ぼ輔 さん プロフィール

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ぼ輔さん: 鎌倉街道 を探そう! 鎌倉城と古代の東海道遺構
ハンドル名ぼ輔 さん
ブログタイトル鎌倉街道 を探そう! 鎌倉城と古代の東海道遺構
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/mementosmori
サイト紹介文日本最大の鎌倉城とその遺構。頼朝に封印された古代東海道遺構の紹介!
自由文国内の勢力争いの為の城郭とは異質な、、
日本の存亡を賭けた、フビライハンのモンゴル帝国襲来に対抗する為の鎌倉城です。
世界最大の国力に対抗した 世界有数の巨大な城跡となり、当然全国の武士を総動員して守る城となった。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 18日(平均5.4回/週) - 参加 2018/05/31 09:17

ぼ輔 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 下大槻から関本へ15
  • 素直に真上から見た傾斜部を黒く表した地図で、薄く衛星写真が載っています。矢印は写した方向と、その写真ナンバーです。12131415161718車は下からは登れません! 峰から下りこれ以上降りれない場所です。この様に、歩行、馬、荷車が限界な恐らく道幅は1間(1.8m)で郡道で有ったそうです。この当時(明治時代)は、地方最大の街道で在り、矢倉沢街道も同じ道幅の様です。この道が古代東海道とは、、思わないのです [続きを読む]
  • 鎌倉の砂鉄6の補足
  • 海水の動き-流況・波高表示(相模) - 海上保安庁 海洋情報部http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/KAIYO/oceanradar/currentsagami.htmlこれ等は、時間によりサキ潮やカシマ潮になる訳ですが、江の島でいえば、東浜は境川の土砂が入り込まないので、砂浜が柔らかく、西浜は砂地と川の土と泥で硬く、車が通れる状態です。この砂浜の違いは、黒潮海流の流れが強く、三浦半島から鎌倉江の島に向かうサキ潮が基調であり、カシマ潮の流れ [続きを読む]
  • 鎌倉の砂鉄5の写真追加
  • これは、2018年のgoogle地図で、更に砂鉄の黒い色が明確です。稲村ヶ崎脇の極楽寺川から出た砂鉄は、鎌倉から江の島に向かう潮流にサラサレて、砂は潮流に流され、砂鉄は波に打ち上げられ黒い砂浜となる。〉稲村ケ崎の砂鉄について (徘徊おじさん)〉2011-11-07 09:43:47〉先日、NHKの高校地学の中で、稲村ケ崎の砂丘の話が出てきました。〉ここの砂鉄は、海流により運ばれたそうで、比重の大きな砂鉄分が〉こちらに堆積したものだ [続きを読む]
  • も く じ
  • 中世の鎌倉街道が目的でなく「鎌倉街道と呼ばれた古代道(駅路、官路)を探そう!」です。写真は、古代道の特徴を持ち、砂利トラ2台が並ぶ幅です。鎌倉街道上道と考えれば海老名国分寺と鎌倉の中間地点。もくじは書いた順で表示してあります。カテゴリーを操作すると記事の関連がスムーズです。PCの方は日付けを参考に、左上のバックナンバーを操作して移動してください。●初めての方へ,古代駅路の特徴−−2006-05-13●鎌倉街道 [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ14
  • 写真4古道趣味の方は、こんな祭られた物を見ると、古道の証と考えるのでしょうが、、古代駅路(1300年前から平安時代)の根拠には成りません!道の右側は広い道幅が想定できる場所です。写真5写真6一段堀切られた処に道路がありますが、右手の上は広い道路が設定できる幅が在ります。写真7一段上がった場所は、畑で広い道路が設定できる幅が在ります。この様に堀切られた道の理由が不明で、珍しい道です。次回はスイッチバック的 [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ13
  • さて、秦野寄りの登り口で栃窪と呼ばれる場所です。3D画像の矢印は写した場所と方向です。写真1この道は下っています更に先には小川を渡ります。写真2白いガードレールは川の土手です。写真3道の右手は、無駄に平地が有ります。道幅を取れる可能性=古代駅路の可能性です。以上 1〜3の写真ですが、、、この農道扱いの道は、戦前は郡道で有ったそうな、、道幅2m前後の道です。これが、古代の東海道の痕跡??そうではなくて [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ12
  • 「下大槻から関本へ11」の地図を3Dで表示しましょう。とても、理解し易い画面でしょ?秦野市街の大道方面から見るとこの様な地形です。これが、バーチャルな世界の真実に迫る表示と、樹木にサエギラレて真実が確認できない現実の違いです。バーチャルでも、現実以上の真実に迫る事が出来る。実地にその場を歩いたら、、、どの様か?? [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ11
  • 明治地図の次は、現代の地図です。道幅は1.5〜3mとなっています。この様な図面を見てもピンとは感じない。ここに傾斜部分は色濃く表示した地図がある。如何でしょうか?栃窪から山に登る際、電車のスイッチバックの様なZの形の場所が理解できるでしょうか?エラク掘り込まれた道に表示されています。荷物の運搬を含めた普通な街道はこの様に作りません!何故なら荷車が通りにくいのです。この辺りが古代道の定番かもしれません [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ10
  • 明治の迅速図です。古代道を探すときに、明治時代の地形図が一番古い地形と道路を確認できる手段です。青い丸をした場所は、これから考察する道路です。 明治時代は、大住郡と言われた場所で在り、この青い道は「郡道」で有った場所です。道幅は2m以上の3m未満の地図表示です。、当時の街道の定番の様です。よって矢倉沢街道も同じです。よって、この道の上を通っても、古代道の道幅はない。在るとすれば、古代道の一部を使ってみ [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ9
  • 篠窪の明治地図です。目立って太い道路は、点線と実線の組み合わされた2m以上を示す道路で青い色で書きました。この道は富士塚を通ります。明治の時代に目立った道は、この道だけである。「下大槻から関本へ8」では、この富士塚は、矢倉沢往還である。 とか?少なくとも谷を通る(紫色の)道には矢倉沢街道と書かれていますが明治の地図では無名です。矢倉沢街道は道幅一間とされているそうですが、この道もその程度で現在は、農 [続きを読む]
  • 長窪砦モデルコース
  • 鎌倉が不案内の方に、、お気軽に鎌倉城を実感できる長窪砦のコースを考えてみました。大半は、個人の住宅で砦は覆われて、その気で見ないと城とは思えないのが、、、鎌倉城の特色です。このコースは大きな砦跡ですが、、鎌倉城のホンの一部です。北鎌倉駅を降りたら、円覚寺の池の間を通り、総門を越し拝観受付で「北鎌倉隧道」が通れないので迂回するのですが、「北鎌倉幼稚園」より「八雲神社」に抜けるにはどの様に行くのか?  [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ8
  • 山を越えて関本に向かったと考えられる古代東海道ですが、、、篠窪峠に「富士塚」と呼ばれる場所が在る。その解説板には、、この道の名は「矢倉沢往還」と呼ばれる。更に、源頼朝が富士の巻狩りにこの道を使ったと書かれている。 これは、、鎌倉代以前に道が在った事! 古代東海道を暗示する話と思います。何故なら、此処から鎌倉に向け一直線に古代東海道が辿れる訳です。他の脇道を通れば、、それは遠回りに成り古代東海道が存 [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ7
  • 矢倉沢街道は、谷筋を降りていく街道です。江戸時代に使われた道と言う訳ですが、、、古代駅路の風格が在りません!>風格とは、>道の広さ>目先の地形を無視した 大局的に直線的な道路>坂道の傾斜角度>等が組み合わさり、風格が出る。実際は東光寺の切通等を見ると、狭い道幅です。狭い原因は色々考えられますが、、1000年の雨でエグラレタ事も考えられるし、戦略上、道を断ち切られた状態も在りますし、、記述の無い歴史が在 [続きを読む]
  • 下大槻から関本へ6
  • 写真は、秦野と大磯丘陵で、右の青丸は小田急電鉄脇の道路遺構で、その先の青丸が「大道」です。桃色が江戸時代の矢倉沢街道と言われる道ですが、谷筋を関本に向かう道です。江戸時代以前に谷筋に昔に古道が在った可能性は、、、否定できません。問題は、古代東海道の名に値する遺構が在るか?の問題です。その他に大磯丘陵に向けた青矢印の方向にその痕跡が在るのか??なんと言っても、関東大震災の断層が通っている場所が秦野で [続きを読む]
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