本の近代仏教学の祖に、宇井伯寿という大先生がいらっしゃる。大正・昭和に活躍された先生で、中村元先生も門下にあるから、宇井先生の学説に反する論説はアカデミズムで禁忌とされ、それが未だにそれが呪縛となっている。 問題なのは、宇井先生が「ブッダは輪廻を説かなかった」とする点である。そもそも仏教の最大の論点であり、アカデミズムに留まらず、僧侶の世界においても、この説が近代仏教学の定説とされている。 これは [続きを読む]
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