しろみ茂平の話 さん プロフィール

  •  
しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供195回 / 365日(平均3.7回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争④光山懸城に入城する
  • 昭和13年9月20日〜12月3日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxぬかるみを歩く2〜3日の雨が降る。本日も雨である。急に激しくなってきた。予定のとおり六時出発だ。雨はますます降り、我々は身も濡れ、濡れ鼠のようになって、一路目的地へと進む。足はぬかるみに倒れ、土は身体につく。「たいてい」の二の舞だ。ますます激しい雨。休みつつすすむ。6時30分に着く。実に戦場ならではの光景。○○部落にて光山懸城に入 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争③済南に着く
  • 昭和13年5月12日〜5月15日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx一路天津に向かうタンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。まったくぞくぞくする地平線の各戦跡の車窓からの眺め。我等は元気で天津駅に着いた。天津天津は平穏だ。この土地が敵国の土地だろうか。多くの兵士でいっぱいだ。各機関は我が思うように運転している。支邦特有のチャーチャンが多く、馬を見る。午後7 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争②大陸へ
  • (父の日誌・昭和13年5月7日〜5月15日)xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx軍都広島に着く軍部のプラットホームに着く。「ちゃのま旅館」に泊まる。軍都広島の夜は実に美しい。一夜を明かす。市内より午後二時、病院船千歳丸に乗り込む。千歳丸に乗り込む船は岸を離れた。岸からも鳥の声も次第次第に遠のく。春風は気持ちを良くし僕の笑顔をなぜ通る。海上のすいきも、ああ船と共に進む。波も僕らの眼線より消えていく [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争①
  • 火野葦平と父は大陸で遭遇していた可能性がある。「麦と兵隊」には無論比較外だが、それでも父が残した野戦日誌は、生の歴史を感じる事では、葦平文学と並ぶような気もする。xxxxxxxxxxxxx江南の熱風は深く悠々、新アジアの動きは日一日と深刻を極めている。いよいよ、壮士・先輩・諸賢のもとに至る日が来た。(昭和13年)5月6日、待ちに待った出征の日は来た。○○の声に送られつつ、懐かしい兵舎を後に戦友に別れを [続きを読む]
  • とうやんの話
  • 父の話・2003.8.31xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxとうやんの話(病棟跡に住むとうやんは年の瀬に城見の家々を回り恵みを受けていた)あそこへ隔離病舎があって、村がしょうたけい番人がいった。番人を長ぅしとったので、(病舎後も)そこへ住みついた。茂平の写真屋(黒船とも写真屋とも呼ばれていた)夜灯のつーさんが同級生じゃった大きいええカメラを持つとった。(母屋の前の)道のほとりに店をもとった。(自分の)結婚写真もそ [続きを読む]
  • ツボキの話
  • 父の話・2003.8.31ツボキの話便所からツボキへもっていって腐らす。家のねきなら臭いけえ、たいがい家から離れたところにもっとった。ウチには新涯へあった。腐る時分に畑へ使ようた。注記・ツボキは「肥溜め」または「野壺」が標準語干しイチジク白トウガキをうむし小屋へ、練炭と硫黄をいれる。晩に火をつけて入れると朝には燃えてしもうとる。7〜8段にしてうむす(次の日から)毎日天日で干す。晩は重ねて夜はしもうて、朝また [続きを読む]
  • 新聞紙の再利用
  • 新聞の家庭欄に新聞紙の再利用の記事があった。それによると、掃除や台所で有効利用している。管理人が子供の頃は・・記憶ぶん・・は下記の利用をしていた。便所紙弁当箱を包む凧の脚子供の日の兜(折り紙)桃や枇杷の袋掛け果物の袋掛けには更に購入していたので、廃品回収に出すことはなかったように思う。今の新聞とはページ数が1/5程度で少なかった。 [続きを読む]
  • 茂平の雑魚
  • 漁師がくれるものは、物々交換とも言えた。姉の話2017.1.30xxxxxxxxxxxxxxxママカリ売り物にならんものを持ってきてくりょうた。その代表がママカリ。焼く唐揚げ焼いたのを酢漬け骨ごと食べれておいしかった。イイダコちーちーか(ちいちいいか)もよう食びょうた。 [続きを読む]
  • 茂平の季節行事
  • 姉の話2017.1.30xxxxxxxxxxxxxxx(茂平でもよその家は含まず)行事ひなまつりない正月餅つき節分豆をいって豆まき。入学卒業記念なし端午の節句鯉のぼりを立てる。門のところへコロコロまるいのを付けて。竹竿を天気のいい日に立ちょうた。風のある日は倒れそうになりょうた。屋根にショウブを投げたり風呂に入れる。かしわ餅をつくる。七夕竹をどっからかとってきて、それをこよりをくくって飾りょうた。(夏休み [続きを読む]
  • 日比遊郭 ②「日和申し」
  • ******************** 「玉野市史」より転記する。 ********************当時の廻船業は船主が船長であるという例が多く、自分の船に自分が乗って、自分の資金で諸国の物産を買付けて商売するもので、運賃積という分業はそれほど発展していなかった。北前船もそうであるし、廻船業者もほとんどが船主船長で商売をしており、数隻の船を持った者は身内か、信用ある雇い船長にまかすが、積み [続きを読む]
  • 日比遊郭 ①ひと潮
  • ********************「玉野市史」より転記する。********************瀬戸内海の、東西のみちひきする潮の分かれ目が、笠岡市の沖合である。そこで「ひと潮」といわれる周期の約6時間を、日比港を起点として潮流にのって西に航海すると、満ち潮にのって走ると笠岡の沖合でひき潮に変わる。そのまま引き潮ににのると広島県大崎の木江港、御手洗港まで一気に走るのである。潮待に寄港する [続きを読む]
  • 父の進学先
  • 父は、農家の長男で小学校卒業後、神辺実業へ進学した。-----------------------------おばの話・談・2017.2.9-----------------------------兄は笠商へいきたかった。じゃけどじいさん(父)が、あの頃のことじゃけえ「お前が跡をとる。次男の〇〇が跡を継ぐはずがねぇ。お前が跡を継がにゃあ跡が絶える」それを聞きょうた。それで神辺(実業)にいった。(父の末弟は笠商卒業後、国鉄に勤め、その後進学した)(末弟が高松経専に [続きを読む]
  • キセル
  • おばの話・談・2017.2.9キセル(管理人の世代は、親は大正生まれ、祖父母は明治生まれ、とほぼ決まっていた。成人になりタバコを吸うのは「フィルター付きタバコ」、親は「両切りタバコ」、祖父は「刻み」とこれまた決まっていた)キセルは利三郎じいさんも吸ようた。(管理人の曽祖父)火鉢でコンコンと叩きょうた。おいしそうに吸ようた。安かった。(タバコの種火はのえではどうしていたか?)家でしか吸ようらなんだ。畑で吸う [続きを読む]
  • リンゴの話
  • おばの話・談・2017.2.9リンゴの話リンゴをいっぱい作りょうた。それで、わたしらはリンゴで学校へ行かしてもらようたもの。(その後)ほかした。土地柄がいけなんだ。麦の米の比率半々よりもコメが多いぐらいじゃった。警鐘台は豆腐屋のいわさん方の北側にあった(今と同じ、今は火の見櫓)えべすんきえべすんきは茂平に二軒あった。先生方とウチで、「えべすんきのみーちゃんどこいきょうるん?」ゆうて言わりょうた。黒船(写真 [続きを読む]
  • 「砂漠の魔王」
  • 管理人は子供の頃、漫画を読み過ぎた。そのため、子供の前半で漫画に飽きた。小学校を卒業するころ漫画も卒業した。いちばん好きだったのは「赤胴鈴之助」。漫画は、少年画報と単行本。ラジオは、毎日夕方聴いた。テレビは、家に無かったので見てない。映画は、貧しかったので見ることはできなかった。チャンバラ漫画の植木金矢も好きだった。漫画の主役の顔が、いつも市川歌右衛門に似ていた。その頃、ある漫画雑誌に「砂漠の魔王 [続きを読む]
  • 赤線の女⑩ その終焉
  • 昭和33年に廃止された赤線は、形を変えて復活したといわれるが日本経済は大躍進時代が始まり、戦前や戦後とは違った形の売春が始まったと思う。「地方文化の日本史10」文一総合出版より転記する******************************日本に軍政を布いたアメリカは、形式的には管理売春はないことになっていた。男女の間に、その時だけ恋愛関係が生まれ、行為ののち男は女にプレゼントする。昭和21年12月赤線区域を指定した。一定の家に下 [続きを読む]
  • 赤線の女⑨ 売春婦の経歴
  • 娼婦になった理由は“貧困“と切り離せられない。しかし、需要の(男の)調査や分析は全くなされていない。軍との関連性等、ほんとうは女性よりも男性側調査が必要・重要であった、と思う。「地方文化の日本史10」文一総合出版より*************************************売春婦の経歴多い貧困家庭の出身昭和4年、玉の井の売春婦の経歴を調査した。理由205人中貧しい家庭を救うため・・105人家族の病気を治すため・・45人売春しない [続きを読む]
  • 茂平の除虫菊・薄荷・養蚕の話
  • 父は生前、茂平に養蚕農家はなかったと言っていた。果物が盛んなこと、田んぼや畑に塩分があること、などが理由で「養蚕」「葉たばこ」がみられないのが特徴と思える。おばの話・談・2017.2.9:::::::::::::::::::::::::::::::::::::畑ゆうたら「麦」「芋」「除虫菊」が多かった。除虫菊はめんどくせぇ。(刈ったあとで)菊の花を落とす。植えるのは新涯の畑が多かった。カド(家の庭)へひろぎょうた。雨が降ったらいけんので畑に [続きを読む]
  • 水落(みぞおち)の段々畑
  • この話は、どこにでもある瀬戸内地方の昔話。管理人の実家も、海から山へ向かった段々畑でミカンや麦や芋を作っていた。ここで農船がでていくるが、おばの時代は個人所有で「こまい船」管理人の時代は「おおけえ船」で、三軒共同所有だった。おばの話・談・2017.2.9----------------------------------------------------(水落の畑に)行きしなにゃあ山をとおて、帰りは海をとおて戻りょうた。(水落の畑には)麦を植えて麦を刈っ [続きを読む]
  • 水落(みぞおち)の段々畑
  • 水落(みぞおち)の段々畑この話は、どこにでもある瀬戸内地方の昔話。管理人の実家も、海から山へ向かった段々畑でミカンや麦や芋を作っていた。ここで農船がでていくるが、おばの時代は個人所有で「こまい船」管理人の時代は「おおけえ船」で、三軒共同所有だった。(水落の畑に)行きしなにゃあ山をとおて、帰りは海をとおて戻りょうた。(水落の畑には)麦を植えて麦を刈った後にゃあ芋を植ようた。(水落の畑は、山の)上から [続きを読む]
  • 昭和初期の茂平の女の子
  • 女の子も元気がえかったようだ。おばの話 談・2017.2.9------------------小学校の時は毎日泳ぎにいきょうた。浮き輪が無いけい、利三郎おじいさんが、桐の木を切ってきて皮を剥いで、鑢ですって。みんな桐ノ棒(きりんぼう)じゃった。戻りは、トウガキ畑の池にドボンと飛び込んで(身体に付いた)潮をおとしてから帰りょうた。(管理人の時代は共同井戸があり、そこで釣瓶で水を汲み潮をおとして帰っていた、危険で怖くなかった [続きを読む]
  • 大門〜茂平
  • おば(父の妹)は小平井に住んでいる。久しぶりにおばの昔話を聞いた。談・2017.2.9-------女学校時代の帰り道(昭和12〜13年頃の事)(おばは福山の増川に通学していた。大門〜福山は汽車通学。自宅から大門駅までは徒歩。茂平〜大門は、山越え(林越え)、河口池、坂里峠、の3ルートがあった。)運動会の時など、遅ぉなることがあった。何処をいのうか?山は真っ暗なるし、どこを通てもきょうてぃ。坂里を通れば、なんやらが出て [続きを読む]
  • 赤線の女⑧ 管理売春の仕組み(玉の井)
  • 遊郭には「籠の鳥」の歌が重なる。♪あいたさ見たさにこわさを忘れ暗い夜道をただ一人あいに来たのになぜ出てあわぬ僕の呼ぶ声わすれたかあなたの呼ぶ声わすれはせぬが出るに出られぬ籠の鳥「地方文化の日本史10」文一総合出版より転記する。------------------------玉の井の私娼の年齢は12歳から50歳くらいまでで、17歳〜20歳が一番多かった。ほとんどが貧しい家の娘で、前借金によって売られてきたのである。東北地方で冷害・凶 [続きを読む]
  • 赤線の女⑦ 玉の井の銘酒屋
  • 永井荷風の「墨東奇譚」の舞台、玉の井は遊郭ではない。戦後は赤線に指定されたが、銘酒屋街(めいしゅやがい)といわれ、曖昧屋(あいまいや)とも呼ばれた。その意味は酒を売るのか、料理を売るのか、女を売るのか、はっきりしないからだそうだ。「地方文化の日本史10」文一総合出版より転記する。----------------------------------------------銘酒屋は酒の酌をする女として、2名までの売春婦を置くことを許可されていた。他 [続きを読む]
  • 「公職追放」 (岡山県)
  • 「岡山県史現代Ⅰ・公職追放と選挙」より転記する。--------------------いわゆる公職追放は、非軍事化・民主化のための最も重要な占領政策の一つであった。昭和20年10月4日に連合国総司令部は、治安維持法その他の自由抑圧法規の廃止、政治犯の即時釈放、思想警察の廃止、内務大臣をはじめとする特高警察官の罷免などを使命した。岡山県では当時の県警部長、特高課長以下特高関係警察官69名が罷免された。愛国的労働団体の役職員 [続きを読む]