Liokie さん プロフィール

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Liokieさん: 飮水思源圖録
ハンドル名Liokie さん
ブログタイトル飮水思源圖録
ブログURLhttps://infratourism.blogspot.com/
サイト紹介文社会を支えるインフラストラクチャ(土木構造物)や近代化遺産など価値ある建造物の訪問記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 29日(平均12.1回/週) - 参加 2018/11/19 19:23

Liokie さんのブログ記事

  • 旧神戸外国人居留地 下水渠
  • 明治5(1872)年に竣工した本邦最古の地下水渠。慶応3(1868)年に兵庫の港が開かれるとともに神戸に建設された、外国人居留地に整備された本邦最初の近代下水道設備であり、神戸近辺で焼成された国産煉瓦が用いられた。下水管は、唯一居留地時代の姿で保存されている西洋建築である旧居留地十五番館(旧米国領事館)の東側歩道上で公開展示されているが、全長1880mに及ぶ下水管のうち一部区間は、驚くべきことに雨水幹線として現 [続きを読む]
  • 桜宮橋(銀橋)
  • 昭和5(1930)年に竣工した3ヒンジ鋼アーチ橋。大阪市の第一次都市計画事業により整備された、大川(旧淀川)に架かる下路アーチ橋。「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一により設計された「銀橋」の愛称で親しまれる、戦前における本邦最大のアーチ橋である。桜の名所、造幣局の傍に架かり、国道1号(京阪国道)の下り3車線を渡している。国道の拡幅に伴い上り線用として、平成18(2006)年に北隣してローゼ橋の新桜宮橋が架けら [続きを読む]
  • 御堂筋線 心斎橋−梅田間の地下駅ホーム
  • 昭和8(1933)年に竣工した、大阪市高速電気軌道開業時に開設された梅田駅・淀屋橋駅・本町駅・心斎橋駅の地下1面2線の島式ホーム。御堂筋線は、關一市長率いる大阪市の第一次都市計画事業における御堂筋建設の一環として整備された、本邦初の公営地下鉄であり、東京地下鉄道銀座線に次ぐ本邦2番目の地下鉄路線である。心斎橋駅は開業時の4駅の中でも代表的な構造である。天井はヴォールトアーチ構造で、高い天井が広々とした地下 [続きを読む]
  • 今福線 未成線の鉄道構造物群
  • 昭和15(1940)年に竣工間近で大東亜戦争のため建設が中止された未成線のコンクリート橋・トンネル群。山陽本線広島駅から山陰本線浜田駅に至る陰陽連絡構想の下、昭和8(1933)年、広浜鉄道として山陰本線下府駅から石見今福駅に至る区間が着工された。戦後、再び国鉄今福線として可部線三段峡駅と浜田駅を結ぶ高規格の新線計画が始動したが、結局は国鉄の経営再建に伴い実現することはなく、昭和55(1980)年に工事は中止された [続きを読む]
  • 若桜橋
  • 昭和9(1934)年に竣工した3連RC造開腹式上路アーチ橋。地方に建設されたコンクリート橋としては本邦初である。昭和恐慌の対策として社会資本整備事業への財政出動を行った「時局匡救事業」の一環として事業化され、多くの雇用を創出し、地域経済再生の象徴的建造物となった。美しい3連のヴォールトアーチのみならず、灯籠型の照明が附随する親柱などに優れた意匠性が見られる。因幡街道・若桜往来の宿場町として栄えた「山紫水明 [続きを読む]
  • 東西用水酒津樋門
  • 大正13(1924)年に竣工し、高梁川の笠井堰から取水し倉敷市内の用水路群に農業用水を配給する酒津配水池に設置された、RC造の樋門である。樋門の外壁には石材の装飾が施され、端正な意匠が豊かな親水空間を演出している。南配水樋門は15連(3+3+5+2+2)のゲートを有する本邦最大の現役農業用樋門である。東西用水は「疏水百選」のうちの一つである。配水池からゲートを通って各用水路へ放水される様は、何とも清爽である。(平成3 [続きを読む]
  • 木本隧道(鬼ヶ城歩道トンネル)
  • 大正14(1925)年に竣工した煉瓦造の道路トンネルで、大正期においては本邦最長である。南紀・尾鷲地方の交通は、鉄道の整備が遅れたことから道路整備が先行し、ここに煉瓦造の道路トンネル群が建設された。坑門工は典型的な煉瓦・石積みトンネルの古典的意匠であり、コンクリート造の壁柱にも凹状の装飾が施されている。坑内は、煉瓦とコンクリートの併用による覆工が施されている区間と、無巻の区間があったが、昭和47(1972)年 [続きを読む]
  • 上田池ダム
  • 昭和7(1932)年に竣工した灌漑用の重力式コンクリートダム。農業用ダムとしては本邦最大の石積み堰堤である。御食国・淡路島の南部、諭鶴羽山の麓に位置し、度々旱魃に悩まされてきた三原村の農業水利を目的に建設された。農業用ダムとしては珍しい重力式粗石モルタル形式のダムである。当初は農業用ダムとしては主流であるアースダム(土堰堤)として計画されたが、材料の調達が難しかったためと、下流住民の不安を軽減すること [続きを読む]
  • 近鉄道明寺線の鉄道構造物群
  • 明治31(1898)年に河陽鉄道として開通した近鉄最古の路線に残る開業時の構造物群。煉瓦造の橋台が鉄道の長い歴史を感じさせる。道明寺線が電化されたのは大正13(1924)年のことである。黒煙を力強く吐きながら蒸気機関車が走行していた時代の面影が残る。橋梁の下の狭小な道路幅員にも、開業当時の情景を読み取ることができる。道明寺線は大和川を11連の上路プレートガーダー橋で渡る。大和川はこの地点から大阪湾を目掛けて西へ [続きを読む]
  • 橿原神宮前駅 中央口駅舎
  • 昭和15(1940)年に竣工した駅舎で、人皇初代の神武天皇(神倭伊波礼毘古命)と皇后の比売多多良伊須気余理比売命を祀り奉る官幣大社橿原神宮への玄関口である。昭和15年は神武天皇即位紀元2600年にあたり、その式典に合わせて整備された。橿原神宮は、遙か古の伝説の時代に皇祖神武天皇が畝傍橿原宮にて即位あそばされ、今日の日本国がここに創められたことを紀念し、近代国家建設の一環として明治23(1890)年に創建された。村野 [続きを読む]
  • 旧倉吉町水源地ポンプ室
  • 昭和7(1932)年に竣工した小鴨川沿い余戸谷町水源地内の取水ポンプ室。RC造平屋建て、スレート葺き切妻屋根の様式建築で、給水人口を3900人とする倉吉町上水道の最初期の水道施設である。倉吉水道は鳥取県内で3番目に開設された近代水道である。余戸谷町水源地のポンプ室は平成2(1990)年まで供用された。門扉や外壁なども竣工当時のまま保存されている。(平成28年12月) [続きを読む]
  • 旧大和田銀行本店
  • 昭和2(1927)年に竣工したRC造地上3階地下1階の近代建築。当時まだ珍しかったエレベータを完備した近代ビルヂングで、地下には食堂があり、屋上はビアガーデンとして開放されるなど、銀行業務のみならず多用途に供され、敦賀市民の社交の場として親しまれた。大和田銀行は北前船の船主であった2代目大和田荘七によって創立された。大和田は敦賀港と国際港湾都市・敦賀の発展に尽力した「敦賀近代化の父」とも称される実業家である [続きを読む]
  • 湊川隧道(会下山トンネル)
  • 明治34(1901)年に竣工した、湊川を治めるため放水路として開削された、本邦最初の近代河川トンネル。かつて湊川は天王谷川と石井川の合流点から南東の新開地方面へ天井川として流れていたが、六甲山系から流出する土砂を含む氾濫は神戸・兵庫の町に甚大な被害をもたらしてきたため、神戸港の整備も相俟って、湊川の付替えが都市課題となった。明治29(1896)年の台風による堤防決壊が決定打となり、湊川の改修事業が始動した。湊 [続きを読む]
  • 宮城正門石橋
  • 明治20(1887)年に竣工した宮城(皇居)正門前の充腹式上路アーチ橋。2径間の石造拱橋であり、東京皇城の象徴的な建造物である。間違って「二重橋」と混同されることがあるが、二重橋とはこの正門石橋の奥に架かる正門鉄橋の通称である。堅実にして優美なアーチ構造は臣民(おおみたから)を愛う大御心を表現しているのかのようである。また、2連の連なる姿は、睦び合う両陛下の御紐帯を示しているのだろうか。畏れ多くも雲居を仰ぐ [続きを読む]
  • 東京駅 丸の内駅舎
  • 大正3(1914)年に竣工したRC煉瓦造3階建ての駅舎。帝都の象徴的近代建築にして、明治日本を代表する建築家である辰野金吾の代表作である。新橋−上野間の高架鉄道敷設に伴い「中央停車場」すなわちハウプトバーンホーフ(Hauptbahnhof)として計画され、宮城(皇居)正面に開設された。丸の内中央口は行幸通りの正面にあり、皇族専用の玄関となっている。まさに帝都ないし帝国の中央駅である。赤煉瓦と大理石で構成される紅白縞模 [続きを読む]
  • 毛馬第一閘門
  • 明治40(1907)年に竣工した淀川の分流施設を構成する最初期の運河閘門である。内務省土木技師の沖野忠雄が指導した淀川治水計画の一環として建設され、新淀川放水路の開削後、旧淀川(大川)と淀川本流の結節点として水都大阪の水上交通を支えた。閘門の両岸は煉瓦造で、両開きの鉄製制水扉が設置されている。大正7(1918)年には第二閘門が増設され、閘門としての機能は移転された。両閘門の併用は昭和51(1976)年を最後に、昭 [続きを読む]
  • 阪堺線大和川橋梁
  • 明治44(1911)年に竣工した阪堺線開業時の下路プレートガーダー橋。複線の鉄道橋で、橋脚は鉄管柱となっており、希少価値が高いものである。大阪市と堺市の境界を跨ぎ、今日も阪堺電車は市民生活の足として走り続けている。赤色の9連の桁は、竣工年に横河橋梁製作所(横河ブリッジ)大阪工場が製作したものである。3列に並んでいる鉄管柱のうち下流側の2列が軌道支持用の橋脚であり、上流側に附属している鉄橋は水道管を渡してい [続きを読む]
  • 旧和田岬灯台
  • 明治17(1884)年に竣工した平面六角形の鉄骨造灯台。兵庫港の和田岬に設置された。明治4(1871)年に建造された木造の初代和田岬灯台に代わって建設された、現存する本邦最古の鉄造灯台である。昭和38(1963)年に須磨海浜公園内に移築され、「須磨の赤灯台」と呼ばれて保存されている。(平成30年7月) [続きを読む]
  • 福知山線 旧線跡の鉄道構造物群
  • 明治32(1899)年に開通した阪鶴鉄道(福知山線)有馬口(生瀬)−武田尾間の廃線跡。昭和61(1986)年に同区間は並行する電化・複線化された新線に切り替えられた。橋梁やトンネル、枕木等の土木施設が現存する。福知山線の生瀬駅と西宮名塩駅の間、阪急バス木之本停留所附近から廃線跡に入ることができ、武田尾までハイキングコースとして整備されている。 最初に渡るのが上路プレートガーダー橋の名塩川橋梁である。続いて姥ヶ [続きを読む]
  • 旧米子変電所
  • 大正7(1918)年に竣工した旧山陰電気の変電施設。保存状態の極めて良好な煉瓦建築である。四隅の切石積みや窓周りのアーチ部等に御影石が用いられており、赤煉瓦とのコントラストが印象的である。意匠へのこだわりが随所に感じられ、大正ロマンの遺風が残る。(平成30年8月) [続きを読む]
  • 井倉橋
  • 昭和11(1936)年に竣工した下路タイドアーチ橋。昭和9(1934)年に多大な被害をもたらした室戸台風の災害復旧橋梁として高梁川に架けられた鋼橋の一つである。附近にはカルスト地形の美しい井倉洞、井倉温泉がある。2連のプレートガーダー橋に接続されている。(平成30年8月) [続きを読む]
  • 千垣橋梁
  • 昭和12(1937)年に竣工した鋼スパンドレルブレーストアーチ橋。有峰ダムを中心とする常願寺川の県営電源開発事業の一環として建設された、旧富山県営鉄道(現富山地方鉄道立山線)の鉄道橋である。橋梁技術者の小池啓吉により設計され、立山連峰の山紫水明に溶け込んだ橋の姿が軽快で美しい。(平成30年8月) [続きを読む]
  • 桜橋
  • 昭和10(1935)年に竣工した開腹式上路アーチ橋。中央部は複線の併用軌道が敷設されている。神通川の旧流路で富山城下の市街地を流れる松川に架けられた3代目の橋である。鋼アーチが両岸の橋台に設置されたヒンジ支承により支持される構造で、しなやかな姿が美しい。桜橋周辺はその橋の名の通り、桜の名勝となっている。花の散る松川と桜橋の織り成す春の景観はさぞ麗しかろう。(平成30年8月) [続きを読む]
  • 小牧ダム
  • 昭和5(1930)年に竣工した発電用の重力式コンクリートダム。庄川峡に建設された、当時東洋一の高さを誇ったアーチ曲面の美しいダムである。物部長穂による関東大震災後の耐震工法が実装された。本邦における大型ダムの先駆け的存在である。17門のラジアルゲートが堤頂に並ぶ姿は迫力がある。ダム湖には観光遊覧船が運航されており、ダム建設により水没し、湖畔に移転された大牧温泉への交通手段となっている。小牧ダムは日本電力 [続きを読む]
  • 薬水拱橋
  • 大正元(1912)年に竣工した煉瓦造の2径間充腹式上路アーチ橋。同年に省線吉野口駅−吉野駅(近鉄六田駅)間で開業した吉野軽便鉄道(近鉄吉野線)の鉄道橋として供用開始された。 アーチ橋側面は吉野へ入る門として設計され、吉野口側の扁額には草書で「薬水門」と刻まれている。笠石・帯石に歯飾り(デンティル)が施されるなど、優れた意匠が魅力的である。(平成30年4月) [続きを読む]