rekisicafe さん プロフィール

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rekisicafeさん: 歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!
ハンドル名rekisicafe さん
ブログタイトル歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!
ブログURLhttps://rekisicafe.muragon.com/
サイト紹介文日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 41日(平均2.7回/週) - 参加 2018/07/20 10:19

rekisicafe さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 百済観音も救世観音もクスノキで造られた
  • 「百済観音は飛鳥時代の代表的な仏像で、高さはーー、材料はクスノキです。百済観音は何処から日本に来たのか、今日でも分かりません」 就学旅行の中学生に、ガイドさんが説明していました。わたしは思わず振り向きました。 『百済観音は九州で造られたのでしょうね。』と言ってあげたかったのです。 黒い制服の子ども達はあちこちに視線を向けていて、ガイドさんを見ている子はわずかです。その子達も横にいる仲間と何やら喋り [続きを読む]
  • 法隆寺の釈迦三尊像と薬師如来像の銘文を読もう
  • 今日は、このブログを三回目書いています。何故かエクスプローラーが中断し、せっかく入力したのに、全て消えるのです。どうしたのでしょうね。 でも、何とか再度書きましょうか、前に何と書いていたか忘れたので、前文と全く違っていますが、誰も前文を知らないので、まあ、いいでしょうか。 今日は、8月8日の「歴史カフェ・阿蘇」の報告です。 わざわざ、西原まで来てくださった皆様、ありがとうございました。 徳永さんは [続きを読む]
  • 天子宮と天神社に隠れた神々はどなたですか?
  • 十年前の阿蘇山。まだ地震の爪痕は有りません。俵山峠からの写真です。 なつかしさと同時に胸が締め付けられるような気分になります。 あの時、わたしはどんな思いでこの風景を見たのだろうかと。 火口の御池です。火口は満々とたたえた雨水を沸騰させていました。硫黄で青く濁っています。 阿蘇山上には山上神社がありますが、常の神事は麓の阿蘇神社で行われています。 十年前の、地震で潰れる前の、阿蘇神社の楼門です。大 [続きを読む]
  • 法起寺は飛鳥時代の代表的建物ですが・・・
  • 斑鳩の三塔は、法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、それに法起寺の三重塔です。法輪寺の三重塔は落雷で焼失し再建されました。いずれも聖徳太子と山背大兄にまつわる由来を持つ寺院です。この三寺だけが、塔と金堂が東西に並びます。法起寺式と呼ばれる伽藍様式です。 敷地内は静かですが、世界遺産になって、どうでしょうね? 明日香も斑鳩も外国の人が一人か、二、三人で歩いています。安全なんですね、日本は。 外国では日 [続きを読む]
  • 纏向遺跡のフイゴの羽口は九州から伝わった!
  • 最近の考古学研究の片寄りに驚いています。 ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、倭人と手を結びました。 でも、四世紀の列島はいつの間にか、近畿が支配していた? そんな! ありえません。 そもそも倭人伝による [続きを読む]
  • 聖徳太子の王子の山背大兄王の伝承
  • 聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。 その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。 地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。 写真は現在地という地点から岡の原に向かってシャッターを切りました。 法輪寺です。若い時に此処を訪れた時は、三重塔はまだ建てられていませんでした。塔の為の柱材を確保 [続きを読む]
  • 藤ノ木古墳は法隆寺の近くにある!
  • 法隆寺の近くには「ミササギ山」と呼ばれる古墳があり、それが近年大注目を浴びました。藤ノ木古墳です。 副葬品が大変豪華だったからです。 それらは、家形石棺の中に置かれていたのです。 副葬品はこれだけではありませんが、これらが家形石棺の中に置かれていたことが重要だと思うのです。 この藤ノ木古墳は法隆寺と関係が深いらしいのですが、どなたの石棺でしょうか。二体の遺骨があったのです。 副葬品からして、よほど [続きを読む]
  • 法隆寺が見て来た歴史は何だったのか
  • 法隆寺を歩くと、ふっと土塀に視線が行きます。 そして、草野心平の「法隆寺土塀」を思い出してしまいます。 今は、詩集が傍にないのではっきりとは言えませんが、そんな題詞だったと思います。 中学のころ、担任だった森崎浩一郎先生が読んでくれた詩でした。 子どもでしたから、法隆寺土塀に心を動かした詩人とそれに共感した教師がいると、ぼんやり受け止めたのでした。 それから何度も法隆寺に行きましたが、その度にしみ [続きを読む]
  • 熊本県の西原村を紹介します
  • 肥後大津方面から西原村に入るには、白川を渡ります。 白川の奥に阿蘇の五岳が見えます。青い山波は外輪山です。 西原村からは、西に雲仙普賢岳が見えます。一番奥にかすんでいます。手前の金峰山との間に有明海が広がります。 北側には、菊池盆地の神山、八方ヶ岳が見え、ほぼ真北には鞍岳が控えています。 鞍岳は阿蘇の外輪山の一部です。 鞍岳のすそ野一帯はは弥生の遺跡です。有名な矢護免遺跡もあります。湯船の堤(つつ [続きを読む]
  • アメタリシホコの国の仕組みに伊尼翼(いなき)がある
  • 福岡空港に行くとき、稲城という交差点を通ります。 この地名を見るたびに、隋書の「伊尼翼=いなき」を思い出します。 これってアレのことじゃない? といつも思うので書いてみます。隋書には、 『軍尼(くに)一百二十人有り。なお中国の牧宰(ぼくさい)のごとし。八十戸ごとに 一伊尼翼(いなき)を置く。今の里長の如きなり。十の伊尼翼は一つの軍尼の属す』 と書かれているのです。 百二十人の軍尼がいるが、これは中 [続きを読む]
  • 民話に残された小さな話の大きなカギ・根子岳
  • 熊本には、猫は最後を迎えるころ、どこか家族から見えないところに行くが、それは根子岳に登りその時を迎えるからだという民話があります。 阿蘇の人に「猫が根子岳に上るって本当ですか? そんな話を聞いたことありますか?」と聞きました。 「そぎゃんことはなか(そんなことはない)」という人ばかりでしたが、子どものころは疑いつつも不思議に信じていました。根子岳は柱状の岩がそそり立つ険しい山容をしていて、その姿か [続きを読む]
  • 阿蘇の支配者は誰だったのでしょう
  • 阿蘇にも支配者が交代したことを臭わせる伝承がありますね。侵入者は阿蘇都姫と結婚しています。 草部吉見神社は、有名な下り宮です。 鳥居をくぐれば急な階段を下ります。 祭の時、御輿は鳥居をくぐらず横を廻ります。奇妙です。 草部吉見神社は、いろいろなブログで紹介されていますから是非そちらを読んでください。 わたしがはじめて此の神社に参詣したのは、父の案内があったからでした。 父は既に故人となりましたが、 [続きを読む]
  • 阿蘇とはどんな意味なのでしょう
  •   阿蘇のいみは何でしょうか 白川静という学者を御存知ですか。 甲骨文字を研究して、漢字が本来どのように生まれたかを追求し、東洋とは何かまで迫った人です。何より漢字はその一字を見ただけで意味分かるというのです、見ただけでわかる文字だと。 では阿蘇の「阿」を見ましょうか。 阿   ア      やまのくま ・ のき ・しなやか ・こびる 形声文字で、発音は可(カ)。可には疴(ア)という音もある。 「 [続きを読む]
  • 「阿蘇」の意味は何ですか
  • そもそも、阿蘇ってどんな意味があるのでしょうね。 古代では「あ」は、自分のことですね。「吾」と書いて「あ・あれ」と読み、「私」と言う意味で使います。古事記や日本書紀に古い言葉がでてきますが、例えば「あぎ」とか「朝臣(あそん・あそみ)」とかです。 あぎ (吾君あがきみ)のことで、わたしのご主人様 という意味です。 あそみ (朝臣)あがおみ、わたしの家臣、朝廷に仕える臣下と言う意味です。 そうして考え [続きを読む]
  • 聖徳太子の宮は何処にあったのでしょうか?
  • 聖徳太子は何処にいたのでしょうか? その宮殿は俀国の何処にあったのでしょう。 まず、その俀国は何処にあったのでしょう。隋書には、 百済・新羅の東南、水陸三千里に在り。 魏の時、中国に訳通す。三十国あり、皆、自ら王と称す。 三千里で俀国ですか。では九州も俀国ですね。魏の時=卑弥呼の時代 は、言葉が通じた国が30国で、何処にも王が居たのですね。と云うことは、倭人伝に書かれた九州の30国に王が居て、 [続きを読む]
  • 聖徳太子は阿蘇山を見たことがあるのでしょうか?
  • 阿蘇山あり。其の石故無くして火起こり、天に接することあり、俗、以って異となし、依って禱祭(とうさい)を行う。 隋書に書かれています。隋からの使者は、阿蘇山を見たのですね。 では、隋の使者は有明海を通ったのでしょうか。船の上から阿蘇の煙を見たのでしょうか。そこで、阿蘇山のことを聞いたのでしょうか。 それとも、倭国の人に案内されて、阿蘇山を見たのでしょうか。 すると、隋から派遣された裴世清(はいせいせ [続きを読む]
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