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  • 新曲アップしました 「爺の青春ピアノ」

    今日は、イタリアの名曲「ネ・ラ・ファンタジア」をアップしました。空想の中ではみんな幸せに暮らしている、という内容の歌です。爺の青春ピアノ作曲はエンニオモリコーネ。音域の広い歌なので、高い音に照準を合わせると低い部分が凡庸になってしまいます。難しい曲です。新曲アップしました「爺の青春ピアノ」

  • ピアノの弾き語りをはじめてよかったこと

    誤嚥がほぼなくなった。家内が2021年の5月に亡くなってだれとも話をしないでいたら、誤嚥が激しくなった。そのとしの12月から弾き語りを始めたら、やく三月くらいで誤嚥がなくなった。これは驚くべき変化だった。楽器演奏は、認知症の予防にいいといわれているし、歌うことで呼吸器や腹回りの筋肉を多用する。実際に私はそういう筋肉がかなり強くなったと思う。そして楽しい。あちこちの集まりに呼ばれて歌わせてもらえるようになり、自分の世界が広がった。爺の青春ピアノピアノの弾き語りをはじめてよかったこと

  • 私のピアノ弾き語り 「爺の青春ピアノ」

    二年前の70歳の時に、家内がなくなって心が空虚な時に電子ピアノの衝動買いをした。夢はショパン、といきこんだがもちろんだめ。じゃあ弾き語りで歌ってみたらどうだろうかと思い、歌ってみたらこれがビンゴ。懐かしの洋楽を中心に毎日一時間練習するようになった。もともと若いころに音楽理論を学んでいたこともあり、コードを押さえるだけならわりと簡単にできた。今年の六月から、ユーチューブにアップすることを思いつき、現在までに52曲アップしている。「爺の青春ピアノ」https://www.youtube.com/@user-si2mv6jm4yぜひ上から見て、聞いてほしいなと思う。私のピアノ弾き語り「爺の青春ピアノ」

  • 「君の名は」

    「君の名は」作大山哲生私の名前は寺本勇。中学校長を最後に定年退職した。退職して十年余り経つが、まさか我が家に仏壇を置くことになろうとは夢にも思わなかった一今から二年前に家内は亡くなった。病死であった。退職してからは家内とけんかすることもなく、平穏にかつ楽しく暮らしてきた。私は、こんな幸せがいつまで続くのかとかえって心配になるほどだった。家内が亡くなった後は、その楽しかった日々が、さらに強くよみがえるようになり私を苦しめた。楽しかった日々を思い出しては、しこたま泣いた。二年経つと泣くことはなくなったしなにより涙が出ない。私は、それを少しだけ悲しい気持ちが薄らいだのだろうと思った。幸い、家事は退職後に分担したためにそれほど困ることはなかった。しかし、二年経っても足元が崩れるような絶望感が何度となく私を襲うので...「君の名は」

  • 「才女」

    「才女」作大山哲生五十年前の京都鴨川高校。私は磯田光夫。無線部に所属していた。私は三年に上がるときに、理科系コースか文科系コースかでかなり迷った。電気工作は好きだったが、数学が苦手だったので、文科系コースを選んだ。クラスは三年二組。一私は視力がよくないので、席は一番前にしてもらった。隣は村田洋子だった。彼女も視力がよくないので一番前の席に座っていた。村田さんは、成績では学年トップという噂であった。私は、となりで彼女の授業態度を見ていたが、思っていたほどではなかった。私は、学年トップをとる者は、授業中も必死になってノートを取ったり、教科書に線を引っ張ったりしている者だと思っていた。村田さんは、ときどきノートに書くくらいで、私よりははるかに「のんびりと」授業を受けているように見えた。しかし、私が村田さんのすご...「才女」

  • 夢語り小説工房作品「川西バンド」

    「川西バンド」作大山哲生私の名は今泉学。京都の鴨川高校の出身である。一私が高校二年の時のことであった。私のクラスに川西誠がいた。川西は、自称「川西バンド」のリーダーなのである。高校に入ってから、バンド仲間を探して、川西を入れて四人編成のバンドを作った。練習は土曜日の午後で場所は学校である。別館と呼ばれた校舎の二階に図書室がある。図書室の手前にはけっこう広い踊り場のようなところがあり、掃除用具などが置かれている。川西らは、その踊り場にドラムセットやアンプ・ギターなどを置いていた。鴨川高校は校区内に多くの伝統芸能の師範などが多く、一時エレキバンドが校内で問題になったときに、師範などが学校に申し入れをしたという。「京都は過去に様々な文化を受け入れ育ててきたところだ、エレキバンドも立派な文化だから好きにやらせてや...夢語り小説工房作品「川西バンド」

  • 夢語り小説工房作品「歌姫」

    「歌姫」作大山哲生昭和四十二年。鴨川高校。今から五十年前の話である。私は、山瀬和義。当時は鴨川高校の三年生だった。私は、中学の時にラジオ作りに目覚めて以来電気工作を趣味としてきた。高校では、入学するや迷うことなく無線部に入った。一無線部員は、男子ばかりの七人。三年生が四人で二年生が三人である。無線部は、どことも同じだと思うが、鴨川高校の無線部も集まってはだべるばかりである。技術的な話も出るが、歌手の話になると一段と盛り上がる。当時の芸能界を席巻していたのが、二十歳になったばかりの花咲マイである。パンチの効いた歌唱力に加えてダンスも踊れると言うので、歌姫ともてはやされ、テレビ番組には引っ張りだこであった。明星などの芸能雑誌の表紙を飾ったこともあった。ある日の午後、無線部の部室に七人全員が集まっておしゃべりに...夢語り小説工房作品「歌姫」

  • 第273回夢語り小説工房作品「オカルト研究会」

    第273回夢語り小説工房作品「オカルト研究会」作大山哲生一五十年ほど前の京都の鴨川高校。一年四組に松葉茂がいた。入学するなり、松葉は担任にオカルト研究会を作りたいと申し出た。担任は、話は聞いたものの廊下の立ち話で却下した。松葉はあきらめなかった。生徒会担当の教師に直接掛け合った。放課後の職員室。松葉が生徒会担当の教師と話している。「松葉君、お前の言いたいことはよくわかった。同好会として発足するにしても生徒会からは部費がでる。部費は公金や。だから、入部予定者の氏名と活動場所と内容を書いたものを出してほしい。活動内容としては、少なくとも一年間継続して実施できる内容にしてほしい」と生徒会の教師は言った。松葉は、「わかりました」と言った。三日後、松葉は生徒会担当の教師に一枚の紙を提出した。「えーと、入部予定者は松...第273回夢語り小説工房作品「オカルト研究会」

  • 第272回夢語り小説工房作品「クラブ対抗リレー」

    第272回夢語り小説工房作品「クラブ対抗リレー」作大山哲生私の名前は今泉学。京都の鴨川高校の出身である。今から五十年ほど前の話をしてみよう。一私は鴨川高校に入学して、無線部に入った。無線部はみんなで六人。四人は同じ中学校からのラジオ工作仲間で、あとの二人は別の中学出身者であった。無線部員には共通点がある。まず、総じて体育が苦手である。ところが、同じ無線部員の久保田博は、いかにも体育系といういでたちであった。運動部に入ってもかなりやれたと思うのだが、本人は「おれは将来、電気回路の設計技師になりたい」と言っている。私が二年の時に、久保田は隣のクラスになった。体育は男女別で二クラス合同で行うから、私は一年間久保田と体育の授業を受けることになった。久保田の運動能力は、野球部や陸上部と比べてもけた違いだった。久保田...第272回夢語り小説工房作品「クラブ対抗リレー」

  • 第271回夢語り小説工房作品「放送事故」

    第271回夢語り小説工房作品「放送事故」作大山哲生私の名前は今泉学。京都にある鴨川高校の出身である。鴨川高校はいわば京都文化を凝縮したような高校で、校区には京都の文化人がたくさん住んでいる地域である。時は今から約五十年前にさかのぼる。私が高校一年の時のことであった。一十一月というのに暖かい日であった。鴨川高校では、昼休みには校庭の周りの芝生広場でおしゃべりに花を咲かせるのが文化になっている。よほどの元気者だけが校庭でソフトボールやサッカーに興じている。私も、クラスメイトの住田健太郎と芝生に座り込んで話をしていた。「あと一週間で期末テストや。いややな」と私が言うと、「ほんまや。おれなんか数学が全然進んでない。赤点だけはとらないようにせんとな」と住田が言った。「うーん、おれも数学は苦手や。中学まではなんとか理...第271回夢語り小説工房作品「放送事故」

  • 第270回夢語り小説工房作品「鍵」

    第270回夢語り小説工房作品「鍵」作大山哲生一斎藤正雄、71歳。わけあって京都南部の自宅で一人暮らしである。斎藤の朝は朝食作りから始まる。朝の六時には斎藤の野菜を切る音が、広い家に響く。斎藤は野菜を切りながら思う。「自分は一人だ。家の中で話す相手はすでにいない。一人だ。未来永劫たった一人で生きていかねばならない」そう思うと、斎藤は足元が崩れていくような絶望感に支配された。手がとまる。涙がでる。しばらくすると斎藤は気を取り直しまた野菜を切り始める。足元が崩れるような絶望感は斎藤に何度も襲い掛かった。斎藤は、十か月前に妻の康子を亡くした。斎藤は退職してからは康子とは仲良く生活してきた。仕事を離れるとけんかする理由は全くない。それだけに実に残念だ。十か月前、突然康子はつじつまの合わないことを口走り始めた。斎藤は...第270回夢語り小説工房作品「鍵」

  • 第269回夢語り小説工房作品「図画辞典」

    第269回夢語り小説工房作品「図画辞典」作大山哲生鴨川一郎。今年七十才になる。教職を勤め上げて退職し十年になる。退職後は完全にリタイアして趣味の生活を送っている。こう書くと、鴨川の生活はいわゆる悠々自適というものであろうが、鴨川本人はそうは思っていない。鴨川の心の中にいつも突き刺さっているとげがあり、心から平安な気持ちになったことはない。一鴨川が小学三年の夏休みのことであった。蒸し暑い午後、鴨川は小高い山の近くの林にいた。この日はいつもの遊び仲間が出かけたりしており、鴨川一人で虫取りに来ていたのであった。林の中を一時間ほど歩き回ったが取れたのはカナブンが三匹だけだった。こういうときに同じ町内の靖がいたらカブトムシがとれたのにと、鴨川は残念がった。靖は鴨川より一年上で虫取りがうまかった。鴨川が林から出ると池があっ...第269回夢語り小説工房作品「図画辞典」

  • 第268回夢語り小説工房作品「再び」

    第268回夢語り小説工房作品「再び」作大山哲生斎藤翔太、二十五歳。峠山中学の新採用の社会科教師である。一年生の担任をしている。日々、中学生を見ていると、斎藤は自分の中学生時代を思い出す。一斎藤が中学二年の時であった。斎藤は入学以来、帰宅部だった。部活に入らなかったのは元来しんどいことが嫌いだったのと、近所の小学生と遊ぶのが好きだったからである。斎藤の家は団地であるから子どもの数は多い。斎藤は近所の子どもと近くの空き地でソフトボールをするのが好きであった。いわゆる「ガキ大将」なのであった。斎藤は、下校するときにクラスの友達がうさぎ跳びをさせられているのを見て「ごくろうなことやな」と胸いっぱいの優越感に浸りながら校門を出るのだった。二しかし、その斎藤にも鬼門となるものがあった。それは、クラスの専門委員になることだっ...第268回夢語り小説工房作品「再び」

  • 第267回夢語り小説工房作品「伊達君」

    第267回夢語り小説工房作品「伊達君」作大山哲生一昭和三十八年。私が中学二年の時の話である。私は京都伏見の深草中学校に通っていた。私は二年二組であった。四月、二組の新しい教室に入って見回すと、一年のときに仲の良かった友達は誰もいない。私はがっかりした。四月のはじめに席替えがあったが、私は特に誰かと隣同士になりたいという気持ちはなかった。先生が箱に入ったくじを順番に持ってまわる。私は二十二番のくじを引いた。黒板をみると二十二番は前から三番目の一番窓際だった。私はカバンをもって移動した。となりに誰が来るかなとドキドキしていると、見慣れない男子が私の隣にやってきた。伊達雅之君だった。ほとんどの席は男女で並ぶのだが、男子の方が多いので男子同士の席がいくつかできる。私は隣が男子の方が気楽でよかった。伊達君とは、授業中によ...第267回夢語り小説工房作品「伊達君」

  • 第266回作品「送られてきた詩集」

    第266回夢語り小説工房作品「送られてきた詩集」作大山哲生伊藤茂。四十五才。伊藤は中学校の教員を二十年務めたのち、四十二歳のときに管理職試験を受けて教育委員会の指導主事になった。指導主事は、教育委員会事務局で仕事をする。ほとんどの指導主事は学校指導課、教職員課、研修課などに配属される。しかし、伊藤が配属されたのは人権指導室であった。人権指導室は教育委員会の中にあるが学校教育とは何の関係もなく、社会教育課と連携して市民に対しての人権啓発を行うのが仕事である。一「伊藤さん、今度の啓発映画はなににする?」伊藤が人権指導室に配属されて、しばらくして室長にかけられた言葉がこれであった。室長は、伊藤より六歳上である。元は小学校の教員であったが伊藤と同じように管理職試験を受けて指導主事になったのである。聞けば、毎年八月に市内...第266回作品「送られてきた詩集」

  • 第265回夢語り小説工房作品「七体目の地蔵菩薩」

    第265回夢語り小説工房作品「七体目の地蔵菩薩」作大山哲生一平安時代の話です。都に小野篁(おののたかむら)という人がいました。小野篁は小野妹子の子孫にあたり、小野道風、小野小町の祖父にあたると言われています。学識に秀で、優れた和歌をたくさん作ったことでも有名です。百人一首にも小野篁の歌があります。また、政務に関する能力も際立っており、朝廷では重要な役職に就きその才能を遺憾なく発揮していました。しかし、どうもずけずけとものを言う人であったらしく、嵯峨天皇を激怒させ一時は島流しの憂き目にあったこともありました。それでも、復職して朝廷では要職に就いていたのでした。二小野篁は、六尺を優に超す体格とぎょろりとした目つきから、まるで地獄からきたようだと揶揄されることもありました。あるとき、藤原良相(よしみ)が病気をしました...第265回夢語り小説工房作品「七体目の地蔵菩薩」

  • 夢語り小説工房作品「思い出は遠きにありて」

    夢語り小説工房作品再掲「思い出は遠きにありて」作大山哲生私は溝田弘。私が高校三年の時の思い出を語ろう。私は、京都の鴨川高校に通っていた。鴨川高校は、京都の真ん中にあり、敷地のなかに歴史的な史跡や石碑がある。高校生の時はそういうものにはまるで関心がなかったが、今となってみると大変貴重なものだったなとわかる。一私は三年三組。私のクラスは、他のクラスの男子からはうらやましがられていた。担任がいいとか、学業の成績が優れているとかそういうことではない。私のクラスは魅力的な女子が多いのである。まず北村さん。彼女は学年のマドンナと言われている。背がすらりと高く小顔である。目が大きく鼻筋が通っている。髪はボーイッシュに短く切っている。私から見ると同じ学年とは思えず、姉のような気さえするのであった。お高くとまることもなく、私のよ...夢語り小説工房作品「思い出は遠きにありて」

  • 夢語り小説工房作品「丹波の風」

    夢語り小説工房作品再掲「丹波の風」作大山哲生一吉川六郎は峠山中学の校長であった。吉川は疲れ果てていた。四月に起こったいじめ事案がなかなか解決しないのだ。このいじめ事案は数人の男子が一人の男子をいじめていたというものであった。発生したのは二年三組。担任は新採用二年目の男性教諭であった。いじめであったというだけで大きなことであるのに、事後の担任の対応がよくなかったのでさらにこじれた。被害者、加害者の保護者が連日のように学校に押し寄せ、担任と吉川に詰め寄った。そしてこの件を聞いた市会議員までが来校し吉川に説明を求めた。保護者も議員も夜に学校に来て二時間は話をするから吉川が家に帰るのは十一時をすぎる。これが二ヶ月近く続き、すでに梅雨と呼ばれる季節になっていた。教育委員会は文書による報告を逐一求め、一刻も早く収束させるよ...夢語り小説工房作品「丹波の風」

  • 第264回夢語り小説工房作品「療養先にて」

    第264回夢語り小説工房作品「療養先にて」作大山哲生私は、ソファに腰掛けて窓の外を見ていた。広い庭の向こうに青い峯が続く。私は、とある旅館の一室からガラス窓越しに景色を見ているのだった。五月、新緑が美しい。旅館に泊まるというのは、普通は旅行をするときである。だから、昼間は観光地を訪れたり次の場所に移動するから、昼間に旅館にいることはない。私は旅行に来たのではなかった。医者から療養を命ぜられたのである。身も心も休めなさいと。一私の名前は近恵一之介(このえいちのすけ)。私の苗字は読みが有名な公家と同じなので、「あの近衛さんの親戚ですか」とよく聞かれる。だから私は名刺を出してから名乗ることにしている。私は京都の南部にある中学校の校長である。定年まであと四年あるが、この四年を果てしなく遠く感じていた。学校改革の心配より...第264回夢語り小説工房作品「療養先にて」

  • 第263回夢語り小説工房作品「からたちの木よ、永遠に」

    第263回夢語り小説工房作品「からたちの木よ、永遠に」作大山哲生一今から六十数年前のことである。現在、京都伏見深草の塚本町には龍谷大学があるが、六十数年前その場所は白壁の巨大な兵舎がいくつも建ち並ぶ米軍の駐留基地であった。その前の南北に延びる道路は、今も昔も師団街道と呼ばれている。昔、この地に陸軍第十六師団があったことから、この地名が残っている。そして十六師団の兵舎はと言えば、茶色い板壁でできており、駐留軍基地の隣にあった。私はその兵舎に住んでいた。兵舎は府営住宅で家賃は月に五十円であった。兵舎の師団街道沿いには、からたちの木が植えられている。私は、子ども心にからたちの鋭いとげがこわく、遊べない木だと思っていた。兵舎は昔の木造校舎を二回りほど巨大化したもので、南北に長く百メートルを越す大きさであった。二階建ての...第263回夢語り小説工房作品「からたちの木よ、永遠に」

  • 夢語り小説工房作品「岩屋志明院の伝説」

    夢語り小説工房作品「岩屋志明院の伝説」作大山哲生一平成二十九年十一月十八日。私は京都東山の粟田山荘(あわたさんそう)という料亭にいた。今日は、同志社大学の史跡同好会というサークルの同窓会である。私が五十歳くらいから毎年開催されていて、今年で十七回目になる。毎年この会を主宰しているのは私の一年先輩の内田さんだ。参加しているメンバーは、私の学年とその一年上、さらに二年上まで約三十名が参加している。私から見て二年上ということは、私が大学二年の時、四年生であるから当時は非常にこわい存在であった。特に四年の小谷さんは本当にこわかった。私がクラブボックスで冗談を飛ばしていると四年生の小谷さんに「大山、いいかげんにしとけ」と注意される。そうなると私は、しゅんと小さくなる。そんなこわかった小谷さんも、同窓会ではにこにこしている...夢語り小説工房作品「岩屋志明院の伝説」

  • 夢語り小説工房作品 「岩屋志明院の伝説」

    夢語り小説工房作品「岩屋志明院の伝説」作大山哲生一平成二十九年十一月十八日。私は京都東山の粟田山荘(あわたさんそう)という料亭にいた。今日は、同志社大学の史跡同好会というサークルの同窓会である。私が五十歳くらいから毎年開催されていて、今年で十七回目になる。毎年この会を主宰しているのは私の一年先輩の内田さんだ。参加しているメンバーは、私の学年とその一年上、さらに二年上まで約三十名が参加している。私から見て二年上ということは、私が大学二年の時、四年生であるから当時は非常にこわい存在であった。特に四年の小谷さんは本当にこわかった。私がクラブボックスで冗談を飛ばしていると四年生の小谷さんに「大山、いいかげんにしとけ」と注意される。そうなると私は、しゅんと小さくなる。そんなこわかった小谷さんも、同窓会ではにこにこしている...夢語り小説工房作品「岩屋志明院の伝説」

  • 第262回夢語り小説工房作品「廃屋」

    第262回夢語り小説工房作品「廃屋」作大山哲生一八月三日。峠山中学校長の吉川六郎は、コーヒーを飲みながら校長室で新聞を読んでいた。夏休みではあるが、いくつかの部活が練習をしている。地域の大会は七月中に終わり三年生が引退したので、二年生が最上級生となる。二年生としてはこの時を心待ちにしていたと見えて、部活中も声掛けが一段と大きい。一年生に指導するのも二年生の役となる。要するにどの部活も二年生が張り切っているのである。午前九時を過ぎたところだというのに、強い日差しがグランドに照り付ける。「こりゃ体育館は蒸し風呂だな」と吉川はつぶやいた。そのとき、教頭が校長室に顔を出した。「校長先生、ちょっと耳に入れときたいことがあります」「ほうなんだい」と吉川は言い、ソファに腰かけた。「廃屋のことなんですが」と教頭は言った。「「あ...第262回夢語り小説工房作品「廃屋」

  • 第261回夢語り小説工房作品「若草色の扉」

    第261回夢語り小説工房作品「若草色の扉」作大山哲生一昭和二十九年(1954年)、洛陽芸術大学の三番教室。季節は初夏。今年、洛陽芸術大学の一年生になった岩崎誠二郎は、頬杖をついて窓の外を見ていた。岩崎は母のことを思い出していた。岩崎の母親が亡くなったのは今から三年前である。岩崎が高校一年の秋、学校から帰ると、父親が慌ただしく荷物をまとめている。「お父ちゃん、どうしたんや」と岩崎が尋ねると、父親は、「母ちゃんが車にはねられたんや。頭を強く打ってな。橋本外科に運ばれたから、母ちゃんの着替えとかを持っていく。おまえもついてこい」と言った。岩崎と父親は、祖母に留守番をしてもらって橋本外科に駆け付けた。母親はいったん意識を取り戻したが夜遅くに亡くなった。岩崎は泣いた。母が亡くなってから、岩崎はやさしかった母を、岩崎の手で...第261回夢語り小説工房作品「若草色の扉」

  • 第260回夢語り小説工房作品 「蘭ちゃんと落語」

    第260回夢語り小説工房作品「蘭ちゃんと落語」作大山哲生一須藤信也。京都伏見にある砂川小学校の四年生である。信也の家は奥まった長屋の一角にある。六畳が二間と四畳半。そこに両親と姉の四人で暮らしている。四人家族にとって三つの部屋は手狭に感じることが多い。信也の机はあるにはあるが、居間の隅にあり仏壇の線香立てと共通になっている。信也はそれだけでも不満であるのに、机の前では正座をしなければならないのが苦痛であった。姉は椅子に座って勉強している。信也はそれがうらやましかった。信也の家では月末になるとちょっとした行事がある。落語会である。信也の父親が大の落語好きで、月に一回信也の家で落語会を開くのである。演者は信也の父親である。二信也の父親は高校を出るとすぐに有名な落語家に弟子入りした。「桂八百屋」という名前をもらい、落...第260回夢語り小説工房作品「蘭ちゃんと落語」

  • 第258回夢語り小説工房作品 「姫君たちの挽歌」

    第258回夢語り小説工房作品「姫君たちの挽歌」作大山哲生一1968年四月、坂口俊夫は鴨川高校の三年生であった。俊夫は、三年生になるときに考えたことがある。それはできるだけ多くのクラスメートと話すということだった。このことは二年生のクラスでの失敗が大きな要因なのであった。二年生のクラスで俊夫はマイペースを貫き、他人に気を遣わずにとにかく自分のことだけを考えていた。そういう生活であるから、極めて親しい者としか話をしなかった。その結果、二年のクラスのほとんどの者が、俊夫が同じクラスにいたことを知らないということになってしまった。俊夫もほとんどの男子については同じクラスにいたという記憶がなく、女子に至っては名前も顔も知らないまま一年が終わったのである。だから俊夫は三年になるにあたり、思い出多いクラスにしなければと強く思...第258回夢語り小説工房作品「姫君たちの挽歌」

  • 第258回夢語り小説工房作品「音楽会の夜」

    第258回夢語り小説工房作品「音楽会の夜」作大山哲生私は、森戸健一。四十歳である。職業は中学校の教師である。安本佳代と出会ったのは、ある年の三月であった。一三月の土曜日。私は午後の部活を終えると、三野駅前のワルツという喫茶店に向かった。三野駅前はバスのロータリーがあるがそれを過ぎるとすぐに商店街になる。いつも買い物客でごった返しているが、その雑踏を逃れたはずれにワルツという喫茶店はある。ワルツでは、いつもクラシック音楽が流れている。ワルツの主人がクラシック音楽愛好家で、奥の棚には数千枚のCDが並んでいる。そして、いまかかっているCDは店頭に掲げられているので、誰のどういう音楽かがすぐにわかるようになっている。ワルツのコーヒーはおいしいと言われている。私にはコーヒーの味の良し悪しはわからないが、他の客が「おいしい...第258回夢語り小説工房作品「音楽会の夜」

  • 第257回夢語り小説工房作品「ギター」

    第257回夢語り小説工房作品「ギター」作大山哲生一坂本浩二、六十九才。最近、浩二は掃除に余念がない。断捨離ブームが今ごろ坂本家で流行していると見えて、掃除しては色々なものを捨てたり処分したりしている。浩二が屋根裏のロフトを整理していると、あちこちに傷のある古ぼけたガットギターが出てきた。浩二は、今まで何度かこのギターを捨ててしまおうと思ったが、捨てられなかった。「このギターはもう弾くこともないだろう」と思うのだがやはり捨てられないのである。このギターは、五十五年間、坂本家に存在し続けたのである。二1965年四月。坂本浩二が京都の養老中学の三年生の時のことである。浩二は、新しいクラスに戸惑っていた。二年生の時の、切手仲間の仲良し五人組は、全員クラスがばらばらになってしまったのである。おまけにあとの四人は四階の教室...第257回夢語り小説工房作品「ギター」

  • 第256回夢語り小説工房作品「古文書」

    第256回夢語り小説工房作品「古文書」作大山哲生一昭和二十七年(1952年)六月のある日、京都市会議員の猿渡浩平は急ぎ足で室町通りを歩いていた。猿渡浩平、三十八歳。市会議員二期目である。二期目ともなると、様々な裏情報が入ってくる。猿渡は、京都帝都大学の史学科を卒業した。戦争中は、陸軍南方部隊に配属されたが、九死に一生を得て、昭和二十年九月に復員した。この日は取れたての裏情報をある人に知らせるためにその家に向かっているのである。猿渡が向かう先は、金剛長直定(こんごうながなおさだ)の家である。金剛長家は京都の上京では知らぬ者のない有名人なのである。金剛長家は、奈良時代から続く家で、平安遷都とともに上京のこの地に住むようになったらしい。金剛長家は古いことは古いのであるが、貴族の流れをくむ家柄ではない。江戸時代の終わり...第256回夢語り小説工房作品「古文書」

  • 第255回夢語り小説工房作品 「飴細工」

    第255回夢語り小説工房作品「飴細工」作大山哲生一「旦那様、そこをなんとか」「何度も言うてるやろ。うちは、秀吉様に献上していたこともある由緒正しい菓子屋や。飴細工などもってのほかや」享和二年(1802年)の冬であった。ここは、京都上京にある菓子処、花屋風月堂の奥座敷。旦那と菓子職人の久七が向かい合っている。久七は四十二歳。花屋風月堂で修業をして三十年になる。久七は花屋風月堂の職人頭を務めている。久七は、創作菓子を作ることに命を懸けていた。久七の作った特に有名な菓子が「黄昏の月」と呼ばれるものである。黄昏の月という菓子は、当時珍しかったカステラの間にショウガ風味の粒あんを挟んだもので、久七が十九才の時に考案した。この黄昏の月は公家の間で大評判になり、製造が追い付かないほどだった。最近は、町の人もこの菓子を求める人...第255回夢語り小説工房作品「飴細工」

  • 第254回夢語り小説工房作品 「69年夏」

    第254回夢語り小説工房作品「69年夏」作大山哲生一榎本隆は眠気と戦っていた。1968年五月のある日。五時間目の授業が非常に眠い。榎本隆は京都の鴨川高校の三年生である。榎本は大学進学を考えているが、成績がなんとも怪しい。特に英語がなかなか伸びないので三年になったら英語を頑張ろうと思っていたのに、このざまである。五時間目とは言え英語の時間に眠気と戦うようでは大学進学の道は遠いと言わざるを得ない。時折、後ろの席からは辞書を繰る音や鉛筆を走らせる音が聞こえてくる。榎本の後ろは、市坂芳江である。市坂芳江は秀才である。榎本は、彼女が授業中にうとうとしているところなど見たことがない。市坂芳江も大学進学希望であるが、榎本と違って英語の成績が抜群によく外語系の大学には『当選確実』なのである。市坂芳江は、目が悪いので前の方の席に...第254回夢語り小説工房作品「69年夏」

  • 第253回夢語り小説工房作品「絵は口ほどに…」

    第253回夢語り小説工房作品「絵は口ほどに…」作大山哲生私は、藤田俊一。今年で六十九才になる。この年になると、毎年のように同級生の訃報を受け取る。中には、中学、高校時代に非常に仲のよかった同級生もいて、痛恨の極みである。しかし、年をとると、悲しみに浸ることはない。知らせは知らせとして淡々と受け取って、自分は自分で明日に向かって生きていかなくてはならない。しかし、二か月前に幼友達の湯本浩紀の訃報を受け取ったが、これはいささか衝撃を受けた。子どものころを回想すると必ず湯本が出てくる。私にとっては色々な意味で忘れられない友人の一人であった。一ある日、朝のコーヒーを楽しんでいると一本の電話がかかってきた。「はい、藤田ですが」「わたしは、湯本と申します」という女性の声。「失礼ですが、どちらの湯本さんでしょうか」と私は尋ね...第253回夢語り小説工房作品「絵は口ほどに…」

  • 第252回夢語り小説工房作品 「レンズ」

    第252回夢語り小説工房作品「レンズ」作大山哲生私は沼田一郎、定年退職して十年目を迎える。一令和元年、十月の下旬、一本の電話がかかってきた。「沼田さんのお宅でしょうか」「はい、沼田ですが」「一郎さんはご在宅でしょうか」「一郎はわたしですが」「おお沼田か、黒川や」「えーとどちらの黒川さんでしょうか」「小学校六年の時、同じクラスやった黒川です」私は、記憶の最も深いところから黒川を思い出した。「おお、黒川か、久しぶりやなあ。確か六年一組で担任は杉本先生やったな」「そうや。あのクラスには清水君や若宮君もいたな」と黒川はクラスメートであった証拠のように次々と懐かしい名前を出す。「そうやった。みんな懐かしいなあ」と私は言った。私は、時間の経つのも忘れて黒川と思い出話に花を咲かせた。「一度、俺の家に遊びに来いや」と黒川は言っ...第252回夢語り小説工房作品「レンズ」

  • 第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」

    第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」作大山哲生高井宗助。年は六十八歳である。高井は退職してから小説を書いて楽しんでいる。しかし今、一枚の絵を前にして途方に暮れていた。一話はずっと昔にさかのぼる。京の都では、藤原氏のかつての勢いはなくなり、平氏が力を持ち始めていたころである。侍が帝の屋敷を警護するようになり、世の中は不穏な空気に包まれていた。そのとき、高井貞国という貴族が朝廷の要職についていた。高井貞国は、学問に優れ、巧みな字で文章が書けたので大変重宝がられた。貞国は、なかなか子に恵まれなかったが、四十歳を過ぎてから一人娘を授かった。名を幹子(かんし)と言った。幹子は大変な器量よしで、貞国自慢の娘であった。貞国は幹子をたいそうかわいがった。源氏物語が読みたいというので、手に入れて幹子に与えたこともある。二幹...第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」

  • 第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」

    第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」作大山哲生高井宗助。年は六十八歳である。高井は退職してから小説を書いて楽しんでいる。しかし今、一枚の絵を前にして途方に暮れていた。一話はずっと昔にさかのぼる。京の都では、藤原氏のかつての勢いはなくなり、平氏が力を持ち始めていたころである。。侍が帝の屋敷を警護するようになり、世の中は不穏な空気に包まれていた。そのとき、高井貞国という貴族が朝廷の要職についていた。高井貞国は、学問に優れ、巧みな字で文章が書けたので大変重宝がられた。貞国は、なかなか子に恵まれなかったが、四十歳を過ぎてから一人娘を授かった。名を幹子(かんし)と言った。幹子は大変な器量よしで、貞国自慢の娘であった。貞国は幹子をたいそうかわいがった。源氏物語が読みたいというので、手に入れて幹子に与えたこともある。二...第251回夢うつつ小説工房作品「一枚の絵」

  • 第250回夢語り小説工房作品「記憶」

    第250回夢語り小説工房作品「記憶」作大山哲生一藤原氏が京都で権勢をふるっていたころの話である。京都の比叡山の中腹に西明堂というお堂があった。ここには、泰楽僧正という高僧がいた。弟子は十五人ほど。この泰楽という高僧は、一風変わった人で経を読んだりすることはなかった。そのかわり泰楽は朝から晩まで、弟子たちに体を鍛えさせたのである。弟子たちの一日は、ふもとの八瀬村にコメをもらいに行くところから始まる。朝食後は、山を登って延暦寺まで行く。降りてくると昼食。そのあとは、空手のような動作を反復したり、泰楽僧正から「術」を教わる。術は多岐にわたるが、主に体術と技術に分かれる。体術は、相手を倒す方法から水の中に長時間潜る方法など、「忍び」さながらの術が多い。技術は、鳥寄せの術、獣寄せの術、その反対に獣除けの術などである。泰楽...第250回夢語り小説工房作品「記憶」

  • 第249回夢語り小説工房作品 「酒匂梅(しゅこうばい)」

    第249回夢語り小説工房作品「酒匂梅(しゅこうばい)」作大山哲生一天慶七年(945年)、村上天皇の御代のことであった。帝は梅の花をことのほか愛しておられたので、内裏(だいり:天皇の私的な区域)の庭には幾種類もの梅が植えられていた。それらの梅は、年が明けると間もなくもたくさんの花をつけ甘い香りを漂わせていた。こういうわけで、公家や貴族たちそして殿上人も梅の花を愛でた。節分を迎えるころには、皆、梅の開花を待ちわびる。ある日のことであった。内裏の隅で、下級貴族の中本重成と松原正忠という二人が話をしている。「もうすぐ、梅が咲きますな」と重成は言った。「そうさ。去年は橘氏のお屋敷の梅を見せてもろうたわいな。橘氏は代々梅が好きでたくさんの種類を集めておられたわいな」と正忠は答えた。「どのような梅がありましたかな」「白梅だけ...第249回夢語り小説工房作品「酒匂梅(しゅこうばい)」

  • 第248回夢語り小説工房作品「夏の世の夢」

    第248回夢語り小説工房作品「夏の夜の夢」作大山哲生一飛鳥井隆二。野上中学校の校長である。六十歳。三月十五日の午後。飛鳥井は校長室でパソコンのキーボードをさして急ぐ様子もなくたたきながら、コーヒーを飲んでいた。飛鳥井は二週間後の三月末で定年退職の日を迎える。飛鳥井は校長を十年間務めてきた。つらくただ苦しいだけの十年間であった。最近はひたすら退職の日が早く来ないかを待ち望んでいた。「四月一日の午前零時になったらシャンパンを開けるんだ」と周りの人に冗談めかして言っていたが、実際に退職を目前にすると一抹の寂しさがある。二日前に卒業式が終わったところである。飛鳥井は、この卒業式を事実上の最後の仕事だと思っていた。なぜなら、卒業式は校長でなければできない仕事であるからである。だから、死力を振り絞って卒業式はがんばった。卒...第248回夢語り小説工房作品「夏の世の夢」

  • 第247回夢語り小説工房作品「わったん」

    第247回夢語り小説工房作品「わったん」作大山哲生一私が小学五年生の時のことであった。五年生に上がるときにはクラス替えがあり、私は渡辺一秀君と同じクラスになった。渡辺君は「わったん」と呼ばれていた。わったんは、ずんぐりとしていて運動が得意であった。わったんは正義感が強かった。いじめをするような子には徹底して文句を言いに行った。四月の学級会でクラスの仕事決めを話し合った。ほとんどは立候補で決まっていった。私は新聞係に立候補した。そのとき、わったんも新聞係に立候補した。結局、新聞係は私とわったんと的場さんになった。新聞係になってはみたが、なにをどうしてよいかわからない。一か月くらいすると先生に「そろそろ新聞の第一号を出してちょうだい」と言われた。ある日、私は二十分休みにわったんに、「そろそろ新聞出さなあかんけど、ど...第247回夢語り小説工房作品「わったん」

  • 第246回夢語り小説工房作品 「最後の日」

    第246回夢語り小説工房作品「最後の日」作大山哲生一ある年の三月三十一日。昼をだいぶ過ぎたころ、三沢俊雄は京都の田坂中学校の職員室でお茶を飲んでいた。三沢は三十七歳。中学の社会科教員である。この日、三沢は異動することになったので最後の荷物整理をしていた。ことの始まりは三月二十六日の午後四時過ぎのことであった。職員室にいた三沢は校長に呼ばれた。「三沢先生、ちょっと」と校長が校長室から手招きする。この日に、校長から呼ばれることが何を意味するのかが、他の職員たちはわかっていたので職員室はざわついた。三沢は校長室に入っていった。校長は立ったまま「三沢先生は京都三中に異動することになりました」と言った。三沢は「京都三中ですね。わかりました」と答えてすぐに校長室を出た。異動の内示の当該教員への伝達はこのようにして行われる。...第246回夢語り小説工房作品「最後の日」

  • 名作プレイバック「西陣の雪」

    名作プレイバック「西陣の雪」作大山哲生昭和三十二年のことである。紀夫は五歳であった。紀夫は来年から小学校に入学する。姉は小学校二年生。真由美と言った。紀夫の家族は、京都西陣のある家の二階に間借りしていた。そこのおばさんが、自分のことを「うっとこ(うちとこ『自分のところ』がなまったもの)」と言っていたので、紀夫の家族はその家を『うっとこの家』と呼んでいた。一紀夫には、ひかるちゃんというとても仲のいい友達がいた。紀夫はいつもひかるちゃんといっしょに遊んでいた。本を読もうといえばいっしょに読み、三輪車に乗ろうといえばいっしょに乗る。飛行機を飛ばそうと言えばいっしょに駄菓子屋にいって飛行機を買う。おもちゃで遊ぼうと言えばいっしょに遊ぶ。でも、三月に、紀夫の家族は西陣から伏見深草に引っ越した。紀夫の小学校入学直前であった...名作プレイバック「西陣の雪」

  • 第245回夢語り小説工房作品「阿木橋の鬼」

    第245回夢語り小説工房作品「阿木橋の鬼」作大山哲生一平安時代のことである。京都東洞院にあった近江守(おうみのかみ)の屋敷に、若い男が大勢集まって話や遊びに興じていた。あるものは双六に興じ、あるものは酒を酌み交わしては、武勇の自慢話に花を咲かせるのだった。武男というお調子者の男が、「この先にある阿木橋には鬼が出るとか」と言った。「そうそう、だからその阿木橋を渡った者がまだいないらしい」「見た者が言うには、身の丈七尺ほどもある大きな鬼だそうな。人間をとって食らうというぞ」と周りの者は口々に言った。ある男が言った。「あの鬼を倒すのは誰だろうか」「あの鬼を倒すのは、強い男じゃ。それもとびっきりの強い男じゃ」「強い男では誰だろうか」「そりゃ、決まっておる。東山に住む九鉄じゃ。やつは身の丈七尺。鬼とかわらん体じゃ。おまけ...第245回夢語り小説工房作品「阿木橋の鬼」

  • 第244回夢語り小説工房作品「木雛(こびな)」

    第244回夢語り小説工房作品「木雛(こびな)」作大山哲生一京都の町の、ある居酒屋。二人の男が、芋の煮つけをつつきながら飲んでいる。「そやけど、五十年前に徳川と豊臣が戦ったというが、今の京都の穏やかさから見たら嘘みたいやな」「考えてみたら、天下分け目の戦いの後も、豊臣秀頼は大阪城にいたんやな」「そういな。徳川が江戸に幕府を開いたというのに、秀頼は大阪に陣取っていた」「でも、そのあと大坂冬の陣、夏の陣で豊臣は全滅してしもうた」「おまえ、よう知ってるな」「このあいだ、髪結いに行ったら講談本があって、それに書いてあったわ」「そやけど、もうぼちぼちと梅が咲くなあ。はよ春になってほしい。京都の冬はさぶいさかいなあ」「話はかわるけど、二条にある炭屋。名前が白妙屋というからおもしろい」「しゃれててええやないか。黒い炭売って白妙...第244回夢語り小説工房作品「木雛(こびな)」

  • 第243回夢語り小説工房作品「二色のバラ」

    第243回夢語り小説工房作品「二色のバラ」作大山哲生一昭和三十八年四月七日。京都伏見区にある夢川中学校。一年一組の教室に横田秀夫はいた。一年一組の教室は木造の教室等の二階であった。窓からは中庭が見える。秀夫は、戸惑っていた。秀夫は、引っ越しのために砂川小学校から、中学入学を機会に夢川中に転校した。夢川中学は、校区には夢川小学校だけしかない。つまり、秀夫以外は全員夢川小学校の出身なのであった。先生が来るまでは間、他の者は楽しそうに話している。秀夫は昨日の夜に母親が言っていたことを思い出した。「あんたは転校生やから、明日は一人ぼっちかもしれへんけどそのうち友達ができるからがまんしいや」秀夫はその通りだと思った。少し気後れしながら秀夫は自分の席に座った。席は男女別で名簿順になっていた。秀夫の隣に座ったのは、小柄でおと...第243回夢語り小説工房作品「二色のバラ」

  • 第242回夢語り小説工房作品「京情話」

    第242回夢語り小説工房作品「「京情話」作大山哲生一ある年の三月のことであった。治郎兵衛は金に困っていた。「仕事」をしないと食うに困る。治郎兵衛は町に出ては獲物を探していた。治郎兵衛は狙った獲物を逃したことがない。ある日、治郎兵衛は三条通を東に向かって歩いていた。三条大橋に差し掛かると、商家の手代風の男と女が何か話している。手代風の男の年は三十五、六。やさしそうな顔をしている。手代風の男の向こうに女がいる。二人は北山の方を眺めてなにか話している様子である。女は、男のあのやさしそうな顔にほれ込んだに違いない。治郎兵衛は勝手に想像した。「よし、あれだ」と治郎兵衛はつぶやくと、急ぎ足でその男の方に向かった。治郎兵衛は、誰かに呼ばれたかのように横を向くと、そのまま手代風の男にどんとぶつかった。治郎兵衛はなにかの匂いを嗅...第242回夢語り小説工房作品「京情話」

  • 第241回夢語り小説工房作品「魔法の御札」

    第241回夢語り小説工房作品「魔法の御札」作大山哲生ある日のことでした。小学一年生の満は、小学三年の兄の隆夫といっしょに近くの稲荷山に水晶をとりにいきました。稲荷山は伏見の稲荷神社を抜け、十石橋(じっこくばし)の奥に広がっています。帰りの道でのことです。満は十国橋のたもとに一枚の御札が落ちているのを見つけました。拾ってみるとその御札には「あなたの夢かなえます」と書いてありました。でもあとのふたつの文字が薄くて読めません。満は、国語の本読みが苦手でした。そこで、拾ってきた御札で国語の本をひとなでしてみました。するとどうでしょう、たちまち国語の本が読めるようになりました。次に算数のノートをひとなですると、たちまち足し算の計算ができました。満は、この御札は、きっとなんでもできる魔法の御札にちがいないと思いました。それ...第241回夢語り小説工房作品「魔法の御札」

  • 第240回夢語り小説工房作品「大江山忌憚」

    第240回夢語り小説工房作品「大江山忌憚」作大山哲生一寛仁二年、藤原道長は絶大な権力を持っていた。その権勢は時には天皇を越えていたほどである。それが証拠に、道長が法成寺を建立すると言った時、地方の国司や豪族たちは、天皇家に対してのそれより藤原氏に対して、物資や金を競って寄進したのである。天皇の外祖父の地位に就いたのちは、あえて関白にはつかず、太政官の筆頭である左大臣につき、思い存分権勢をふるったのである。道長は「御堂関白」と呼ばれたが、頼通にあとを譲るまで関白についたことはなかった。ある日、道長が双六に興じていると、ある殿上人が妙なことを言い出した。「このごろ、大江山に盗賊団が出るらしい。なんでも、金目のものはもちろん若い女をかどわかすそうな」「その盗賊団とは何人くらいじゃ」と道長は尋ねた。「すごい数じゃと言う...第240回夢語り小説工房作品「大江山忌憚」

  • 第239回夢語り小説工房作品「弁慶と義経」

    第239回夢語り小説工房作品「弁慶と義経」作大山哲生承安元年(1175年)のことである。京都の六波羅と言えば平氏の本拠地。六波羅は毎日平氏の武将やら商人やらであふれかえっていた。平清盛が太政大臣になってその勢いはさらに増し、殿上人のうち六十人ほどを平氏が占めると言う状態であった。「平氏にあらざれば人にあらず」と平時忠が言い放つほど平氏の権勢はとてつもなく強大なものであった。平氏を率いているのは清盛の子、平重盛であった。重盛は、父・清盛とは違い温厚で良識のある人物であった。一そのころ、叡山(比叡山)西塔に武蔵坊という寺があった。あるときそこの住持が亡くなって、後釜として入り込んだ男がいる。名を弁慶という。弁慶は、身の丈は六尺を優に超す。目はぎょろりと大きくとても仏道を極めようとする僧には見えない。実際、弁慶はまと...第239回夢語り小説工房作品「弁慶と義経」

  • 第238回夢語り小説工房作品「祟り」

    第238回夢語り小説工房作品「祟り」作大山哲生序ここは京都長岡京市にある鷺の山中学校。近くには長岡天満宮がある。五月の第一木曜の二時間目。校長室に各学年二人ずつの六人の教諭が入ってきた。定例の生徒指導部会が行われるのである。通常、会議は放課後に行うのであるが、会議があまりに多いことや、放課後は生徒指導で走り回らねばならないことが多いので、木曜の二時間目に設定をしているのである。校長室には六人が会議を行えるほどの長机がおいてある。六人の教諭は長机をはさんで座った。内容は各学年の情報を出し合い共有するのである。校長の岸田太郎は、自分の机にノートをおき、各学年の様子をメモに取る準備をした。岸田にとっては校内のことを知る唯一の機会である。一一年生担当の月形陽子が報告し始めた。「えー、一年生では大きなけんかがありました。...第238回夢語り小説工房作品「祟り」

  • 第237回夢語り小説工房作品「えんま地蔵」

    第237回夢語り小説工房作品「えんま地蔵」作大山哲生昔々、京都の町にお天子様がおられた頃の話である。都から北の方のある村に、皆瀬寺という寺があった。この寺は荒れ果てていた。皆瀬寺はかつて、多くの檀家を持つ寺であった。しかし、今の住職になってから檀家が少しずつ離れていき、寺の庭を世話する者もなく境内の木や草は伸び放題なのであった。本堂があるが、誰も本堂であると気づかないほど瓦は落ち壁ははがれている。境内には、石のお地蔵さんがあるが、深い草に囲まれて頭だけが見えるのだった。そしてなんと言っても、この寺の住職が大変な破戒坊主なのであった。一村の者が話している。「おい、茂兵衛」「なんや善作」「この前、寺にいったら、わしゃ驚いた」「わしは、あんまり寺にはいかんから、このごろはどうなってるかわからんわ」「いや、草むらをかき...第237回夢語り小説工房作品「えんま地蔵」

  • 第236回夢語り小説工房作品「毘沙門堂、炎上」

    第236回夢語り小説工房作品「毘沙門堂、炎上」作大山哲生一慶長十五年(1610年)。徳川家康が江戸に幕府を開いて十年が過ぎようとしていた。数十年にわたる戦乱の時代は終わりをつげ、京都の町にも商人の威勢のいい声が聞かれるようになった。しかし、平穏になったとは言え、大阪城には淀君が豊臣秀頼を守っている。豊臣のかつての家来たちは全国に散らばったが、淀君の号令一つで大阪に集結する覚悟でいる。徳川家康も、豊臣を完全に滅ぼさない限り政権は安定しないのである。しかし、一方ではそういう世情とは無縁の村があった。亀山村(現京都府亀岡市)の近くにある千歳村である。千歳村は山の中にあり、行き交う人は少ない。でも不思議なことに、幾多の戦乱についてもこの千歳村だけは塵外境のごとく穏やかなのであった。千歳村には、地主の大きな屋敷と、小作人...第236回夢語り小説工房作品「毘沙門堂、炎上」

  • 私の体調不良の驚くべき原因

    私は68歳。この二、三年、身体がだるく一日中ウトウトと眠いことが多くなった。仕事の疲れかなと思ったりもしたが、辞めてからかなり時間が経っている。うとうとと眠い時というのは、立っているのもつらいほどで、意識がもうろうとするほど眠い。土日は、家内と出かけることが多く、スーパーの弁当で昼を済ませることが多かったがついでに甘いものをよく食べた。一年半ほど前からは、毎食シリアルをヨーグルトに入れて食べていた。特にひどかったのは、家内と出かけた帰りの車の運転である。必ず眠くなるのだ。眠いというより意識がとぎれとぎれになるほどの眠さである。そういうときは缶コーヒーを飲んでなんとか運転していた。ある日、健康番組を見ていて、甘いものを食べた直後は血糖値が跳ね上がるがその後急速に下がるという話があった。医者は、血糖値が下がって眠い...私の体調不良の驚くべき原因

  • 第235回夢語り小説工房作品 「替え師」

    第235回夢語り小説工房作品「替え師」作大山哲生一私は山田一郎。ありふれた名前である。家は京都亀岡市の近郊にある。建物は少し古い民家であるが、実は地上二階地下二階の要塞のようになっている。地下二階は蔵である。外観とは異なり、家の造りは異様であると言える。とは言え、山田家は実に平凡な家系である。私は五十歳。京都市役所の観光促進課に勤務している。最近は外国人観光客が増えたので、看板一つにしても、複数の言葉で表記しなくてはならない。外国人からの問い合わせも多く、私も遅ればせながら英語を勉強している。五十歳で課長補佐であるから、今年こそ課長のなれるのではないかと期待している。父親は、中学校の校長を務めあげて退職した。現在は、近所の老人会でグランドゴルフに精を出している。母親はすでに鬼籍に入った。私の五つ年下の妹は、三児...第235回夢語り小説工房作品「替え師」

  • 第234回夢語り小説工房作品「絵馬の研究」

    第234回夢語り小説工房作品「絵馬の研究」作大山哲生一六月のある日。「ああー」箸黒勝之助は自分の研究室で大きなあくびをした。ここは京都帝都大学。箸黒は帝都大学史学科の教授である。五十歳。箸黒の専門は京都の歴史である。以前には、藤原の道長が娘に贈った人形を京都の骨董屋で発見して新聞に大きく取り上げられた。最近では、近藤勇の妾について歴史的発見をしたことでも有名である。箸黒の研究室の隅には古い段ボール箱が五個ほど積まれている。箸黒は、その一つを机のわきに運び、中のものを探り始めた。この日は、午前中に授業が二コマだけで午後は時間があったので、以前から気になっていた段ボール箱の整理をしようと思い立ったのであった。箱の中には、おびただしい数の絵馬が入っていた。箸黒をはじめ前任者らが数十年をかけて京都の旧家や寺を回って集め...第234回夢語り小説工房作品「絵馬の研究」

  • 第233回夢語り小説工房作品「浄海和尚の話」

    第233回夢語り小説工房作品「浄海和尚の話」作大山哲生一昔々の話である。ある海辺の村に、太郎と言う男が住んでいた。太郎は、両親と弟二人と住んでいた。太郎の家族は代々漁師であった。海で魚をとっては近くの村に売りに行って、生計を立てていたのだ。ある日、太郎は浜辺の岩にもたれていた。今日は魚が一匹も釣れない。沖合には鋭くそそり立った岩が見える。岩にぶつかる波はやがて白い波しぶきとなって砕け散っていく。太郎はひとつ大きなあくびをする。太郎はうとうとした。その時、岩の後ろの方で子どもらの騒ぐ声が聞こえた。太郎は何事かと思い、岩の後ろに回った。見ると数人の子どもたちが集まっている。太郎が近寄ってみると、子どもらが一匹の大きな亀を棒でつついていじめているのだった。太郎は、子どもたちの間に割って入ると、「これ、亀をいじめたらか...第233回夢語り小説工房作品「浄海和尚の話」

  • 第232回夢語り小説工房作品「双剣の怪人」

    第232回夢語り小説工房作品「双剣の怪人」作大山哲生一時は幕末。京都では、新選組が治安維持と称して我が物顔で闊歩していた。ここは京都の壬生にあった新選組の屯所。局長・近藤勇の部屋に副長・土方歳三がいる。「近藤さん、資金が足りません」「トシ、どこからかひねり出せないか」と近藤は言った。「隊士の食費が馬鹿にならない。といって食事を減らすわけにはいきません。なにせ、身体を張った仕事ですし」と土方は言った。「そこをなんとか」「近藤さん、隊士には貧しい農家の次男坊、三男坊が多い。彼らの中には、飯が食えるという理由だけで新選組に入った者もいます。ですので、食事を減らすと新選組の結束は緩んでしまいます」と土方は言った。「そうすると」と近藤は続けた。「京都の豪商に治安維持料の名目で金を出させるしかないな」と近藤は言った。「でも...第232回夢語り小説工房作品「双剣の怪人」

  • 第231回夢語り小説工房作品「地獄の沙汰」

    第231回夢語り小説工房作品「地獄の沙汰」作大山哲生一その男の名は、淵上秀夫といった。年齢は三十五歳。渕上は中学校の教師をしている。ときは五月。渕上は二年生の生徒指導を担当していた。渕上は、決して押しのきくタイプではないが背が高いので生徒が威圧感を感じてくれることだけが渕上の救いであった。渕上の一日は、茶髪にしている生徒の指導から始まる。そもそも指導をしてもすぐに是正されるわけではなく、卒業まで同じことが繰り返される。それでも指導している振りだけでもしておかないと他の学年教師から陰湿な非難が浴びせられる。授業の合間には、いじめの指導、けんかの仲裁と息つく暇もない。午後五時を過ぎても帰れないことの方が多い。なぜなら、呼び出しをかけた保護者が早くて午後六時、遅いときには午後八時ころに来校することもあるからである。土...第231回夢語り小説工房作品「地獄の沙汰」

  • 第230回夢語り小説工房作品「ラッキーアイテム」

    第230回夢語り小説工房作品落語「ラッキーアイテム」作大山哲生演者…楽々亭酔狂えー、馬鹿馬鹿しい話を一席聞いていただきまして失礼をさせていただきます。えー、落語の方はと申しますと、これは一人でおしゃべりをいたしますので演劇とかと比べると誠に経済ですな。さて、世の中にはゲンを担ぐ人がおりますなあ。テレビの星占いで自分の星座が一位にくるとその日は機嫌がいいのですが、一番悪かったりすると一日中しょげてはります。中には、全チャンネルの星占いを見て、一番ましなのを信じるというお方もいたはるようです。占いにはラッキーアイテムというのがよく出てまいります。あれ、ようわかりまへんな。あなたのラッキーアイテムはキーホルダーです、いうてもキーホルダーって毎日持ってますさかい、ほなら毎日運がいいのかというとそうでもない。ラッキーアイ...第230回夢語り小説工房作品「ラッキーアイテム」

  • 第229回夢語り小説工房作品「忘れもの」

    第229回夢語り小説工房作品「忘れもの」作大山哲生一野上陽介は、京都の伏見に住んでいた。この町内には六歳から住んでいたので幼友達がたくさんいる。野上は大学四年のときに母校の中学に教育実習に行った。このとき、生徒の反応がよかったことに気をよくしてか、野上の心の中に教師になりたいという気持ちが起こったのであった。その年の採用試験はすでに終わっていたので、大学卒業後にアルバイトをしながら教員採用試験を受けた。そして、来たのは補欠合格の通知であった。その後、定数内講師としてなら一年間だけ採用するという連絡があった。野上は承諾した。勤務地は京都府のかなり北部にある、これまで行ったこともない市であった。野上は社会科の免許しかないが、臨時免許を申請するから国語も担当してほしいということであった。三月の末に、野上は国鉄に乗って...第229回夢語り小説工房作品「忘れもの」

  • 第228回夢語り小説工房作品「混沌の果てに」

    第228回夢語り小説工房作品「混沌の果てに」作大山哲生一ここは京都県のP市。牛若丸中学の職員室である。ある年の四月十二日。「なんてことはないじゃないですか」と松田卓也教諭は言った。松田は三十二歳。校内では中堅である。「そうですね。心配しすぎだったかもしれません」と応じたのは勝山陽菜教諭である。勝山は新卒二年目の数学科の教師である。松田は二年二組の担任。勝山は副担任である。文科省が、中学の校内にスマホを持ち込むことを許可する方向を出したのが一年前。バスに乗り遅れるなとばかり、いまやほとんどの教育委員会が許可の方向を打ち出すこととなった。スマホの校内持ち込みを許可することが先進的で時代を先取りしているという雰囲気には到底あらがえるものではなく、牛若丸中学もこの四月からスマホ解禁に踏み切ったのである。スマホを持ち込ま...第228回夢語り小説工房作品「混沌の果てに」

  • 将棋の藤井七段の限界

    昨日、藤井七段は久保九段にまけた。持ち時間3時間以上の棋戦ではトップ棋士には全く勝てていない。連敗である。久保九段、斎藤七段、山崎八段、菅井七段、稲葉八段、近藤五段。なぜか、私が見るところ、藤井七段の将棋は「猪突猛進」しかないからである。下位の棋士はこれをまともに食らうから藤井七段には歯が立たない。ところがトップ棋士は、そんなことでは微動だにしないのだ。藤井の猪突猛進をのらりくらりとかわしていく。そのうちに藤井七段が勝手にこけていく。菅井七段との対戦では、苦労して龍を作ったが直後につまされている。こういう将棋が連続している。藤井七段の若さが空回りといった印象である。最後は、どの将棋も詰まないのに無理攻めして玉砕している。藤井七段は、負けた原因を追究していると思うが、のらりくらりと受けつぶすことも身に着けた方がよ...将棋の藤井七段の限界

  • 第227回夢語り小説工房作品「べっ甲のくし」

    第227回夢語り小説工房作品「べっ甲のくし」作大山哲生一「番頭さん、また来てはります」と素っ頓狂な声をあげたのは丁稚の亀吉である。「しーっ、あのお侍さんはうちのお得意さんやから、大事にせなあかんのや」と番頭は言った。頃は享保二年(1717年)の五月。ここは京の上京にある炭の卸問屋「炭定」である。蘆山寺(ろざんじ)通りに面した四間間口(よんけんまぐち)の大店(おおだな)である。この日、炭定を訪れたのは、楠本新之助である。年は二十四歳。年は若いが白川の田舎に屋敷を構えて、なにをするでもなく日々ぶらぶらと過ごしている。腰に刀を差してはいるが、鉄の刀は重いので竹光を一本差している。楠本家は、江戸では旗本である。徳川将軍の直属の軍事組織である。楠本家は、男ばかりの三人兄弟で、新之助は三男である。楠本家では、旗本は長男が継...第227回夢語り小説工房作品「べっ甲のくし」

  • 第226回夢語り小説工房作品 「幸という女」

    第226回夢語り小説工房作品「幸(さち)という女」作者大山哲生一そこを二軒茶屋と呼んだのは、小さな茶屋が二軒並んでいたからであった。時は元和三年(1631年)。徳川氏と豊臣氏の戦いは豊臣方の滅亡という形で終わって十五年余りが経つ。京都の町も落ち着きを取り戻し、様々な文化が花開こうとしていた。ここは京都四条通。八坂神社の石段下。石段下に二軒並んだ茶屋には、参詣をすませて一服する僧や町衆、そして商人や武士がくつろいでいた。茶を飲みながら餅を食ったり、団子をほおばったりしている。茶屋には、床几がいくつも並べられその上には緋色のもうせんが敷かれておりまことに華やかなのである。茶屋の中だけは身分の別などはないようで、皆おしゃべりに花を咲かせている。右側の茶屋は、八坂の坂の字をとって屋号を野坂屋といった。「幸や、団子三人前...第226回夢語り小説工房作品「幸という女」

  • 第225回夢語り小説工房作品「臼」(うす)

    第225回夢語り小説工房作品「臼(うす)」作大山哲生一「天野先生、どうしはります?」と尋ねたのは、下田健一教諭である。「そうですね、一人ですからね。いくらなんでも一人では無理です」と天野久美子教諭は答えた。桜の季節は過ぎ、新緑の頃になろうとしている。ここは、京都鴨川高校の職員室。天野久美子は新卒三年目。演劇部の顧問である。演劇部は年々部員が減り、現在は二年生の道明寺芳夫ただ一人となっている。天野は文化祭に演劇部の発表を入れるかどうか迷っていたのだった。「そうですよね、天野先生。一人じゃ演劇にならないですよね」と下田は小テストの丸付けをしながら言った。下田健一は三十五歳。理科部の顧問をしている。天野は古文の教科書を開き注釈を書き込んでいる。「まあ」と天野は続けた。「道明寺君と話をしてみます。ただあの子はちょっと不...第225回夢語り小説工房作品「臼」(うす)

  • 第224回夢語り小説工房作品「理は我にあり」

    第224回夢語り小説工房作品「理は我にあり」作大山哲生一私は近藤雄三。鴨川高校の二年生。彼女などいたためしがないし、どちらかと言うと夢想家。成績は中くらいと思いたい。部活は歴史部。とは言っても歴史を熱心に勉強するためではなく、人間関係を楽しむのが主な目的である。私の祖父が歴史好きで、日本刀を収集していたこともあり、子どもの頃から歴史には興味を持っていた。私は、最近よく白昼夢を見る。現実と夢が妙に交錯しているような気がする。二夏休みのあけた九月。この年は、残暑の期間が短く、中旬をすぎると朝夕冷え込むようになってきた。私は、風邪をひいてしまい、学校を休んだ。微熱があるせいか朝から頭が重い。布団の中でうつらうつらしていると、突然思いだした。夏休み前に同じクラスの池田君に数学の参考書を貸してそのままになっている。あれが...第224回夢語り小説工房作品「理は我にあり」

  • 第223回夢語り小説工房作品「時の旅人」

    第223回夢語り小説工房作品「時の旅人」作大山哲生一ここは京都の北区にある時計博物館。この博物館は、明治時代から昭和の三十年代にかけて、京都で時計の販売と修理をしていた時庭(ときわ)商店が廃業の後、自宅を改装して作ったものである。私は、定年退職して七年が経った九月のある日、この博物館を訪れた。この日は朝夕に秋の気配が感じられる頃となっていた。私は特に時計に関心があつたわけではないが、ある本で紹介をされていたので来てみたのである。町屋風の入口を入ると、中は意外と広い。淡い光に照らされたガラスケースの中におびただしい量の展示物が並んでいる。まず、目の前に出てきたのは、あめ色の金属の箱で、中には歯車のようなものがいくつも組み合わさっていた。上にはすすけた文字盤があって針が一本だけついている。説明書きを読むと、江戸時代...第223回夢語り小説工房作品「時の旅人」

  • 第222回夢語り小説工房作品 「英雄が降臨した日」

    第222回夢語り小説工房作品「英雄が降臨した日」作大山哲生一ここは京都市内にある峠山中学校。四月四日の午後二時、校長の吉川六郎は遅い昼食をとっていた。中学校にとって、四月当初は目の回るような忙しさだ。学年配当や校務分掌は早く決めるが、そのあと各教科内で担当クラスを決める。ここまではできるだけ早く決めてしまうが、問題はそこからである。大きな難問は時間割の作成である。全校十八クラス分の時間割を組むのであるが、これが実に難しい。将棋で言えば二十手詰めくらいの読みが必要で、朝から晩までかじりついても、一週間ほどはかかる。四月九日から授業が始まるので、四日のこの日は教務担当数名が会議室で時間割作成作業を開始している。中学校で最も難儀なのは、部活の顧問を決めることである。だいたい学校には積極的に特定の部を持ちたいという人も...第222回夢語り小説工房作品「英雄が降臨した日」

  • 第221回夢語り小説工房作品 「霧のサンフランシスコ」

    第211回夢語り小説工房作品「霧のサンフランシスコ」作大山哲生五郷孝之(いさとたかゆき)。京都にある鴨川高校の二年生である。五郷の通う鴨川高校は京都のほぼ真ん中にある。鴨川高校のある場所は、藤原道長の立てた法成寺のあったところであり、校庭に石碑がいくつも並んでいる。歴史上重要な場所なのである。一孝之はどちらかと言えば引っ込み思案である。ホームルームでは黙っていることが多い。黙っていればみんながいいように決めていくから、孝之が困ることはない。四月、学級の委員を決めるホームルームがあった。孝之は窓の外を眺めていた。こういう時は、じっと黙っているのが一番いいと孝之は経験で知っていた。中学の時に、ひとくされ意見を言ったために体育委員をやらされたあげく、体育祭の応援団にまで駆り出された。それ以来、こういう時には黙って頭の...第221回夢語り小説工房作品「霧のサンフランシスコ」

  • 第220回夢語り小説工房作品「マスカレード」

    第220回夢語り小説工房作品「マスカレード」作大山哲生上田浩二。十七歳。高校二年。十月のある日、浩二は、自分の部屋で数学の教科書を広げたまま壁を見ながら、自分の生い立ちをたどっていた。一浩二は、小学一年の時に京都の堀川から伏見深草の家に引っ越してきた。建物は旧陸軍の巨大な兵舎跡であった。二階建てで、中廊下の左右に八畳の部屋が上下で二百五十ほど並んでいる。共同炊事、共同トイレである。八畳一間に一家族だから二百五十世帯ほどが住んでいることになる。そういう環境であつたから、家を出ると近所の人といやでも顔を合わせることになる。子供も多かったので、遊ぶ相手には事欠かなかった。近所の子供があれを買ったとか、あれを失くしたという情報がこと細かく耳に入ってきた。兵舎が丸ごとひとつの共同体であり、みんなが顔なじみという状態であっ...第220回夢語り小説工房作品「マスカレード」

  • 第219回夢語り小説工房作品 「観音坊」

    第219回夢語り小説工房作品「観音坊」作大山哲生一、佐野幸雄。帝都大学史学科の三年生である。佐野が三年生になった四月、はじめてゼミの教室に行くと、担当の出雲教授が教室の真ん中に座っていた。出雲教授は日本の近世史が専門であるらしい。佐野は、江戸時代の京都について関心があったから、出雲教授からおもしろい話が聞けるだろうと楽しみにしている。その教室にいた学生は約十名ほど。佐野の隣にいたのが、西之内紗枝である。西之内紗枝は、細面でメガネをかけていて、髪は短くまとめている。一見冷たい感じがするが、目が大きく愛嬌がある。佐野は他に知ってる顔はないかと見回した。山中健司がいた。佐野が去年学生会館でけんかをしたときに、山中が助けにきてくれたことがあった。山中は年は皆より二つほど上である。「山中さん」と佐野が呼んだ。「山中さん、...第219回夢語り小説工房作品「観音坊」

  • 第218回夢語り小説工房作品「白い封筒」

    第218回夢語り小説工房作品「白い封筒」作大山哲生一「本当に困ったもんだ」と松浦久弥はつぶやいた。引き出しの奥を探るたびに手に触れる白い封筒。この封筒が、松浦を五十年間悩ませ続けてきた。松浦は、大学卒業後金融関係の職に就き、五年前に定年退職した。今年六十五歳になる。松浦が困ったというのは、一通の古い封筒である。封筒は白い普通のものである。中には、四つ折りになった絵柄入りの便せんが入っており、「松浦君の未来に幸あれ。あなたの幸せを心より祈っています」と書かれている。もちろん、差出人の名前はない。この封筒を手に入れたのは、約五十年前のことであった。二松浦は、京都で育った。高校は東山にある日吉ヶ丘高校に通った。昭和四十四年二月。松浦は高校の卒業式に臨んだ。午前十時に式が始まった。とどこおりなく式は進み、生徒会長が答辞...第218回夢語り小説工房作品「白い封筒」

  • α7Ⅲの写真

    ソニーのフルサイズカメラα7Ⅲに2.8の標準レンズをつけて撮った。この背景のボケ方はフルサイズならではである。バラに横から寄って撮った。美しくぼけている。これがフルサイズカメラのぼけである。α7Ⅲの写真

  • ミラーレス一眼 比較

    またまたカメラを買った。ソニーのα7Ⅲである。これでオリンパスの最高級機EM1MARK2と二台になった。右がオリンパス。オリンパスの撮像素子は大変小さいのに、カメラは大きい。左のソニーのフルサイズより大きいのがわかると思う。マイクロフォーサーズは小さくてすむというのは迷信かもしれない。さて、写真はというと、オリンパスのマイクロフォーサーズは小さいため、ぼけにくい。花を撮っても、背景が少しはぼけるが輪郭は残る。これは、花が好きな私としては致命的な欠陥である。そのため、オリンパスの方には、様々なおもしろい撮り方ができるように多くのアプリが内蔵されている。しかし、たいていは、そういうものはパソコンでいかようにも加工が出来てしまうので、ほとんど使わなくなった。オリンパス独自のカラークリエーターは、使い勝手は難しく、下手...ミラーレス一眼比較

  • 第217回夢語り小説工房作品「思い出は遠きにありて」

    第217回夢語り小説工房作品「思い出は遠きにありて」作大山哲生私は溝田弘。私が高校三年の時の思い出を語ろう。私は、京都の鴨川高校に通っていた。鴨川高校は、京都の真ん中にあり、敷地のなかに歴史的な史跡や石碑がある。高校生の時はそういうものにはまるで関心がなかったが、今となってみると大変貴重なものだったなとわかる。一私は三年三組。私のクラスは、他のクラスの男子からはうらやましがられていた。担任がいいとか、学業の成績が優れているとかそういうことではない。私のクラスは魅力的な女子が多いのである。まず北村さん。彼女は学年のマドンナと言われている。背がすらりと高く小顔である。目が大きく鼻筋が通っている。髪はボーイッシュに短く切っている。私から見ると同じ学年とは思えず、姉のような気さえするのであった。お高くとまることもなく、...第217回夢語り小説工房作品「思い出は遠きにありて」

  • 第216回夢語り小説工房作品 「かっぱのかっちゃん」

    第216回夢語り小説工房作品「かっぱのかっちゃん」作大山哲生一昭和三十五年ころの話である。丸山啓介。小学四年生。啓介は遊ぶのが大好きで勉強は苦手という子どもであった。啓介は夏休みを心待ちにしていた。七月に入るとなんとなく浮き浮きする。啓介の住んでいたところは、京都伏見深草の二階建ての巨大な陸軍兵舎跡である。兵舎跡の周りには空き地があり、夏になると毎年だいだい色のカンナとゼニアオイが咲く。啓介は、この花を見ると、いよいよ夏休みだとわくわくする。啓介は学校では、あまり目立たない子どもであった。勉強ができないこともあり、学級委員長などというのは夢のまた夢であった。でも、町内には友達が多く、啓介は遊び相手には不自由しなかった。二待望の夏休みが始まった。啓介は朝の涼しいうちに宿題をしようと決めた。写生とか工作は後でやるこ...第216回夢語り小説工房作品「かっぱのかっちゃん」

  • 名作プレイバック 「西陣の雪」

    ☆名作プレイバック☆夢語り小説工房作品「西陣の雪」作大山哲生昭和三十二年のことである。紀夫は五歳であった。紀夫は来年から小学校に入学する。姉は小学校四年生。真由美と言った。紀夫の家族は、京都西陣の、ある家の二階に間借りしていた。そこのおばさんが、自分のことを「うっとこ」と言っていたので、その家を『うっとこの家』と呼んでいた。一紀夫には、ひかるちゃんというとても仲のいい友達がいた。紀夫はいつもひかるちゃんといっしょに遊んでいた。本を読もうといえばいっしょに読み、三輪車に乗ろうといえばいっしょに乗る。飛行機を飛ばそうと言えばいっしょに駄菓子屋にいって飛行機を買う。おもちゃで遊ぼうと言えばいっしょに遊ぶ。でも、三月に、紀夫の家族は西陣から伏見深草に引っ越した。紀夫の小学校入学直前であった。紀夫はひかるちゃんにさよなら...名作プレイバック「西陣の雪」

  • 出そろったミラーレス一眼カメラ

    各メーカーからミラーレス一眼カメラが出そろった。さて、どこを見ればいいのだろうか。1.露出補正が簡単に行えること。ミラーレスが一眼レフと決定的に異なるのは、写真となる画像を事前に確認できることである。ボタン類をいじるとそれに従ってモニタの画像が変化する。これがミラーレスの最大のメリットであると言ってよい。となると、露出補正ダイヤルは、ミラーレスにとっては単なる明るさフィルターとなる。このダイヤルが指先でくるくる回ると大変操作しやすいと言える。メーカーによってはこのボタンが硬くて、つままないと回らないものがある。2.デジタルズームがあるかデジタルズームは画像の中心を切り取って拡大することである。一見ズームになるが、画素数は落ちて画像は荒くなる。ところがミラーレスのいくつかは、デジタルズームで切り取った画像に、もう...出そろったミラーレス一眼カメラ

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