スマイル さん プロフィール

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スマイルさん: TwilightSmile
ハンドル名スマイル さん
ブログタイトルTwilightSmile
ブログURLhttps://www.twilightsmile.com/
サイト紹介文今年定年。前向きに葛藤しています。定年前後の叙事録。定年退職後は「シニア起業」を志す。(かも?)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 17日(平均10.7回/週) - 参加 2018/12/31 18:15

スマイル さんのブログ記事

  • 宅地建物取引士資格登録
  • 先週土曜日休日出勤だったので、本日は振休。休みを利用して宅建士の資格登録のため千葉県庁に行ってきました。昨年11月の試験、12/5の合格発表、1/5・6の登録実務講習、そして今日。平成30年合格者としては比較的速いペースで資格登録まできたんじゃないかなぁ。忘備のため記しておきます。■必要書類 ①申請書(県HPにてダウンロードできる) ②誓約書(同上) ③身分証明書(本籍地の市町村にて発行) ④登記されていないこ [続きを読む]
  • 土地活用プランナー
  • 一昨年暮れに話を戻します。 こちらに書きましたように定年後何をするか、まだ何も定まっていない時期、私は「まずは資格を取ろう」と思い至ったのでした。次に考えたのは、さて何の資格を取ろうか、でした。そんな折にたまたま仕事上で都内の不動産業者の方と名刺を交わした際、その方の名刺に「土地活用プランナー」という文字が目に留まりました。既述してますように私は建築業界で土地活用の提案営業をしています。そのものズ [続きを読む]
  • 今できることは今精一杯やってゆこう
  • 昨日の先輩の死の話に続きがあって、そのことを知らせてくださった私の一回り上の繊維業界時代の上席であったIさん、実は昨年秋に市の人間ドックで大腸癌が見つかり、入院手術し12月退院したばかりであるとのこと。お好きであったお酒も現在は飲まれていないとのこと。ただただ驚かされました。Iさんがそんな状況であるとは露知らず、私は定年する5月には久しぶりにお酒をご一緒しながらいろいろご報告をしようと考えていましたの [続きを読む]
  • 先輩の死【追悼】
  • 昨日前職で三つ上のだった先輩が昨年亡くなっていたことを聞きました。思いもよらぬ報せでした。プロローグにて記しましたが私は大学卒業後繊維業界の中小企業に就職し、そこで机を並べて20代から30代前半までまるで兄弟のようにつるんで苦楽を共にした先輩。・・Kさん。心よりご冥福を祈ります。たまたま昨日私の妻が私の一回り上の前職の上席に行き会って、Kさんの死の話をお聞きしたとのことで、すぐにラインで妻よりその旨私に [続きを読む]
  • 宅建登録実務講習
  • 宅建登録実務講習を昨日今日と二日間受けてきました。二日間びっしりの講義はくたびれましたけれど、講師の皆さまの飽きさせない講義のおかげで楽しく学べました。59才の私より年配の方も多数いてほっとしました。前日不安に思っていたアクティブタイムというグループディスカッションも、じっと黙って聞いている講義よりリラックスできてよかったです。眠気覚ましにもなりました。(すみません)無事修了試験も合格し登録実務講習 [続きを読む]
  • 新しい世の始まりに定年退職する私
  • 5月誕生日の私の定年は5月末ですが・・有給休暇を消化するとすると、実際には4月初め、あと3ヵ月ちょっとで会社を去ることになります。1月2月3月、と指折ればたった3ヵ月です。この期間は精一杯会社に尽くそう、お世話になった会社のためにと心に誓います。と同時に定年前に定年後のために準備できることはできるだけやっておこうと思います。そう考えると定年前僅か3ヵ月〜5か月の期間はひと時たりとも無駄にできないと感じます。 [続きを読む]
  • 定年の年の幕開け
  • あけましておめでとうございます。今年が皆さまにとってとてもすてきな一年となりますように、と願います。本日ブログ書初めです。よろしくお願いいたします。・・私のささやかな三が日。正月、私の夫婦二人の我が家には、自立している長男・長女が帰って来て、元旦は弟家族も訪れて久しぶりに賑やかに過ごしました。集った席では私の定年について話題にもなり、妻には内々に話していましたが、子どもたちと弟家族という一番身近な [続きを読む]
  • 定年退職して何をするのか?
  • 定年退職して何をするのか?当初私がおぼろげながらイメージしたのは、今までのキャリアを活かせる場所で再就職することでした。どこで何を、というイメージではなく、どこかで何らかの形で自分を活かしたい、というイメージでした。しかしながらネットで検索すると再就職は厳しい現実ばかりが目につき怯みました。そんなに甘くはないよな・・。そもそも私は有用な資格を持っていない。私のキャリア・スキルは今の会社だからこそ通 [続きを読む]
  • 私は定年で会社を辞す
  • 定年後アナザーストーリーを描こうと思い立った私。(参照こちら)当初は思い立っただけで何をしようかは決めておりませんでした。ただ思い立っただけ。私は思い立っただけでその思いから漫然と定年後の道が見えたように感じた、能天気な単細胞でした。しかしそれはきっぱりとした決心でもありました。考えながら進もう、残された人生は限りあるのだから、決めた道を進むんだ。私はそう決心し58歳の暮れのある時会社の上席ににその [続きを読む]
  • このブログにつきまして
  • 「プロローグ」を淡々と描きましたが、このブログの本旨は「定年前後の私のdocumentary story」であり、本編は定年後の「another story」です。来年の5月定年までが「前章」、5月の定年後が「本章」と位置付けています。定年で会社を辞め、定年後は「起業」を志す。そんな物語を構想しています。当ブログはノンフィクションです。ありのまま綴ります。定年までの「前章」では匿名で書きますが、定年後の「本章」にあってはやがて自 [続きを読む]
  • もう一つの物語の始まり
  • これで青春も終わりかなとつぶやいてあなたの肩をながめながらやせたなと思ったら泣けてきたBOROの「大阪で生まれた女」の一節です。私は“青春”を“人生”に置き換えて口遊みました。もうこれで俺の人生も終わりかなと呟いて・・沈む夕陽を見ながら切なく悲しい心持ちになりました。振り返れば恵まれていた人生でしたが、残りの人生は終わってゆくだけなのか。繰り返しになりますが、私の父は59才、母は76才で亡くなりました。父 [続きを読む]
  • 人生のエピローグ
  • 今からほぼ一年前、2017年の暮れ。私は58才となっていました。(再来年の5月に定年かぁ・・)と、夕陽を見ながら心の中で呟いて、私は自分の人生を振り返り、そしてこの先に思いを巡らせました。この後の人生は余生となるのか。定年を迎え、契約社員として会社に残り、65才まで働いて退職。その後もできる仕事を探して無理なく働いて、暮れ往く陽のように我が人生は終わってゆく。私の父は59才で逝去していました。母は76才で亡く [続きを読む]
  • 私の50代
  • 時は流れ私は50を数えました。私は多くのことを学びました。学ぶ、というよりは、学ばなければ職責を果たせない立場にあったこと、それが私を学ばせたのだと言えます。私の転職した会社は不動産の有効活用を提案する建築会社でした。そして私はマネージャーとして営業所長として受注予算を持ち部下を抱える立場でした。知らない、分からない、ということは、立場上お客様の信頼を失いますし、部下の教育も儘なりません。そのため、 [続きを読む]
  • 一道万芸に通ず
  • 私の転職は成功したようです。入社して3年が過ぎる頃、私はマネージャーに昇格し、営業所の所長になりました。異業種からの転職者としては異例でした。私にその昇格を伝えた上司は「サプライズ」だと言っていました。 何故そうなり得たか、私はおぼろげに分かっていました。私は周りの営業マンとは違っていたからです。繊維業界・輸入業界・百貨店業界等で学んだ営業所法をそのままに私は建設業界で営業をしました。特にお客様に対 [続きを読む]
  • 40歳転職 ③
  • 会社にとって40過ぎで入社した私には即戦力が求められました。プロ野球の外人選手みたいな立ち位置です。モノにならなければ捨てられるだけです。 仕事は毎日飛び込み営業です。飛び込み営業というと厳しいと感じられる方もいるかもしれません。確かに厳しい世界です。ただ私は人と接する営業が大好きなので、何の苦痛もありませんでした。というよりも営業することが楽しかった。もっと言えば「楽」な営業でした。 なぜ「楽」かと [続きを読む]
  • 40歳転職 ②
  • 40歳で転職。正確には西暦2000年、平成12年の夏、41歳での転職でした。平成30年の今はどうかは分かりませんが、当時は30代よりも40代は求人がぐっと少なく、転職を決意したものの特に秀でた資格も持っていない私の求職活動は困難を極めました。「営業」には自信があったものの、キャリアを生かせる繊維業界・流通業界には求人がなく、あっても年齢の壁があって書類すら送れないような状況でした。唯一41歳を受け入れてくれる求人が [続きを読む]
  • 40歳転職 ①
  • マイホームの購入資金は今では考えられないローンでした。当時の住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)のステップというローンで、当初5年、10年間は返済金額を抑え、その分を5年、10年後に上乗せして支払うというものでした。サラリーマンの給料は上がって行くもの。終身雇用と定期昇給を前提とした今の世ではあり得ない常識が当たり前だった。そんな世に私はいたのです。西暦2000年になったころ、繊維業界は廉価な人件費の東南 [続きを読む]
  • マイホーム購入
  • 私は子供が小学校入学するときにマイホームを買おうと決めていました。ですので来年長男が小学校に入学する前年、当時住んでいた会社の社宅から歩いて数分の場所に建築中のマンションを即決で購入しました。不動産については全くのど素人でした。用途地域も何もかも知りませんでした。ただただ今ある妻や子の生活を優先し、近所に住むことで環境を変えないという理由から選びました。 買ったその地は工業地域でしたが何の問題も感 [続きを読む]
  • 私の30代 ③
  • やがてバブルがはじけ、景気が急速にしぼんでゆく中、輸入業界は為替の影響で差損が生じるようになりました。簡単に言うと100円で仕入れて120円で売っていた商品があったとして、為替の変動で同じものが120円で仕入れることとなった場合、売価を簡単に上げられますでしょうか?否ですよね。バブル景気が収束し、手頃な直輸入品が手頃でない価格になって、中小企業が新しく立ち上げた輸入事業は当然に採算悪化になり、結果撤退する [続きを読む]
  • 私の30代 ②
  • 30代前半。当時は平成バブルでした。高級婦人服(プレタポルテ)がよく売れました。ヨーロッパからの直輸入商品が百貨店売り場を席巻していました。私の会社もそこに進出することになり、私の営業先は百貨店が中心になってゆきました。しばらくして私は上司のお供をし、年2回、イタリアのミラノの見本市に出向き、直接仕入れもたずさわる様になりました。見知らぬ国から何億もの商品を直接買い付け仕入れる、そのお供できる、の [続きを読む]
  • 私の30代 ①
  • 結婚した私に転機が訪れました。勤めていた繊維会社が新規子会社を立ち上げ、私はそこの営業担当者として異動になったのです。その子会社は婦人服の卸及び小売を業務内容としていました。 一から始める事業でした。一から始める営業でした。会社は大手アパレルメーカーから営業部長をヘッドハンティングし、その方の下で私は一からアパレルの営業を仕込まれました。これまでの商社等に営業するのとは全く畑違いの仕事でした。 婦人 [続きを読む]
  • 私の結婚
  • 30歳の時、私は結婚しました。妻は22歳。社内結婚です。外房の小さな町で生まれ育った妻は高校卒業後、当時私の勤めていた繊維会社の経理部に就職してきたのでした。出会った最初は高校生の女子学生と会社勤めのお兄さんのような、年の隔たりがありました。私が26歳、妻は18歳。ひとことでいうと妻は田舎育ちの可愛いお嬢さんでした。 バレンタインデーのチョコがお付き合いのきっかけでした。妻がみなに渡したであろう義理チョコ [続きを読む]
  • 私について ③
  • 就職した繊維会社にて私は、中小企業が故に、「営業」について多くのことを学ばせていただきました。名刺の出し方受け取り方、挨拶の仕方、応接室での座る位置、のような初歩の作法から、ビジネスシーンでのやり取り、取り決め、人間付き合い、酒の飲み方。 繊維業界は古くから日本の産業を支えてきた歴史ある業界です。あらゆる仕組みが業界として完成されていました。そのひとつひとつを大学でたての青二才の私に、先輩方が親兄 [続きを読む]
  • 私について ②
  • 思いつくまま、私の過去について。小学校時代の夢は落語家。中学時代は役者。高校時代は小説家。大学時代は冒険家、が夢でした。中学の頃より25、6くらいまでバンドをやっていました。リードギター。ビートルズのコピーから始めて、キャロル。高校時代はオリジナル曲を作って、イカ天にチャレンジしたこともあります。(応募しただけです。)大学は私学。専攻は哲学科。ギリシャ哲学が好きでした。(でも知識は深くありません。 [続きを読む]
  • 私について ①
  • 少し私について簡単に記しておきましょう。いずれ私については、おいおいできるだけ正確に書き記す(つもり)ですが、今は少しづつ書き溜めてゆこうと思っていますため簡単に記しておきます。生まれは東京の下町、現在千葉県の某市に住んでいます。妻と二人暮らし。子どもは男の子と女の子に恵まれ、二人とも巣立っています。二人とも未婚です。私の両親はすでに他界しています。(妻のご両親は健在です。)現在、私は埼玉県のとあ [続きを読む]