くまこ さん プロフィール

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くまこさん: くまこのつれづれ
ハンドル名くまこ さん
ブログタイトルくまこのつれづれ
ブログURLhttps://kumacotan.hatenablog.com
サイト紹介文幼少期から極貧生活。毒母だと長年思っていた母が他界して精神不安定な日々。なんとか再生したい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 54日(平均6.5回/週) - 参加 2018/08/02 09:58

くまこ さんのブログ記事

  • 母は可哀想だったのか?
  • 納骨で帰省中に、いつもお世話になっていた村の商店に顔を出した。普通ではあり得ない話だが、私が子供の頃からいつまでに払うからと言っては、それを過ぎてしまったとしても期限を催促せずに「ツケ」で食料品等を購入させてくれていた店だ。私は帰省の度に、菓子折りを持って必ず挨拶しに行く。「こんにちは。おじちゃんお久しぶりです。くまこです。」「おぉ、くまこかぁ。母ちゃん、大変やったねぇ。まさか、父ちゃんより母ちゃ [続きを読む]
  • 母も来てる…?!
  • 納骨の翌日、皆で父に会いに行った。先に皆で入ってもらって、私は施設の職員さんと話してから父の部屋へ向かった。「お義父さん、喋ったよ!俺が会いに来るのが遅くなってごめんねって言ったら、首を縦に振りながら、よか。って。」私が、「父ちゃん、ただいま。会いたかったよ。」と言うと、私の顔をじっと見てくるのだが、私の左肩側を覗き込み続ける。皆、その様子を不思議そうに見ていた。父は、倒れてからも夫が演歌を歌うと [続きを読む]
  • 父の状態②
  • 9日間の滞在の最終日。夫が、「お義父さん、また会いに来るから。次会った時は腕相撲で俺と勝負してね。」そう言って、父の左手を触ると物凄い力で握り返してきた。「お義父さん、ありがとう。腕相撲しようね。お義父さん、ちゃんとわかってるもんね。」そう言うと、父は泣きながら頷いた。全く理解していない事はないのではないか。もっと滞在できたら、少しは何か変わったのではないかと夫婦で話しながら、東京に戻った。だから [続きを読む]
  • 父の状態①
  • 納骨の翌日、施設に入居している父を皆で訪ねた。そこで起きた不思議な体験を話す前に、父の状態に触れておこうと思う。父は、5年程前に脳梗塞で倒れた。いつものように農作業の為、1人で畑に行っていた。夕方になっても帰って来ない父を心配して、母が姉に見に行くよう頼んだ。そこで、姉が倒れていた父を発見した。今は、発見が早ければ後遺症を比較的抑えられるような薬を投与できるらしいが、父の場合は相当な時間が経過してい [続きを読む]
  • 四十九日
  • 1月末に四十九日と納骨で田舎に帰省した。長女、長男、二男は来なかった。予想外だったのが田舎の姉の子供達が駆けつけてくれたことだった。私と姉は大幅に年の差があり、尚かつ姉は早くに結婚しているので、1番年が近い姪は私と6つしか違わない。全員、社会人だ。皆、有給休暇を取って駆けつけてくれた。この事が、とてもとても嬉しかった。例の昼食時の母の居場所も、用意されていたので安心した。その日は、全国的に大荒れの日 [続きを読む]
  • 姉の感覚
  • 他の兄弟と多少ゴタゴタして、墓等の色々な問題もあるが、田舎の墓に納骨する事になった。四十九日の手配等は、田舎にいる姉にお願いしていた。地元の空港に昼過ぎに着く便なのだが、15時からお寺で四十九日の法要を行い、そのまま墓に移動して納骨するという流れ。「空港からまっすぐウチに来て、ウチで軽くお昼食べて、その間に母ちゃんは車に置いといて皆で寺向かえばいいでしょ。ちょっとバタバタするけど、初日に済ませた方が [続きを読む]
  • 姑からのメール
  • 49日と納骨で田舎に帰省する日が近づいた頃、姑からメールが届いた。「もうすぐ、帰省ですね。もう、傷は癒えましたか?納骨を終えたら、全ての悲しみ等の感情は田舎に置いてきなさい。それが、49日の本来の意味というものですよ。わかっていますか?」正直、面倒くさい。強要しないでいただきたい。姑に本心を言う事等、あり得ない。結婚して10年、姑とは色々あった。今まで何度も本心でぶつかってきた。いつも、頼って甘えて欲し [続きを読む]
  • ぴんぴんころり
  • 今まで、少し書いているが、姑がかなり苦手だ。母が亡くなってから、苦手を通り越して嫌いになった。母が亡くなって、1週間程経った頃、「あれが本当のぴんぴんころりだわよね。理想だわ。」それ以降、会う度に言ってくる。母は苦しまなかったという、医者の言葉を信じるしかなく、そうであって欲しいし、色々葛藤している最中にこういう事を笑いながら言ってくる。少なくとも、あなたには言われたくない。そして、納骨で田舎に帰 [続きを読む]
  • 昔の母の言葉
  • 私が中学生だったか高校生だった時。夜、隣で寝ている母が、「あんたはごらしかね。(可哀想ね)母ちゃんが39の時に産んだから、兄弟の中で一番母ちゃんと居れる時間が短いよ。」なんとなく、この言葉が自分の中に残っていた。あれから、18年程経って2年間だけだったが一緒に暮らした。あまり仲が良くないというか、ものすごく問題のある母娘関係で、認知症もあったりして辛いと思う事の方が多かったけど、他の兄弟は知らない母と [続きを読む]
  • ふとした瞬間
  • 母が亡くなってからの半年間は、家でも外でも所構わず、突然涙が出たりして困った。当初は、18年振りに母と同居した2年間を思い出すのが辛かった。むしろ、この一緒に暮らした2年間がなかったらもう少し楽だったのではないかと考えたりもした。3年前、夫は父を亡くしている。病院内での不自然な突然の死だった。不安定な私を見て、「俺も最初は、昔の親父との思い出を思い出す度、もう親父は居ないんだなと余計に寂しくなって辛か [続きを読む]
  • 衝撃的な言葉
  • 長男と二男のバトルの翌日、私はこのまま連絡をとりたくないと思っていた。でも出棺の時、母に兄弟仲良くするって言ったし、納骨の問題もあるし、まだ施設に入居している父もいるし。父については、4年程前に脳梗塞で倒れ施設に入居しているが、発作を繰り返していて、次は難しいだろうと言われている。長男も二男も20年は父に会っていない。母には、東京に引き取った当初、一度だけ長男と二男は会いに来ているが、それも20年近く [続きを読む]
  • 長男と二男のバトル
  • 葬儀の翌日、二男が長男に電話した。本来であれば、長男が電話して来いと思う。私や二男は家族だから別にいいが、私の夫には一言もないのは筋が違うのではないか。「もしもし、兄貴。昨日、無事に終わったから。」「あぁ、そうか。」「今日の夜にでも、くまこと旦那さんに兄貴の方からお礼も兼ねて電話してくれよな。」その瞬間、長男が怒鳴りはじめた。「何で、俺がいちいちお礼言わなきゃなんねぇんだよ!!」(やっぱ、コイツは [続きを読む]
  • 介護中の思い出(お菓子編)
  • 母は、認知症だった。父が脳梗塞で倒れ入院して、一人になった途端様子がおかしくなった。当時、東京から田舎の母に電話すると、日にちや時間を朝5時と夕方5時がわからなくなっていたりと気になる事が増えていったので、私達夫婦と一緒に暮らし始めた。デイサービスに行かない日は、母は留守番が多かった。といっても、週2日くらい5時間程。お昼ご飯と飲み物とおやつを母の部屋にセットする。母は、血圧が少し高かったり、昔から小 [続きを読む]
  • 葬儀当日③
  • 最悪な気分だが、まぁ葬儀当日だし、そんな長電話にはならないだろうと電話に出た。「もしもし。ご無沙汰しています。」「急な事でびっくりしたわ。あんたが、ずっと東京で面倒みてたんやろ。時々、あんたの姉ちゃんからは話聞いてたわ。今、娘から話聞いて、良い葬儀だったって。まぁ、色々あったけど、もう全部今までの事は忘れたわ。水に流すわ。」(は?色々あったって。お前が勝手に色々やらかしてただけだろ。こっちは、一生 [続きを読む]
  • 葬儀当日②
  • エンディングメイクをした母は、こんな顔してたんだと思う程、綺麗だった。皆で花を沢山飾ってあげた。「生まれてから一度も田舎を出た事ないのに、70過ぎてから東京へ連れてきてごめんね。本当は嫌だっただろうに、出てきてくれてありがとう。これからは、兄弟仲良くするから、心配しないで大丈夫だからね。」そう言って、送り出した。御経の間も、ただただありがとうと心の中で繰り返した。火葬の間、予約してあった食事を皆でと [続きを読む]
  • 葬儀当日①
  • 母の葬儀当日。参列者は、私と夫、二男、姑だけのつもりだった。他の兄弟が来なかったので、地元ではないし仕方ないと思っていた。が、来なくてよい人が来ると姉から連絡があった。私のいとこだ。私の父の妹の娘。二男と同じ私の7つ上。埼玉に住んでいるらしく、小学生の娘2人を連れてくると。もう何十年も会っていないのに。昔からこの母娘が大嫌いだ。私の父は、DV癖が酷かった。私は殴られた事はないが、事あるごとに母へ暴力を [続きを読む]
  • 葬儀にも参列しない兄弟
  • 私は5人兄弟の1番下なのだが、長女とは18、1番近い二男とでさえ7つ離れている。兄弟というより、親戚のような感覚で育った。母の葬儀に参列したのは、二男だけだった。次女は、地元に暮らしていて施設入居している父の世話をお願いしている。危篤状態だったら行くが亡くなったので、葬儀費用で援助とのことだった。次女がそれぞれ連絡を取ってくれたのだが、長男は仕事、長女は、特に反応なし。長女に至っては、未だに私に何の連絡 [続きを読む]
  • 何してたんだろう
  • 私は、何してたんだろう。産んで育ててもらったことに大して感謝もしないままこの歳まで生きてきてしまった。18の時からずっと、5人兄弟の1番下の私だけが親の借金返済や生活費の面倒をみてきた。3000万円以上にはなる。その過程で、両親や他の兄弟への感覚が歪んでいった。もっと普通の家庭に生まれたかったと思ったことも一度や二度ではない。でも、親を見捨てられなくて、自分は親になることを諦めてここまできてしまった。両親 [続きを読む]
  • 不思議な現象
  • 母が亡くなって、しばらくたった日のこと。夜中にある気配で目が覚めた。急に、部屋の空気が動いている感じがして、布団に誰かが近づいてくるような、ズシッとした感覚があった。普通に母親だろうと妙に納得した次の瞬間、パサっと紙のような何かが落ちた音がした。起きようと思ったが、そのまま寝てしまった。次の日起きると、壁に貼ってあった母の写真付きのデイサービスが作ってくれたバースデーカードが落ちていた。やっぱり、 [続きを読む]
  • かわいい顔
  • 医者からの説明が終わり、母を葬儀屋の車に乗せ警察署を出ようとしている時だった。昨日の警察の方が走ってきた。「昨日は、お母様が亡くなられて大変な時に我々が土足で入り込むようなことをしてしまって申し訳なかったです。」そんな事をわざわざ言いに出てきてくれて車が出るまで見送ってくれた。こんな心のある方もいるのだと、嬉しかった。助手席に夫、後部座席に私と棺に入った母。まだ、実感が湧かない。無言のまま、総斎場 [続きを読む]
  • 腹部大動脈瘤
  • 死因は、腹部大動脈瘤の破裂だった。「もしかしたら、お母様はここ最近便の出が悪いとか、肩が痛いとか言ってなかったかな?」確かに、亡くなる1週間前にショートステイから帰ってきたあと、肩が痛いと言っていたので、湿布を貼ってあげた。お通じも出づらいと言っていたので、食事を気にはしていたが、ちょうどその頃に湿疹ができ治りが良くなかったので、皮膚科を受診して飲み薬と塗り薬を処方してもらっていた。その時に、飲み [続きを読む]
  • 死因判明
  • 鑑識官らが帰ったあと、色々な思いがぐるぐる廻り案の定一睡も出来なかった。 とりあえず、解剖せずに早く戻ってきて欲しい、それだけだった。6時に電話がきた。「お母様の死因が特定できました。委託している医師からの説明等がありますので、8時に警察署にお越しいただけますか?それと、説明等が終わりましたら、そのままお母様をお引取り頂けますので、葬儀屋さんに直接警察署へ迎えに来てもらうよう、手配してからお越し下さ [続きを読む]
  • 鑑識官が来た
  • 自宅に戻るとすぐ、病院で会った警察の方と鑑識官が2名、やって来た。母の部屋とトイレを調べたり写真を撮ったりしていた。一人の鑑識官が、「この部屋は寒いな。おいおい20℃ないぞ。ここに老人を。」と独り言なのか、こちらに当てつけなのか言っているのが聞こえたので、「ちょうど、私達も今戻ってきたばかりですし、暖房も今つけたとこです。母の部屋にあった他の暖房器具は救命活動の邪魔になるから部屋から出して下さいと言 [続きを読む]
  • あの日のこと⑤
  • ただただ、祈ることしかできなかった。しばらくして、医者がやって来た。はっきりした会話はあまり覚えていない。母は死んだ。その事を告げられた時、悲しいとかではなく驚きというか、よくわからない感情だった。正直、人ってこんなに簡単にというか、あっけなく死ぬものなのかと。神様はいないんだと。死亡確認の為、母がいる部屋に入った。その時の母の顔を見たはずなのに、あまり覚えていない。「18時14分、お亡くなりになられ [続きを読む]
  • あの日のこと④
  • 14時半頃から寝始めて、16時40分頃に目が覚めた。電気を消していたので、12月ということもあり家の中は暗かった。夫がトイレに向かおうとした時に、母が自分の部屋から出てきて、トイレに入った。「お母さんに先入られちゃったよ。」その後、母はきちんと水を流し自分の部屋に戻った。入れ違いで入った夫もすぐ出てきた。2分も立っていなかったと思う。その時、母の部屋から変な音が聴こえた気がした。トイレの前が母の部屋だった [続きを読む]