住所
-
出身
-
ハンドル名
大阪東教会礼拝説教ブログさん
ブログタイトル
大阪東教会礼拝説教ブログ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/higashi312
ブログ紹介文
〜日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています〜
自由文
更新頻度(1年)

10回 / 1408日(平均0.0回/週)

ブログ村参加:2015/03/17

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大阪東教会礼拝説教ブログさんのブログ記事

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  • ルカによる福音書1章39~45節

    2018年12月9日大阪東教会主日礼拝説教「幸いな人」吉浦玲子<急いで>マリアはずいぶんと思い切った旅をしました。マリアが住んでいたナザレの町からエリサベトの住むユダまでは数日かかる距離でした。現代とは異なって、当時、旅は大きな危険を伴うものでした。しかも若い女性一人です。しかし、マリアは「急いで」行ったのです。今日の聖書箇所の前のところで、マリアは天使ガブリエルから救い主イエス・キリストをその身に宿すことを告げられました。いわゆる受胎告知の場面でした。まだ結婚をしていていないマリアが当惑していると、ガブリエルは「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男との子を身ごもっている。」と語りました。マリアはガブリエルが語ったエリサベトの家に向かったのです。マリアはけっして<エリサベトも身ごもっている>という天...ルカによる福音書1章39~45節

  • ルカによる福音書1章26~38節

    2018年12月2日大阪東教会主日礼拝説教「受胎告知」吉浦玲子<六ヶ月目>六ヶ月目に、天使ガブリエルはナザレに遣わされます。それは洗礼者ヨハネの父となるザカリヤのもとにガブリエルが遣わされてから六ヶ月目ということです。どの福音書にもキリストの到来に先立ち、ヨハネという人物が現れたことが記されています。そのヨハネの誕生が予告されて六ヶ月目ということです。三ヶ月目でも七か月目でもない六ヶ月目、なのです。なぜ六ヶ月目なのかは人間には理解できませんが、しかし、この一般には「受胎告知」と言われる出来事は、揺るぎない神のご計画、スケジュールに基づいた出来事であったのです。アブラハムに始まる長い長いイスラエルの歴史のなかで、ダビデの時代でも、バビロン捕囚の時代でもなく、ナザレという町にマリアという女性が生まれ、おとめとして過...ルカによる福音書1章26~38節

  • ヨハネによる福音書11章1~16節

    2018年11月25日大阪東教会主日礼拝説教「彼を起こす」吉浦玲子<遅れるイエス様>病人がいました。おそらくまだ若い人です。ラザロという名の男性でした。病状はひっ迫していました。その姉妹たちは、主イエスに「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と使いの人をやりました。姉妹たちは、かなり主イエスと親しかったようです。病人であるラザロもまた、「あなたの愛しておられる者」と姉妹がラザロのことを指して主イエスに伝えているように、特別に主イエスと親しい関係であったようです。しかし、主イエスはすぐにラザロのもとに行こうとはなさいませんでした。マリアとマルタの姉妹、そしてラザロの住んでいた村は、ベタニアでした。エルサレムからさほど遠くない、ほんの数キロ程度のところにありました。ヨハネによる福音書のこれまでのところで、...ヨハネによる福音書11章1~16節

  • ヨハネによる福音書10章22~42節

    2018年11月18日大阪東教会主日礼拝説教「あなたを強くするもの」吉浦玲子<冬の祭り>「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。」このように今日の聖書箇所は始まります。7章から話題に上がっていた仮庵祭は秋の祭りでした。季節は巡り、冬になったのです。神殿奉献記念祭は、紀元前2世紀から行われていた祭りで、ユダヤの三大祭りのひとつです。紀元前2世紀当時、シリアにイスラエルは支配されていました。そしてシリアによって激しい宗教弾圧が行われました。神殿で律法に従った祭儀を行うことが禁じられ、ゼウスの偶像が神殿に置かれました。また律法で汚れているとされている豚を神殿に捧げるように強制されました。それに反対する者は容赦なく処刑されました。そこでユダ・マカバイという人が立ち上がり、シリアに反旗を翻し、民族の...ヨハネによる福音書10章22~42節

  • ヨハネによる福音書10章1〜21節

    2018年11月11日大阪東教会主日礼拝説教(逝去者記念礼拝)「良い羊飼い」吉浦玲子<門はひとつ>救い主イエス・キリストのことが羊飼いに例えられています。その羊飼いは門を通ってくるのです。あっちの柵を乗り越えたり、こっちの裏口から入ってくることはないというのです。つまり救いはあちらからもやってくるし、こちらからもやってくるということではないのです。自分の羊の名前を知っている羊飼いのようなただお一人の救い主が、正しい門を通って人間のもとに来てくださり、救いへと導き出してくださるのです。この世界には、人間に喜びを与えるもの、癒しを与えるものがたくさんあります。ここにきたらリラックスできる、これを信じたら幸せになれる、そういったものが世界には満ち満ちています。そしてあちらからもこちらからもそういったものがやってくるの...ヨハネによる福音書10章1〜21節

  • ヨハネによる福音書9章24〜41節

    2018年11月4日大阪東教会主日礼拝説教「あなたには見えていますか」吉浦玲子<なお「なぜ」と問う人>主イエスの業によって一人の人間が救われました。神殿の外で来る日も来る日も物乞いをしていた生まれつき目の見えない人の目が開かれました。目が見えないゆえに神殿に入ることもゆるされず、信仰共同体からはじき出されていた人が、神殿へ入ることができるようになったのです。この人は視力が回復したのみならず、神との交わり、人々との交わりをも主イエスによって回復していただいたのです。主イエスのなさった素晴らしい業によって、癒していただいた人とその周りの人々の間にはさぞ喜びがあふれただろう、というと、まったくそうではなかった、それが今日の聖書箇所の少し前から記されています。そもそも9章の最初に、「ラビ、この人が生まれつき目の見えない...ヨハネによる福音書9章24〜41節

  • ヨハネによる福音書9章1~23節

    2018年10月28日大阪東教会主日礼拝説教「因果応報ではない」<因果応報という穴>主イエスは、通りすがりに、生まれつき目の見えない人を、見かけられました。この生まれつき目の見えない人は神殿の外で物乞いをしていたのです。生まれつき目の見えない人は神殿に入ることができなかったのです。「目の見えない人と足の不自由な人は神殿へ入ることができない」当時のイスラエルではそのように言われていました。それは律法的な根拠があったわけではないようです。ただ旧約聖書のサムエル記にはダビデを巡る物語の中で「目の見えない人、足の不自由な人」が神殿に入ることを認めないという記述が見られます。律法ではなく慣習的なことであったようですが、神殿に入ることができないということは、神から見捨てられている人とみなされているということです。そして信仰...ヨハネによる福音書9章1~23節

  • ヨハネによる福音書8章48〜59節

    2018年10月21日大阪東教会主日礼拝説教「憎しみの石を捨てよ」吉浦玲子<先在の神キリスト>主イエスはアブラハムが生まれる前から「わたしはある」とおっしゃいました。アブラハムは主イエスの時代から1000年以上も前の人物です。イスラエルの信仰の父として尊敬を受けていた人です。そのアブラハムが生まれる前からご自身があるとおっしゃる主イエスの言葉を聞いて人々は驚き、驚いたのみならず主イエスに石を投げつけようとした、それが今日の聖書箇所の場面です。そもそも、イエス・キリストは、アブラハムの生まれる前どころではなく、天地創造のその前から父なる神と共に存在しておられました。ヨハネによる福音書第1章の最初に「初めに言があった。言は神と共にあった。」と記されていました。言とはキリストであり、言は神と共にあった。キリストは父な...ヨハネによる福音書8章48〜59節

  • ヨハネによる福音書8章31〜47節

    2018年10月14日大阪東教会主日礼拝説教「あなたを自由にするもの」吉浦玲子<あなたを自由にする真理とは>「真理はあなたたちを自由にする」この言葉は、ひょっとしたらクリスチャンではない人には、ヨハネによる福音書のなかで一番知られている言葉かもしれません。ヨハネによる福音書には「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とか「わたしは命のパンである」とか「わたしは道であり真理である」といったたくさんの有名な言葉がありますが、「真理はあなたたちを自由にする」は国会図書館にも掲示されているくらいキリスト教とは直接関係のないところでも掲げられる言葉です。ヘール宣教師が創立されたことで大阪東教会とは縁の深い大阪女学院の南門にもラテン語と英語で掲示され...ヨハネによる福音書8章31〜47節

  • ヨハネによる福音書8章21〜30節

    2018年10月7日大阪東教会主日礼拝説教「あなたはどこに属するのか」吉浦玲子<出口のない罪の迷路で死ぬ>「わたしは去って行く」主イエスはふたたびご自身がこの世界から去って行かれることを語られています。主イエスはご自分が十字架にかかられることを語られています。「わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」そう今日の聖書箇所で語られています。同じ言葉が少し前の7章34節にもあります。その言葉の真意を人々には理解できません。7章では「この男はギリシャ人のところへ行くつもりか」と人々はいい、今日の聖書箇所では「自殺でもするのか」と人々はいぶかしがります。会社員時代、入社したころは、社員証や社員バッチを警備員さんに見せれば社内に入ることができました。昭和から平成のはじめくらいまでは、そういうものを忘れても警備員...ヨハネによる福音書8章21〜30節