三宅 勝 公式ブログ さん プロフィール

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三宅 勝 公式ブログさん: 三宅 勝 公式ブログ
ハンドル名三宅 勝 公式ブログ さん
ブログタイトル三宅 勝 公式ブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/miyakeblog
サイト紹介文城の調査の成果、自らや仲間と踏査した記録を書き連ねたいと思い、公式ブログを開設いたしました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供15回 / 85日(平均1.2回/週) - 参加 2018/08/08 13:02

三宅 勝 公式ブログ さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 第Ⅱ章 湖南編 多喜山城
  • 今回の湖国の城巡りでは、県内の見所のある遺構が残る城、また歴史的にも重要な位置を示す城を訪れることを目的とした。湖東編・湖南編・湖西編・湖北編の4つの構成としているが各編とも、一日で巡った城の記録である。企画の段階で地域を限定して各編の構成を考えているが、時間や予定の都合で、例えば湖東編でも湖西の城である宇佐山城に訪れてもいる。なお各編とも便宜上でつけた名であるということを、ご理解いただければ幸い [続きを読む]
  • 第Ⅰ章 湖東編 その五 宇佐山城
  • 2018年3月28日、瓶割山城へ訪れた筆者は次いで、大津市の宇佐山城に向かった。しかし、この移動には時間設定に大きく失敗していたことに気づいた。瓶割山城から琵琶湖南東部に位置する宇佐山城までは、最も早く移動できるであろう名神高速道路を使用して約50Kmの距離がある。瓶割山城山麓を出発したのは午後3時30分頃で、宇佐山城麓の宇佐八幡宮に到着したころには、すでに夕日が傾きかけていた。宇佐山城は永禄13年(1570)に織田信 [続きを読む]
  • 第Ⅰ章 湖東編その四 瓶割山城
  • 2018年3月28日、前稿の佐生城に続いて近江八幡市の瓶割山城に訪れた。城址は、別名・長光寺城と呼ばれ、山麓の日吉神社裏から遊歩道が続いている。室町時代末、近江・六角氏は家督継承を巡って、一族間における抗争が激化していた。応仁の乱(1467年)では宗家である観音寺城の六角高頼が西軍につき、一族の六角政堯は東軍にその身を置いた。瓶割山城は、六角政堯が高頼に備えた城として築かれたと伝えられる。政堯が高頼に敗れ討死 [続きを読む]
  • 第Ⅰ章 湖東編その三 佐生城
  • 3月28日、前稿の布施山城に続き、東近江市の佐生城に訪れた。登城口は、観音寺城が位置する繖山の北方の尾根続きにある北向岩屋十一面観音駐車場先から遊歩道が続いている。詳細な築城年代や歴史は不明であるが、戦国期には後藤但馬守賢豊が城主であったとされる。後藤氏は六角氏の重臣で、東近江市中羽田の後藤館を中心とする一帯を本貫地としていた。戦国期の後藤氏当主・後藤賢豊は、六角氏当主の六角義賢に重用され奉行人とし [続きを読む]
  • 第Ⅰ章 湖東編その二 布施山城
  • 3月28日、前稿の井元城に続いて、布施山城へと向かった。登城口は東近江市布施町にある布施公園のため池脇にあり、山上本丸まで登山道が整備されている。城主は六角氏の被官である布施三河守家である。三河守家は、布施氏の本貫地である蒲生郡布施を領する布施氏の本家筋であった。永禄6年の観音寺騒動では、三河守家は北近江の浅井氏と結んで布施山城で蜂起し、主家である六角氏に反旗を翻した。六角義賢(承禎)・義治父子は観音寺 [続きを読む]
  • 第Ⅰ章 湖東編その一 大森城・井元城
  • 湖国の城巡りで、まず最初にピックアップしたのは湖東方面である。近江守護の六角氏本拠である観音寺城に近く、その被官の城が多くみられる。最初に訪れたのが、六角氏被官の布施淡路守の城と伝えられる大森城である。。近江布施氏は布施を領していた三河守家と大森一帯を領していた淡路守家がある。従来は後に紹介する布施山城の三河守家が本家筋であったという。永禄6年(1563)、当主・六角義治が有力被官である後藤賢豊を暗殺し [続きを読む]
  • 湖国の城を巡る 序章
  • 2018年3月末から4月末まで内の4日間、湖国滋賀の城巡りに行った。筆者は近年、丹波を中心に京都・兵庫・岡山の城郭に訪れ、縄張り図の作成等を行う活動を行っている。滋賀県については近県とはいえ、安土城をはじめとした特に有名な城郭や甲賀地方の土塁囲みの城郭には訪れたのみであった。六角・浅井や、さらには織豊系の城郭など、まだ見ぬ城も多いのが現状である。そこで普段活動している地域と、どのような差異があるのか、ま [続きを読む]
  • 廃城をゆく6
  • 2018年8月24日、筆者が執筆に参加した廃城をゆくシリーズの第6弾である『廃城をゆく6』が発売開始となった。筆者は当シリーズの第1弾の『廃城をゆく』から執筆に参加し、シリーズは、はや第6弾となった。本号では、石垣に焦点を当て、石垣を有する中世城郭から江戸時代の政庁機能を伴った城郭をも紹介している。是非、ご一読賜れば幸いである。販売サイトはこちら→Amazon(アマゾン)8月26日大阪府の杉本町で、筆者が所属する戦国倶 [続きを読む]
  • 荒木城その四
  • 本稿では、北西尾根の郭群に向かってみたいと思う。北西尾根郭群へは、「荒木城その二」で紹介した郭⑩の北東方向に、スロープ状の通路がある。そこを降り、北西に続く道を歩けば下記の堀切?に到達する。堀切?である。本丸方面とを遮断する目的で掘られたと考えられる。堀底は広く、浅い印象がある。よく目を凝らしてみると西側には土橋の痕跡らしいものが確認できる。土橋?である。尾根筋を削り、人が一人通過できるくらいの幅 [続きを読む]
  • 荒木城 その三
  • 本稿では、本丸から南東方向の尾根に連なる南東郭群へと歩いていこうと思う。江戸時代中頃に成立した地誌『丹波志』では、この南東郭群が大手としている。郭⑯である。前稿「荒木城その二」で記載した郭⑬西の枡形状虎口より続く道を降ってきた所に位置する腰郭である。この郭からは下記の鉄砲丸を望むことができる。天正6年(1578年)4月、明智・滝川・丹羽が荒木城を攻撃する際、荒木城東方の山上に鉄砲丸という付城を築いたという [続きを読む]
  • 荒木城 その二
  • 本稿では、荒木城の中心部である本丸方向へと向かってみたいと思う。坂虎口⑨である。二折れする坂虎口を採用しており、上位郭の⑪の塁線からは横矢が掛る。同じく上位郭の⑩からは、この坂虎口⑨を通過する者を常に監視できるようになっている。郭⑩である。当ブログ「整備された荒木城」で見られる2mにわたる堆積した伐採木等は除去され、郭内に入り山麓を見渡すことができる。また、この郭は本丸をはじめ、北、南に展開する郭群 [続きを読む]
  • 荒木城 その一
  • 当ブログでは、できうる限り、自らが作成した縄張り図を用いて城を紹介するスタンスをとっていきたい。その際、掲載する写真が、どの場所のものかをわかりやすくするため、縄張り図中に便宜的に数字を入れていきたいと思う。それでは、本稿より、荒木城の山上部の遺構を見ていきたい。登山道は細工所砦背後の尾根筋に整備され、本丸までの所要時間を示す案内板が随所に立てられている。15分ほど登山道を歩くとやがて①の郭に到達す [続きを読む]
  • 細工所砦
  • 本稿より、荒木城へと登城してみたい。まず、その途中にある遺構を見学してみよう。荒木城は篠山市の細工所集落の背後の山上に築かれている。本丸は標高404mの位置にあり、山麓からの比高差は170mを測る。上写真は篠山市細工所のハートピアセンターから見る荒木城である。2013年に撮影したもので、現在は山上部の木の一部が伐採された様子を見ることができる。2013年の登山口の様子である。当時は、荒木城という案内板はなく、地名 [続きを読む]
  • 整備された荒木城
  • 2020年の大河ドラマは丹波で躍動した明智光秀を主人公とする「麒麟がくる」に決まった。どのように光秀と丹波の関わり合いについて描かれるかにも注目したい。筆者は光秀が丹波攻めの攻略対象とした城では、2007年冬に、波多野氏の本拠、丹波八上城に訪れたことを思い出す。そこから長らくの間、今に至るまで丹波の山城との付き合いが続いている。荒木城は、その丹波の城の1つで篠山市東部に位置し、城主は八上城の波多野氏に従っ [続きを読む]
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