千 さん プロフィール

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千さん: 92歳にだって夢がある
ハンドル名千 さん
ブログタイトル92歳にだって夢がある
ブログURLhttp://yasu92.blogspot.com/
サイト紹介文これは私の父からの手紙です。父は大正生まれの92歳。90代のリアルな生活、どうぞ覘きに来て下さい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供6回 / 15日(平均2.8回/週) - 参加 2018/09/02 22:28

千 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 教習所での思い出
  • 教習所での専攻科目は耐火煉瓦、鉄を鋼にするには1450℃で加熱する。この高温に耐える煉瓦は宝石並み。最高級の珪石を使い粒度調整も念入りに型を作り上げるが、珪石の加熱は、530℃付近に急膨張点があるので、その近くはゆっくり加熱しないと煉瓦に亀裂が入る。当時は炎の長い石炭を使うのが定石。教習所卒業後、煉瓦工場に配属され真っ先に丸窯を覗いたら、紅い炎が直接煉瓦に触れているので、上司に530℃までは炎の出ないコーク [続きを読む]
  • 幼年期の思い出
  • 幼年期の思い出は殆どない。何歳頃か、兄姉達が集まって、食べ合い談笑。俺一人外されていて、側の紙をくしゃくしゃに。兄たちビックリ、大笑いされた記憶、未だ残っている。これは自慢話、以前触れたかも知れないが小学六年生時、算数の成績開学以来と教師から言われたが兄弟は勿論親にも言ってないかも。小学校卒業後は旧制商業、算数は中学に比べたら半減。親から「代数のあたま」と「幾何のあたま」の本を買って貰い、一人で全 [続きを読む]
  • 戦時下の思い出 その2
  • 八幡での生活は終戦一年前。過酷そのもの。寮、教習所も戸畑中原、直ぐ傍の皿倉山の山頂に高射砲陣地、砲弾運び何回も。食事量は政府の指定範囲、毎日朝食時、三食貰い、それを全部平らげ昼、夜は食べる物なし。そこで暇をみては皆で雑草取り、「これは食べれる、これはダメ。」と声をかけながら。雑草は軽く水洗いし、塩をかけて飯盒で煮るだけ、私の体重は45?に。終戦4か月前、兵役検査があり、レントゲンで肺が真っ黒で、肺門 [続きを読む]
  • 戦時下の思い出
  • 私は大正15年9月北海道室蘭市で出生、昭和7年の満州事変時、小学1年生、思い出はない。小学校卒業後商業校に入学。五年生だが、戦時下の為四年半で卒業、地元の製鉄所に入社したが、すぐ八幡の教習所(今の高専クラス)への受験を勧められパスし、昭和19年8月八幡へ向かった。青森までは母親と一緒。そこでおばあちゃんから林檎をリックにいっぱい貰い、それを食糧に裏日本経由で八幡へ向かった。当時日本各地は米国の爆撃下、列車 [続きを読む]
  • 我が夢
  • 1.心の持ち方我が老後、全ての人、全ての物に感謝し、前向きに明るく、愉しい日々を送ります。2.My life workこの世のすべての生物、物質そして宝くじの当落も宇宙の重力に支配されている。これは私の直感。宝くじの代表ロト6の当落を統計的に分析しています。頭の良い人はそんな事は絶対に出来ない、出来れば人類初のノーベル数学賞と冷やかされますが、私は出来ると信じ、この10年間夢中。お金とは何の関係もありません。然し、 [続きを読む]
  • 私の目標
  • 平成30年8月12日私は9月11日で満92歳。老後は異変続々。70代最後、狭心症で右冠動脈にパイプ3本。この為、血圧管理は最高に重要。80代半ば、道路をまっすぐ歩けなくなった。医者の診断は加齢の一言。90代、眩暈ふらつき増強、手足のビリビリ感、何故か睡眠薬が処方され、最初こそ良かったものの、そのうち起きても朝から眠気、夕方は目も開けられない睡眠不穏状態。今も副作用がずっと継続している。当面の私の目標は、睡眠薬をや [続きを読む]
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