しろみ茂平の話 さん プロフィール

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しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供204回 / 365日(平均3.9回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • 茂平の火葬場
  • 父の話・談・2000年6月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx茂平の火葬場水落(みぞーち)の東の一つ先の岩場にあった。岩へ割木を積んでいって人間を焼きょうた。番をつけていちんち焼きょうた。焼くばあしょうたんで岩が赤ぉなっとった。肺病や伝染病・・・移る病気を焼きょうた。人間の下からと上にも木を置いてうむし焼きをしょた。普通の年寄りやこが死んだのは土葬しようた。終戦の日(昭和20年8月15日)の兄弟は [続きを読む]
  • 茂平の備中杜氏
  • ID:s7n1ufなおさんやたーさんが杜氏をしょうた。冬の仕事で、寄島からの伊予の酒屋。あやじさん(寄島や大島の)についていって杜氏になったら、夏から行きょうた。ええ月給取りで、住み込みで夏は時々見にいきょうた。昔の巡査サーベルをぶら下げて、悪さをすると「巡査がつれていくぞ」ゆうて言わりょうた。家の内情を調べて台帳をこしらえとった。よう出て歩きょうた。お金がはいった時講があった。講で運用しょうた。近所で気 [続きを読む]
  • 夜なべ(ようなべ)
  • 父の話・談・2000年7月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx夜なべ(ようなべ)真田を組んで、藁を切ってそろえて・・・。裸麦は先は先でとり。麦藁を硫黄でうむして、白うして、干して乾燥しとくんじゃ。中は割ってうむして真田を組む。真田講堂真田講堂へ寄付しょうた。学校へ寄付して基金にしょうた。時には学校へ寄って組むゆうこともしょうた。雨カッパ稲わらで作った箕。帽子もじゃ。ええ河童はなかった。自分で(家で)作 [続きを読む]
  • 神島大橋の名称
  • 本土から離島に架ける橋は、名称を決めるのに一定の決まり方があるのだろうか?神島大橋とほぼ同時期に完成の、広島県「尾道大橋」は本土の地名。山口県「大島大橋」は島の地名。広島県「音戸大橋」は島(倉橋)の内の町名。離島から離島への橋は、広島県・大きな向島から岩子島へ「向島橋」。広島県・大きな生口島から高根島へ「高根橋」。神島大橋よりずっと大きな「関門橋」は、“大橋”ではなく“橋”。特に決まりごとはないよ [続きを読む]
  • 12月29日の餅つき
  • 父の話・談・2000年7月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx12月29日の餅つき30日につくことが多かった。悪い日(と言われる29日)はなるべく避けた方がいいじゃろう程度。家々の都合で29日に搗くのはあった。朝、早ぅから搗いて10時ごろには終わりょうた。歳末の火の用心(管理人が学生の頃、茂平では歳末に消防団がガラガラと音をたてて行進していた)木を打って「火の用心」ゆうて歩きょうたんじゃが、一杯飲んでか [続きを読む]
  • 城見小学校の小使いさん
  • 父の話・談・2001.4.22xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx城見小学校の小使いさん(管理人が小学生当時、城見小に小使いさんはいなかった)城見小にもおったんじゃ。役場の仕事と兼務しておった。大江でもそうじゃった。宿直(当直)(父が大江村が勤務地当時)小学校と役場はひっちいとった。退屈なので晩の11時ごろまで話をして、それから、ちょっと回ってみて寝ょうた。役場はこまいが、学校は広いので一巡するん [続きを読む]
  • もらい乳
  • 父の話・談・2001.4.22もらい乳(三橋美智也の名曲に「男涙の子守歌」がある。(詩吟「棄児行」入り)♪木枯し寒く 夜は更けて 月はさゆれど・・・声も涙の 貰い乳母は戦時中、近所の子に乳を飲ませた話をよくしていた。)子供が生まれてあまり出ない人は、粉や牛乳みたいなのを買ぅて、温めて飲ましょうた。たまに、他人からももらようた。近所の人からじゃ。(お乳の出が少ない人は、自分・買う・貰うの三本立てだったようだ)学校 [続きを読む]
  • 神仏分離②寺の廃絶
  • xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「神仏分離と倉敷」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx寺の廃絶全国で最も多くの寺院が取壊されたのは宮崎県です。末寺を加えると一千とされます。伊勢地方では196ヶ寺が廃寺となりました。伊勢神宮があるため、天皇の伊勢参拝のとき、不浄な寺が目に入るのを嫌ってのこととされます。仏像、仏具の廃棄仏像、仏具、仏画を焼くか二束三文で売り飛ばすことでした。奈良 [続きを読む]
  • 神仏分離①
  • 明治維新で御一新され、昭和の敗戦でマッカサー指令から免れたものといえば「神社」が代表だろう。維新前後の出来事は小説家も好んで書くが、作家に限らず歴史家もまた、少し腰がひいているように感じる。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「神仏分離と倉敷」より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx日本は、昭和20年まで政府に神祇官(じんぎかん)が置かれる神国だった。自分たち(政府)の選 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争④光山懸城に入城する
  • 昭和13年9月20日〜12月3日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxぬかるみを歩く2〜3日の雨が降る。本日も雨である。急に激しくなってきた。予定のとおり六時出発だ。雨はますます降り、我々は身も濡れ、濡れ鼠のようになって、一路目的地へと進む。足はぬかるみに倒れ、土は身体につく。「たいてい」の二の舞だ。ますます激しい雨。休みつつすすむ。6時30分に着く。実に戦場ならではの光景。○○部落にて光山懸城に入 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争③済南に着く
  • 昭和13年5月12日〜5月15日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx一路天津に向かうタンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。まったくぞくぞくする地平線の各戦跡の車窓からの眺め。我等は元気で天津駅に着いた。天津天津は平穏だ。この土地が敵国の土地だろうか。多くの兵士でいっぱいだ。各機関は我が思うように運転している。支邦特有のチャーチャンが多く、馬を見る。午後7 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争②大陸へ
  • (父の日誌・昭和13年5月7日〜5月15日)xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx軍都広島に着く軍部のプラットホームに着く。「ちゃのま旅館」に泊まる。軍都広島の夜は実に美しい。一夜を明かす。市内より午後二時、病院船千歳丸に乗り込む。千歳丸に乗り込む船は岸を離れた。岸からも鳥の声も次第次第に遠のく。春風は気持ちを良くし僕の笑顔をなぜ通る。海上のすいきも、ああ船と共に進む。波も僕らの眼線より消えていく [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争①
  • 火野葦平と父は大陸で遭遇していた可能性がある。「麦と兵隊」には無論比較外だが、それでも父が残した野戦日誌は、生の歴史を感じる事では、葦平文学と並ぶような気もする。xxxxxxxxxxxxx江南の熱風は深く悠々、新アジアの動きは日一日と深刻を極めている。いよいよ、壮士・先輩・諸賢のもとに至る日が来た。(昭和13年)5月6日、待ちに待った出征の日は来た。○○の声に送られつつ、懐かしい兵舎を後に戦友に別れを [続きを読む]
  • とうやんの話
  • 父の話・2003.8.31xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxとうやんの話(病棟跡に住むとうやんは年の瀬に城見の家々を回り恵みを受けていた)あそこへ隔離病舎があって、村がしょうたけい番人がいった。番人を長ぅしとったので、(病舎後も)そこへ住みついた。茂平の写真屋(黒船とも写真屋とも呼ばれていた)夜灯のつーさんが同級生じゃった大きいええカメラを持つとった。(母屋の前の)道のほとりに店をもとった。(自分の)結婚写真もそ [続きを読む]
  • ツボキの話
  • 父の話・2003.8.31ツボキの話便所からツボキへもっていって腐らす。家のねきなら臭いけえ、たいがい家から離れたところにもっとった。ウチには新涯へあった。腐る時分に畑へ使ようた。注記・ツボキは「肥溜め」または「野壺」が標準語干しイチジク白トウガキをうむし小屋へ、練炭と硫黄をいれる。晩に火をつけて入れると朝には燃えてしもうとる。7〜8段にしてうむす(次の日から)毎日天日で干す。晩は重ねて夜はしもうて、朝また [続きを読む]
  • 新聞紙の再利用
  • 新聞の家庭欄に新聞紙の再利用の記事があった。それによると、掃除や台所で有効利用している。管理人が子供の頃は・・記憶ぶん・・は下記の利用をしていた。便所紙弁当箱を包む凧の脚子供の日の兜(折り紙)桃や枇杷の袋掛け果物の袋掛けには更に購入していたので、廃品回収に出すことはなかったように思う。今の新聞とはページ数が1/5程度で少なかった。 [続きを読む]
  • 茂平の雑魚
  • 漁師がくれるものは、物々交換とも言えた。姉の話2017.1.30xxxxxxxxxxxxxxxママカリ売り物にならんものを持ってきてくりょうた。その代表がママカリ。焼く唐揚げ焼いたのを酢漬け骨ごと食べれておいしかった。イイダコちーちーか(ちいちいいか)もよう食びょうた。 [続きを読む]
  • 茂平の季節行事
  • 姉の話2017.1.30xxxxxxxxxxxxxxx(茂平でもよその家は含まず)行事ひなまつりない正月餅つき節分豆をいって豆まき。入学卒業記念なし端午の節句鯉のぼりを立てる。門のところへコロコロまるいのを付けて。竹竿を天気のいい日に立ちょうた。風のある日は倒れそうになりょうた。屋根にショウブを投げたり風呂に入れる。かしわ餅をつくる。七夕竹をどっからかとってきて、それをこよりをくくって飾りょうた。(夏休み [続きを読む]
  • 日比遊郭 ②「日和申し」
  • ******************** 「玉野市史」より転記する。 ********************当時の廻船業は船主が船長であるという例が多く、自分の船に自分が乗って、自分の資金で諸国の物産を買付けて商売するもので、運賃積という分業はそれほど発展していなかった。北前船もそうであるし、廻船業者もほとんどが船主船長で商売をしており、数隻の船を持った者は身内か、信用ある雇い船長にまかすが、積み [続きを読む]
  • 日比遊郭 ①ひと潮
  • ********************「玉野市史」より転記する。********************瀬戸内海の、東西のみちひきする潮の分かれ目が、笠岡市の沖合である。そこで「ひと潮」といわれる周期の約6時間を、日比港を起点として潮流にのって西に航海すると、満ち潮にのって走ると笠岡の沖合でひき潮に変わる。そのまま引き潮ににのると広島県大崎の木江港、御手洗港まで一気に走るのである。潮待に寄港する [続きを読む]
  • 父の進学先
  • 父は、農家の長男で小学校卒業後、神辺実業へ進学した。-----------------------------おばの話・談・2017.2.9-----------------------------兄は笠商へいきたかった。じゃけどじいさん(父)が、あの頃のことじゃけえ「お前が跡をとる。次男の〇〇が跡を継ぐはずがねぇ。お前が跡を継がにゃあ跡が絶える」それを聞きょうた。それで神辺(実業)にいった。(父の末弟は笠商卒業後、国鉄に勤め、その後進学した)(末弟が高松経専に [続きを読む]
  • キセル
  • おばの話・談・2017.2.9キセル(管理人の世代は、親は大正生まれ、祖父母は明治生まれ、とほぼ決まっていた。成人になりタバコを吸うのは「フィルター付きタバコ」、親は「両切りタバコ」、祖父は「刻み」とこれまた決まっていた)キセルは利三郎じいさんも吸ようた。(管理人の曽祖父)火鉢でコンコンと叩きょうた。おいしそうに吸ようた。安かった。(タバコの種火はのえではどうしていたか?)家でしか吸ようらなんだ。畑で吸う [続きを読む]
  • リンゴの話
  • おばの話・談・2017.2.9リンゴの話リンゴをいっぱい作りょうた。それで、わたしらはリンゴで学校へ行かしてもらようたもの。(その後)ほかした。土地柄がいけなんだ。麦の米の比率半々よりもコメが多いぐらいじゃった。警鐘台は豆腐屋のいわさん方の北側にあった(今と同じ、今は火の見櫓)えべすんきえべすんきは茂平に二軒あった。先生方とウチで、「えべすんきのみーちゃんどこいきょうるん?」ゆうて言わりょうた。黒船(写真 [続きを読む]
  • 「砂漠の魔王」
  • 管理人は子供の頃、漫画を読み過ぎた。そのため、子供の前半で漫画に飽きた。小学校を卒業するころ漫画も卒業した。いちばん好きだったのは「赤胴鈴之助」。漫画は、少年画報と単行本。ラジオは、毎日夕方聴いた。テレビは、家に無かったので見てない。映画は、貧しかったので見ることはできなかった。チャンバラ漫画の植木金矢も好きだった。漫画の主役の顔が、いつも市川歌右衛門に似ていた。その頃、ある漫画雑誌に「砂漠の魔王 [続きを読む]
  • 赤線の女⑩ その終焉
  • 昭和33年に廃止された赤線は、形を変えて復活したといわれるが日本経済は大躍進時代が始まり、戦前や戦後とは違った形の売春が始まったと思う。「地方文化の日本史10」文一総合出版より転記する******************************日本に軍政を布いたアメリカは、形式的には管理売春はないことになっていた。男女の間に、その時だけ恋愛関係が生まれ、行為ののち男は女にプレゼントする。昭和21年12月赤線区域を指定した。一定の家に下 [続きを読む]