カレン さん プロフィール

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カレンさん: 私≠思考
ハンドル名カレン さん
ブログタイトル私≠思考
ブログURLhttps://iniwano.net/
サイト紹介文思考の力で悟りを開く。頭では分かるんだけど・・ → そもそもの前提が間違っていますよ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 21日(平均10.3回/週) - 参加 2018/09/29 18:15

カレン さんのブログ記事

  • 誤った自己探求とは
  • あらかじめ決まった目標や、何かしらの先入観を抱えたままでは、時間や労力の割に単なる堂々巡りに終わってしまう。目標や課題を次々とすり替えているだけ。何やら目新しくて新鮮そうで、効果のありそうな別の考えに鞍替えしているだけ。根本的には何も解決されていない。直接の認識とは頭を使って理解する、分別による理解ではなくて、どちらかというと感覚的なもの。分別による認識の世界を分解し、直接の認識によってこの世界の [続きを読む]
  • インプットばかりになったり、物事を憂いてばかりだったりすると
  • 読書やTV、インターネット漬けになっていると、新しい知識を得たり、自分で考えている様に感じるけど、創造的な頭の使い方とは言い難いです。特に悩みに捉われているときは、何も手につかなかったり、思考が自ら考えることを拒否しはじめる。筋力を使わないと衰えるのと同じで、思考力もどんどん衰える。思考停止しているだけなのに、無になれたとか、誤った認識に陥ってしまう。実は、今ここ、ありのままの真実の姿に全く気付けな [続きを読む]
  • 他人の目が気になってしまうのはなぜか
  • となりにライオンがいたら気になって当たり前。気にしなかったら食べられちゃう。自己防衛本能が働くから。脅威に対して、人は誰でも注意が向くように出来ている。他人が気になる人でも、全ての人が気になるわけではない。自分に対して、影響力のない人は気にならない。脅威ではないから、食べられたり、傷つけられたり、しないから。気になる人は、私に対して何かしら影響力のある人が多い(好きでも嫌いでも)。その人のことを、 [続きを読む]
  • 「昨日と同じ」という思い込みが継続している自我という観念を強める
  • 昨日と同じ寝室で目覚めて、昨日と同じ鏡を見ながら、昨日と同じ歯ブラシで歯を磨く。いつもと同じ道を通り、通勤(通学)して、仕事(勉強)して、帰宅して、夕食を食べる。昨夜と同じ浴室のお風呂に入って、いつもと同じシャンプーで頭を洗う。全てが昨日と同じ、毎日、同じことの繰り返しに思える。ところで、シャンプーは切らしていたので、いつもと同じものを、帰宅途中に買い替えてきたのだった。これは昨日と同じ(モノ)? [続きを読む]
  • 悟りとビジネス
  • 思考を消そうとし、日常生活に支障を来してしまうまでになると本末転倒。逃避の手段にしたり、単に思考を停止しているだけだったり、誤った方向性に行きがちになる。誤った観念に縛られてしまわないように。スポンサーリンク [続きを読む]
  • 思考と認識
  • 赤ん坊に思考(自我)は(まだ)ないが、自我の芽生えた大人と同じく認識はしている。笑顔で微笑み返してくれるし、動くモノを目で追っている(認識出来ているから)。他の動物も、いわゆる「生きとし生けるもの」は全て何かしらの形でモノゴト(世界)を「認識」している。それぞれの違いは、認識出来る情報(記憶)の量、また、どれだけ複雑に情報同士を関連付けできるかに過ぎない。が、根っこを辿ると、(自我の芽生えた)大人 [続きを読む]
  • 自由意志がないのであればなぜ自我があると感じるのか?
  • 自我とは外部の刺激と記憶の反応であって、ただの思考の働きに過ぎない。会社にいれば会社員、学校だと学生、今いる環境と過去の記憶(入社・入学した)を照らし合わせ、状況に応じたいろいろな私を作り出している。ところで、情報の記録だけならカメラやスマホでも出来る。レンズなどを通して、写したデータがストレージに記録される。機械に思考は生じない(今のところ)が私には生じる。私は保存したデータを「私の記憶」として [続きを読む]
  • 思考を消せないということは悪いことなのか?
  • 周りの騒音が気になる、禅や瞑想に集中できないというとき、私は何かになろうとしている。禅や瞑想のマスターが知っているであろう境地や心境、あるべき姿を私が勝手に作り出して、それになろうとしている。思考とは、常に何かになろうとする働きであって、目がモノを見る、耳が音を聞く、と同じように生まれ備え持った機能に過ぎない。いわゆる六根の内の一つに過ぎない。モノを見れば見える、音が聞こえれば聞こえる、法に従って [続きを読む]
  • 自我なんて幻想に過ぎないとはどういうことか
  • 私は会社員とか、学生とか、いろいろな役割や肩書がある。玉ねぎの皮を剥くように、私をどんどん分解してみる。そういったものを全部取り去って、最後に何が残るか。すると、そんなものは全く無くたって、「私はある」ということだけは、確かに言える気がする。役割りや肩書は、このなんとなく曖昧な、私という存在を、より強固に、確実なものに感じさせる。ただ在るだけではなく、他人からも(存在していると)認められている(気 [続きを読む]
  • 思考の限界
  • 思考にはいろんな制限がある。たとえば、複数の思考を同時に扱うことはうまく出来ない。「1+1」と「1-1」を同時にやってみると、簡単な計算でも難しい。大体、「1+1=2」とやってから、「1-1=0」と順番にやる。部屋の様子や外の景色をボーっと眺める。いろいろなモノが目に入るが、思考は大体一つのモノゴトに捉われている。せいぜい二つか、頑張っても三つくらい。いろいろなモノゴトに意識の対象を移してみる。例えば、目の前の [続きを読む]
  • 「今ここ」から「思考が生じるまで」はどれ位か?
  • 「今」を意識した瞬間、既に「意識された今」は過ぎ去っているのであって、「今」は「過去」に、別のものに置き換わっている。さらにその瞬間にも、常に「新しい今」が、どこからともなく湧き出ているのであって、これを思考が捉えた瞬間、「その新しい今」も既に過ぎ去っていて、以降、このループが続く。絶えず「今」にさらされているが、思考で捉えた瞬間、手のひらから零れ落ちる。魚は水の中にいて水を意識しない(と思う)。 [続きを読む]
  • 今ここに留まるということ
  • 「今ここ」に留まろうとする。が、一生懸命努力しなくても、そんなことをしなくとも、常にそこいる。今ここに留まるのに、何の努力もいらない。むしろ、離れることは出来ない。まさに今起こっていることだから。離れているような、分離しているような気がしているのは、頭で理解しようとしているから。理解出来ることは全て概念、思考の産物でしかない。思考ではなく、直接の経験のこと。ここで言う「直接の経験」とは、何かの比喩 [続きを読む]
  • 最先(いやさき)と最後(いやはて)
  • 他から切り離された存在はない。他と切り離された、個別の自我というものはない。そもそも、個別の自我という考え自体が、他を前提としている。他があってはじめて、個別の自我が存在する。個別の自我 ”だけ” を消し去ることなんか出来ない。そこだけ切り取って、残りが本当ということではない。余分なものを取り去って、残ったものが真ではない。自我(思考)を消そうとする人は、これをやっている。そもそも不可能なことをやろ [続きを読む]
  • 私はどこにいるか?
  • 私はどこにいるか、と問われると、多くの方はこの身体の中だと思っている。どこにいるか、を意識したとき、身体の内側にフォーカスが移る。鏡に映っている私を見るとき、無意識に、鏡の中に映っている私を私だと思っている。心の座標は、身体の内側ではなく、鏡の中の私にある。身体の内側は、逆にあまり意識していない。鏡を見ているとき、外側にある鏡に意識が移っている。私の心はどこにあるか?スポンサーリンク [続きを読む]
  • モノと一つになろうとする
  • 何かになろうとする行為は、すべて思考の産物。非二元などで、意識してそうしようとする人がいる。なれるはずがない。なるのではなくて、はじめから一つ。なろうとするのは、「一つ」ということをとらえ違えている。もとは一つではないと思っているから、そうしようと思う。はじめから「一つ」なんだから、そもそも「一つ」になろうとする行為はない。何をもって「一つ」といっているのか理解する。それまでは、あたまの作業でいい [続きを読む]
  • 敵を作ると
  • 私は他人をどう捉えるか。敵として、他人を信用できない人は、常に緊張状態、こころ休まることがない。そうでない人は、こころが安らか。周りは良い人ばかりになるから。情けは人の為ならず。スポンサーリンク [続きを読む]
  • 言葉と感情
  • 嬉しい、楽しい、怒りなどの感情は、言葉にせずとも理解出来る。どのようなものか、私自身は言葉で理解せずとも分かっている。言語は、他人と気持ちや知識、経験などを共有するためにある。表情や身振り手振りなどによる、非言語によるコミュニケーションも同じこと。記号やシンボルも。すべて、思考が意味を与えた表象にすぎない。言葉にする前、言語(思考)に頼らない、素の理解がある。スポンサーリンク [続きを読む]
  • 悟りは相対性理論より簡単
  • 思考は難しいことでも理解出来る。気付きは思考を介さず、ものごとを直に、そのまま、あるがままに理解する。誰でもはじめは、思考による理解からはじめざるを得ない。そもそも、この悟りを得たい、という衝動は、思考による認識からはじまっているから。悩んだり、真実を知りたいと言う欲求だったり。悟りは、ただしく理解すれば日常生活でも役に立つ。どうでも良いことに捉われて、時間を無駄にすることもなくなるから。悟りを得 [続きを読む]