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出身
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ハンドル名
Enoの音楽日記さん
ブログタイトル
Enoの音楽日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/eno1102
ブログ紹介文
オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。
自由文
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Enoの音楽日記さんのブログ記事

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  • METライブビューイング「マーニー」

    METライブビューイングで新作オペラ「マーニー」を観た。ニコ・ミューリーの作曲。1981年生まれの若い人だ。本作は3作目のオペラ。2017年にイングリッシュ・ナショナル・オペラ(以下「ENO」)で初演された。メトロポリタン歌劇場(以下「MET」)での初演は2018年10月。「マーニー」はヒッチコック監督の映画で有名になった。原作はウィンストン・グラハムの小説。METライブビューイングの幕間のインタビューによると、今回演出を手掛けたマイケル・メイヤーがMETにオペラ化を持ちかけた。「作曲はだれに頼む?」と訊かれて、「もちろんニコだよ!」と答えたそうだ。それから5年かかった。ENOでの初演後、METでの初演に向けて、さらに手直しをした。新作オペラが生まれるまでの創造行為が窺われる。それと同じことが今、新国立劇場でも...METライブビューイング「マーニー」

  • 山田和樹/読響

    山田和樹らしい濃いプログラム。1曲目は諸井三郎の「交響的断章」。諸井が小林秀雄や河上徹太郎、中原中也らと「スルヤ」をやっていた頃の作品だ。スルヤとは懐かしい。中原中也の愛読者だったわたしは、その名をよく知っていた。諸井はその頃中也の「朝の歌」に作曲したはずだ。どんな曲だろうと思いながら、(数えてみると)40年以上たったわけだ。「交響的断章」はロマン派風の曲。演奏時間は約14分。明らかに習作だが、ともかく東大の文学部に通いながら、独学で作曲を学んだ諸井の、当時の面影がしのばれる。諸井はその後、ベルリン高等音楽院で学び、本格的なシンフォニストになった。わたしたちはその姿に、サントリーホール・サマーフェスティヴァル2017で演奏された交響曲第3番で触れている。2曲目は藤倉大のピアノ協奏曲第3番「インパルス」。ピアノ独...山田和樹/読響

  • 大野和士/都響

    大野和士指揮都響のAプロ。1曲目はブゾーニの「喜劇序曲」。ある架空の喜劇のための序曲というか、実際の喜劇は存在せず、序曲だけが書かれたもの。「これからどんな喜劇が始まるんだろう」というワクワク感がある。そう感じたのは、演奏がよかったからでもあるだろう。大野和士のオペラ指揮者としての蓄積が滲んでいた。2曲目はマーラーの「少年の不思議な角笛」からの抜粋。テノール独唱はイアン・ボストリッジ。「ラインの伝説」と「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」では、往年のボストリッジの声の伸びがなく、もう峠を越えたかと思われた。続く「死んだ鼓手」と「少年鼓手」では、声の伸びには欠けるものの、寂寥感の表出が意欲的で、ボストリッジのやりたいことが感じられた。最後の「美しいトランペットの鳴り渡るところ」では、往年の声の伸びが垣間見られ...大野和士/都響

  • ドゥネーヴ/N響

    フランス近代音楽を中心としたニューイヤーらしいプログラム。1曲目はルーセルの「バッカスとアリアーヌ」第2番。最後の狂宴(バッカナール)での興奮はラヴェルの「ダフニスとクロエ」の最後を連想させた。ステファヌ・ドゥネーヴ指揮N響の演奏も、アンサンブルが見事だった。2曲目はサン・サーンスのチェロ協奏曲第1番。チェロ独奏はゴーティエ・カプソン。わたしは初めてではないが、あらためてその姿を見ると、典型的な美男子だ。1981年生まれというので、今では渋さも加わり、惚れ惚れするような紳士の雰囲気を漂わせている。そんな渋さと甘さを兼ね備えたフランス紳士がサン・サーンスのこの名曲を演奏する姿は、まことに様になっている。その演奏は、甘くしようと思えばいくらでも甘くできるこの曲を、むしろ渋めに演奏した。弱音中心でとくに中間部の出だし...ドゥネーヴ/N響

  • 大野和士/都響

    大野和士が振る都響の1月定期は、ブルックナーとプロコフィエフの各々の交響曲第6番をメインに据えたプログラム。同じ第6番でもベートーヴェンやマーラーではない点がお洒落だと思う。昨日はブルックナーの方だったが、ブルックナーではなくショスタコーヴィチ(の交響曲第6番)でもよかったかと、一夜明けた今は思う。でも、その話題に入る前に、演奏順に1曲目から。1曲目はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はコパチンスカヤ。現代の異才(=鬼才)だ。その人気ゆえか、チケットは完売だった。シェーンベルクのこの曲は、キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルと3月の定期で共演し、また夏のザルツブルク音楽祭でも共演する。すばらしいというか、すごい演奏だった。そんな月並みな表現では何も表現できていないと思うほど、その演奏は際立っ...大野和士/都響

  • 黒井千次「流砂」

    2018年10月に発行された黒井千次(1932‐)の小説「流砂」(りゅうさ)。新聞各紙の書評欄で取り上げられたので、話題作といってもいいだろう。発行当時、作者86歳。その作者が70代の「息子」(作者自身)と90代の「父親」を主要な登場人物として書いた長編小説。もっとも、本作は完結せず、今後3部作に発展する。本作はその第1部。たしかに今後の展開を予感させる構成だ。多くの謎が仕掛けられ、それらの謎がどうなるか、興味が持続する。謎とはいっても、大仰なものではない。「父親」が戦時中に書いた「思想犯の保護を巡って」という研究報告がその中心にあり、思想検事として戦時中の一時期(二.二六事件の頃)を送った「父親」の生き方、そして今はそれをどう思っているか、と「息子」が抱く疑問(疑問というよりも、かすかな想い)が綴られる。かす...黒井千次「流砂」

  • 新作オペラとその台本

    2018年後半には新作オペラが3本世界初演(または日本初演)された。野平一郎(1953‐)の「亡命」、藤倉大(1977‐)の「ソラリス」そして松平頼暁(1931‐)の「TheProvocators~挑発者たち」。それら3作は、音楽的にはそれぞれの作曲家らしいスタイルを持つものだったが、台本には疑問を感じるものがあった。まず「亡命」だが、その台本にはがっかりした。ハンガリーの作曲家リゲティ(1923‐2006)とクルターグ(1926‐)をモデルにした(と思われる)登場人物の「亡命」を軸にした人生の軌跡を描くストーリーだが、とくにオペラの後半は伝記的な事実をなぞるだけで、著しく平板になった。また随所に挟み込まれるナレーションがまだるっこかった。台本作成は野平多美。失礼ながら、台本作成にどれだけの経験をお持ちなのか、...新作オペラとその台本

  • 2018年の回顧

    2018年はどんな年だったろうと振り返ると、個人的な出来事はさて措き、音楽では2017年のカンブルラン/読響の「アッシジの聖フランチェスコ」(メシアン)のような圧倒的な感銘を受ける演奏会はなかったというのが、まず思うことだ。だが、もちろん、記憶に残る演奏会はあった。最初に思い浮かぶのは、ピエール=アンドレ・ヴァラド/東響の「プリ・スロン・プリ~マラルメの肖像」(ブーレーズ)。サントリー芸術財団サマーフェスティバル2018での演奏。ソプラノ独唱は浜田理恵。この曲が日本初演されたとき(故若杉弘/都響の演奏だった)、わたしは出張と重なったので、涙をのんだ。それ以来、生で聴くのが念願になっていた。演奏は驚くほど精密なものだった。無数の均質な音で作られた精巧なガラス細工のような感触、といったらよいか。わたしは2015年の...2018年の回顧

  • 高橋悠治作品演奏会Ⅰ:歌垣

    高橋悠治(1938‐)の1960年代の作品を中心とした演奏会。今回が第1回で、第2回は2019年10月29日に予定されている。今回は15:30開演と19:00開演の2公演があった。年末なので家にいたかったが、がんばって2公演とも聴いた。聴いてよかったと思う。初めて聴く曲ばかりなので、1回目は音を捉えるだけで精一杯、2回目でやっと音の流れを追うことができた。プログラムの前半は「クロマモルフⅠ」(1964)、「オペレーション・オイラー」(1968)、「あえかな光」(2018世界初演)。その中では「オペレーション・オイラー」がおもしろかった。オーボエ2本の曲。都響の首席奏者・鷹栖美恵子と東響の首席奏者・荒木奏美の演奏。2人は舞台の上手と下手に向かい合って立つ。その位置が1回目と2回目とで入替っていた。線の太い音の鷹栖...高橋悠治作品演奏会Ⅰ:歌垣

  • 青柳いづみこ「高橋悠治という怪物」

    青柳いづみこの「高橋悠治という怪物」(河出書房新社、2018年9月発行)を読んだ。ピアニストという同業者の眼から見た洞察に満ちた高橋悠治論だと思う。また、著者と同世代であるわたしには、人生の中でたどってきた時代が共通するので、時代の空気が蘇ってくるおもしろさもあった。たとえばこんなくだりがある。「1970年代前半、私が東京藝大のピアノ科に在籍していたころ、理論武装した友人が高橋悠治の本を持ち歩いていた。持っているだけでかっこいいという雰囲気があった。本のタイトルはおぼえていないが、おそらく74年11月に刊行された『ことばをもって音をたちきれ』だろう。」これなどまるで当時のわたしを見るようで赤面する。わたしも同書を持って得意がっていた。そうさせるカリスマ性が高橋悠治にはあった。高橋悠治は武満徹や小澤征爾と並んで若...青柳いづみこ「高橋悠治という怪物」

  • 松平頼暁「The Provocators~挑発者たち」

    松平頼暁(1931‐)がオペラを書いた。そのこと自体はすでに公表されていたが、そのオペラを上演しようとする人々がいて、本来は室内オーケストラのオペラだが、まずピアノ・リダクション版(小内將人作成)で上演された。題名は「TheProvocators~挑発者たち」。台本は作曲者自身が英語で書いた。ストーリーは――ある架空の軍事独裁国での話。抵抗運動を続けるグループ(男1人と女2人)が隠れ住むアジトに、抵抗運動に加わるために男が1人現れる。徹底した監視体制のもと、性さえ厳しく管理される社会だが、新参者の男と女たちは欲情に溺れる。秘密警察官が時々訪れて賄賂を要求する。抵抗運動を続けるグループは、じつは国が軍備や警察力を増強するための口実に利用されていた。と、そう書くと、いかにもシリアスな話に見えるが、実際はそうでもない...松平頼暁「TheProvocators~挑発者たち」

  • アラン・ギルバート/都響

    アラン・ギルバート/都響のB定期(「春」のプログラム)を聴いたが、必ずしも満足できなかったので、C定期(「スペイン」のプログラム)も聴きに行った。同プログラムはA定期にもあるので、普通だったらA定期に行くところだが、当日は出張が入っていたので、平日マチネーではあるが、C定期に行った次第。C定期に行くのは初めてだった。さすがにシルバー世代が多いと思った。席にすわると、隣の席の人がひっきりなしに鼻をすするので、本当はいけないことだが、後ろの席にそっと移動した。演奏が始まると、今度は一つ空席をはさんだ隣の人が、大いびきをかき始めた。大いびきは1曲目の間中続いた。それもご愛敬だと思った。かくいうわたしだって、若者から見たら、同じような世代に見えるだろう。あれこれいえた義理ではない。その1曲目だが、曲はリヒャルト・シュト...アラン・ギルバート/都響

  • スカイライト

    イギリスの劇作家デイヴィッド・ヘア(1947‐)の「スカイライト」(1995年初演)を観た。場所はロンドンの場末のアパート。キラの住む部屋にトムが訪れる。キラとトムは3年前まで不倫関係にあったが、それをトムの妻に知られ、キラは姿を消した。その後、トムの妻は病気で亡くなった。キラを忘れられないトムはキラの部屋を訪れた――。本作は初演当時ローレンス・オリヴィエ賞の最優秀新作演劇賞を受賞。2015年にはトニー賞のベスト・リバイバル賞を受賞した。英米で高く評価されている作品。日本では1997年にパルコ劇場で上演された。とにかく台詞の量が膨大だ。第1幕80分、第2幕65分の間、山のような台詞が語られる。それは音楽のようでもある。ある一つの音が鳴ると、あっという間に無数の音が後に続き、巨大な波のように高まる。それが静まると...スカイライト

  • 吉村芳生展

    吉村芳生は1950年に山口県で生まれた。山口芸術短期大学を卒業して、広告代理店にデザイナーとして勤務した後、東京の創形美術学校で版画を学んだ。国際版画展に出品して高い評価を得たが、山口県に戻って地道な活動に入った。2007年に「六本木クロッシング2007」に出品した作品が大きな話題となり、現代アート・シーンの寵児となったが、2013年に早逝した。たとえば「ジーンズ」(1984年)は、一見写真と見紛う作品だが、じつは手で描かれている。紙に鉛筆で描いた作品と、フィルムにインクで描いた作品とがある。フィルムにインクで描いた作品の場合の制作過程は――(1)ジーンズをモノクロ撮影し、84.0×59.0㎝になるように写真を引き伸ばす。(2)(1)で用意した写真に鉄筆で2.5×2.5㎜のマス目を引く。各マス目の濃度を10段階...吉村芳生展

  • 葵トリオ

    今年9月に開かれたミュンヘン国際音楽コンクールのピアノ三重奏部門で第1位を獲得した葵トリオの凱旋リサイタル。「葵」という名称は、ヴァイオリンの小川響子、チェロの伊東裕、ピアノの秋元孝介のそれぞれの名字の頭文字からとられている。花言葉の「大望、豊かな実り」への共感をこめているそうだ。プログラムは、以下順次触れるように、堂々たるもの。いずれもコンクールで演奏した曲だそうだ。コンクールは、録音審査、1次予選、2次予選、セミファイナル、ファイナルと続き、ファイナルに残ったのは3組。その中で葵トリオが優勝し、他の2組は同順位の3位となったそうだ。1曲目はハイドンのピアノ三重奏曲第27番。真嶋雄大氏のプログラム・ノートによれば、ハイドンはピアノ三重奏曲を「合計45ないし47曲」遺した。第27番は「おそらく1796年に書き上...葵トリオ

  • アラン・ギルバート/都響

    思えばアラン・ギルバートの指揮はN響時代から聴いている。長い付き合いになったものだ。N響時代の演奏では、2002年に聴いたショスタコーヴィチの交響曲第4番と、2007年に聴いたマルティヌーの交響曲第4番が今でも記憶に鮮明だ。その後、2011年に都響を初めて振ったときのブラームス(ハイドン・ヴァリエーションと交響曲第1番)とベルク(ヴァイオリン協奏曲)にびっくり仰天して現在に至っている。そんなことを想い出したのは、アランと都響との関係が、2011年の驚愕の出会いから今は落ち着いてきて、お互いの立ち位置を定めようとしている――と、そんな感じがしたからだ。今回のプログラムはメンデルスゾーン、シューマンとストラヴィンスキー。アランは8シーズンにわたるニューヨーク・フィル音楽監督時代に、CONTACT!とNYPHILBI...アラン・ギルバート/都響

  • ヘンゲルブロック/N響

    ヘンゲルブロックが初めて指揮したN響は、1曲目がバッハの「組曲第4番」。弦の8‐8‐6‐4-2の編成は、ヘンゲルブロックなら当然かもしれないが、その小ぶりな編成で、きびきびした、鋭角的な演奏が繰り広げられた。でも、それもヘンゲルブロックなら当然かもしれない。一方、その演奏に余裕のなさを感じたことには戸惑った。ヘンゲルブロックの演奏スタイルを楽しむ様子が、N響には感じられなかった。同じくピリオド・スタイルの演奏ではあるが、あのノリントンのユニークなスタイルをこなしていたN響なのに、といぶかった。2曲目はバッハの「前奏曲とフーガ「聖アン」」をシェーンベルクが大編成のオーケストラ用に編曲したもの。期待の演奏だったが、これにも余裕のなさがつきまとった。神経質な色合いはシェーンベルク特有のものだと思うが、その神経質な色合...ヘンゲルブロック/N響

  • 沼尻竜典/日本フィル

    久しぶりに日本フィルの指揮台に戻ってきた沼尻竜典が振る定期。1曲目はベルクの「歌劇《ヴォツェック》より3つの断章」。冒頭で弦の透明な、沈潜したようなハーモニーが聴こえてきたとき、その音はいつもの日本フィルとは違うと思った。その音はその後も崩れなかった。そこには沼尻竜典の成長した姿があった。同時に、ラザレフ、インキネンによってアンサンブルが鍛えられた日本フィルの姿もあった。そしてもう一つ、ゲスト・コンサートマスターの白井圭の効果もあったかもしれない。ソプラノ独唱のエディット・ハラーの、呟くような、ドラマ性をはらむ弱音から、ホールを揺るがす、朗々と響く大音量までの声のコントロールは、さすがにウィーンやミュンヘンの大劇場で活躍する第一線の歌手だけあると思われ、圧倒的だった。オーケストラの美しさと歌手の力量とが相俟って...沼尻竜典/日本フィル

  • ヴェデルニコフ/N響

    N響の12月の定期は、デユトワの来日が中止になったので、代わりにヴェデルニコフ、フェドセーエフ、ヘンゲルブロックが登場する。とくにヘンゲルブロックは、瓢箪から駒が出たようなもので、期待がつのる。そのヘンゲルブロックの演奏会は今週末にあるが、その前にヴェデルニコフの演奏会があった。曲目はオール・ロシア・プロ。1曲目はスヴィリドフ(1915‐1998)の組曲「吹雪」。元はプーシキンの原作に基づく映画のための音楽だが、それを演奏会用組曲に編曲したもの。そのためか、たいへんわかりやすい。明快で、ロシア情緒に浸ることができる。とくに第4曲(全体は9曲で構成)は、情感豊かな旋律が何度も繰り返され、そこにオブリガート旋律が絡まって、どこか懐かしい感じがする。驚いたのは第6曲「軍隊行進曲」。弦楽器はお休みで、木管、金管と打楽器...ヴェデルニコフ/N響

  • 「作曲家の個展Ⅱ」金子仁美×斉木由美

    今年の「作曲家の個展Ⅱ」は金子仁美(1965‐)と斉木由美(1964‐)。二人は同世代で、フランス留学の時期も重なっている。そんな二人が「お茶をしながら」練った企画テーマは「愛の歌」。一見して甘いテーマに見えるが、もちろんそんなことはなく、「愛の歌」はスペクトル楽派のジェラール・グリゼイ(1946‐1998)の曲名から取られている。金子はグリゼイに師事し、斉木も管弦楽法を学んだ。プログラムは前半が金子と斉木の旧作を1曲ずつ、後半が新作を1曲ずつ。演奏順とは前後するが、まず金子の作品から記すと、旧作はピアノとオーケストラのための「レクイエム」(2013)。東日本大震災のとき金子はパリにいたが、多くの人が心配してくれる中で、本作を書いた。演奏時間は20分くらいだったろうか(不確か)、その中で入祭唱→キリエ→怒りの日...「作曲家の個展Ⅱ」金子仁美×斉木由美

  • デニス・ラッセル・デイヴィス/読響

    デニス・ラッセル・デイヴィスが客演指揮した読響の定期。現代音楽に強いこの指揮者ならではのプログラムが組まれた。1曲目はスクロヴァチェフスキの「ミュージック・アット・ナイト」。昨年2月に93歳で逝去した前常任指揮者スクロヴァチェフスキを偲ぶという意味合いは、とくに標榜されてはいなかったが、定期会員としては、どうしてもそういう想いが湧いてくる。だが、その演奏からは、スクロヴァチェフスキの姿は思い浮かばなかった。端的にいって、音が重いのだ。スクロヴァチェフスキの演奏は、もっとリズムが軽く、音の動きが活発で、粒立ちがよかった。それに対して当夜の演奏は、あえていえば表現主義的というか、物々しい雰囲気に覆われていた。スクロヴァチェフスキはもう戻ってこないのだと思った。高齢になっても音楽が衰えず、活発な音楽的思考を続けていた...デニス・ラッセル・デイヴィス/読響

  • 広上淳一/N響

    広上淳一指揮N響のアメリカ音楽プログラム。曲目はバーバー(1910‐1981)、コープランド(1900‐1990)、アイヴズ(1874‐1954)のそれぞれ20代の作品。沼野雄司氏のプログラム・ノーツで指摘されていたので「20代の作品」という点に気付いた。実際に聴いてみると、その点が(意外なくらいに)重要な意味を持つことがわかった。その点にかぎらずプログラム・ノーツ全体が、短いながらも、卓抜なアメリカ音楽論になっていて、さすがだと思った。1曲目はバーバーの「シェリーによる一場面のための音楽」。シェリーとはロマン派詩人のシェリーのこと。作曲年代は1933年の夏だから、バーバーはまだ20代前半。冒頭で弦楽器が奏でる音が繊細だ。バーバーがメノッティ(作曲家のメノッティ)とともに過ごした夏に書いた。私生活上のそのような...広上淳一/N響

  • 「松浦武四郎」展

    静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)で「松浦武四郎」展が開催されている。松浦武四郎というと「蝦夷地」(現在の北海道、樺太、千島列島)を調査した人物として、その名を記憶していたが、どんな生涯を送った人かは知らなかった。先日、同館の近くまで行ったので寄ってみた。松浦武四郎(1818‐1888)は現在の三重県松阪市に生まれた。伝記的な事柄は省略して、武四郎が歴史にその名を残したのは何故かというと、それは前述のとおり「蝦夷地」を調査したからだ。当時(というのは江戸時代末期だが)、アイヌの人々が住む「蝦夷地」は松前藩の領地とされていたが、実情はよくわかっていなかった。そんな折、ロシアが蝦夷地を狙っているのではないかという噂が流れ、それを聞いた武四郎は、だれに頼まれたわけでもなく、自らすすんで蝦夷地に向った。武四郎が初めて蝦...「松浦武四郎」展

  • 無名塾の公演記録「プア―・マーダラー」

    無名塾の公演は、今まで気にはなっていたが、観たことはなかった。仲代達矢も高齢になってきたので、一度は観てみたいと思っていたが、そんな折、友人から過去の公演の記録映像の上映会「映像で観る無名塾劇世界2018」の誘いを受けた。よい機会なので行ってきた。演目は「プアー・マーダラー(哀しき殺人者)」。作者はチェコの作家パヴェル・コホウトPavelKohout(1928‐)。コホウトは「存在の耐えられない軽さ」の作者ミラン・クンデラ(1929‐)と同世代で、日本でも小説の邦訳が数点出ているが、本作は出ていないようだ。まずプロットを紹介すると、所はロシアの精神病院。患者アントン・ケルジェンツェフ(仲代達矢が演じている)は、精神科医のドルジェムビツキー教授(同、松野健一)の治療を受けている。教授は患者の過去の体験をドラマとし...無名塾の公演記録「プア―・マーダラー」

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルのストラヴィンスキー&武満徹プロ。1曲目はストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」。ステージ上のオーケストラを見て改めて驚いた。弦楽器がヴァイオリンとヴィオラを欠き、チェロとコントラバスだけなのは承知しているが、驚いたのは管楽器の多さだ。詳述は避けるが、木管、金管各パート4~5人ずつ。それにピアノが2台入るので、これはコストのかかる曲だ、というのが実感。高関健のプレトークで、木管はクラリネットを欠くことが指摘された。ステージ上のオーケストラを見て、なるほど、そうだったかと納得した。わたしは今までこの曲の(多少語弊があるかもしれないが)空虚なひびきは、ヴァイオリンとヴィオラを欠くことからきていると思っていたが、それに加えて、クラリネットを欠くことも要因だった。久しぶりに聴くこの曲の実演は興味...高関健/東京シティ・フィル

  • 誰もいない国

    新国立劇場の演劇部門は、本年9月から小川絵梨子体制がスタートしたが、その第2弾はハロルド・ピンター(1930‐2008)の「誰もいない国」(1974)。不条理劇といわれる作品だが、そういえば、第1弾のアルベール・カミュ(1913‐1960)の「誤解」(1944)もそうだった。不条理劇が2作続いた。でも、同じ不条理劇といっても、その2作はずいぶん違う。不条理劇という概念の広さのせいかもしれないが、わたしのような不勉強者には、概念そのものの輪郭がぼやけて、よくわからなくなる。では、その2作のどこが違うのかというと、端的にいって、「誤解」にはカタストロフィがあったが、「誰もいない国」にはカタストロフィがないことが大きく違う。どちらがよいとか、悪いとか、そういう問題ではなくて、カタストロフィがあるか、ないかで、作品の性...誰もいない国

  • ルオー展

    ジョルジュ・ルオーは、東京の汐留ミュージアムにまとまったコレクションがあるので、首都圏在住の者には身近な画家だ。同ミュージアムは今、開館15周年を記念して「ジョルジュ・ルオー聖なる芸術とモデルニテ」展を開催している。ルオーは1871年にパリで生まれ、1958年に同地で亡くなった。生涯の中で第一次世界大戦と第二次世界大戦の両方を経験した。その悲惨な経験が作品に現れないわけがない、と思って本展を見ると、戦争の直接的な痕跡が銅版画集「ミセレーレ」に見てとれた。ミセレーレとは、いうまでもなく、主イエス・キリストへの「憐れみたまえ」という訴えだが、その題名をもつ本作は、58点の銅版画で構成されている。それらの銅版画が制作されたのは、1912年から1927年にかけての15年間だった(ただし、出版されたのは1948年と遅かっ...ルオー展

  • ラザレフ/日本フィル

    ラザレフが日本フィルと続けているロシア音楽の演奏は、どれも名演揃いだが、なかでもショスタコーヴィチの交響曲は、作品の真の姿を伝えるという意味で、画期的なものだと思う。今回は問題作の一つ、交響曲第12番「1917年」が演奏された。演奏順とは異なるが、まずその感想から。音の分厚さ、ダイナミックレンジの広さ、スケールの大きさ、豪快な表現と緻密なアンサンブルの共存、そしてなによりも真剣さという点で、これもまた名演だった。名演という言葉が月並みに感じられるような際立った演奏だった。わたしは今までこの曲が苦手だった。ショスタコーヴィチの真意がどこにあるか、つかみかねていたのだが、今回はそんなことを考えないで、素直に耳を傾けることができた。それが不思議だった。初めての経験だった。なぜだろうと思いながら聴いているうちに、ふと思...ラザレフ/日本フィル

  • ガンジスに還る

    あれはなんの映画だったか、今ではもう記憶にないが、なにかの映画を観にいったとき、遠藤周作原作の映画「深い河」(熊井啓監督)の予告編を観た。短い映像だったが、その中のガンジス河に沐浴する人々のシーンが、今も記憶に残っている。調べてみると、その映画は1995年の製作なので、今から20年以上も前のことだ。そのせいだろうか、新聞で映画「ガンジスに還る」の紹介を読んだとき、観てみたいと思った。ヒンドゥー教の聖地「バラナシ」。ガンジス河に面したその地で死ぬと解脱を得られるという。本作はそのバラナシを訪れる父と息子の物語。父ダヤは、自らの死期を悟り、家族に「バラナシへ行く」と告げる。戸惑う家族。仕方なく、息子ラジーヴが仕事を休んで、付き添うことになる。バラナシに着いた二人は、安らかな死を迎えようと同地を訪れる人々のための宿「...ガンジスに還る

  • ボナール展

    オルセー美術館所蔵のピエール・ボナール(1867‐1947)の作品は、過去に何度か日本に来たことがあるが、いずれも「ナビ派」の括りで来たように思う。今回はボナールだけで構成した展覧会。日本の美術館が所蔵する作品で補完して、ボナールの画業を辿っている。ボナールはナビ派の一員として登場したが、とくに主義主張にとらわれずに、感性の赴くままに制作したように見える。初期の暗い演劇的な作品を別にして、それ以降の作品は、とくに作風の変化は見られず、また一つの作風を突き詰めた様子でもなく、その時々の感性に従って描いたように見える。チラシ(↑)に使われている作品は「猫と女性あるいは餌をねだる猫」(1912年頃)。暖色系の色彩、愛する女性(恋人のマルト)、いたずらっ子の猫という具合に、幸福な日常を描いていると、とりあえずはいえるが...ボナール展