幸多朗 さん プロフィール

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幸多朗さん: 迷い出た羊
ハンドル名幸多朗 さん
ブログタイトル迷い出た羊
ブログURLhttp://kohtaro522.blog.fc2.com/
サイト紹介文教会へ通えないクリスチャンですが、日々感じたことを綴っていきたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 23日(平均5.2回/週) - 参加 2018/05/26 08:49

幸多朗 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 希望…とは?
  • 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマの信徒への手紙 5章 5節)あなたは今どのような希望を持っていますか。それは、自分のことですか。あるいは、家族のこと…友人や知人のこと…それとも、お金や物…わたし自身のことを言えば、今は特に希望はありません。毎日、穏やかに一日一日が過ぎて、長すぎもせず、生涯を閉じる。その時 [続きを読む]
  • すべてをわたしたちのために
  • わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙一 4章 10節)すごく大事なことが書かれていると感じます。罪の自覚が無ければ、神様の愛を感じることはできない。そんな気がします。そして、大きな犠牲のもとで罪が赦されていることを認識していなければ、また罪を犯し、怠惰な日々を送る。罪の自覚は何から生 [続きを読む]
  • 苦しい時、辛い時こそ
  • なぜあなたは、とまどい人を救いえない勇士のようになっておられるのか。主よ、あなたは我々の中におられます。我々は御名によって呼ばれています。我々を見捨てないでください。(エレミヤ書 14章 9節)苦しい時、辛い時こそ、主が共にいてくださっていると素直に信じられる…そんな人になりたい。ものごとがうまく行ってる時、楽しい時、満たされている時、主が近くにいらっしゃると感じられるのは、ごく普通のこと。現実には、 [続きを読む]
  • 信じて待つ。
  • 信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。(ヨハネによる福音書 21章22節)心のどこかで、諦めてしまっている自分はいないだろうか。自分の知識や経験、思い込み、先入観、不信感…あるいは、逆に、突拍子もないことをお願いし、祈れば、かなうなどと、勝手な勘違いをしていないだろうか。どちらも違う。普段の祈りの中で、「求めているもの」が何か、何度も問いただす。最後は、信じて神様にすべてを委ねる。時が熟すのを [続きを読む]
  • 懲りない人たち
  • 天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう。わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした。(哀歌 3章 41-42節)人は何度も神に逆らい、悔い改め、赦しを請い…また繰り返す…神様はどうしてこのような面倒くさい「人」というものをお創りになったのか…しかも、神に逆らうという自由も与えて。初めから創らない。もしくは、いっそのこと、滅ぼしてしまう。その方がどれだけ楽か…神の御前で手を [続きを読む]
  • 全き心と、喜びの魂
  • わが子ソロモンよ、この父の神を認め、全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれるからである。(歴代誌上 28章 9節)全き心と、喜びの魂…信仰が育まれていく過程で形成されていくものであり、理屈でそのようになるものではない、と感じます。ある程度の学びも大事だとは思いますが理屈では人の心は育たない。昔、教会に通っていたころ、「弟子訓練」というプログラムを受 [続きを読む]
  • わたしの愛にとどまりなさい。
  • 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。(ヨハネによる福音書 15章 9節)これは、イエス様の言葉父なる神様が、その尊き御子なるイエス様を愛されたように、イエス様はわたしたちを愛してきた・・・これほどの深い愛はないでしょう。その愛にとどまることは、難しいことでしょうか。それとも易しいことでしょうか。ひとつ私が確信を持って言えることは、神様が人を躓かせてい [続きを読む]
  • 主を畏れる者
  • まっすぐな人には闇の中にも光が昇る憐れみに富み、情け深く、正しい光が。(詩編 112篇 4節)「新実用 聖書注解」によると、「主を畏れる者が主から祝福の光を受けて、主と同じあわれみ深い行為をすることと理解されている」まっすぐな人とは、主を畏れる者ということでしょうか。では、主を畏れる者とは…「恐れる」ではなく、「畏れる」畏れかしこむ…ということ。わたしたちが、神様によって創られたこと、そして、日々守られ [続きを読む]
  • 見えるものにではなく、見えないものにこそ。。。
  • 見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマの信徒への手紙 8章 24-25節)わたしは日々何に希望を見出して、生きているのだろうか。目に見えるものは、あまりに醜く、汚れて、吐き気さえ覚えるものばかり。時には、美しいもの、良いものも目に映りますが…(実際は、こうしたものもたくさんある [続きを読む]
  • ひたむきに…
  • シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」と答えた。(ルカによる福音書 5章 5節)わたしたちは、とかく自分たちの知識や経験、勘、思い込みなど、様々な理由から自分勝手に限界を設けてしまうことはないだろうか。賭けをする必要はないと思います。しかし、まず、やってみること。諦めないこと。投げ出さずに最後までやり遂げること。そ [続きを読む]
  • 祈りと涙
  • わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。(列王記 下 20章 5節)主は祈りと涙にこたえて、いやしてくださる。しかし、誰であってもいやしてくださるとは、わたしは思わない。3節にあるように、ヒゼキヤは、まことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み御目にかなう善いことを行ってきた…もちろん、努力の報いとして、神様からのいやしに与れるわけで [続きを読む]
  • 祈れません。
  • どのような時にも、”霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソの信徒への手紙 6章18節)今はもう祈っておりません。祈っていたときは、本当に身も心も消耗しました。でも、今はできません。信仰がないのか。単に疲れているだけなのか。(休めば、また祈れるのか)祈りたくないのか。理由は分かりませんが、ただ真っ白なのです。毎週、しおらしい顔を [続きを読む]
  • この恵みを無にしない生き方
  • 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤの信徒への手紙 5章13節) 今、自分は自由だろうか。正直、自由であるという実感はない。絶えず何かに支配されて生きているのではないだろうか。仕事、家庭、友人、趣味、お金、名誉、社会的地位、いろいろ…そして、人は元来、愛に仕えるようには、創られていない。「わた [続きを読む]
  • ふさわしい実
  • 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。(ルカによる福音書 3章 8節)思えば、以下の2つの御言葉によって、堕落していると思いました。ローマの信徒への手紙 3章 10節正しい者はいない。一人もいない。エフェソの信徒への手紙 2章 8節あなたがたは、恵みにより信仰によって救われました。 [続きを読む]
  • 愛するものに…
  • この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。(ルカによる福音書 7章 47節)今の世の中は、本当に吐き気がするくらいに、自分勝手で、他の人のことなど、ほとんど顧みない。愛することの少ない時代とさえ、感じる。きっと赦されることも少ないだろう。赦されること、赦されないこと…罪の自覚さえ危ういだろう。このような時代にあるからこそ、どこまで赦 [続きを読む]
  • 自制の力
  • 忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。(箴言 16章 32節)自分を制御すること本当に難しいと日々感じます。特に自分の舌これは本当に難しい。愚痴や悪口、泣き言、否定的なこと・・・本当にうんざりするくらい。いつも誰かを不快な思いにさせているだろう。でも、今日も生きねば…つらいなあ(笑) [続きを読む]
  • また、ブログを始めました。
  • 久しぶりに、またブログを始めました。何を書こうか、いろいろ思うところはありますが…約10年前に教会の門をたたいてから、これまでのこと、そして、今の思いを少しずつ、綴っていきたいと思います。迷い出た羊が何を思い、どこに向かっているのか。飾らず、ありのままの気持ちを表せたらと、思います。 [続きを読む]
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