秀峰 さん プロフィール

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秀峰さん: 秀峰のブログ
ハンドル名秀峰 さん
ブログタイトル秀峰のブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/shuhom/
サイト紹介文非二元・仏教・スピリチュアルなどの思いつき日記
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 174日(平均2.1回/週) - 参加 2018/05/25 20:38

秀峰 さんのブログ記事

  • artmnet0 さん
  • YouTubeで、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジなどを主に朗読している「artmnet0」(読み方はわからない)という方がいるのですが、先日、生放送の講義を行われました。私も生放送を聞きながら、「秀峰」という名でチャット欄で質問などをしました。 この講義が、無茶苦茶よい話で、特に後半は、非常に秀逸です。 ちょっと長い動画になるので、時間のない方は、後半だけでも聴いて頂きたいと思います。 [続きを読む]
  • インド哲学での非二元(一元論)
  • 【書名】「インドの「一元論哲学」を読む−シャンカラ           『ウパデーシャサーハスリー』散文篇」【著者】宮元啓一【刊行】春秋社インド哲学者の宮元啓一氏は、シャンカラ(不二一元論の始祖、8世紀)を解説する著書の中で、次の様に書いています。“シャンカラは、祭祀や修行(念想、ヨーガも含む)は行為(業)であり、業は輪廻をもたらすものであるからといって、それらを否定しました。そして、シャンカラは [続きを読む]
  • 非二元の二元の続き
  • 非二元が否定する「二元論」について、前回はこれを説明して、全宇宙は次の2つのものから成り立っていると考えます。プルシャ −神我−純粋精神プラクリティ−自性−根本原質前回は「プルシャ」の説明をしましたが、今回は「プラクリティ」のことを書きます。これはわりと解りやすい用語で、日本語で「現象界」と言われます。まあ「相対世界」とか「二元世界」と表現する輩もいますが。「現象界」というのは、単に我々の生活し [続きを読む]
  • パリのアメリカ人
  • 精神世界の話題とは違うんだが、今日は、最近ハマってる、ミュージカルの話しです。 来年1月から公演される劇団四季のミュージカル「パリのアメリカ人」のチケットを早速、入手した。超楽しみである。 このミュージカルは、古き良きアメリカのミュージカル映画を観て以来、大好きになったものだ。主演のジーン・ケリーも大好きだし、音楽のジョージ・ガーシュインも大好きだ。この作品の中でも、ガーシュインの「 I Got Rhythm [続きを読む]
  • 非二元の二元って何と何?
  • 非二元の二元って、何と何の2つのことか、考えたことはありますか?これは、まず二元論というインド哲学の一派が古代にありましたて、その二元論を否定した不二一元論が、非二元論=非二元の事なんです。ではこの二元とは何と何の2つなのかと言うと、良く勘違いされるのが、男と女とか善と悪のような、2極の(2対・2項)ことだと思われがちです。でも、二元論も非二元も、この宇宙がどういいう有様なのかと言うインド哲学の [続きを読む]
  • 「色」と「空」の濫用
  • いわゆるティーチャー達が、「色(しき)」と「空(くう)」と言う言葉を、勝手に2項対立的に使うのが気に入らない。「色即是空 空即是色」の話しです。この句がやたらと好き勝手に使われることが多いと感じで、この文章を書きました。私が気に喰わないのは、「色」と「空」の2つの言葉を、それぞれの言葉とそれぞれの言葉を、2項対立的に使われることが多いところにある。例えば、「色=二元の世界」「空=非二元の世界」だ [続きを読む]
  • インドでの神秘体験
  • 約20年前に、インドへ旅行した時の神秘体験です。 それは仏教遺跡を巡るテーマ・ツアーで、仏教に詳しい先生が引率するものだった。 ブッダが苦行を諦めた時に乳粥を与えたスジャータの住むナイランジャ河の近くに在り、ブッダが悟りを得て瞑想に耽った菩提樹のあるブッダガヤにも行った。 また、ブッダが法華経を説いたとされ、マガダ国の首都だった王舎城(ラージャグリハ)の東北にある霊鷲山にも登った。 それに、やはり王 [続きを読む]
  • 諸法実相
  • 「比べること」で書いた平等観を、人々だけでなく物事にまで広げて考えるようになった。 物事も、本来、何であれ、存在することにおいて平等なのだ。じゃなきゃ、物事に、意味や価値を認めてしまうと、それとあれを比べることができてしまう。しかし、電柱が電線より意味深い、なんて言えないし、あのコップよりこの花瓶の方が価値がある、なんていうのも、人間が勝手に評価しただけであって、この世のどれも、意味の深さや価値の [続きを読む]
  • 比べること
  • ある夜のウォーキングで心の中で般若心経を唱えながら、近くの公園を歩いていた時、 突然、「人はみな平等だよ」という思いが湧いた。 誰かと何かを比べて一喜一憂したり、過去や未来の自分と今の自分を比べたり、そういうことは苦しみの最も多い「考え事」なんだよね。 他人は他人でそのあるがままで在るだけで問題ないし、自分もありのままで存在しているだけで何の問題もない。 それぞれのあり様(よう)を、誰かと比べて客観 [続きを読む]
  • 私しかいない
  • 非二元の決まり文句を逆説的にタイトルにしてみた。 「私はいない」はちょっと解釈が必要で、ひとつは「私の本質はこの身体ではない」ということ。 もう一つの解釈は、「何かを所有する主体」「何かを行為する主体」が存在しない、ということだ。 じゃあ、私の本質は何かといえば、それは確かにある。インド哲学で「アートマン」と呼ばれているものだ。 インド哲学ついでに、「ブラフマン」という宇宙の根本原理を司る神がいて、 [続きを読む]
  • 諸行無常が苦しみのわけ
  • 仏教の教えを端的に表現した言葉に「諸行無常」がある。 これは、すべての事物や事象は、流れ移ろいゆき、固定的に永続するものは何もない、という意味である。 なぜこの言葉が大切かと言うと、仏教が説く「苦」の原因になっているからだと思う。 すべての物事が変化していき、元に留まらないということは、良い変化も悪い変化も起こり得るということである。 人間、何かが良い方向へ変化した時は嬉しいし、喜ぶ。ところがこの喜 [続きを読む]
  • 良し悪しを忘れる
  • 曹洞宗の著名な禅者に、澤木興道老師と言う方がおられた。その有名な言葉に、次の様なものがある。「坐禅して何か良うなろうとしてはあかん。良し悪しを忘れすことじゃ!」最近では、マインドフルネスなどが流行って、生産性が上がるとか、健康状態が良くなるとか、なにか期待してする瞑想が流行っておるが、本来の禅者から言わせれば、そんなアテをこしらえた行は、坐禅して悟りを得ようなどとおなじく、いやらしいものに相違な [続きを読む]
  • 道元の衣食
  • 先日、聖書「山上の垂訓」(思い煩い)というブログを書いたけど、内容的に仏教でも似ている言葉が残っているので紹介したい。 曹洞宗の宗祖・道元禅師の言行録を弟子の懐奘がまとめた「正法眼蔵随聞記」というもので、水野弥穂子訳である。 「学道の人、衣食を貪ることなかれ」仏道を学ぶ人は、衣食をむさぼってはならない。人はめいめい一生にそなわった食べ料があり、寿命がある。分を超えた食や寿命を求めても得られるもので [続きを読む]
  • 聖書「山上の垂訓」(思い煩い)
  • 私が聖書の中で最も好きな部分を紹介する。いわゆる“山上の垂訓”でなされた「思い煩い」と称される部分である。マタイによる福音書第6章25節から34節【思い煩い】(思い悩むな) 25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、 また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉 [続きを読む]
  • 私の神秘体験
  • 私は一瞥体験も覚醒体験もなんにもないのだが、一つだけ、神秘体験だったようなことがある。 ある日、車を運転していたら、信号が自車の寸前で赤に変わった。ちぇ!っと思い、そのあと「しばらくヒマだなぁ」といつものように思ったであろうところ、 「ん?私はこの車でこの信号機の前で、只(ただ)あるだけで、何も問題ない」 と思えて、その信号待ちの10秒のあいだ、何か“これだけでいいんだ”という至福の状態を体験した。 [続きを読む]
  • 「地に足つけて」ってなんやねん!
  • よく「地に足つけて」をいう言葉を発する人がいるけど、この言葉の意味がさっぱりわからない。 私は、この言葉を使う人が怪しくてしょうがない。 例えば企業の正社員ならギャンブルで借金を抱えていても、地に足ついているの? 非正規雇用の人やフリーターは、真面目に働いていても、地に足ついてないの? 社会保険や厚生年金に加入してれば、怪しい霊能者に貢いでいても? 職業的な問題じゃないなら、「地に足ついていない人」っ [続きを読む]
  • 神仏のご利益
  • 神でも仏様でも同じく、祈ったり拝んだりして、自分の望むご利益を、聞いてもらって叶えられるとは、あんまり思えない。 叶ったとしたら、それは自己暗示と言う心理学的な説明で、説明がつくことでしょう。 つまり、神や仏は、価値観を持っていない。 じゃなきゃ、西日本豪雨や東日本大震災を説明できない。 だから、神仏に祈念することは、自己暗示を超える、超自然的な効能がある訳ではない。 A君が湯島天神でT大学の合格祈願を [続きを読む]
  • 誤解を解く
  • 前回のブログで、龍樹(ナーガールジュナ)の言葉で、次の様なことを書いた。 「空(くう)の悟りも、中途半端に自覚されたのでは、地獄に2回落ちたよりも罪深いことである」 ここで「中途半端な悟り」というのは、自分だけ悟りを開いて満足し、他者を批判したり揶揄したりばかりで、他者に対する慈悲心や思いやりを欠き、天狗になってる人の事である。 これもしかしたら、私の近くの人やグループのメンバーのことを念頭にして [続きを読む]
  • 中途半端な悟り
  • 大乗仏教の初期に「空(くう)」の理論を大成した人で大変有名な、龍樹(ナーガルージュナ)という方がいる。 その方が、次のような事を言っている、 「空(くう)の悟りも、中途半端に自覚されたのでは、地獄に2回落ちたよりも罪深いことである」 この「中途半端」と言うのは、「自分はもう真理を悟った。だから他の人のことはどうでもいい」という、自分だけの悟りで満足してしまう人らしい。 本当の悟りには、かならず他者へ [続きを読む]
  • 「ついに悟った!」という人達
  • 私は悟り・非二元系のネット上のグループをさんざんやってきて、最近、思うことがある。 「自分はついに悟った!」「やっと覚醒した!」「解放が起きた!」などの神秘体をした人の中には、自分がついに究極の真理を得たと思い込んでしまう人が多い。こういうのを仏教では“生(なま)悟り”といい、非常に警戒される。 そういう人たちの特徴は、「もう自分には学ぶことはない」と思い込んでしまい、「もうゴールに達した」という [続きを読む]
  • スピリチュアルの源流
  • いまでこそ、非二元だぁ悟りだぁと言っているけれども、かつてはスピリチュアリズムにハマってた時期があった。 この本の真ん中は、「シークレット・ドクトリン」(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー)だ。 これは神智学と呼ばれる、西欧オカルトの原点となる書物である。その右の「トランスヒマラヤ密教入門」も、オカルティシズムでは有名な書物である。 神智学をよく知らない人が多いが、これは、インド哲学とチベット仏教 [続きを読む]
  • 山川夫妻のこと
  • 私が精神世界と言うかニューエイジの読書遍歴を始めたきっかけとなった本が、約30年前に出版されたこの本だった。 「アウト・オン・ア・リム」(シャーリー・マクレーン)https://www.amazon.co.jp/dp/4042798012 今は文庫本が出ているが、約30年前は、それはなく、邦訳の初版本がなぜか父親の部屋に置いてあったのを、何気なく読んだ。 シャーリー・マクレーンはアメリカの女優で、「アパートの鍵貸します」といった映画で活 [続きを読む]
  • 非二元と「自己の本質」
  • ラマナ・マハルシが「私は誰か?」という問いを探究することを勧めていることはよく知られたことである。そこで、前回の記事から関係するらしきことを引用すると・・・ >そもそも、「非二元」の「二」とは、次の2つのことを指す。>この世界が一体何から成り立っているのだろうか、という問いに対する答えだ。>>①絶対世界(純粋意識)>②現象界(相対世界)>>この2つの世界が“実在”すると主張するのが「二元論」(サーンキヤ [続きを読む]