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2006/08/24

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  • 祝・本尊御開帳

    祝・本尊御開帳3月31日、一日曇り空の天気予報でしたが、雲の切れ間から青空がのぞき明るい陽のさす朝を迎えました。5時の鐘を撞き、客殿の雨戸をあけ、寺院方の金襴のスリッパを並べました。客殿前の門を開き、赤いカーペットを敷いて寺院方の雪駄を置いてもらうための靴入れを用意しました。寺院方駐車場に寺院専用駐車場と書いた立看板を出し、本堂東スロープに参詣者用の緑のカーペットを並べ、本堂正面の入り口に寺方の入堂用の赤いカーペットを敷きました。午前8時前には、総代世話方が集結し、一日の行程を確認。配布物の最終チェックを行いました。寺方集会時間前には一人二人とお寺様方が客殿にお越しになる中、前日から来福の中央大学教授保坂俊司先生もお越しになり、控えの間にご案内しました。お寺様方全員お集まりになられ、挨拶の後、特別にご出仕...祝・本尊御開帳

  • (追記あり) 30年ぶりの本尊御開帳 是非ご参詣ください

    30年ぶりの本尊御開帳是非ご参詣ください。ここ備後國分寺では、来月3月31日午前9時から午後5時まで、普段閉じられている本尊厨子の扉を開きます。その間に、ご都合の良い時間にお越しになり内拝下さい。元禄7年(1694)に福山城主水野勝種侯が大檀那に成られ現本堂を再建されました。それから300年となる平成6年に、本堂再建三百年祭が先代和尚により挙行され、その際に御開帳されてから早いもので30年が経ちました。延宝元年(1673)の水害により荒廃した堂宇を復興していかれた、時の中興一世快範上人が記した『國分寺中興基録』と題する記録が今に伝えられています。それによれば、元禄5年に新しい本堂の仏像一式を京都柳の馬場松原下る町の京仏師林右近氏に依頼しており、その際の注文書通りの仏像を今日目にすることができます。本尊薬師...(追記あり)30年ぶりの本尊御開帳是非ご参詣ください

  • 今日の護摩供後の法話に補足して

    今日も沢山の添え護摩の木を皆様書いて下さって大きな護摩を焚かせていただきありがとう御座います。毎月お大師様の日に、一ヶ月のいろいろ積もった、願い、思い、計らい、心の重荷を仏様にすべてをお預けして、放下する心の大掃除の場として、私も大切な行として修法させていただいています。ところで皆様の中には、自分自身が病を抱えている方もあるし、ご家族が長く患っている人もあります。また長く患っていた家族をお見送りしたという方もあり、様々な思いを以てお参りいただいていると思います。私たちのしがちなこと、習慣として何事も二つに分けるということをしがちです。良いこと悪いこと、楽しいこと苦しいこと、幸せなこと不幸なことと。ですから、病気になる、亡くなる、またはいろいろな場面で思ったようにならなかったりすると、それらは悪いこと、良く...今日の護摩供後の法話に補足して

  • 備後國分寺だより 第66号(令和6年1月1日発行)

    備後國分寺だより第66号(令和6年1月1日発行)七回忌の法事にて極楽は極楽か「お疲れさまでした。長いお経を聞いてくださり、また、ご一緒に『仏前勤行次第』を御唱和いただきご苦労様です。今日は七回忌ですから、こちらの塔婆に書いてありますように、七回忌の本尊様阿閦如来に沢山のお供えをし、読経供養を施し、その功徳を六年前に来世に赴かれている○○大姉に手向けるというのが今日の法事です。こちらにあります塔婆には、上から梵字で「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」と書いてあるのですが、これはよく先祖墓に見られる五輪塔を表していまして、その意味は下から地水火風空となります。これはそれぞれに大をつけて、五大ともいわれるこの宇宙全体を構成する要素となるものです。それぞれの意味は、地大は堅さを性質としてものを保持する働きを表し、水大は湿り...備後國分寺だより第66号(令和6年1月1日発行)

  • 明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳 (3)

    明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳(3)私はかつて新潟県に行ったとき、壁に大きな字で書かれた書軸が掛けられていたことがあります。これは五歳の子供が書いたもので、その運筆が見事で筆勢は力があり、実に大人の書家にも及ばないほどで驚いたことがあります。五歳といっても満三年の子供で、その運筆を習うと言ってもまだ一年足らずとのことでした。しかしその書は大人の書家の数年もの刻苦も及ばないほどで、私の見るところ、世の人のいわゆる原因結果をもって論じるならば、この訳が判ろうというものです。今私の因果応報の真理をもって見るならば、決して怪しむべきことではなく、その生まれながらに書をよくする人は、いわゆる前生において、かつて書芸に勉めた原因が報いて今日の身に顕れたということでしょう。この理によってこれを見るに、今わ...明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳(3)

  • 明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳 (2)

    明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳(2)まさにこの原因結果という言葉は今日世間において、いたるところで語られないことはないでしょう。ですが、世の人々が言うところはただ目の前の原因結果だけを言うのであって、過去や未来に及ぶものではなく、ただ自分一人に現れ見る、この一生のことに過ぎません。ですが、この目の前の一生のことですら、原因と結果と符合しないこともあります。言い換えると、豆の実を蒔いて麦を収穫したり、麦の種を蒔いて米を収穫するというような不思議なことです。どのようなことかといえば現実に、生涯務めて汗を流し困苦しても、十分に飲み食いもできず着るものも満足でない者があります。また日夜学業に励み人の倍もの努力をしてもその結果は平均程度にしかならない者があります。あるいは、怠慢であるにもかかわらず博識...明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳(2)

  • 明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳 (1)

    雲照大和上遺墨展によせて-住職のひとりごと雲照大和上を学ぶ会の松本宣秀師が23日来訪された。来月14日から18日まで倉敷市立美術館にて、倉敷仏教会主催「雲照大和上遺墨展と講演・明治150年を雲照大和上に問う...gooblog十善の法話雲照和上のご講演(東京三浦家において)さて、十善(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)とは、人の人たる道であり、一切万善の根本道徳の標準であります。仮にも人の道徳の標準であるならば、世界のどこにあっても修めなくてはならないものです。富める人はますます修すべきであり、貧しい人もますます行わなければならない生き方であります。ですが、この十善は自然に表れる徳であり、この世の真理が顕われるものであるので、ことさら仏教の十善ということではあ...明治の傑僧・雲照和上の「十善の法話」現代語訳(1)

  • 國分寺に掛けられている書画について

    國分寺に掛けられている書画についてまず、仁王門の上には「國分寺」と書かれた大きな扁額がかかっています。本堂正面には畳二畳ほどの大きさの扁額に「醫王閣」とあります。ともに戦前の京都大覚寺門跡谷内清巌猊下の書と伝えられています。寺内には、山号「唐尾山」の額がかかり、これは清巌猊下の銘があります。本堂の額の裏には仏教のシンボル「法輪」が彫刻されています。法輪はお釈迦様の教えの中でも最も実践的な八正道を表現したものです。玄関から上がった部屋に衝立が置いてあります。平成三十年の仁王尊解体修理の際に台座から出てきた墨書きを表裏に数枚はめ込んだ衝立に仕立てていただきました。「欧州大戦乱為日本農民側不景気武器被服商人等大好景気」などとあり、大正四年に仁王門を修復した際に、寒水寺を兼務し後に宮島の大聖院に転住した、時の中興...國分寺に掛けられている書画について

  • 補足解説・七回忌の法事にて

    補足解説・七回忌の法事にてこの法話を実際に聞いてくださった方々が、聞いていておそらく頭の中に?マークがついたのではないかと思われる点について、解説を補足してみたいと思います。まずはじめに、「来世に赴かれている」という表現についてです。死んだら無に帰するとか、仏になるという表現もありますから、死後のことは心配いらないとお考えになる方もあるかもしれません。ですが、仏教は身体はこの世の借りものであって、心こそ本人であると考えます。そして、すべてのことに原因ありとする教えです。この世に生まれ、こうして私たちが縁あり、この話を聞いてくださるのにも原因と縁があってのことです。ですから、亡くなったら身体は荼毘に付されますが、心には様々な思いが残り、その心に相応しい来世に赴くと考えるのです。間違いのない生涯であれば人間界...補足解説・七回忌の法事にて

  • 七回忌の法事にて

    七回忌の法事にてお疲れさまでした。長いお経を聞いてくださり、また、ご一緒に「勤行次第」を読誦いただきご苦労様です。今日は七回忌ですから、こちらの塔婆に書いてありますように、七回忌の本尊様阿閦如来に沢山のお供えをし、読経供養を施し、その功徳を六年前に来世に赴かれている○○大姉に手向けるというのが今日の法事です。こちらにあります塔婆には、上から梵字で「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」と書いてあるのですが、これはよく先祖墓に見られる五輪塔を表していまして、その意味は下から地水火風空となります。これはそれぞれに大をつけて、五大ともいわれるこの宇宙全体を構成する要素となるものです。それぞれの意味は、地大は堅さを性質としてものを保持する働きを表し、水大は湿り気を性質としてものを収めとる働き、火大は暖かさを性質としてものを成熟...七回忌の法事にて

  • お茶会に思う

    お茶会に思う九月十七日、ここ國分寺を会場に茶会が開かれました。尾道のNPO法人・茶の湯歳時記同好会主催の百人を超える参加者が来訪される盛大な茶会でした。同会は、これまでにも尾道の浄土寺や海龍寺、光明寺、三原の極楽寺などで茶会を開催してこられました。ことの始まりは、今年二月に神辺在住の表千家教授である理事さんが訪ねてこられ、是非客殿で茶会を開かせて欲しいと申し入れがありました。これまで茶会などとは縁のなかったこともあり、総代さん方にも相談の上快諾を得て、その後理事さんとのやり取りの中で日程も決まりました。今年五月ころだったでしょうか、副理事長さんと実際に茶会で作法される先生方が会場の視察に来られ、部屋割りや出入り口の確認をしていかれました。そして八月末にもう一度理事さんが会場の確認に来られ、茶会前日には茶道...お茶会に思う

  • 福田(ふくでん)ということ

    福田ということ暑い夏になりました。またこのお盆の時期に台風が二つも来て、多くの地域で被災しているのにここ福山ではこうして万灯会ができ、お詣りしていただきまして誠に有り難いことと存じます。コロナもまだ日本でだけは終わっていないとか、ウクライナの戦地では未だに戦闘が繰り返され、そんなこともあってか物価が馬鹿高くなりガソリンはついに百八十円、オーストラリアなどはすでに二百円と聞いています。温暖化で年々暑くなりこの先どうなるのかとも心配になります。不安なことばかりですが、いつの時代もどんな時代になりましても、本当は不安が尽きないのかもしれません。不安なこと心配事をみんな仏様にお預けする放下という生き方が求められているのかもしれません。放下とは、お茶をなさる方はよく茶掛けにあるそうで御存じの方も多いかと思いますが、...福田(ふくでん)ということ

  • 備後國分寺だより 第65号(令和5年8月1日発行)

    備後國分寺だより第65号(令和5年8月1日発行)大師堂落慶を祝して四月二日、めでたく大師堂が落成しました。前日まで左官屋さん、大工さん、建具屋さん、清掃の方など職人方が慌ただしく最終の仕上げを施してくれて、何とか落慶法要に間に合わせてくださいました。昨年十一月から解体された大師堂と休み堂が一つの建物に生まれ変わりました。明治三十四年五月発行の『廣島県名所図録』という、広島県内の神社仏閣など名所の建物の様子をスケッチして解説を施した図鑑があります。それによれば、ここ備後國分寺の頁には「備後国深安郡御野村真言宗唐尾山國分寺之真景」とあります。それを見ると、境内の西側に南北に切り妻屋根の休み堂らしき建物があり、すこし離れた北側に小さな籠堂(こもりどう)らしき建物が描かれています。記録によれば明治二十一年に、天保...備後國分寺だより第65号(令和5年8月1日発行)

  • 三方よしということ

    三方よしということ三方よしという言葉がある。近江商人の心得とも、モットーともいわれるが、売り手も買い手もそれから世間にも良いことを言うのだという。ネットの言葉検索で「コトバンク」を見てみると、『「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。近江商人の心得をいったもの。』とある。世間良しのところを社会貢献に置き換えてしまっている。これでは世間良しは商いと別物のように受けとられかねない。商いそのものが世間にとってもよいものである必要があるという本来の意味を読み違えそうな表現ではないかと思える。商いと社会貢献を切り離しては本来の意味の三方よしにはならないだろう。ところで、昔サラリーマン時代に「てんびんの詩」という映画を見...三方よしということ

  • 人が亡くなると仏様というのはなぜか

    (昨年九月二十八日投稿の「死ねば仏とは」を修正ものです)いつの頃からか、日本では、人が死すと仏、仏様と呼ばれてきました。私にはそれが不本意で、そんなことを言うから日本仏教は活力を失ったのだと思っていました。つまり、死んだらみんな仏なら、教えも修行も不要ではないかと考えたからです。そんなものなら、そもそもお釈迦様も、各宗の祖師方も死を覚悟して死に物狂いで修行する必要もなかったではないかと思えたのです。そんな簡単なものではないと。しかし、数日前、朝の御勤めで、本尊お薬師様の供養法を修しておりましたら、お教えをいただきました。人は死すと、煩悩に覆い隠された故人は死んで、仏だけが残ったのだと。息を引き取りしばらくすると、故人の生前の人格の心は遺体から離れ、ご遺体だけが残されることになります。お釈迦様が発見された無...人が亡くなると仏様というのはなぜか

  • インドに何を学ぶか

    令和五年六月五日『インドに何を学ぶか』福山北倫理法人会での法話今日は「インドに何を学ぶか」というテーマでお話します。三十年も前になりますが、インドの僧として三年半、実際にインドに滞在したのは併せて二年半ほどですが、その後もインドと仏教を通してかかわり続けてまいりました。そこで、そもそも私がなぜインドに行ったのか、そして何をしたか、いろいろ見聞してきた話も交えながら、そこから私たちは何を学ぶべきかと考えてまいりたいと思います。早速ですが、なぜインドに行ったのか、前回にも少しお話していますが、お寺の生まれでもありませんので、一冊の本との出会いが、私を仏教に引き寄せたのです。それは、角川書店の「仏教の思想」というシリーズの第一巻『知恵と慈悲・ブッダ』という本です。増谷文雄さんという都留文科(つるぶんか)大学の学...インドに何を学ぶか

  • 備後國分寺だより 第64号(令和5年4月2日発行)

    備後國分寺だより第64号(令和5年4月2日発行)令和五年一月二一日薬師護摩供後の法話御生誕一二五〇年の弘法大師今日は初大師、御生誕一二五〇年の記念すべき年の初大師となります。全国各地の弘法大師を祀る寺院では盛大にお祭りがなされていることでしょう。こちらにも、早朝八時からにもかかわらず、土曜日ということもあり、遠方からも大勢のお護摩のお参りをいただきありがとうございます。弘法大師は、今年が西暦二〇二三年となりますから、七七四年、宝亀五年にお生まれになられています。六月十五日のお生まれと言われており、六月には各本山でも記念の法会が執り行われることと存じますが、ところで、お大師様はどのようなお方であったのか。皆様ご存じのことと思いますが、概略申し上げてみますと。生まれた場所は、讃岐の屏風ヶ浦と言われますが、今の...備後國分寺だより第64号(令和5年4月2日発行)

  • 追悼 松長有慶猊下

    追悼松長有慶猊下私は教え子でもなく、お寺の関係者でもない。しかし猊下の最晩年にご縁をいただき、ご厚誼賜ったものとして誠にごくわずかのその関係についてのみではあるが、四月十六日ご遷化された松長先生の記憶をここにとどめておきたいと思う。松長有慶猊下についてはWikipediaに以下にある通り、仏教学者密教学者としても、また真言僧侶としても最高の位置に自ずと推挙せられて上られた。そのご生涯は、真言宗ならず日本仏教界における金看板ともいえる存在であったと思う。これ以上のお方は恐らく、残念ながらもうしばらく現れないのではないか。〈Wikipedia〉松長有慶1929年〈昭和4年〉7月21日-2023年〈令和5年〉4月16日)高野山真言宗の僧侶で仏教学者。高野山・補陀落院住職、元総本山金剛峯寺第412世座主、同宗管長...追悼松長有慶猊下

  • 大師堂落慶を祝して

    大師堂落慶を祝して四月二日、めでたく大師堂が落成した。前日まで左官屋さん、建具屋さん、清掃の方など職人方が慌ただしく最終の仕上げを施してくれて、何とか落慶法要に間に合わせてくださった。昨年十一月から解体された大師堂と休み堂が一つの建物に生まれ変わった。明治時代に作られた『広島名所図録』という、広島県内の神社仏閣など名所の建物の様子をスケッチして解説を施した図鑑がある。それによれば、ここ備後國分寺の頁には「備後国深安郡御野村真言宗唐尾山國分寺真景之図」とある。それを見ると、境内の西側に南北に切り妻屋根の休み堂らしき建物があり、すこし離れた北側に小さな籠堂らしき建物が描かれている。記録によれば明治二十一年に、天保年間に開創された唐尾山八十八箇所の籠堂が造られたとあるのでその建物であろう。唐尾山は國分寺の山号で...大師堂落慶を祝して

  • 癒やされない悲しみに

    癒やされない悲しみに知り合いの息子さんが若くして亡くなられました。ガンで二年ほど入退院を繰り返された後に手厚い看護にもかかわらず亡くなってしまったのです。親御さんの気持ちを思えばいたたまれない悲しみに包まれていることが推察されます。自分の産んだ息子、たよりにしていた息子が亡くなった、言いようのない喪失感は癒やしようのないものであろうかと思います。若くして結婚して、お蔭でお子さんたちがみな立派に成人された後だったことは幸いではありましたが、やはり、闘病生活にもいろいろと気遣いが必要だったようですし、亡くなって葬儀を行い、さらにその後の中陰開けまでも、いろいろと気苦労を重ねられ、老親二人は疲れ果ててしまったようでした。たびたび老夫婦は訪ねてこられてはいろいろな話をして帰られます。既にひと月、ふた月たつのですが...癒やされない悲しみに

  • 夢ということ

    昨日法事にお越しになった学生さんたちのために一言夢ということ誰にも夢というものがあります。実現可能なものか本当に夢のようなものなのか、それはその人によって違いましょう。いくつも夢のある人もあるかもしれません。その夢を実現するためにいろいろと努力する、何とか夢に近づけるように頑張る。そのための意欲をたもつためにも夢というのは必要なものと考えられてもいるでしょう。ですが仏教では、世俗の夢とか希望というようなものは修行の妨げになるものであってあまり推奨されないものでもあります。私たちは何のために生きているのかというところから物事を考えていくからです。今あるところですべきことをして様々なことをする中で学び徳を積むことこそ必要なことと考えます。ですが、やはり将来はこうありたいこう成りたいと誰でも考えます。かくいう私...夢ということ

  • 御生誕1250年の弘法大師

    御生誕1250年の弘法大師令和5年1月21日薬師護摩供後の法話今日は初大師、御生誕1250年の記念すべき年の初大師となります。全国各地の弘法大師を祀る寺院では盛大にお祭りがなされていることでしょう。こちらにも土曜日ということもあり、早朝8時からにもかかわらず、遠方からも大勢のお護摩のお参りをいただきありがとうございます。弘法大師は今年が西暦2023年となりますから、774年宝亀五年にお生まれになられています。六月十五日のお生まれと言われており、六月には各本山でも記念の法会が執り行われることと存じますが、はたしてお大師様はどのようなお方であったのか。皆様ご存じのことと思いますが、概略申し上げてみますと。生まれた場所は、讃岐の屏風ヶ浦と言われますが、香川県の今善通寺のある場所とされています。群司をされていた父...御生誕1250年の弘法大師

  • 備後國分寺だより 第63号(令和5年1月1日発行)

    備後國分寺だより第63号今津薬師寺様・令和四年九月二十二日秋季彼岸法要後の法話心を浄めるとはこれからの時代をいかに生きるか秋の彼岸法会、沢山のお参りご苦労様でございます。今年も災害が続き、先頃も強い台風により全国多くの地域で被災したばかりであるのに、この備後地域は守られているのか、このように法会ができ、たくさんの参詣者をお迎えできるというのは誠に有り難いことだと思います。私がこちらに上がらせていただくのも三回目となりました。今日は、「心を浄めるとは」と題して、これからの時代をいかに生きるかをテーマにお話させていただきます。御開帳についてところで、まず初めに、今年は皆さまにとって何より大切な檀那寺の再興四百八十年という記念すべき年であります。そして春には盛大な御開帳法会も行われたと伺っております。改めてお祝...備後國分寺だより第63号(令和5年1月1日発行)

  • 放下に生きる

    放下に生きる謹賀新年。一年の経つのがとてつもなく早く感じる。そういう歳になってしまったということか。時代がそうさせるのであろうか。総理の年頭所感にあるように時代の転換点にあるという言葉は深い意味が込められているのであろう。私自身も一昨年末頃からそう感じるようになった。これまでのような戦後市民が自由に気儘にどこにでも行き、好きなことをして何の不自由も感じなかった時代は終わらせようと考える人々がいるようだ。嫌な世の中になりつつある。コロナコロナが日常になり、誰もがマスクをすることに躊躇がなくなってしまった。どこに行っても、マスクをしなければならない世の中はおかしいと気づかねばならないのにみんな疑問にも思わない。少し前には風邪もひいていないのにマスクをしている人は不審者と思われた。それが今では誰もが自ら不審者に...放下に生きる

  • 平等ということ

    平等ということ世の中は何かと生きずらい。子供の頃には気づかないが、大きくなるにつれてあの子はいい家の子だからとか、親の着るものや車に目が行き、ついうちとは大違いだななどと、いろいろ考えさせられるようになるもの。お釈迦様の時代ばかりかインドではいまだに階級というものが、カーストと私たちは言うが、彼らにとってはヴァルナという色を意味する階級が厳然と存在している。ないしはジャーティというような職業による二千以上ともいわれる階級まである。それでも仏教は、すべての人は平等であるとして階級差別などしない。なぜそうもはっきりとした態度がとれるのかというと、誰もがこの因果応報の世の中に生きているからであると言えよう。お釈迦様と同年代だったというコーサラ国の大王パセーナディとの会話の中で、お釈迦様は四種類の人があり、善き生...平等ということ

  • 大乗仏教とは何か

    これまでの説お釈迦様歿後500年ほどして、一般大衆のための新しい仏教運動として起きてくるのが大乗仏教だと言われてきました。そして、大乗仏教は、仏滅100年目にあった根本分裂によって、上座部という伝統派の比丘(びく)と大衆部といわれる改革派の比丘との分裂をきっかけに、その大衆部の比丘たちから徐々に教えが開かれたものになり、大衆化して世俗化した教えが大乗仏教であるとされてきました。それから、もう一つの説が仏伝文学からの流れが部派仏教を越える思想に発展したとするものであり、第三の説として、仏塔を護持し供養する在家の信者たちによって教えが語られ記録されて大乗仏教のもとをなしたとの説があります。しかし、それらはいずれも大乗仏教を仏教の側からごく一面を捉えて説を立てたものに過ぎないのだろうと思うに至りました。保坂俊司...大乗仏教とは何か

  • 満中陰忌一言法話

    満中陰忌一言法話○月○日にお亡くなりになり、ご自宅で枕経をし、通夜葬儀はこちらの会館で行いました。そして、七日、七日奥様だけであったり、ご子息様、娘様が同席され丁寧にお勤めされて、今日満中陰の法事を迎えられました。生前お元気な時には、ご夫婦で山登りを楽しまれたり、四国巡拝を四度も回られていたとのことですが、十年ほど前に脳梗塞で半身不随となり、気の毒なことではありました。ですが、それでも杖を突き突きよく歩かれ、自動車の運転もされるようになり何よりと思っていたところでしたのに、昨年突然病魔発症し、誠に残念なことでありました。ところで、亡くなられてから四十九日までを中陰とか中有と申します。通夜でも申しました通り、四十九日までの七日ごとに来世に逝く機会があるとされています。が、どなたも七七、四十九日までには来世に...満中陰忌一言法話

  • 死ねば仏とは

    死ねば仏とはいつの頃からか日本では死すと仏、仏様と呼ばれる。私にはそれが不本意で、そんなことを言うから日本仏教は衰退したと。死んだら仏なら教えも修行も不要ではないかと考えたからでもあり、そんなものならそもそもお釈迦様も各宗の祖師方も死に物狂いで、死を覚悟して迄の修行の必要もないものになると。そんな簡単なものではないと考えたのであった。しかし、数日前、朝の御勤めの際に、ひらめいた。煩悩に覆い隠された故人が死んで仏だけが残ったのだと。死ねば故人の生前の人格の心は遺体から去り、命のない身体だけが残ることになる。お釈迦様が発見された無常の真理そのもののみが残される。森羅万象すべてのものがありのままの世界のその摂理、真理の中にあるそのものと化す。生前あった煩悩はその身体にはない、だから、仏と言いうる。そういうことで...死ねば仏とは

  • 心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか

    心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか神辺國分寺の横山でございます。秋の彼岸法会、沢山のお参りご苦労様でございます。今年も災害が続き、先頃も強い台風により全国多くの地域で被災したばかりであるのに、この備後地域は守られているのか、このように法会ができるというのは、誠に有り難いことだと思います。私がこちらに上がらせていただくのも三回目となりました。今日は、心を浄めるとはと題して、これからの時代をいかに生きるかをテーマにお話させていただきます。御開帳についてところで、まず初めに、今年は皆さまにとって何より大切な檀那寺の記念すべき年であります。改めてお祝いを申し上げますとともに、そのために昨年から仏像の修理や堂宇の修繕をお寺様檀信徒役員の皆様ともどもに進めてこられ大行事に備えられた、そのご努力に敬意を表し...心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか

  • 仏教的ものの見方ーこれからの時代をいかに生きるか

    仏教的ものの見方ーこれからの時代をいかに生きるか秘仏について皆さん、三十年ぶりに御開帳されたご本尊様に対面されて感激も一入であったことと思いますが、皆様の思いと同様に、私ども國分寺でも、檀信徒からお姿を拝見できるのはいつですか、なぜ秘仏なのですかと問われることも度々ございます。そこで、再来年、御本尊薬師如来の御開帳を予定しております。普段お厨子の扉を閉めている仏様のことを秘仏というわけですが、では、秘仏にしているのはどうしてなのでしょうか。扉を開かないのにはいくつかの理由が考えられますが、皆さんはなぜだと思いますか。保存のため、保管のため、御開帳した時のありがたさのためであるとかいろいろと言われるわけです。が、私は、仏様というのは本来法を説くものであり、仏様は姿かたちではないよ、ということを教えるためでは...仏教的ものの見方ーこれからの時代をいかに生きるか

  • 備後國分寺だより 第62号(令和4年8月1日発行)

    備後國分寺だより第62号世界の平和を願うなら今年三月末、敬愛する先生から小冊子が送られてきました。表紙には、『鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い日本を救ったブッダの言葉』とあります。二〇二〇年九月一日初版の第二刷で、発行者は東方学院研究会員後藤一敏氏です。令和元年の東方学院会報「東方だより」に、前理事長・前田專學先生が『中村元(はじめ)先生の世界平和の願い』と題して一文認められているのですが、後藤氏は、そこに紹介されていたJ・R・ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑について強い関心をもたれて、早速現地高徳院を訪ねられたのでした。しかし、そこに碑がひっそりと立っているだけで、参拝者の多くがその存在にすら気づきもしなかったのだといいます。そこで、当時の世界が自国...備後國分寺だより第62号(令和4年8月1日発行)

  • 保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ

    保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ中央大学国際情報学部教授で、比較宗教学、比較文明論、インド思想を専門分野とされる保坂俊司先生の新刊、ちくま新書『インド宗教興亡史』を拝読させていただいた。保坂先生の著作はいくつもこれまでに紹介させてもらっているが、前回は『梵天勧請思想と神仏習合に学ぶ』と題して紹介させてもらった。梵天勧請として語り継がれるエピソードについて、それは、お釈迦様の覚りが仏教となるためには他者からの働きかけが不可欠であったことを示すのと同時に、それは他宗教と対立するのではなく融和融合共生を計ろうとする仏教の根本的な姿勢を表しているとされた。仏教は他者を自らの定着や発展に役立てるという神仏習合思想ともいえるこの根本構造をもつがゆえに、イスラム教徒の侵攻に際しても融和共生を模索し歩み寄ったこと...保坂俊司先生著『インド宗教興亡史』に学ぶ

  • 松長有慶先生著『空海』を読んで

    【六大新報令和四年七月五日号掲載】松長有慶先生著『空海』を読んで松長有慶先生の最新刊・岩波新書『空海』を拝読させていただいた。岩波新書として、三十一年前に発刊された『密教』、八年前の『高野山』に続く三部作の三作目である。読み始めてしばらくすると、さてこの本は何の本を読んでいるのかと不思議な感覚をおぼえた。それは、「あとがき」にもあるように、本書は弘法大師空海の生涯について歴史的に叙述されたものではなく、その生涯にわたる特徴的な思想を十の主題に分け、大師の全体像を著書、詩文、書簡類も合わせて総合的に把握せんと試みられた著作だからであろうか。あるいは一般読者にも理解できるように、それぞれのテーマの説き始めが古代インド、ないしインド文化についてであったり、サンスクリット語の語彙や釈尊からはじまるからであろうか。...松長有慶先生著『空海』を読んで

  • 六種の供養と六波羅蜜

    六種の供養と六波羅蜜(昨日今日の法事後の法話より)寺院の本堂須弥壇にも、各家の仏壇にもふつう六種の御供えがなされます。まず花があり灯明、線香があり、そのほかに、仏飯(飯食・おんじき)と水、水はお茶湯の場合もありますが、それに塗るお香である塗香をいれて六種となります。これらを六種の供養というのですが、これらは仏様に単なる習慣としてなされる御供というわけではありません。それぞれ六波羅蜜といわれる仏教の実践につながるものであるから尊い供養になると考えられているのです。水は布施波羅蜜(ふせはらみつ)、塗香は持戒波羅蜜(じかいはらみつ)、花は忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)、線香は精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)、飯食は禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)、燈明は般若(智慧)波羅蜜(はんにゃはらみつ)に相当します。因みに波羅蜜...六種の供養と六波羅蜜

  • 人生とは恩返しである

    知り合いのお寺さんが亡くなられた。九年前にここ國分寺の先代名誉住職が亡くなった時に葬儀で弔辞を読んでくださった方だ。本山で若きとき、ともに仕事された親しい関係で、祭壇に向かって「僧正さーん」と大きな声で呼びかけられて、語りかけるように話をされてから本山から送られた弔辞を読んでくださった。享年七十四だから、それから九年で亡くなってしまわれたので当時六十五歳くらいだったと思われる。実は私もその歳に近づきつつある。特段病気であったわけでもなく、夜中亡くなられるまで普通に過ごされていたという。死亡診断書には死因不詳と書き込まれていたと聞く。なぜ亡くなられてしまったのか。みんな不思議に思われていたが、葬儀の際にそんなことを伺いながら同じくらいの歳のお寺さんたちと私たちもいつそうなるかわからない、明日は我が身と、後悔しない...人生とは恩返しである

  • 備後國分寺だより 第61号(令和4年4月3日発行)

    備後國分寺だより第61号四無量心と十善に生きる國分寺の仁王門横の掲示板には、時折ヒンディー語の格言とその日本語訳を小ポスターにして掲示しています。これは、『saccībāten(サッチー・バーテーン・意味は「真実の言葉」)』という名前で、フェイスブックやインスタグラムに参加して、ヒンディー語で古今のインドの格言などを投稿されているものがあり、その中から、私たちにも学びとなるようなものを選んで翻訳しているものです。一昨年から、時々彼らの投稿に注目して日本語に訳したりして楽しんでいたのですが、そうして翻訳してみたものを何度かフェイスブックの投稿のコメント欄に書き込んでみたこともあります。その中から、是非皆さんにもご披露したい内容のものを印刷しては掲示しているのです。今年の初めに掲示したものは、昨年の十月一日に投稿さ...備後國分寺だより第61号(令和4年4月3日発行)

  • 四苦八苦の苦をやわらげるために

    四苦八苦の苦をやわらげるために私たちは意識するしないにかかわらず四苦八苦の人生を生きている。仏教では、煩悩のままに生きるていること自体が苦であるとするが、それは四苦の中に生も老も含まれていることからも知られる。生苦は生れる苦しみ、老苦はそれからの一生に着いてまわる老いる苦しみ。私たちは泣いて生まれても、笑って生きているように思われるが、その間に病いになることもあり、いずれは死を迎える。この生老病死の四つの苦しみのほかに、この後述べる八苦に悩まされ続けていることも経験上思い当たる。八苦とはこの四苦のほかに別に四つの苦しみをあわせて八苦というが、これも定めのように私たちについてまわる。普段私たちは考えもしないが常に老死が隣り合わせにある。深刻な病気が発覚するかもしれないし事故に遭うかもしれない。生まれてきた以上、い...四苦八苦の苦をやわらげるために

  • 世界の平和を願うなら

    世界の平和を願うなら先月末、敬愛する先生から小冊子が送られてきた。『鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い日本を救ったブッダの言葉』と表紙にある。2020年9月1日初版の第2刷で、発行者は東方学院研究会員後藤一敏氏である。後藤氏は令和元年の東方学院会報「東方だより」に、前理事長の前田專學先生が中村元先生の世界平和の願いとして一文認められ、そこに紹介されていたJ.R.ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑について強い関心をもたれて、早速現地高徳院を訪ねられた。しかし、そこに碑がひっそりと立っているだけで、参拝者の多くがその存在にすら気づきもしなかったのだという。そこで、世界が自国中心主義を前面に出して、覇権争いの様相になり、弱者や他国移民には厳しい社会になっている状況なれ...世界の平和を願うなら

  • あらためてお寺とは何か

    あらためてお寺とは何かお寺は、檀那寺とも菩提寺ともいわれます。檀那とは、インドの施与を意味する言葉ダーナを音写した言葉で、檀那寺とは施主が供物をささげる寺院という意味となります。そうした供養による功徳をご先祖の菩提のためにご回向する寺院との意から菩提寺ともいわれるようになったのでしょう。そうしたことからも、皆さん、お寺は、家族親族が亡くなった時に葬式をしたり法事のため、仏事を行うためにお寺があると思われているかもしれません。ですが、私は本当は生きてお寺をお支えいただいている檀信徒の皆様にとっても菩提(心の安穏)を得るべき所であって欲しいと思っております。その昔、そもそも國分寺は官寺として、鎮護国家をはじめとする諸祈願のために仏事にはかかわらず、厳重に不浄なることを忌避していました。ですから、今でも奈良の諸大寺は...あらためてお寺とは何か

  • いまここにいるわけ

    いまここにいるわけつい二三日前に思い出したことですが、今から三十年ばかり前、私がまだ四国を歩いて遍路している頃のことです。高野山の専修学院を卒業し、役僧として東京のお寺に住み込みで勤めをし、二年目にインドへ行きました。そのときにはヨガの聖地であるリシケシに行くことが主目的で、仏跡地にはブッダガヤのみに参詣し三か月ほど滞在し帰りました。その後そのお寺を辞して一人団地に住まいしておりましたが、それでも年に数度もそのお寺の行事のたびに呼んで下さり役僧として仕事をさせていただきました。そうして一僧侶として歩き出してはいたわけですが、お寺の生まれでもないため、その先の展望が何もなかったのです。自分では志を立てて僧侶の道に入ったと思っていたわけですが、はたして自分はこの先どうあるべきか、いかなる歩みをするべきか、いかなる僧...いまここにいるわけ

  • 松長有慶先生著 『訳注 弁顕密二教論』を読んで

    【六大新報令和四年二月五日号掲載】松長有慶先生著『訳注弁顕密二教論(べんけんみつにきようろん)』を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズの最終巻となる『弁顕密二教論(以下『二教論』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。表紙の帯に、『なぜ密教はすぐれているのか。法身説法(ほつしんせつぽう)を高らかに宣言した代表作!』とある。あとがきには、唐より自ら請来(しようらい)したすばらしい教えを一刻も早く日本宗教界に着実に伝えたいという大師の使命感に燃えた切実な思い、異常な熱気が漂う著作であるという。『密教辞典』(法蔵館)には「真言宗の判教のうち横の判教を説く(竪の判教は十住心論)。専ら顕教(けんぎよう)と密教との区別を明瞭にした立宗宣言の書である。六経三論を典拠に挙げて縦横に論陣を張る。」とある。確かに一読してみ...松長有慶先生著『訳注弁顕密二教論』を読んで

  • 慈しみの修習

    先月1/10投稿した「四無量心と十善に生きる」の四無量心について、具体的な修し方について述べていませんでした。慈悲喜捨の心をまずは自分に向けて、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますようにと念じます。それから周りの身近な人たちが、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますように、と身近な人たち一人ひとりの顔や姿を思い浮かべながら念じます。そして、生きとし生けるものが、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますように、とこの町の、この市の、この県の、この国の、世界の人々、さらには動物も昆虫も、地中のものも空中のものも、餓鬼も天...慈しみの修習

  • 『閔妃暗殺ー朝鮮王朝末期の国母』を読んで

    『閔妃暗殺ー朝鮮王朝末期の国母』を読んである国際政治学者の先生のネット記事を拝見し、是非とも読まねばならないと思い読んだ。ノンフィクション作家・角田房子氏による日韓近代史の中の知られざる大事件を緻密な取材と日韓の資料を調査しての労作であり問題作である。その大事件とは1895年(明治28年)10月8日に朝鮮王宮にて日韓の武装した暴徒によって王妃が惨殺されたとする閔妃暗殺事件である。私たち日本人のほとんどが知らない事件ではあるが、韓国の人たちには日本の忠臣蔵同様に老若男女誰もがよく知っていることだという。著者も触れていたが、そんな大昔のことではない、つい百年(今年で127年)前のこの大事件を日本人はまったく知らずに過ごしている。これを知らぬして日韓親善も相互理解も、また併合時代の強制労働や慰安婦問題も簡単に口にして...『閔妃暗殺ー朝鮮王朝末期の国母』を読んで

  • 四無量心と十善に生きる

    穏やかな正月を過ごされ、すでに日常に戻られたであろうか。今年も一年心身ともに健康でありたいものだと誰もが願うことであろう。今國分寺の仁王門横の掲示板には、仏陀の写真にヒンディ語の格言が入り、それを翻訳し「身体のための一番よい治療は、頭静まり平穏な心である。そして、その平穏な心のために最もよい治療は、誰の言葉であっても、胸に重く受けとらないことです。」と印刷した小ポスターを掲示している。これは、『saccibaten(サッチー・バーテーン)』真実の言葉という意味の名前で、フェイスブックやインスタグラムに参加して、ヒンディ語で古今のインドの格言などを投稿しているインドのグループが昨年の10月1日にアップした内容である。一昨年から時々翻訳しては掲示しているもので、過去に何度か投稿されたものに日本語訳を書いてコメント欄...四無量心と十善に生きる

  • 年頭所感 他との共生により生きる

    年頭所感他との共生により生きる毎朝薬師如来を拝む。供養法とも、行法とも言い、薬師如来を本尊とする仏様方へ心からの供養をささげる真言密教の一座作法である。本尊様を祀る須弥壇前に設えた大壇の中心に仏様をお迎えし供養をささげ、一心に行者と仏様との融合一体なる瞑想に入る。そして、世界の安泰平和と人々の安穏幸福を願うのである。この行法の中に、いくつもの瞑想法が挿入されている。大壇前の礼盤に座る前にすでに、行者は足の下に蓮華を観じ三礼する。そのあと、半跏趺坐して身支度を整え、神仏へ挨拶を述べる。そして、四無量心観という慈悲喜捨の瞑想に入り、心を浄め、それから、心中に本尊様をはじめとする仏様方の世界を映像を観想する。外界との交渉を遮断して、閼伽水、塗香、華鬘、焼香、飯食、燈明の六種の供養を捧げてから、この行法の中心をなす三種...年頭所感他との共生により生きる

  • 備後國分寺だより 第60号

    備後國分寺だより第60号休み堂の『俳額』について昨年八月二十日、東広島市からわざわざ國分寺の俳額(はいがく)をご覧に研究者の方々がお越しになりました。俳額といわれてもピンと来ないかもしれません。休み堂正面上部に、細長い木に何か書いてあり、周りを雲の形に刻んだ枠が取り付けられた額が掲げられています。何か掛けられていることは存じていましたが、それがどんなものかも知らず、伝え聞くこともなかったため、大して気にかけて見たこともなかったのでした。しかし、お話を聞くと、芸備地区の俳諧の研究に生涯没頭された広島文教大学下垣内和人(しもごうちかずと)先生の本に、備後國分寺のこの額のことが記されており、それも江戸時代中期の宝暦四年(一七五四)に奉納された貴重な文化財であるとのことでした。ところで、今日俳句は盛んに愛好され嗜む方も...備後國分寺だより第60号

  • 功徳について

    功徳について功徳というのは積むものです。どれだけたくさん功徳を積むか、それによって生き方も変わるし、よき人たちとの人間関係もでき、よき人生を送り、来世にも影響すると考えるのはインド人くらいでしょうか。いやいやミャンマーやタイの仏教徒でも、昼夜働いてたくさん稼いで仏塔をつくり高僧を招いて開眼してもらうという人もあるようです。それは自分によき来世、恵まれた幸福な来世をもたらすはずだと信じての行為であり、すさまじいばかりの信仰心だといえます。日本にはそこまでの人はないかもしれないが、信仰心とも思わずに立ち寄ったら必ず神社やお寺で神仏に手を合わせ賽銭を投げる人はあるでしょう。きちんと仏壇に向かって毎朝お経を唱えている人も多いはずです。こちらのお寺でも毎朝お勤め途中に何人かの人が参ってきて、賽銭を入れ、鐘を撞いて手を合わ...功徳について

  • いま、あらためて仏教徒にもとめられること

    いま、あらためて仏教徒にもとめられること混迷を深めるこの時代に、私たち仏教徒はいかにあるべきなのか。私たちにとっての仏陀であるお釈迦様の事跡に則り考えてみたい。①世間の通説にとらわれず自ら考えるお釈迦様は、紀元前六世紀インド北部の小国釈迦国の王子として生を享け、出産時に母を亡くし継母に養育された。そんなこともあってか、幼少の頃からよく物思いにふける方であったと伝えられている。気がつくと木の下に佇み目を閉じて黙想ないし坐って瞑想されていた。中インドの大国コーサラ国の属国として釈迦族の置かれた現実を思い、自分の立場をわきまえつつ、生きるとは何か、なぜ苦しみ多き人生を人は生きねばならないか、どうあるべきかと、沈思瞑想に耽られたのではないか。出家された時のいきさつを語る伝説に四門出遊という物語がある。ある日西の門から城...いま、あらためて仏教徒にもとめられること

  • 寺とは何か、檀信徒とは。

    寺とは何か、檀信徒とは。お寺は檀信徒の菩提所であり祈願所でもある。だがそうあるためにはお寺はどうあるべきなのか。本来お寺とはいかなるものなのか。檀信徒とはどのような方々なのか。インドで最初にできたお寺は、ヴィハーラ・精舎といわれ、修行に精励する比丘・遊行僧のための粗末な建物に過ぎなかった。勿論そこで有徳の長老僧から教えを聞き、坐禅瞑想の手ほどきを受け、ウポーサタ・布薩という、ひと月二回の戒本の読誦を聞き精進を誓った。それがサンガーラーマ・伽藍といわれるような、仏像を祀った礼拝所と宿泊所があり、のちに栴檀林といわれるような学問所ができるのはずっと時代を経てからのことである。因みに、寺とは、中国で最初に西域から来た僧が泊まったのが鴻臚寺という役所であったため、僧侶の住まいを寺と言うようになったという。さらに、実質的...寺とは何か、檀信徒とは。

  • 休み堂の俳額について

    休み堂の俳額について先月二十日、東広島市からわざわざ國分寺の俳額をご覧に研究者の方々がお越しになった。俳額といわれてもピンと来ないかもしれない。休み堂正面上部に、細長い木に何か書いてあり、周りを雲の形に刻んだ枠が取り付けられた額が掲げられていることは存じていたが、それがどんなものかも知らず、伝え聞くこともなかったため、大して気にかけて見たこともなかったのである。しかし、お話を聞くと、芸備地区の俳諧の研究に生涯没頭された広島文教大学下垣内和人先生の本に、備後國分寺のこの額のことが記されており、それも江戸時代中期の宝暦四年(1754)に奉納された貴重な文化財であるとのことであった。ところで、今日俳句は盛んに愛好され嗜む方も多いが、この俳句といわれる文芸のもとは俳諧といわれるものだったという。その起こりは、とても古く...休み堂の俳額について

  • 備後國分寺だより 第59号

    備後國分寺だより第59号(↓よろしければ、一日一回クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)にほんブログ村にほんブログ村備後國分寺だより第59号

  • 煩悩について 3

    煩悩について3一昨日の懇話会にて、煩悩についてお話しました。煩悩とはそもそもどのようなもので、どんな心が該当するのか。そしてそれを取り除くためにどのようにしたらよいのかということについても初期経典の内容に沿ってお話しました。しかし、大まかな流れにとどまり消化不良甚だしいものだったようで、あとから、難解なお話でしたが、最後の四行に救われました、と言いに来られた方があり、もう一度わかりやすく解説することが必要のようです。そこで、もう一度、①から⑦まで順に考えてみたいと思います。①これは、見ることとありますが、これは智慧の眼のみで見ることとテキストにもあり、煩悩が生じない思惟すべき法を見る、という意味となります。そして、欲の煩悩、生存の煩悩、無明の煩悩と三種の煩悩について生じないよう増大させないように思惟すべきである...煩悩について3

  • 松長有慶先生著 『訳注 吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

    (六大新報令和3年7月15日号掲載)松長有慶先生著『訳注吽字義釈』(春秋社刊)を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第五巻『訳注吽字義釈(以下『吽字義』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。実は昨年からこの時期に本書が発刊されることを承っていたので予習にといくつかの解説書を手にしたのではあったが、どれも難解で理解するに至らなかったのである。しかし本書を拝受し、その概説に続き本論特に【現代表現】を中心に読み進めてみると、私のような初学者にもとても分かりやすく、一日で最後まで読み通すことができた。表紙の帯には、「文字と真理の密接な関係性を解き明かす、空海思想の代表作!」とある。早速頁をめくると、まず「『吽字義』の全体像」が説かれ、『吽字義』とは何かを簡潔明瞭に知ることが出来る。『吽字義』は、言うまでもなく...松長有慶先生著『訳注吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

  • 煩悩について 2

    煩悩について2前回煩悩について、お釈迦様の時代から部派仏教、そして大乗仏教にいたり、次第に増えるたくさんの煩悩を数え上げてその内容にも触れ見てきました。今回は、懇話会でのご質問「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのか」ということについて、順に考えてまいりましょう。まずお釈迦様の説かれる煩悩の断ち切り方について見てまいります。パーリ中部経典の第二・『一切煩悩経』に、あらゆる煩悩を防止する法門について説かれています。邪な思惟をする者には、煩悩が生じ増大するけれども、正しく思惟する者には煩悩は新たに生じず生じている煩悩は断たれるとあります。そして煩悩を防止する方法として、見ること、防護、受用、忍耐、回避、除去、修習の七種あるとしています。では、まず①見ることによってどのように煩悩を断つのか。思惟すべきもの思惟すべきでな...煩悩について2

  • いま、メディアリテラシーが問われている

    (六大新報令和2年8月15日号掲載令和2年7月記)いま私たちは自主規制の世の中を生きている。これまでには考えられないような窮屈な時代になった。どこに行くにもマスクが必要で、建物の入り口で手指を消毒し、体温を測定されたり人との距離を測られ、話をすることも控える自粛が当然という空気が漂う。テレワーク、オンライン授業、オンライン飲み会、オンライン帰省というのもあったが、なにを馬鹿なことをと思えることがまことしやかに行われる。しかし、いかにもそれが良いことのようにも思えてくる不思議な世界に生きている。これがいつまで続くのか、もう元の生活には戻れないなどという人までいるようだが、誰がこんな不愉快な世の中にしたのか。「本日の新型コロナウイルスの感染者は…」という、毎日降り注ぐテレビをはじめとするマスコミ報道に洗脳された私た...いま、メディアリテラシーが問われている

  • 救われるということ

    2012年01月29日投稿の原稿に小見出しを付けて再掲載します。救われるということ先月の仏教懇話会で、DVD『親鸞・白い道』(三國連太郎監督作品)を皆さんとともに拝見しました。今日では大きな宗派の開祖として祀りあげられている祖師ではありますが、そのどん底の生活ながら己の信じる教えを説き続けた生涯の、一時代を切り取った作品でした。時代背景人間関係も繋がらないいままに見終わり消化不良ではありましたが、苦労された祖師があり今があることを忘れてはいけないのだと思えました。鑑賞会の後に、「仏様を信じれば本当に救われるのでしょうか」と問われる方がありました。時間もかなり超過していたこともあり、きちんとお答えする間もなく終えてしまいましたが、この一ヶ月、ずっとそのことを考え続けていました。仏様を信じるとはどんなことだろうか、...救われるということ

  • すみませんを口癖にしない

    すみませんを口癖にしない『地球の最期のときにInDeep』という情報分析サイトがある。2015年ころからサイトを立ち上げられ、科学的な新説を紹介したり、社会の変化についての秀逸な分析記事を投稿されている。昨年の夏頃から、現在も世界中に展開するコロナ騒動についての深い見解、最新の情報分析と未来予測を常々参考にさせていただいてきた。とりわけ、昨年の米国大統領選の少し前に、バチカンの大司教で、ローマ教皇フランシスコと敵対していることで知られるカルロ・マリア・ビガノ神父がトランプ大統領に公開書簡を送ったという情報とその内容は、私にとり特に貴重なものであった。ここに紹介するのは、そのInDeepで2016年9月26日に投稿され、2020年8月20日に更新された記事《「すみません」という日本語を口から発することをやめること...すみませんを口癖にしない

  • 煩悩について

    煩悩について一昨日の懇話会で、仏教伝道協会発行の『さとりの知恵を読む』の「仏のたとえ話6粗金のたとえ」を読んでいたら、首楞厳経の一説に「心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去るとどんな人でも、みなすべて同一の仏性を開き現すことができる」とあります。その解説には、迷い悩み苦しむ私たちではありますが、それは煩悩が邪魔をしているからで、その一つ一つの煩悩に気づき、これを取り去っていけば、仏になる性質・仏性を現し、それを発揮させて生きていけるのですと書いてありました。すると早速に、「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのですか」との質問がありました。貪瞋痴の煩悩と言われるわけですが、もちろん貪瞋痴はあくまでたくさんの煩悩を集約するものとしてあるわけです。一口に煩悩といっても様々ですから、まずは煩悩とはいかなるものかと考えてみ...煩悩について

  • 理趣経要旨

    理趣経要旨初段大楽(大きな欲)の法門金剛薩埵が教えの全体像を説く◯如是我聞あるとき大毘盧遮那如来(大日如来)が欲界最上部の他化自在天にて八十倶胝の菩薩衆金剛手観自在虚空蔵金剛拳文殊師利纔発心転法輪虚空庫摧一切魔の八菩薩に◯(理趣経の眼目)一切法の清浄の句の法門を説く(現象世界に存在するすべてのものが本質として清浄である)◯十七清浄句①妙適は、男女の快楽を指すが、「妙適清淨」となると、自と他の分け隔て無い自他不二平等ということ②欲箭は、その快楽を得んとする欲望の起こることを指すが、「欲箭清淨」となると、永劫不滅の清浄の境地を得んとする欲を起こすこと③触は、この欲により抱擁することであるが、「触清浄」とは、欲箭を本として正しく大楽の実相に触れること④愛縛は、触によって離れがたい心を生ずることであるが、「愛縛清浄」と...理趣経要旨

  • 花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで

    花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで1995年7月発行の中公文庫・花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を再読した。阪神淡路大震災の年に発行されているので、おそらくボランティアで、何度も神戸と東京を往復し、その後インド・コルカタの僧院で雨安居を過ごしてから帰国した頃購入した本であったろうと思われる。どういう思いでそのころ読んだのかは思い出せないが、この度再読したのは、昨年夏頃から毎週楽しみに視聴しているYOUTUBEの音楽報道番組『HEAVENESESTYLEヘブニーズスタイル2021.2.21号』にて東條由布子さんを紹介されていたことにある。その番組を拝聴しながら、先の戦争開戦時の東条英機総理が戦争犯罪人という汚名を一身に背負わされたのは、報道機関並びに日本人一人一人の責任転嫁に外ならな...花山信勝著『巣鴨の生と死-ある教誨師の記録』を読んで

  • 備後國分寺だより 第58号(令和3年4月4日発行)

    令和3年4月号(B5・16ページ・年三回発行)〇聖武天皇なぜ國分寺を建立されたか聖武天皇は藤原氏によって誕生した天平十三年(七四一)に「國分僧寺尼寺建立の詔(みことのり)」を発せられる聖武天皇は、後に天皇の外戚として日本政治の中枢で大きな権力を恣(ほしいまま)にする藤原氏に育てられた最初の天皇陛下でした。藤原氏が歴史の舞台に登場するのは「大化の改新」と私たちが習った事件からであり、今では「乙巳の変(いつしのへん)」といわれています。外国の使節団の前で皇極天皇(こうぎよくてんのう)も臨席する中で当時の総理大臣の地位にあった蘇(そ)我入鹿(がのいるか)を、後の天智天皇となる中大兄(なかのおおえ)皇子(のおうじ)と藤原氏となる中臣鎌足(なかとみのかまたり)の二人が惨殺し、政権を転覆させるクーデターであったと考えられて...備後國分寺だより第58号(令和3年4月4日発行)

  • 備後國分寺だより 第57号(令和3年1月1日発行)

    令和3年正月号(B5・16ページ・年三回発行)〇【六大新報令和二年七月二五日号掲載】松長有慶先生著『訳注(やくちゆう)声字実相義(しようじじつそうぎ)』を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第4巻『訳注声字実相義』(春秋社刊)を拝読させていただいた。『声字実相義』(以下『声字義(しようじぎ)』と略す)は、『密教辞典』(法蔵館刊佐和隆研編)に、真言教学の重要聖典、即身義、吽字義(うんじぎ)とともに三部書の一つとある。従って、専修学院時代に多少の知識は得ているはずなのだが、はたしてどのような内容であったか記憶に乏しい。もとより一から学ばせていただく気持ちで本書を開いた。そこには、凡例(はんれい)に続いて参考文献として、真言宗全書、智山(ちざん)全書、豊山(ぶざん)全書などより、鎌倉時代から江戸時代までの学僧による...備後國分寺だより第57号(令和3年1月1日発行)

  • 祈りについて

    祈りについて四月の護摩供後の法話私たちは、だれもが自然に、幸福を願うし、不安や恐れから逃れたいと思い、願い祈る。しかし仏教ではいつのころからか、学問仏教としては、祈り、つまりご祈祷や祭祀儀礼は仏教にあらずというような観念が浸透している。現世利益を求めるなどというのは仏教ではないという。確かに初期経典の中にもそのようなくだりはあるけれども、はたしてそうなのであろうか。たしかに、パーリ長部経典には、「信者から施された食べ物で生活しながら、・・・火の献供、・・・王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術・・・そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている。これもまた、比丘の戒です。」(第4ソーナダンダ経他)とある。しかしこれは、悟りに日々精進する比丘方の戒としての記述であり、そのような人々にとって無益であると言われたに過...祈りについて

  • 懺悔とは

    懺悔とは3月の護摩供後の法話今年の初護摩では、礼拝について述べました。礼拝に込める万感の思いというような少々重たい話になりましたが、今日はその続きとなる懺悔について話してみたいと思います。懺悔と、さんげと濁らずにいうと仏教の懺悔となりますが、ざんげと発音しますとキリスト教でいう懺悔となります。神の前に自らの罪を告白するというような意味となるわけですが、それと仏教の懺悔がどう違うのかというようなことであります。山岳修行にいきますと、山に登っていく道すがら、「懺悔懺悔六根清浄」とかけ声をかけ、同行の人らで繰り返し唱えながら歩きます。山岳修行といえば、吉野の大峰山、羽黒山など出羽三山、それに九州福岡の英彦山などが有名な修験道の霊場となりますが、皆同じように山伏の格好をして白装束に地下足袋を履いて山を登っていくわけです...懺悔とは

  • 仏教徒いかにあるべきか

    仏教徒いかにあるべきか昨日の法事後の法話に坐禅会での話を加筆今日はお父さんお母さんの三回忌七回忌を併せて行いました。三回忌は阿弥陀如来、七回忌は阿閦如来が本尊となります。この掛け軸には中央の大日如来の左下に阿弥陀さん、左上に阿閦さんが居られます。回忌毎に本尊様が移っていきますので、こうして掛け軸を掛けていただき法事を営むことになっています。さて、こうして十三仏の掛け軸を掛けて経を読み法事を営むのは皆さんが仏教徒であるからです。仏壇を構えるお宅は仏教徒のご家族と、例えば外国の方が見ればそう思われます。ですが、皆さんは自分が仏教徒であるという認識はない。でも、海外に行って入国カードなどにある宗教覧になんと書くのかといえば、やはりブッディストと書くのではないかと思うのです。そこで今日は仏教徒とは何か。いかにあるべきか...仏教徒いかにあるべきか

  • 後生がいい人、Kさんの思い出

    後生がいい人、Kさんの思い出(昨日の護摩の後話した内容に加筆しました)Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと私たちのことを気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわしたことがあった。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなか...後生がいい人、Kさんの思い出

  • 世の中と仏教

    世の中と仏教2008年01月13日投稿分を再掲します(ある方からのご質問に対する返事として書いた文章です。この世の中の様々な問題と仏法とはどのように関係し、どのような恩恵があるのかとのご質問でした。多少の改訂をしてあります)○○様私も実は、この世の中の成り立ちと仏教がどのように関係し、どのように説明されるものなのかにとても興味があります。現実の私たちの生活の様々な悩みの中に立ち向かい、それらをこともなく救い出す力が仏教にはあるはずです。大きな歴史の流れの中で今の現実はとても複雑な要素を併せ持ち、それぞれの人がそれぞれの立場と環境の中で歴史と対峙している。歴史などという大それたものを出してこなくとも、誰もが日々の生活に仏教が生かされなくてはいけないと思っています。まさに○○様が抱かれている様々な問題点についても同...世の中と仏教

  • 礼拝に込める思い

    礼拝に込める思い今年も初大師初護摩の日を迎え、早朝からたくさんの皆様お参りをいただきありがとうございます。世界は混迷を深めておりますが、私たちの日常はそれぞれに置かれたところでしっかり生きていかねばなりません。そこで今日は仏教徒にとって最も大事でもあり、また基本となる礼拝の意味するところについて考えてみたいと思います。今護摩行の初めと最後に、「オンサラバタタギャタハンナマンナキャロミ」と唱え礼拝しました。これは正しくはサンスクリット語では、「オーン・サルワ・タターギャタ・パダ・バンダナン・カローミ」となり、すべての如来方の御足を頂戴し礼拝します、という意味となります。インドの学校などに参りますと、子供たちが先生に挨拶する時、右手で先生の足を触りその手を自分の額に持っていき、それから合掌し、ナマスカールとニコニコ...礼拝に込める思い

  • うれしい友からの電話

    うれしい友からの電話一昨日からひどい冷え込みで、本堂の花瓶や供えた閼伽水も凍り、日中にも溶けないほど温度が上がらない中、昨日の坐禅会には9人もの篤信の方々が集い、10分の歩行禅、30分の坐禅を2度坐られた。ストーブを2つ置いての坐禅ではあったが、寒いせいかお寺の周辺に人の気配もなく、静まり返った中でよい坐禅が正月からできたと思う。坐禅後の茶話会では皆さん現在の世の中の状況にやや沈鬱な雰囲気にはなったのだが、それでも私たちは生きていかなくてはならず、すべてのことの真実を見つめながら日々の営みに集中しましょうということで散会した。そのあと、夕勤して寺務所に戻ると、遠路はるばる、ある高校の教頭先生をされている高校時代の友人から珍しく電話が入った。この人は私の人生の大事なところで精神的インパクトを与えてくれる貴重な存在...うれしい友からの電話

  • 真実は何か

    年頭所感騒がしかった一年が終わり新しい年が始まった。昨年は子年でもあり、いろいろな意味で新しいスタートの年になるのではないかというようなことを申し上げた。それがこんな感染症のパンデミックと騒がれる年になるとは思わなかったのではあるが、そのとき、トヨタ自動車の世界的な繁栄の陰に毎年幹部社員が長野蓼科の聖光寺に集結して交通安全祈願と交通事故死者への追悼を続け、奈良薬師寺の長老から法話を聞くということをされてきたという話をした。橋本凝胤老師開基のこの寺は1970年創建だから、昨年で50年になる。一般には公開せずにされてきたと言うが、そうした陰徳を積むということによってトヨタは今の繁栄がある。そして今、世界的に自動運転技術が競われる中で、ギル・プラットという有名なAI技術者はその聖光寺の話を聞いてトヨタに協力を申し出ら...真実は何か

  • 聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか

    聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか①聖武天皇は藤原氏によって誕生した天平十三年(741)に「國分僧寺尼寺建立の詔」を発せられる聖武天皇は、後に天皇の外戚として日本政治の中枢で大きな権力を恣にする藤原氏に育てられた最初の天皇である。藤原氏が歴史の舞台に登場するのは大化の改新と私たちが習った事件からである。今では乙巳の変といわれるようになり、外国の使節団の前で天皇も臨席する中で当時の総理大臣の地位にあった蘇我入鹿を後の天智天皇となる中大兄皇子と藤原氏となる中臣鎌足の二人が惨殺し、政権を転覆させるクーデターであったとされる。後に鎌足の子不比等が編纂の中心を担った日本書紀によって二人は英雄として描かれた。聖武天皇の母親は藤原不比等の娘宮子であり、生まれてからずっと不比等邸で育てられたという。そして、皇族でない、臣下の娘...聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか

  • 弥陀の浄土と薬師如来

    先日、地元の退職教職員組合の皆様がご参詣になられた。十年あまり前にもお越しになり、その時にはお寺の歴史について総代さんがお話になり、私は仏教について話させてもらったことを記憶している。今回は総代さんもお越しになっていないので、私が國分寺の歴史と堂内の仏様方について一時間余り話をさせてもらった。國分寺の話では、なぜ聖武天皇は大仏と國分寺を造ったのかというポイントに重点を置いて話し、堂内諸尊について話し始めるにあたり、丁度その日の朝日新聞朝刊に、宇治の平等院鳳凰堂の開創時の扉絵から弥陀の「九品来迎図」が見つかったとの記事があり、それをコピーして配布し、来迎の印・説法の印・禅定の印をそれぞれ見ていただいて、下品下生から上品上生までの九品浄土について話をした。そして、実は本堂の内陣には阿弥陀浄土から亡くなった信者を迎え...弥陀の浄土と薬師如来

  • 「人生は苦なり」を改めて今の時代に

    十四年も前に書いた文章を今改めて読むと、この時代を痛切に非難したものと読めてくる。()内に加筆することで心中ご理解いただけたらありがたい。人生は苦なり2006年12月01日09時39分56秒 仏教に関する様々なお話みんな誰でもが幸せになりたいと思う。不幸せになりたい人などいないであろう。山中鹿之助であっただろうか、「我に艱難辛苦を与えたまえ」とのたもうたのは。しかし、それは戦乱の世の中で、どのように生きたとしても修羅場であることを観念してのことであろう。たとえ辱めを受けたとしても今の地位、収入、立場を失いたくない。そんな価値観が根付いてしまってはいまいか。それは現代のこの国の姿勢そのものであろう。だから現代に生きる私たちは、だれもがそんな生き方を選択してしまいがちではないだろうか。しかしどんなに幸せを求め、うま...「人生は苦なり」を改めて今の時代に

  • 断捨離ということ

    断捨離ということ今台風10号が奄美地方に迫っている。これまでにないほどの大規模な暴風大雨による被害が予想されている。友人家族は大丈夫だろうか。何とか無事にやり過ごしてくれることを願うのみである。ところで、この夏はまさに記録破りの猛暑。観測史上最高に暑い8月だったとか。お盆を過ぎても、つい先日まで最高気温が35度36度という日が連日続いた。その暑さに毎日何も出来ない無為な日が続いたある日、何年も片付けられずたまりに貯まった空き箱やら書類の入った段ボールの積み重なった事務所隣のタンス部屋の片付けを思い立った。空き箱を外に出し、捨てられるものは仕訳して袋に入れ、焼けるものは外で焼却し、他に移動できるものは運び出した。掃除機を掛け、畳を拭いて、丸一日かかって念願の大掃除が出来た。その余勢を駆って、事務所の書類や本類、封...断捨離ということ

  • 松長有慶先生著 『訳注 声字実相義』(春秋社刊)を読んで

    【六大新報七月二十五日号掲載】松長有慶先生著『訳注声字実相義』(春秋社刊)を読んで松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第4巻『訳注声字実相義』(春秋社刊)を拝読させていただいた。『声字実相義』(以下『声字義』と略す)は、『密教辞典』(法蔵館刊佐和隆研編)に、真言教学の重要聖典、即身義、吽字義とともに三部書の一つとある。従って、専修学院時代に多少の知識は得ているはずなのだが、はたしてどのような内容であったか記憶に乏しい。もとより一から学ばせていただく気持ちで本書を開いた。そこには、凡例に続いて参考文献として、真言宗全書、智山全書、豊山全書などより、鎌倉時代から江戸時代までの学僧による十四の注釈書が掲げられ、さらには英語ドイツ語の文献を含む、近代の三十二の解説書、研究書まで一覧にある。それらは本文に【略記号】で文献を表...松長有慶先生著『訳注声字実相義』(春秋社刊)を読んで

  • 備後國分寺だより 第56号(令和2年8月1日発行)

    令和2年4月号(B5・16ページ・年三回発行)◯ラタナ・スッタを唱えて新型コロナウイルス感染終息のために四月五日、國分寺の恒例行事、土砂加持法会が執り行われました。世界が震撼する新型コロナウイルス感染拡大に伴い、受付時間を遅らせ、飲食を控えるなどの対策のもとで執行いたしました。土砂加持法会は、檀信徒各家先祖各霊の得脱のために修される法会ではありますが、この度は新型感冒感染症終息平癒祈願を併せ行いました。お釈迦様在世時のことですが、ヴァッジー国の首都ヴェーサーリーで、飢饉から疫病が蔓延し人々が苦しむさまを見て、阿難尊者とともにラタナ・スッタ(宝経)を七日間唱え続けて平癒せしめたとの故事があります。そこで、職衆(しきしゆう)が土砂加持法則(ほつそく)により法要が進む中、導師は光明真言法を修法し、前供養終わって、観法...備後國分寺だより第56号(令和2年8月1日発行)

  • 追悼 ボーディパーラ比丘 Bhikkhu Bodhipala

    追悼ボーディパーラ比丘BhikkhuBodhipalaインド・ベンガル人比丘ボーディパーラ師が、昨日午前8時20分コルカタの病院で亡くなられたという。まだ46、7なのに、なぜ死んでしまったのか。一昨日入院して、新型コロナ検査陽性だったとしか解っていない。はたして死因は何だったのか。遠く離れていて聞くこともかなわない。ベンガル仏教会(TheBengalBuddhistAssociation)の事務総長(GeneralSecretary)として、連日太った身体を揺らしながら、コロナの為に困窮している家族や施設、また水害に遭った地域に慰問に出かけ、食料や水を施している様子がフェイスブックでいくつもアップされていた。かなり疲労がたまっていたのかもしれない。最後に見た彼の動画は黒い肌が白く見えるほど生気がなかった。いつも...追悼ボーディパーラ比丘BhikkhuBodhipala

  • いまをいかに生きるか

    いまをいかに生きるか今年も半年が過ぎた。年初の話題は年末に起きたゴーン被告の国外逃亡事件に始まり、イランの民兵組織の司令官をアメリカがドローンで殺害し、それに対しイランがイラクの米軍駐屯地を攻撃して、あわや第三次世界大戦下とのニュースが世界中を駆け巡った。その頃は、今年は何が起こるかわからないなどと思っていたが、その後二月頃から毎日毎日コロナコロナで、世界中が奇妙な世界に取り込まれたようになっている。この不安定なというか不安な時代を私たちはどう生きたらよいのか。同じ列車事故に遭っても、怪我をする人もいれば、まったくかすり傷一つ無い人もある。大きな地震に見舞われて、家の下敷きになって亡くなられてしまう人もあれば、家は全壊したにの、不思議なことに家具と家具が交差したお蔭でその空間に入りこみ助かる人もある。インフルエ...いまをいかに生きるか

  • 自ら確かめよ

    自ら確かめよ増支部経典(三の部65)にあるお経から、自ら確かめることの大切さについて学んでみたい。お釈迦様がコーサラ国のケーサプッタという町に来たときのこと、この町のカーラーマ族の人々から、沙門バラモンなど修行者たちがやってきては、彼らは自分の説だけを明らかにして、他の説をののしり、そしり、無能呼ばわりするけれども、それら尊者沙門たちの中で、一体誰が誠に語り、誰が偽っているのかという疑いと惑いがあるのですと語った。するとお釈迦様は、それは疑い惑うのは当然のことであるとされて、ある説かれたことを受け取るときには、①聞き知ったことにたよってはいけない、②伝え承けたことにたよってはいけない、③言い伝えにたよってはいけない、④自分たちの聖典集成の中に承認されているということにたよってはいけない、⑤思弁にたよってはいけな...自ら確かめよ

  • 史跡・備後國分寺について

    國分寺は、今からおよそ1280年前、天平13年、西暦では741年に聖武天皇が、「國分僧寺尼寺建立の詔」という詔勅を発せられまして創られたお寺です。全国66州、それに島に二つ、都合68の國分寺が出来て参ります。なぜ聖武天皇は國分寺を造ろうとされたのか。その詔の100年くらい前に乙巳の変と言われるクーデターがありましたが、当時都の政治は度重なる不穏な事件が立て続けて起こり、また饑饉や災害疫病が蔓延する混迷を深めた時代でした。そこで、聖武天皇には仏教という進んだ精神文化の導入により国を刷新し、つくり換えたいという志があったと考えられます。天武天皇の時代にすすめられた、中国に倣った律令制度によって政治経済が調えられつつあり、そして聖武天皇の時代に、中央には東大寺各国に國分寺を造り、政治経済の中心である都への中継拠点とし...史跡・備後國分寺について

  • 大法輪休刊に寄せて

    大法輪休刊に寄せていま私の手に、昭和九年十月一日発行の大法輪創刊号がある。これはここ國分寺の先々代猪原泰雄院家が購入し書庫に大切に保管してきたものである。赤字で大法輪、その下に黒字で創刊號とあり、信貴山縁起の剣の護法飛行の図が描かれている。目次は大きな法輪を左右に開くと開陳され、上部四分の一のスペースに地獄極楽図が描かれ、髙楠順次郎博士や加藤咄堂、高島米峰など仏教学者に加え、政界官界からの激励や「現代病根」と題して四十人もの著名人から、当時の焦燥感とその解消策についての短文が寄せられている。また創作小説が八本も掲載されており、仏教にまつわる題材を絡めた、いずれも興味深い内容である。創刊の辞には、「時は正に非常時、國運進展せんとして、東亜の新黎明に、警鐘が鳴る。思想問題に、國防問題に、農村問題に、生活問題に、その...大法輪休刊に寄せて

  • ラタナ・スッタについて考える-新型コロナウイルス感染終息のために

    ラタナ・スッタについて考える-新型コロナウイルス感染終息の為に新型コロナウイルス感染症の終息平癒を願って世界中で毎日唱えられているラタナ・スッタについて、それはいかなる経典なのか考えてみたいと思う。既に前回述べているとおり、これは、ブーターという、日本で言えば霊たち、沢山の目に見えない生存を取らざるを得なかったものたちに向けて、この世の宝とは何か、大切にすべきものは何か、と教え諭していき、人々に悪さをせずに、ともに幸せであれと祝福するお経である。つまり、本当に目指すべきは何か、どうあるのが幸せというのかと教える内容となる。ラタナ・スッタは17の美しい偈文によって構成されている。初めの2偈は、これから説く内容についてよく聞きなさい、霊たちよと呼びかけ、この経典の総論である、人々を慈しみ守りなさい、ともに幸せであり...ラタナ・スッタについて考える-新型コロナウイルス感染終息のために

  • ラタナ・スッタを紐解く-新型コロナウイルス感染終息のために

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  • ラトナスッタを唱えて

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  • 備後國分寺だより 55号

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  • 備後國分寺だより 第51号

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  • 法事とは何か

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  • 東大寺お水取りと懴悔について

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  • 2/2/15涅槃会法話 〈お釈迦様の遺言〉

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  • 続 薬師如来の真言はなぜ「オンコロコロ・・・」なのか

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  • 薬師如来の真言はなぜ「オンコロコロ・・・」なのか

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  • なぜ葬儀は必要か-初護摩後の法話より

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  • 『構築された仏教思想 空海』(2019年12月15日佼成出版社刊)を読んで

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  • 『アジア的融和共生思想の可能性』第一章「梵天勧請思想と神仏習合」に学ぶ

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  • 令和二年元旦護摩後の法話

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  • ◎仏教というライフスタイル3◎ [平成8年(96)4月記]

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  • ◎仏教というライフスタイル2◎ [平成8年(96)3月記]

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  • ◎仏教というライフスタイル1◎ [平成8年(96)1月記]

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  • お釈迦様の教え [平成6年(94)10月記]

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  • ベンガル仏教徒の歩み-失われた栄光のために-2 [平成11年(99)7月記]

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