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趣味水彩 https://blog.goo.ne.jp/tthimajin1915

後世に残したい史跡や懐かしい街並みを描いた透明水彩画の作品集です。旅や外出の合間に路傍に佇み描いた趣

趣味水彩
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住所
土浦市
出身
佐賀市
ブログ村参加

2014/10/10

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  • 霞ケ浦総合公園の風車とネイチャ-センタ-(2021/2/16)---最後の一枚です!

    以前から開設していたOCNのブログが2010年に運営を停止することになり、、ブログ運営事業はGOOに引き継がれることになりましたので、2010年5月23日からこのブログをGOOに引き継いで頂きました。そして約11年の間、様々な場所を旅したり現地集合解散の水彩教室に通い書き溜めた作品をここに掲載させて頂きました。趣味仲間の方々と時には中国北京へスケッチ旅行へ出かけたり、水彩教室で信州白馬方面に二泊三日のスケッチ旅行へ行くなどした思い出は尽きません。その趣味を通じて知り合ったお友達との交流は、他県からここ茨城に住み着いた小生にとって大変貴重なものとなりました。全国好感度ランキングでワ-ストワンと言うありがたい位置づけをされた茨城県ですが、山紫水明の自然に恵まれているので、農作物や果物が豊富で安く手に入りますし、首都...霞ケ浦総合公園の風車とネイチャ-センタ-(2021/2/16)---最後の一枚です!

  • 水戸東照宮(2021/3/27)

    三月下旬、コロナで集まりを自粛していた水彩会が久しぶりに開催され、水戸駅近くの水戸東照宮を描くことになりました。サクラが咲く境内を描いたものです。東照宮はコンクリ-トのビルがそびえる街中にありますが、古風な神社はひつそりと静かに祭られていました。水戸徳川家は徳川御三家の中で江戸に一番近い常陸の国を統治してきましたが、幕府の脅威となる伊達藩や上杉藩に対する備えの役割があつたものと思われます。その茨城県に九州出身の小生がご縁があり終の棲家をここに構え、水戸の水彩会に所属して20数年間往復6~70キロの運転も苦にせず通つて水彩画を描きました。そして描いた作品の発表の場としてこのプログに掲載させて頂きました。作品発表の場として長年活用させていただき、大変お世話になりましたことを感謝する次第です。退会まで残すところ数日と...水戸東照宮(2021/3/27)

  • 桜川河畔の光景(2021/3上旬)、そしてブログ退会のお知らせ

    三月のある日、霞ケ浦に流れ込む桜川河畔を通行中に眺めた風景を描きました。草木はまだ春の息吹を感じない寒々とした光景でした。新緑の緑が望まれる我慢の季節です。彼方に臨む筑波山も冬の景色です。さて、小生の拙い水彩画作品を発表する場として長年お世話になりましたGOOブログの「趣味水彩」ですが、今月四月いっぱいで作品の掲載を停止しブログノ退会をすることに致しました。絵を描く気力が薄れたこと、今後はブログの投稿に追われることなく、気ままに気の向いたときに描くことにしたいこと、家庭の事情で絵を描く時間をさけなくなったことがGOOプログからの退会を決断した次第です。作品発表の場を提供してくださったブログ関係者の皆様、作品を見て頂いた皆様には大変お世話になったことを感謝する次第です。今月30日までは掲載作品が数点ありますので、...桜川河畔の光景(2021/3上旬)、そしてブログ退会のお知らせ

  • 晩秋の桜川河畔(2020/11/10)

    すつかりサボり癖がついてしまい新規投稿を怠っていました。慌ててストックを探して見い出したのがこの寒々しい絵です。お散歩コ-スのひとつである桜川の堤防から眺めた光景です。彼方にトンガリ屋根の水門が見えます。スキャナ-の退色補正をかけると色が濃くなりすぎるので、補正をかけない絵を掲載しました。昨年11月の絵なのでこれから師走を迎えるという晩秋の時期の絵です。彼方に筑波山が見えます。晩秋の桜川河畔(2020/11/10)

  • 千波湖梅林(2021-3-3)

    水戸偕楽園の梅の開花率が85%になつたと報じられたので、現地に行きました。確かに梅は開花しているのを確認しました。その時の光景を小さなスケッチブックに描きました。梅林の向こうに好文亭が見えます。これと同じ景色を去年も描いたと思います。左右二枚の絵の左の濃いい絵はスキャナの退色補正をしたものです。右側は退色補正をしなかった色の薄い絵です。作品の色の濃淡に何時も困惑していますが、原画は右の色の薄い作品のほうです。濃淡の違う絵を敢えて掲載してみました。スキャナの退色補正技術をONにすると、きわめて色濃いい仕上がりになるのでアップする時は何時も戸惑います。それにしても梅林を描くのは難しいです、そろそろ桜が開花しそうな気候なので、梅の作品を慌てて掲載しました。千波湖梅林(2021-3-3)

  • やつと見えた大手門!(2021/12/26)

    水彩会の集まりでお邪魔するお宅の庭から、水戸城の大手門がみとおせました。大きな木の葉が茂っている季節には葉っぱで隠れて見えませんでしたが、この季節に葉つぱはすつかり散って大手門が見えるようになりました。旧水戸街道が貫く通りの上に門がそびえています。このお庭から一度描いてみたいと思っていました。師走の水戸街道は寒々としていました。季節は春を迎えていますが、遅ればせながらこの冬枯れの大手門を掲載しましたが悪しからず---。やつと見えた大手門!(2021/12/26)

  • やつと咲いた!(2021/2/4)

    毎年12月には咲き始める早咲きの水仙が一昨年から開花しなくなつた。地球環境の変化のせいかなと思っていたら、近所の小母さんが「水仙は数年おきに植え替えなくてはいけないですよ!」と教えてくれた。植え替えないと球根が増えて密集し、瘦せてしまい咲かなくなると言うことだそうです。毎年12月から四月の入学時期まで次々と咲きも乱れていた水仙が咲かなくなった理由を初めて知りました。開花も終わり初夏を迎えるころ、球根を掘り返して植え替えようと思います。今回、僅かに咲いた水仙を生けて描いて見ました。花の世界も三密は避けなくてはならないようです。それにしても新型コロナがワクチン接種で終息して、自由に花々の咲き乱れる世界を歩き回れる日が早く訪れることを願う毎日です。やつと咲いた!(2021/2/4)

  • やつと咲いた!(2021/2\/4)

    毎年12月には咲き始める早咲きの水仙が一昨年から開花しなくなつた。地球環境の変化のせいかなと思っていたら、近所の小母さんが「水仙は数年おきに植え替えなくてはいけないですよ!」と教えてくれた。植え替えないと球根が増えて密集し、瘦せてしまい咲かなくなると言うことだそうです。毎年12月から四月の入学時期まで次々と咲きも乱れていた水仙が咲かなくなった理由を初めて知りました。開花も終わり初夏を迎えるころ、球根を掘り返して植え替えようと思います。今回、僅かに咲いた水仙を生けて描いて見ました。花の世界も三密は避けなくてはならないようです。それにしても新型コロナがワクチン接種で終息して、自由に花々の咲き乱れる世界を歩き回れる日が早く訪れることを願う毎日です。やつと咲いた!(2021/2\/4)

  • 史跡・根古谷台遺跡(2021/1/8)

    正月明けの8日、栃木県宇都宮市に「うつのみや遺跡の広場」と言う史跡があるのをネツトで調べて行きました。史跡公園内には「根古谷台遺跡」があり、縄文時代の建物が復元され芝生の広場には木の根っこが点在していました。史跡をめぐり古墳を見学するのが趣味で、栃木には古墳が古墳県の群馬や埼玉に比較して少ないのでどんなものかと尋ねてみたのです。園内芝生に埋められた木の根っこは縄文時代の死者を埋葬した墳墓(墓穴)で、人骨が発掘された穴だそうです。この絵の中央にある建築物が資料センタ-なので、見学してきました。ここの史跡からの埋葬物は少なくて、埴輪などもありませんでした。権力者の古墳ではなくて、一般人の墳墓だつたのだろうと思います。史跡・根古谷台遺跡(2021/1/8)

  • 平沢官衙遺跡(2020/11/14)

    最近はコロナの影響で他府県へ絵のモチ-フを求めての遠出することがなくなったので、近場の題材に限られています。そんなある日、近くの筑波山の麓に再現された奈良時代の遺跡へ行ってみました。それは平沢官衙遺跡ですが、前に何度も描いたモチ-フです。遠く筑波山を望む広場には校倉造りの建物が再現されています。ここは奈良時代の役所の支所として農作物の集積・保存がされた倉庫なのです。この時代を少し下るとこの辺りを平将門が支配していて、京都の朝廷に反旗を翻した地でもあります。そしてもつと時代が下り江戸時代になると、赤穂浪士の主君である浅野家が赤穂に国替えになるまえに統治していた地でもあります。この辺りをめぐる様々な歴史の痕跡は大変興味深いものがあります。そんな地の痕跡を一枚描いてみました。平沢官衙遺跡(2020/11/14)

  • 柿の兄弟(2020/10/25)

    去年の柿は大変美味くなかった。自宅から車で20分位奔ったところは筑波山のすそ野に当たりますが、この付近はフル-ツラインと呼ばれていて夏、秋、冬にかけて梨、葡萄、柿そして温室栽培のイチゴ農家の即売所が収穫した果物を販売している。今年は柿の販売所が一、二軒しか開店してなかった。世代交代で柿農家は後継者が家業を継がなかったので、お店が少なくなったそうだ。そんな店から買った柿だったが、甘みが感じられずただ固いだけだった。熟練した世代の人がいなくなり、まずい柿だけが残ったのです。そんな柿二個を描いたのを忘れていました。柿の兄弟が「もつと魂をこめて栽培してくれ!」と怒りの声を上げているようだつた。柿を買った小生も怒っているのだ!柿の兄弟(2020/10/25)

  • 水戸城角櫓(2020/10/31)

    10月の最終日、月一の水彩画会で水戸市を訪れました。すでに水戸城の角櫓を描いた作品を一枚投稿していますが、もう一枚描いたので掲載しました。今度は角櫓をよく見渡せる場所を仲間に教えて貰い、水戸駅前の歩道橋をたどりこの景色に出会いました。角櫓の下の通りには左から美容院、中華料理屋、そしてウナギやさんのお店が右端のビルの陰に立っています。この通りは旧六号国道だそうですが、今は六号国道のバイパスに車の流れが移ってしまったので静かになつたそうです。水戸城は新たに復元されたばかりの大手門と角櫓しか建造物がなく、旧御三家筆頭の水戸徳川藩としては寂しい限りて出す。水戸城角櫓(2020/10/31)

  • 明けましておめでとう御座います。(2001/1/2)

    遅ればせながら明けましておめでとう御座います!。昨年末も押し迫った時に不運にもpcが故障してしまい、我が家に新しいpcを搬入したのが30日夕方でした。それから新しいpcの設定で苦闘して、なんとかプリンタ等の外付け機器のソフトのインスト-ルを夜遅くに終えました。そんな訳で年賀状作りは新年1日になってしまい、今日2日にこのブログの投稿に着手することが出来ました。あわただしい年末と新年でしたが、今年も水彩画の制作のスピ-ドは落ちるかも知れませんが、なんとか続けていこうと思う次第です。この拙い作品を見ていただいている皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。明けましておめでとう御座います。(2001/1/2)

  • 水戸城角櫓(2020/10/31)

    徳川幕府御三家の水戸藩の居城が整備されていますが、昨年の大手門に続きこの度城壁や櫓が完成しました。その櫓である角櫓を題材に早速描きました。今まで水戸城は城壁も建物も無く、城郭地域は藩校弘道館や官庁・学校はあるもののお城を象徴する建造物は殆どありませんでした。ここ2-3年やつとお城としての体裁が整えられて来ました。徳川御三家である紀州和歌山藩や尾張名古屋藩は立派な天守閣がありますが、ここ水戸藩は天守閣の無いお城ですが建造物は残されていませんでした。これでやつとお城としての外観が少し出来上がったようです。水戸城角櫓(2020/10/31)

  • かすみがうら市立歴史資料館(2020/10/24)

    隣のかすみがうら市立歴史資料館で「伊東甲子太郎展」と言う幕末の勤王の志士の特別展が開催されていましたので、早速見学して来ました。「伊東甲子太郎」と言う人物について一般の人々はご存じないと思います。伊東甲子太郎はかすみがうら市の出身で、本名は鈴木大蔵ですが幕末の江戸の剣客です。江戸に出て北辰一刀流の伊東道場に入門し、一刀流免許皆伝まで進み師範代を務めたイケメンの青年武士でしたが、道場主伊東氏の娘さんを娶り婿養子となりました。この時に伊東甲子太郎と改名しました。当時京都では尊王攘夷を標榜する勤王の志士達(脱藩者や生活困窮した悪戯浪人が多かった)が殺人、強盗、金銭強奪をほしいままにしていたので、徳川幕府は新選組(脱藩者、浪人、農民や無頼の徒を徴募した警察組織)や京都見回り組(徳川幕府の武術に秀でた旗本・御家人の二・三...かすみがうら市立歴史資料館(2020/10/24)

  • 土浦ほたて食堂(2020/9/17)

    先に掲載した中城商店街入口の絵に登場した古民家風の「ほたて食堂」ですが、今度は全景として描きました。駅前通りに面したところにあり、一段と古風な建物なので大変目立ちます。「天ぷら」が主体の食堂のようですが、昼食時には大変込み合って繁盛しています。僕はまだ訪れたことはないのですが、近いうちに一度食べに行きたいと思っています。県庁所在地である水戸市に次いで我が土浦市もかっては県内第二の都市だつたのですが、最近は東京の秋葉原に乗り入れした「つくばエクスプレス」の始発駅「つくば市」の発展に追い越されて、すつかりシャツタ-街となり衰えが目立つ市になってしまいました。霞ヶ浦の水運により発展した土浦市でしたが、、メインストリ-トを歩く人も少なくなりました。車社会になり車の乗り入れが難しい旧城下町は、時代の波に取り残された静かな...土浦ほたて食堂(2020/9/17)

  • 富谷観音小山寺(2020/9/12)

    紀貫之の末裔が都から流れ着いた栃木の西明寺の帰り道に、この小山寺の三重塔があるので立ち寄りました。この三重塔は前にも一度描きましたが、この塔はこの立ち位置からしか描けませんので前と同じポ-ズの絵になります。うっそうと茂る木々の手前にある塔は、素晴らしい建築物で木組みが複雑で相当省略して描いています。西明寺に比べ参拝する人もなく、静かな中に聳えていました。右側の建物は管理人のいる事務所です。ここから下に階段を降りると素晴らしい山門がありますが、構造があまりにも複雑なので描くのを敬遠しました。富谷観音小山寺(2020/9/12)

  • 柿の美味しい秋です!!

    柿の美味しい秋になりました。あの猛暑は一体何だったのだろう?世界はすっかり様変わりして、コロナの脅威に脅かされ経済活動を支える人の交流は停止され停滞してしまいました。従来ですと今頃は紅葉を求めて旅に、日帰りドライブに秋の日を楽しんでいたのですが、活動的なすべてのことや考えが萎縮してしまいました。例年ですと奈良の正倉院の国宝展を見学するのが楽しみだつたのですが、それも今年は叶わぬこととなってしまいました。それでも自然は移ろっていて、小生の地域はフル-ツラインと呼ばれる果物の豊富なところで、今は美味しい柿が道路沿いの店で売られています。そんな柿を小さなスケッチブツクに割りばしを絵筆の代わりに走らせて、墨汁で輪郭を描き着彩してみました。これからの世の中はどうなるのだろうかと考える最近です。柿の美味しい秋です!!

  • 水戸城大手門(2020/10/26)

    水戸城大手門を切通しの道の反対側から描いてみました。切通し道の崖の上に大手門と城壁の壁を望む光景ですが、大手門を囲む塀もやつと完成して夕方からライトアップしているそうです。水戸駅のほうには角櫓も建造されて、水戸城が立派に整備されました。大手橋を渡り大手門内に入ると、県下屈指の進学校・水戸一校、水戸三校(女子高)、茨城大学付属小・中学校、幼稚園などのある学園地区で、つい最近亡くなった俳優梅宮辰夫さんも水戸一校に通学されていたそうです。水戸城は千波湖を望む高台にある広大な敷地だつたそうですが、中心地域は水戸駅からも近く官庁街、学校区となっています。次は完成したばかりの角櫓を絵描いてみたいと思います。水戸城大手門(2020/10/26)

  • やや太り気味の牛久大仏ささん(2020/10/3)

    コスモスの開花している様子を描きたくて探していましたが、最近は休耕地などでコスモスを植えている所が少なくなりました。と、言うより自分の身の回りで記憶している所はコスモスが植え付けられていません。どうしてこのようになつたのか解りませんが、コスモスをモチ-フにしたい場合は咲いている場所を探すのに困惑します。そんな時ネットで探し当てたのがこの牛久大仏で有名な「牛久浄苑」です。大仏さんの前にコスモスやラベンダ-が栽培されていました。花の向こうに佇む大仏さんを描いたのですが、やや太り気味の大仏さんに仕上がりました。この浄苑は浄土真宗東本願寺派がここ牛久市に作ったものですが、そその昔親鸞聖人が流刑地越後から赦免されてここ茨城に来りて浄土真宗を初めて布教開始した地と言うことを意識して作り上げたものと推察します。大仏さんはエレ...やや太り気味の牛久大仏ささん(2020/10/3)

  • 中城商店街の光景(2020/9/17)

    小生の住む街の商店街の様子です。中城商店街と言いますが、もともとは土浦城の場内の中門があった区域かと勝手に想像しとています。商店街入口の左手には古い建物が現存していて、天ぷら屋「ほたて食堂」として営業しています。又、右側には白い壁の蔵造の居酒屋があります。この通りを奥に進むと土浦の街の古い街並みと建物が保存されています。最近は地元を対象にた風景を描いていて、あまり遠出はしなくなりました。自分が所属した水彩教室や水彩画会が県庁所在地水戸市だったので、水戸を主体にしたモチ-フが多かったのですが、諸事情から水戸へ通う機会が少なくなりました。そんな訳で県南主体の作品を描いています。中城商店街の光景(2020/9/17)

  • 紀氏の寺・西明寺(2020/9/13)

    茨城県の筑波山を西に向かうと栃木県に入り、陶芸の街として名高い益子の街を抜けると彼方に独鈷山・西明寺と言う真言宗のお寺があります。以前一度訪れたのですが、九月の熱い最中モチ-フを求めて再び行ってきました。ここは平安時代の歌人紀貫之の紀氏(きうじ)の子孫が遥か遠くの都から流れ着いた所です。その屋敷跡が現在この西明寺として保存されています。古今和歌集を編纂したり、土佐日記を記した紀貫之は歌や文学の基礎を築いた人として有名ですが、貫之以後は藤原氏などの陰に隠れて次第に存在が薄れ、子孫は都を離れてこの地にたどり着いたようです。小高い山の上に三重塔と山門がそびえています。茅葺の山門は大変珍しく火災にあうこともなく今日まで保存されてきたようです。歴史の痕跡を辿るドライブは、絵のモチ-フ探しを兼ねた日帰りの旅として小生の楽し...紀氏の寺・西明寺(2020/9/13)

  • 五浦海岸(2020/8/14)

    先に茨城県日立市の鵜の岬・伊師浜海岸の光景を描いた作品を紹介しましたが、ここからさらに北上して北茨木市の五浦(いづら)海岸をご紹介致します。この五浦は東京美術学校の初代校長を務めた岡倉天心が、東京を離れ横山大観達と共同生活をして、絵の制作に取り組んだ地なのです。鵜の岬からさらに北上した自然厳しい太平洋岸の海に面した丘の上に、天心たちが生活と絵の制作に取り組んだ自宅が、今では茨城大学天心美術館として公開されています。この光景の立ち位置に、美術館の中にある六角堂と言う東屋があります。向こうの荒々しい崖の上にあるのは五浦観光ホテルです。このホテルの社長令嬢が、戦後映画の復興時代の初期に日活からデビユ-した「筑波久子」と言う、女優なのです。彼女はこの地から東京の慶応女子高校、慶応大学法学部へ進み、女優デビュ-したのです...五浦海岸(2020/8/14)

  • 水郷公園の朝(202/8/16)

    夏の朝の水郷公園は様々な睡蓮が開花し始めています。この日の朝も日差しがきつ,これから灼熱の一日が始まります。7月初め、自分の部屋のエアコンを入れ替えました。今まで使用していたものは20年前のもので、故障もせず活躍してくれていますが、今年のような強い暑さの中突然壊れても困るので入れ替えしたのです。突然の故障と言う事態に備えて、入れ替えたのです。お陰でこの日のような灼熱の一日にも備えることが出来ました。古いエアコンをこの灼熱の日々に長時間使用すると、多分パンクしていたと思います。今年ほど梅雨明けから続く猛暑日にエアコンヲを多用したことは初めてです。そして最近やつと秋の気配が忍び寄り、朝晩は大変涼しくなりました。秋が到来する前に季節外れにならないように描きためた作品を慌てて掲載することにしました。水郷公園の朝(202/8/16)

  • 鵜の岬伊師浜海岸(2020/8/22)

    今年はコロナの影響で遠出をしませんでしたが、夏を象徴する「海」を描きたくなりハンドルを握りました。岐阜の長良川の鵜飼い漁でお目にかかる「鵜」を捕獲する唯一の地が、この鵜の岬です。この海岸の向こうには人気NO1で予約申し込みが困難な国民宿舎「鵜の岬」がありますが、その少し先に「鵜」の捕獲場があります。またここは海水浴場としても人気が高く、夏は国民宿舎や民宿に泊まり海水浴を楽しむ家族連れが押し寄せます。訪れた日はコロナの影響で海水浴場は開設されていませんでしたが、波打ち際で水遊びをする親子連れが見受けられました。久しぶりの遠出でしたが、静かな海岸を目にすることが出来てやつと夏を感じました。鵜の岬伊師浜海岸(2020/8/22)

  • 雨引観音山門(2020/7/24)

    紫陽花寺として訪れる人の途切れない雨引観音楽法寺は、紫陽花の盛りは過ぎていました。それでも山門の周りにひっそりと紫陽花が咲いていました。鮮やかに彩られた山門を一度描いてみたいと思い、今回このポ-ズで描きました。静かな境内には放し飼いされた雉鳥が、時折り「ケ-ン、ケ-ン」と鳴いていました。雨引観音山門(2020/7/24)

  • 蓮の朝(2020/8/16)

    早朝、車を走らせて霞ヶ浦水郷公園へ行きました。園内は早朝ウオ-キングをする人が外周路を歩いています。自分は歩くのではなく、公園で開花した睡蓮を鑑賞するのがお目当てです。ここで開花している睡蓮は、日本だけでなくアジア産の多数の種類が栽培されています。日本産としては大賀博士が古代の遺跡から発見し、現代に蘇らせた大賀蓮もあります。植物の永い眠りを覚ましたことに驚きを覚えた記憶があります。園内は朝日を浴びた蓮が静かに開花していました。蓮の朝(2020/8/16)

  • 紫陽花咲く雨引観音(2020/7/24)

    梅雨のわずかな晴れ間の午前、絵のモチ-フを求めて筑波山の北にある雨引観音(雨引山楽法寺)を訪ねました。ここは紫陽花の名所ですが、真言宗の古刹として有名です。7月下旬なので紫陽花の盛りはすぎていましたが、それでも山門から本堂へ至る坂道にはチラホラと紫陽花が咲いていました。何とかモチ-フとして描けそうです。コロナで沈滞気味の世相ですが、ここは三密にならない程度に参拝客が訪れていました。紫陽花咲く雨引観音(2020/7/24)

  • 一輪の睡蓮(2020/7/24)

    小さな水がめに浮かぶ睡蓮が花を咲かせました。鬱陶しい梅雨に心も沈みがちなある日、水彩会で集まったお友達の玄関にこの睡蓮がいけてありました。雨の水滴を載せている葉っぱの中央に、一輪の白い花が咲いていました。花の白色はスケッチブックの白を着彩せずに描きました。一輪の睡蓮(2020/7/24)

  • 世の中不満だらけだ!(2020/6/21)

    石岡市の柏原池公園の男のモヤイは不満7そのものと言った顔をして佇んでいます。コロナや水害、長引く梅雨、日本だけでなく世界全体のマイナス成長、コロナ拡散の源凶である中国の領海侵犯、心の安まる日がありません。ここ北関東はまだ梅雨明けせず農作物や花々の開花に異変が生じ、収穫不能の様相を呈しています。男のモヤイはそんな不満を顔全体に表しているように見受けられます。モヤイは見る時々に顔の表情が変化します。今は不平と憂いに満ちた顔を見せています。早く元の世界に復帰することを心から願う次第です。世の中不満だらけだ!(2020/6/21)

  • コロナ渦中の紫陽花(2020/6/22)

    コロナの第二波襲来で再び自粛を心がける日常に戻ることになった今、すぐれない天気が続きます。そんな或る朝、家の紫陽花に小さな🐌カタツムリがゆっくりと葉っぱの上を這っていました。🐌カタツムリはやや茶色がかった色調で、小さな角を前後左右にフリフリしながら歩んでいました。紫陽花はまだ完全に色づいてなく、白と紫のマダラ状態でしたが、🐌カタツムリが珍しいので描いてみました。曇天続きとコロナで気粉が晴れません。コロナ渦中の紫陽花(2020/6/22)

  • モヤイ像(2020/6/21)

    日本全国の好感度ドンケツの我が茨城県の県庁所在地は水戸市ですが、昔々のその昔はこのモヤイ像のある柏原池の近くが常陸の国の国府があつた石岡市です。このモヤイ像は柏原池公園にある女性のモヤイです。石岡市や隣の笠間市あたりは水戸徳川家の影響を受けた地で、幕末維新の時代には徳川幕府に忠誠を誓う諸生派と勤王を志す改革派の武闘派の出身地でもあります。石岡市の近くの地は新選組の参謀で江戸北辰一刀流の剣客伊東甲子太郎、その弟鈴木三樹三郎が出た地です。伊東甲子太郎は新選組に入隊したものの勤王の志が強く、御陵衛士という組織を作り新選組を脱退しましたが、京都駅近くの油小路で新選組に暗殺されてしまいました。皮肉なことに坂本龍馬が京都見回り組の佐々木只三郎(会津藩家老の弟)に暗殺される前日に、暗殺の危険が迫っていることを忠告した伊東本人...モヤイ像(2020/6/21)

  • アルストルメリア(2020/6/15)

    このアルストル・メリアと言う花はいつの間にか我が家の庭を占領してしまいました。梅雨入りの前にはとても目立つ占領軍です。コロナだ、自粛だ、拡散だと暗い世相ですが、我が家を取り巻く田園地帯は感染と無縁の世界で、三密の環境はありません。のんびりと時間が経過していきます。この花の名前は何度聞いても忘れてしまいます。アルストルメリア(2020/6/15)

  • 懐かしの枝垂桜(2019/4/20頃)

    コロナで自粛する中、去年の今頃は会津の枝垂れ桜を見に行ったんだと思い返し、PCで画像を探して一枚描きました。他府県への移動自粛と観光地の閉鎖と言う状況なので、去年の写真を眺め地蔵堂の枝垂れ桜を描いたものです。有名な三春の滝桜の種があちこちに飛んで、素晴らしい枝垂れ桜が何カ所も点在する中の一つです。枝垂れ桜はコロナに負けず今年も花を咲かせているだろうと思いました。陸奥の玄関は素晴らしい風土の地です。懐かしの枝垂桜(2019/4/20頃)

  • ヘリコプタ-初試乗(2020/6/7)

    今月6日、家に籠り続きで外遊びが出来ない孫を連れて水郷霞ヶ浦総合公園へ行きました。自粛・自粛で子供もストレスが溜まっているだろうと思い、外出したのです。天気も快晴で霞ヶ浦に隣接する公園では、筑波航空会社が有料でヘリコプタの試乗をしていました。早速、三分間のフライトで機内に乗り込み、空から自分の住む街を見学することが出来まし。そのフライトで何よりも感激したのは、上空から眺めた湖、我が土浦市中心部、それを囲む田園地帯、遠く霞む紫峰筑波山、すべてが緑に覆われた新緑の光景でした。日常水平にしか眺めていない街並みですが、上から眺めるとこんなにも緑美しい自然に囲まれているのかと新たな発見をしたことです。新緑の続くこの光景は心に焼き付いて、生涯忘れられない思い出に恵まれたことに感謝した次第です。ヘリコプタ-初試乗(2020/6/7)

  • コンサ-トサイズのウクレレ(2020/6/10)

    コロナ騒動で自粛の期間中の四月、ふとしたことから学生時代に弾いたことがあるウクレレヲを再び手にして弾いてみました。昔覚えていたコ-ドはすっかり忘れていました。それでも初心者用の教本を入手して楽譜を見ながら弾き始めました。約二か月の間にコ-ドの勉強をして、ほぼコ-ドを覚えて「アロハオエ」や「思い出の渚」などを毎日弾き語りして親しんできました。この絵のウクレレは普通のウクレレ(ソプラノサイズ)よりワンランク上のコンサ-トサイズというウクレレです。ソプラノサイズでは男性の指では弦を押さえるのに狭いので、ワンランク上のコンサ-トサイズを常用しています。このように音楽に親しんでいたので絵のほうはすっかりご無沙汰をして怠けてしまいました。投稿する作品がなくなり、急に風景のモチ-フも見つからないので、絵の制作を怠けさせたウク...コンサ-トサイズのウクレレ(2020/6/10)

  • 土浦城城門(2019/11/17)

    土浦城には現在この城門が残っています。これは去年の11月に土浦城(亀城公園)を訪れた時の城門の様子です。小さなお城ですが、車を止める駐車場がないのでバスで行きました。この絵を描いたのは2020年3月です。それ以後絵とは遠ざかっていて、その間新たに始めた趣味に夢中になつていました。コロナ渦で自粛生活の間、暇を感じることもなくいつもと変わらない生活でした。首都圏のような人に溢れたところではないので、自然に恵まれた純農村地帯で災禍を感じることなく過ごしていました。そろそろ改めて絵に向き合わないと掲載する作品が欠乏してきました。心を入れ替えて絵に取り組もうと思います。土浦城城門(2019/11/17)

  • 春めいてきた水郷公園(2020/3/26)

    三月下旬、外出自粛でしたが水彩画のモチ-フを探して又桜の風景を確かめたくて水郷公園にやって来ました。あたりは少しづつ緑が目立ち始め、風車の向こうの背景には桜の咲く様子を見ることが出来ました。人はほとんど見当たらず、静かな公園風景でした。平和な光景なのですが-----。春めいてきた水郷公園(2020/3/26)

  • 再び高岡の坂道(2020/2/27)

    新型コロナが拡散し始めた頃、再び高岡の坂道を通りました。同じ二月初めに高等学校の遅ればせの新年会で渋谷に集まった時は、待ち合わせ場所のハチ公前にはまだ外国の旅行者や日本の若者たちが大勢たむろしていました。その頃ようやく新型コロナの拡散が報道され始めていた時です。マスクをした人も殆ど居ませんでした。まさかこんな事態になろうとは思ってもみませんでした。然し、そんな都会の様子とは全く違う高岡の光景は、車すら通らず静かなものでした。形の見えないウイルスが地球を、人類を汚染することなど想像できないのどかな光景です。この光景のように穏やかな平和な日常が回復することを願っています。再び高岡の坂道(2020/2/27)

  • 桜咲く水郷公園(2020/3/26)

    外出自粛の折、桜咲く風景を求めて水郷公園へやつて来ました。公園は訪れる人も少なく、寂しく桜が咲いていました。こんなに寂しい公園は初めてです。この度の国難に立ち向かう政府、疲労極限の首相以下の閣僚、自治体の首長以下の方々、感染リスクと隣り合わせで使命感から必死に戦う医療関係者の方々に感謝!感謝!です。とりわけ家庭とお子様のことを思い、心みだれながらも必死に職務に精励する看護士の方々に心から感謝致します。心無い輩が首相以下政府与党、行政、医療機関を非難、中傷、誹謗する現状、そして自粛要請を無視するパチンコ屋とパチンコ狂など罰則のない要請あざ笑う馬鹿者達をこれ見よかと誇張する報道機関、国民は怒りに満ちているのです。戦後民主主義に毒され、無責任に言いたい放題、不平不満を声だかに叫ぶ連中に怒りを感じる最近です。あえて心ひ...桜咲く水郷公園(2020/3/26)

  • 土浦城亀城公園②(2019/11/17)

    外出自粛の事態なので撮りためた写真を見て、モチ-フを選び描く日々です。従来は県北・県央を訪ね様々な場所・風景を題材に描いていましたが、最近は自宅近辺や筑波山周辺でモチ-フを探して描いています。現地で描くことも少なくなり、デジカメ・スマホであらかじめ撮っていた写真をタブレットやPCの画面に再現して描くほうが多くなりました。今年は桜を追って福島三春や小野、郡山、会津若松まで行けなかったので、過去の写真を探して描いています。福島の枝垂れ桜を鑑賞することが出来ず、残念ですが仕方ありません。土浦城を描いた作品は二作目ですが、お堀に囲まれたこじんまりとしたお城の風景は故郷のお城を思い出させます。歳を重ねて故郷への思いが強くなりましたが、来年は高等学校の同窓会があるのでゆつくりした日程で歩いてみたいと思っています。故郷北九州...土浦城亀城公園②(2019/11/17)

  • 高岡の坂道(2020/2/27)

    つくば学園都市への近道なので今回もこの坂道を通りました。少し春めいてきた坂道は新緑の目につく田舎の風景が広がっています。昨今はコロナウイルスの拡散による緊急事態を迎え、大変な世の中になりましたがこの辺りはイオンやコストコ以外は人の群れる場もほとんどありません。今までと変わらない集落の風景が広がっています。コロナ対策に当たる医療関係者の努力に敬意を払うとともに、それらの方々の努力が報いられてコロナ禍が早く収束することを願ってやみません。高岡の坂道(2020/2/27)

  • 水戸城大手門(2020/2/29)

    水戸城大手門は正面からの様子は既に掲載しましたが、今回は大手門を中に入り後ろから振りかぇつた様子を描いてみました。この門をくぐって画面左の方に進むと水戸一高・水戸三高・茨城大学付属中学校・小学校などの学校が一か所に設けられています。三の丸からこちらに入ると二の丸・一の丸は白壁の塀で整備された学校区域です。まるで時代劇の城郭に入り込んだようです。水戸の子供たちは三の丸にある三の丸小学校や大手門内の小中学校、高校に進学するとここで18才まで過ごすことになります。昔の大手門内の学校に通っていた人に言わせると、時代劇の城郭のように整備された様子は違和感を感じ素朴な雰囲気のあつた昔が懐かしいと嘆いていました。新型コロナの感染が進むわが県も、ついに不要不急の外出を控えてほしいと宣言されました。日銭を稼ぐ業界は大変苦しい状況...水戸城大手門(2020/2/29)

  • 冬枯れの水郷公園(2020/1/5)

    今年の冬は全般的な温かい日が続いていますが、一月初旬ふと思い立ち霞ケ浦に設けられた水郷公園へ行きました。公園の芝やせせらぎのあたりの様子は正に冬枯れと言った様子でした。ここは春夏秋と何度も描いているのですが、この冬の光景を簡単に描いてみました。冬の感じが出ているでしょうか?掲載した三月下旬はこの光景もかなり様変わりして、グランドの芝も緑色に変化していました。今、全世界を襲っている新型コロナの拡散が止まらず、我が茨城県の感染は比較的に遅かったのですが今日23日現在5人の方の陽性が発表されました。まさかこんな純農村地帯に感染された方がいるとは思えない、ノンビリした日々が過ぎています。そんなノ-テンキな小生ですが、わが県だけでなく日本全国、そして全世界の感染者の回復と、コロナの終息する日が来ることを願う次第です。健康...冬枯れの水郷公園(2020/1/5)

  • 霞ケ浦備前川水門(2020/1/5)

    備前川が霞ケ浦に流れ込む河口に備前川水門がありますが、この先の総合運動公園で軽く運動やウオ-キングをする時にここを渡ります。水門の左側にある建物は温泉施設ですが、まだ一度もはいったことはありません。左の水際は様々な鳥たちが羽を休める休憩場です。この風景の一月は木々も葉を落として、寒々とした感じです。霞ケ浦備前川水門(2020/1/5)

  • 土浦城(亀城公園2019/11/19)

    小生の住む土浦市は土屋家が領主として統治していたそうです。ここは北九州出身の小生の会社の生産工場があつた関係で、ここに住み着いた訳です。この地は霞ケ浦を望む一大農村地帯で自然に恵まれた所です。土屋のお殿様の土浦城が亀城公園として市の中心に存在します。一度絵に描いてみたいと思っていたので、描きました。お城は広大な敷地だつたようですが、現在はお堀に囲まれた本丸の部分だけが残っています。講談では、土屋のお殿様が江戸本所松坂町の吉良邸に討ち入った赤穂浪士の仇討に大きな提灯を灯して支援したと語られています。他府県人の僕が知っているのはこれくらいで、地元の歴史はほとんど知りません。でも、大変住みやすい所で、自然の恵みに感謝して日々を過ごしています。土浦城(亀城公園2019/11/19)

  • ふるさとの森(2019/11/6)

    何時も車で通り過ぎる道路沿いに、「ふるさとの森」と書かれた大きな看板があるので立ち寄ってみました。数年まえ僕の住んでいる市と合併した旧新治村にあります。何故「ふるさと」と命名されているの不明ですが、こんもりと木々が茂りその中に神社がありました。午後の太陽の光が陰り始めた様子を描きまた。先に田舎の消防団としとて描いた高岡地区の近くにこの森はあります。ふるさとの森(2019/11/6)

  • 新年の雨引山楽法寺(2020/1/2)

    令和二年新年のお参りは筑波山の北、雨引観音として知られる真言宗楽法寺へ行くことで始まりました。本堂で護摩焚きの後、山の中腹から筑波平野を眺める景色は新年に相応しいものでした。暖冬の新年は和やかな正月を味わわせてくれました。その穏やかさもつかの間、中国から世界に広まった新型コロナ・ウイルスの脅威が我が国にも迫りました。政府の対応も大変なものと推察しますが、ここは頑張りどころと声援をおくりましょう。でも、今日8日は東京の同級生のお宅で遅ればせの新年会があり僕も出席しますが、コロナが心配です。マスクと除菌用のエタノ-ルのウエット・シ-トを持参して、出かけます。新年会のお酒で予防になれば幸いですが---。新年の雨引山楽法寺(2020/1/2)

  • 水戸城大手門(2019/10/22)

    茨城の水戸城は広大な敷地があったと思われますが、建物は現存していません。然しながら城の中枢に至る大手橋を渡った所に新たに大手門が建造されています。もう完成間近なこの門を描いてみました。大手門が無かった時の光景が何となく物足らない感じでしたが、このように建造されると引き締まる感じがします。二月に完成披露されるようです。この橋を渡ると有数の進学校水戸一高、水戸三高、茨城大学付属小学校等が場内に隣り合わせて存在する一大学校区域です。水戸徳川家のゆかりの地は歴史保存地区として観光名所の中心なのです。水戸城大手門(2019/10/22)

  • 大手橋からの光景(2019/10/31)

    水戸市には旧水戸藩のお城(水戸城)を中心に歴史的な建造物が、大切に保存されています。水戸黄門(徳川光圀公)出征の地、水戸藩の藩校講道館や孔子廟、そして二の丸、三の丸と続きます。現在この地区に至る大手橋の向こうに大手門が復元され完成披露が近く行われます。掲載した作品はこの大手門から水戸駅に至る切通しの道を描いたものです。ここも一度描いてみたいと思っていた光景です。大手橋からの光景(2019/10/31)

  • みずほの村市場の蕎麦屋(2019/10/13)

    新年あけましておめでとう御座います。去年の11月から師走にかけて県庁所在地である水戸市へ週2-3度往復して訪問しなければならない事情があった為に、このHPの更新と絵の制作が疎かになりました。その合間をぬって健康維持のための運動も継続してやらねばならず、あっとと言う間に新年を迎えました。お陰様で毎年継続してきた師走の大掃除も出来ず、すす払いもしないで新年を迎えたのは初めてです水戸までは往復80-90kmの距離を運転するのですが、行きは高速道路を走り帰りは一般道で戻るという行程でした。そんな訳でHPの更新が疎かになりましたことをお詫び申し上げます。そして遅ればせながら今年も宜しくお願い申し上げます。さて、掲載の絵は10月のある日、茨城県つくば市にある「みずほの村」と言う農産物の販売所の近くを通りかかり、昔懐かしい建...みずほの村市場の蕎麦屋(2019/10/13)

  • 高岡の消防団②(2019/10/2)

    高岡の坂を下るといかにも田舎の消防署と思われる光景があり、それが面白くて先に掲載した絵の反対側からの光景を描きました。左側の二階屋に消防車が格納されていると思われます。この道の両側には屋敷門を設けた農家が連なり、なかなか格式の高い家が続きます。人口減少と言う状況が叫ばれている最近ですが、この付近も人は全く歩いていなくて、時折車が通りすぎるだけです。街は人の声もしなくなり衰退を辿る我が国のこれからを感じます。高岡の消防団②(2019/10/2)

  • 彼岸花の西連寺③(2019/10/7)

    西連寺の仁王門を入った参道から眺めた光景です。ここは茨城県でも有名な彼岸花やヤマユリの咲く名所として知られています。ここは行方市と言う霞ケ浦に接するところで、関東有数の農業生産地です。静かな境内は樹齢数百年の樹木が生い茂っています。彼岸花の西連寺③(2019/10/7)

  • 彼岸花の西連寺①(2019/10/7)

    以前にも西連寺の鐘楼を描いたと思いますが、今回も描いてみました。この鐘楼は大変珍しい恰好をしているのが描いた理由です。最近の僕の描き方は鉛筆や水性ペンでモチ-フの線をほとんど書き込まず、ごく簡単な輪郭線だけを描いたら、絵具でモチ-フを書き上げています。この描き方は着色した絵筆だけで書き上げるので、輪郭線のある絵よりも柔らかい絵が出来上がります。明暗と陰影で仕上げる描き方です。まだまだ模索の最中ですが、本格的に水彩画に取り組み始めて20年でどうやらこの描き方に落ち着いたようです。失敗と反省の繰り返しですが、テレビで先日高田純次さんの「じゆん散歩」と言う番組で、鎌倉の水彩画か矢野元晴画伯の主催する「鎌倉水彩画塾」が放映されました。この塾の主催者である矢野画伯が描く水彩印象画法と言う描き方が素晴らしくて、早速goog...彼岸花の西連寺①(2019/10/7)

  • 高岡の消防団(2019/9/25)

    高岡の切通しの坂を下りきると古びた火の見櫓や給水塔のある広場があります。消防車を格納する消防団の建物の向こうの林には法雲時があります。小生の自宅から車で少し走るとこの高岡地区ですが、いかにもののどかな田舎の風景です。高岡の消防団(2019/9/25)

  • 彼岸花の西連寺(2019/10/9)

    自宅近くの彼岸花の名所を検索したら、この西連寺がありました。ここはヤマユリの里としても有名で、花の季節には訪れる人が絶えません。この絵は西連寺の仁王門です。茨城県の霞ケ浦に隣接する行方市と言う地にこの寺がありますが、別名茨城の高野山とも称しています。この行方市は新選組の局長芹沢鴨や天狗党が、佐幕派と血を血で洗う戦いをしたところです。今は穏やかな陽光のもとに彼岸花が静かに咲いていました。彼岸花の西連寺(2019/10/9)

  • 小松寺唐門(2019/9/24)

    水戸市の北の城里町に小松寺があります。この寺の唐門は以前にも描いて掲載しましたが、この日は水彩仲間と訪れて再び描きました。この小松寺は平安時代末期、源氏に京都を追われた平家一門の武将平貞能が、平清盛の長男平重盛の遺骨を携えここ城里まで落ち延びて埋葬しました。平重盛は沈着冷静な政治家として将来を嘱望されていましたが、若くして亡くなり大変惜しまれた内大臣です。重盛が生きていたならば平家の没落は無かったものと言われた人物です。平貞能は源氏に重盛のお墓を荒らされることを恐れ、お墓を掘り返し重盛の遺骨を携え又重盛公の婦人得律禪尼を伴い関東の平家一族を頼りここまで落ち延びたのです。境内の裏山の斜面に重盛公、得律禅尼のお墓があります。この日描いた唐門は重盛公の館にあつた小松谷の唐門を模したものだそうです。小松寺へ入る入り口に...小松寺唐門(2019/9/24)

  • 磯浜海岸二つ島②(2019/8/10)

    先に掲載した磯浜海岸二つ島の光景で海岸の堤防すぐ近くに、この小さな島が突き出ています。消波ブロックのすぐ近くです。この海岸の詳しい言われは分かりませんが、東日本大震災の時にはここの小島にも激しい津波が押し寄せたものと思います。暑い一日でしたが、海のモチ-フを探して海岸線を辿りました。磯浜海岸二つ島②(2019/8/10)

  • 高岡の下り坂(2019/8/26)

    高岡の坂をいつも車で上下していますが、先日は坂の下から眺めた構図で一枚描きました。今度は坂の上から下を眺めた絵を描きました。真ん中の坂が向こうにくだっていくのですが、この道の両側にはそれぞれ上り坂があります。この構図が面白いので描いたのです。左の坂を上ると住宅地になり、反対に右側の坂を進むと法雲寺という由緒あるお寺がありれます。このお寺は、その昔この辺りを支配していた小田氏の手厚い保護を受けていた菩提寺て、南北朝の時代には後醍醐天皇の南朝方に与していたそうです。小田氏の城に籠り北朝と戦っていた北畠親房が、ここで「神皇正統記」を書き残したそうです。歴史あるところとは知らず坂を上り下りしていました。坂の遥か向こうの田園地帯は「つくば市」です。高岡の下り坂(2019/8/26)

  • 磯浜海岸二つ島(2019/8/10)

    夏の絵を描かなくてはと予め調べて見つけた海岸へ向かいました。北茨城の磯浜海岸ですが、もう少し北へ走ると福島県です。この辺りは海水浴場が連なっていて、この作品は磯浜海岸の二つ島と言う場所です。波打ち際のすぐ近くに突き出た小さな切り立った島があります。観光ホテルのすぐ目の前にこの島(あまりにも小さいので島と言えないかも)があります。右の観光ホテルの先には砂浜があり、海水浴場のようで子供たちの嬌声が聞こえて来ました。波の打ち寄せる様子を表現するのが難しいですね。先に掲載した日立の久慈浜海岸はここからもつと南下したところです。磯浜海岸二つ島(2019/8/10)

  • 夏の野菜(2019/8/27)

    今年の夏は余りにも暑すぎて、高齢者の小生には屋外スケッチや運藤の為のパ-クゴルフは危険なのでエアコンで冷やした部屋でひたすら読書に費やしました。そんな暑いある日、あるお宅で水彩画の集いがありました。涼しい室内の卓上に置かれた野菜が目についたので、小さなF3サイズのスケッチブックにさつと描いたのがこの野菜です。夏の野菜(2019/8/27)

  • 久慈浜海岸(2019/6/27)

    夏を迎える季節なので海を描きたくなり、ネツトで茨城の海岸風景を検索して日立市のこの海岸を見つけました。この日は検索した数か所の海岸を辿りましたが、これはそのうちの一か所久慈浜海岸です。梅雨の晴れ間の天気の良い日でしたが、灯台を望む海岸は海水浴シ-ズンの準備中で清掃と海の家の建造が行われていました。崖の上を国道六号が走り交通量の多いい所ですが、一段下がった海岸は静かに波が打ち寄せていました。久慈浜海岸(2019/6/27)

  • 水生植物園の新婚さん(2019/6)

    プリンタのスキャナで、描いたばかりの水彩画作品を写しとろうと作業を始めました。ところが突然愛用のプリンタ-が故障し、修理不能と表示されました。早速、PCデポにプリンタを持ち込み診断して貰ったところ、現在のプリンタの使用寿命は4-5年で部品も無くなると言う返事でした。仕方なく新たにプリンタを購入しPCと接続しい印刷を開始したところ、今度はPC画面に「Windowsのプリント・スプ-ラ-のサ-ビスを停止しているため印刷処理ができません。サ-ビスを開始して、もう一度印刷を実行してください」と警告が出てスキャナの使用も印刷も出来ません。そこで再びPCデポにPCとプリンタを持ち込み診断して貰ったところ、今PCにインスト-ルされているWindowsのソフトを入れ替えなくてはいけないと診断され、約一週間かけてPCソフトをイン...水生植物園の新婚さん(2019/6)

  • 佐賀市神野公園②(2019/5/26)

    中学の同窓会が開催される午前に神野公園へ行きましたが、これはその公園の二枚目の作品です。木道の両側は菖蒲が咲くものと思われますが、時期的には少し早すぎたようです。この公園は佐賀藩の藩主の別荘だつたそうですが、現在では市民の憩う場所です。中学の同窓会としては今回が最後で、次に九州を訪れるのは数年後の高校最後の同窓会となります。今回の旅は日程に余裕がなく、絵のモ-チフ探しも思うようにいきませんでした。絵のストックがこの作品をアップして無くなったので、今日慌てて一枚仕上げました。今までサボつていたので、これから数枚を書き溜めないといけません。(フ-ツと溜息をつきました)佐賀市神野公園②(2019/5/26)

  • 小貝川のポピ-(2019/5/16)

    このポピ-の咲く公園は下妻市を流れる小貝川の河川敷にあります。僕はここにあるパ-クゴルフ場でプレイするので、片道20KMを車で走り通っています。彼方には筑波山が聳える大平野ですが、古の平将門や平安末期の親鸞聖人、赤穂義士などが関係する歴史の地でもあります。健康のためにウオ-キングとスポ-ツを兼ねてパ-クゴルフをしているのですが、ゴルフをプレイすることで一万歩以上の歩数がカウントされます。この絵のようにポピ-満開の時期は花粉が飛び交っているので、クシヤミを連発し苦しみながらプレイしています。小貝川のポピ-(2019/5/16)

  • 大宰府坂本八幡宮(2019/5/24)

    中学の同窓会で九州入りしましたが、今回も予め訪れたい地域を予定に立てました。到着初日は福岡泊りとしホテルのチェツクインを済ませ、駅前のバスセンタ-から大宰府政庁跡の坂本八幡宮へ向かいました。広大な政庁敷地の奥に小さな坂本八幡宮があります。令和の元号発祥の地で一躍有名になりましたが、参拝の人が絶えません。ここは九州を統括する役所があつた所で、長官として奈良から赴任した大伴旅人が勤務した役所の跡地です。坂本八幡宮はその大伴旅人の屋敷跡だそうで、主だった役人が旅人のもとに集まり観梅の宴を催したそうです。宴に参加した官人の中には「青によし奈良の都に咲く花は匂うがごとく今盛りなり」と歌った小野老(おゆ)も居たようです。政庁の敷地内には大伴旅人達の歌った歌碑が至る所に残されていました。大伴旅人は赴任の旅を共にした奥方を早々...大宰府坂本八幡宮(2019/5/24)

  • 高岡の坂道(2019/3/17)

    何時もつくば市のある場所に行くときに通る高岡地区の坂道です。右手の水平に重なる白壁が面白くて描きました。この辺りは農村地帯で車もあまり通らない田舎道です。左手の消防車の格納庫のもっと左手には白雲寺と言う歴史を感じさせる古刹があります。坂道は平たんな景色よりも面白いので時々モチ-フとして描きます。僕の住んでいる地域は買い物、通院などすべて車でないと用が足せませんので、高齢者の交通事故の度重なる中でもハンドルを握らざるを得ません。幸いにして僕の車には急発進や車線はみだし、アクセルとブレ-キの踏み間違いを制御する装置がついているので安心感はありますが、それに頼らず慎重に運転することを心がけています。高岡の坂道(2019/3/17)

  • 旧八幡市一望(2019/5/25)

    五月下旬、佐賀市で開催される中学の最後の同窓会で九州入りした翌日、北九州市八幡へ向かいました。ここは台湾から引揚後中学校一年までのの合計12~3年間を過ごした故郷で、両親の眠るお寺にお参りして帰朝報告をしました。その後、ケ-ブルカ-で目の前にそびえる皿倉山の頂上へ行き、市街全体を懐かしく見渡すことが出来ました。今回の旅は最後の九州の旅になると思い、自分史をたどる思い出の地を予め決めたうえでのスケジュ-ルを組みました。その一か所がこの旧八幡市です・敗戦後の混乱と瓦礫と化した市街は御覧のように復興し、市内の思い出の地を目で確かめながらひと時を過ごしました。玄海灘の手前が旧若松市、そして洞海湾を眺めます。洞海湾を囲み八幡製鉄所が聳え多数の高炉かが林立し、黒鉛が絶えることがありませんでした。今はその高炉も無くなり洞海湾...旧八幡市一望(2019/5/25)

  • 佐賀市神野公園の隔林亭(2019/5/26)

    正午から始まる同窓会の前に駅前の自転車屋でレンタル自転車を借りて、神野公園へ行きました。小生が中学・高校を過ごした佐賀は勤皇方として維新に貢献した鍋島藩が統治していた所です。神野公園(こうの)は鍋島の殿様の別荘だつたそうですが、ここには現在も別荘の建物であるこの隔林亭が保存されています。当日はこの隔林亭でお茶会が開催されていて、和装の麗人達が中でお茶をたてていたようです。一度は訪ねてみたいとこの日午前中に、恐ろしく乗り心地の悪いレンタル自転車の重すぎるペダルを漕いで見学してきました。一日500円の料金を払って借りましたが、電動自転車の時代なので電動は無いのか尋ねたところレンタル回数が少なくてペイしないとのことでした。重すぎるペダルを漕ぎ疲れてホテルに戻り、汗だくになったのでシヤワ-を浴びて正午から開会の同窓会に...佐賀市神野公園の隔林亭(2019/5/26)

  • 県植物園(2019/4/29)

    この日は水彩仲間と県の植物園にやつてきました。水彩画を趣味として描き始めて19年の小生は、かっての創作意欲のペ-スもかなり落ちている最近ですが、仲間の人たちは今や描く楽しみに満ちています。小生はこの作品を早々と書き終えて一足お先に引き上げましたが、仲間の方たちは昼食後も無心に絵筆を走らせていました。四月下旬という季節でしたが、気温も高く陽射しは熱いくらいの一日でした。帰宅のハンドルを握りながら、自分も描くことが楽しくて仕方がなかったあの頃があつたなと懐かしく思い出しました。県植物園(2019/4/29)

  • ふれあい公園のポピ-(2019/5/11)

    暫く留守にしていたので、掲載が遅くなりました。小貝川の河川敷にこの公園があります。園内は野球・パ-クゴルフなどの運動施設や淡水魚水族館、そしてポピ-の咲く畑があります。まだ満開ではありませんが赤い花が開花し始めていました。遠く紫峰筑波山を望む園内は遊戯場には遠足の幼稚園児が来ていますし、お花畑にはポピ-を鑑賞したり写真を撮る人達が訪れていました。初夏を感じさせる陽気が続き満開はもうすぐだと思われます。ふれあい公園のポピ-(2019/5/11)

  • 岩谷古墳(2019/3/15)

    筑波山の尾根を貫くトンネルを抜けると石岡市八郷地区になります。高等学校の同級生KO君が住まわれている所ですが、この当たりは純農村地帯でこめ・麦だけで無く様々な果物栽培が盛んな所です。三月中旬この先にある県立フラワ-パ-クヘ行こうと通りかかり、道の左手の小高い丘の上に土饅頭があることは以前から知っていたのでこの日は確認の為車を停めて丘に登ってみました。この土饅頭に近づいて確かめてみると、なんとこれが古墳だつたのです。左奥の民家の庭先にある石室を備えた小さな古墳でした。岩谷古墳と書かれた小さな案内板があるだけなので、どんないわれがあるものなのか全く解りません。岩で覆われた石室の中には小さなお地蔵さんが数体並んでいました。今まで何度もこの土饅頭を見ながら通り過ぎていましたが、これが古墳だつたとは驚きました。スマホのマ...岩谷古墳(2019/3/15)

  • 三昧塚古墳(2019/2/2)

    彼方に筑波山を望み、左手には霞ヶ浦を望む道沿いにこの三昧塚古墳(さんまいづか)が綺麗に整備されています。前方後円墳となっていて上に登ると風景を展望することが出来ます。ここは行方市(なめがた)で、隣の鉾田市と同じく農業の盛んな所です。歴史的には幕末の京都で結成された治安組織新撰組の初代筆頭局長芹沢鴨の生家があるところです。水戸藩士と称して尊皇攘夷を掲げた天狗党の生き残りを名乗り暴れまくった芹沢鴨ですが、新撰組結成後一年も経たずして東京の三多摩地方日野発祥の天然理心流にくみする日野派の近藤勇・土方歳三らにより暗殺されました。実際は水戸藩士ではなく室町時代から続く芹沢城の領主の子孫で、浪士隊として京都に上洛したものの京都で暗殺され故郷に帰ることはありませんでした。現在も芹沢鴨の生家は、暗殺時に逃げ延びた平間重助の子孫...三昧塚古墳(2019/2/2)

  • 笠間市時鐘(2019/2/21)

    近くの笠間市は日本三大稲荷の笠間稲荷や陶芸笠間焼で有名です。又芸術の街でもあり日動美術館や北大路魯山人の旧居「春風萬里荘」があります。この時鐘は美術館近くの笠間城址に設けられ静かに聳えています。ここ笠間は江戸城の松の廊下で刃傷事件を起こした浅野内匠頭の祖父がここ笠間藩の藩主だったこともあり、この近くには赤穂藩家老大石内蔵助の旧居跡も保存されています。忠臣蔵で討ち入りした浪士の多くがこの当たりの出自で赤穂へ移つた人達だつたそうです。又、古くは平安時代末期、親鸞聖人が浄土真宗をこの地で布教開始した地でもあり、ここから福島まで布教活動を行った本拠地なのです。そんな芸術と歴史の街である笠間市は、絵の題材に恵まれているので時々訪れる所なのです。笠間市時鐘(2019/2/21)

  • 浄瑠璃寺NO4(2018/11/24)

    この絵を掲載するのを忘れていました。浄瑠璃寺入り口を入るとすぐにこの風景が目の前に現れます。静かな山城の里の森の木々に囲まれたこの本堂に、九体の仏様が鎮座しています。人工照明を一切遮断した自然光の中にこの仏像が安置され、更に吉祥天女像がたたずんでいます。遙か昔の時代から今日まで戦争や内乱の焼き討ちにあわずに保存されたことに驚きます。去年の京都の旅行に先立ちここを訪れることにして、初めてここを案内してくれた先輩を偲びながら次の訪問地京都へ向かいました。浄瑠璃寺NO4(2018/11/24)

  • 小美玉市古民家園(2019/1/28)

    茨城県の県南に位置する霞ケ浦湖畔の古墳探索をしていて、小美玉市にあるこの古民家園の看板を見つけたので見学に立ち寄りました。江戸時代の庄屋小松家の住宅だそうです。茅葺の大きな豪農の住宅で、農耕馬を建物内で飼育するように作られています。この日は休園日で、内部の見学は出来ませんでした。この辺りは水戸藩の参勤交代で宿泊する本陣や脇本陣、豪農の曲屋などが保存されていて、ドライブの途中で見つけると必ず見学しています。古墳もタブレットやスマホで検索して、見つけるとハンドルを握り訪れて見学しています。他の人からみると変な趣味だと思われるでしょうが、当人は保存された史跡建造物や古墳を発見するとすぐ見学にでかけることが楽しくて仕方がないのです。そして絵になるものはこのように水彩画に描いています。史跡や建造物の見学、水彩画そして最近...小美玉市古民家園(2019/1/28)

  • 梅満開の偕楽園(2019/3/13)

    水戸偕楽園の梅が満開ですとNHK水戸放送局の朝のニュ-スで紹介していたので、天気も良く早速偕楽園に行きました。この日は温かい日で好文亭を見上げる公園に座り、描きました。彼方の梅林の白梅がうつすらとピンクに色づいていますが、これを表現するのが難しく、何とか仕上げました。早く掲載しないと梅の季節が終わるので、今朝投稿しました。梅満開の偕楽園(2019/3/13)

  • 椿の花(2019/2/26)

    絵のお友達が椿の花を持ってきてくれたので、小さな空き瓶に生けました。そしてこれをF3サイズの小さなスケッチブックに鉛筆デッサンし、後日着彩しました。花びらの重なりをどのように表現するか苦労しましたが、何とか描きました。椿の花(2019/2/26)

  • 富士見塚古墳(2018/10/30)

    霞ケ浦沿いにこの富士見塚古墳があり、早速登ってみました。古墳の北のほうには紫峰・筑波山が霞んで見え、右手には霞ケ浦があります。関東平野の北に位置する埼玉・群馬・栃木県や太平洋岸に位置する千葉県・茨城県の平野部には古墳が大変多く、タブレットのマップで探して車が入れる古墳を見学しています。この古墳は墳丘がきれいに整備されていて駐車場もあるので車から降りて、緩やかな階段を頂上まで登ることが出来ます。綺麗に整備された古墳は発掘された埴輪や土器を展示する資料館もあり、必ず見学させて貰っています。人物埴輪や動物埴輪を眺めて観察していると、埴輪の目が何かを語りかけてくるような気がします。冬の間は寒くて屋外スケッチが難しいので、その代わりに近隣の古墳を探して見学するのも楽しみの一つなのです。富士見塚古墳(2018/10/30)

  • 浄瑠璃寺NO3(2018/10/20)

    浄土式庭園の対岸から九対仏や吉祥天女が安置された本堂を眺めました。安置された像に影響を及ぼすと言う理由で、本堂の中は電気の照明は一切無く薄暗い自然光の中で見学しました。それでも安置された仏像は金色で塗装されていたので、見えにくいと言うことはありませんでした。園内は秋の装いに彩られ、紅葉がゆつくり進んでいました。静かな京都山城の山里は、心落ち着くところでした。浄瑠璃寺NO3(2018/10/20)

  • 京都府山城・浄瑠璃寺(2018/11/20)

    浄瑠璃寺を早朝訪れました。近鉄奈良駅前からバスに乗って30-40分くらいの京都府の南端に、この寺があります。奈良はこの日の午前中しか空き時間が無かったので、観光したい場所は沢山あったのですが諦めてここだけに絞りました。早朝九時にも拘わらず近鉄バスは満員でした。数年前奈良在住の先輩に一日案内してもらったのが、この浄瑠璃寺と近くの岩船寺でした。ところが学生時代から親切に面倒を見てくれたその先輩が九月初旬に治療の甲斐無く急逝してしまったのです。、突然の急逝に衝撃を受けたのですが、亡くなる以前に京都・有馬の旅行を計画していたものですから、その旅の途次に是非この思い出の浄瑠璃寺を訪ね、その先輩を偲びたいと訪れたのです。その先輩がナポリ民謡の「カタリ・カタリ」(日本名。つれない心・うす情け)をしばしば口づさんでいた記憶があ...京都府山城・浄瑠璃寺(2018/11/20)

  • 高徳寺の銀杏(2018/11/09)

    栃木県の県境に近い袋田の滝で知られた大子町の奥に、この高徳寺があります。紅葉の季節には銀杏の大木が黄色く色づき、一面に葉っぱを当たりに敷き詰めます。今年も訪ねてみると高徳寺の木造の山門に落ち葉が降り注いでいました。このお寺は鎌倉時代のもので四本の細くなった柱で支えられています。しかも土台の部分が先細りになつていて、はなはだ心許ない状態で支えています。紅葉狩りの人もあまり訪れることもなく、静かな秋の午後でした。たしか同じアングルで数年前にも描いて掲載したと思います。昨年秋の作品なので掲載が遅くなりましたが、悪しからず-----。高徳寺の銀杏(2018/11/09)

  • 牛久浄園の大仏様(2018/10/21)

    近くにある阿見アウトレットに買い物に出かけました。アウトレットのメインストリ-トの両サイドには有名ブランドの店が軒を連ねていますが、なんとその彼方には大きな大仏様が立っていました。現代的な店とは対照的な大きな大仏様を見ることが出来ますが、大仏様は浄土真宗東本願寺派の浄園に立てられたもので広大な敷地には墓地と庭園が設けられ、花の季節には素晴しい彩りの景色を見せてくれます。早朝から洋服などの買い物をする人達は、買い物に気を取られて大仏様どころではないようです。ちなみにこの大仏様はエレベ-タ-で頭の部分まで登ることが出来、関東平野を一望出来ます。一度この光景を何時か描こうと考えていて、やつと描くことがと出来ました。牛久浄園の大仏様(2018/10/21)

  • 浄瑠璃寺三重塔(2018/10/20)

    奈良市を少し北へ行くと、そこは京都府で昔は山城の国と言われた地域です。ここにこの国宝の浄瑠璃寺があります。本堂と三重塔、そして本堂に九体の仏様と吉祥天女像が電気を使わず自然光だけの照明の元に安置されていました。この国宝の仏像や建造物が戦火にあわず、よくもまあ現代まで焼失せずに保存されたものよと感慨ひとしおでした。浄瑠璃寺三重塔(2018/10/20)

  • 宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来(2018/11/20)

    明けまして御目出度う御座います。今年は真面目に絵に取り組もうと、描き溜めたデッサンだけの作品を新年から絵筆を取って着彩しています。平成も次の時代に変わりますが、平穏で穏やかな時代となるように祈願する次第です。今年も相変わらず拙い作品を掲載致しますが、ご照覧頂ければ幸いです。去年11月京都へ旅した時に宇治平等院を見学しました。ただこの旅に先立ち奈良へ立ち寄りまして、奈良駅から京都府山城の浄瑠璃寺の見学を済ませてから京都駅へ向かい旅の同行者と落ち合いました。その日は京都の歌舞練場で開催中の草間彌生さんの作品展を見学。翌日宇治伏見方面を見学し平等院へ行きました。快晴の平等院は朱色の堂塔が青空に映えて輝き、これが平安の時代から今に至るまで保存されてきたのかと感慨もひとしおでした。鳳凰堂の阿弥陀如来は格子戸で覆われてお顔...宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来(2018/11/20)

  • たわわな蜜柑(2018/12/7)

    ペットボトルに収穫した蜜柑が葉をつけて飾られていました。あの暑かった日々が嘘のように変動して急速に寒さが訪れ、外のスケッチも思うに任せなくなりました。そこで部屋のテ-ブルに飾られた蜜柑が葉をつけたまま、花瓶代わりに切りれ取られたペットボトルにいけてあったので早速えがいたのがこの絵です。これからは春が来るまでは室内で果物や静物を描くことになります。屋外の風景スケッチは複雑で手間がかかりますが、室内で描くモチ-フは短時間で描けるのでこれもまた楽しからずやです。たわわな蜜柑(2018/12/7)

  • 我家の渋柿(2018/11/7)

    今年も我家の柿の木が沢山の実を恵んでくれました。何回かに分けて収穫して大半は柿の実のヘタを焼酎につけて、渋抜きをしました。一週間くらいで渋がとれて、甘い柿が出来上がりました。近所にお裾分けしても食べきれません。渋抜きをしなかった柿の実は、皮を剥いて吊し柿を作りましたが、これまた大変甘く美味しいものが出来上がりました。又来年の収穫が楽しみです。収穫した柿を簡単にスケッチして着彩したのが、この一枚の絵です。今年も新年まで一ヶ月を切りました。来年、再来年は我が国も何かと多忙な年になりますが、平和で穏やかな年であることを希望します。いやいや、これから忘年会を三回こなさなければなりませんし、すす払い・大掃除もやらなければならないのでこれから大変です。我家の渋柿(2018/11/7)

  • 茨城県県庁舎(2018/9/18)

    暫く留守にしていたのと帰宅後PCの無線ドライバの不具合があり、投稿することが出来ませんでした。PCの無線ドライバを再インスト-ルしてやつとPCで投稿することが出来るようになりました。書きためたものの中から我が茨城県の県庁を描いた絵を投稿しました。立派な県庁舎ですが、我が県は何故か人気が無く今年の好感度ランキングでも六年連続の全国最低の成績でした。農作物の生産や太平洋からの海の幸に恵まれ、県民の家の敷地面積も全国一広く自然と歴史に恵まれた県なのです。全国に知られたことでは水戸黄門と助さん格さん、平将門、親鸞聖人と浄土真宗、新撰組初代筆頭組長芹沢鴨、桜田門外の変の水戸浪士関鉄之介、大石内蔵助の赤穂浪士、平手美酒の天保水滸伝、日本地図を作ったご隠居さんである伊能忠敬、樺太探検でシ-ボルト事件の間宮林蔵等、農産物では全...茨城県県庁舎(2018/9/18)

  • 我が家の柿(2018/11/4)

    今年も我家の柿の木が沢山の実をつけました。それはそれは渋い柿なのですが、沢山の実は一度には取り切れないので、5-6回に割けて取りました。そして柿のヘタを焼酎に浸して1週間程時間をおいてから食しますと、何とも言えない甘い実と化けていました。あまりの多さにとても食べきれないのでご近所にお裾分けをして処分しました。又一部は皮を剥いて干し柿を作るために二階のベランダに吊しました。我家のこの柿は種が無いので食べやすいと喜ばれています。今年も季節は巡って秋が来ましたが、あの暑かった夏は何処に行ったのだろうかと忘れ去られています。我が家の柿(2018/11/4)

  • 旧六号国道真鍋の上り坂(2018/9/17)

    これは真鍋の坂を下った所から描いた旧六号国道の様子です。この道沿いの家々も古い建物は少しづつ建て替えられています。土浦一高の学生達が変速機つきの自転車を立ち姿で漕いで登り切る坂です。若い学生達の脚力はたいした物だと関心させられますが、老いたる小生などは電動自転車なのに、息をついてふうふう言いながら登っています。さて絵のストックが切れてきたので、なにか描かなくてはと焦燥感に襲われています。旧六号国道真鍋の上り坂(2018/9/17)

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