古代日本の歴史を謎解き さん プロフィール

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古代日本の歴史を謎解きさん: 古代日本の歴史を謎解き
ハンドル名古代日本の歴史を謎解き さん
ブログタイトル古代日本の歴史を謎解き
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007
サイト紹介文日本の古代史の謎に挑戦します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供136回 / 234日(平均4.1回/週) - 参加 2016/10/07 11:11

古代日本の歴史を謎解き さんのブログ記事

  • 各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代末期、終末期)
  • 各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代中期)の続きです。魏志倭人伝に紹介される倭国大乱から邪馬台国の時代、卑弥呼の死までです。その後を古墳時代と呼びます。倭国大乱は、著者陳寿が後漢書の記載を参考にしたと思われますが大国奴国の支配に周囲の国々(多分、伊都国)との争いではないかと思います。原因はやはり、鉄器などの武器の普及ではないでしょうか。奴国の丘 須玖岡本遺跡(福岡県春日市) には、その歴史が見て取れます [続きを読む]
  • 各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代中期)
  • 弥生時代中期も私の勝手ですが、倭国が大陸と交易を行うようになり漢委奴国王の金印が贈られるようになるまで紀元前の2世紀ごろから西暦57年という事にします。博多湾の村々は一つにまとまり奴国になります。当時最大の国の完成です。一方では、菜畑遺跡 と 板付遺跡の様に、人が住まなくなり滅んでしまった村もありました。朝鮮半島経由で伝わった文化に 支石墓 があります。佐賀県背振山の支石墓、西新町遺跡の支石墓から [続きを読む]
  • 各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代前期)
  • YouTubeで古代史日和(うららさん)の投稿に気が付きました。(私が気づくのが遅かったかもしれません)勝手ですが、参考にさせていただきます。(うららさん ごめんなさい、お許しください)・弥生時代は、大陸から稲作など大陸の文化が伝わった時代が始まりです。・稲作は、河川がある平地に小さな村々単位で行われていました。・大陸の文化は、九州に伝わり時間をかけて東へ広がっていきます。弥生時代も、前期・中期・後期  [続きを読む]
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(難升米の大嘘)
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(戸数)の続きです。魏志倭人伝の記述には、難升米からの情報が沢山あります。特に、卑弥呼、邪馬台国については、難升米情報が全てです。難升米は、武皇帝に認められるために沢山の嘘の情報を伝えます。以下が倭国の実態と難升米の嘘と倭人伝の記述です。1、倭国の国々が卑弥呼を女王とたてた。  諸国のもめ事を祈祷師 卑弥呼に委ねる事で争いが少なくなった。(女王と認めたわけではない)  倭国 [続きを読む]
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(戸数)
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(卑弥呼の年齢)に続いて魏志倭人伝に記述されている国々の戸数についてです。対馬国 千余戸           方(域)は、四百余里一支国 三千(戸)ばかりの家    方(域)は、三百里ばかりである末盧国 四千余戸伊都国 千余戸(そこは帯方の郡使が往来する時、常にに留まる所である。)奴国  二万余戸不弥国 千余戸投馬国 五万余戸(距離表示が水行二十日と日数表示)邪馬台国七万戸 [続きを読む]
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(卑弥呼の年齢)
  • やはり、魏志倭人伝の間違い?についてです。西暦100年位から180年程まで続いた倭国大乱ともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼(女王)という。卑弥呼ファンには、残念なお知らせになりますが鬼道につかえ、よく衆をまどわす。年はすでに長大であるが、夫壻(おっと・むこ)はない。です。当時の寿命が30歳ぐらい独身で妊娠・出産の経験のない卑弥呼 かなり老けて見えるのですから既に4〜50歳ではないでしょうか [続きを読む]
  • 魏志倭人伝の真実と間違い(倭国の国々)
  • 魏志倭人伝に記述されている内容に嘘が?常に矛盾と挙げられている「南(行)して・・・女王の都とするところである。水行十日、陸行一月である。」この記述が奴国(投馬国)の跡に記述されてい為奴国より更に南へ水行十日、陸行一月と訳してしまうので邪馬台国は沖縄に(?)なってしまいます。南へ水行は、東の間違いと受け取りますが、本当に間違いでしょうか。答えは、出発地 帯方郡から女王国は 南へ水行十日、陸行一月 と解 [続きを読む]
  • 弥生時代(九州限定版) 卑弥呼の発展と終焉
  • 弥生時代(九州限定版) 倭国大乱と卑弥呼の台頭に続きます。まずは、180年頃に女王になった邪馬台国の発展です。諸国から卑弥呼に祈祷をお願いするために贈り物があつまります。中でも国同士(或いは一族の中のもめ事)では、自分に有利な祈祷を願う為、いわゆる賄賂が集まります。宮殿には、財宝が蓄えられますので、周囲の兵士も増えていき規模も大きくなります。その様な時代の中、漢が滅び、大陸は三国時代に突入倭国にも [続きを読む]
  • 弥生時代(九州限定版) 倭国大乱と卑弥呼の台頭
  • 弥生時代(九州限定版) 二つの国造りの続きです。西暦57年に「漢委奴国王」の金印を受け取った奴国王は権力の座につきますが、それから数十年後たぶん、国王では3〜4代目交代後です。倭国大乱の時代となります。倭国大乱は西暦100年から180年ほど長い年月とされています。原因は定かではありません。奴国の王が力をつけて、伊都国など周囲の国々へ攻め込んだ或いは、能無し国王が王座につき、奴国内で内乱がおこり、周 [続きを読む]
  • 弥生時代(九州限定版) 二つの国造り
  • 先の投稿 弥生時代(九州限定版) 弥生時代の始まり の続きです。時代は、紀元前2世紀位から、「漢委奴国王」の金印が贈られる西暦57年の九州を考えてみます。当時の生活をうかがう手掛かりは、吉野ケ里遺跡になります。・二つの環濠が出来ます。 南内郭 〜王や支配者層が住んでいた場所〜 北内郭 〜まつりごとの場所〜王家や高貴な人が住む村と祈祷を行う村は分かれて作られたようです。図をみると、祭りごとを行う北内郭 [続きを読む]
  • 弥生時代(九州限定版) 弥生時代の始まり
  • ゴールデンウィークも後半ですね。もう一度、弥生時代を見直してみます。但し、九州北部に限定しています。弥生時代は、大陸から農耕技術、高床式の建物、織物、弥生式土器など大陸文化が伝わった時代が始まりです。大陸の歴史書に、秦の始皇帝と徐福の記載があり徐福一団が童男童女3000人と技術者,五穀や数々の道具を船に乗せて、軍人、航海士らと共に20隻の大船団で出航し戻らなかった。事が紹介されています。紀元前500 [続きを読む]
  • 魏志倭人伝に登場する人物(難升米と牛利)
  • 魏志倭人伝に紹介される 難升米と牛利 の二人238年に卑弥呼の貢物を魏の武皇帝に届けます。翌年には、親魏倭王の金、銅鏡などを受け取り、倭国へ戻っています。二人は、大陸との交易を行う一団のリーダー、護衛のトップと副官の様です。卑弥呼への贈り物は、銅鏡100枚ほか沢山の織物などがあります。大きな一団ですので、この二人の役割、責任は大変なものだったでしょう。過去投稿、魏志倭人伝に登場する人物(卑弥呼の意 [続きを読む]
  • 魏志倭人伝に登場する銀印(銀印青綬)
  • 魏志倭人伝で紹介されている 「卑弥呼に贈られた親魏倭王の金印」は「委奴国王」の金印と共に有名ですよね。しかし、魏志倭人伝を読んでいくと、更に続きがあります。汝の来使難升米・(都市)牛利は、遠きを渉り、道路(たびじ)に(おいて)勤労(よくつとめること)した。いま、難升米をもって、率善中郎将(宮城護衛の武官の長)となし、牛利を率善校尉(軍事や皇帝の護衛をつかさどる官)となす。銀印青綬(あおいくみひも)を仮け、(魏の [続きを読む]
  • 日本古代の数学
  • 先の投稿魏志倭人伝に登場する人物(卑弥呼の意味)を読み直して気が付いたのですが古代日本の数字の発音です。ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なあ、やあ、こう、とお物の数を数える時はひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とぅおですので、ひい、ふう、みい・・・ は単に一から順に数字でしょう。この読み(発音)に使われる文字ですが古代日本人の発音と大陸の漢字の発音に似て [続きを読む]
  • 魏志倭人伝に登場する人物(卑弥呼の意味)
  • 先の投稿(古代日本人の発音と大陸の漢字)で、魏志倭人伝に紹介された地名と漢字、発音について考えてみました。次は、魏志倭人伝に登場する人の名前について調べてみました。最も有名なのは、邪馬台(ヤマト)国の卑弥呼(ヒミコ)次に有名なのは、狗奴国の男王 卑弥弓呼(ヒミヒコ) でしょう。他に登場するのが対馬 卑狗(彦) 卑奴母離(ひなもり)一支国 卑狗(彦) 卑奴母離(夷守)伊都国 爾支(にき) 泄謨觚(しま [続きを読む]
  • 後漢書と魏志倭人伝の相違点
  • やはり気になるのが後漢書と魏志倭人伝の相違点です。作成されたのは、魏志倭人伝が先、西晋の陳寿により3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)に書かれた。これでも、卑弥呼の死後、半世紀後後漢書に至っては、編者は范曄(はんよう、398年 - 445年)で更に100年後秦の始皇帝の時代に、大船団で倭国へ住み着いた徐福の記事もあります。後漢書の倭国は「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべて [続きを読む]
  • 後漢書の「漢委奴国王」と魏志倭人伝の「親魏倭王」
  • 後漢書東夷伝倭伝 と 魏志の東夷倭人伝の原文、和訳のサイトを紹介しておきます。後漢書は、後漢朝(西暦25〜220年)の歴史書で成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 445年)つまり、後漢の時代に書かれたわけではありません。陳寿の魏志倭人伝より、かなりの後の時代です。范曄の後漢書は、漢の時代の事実と魏志倭人伝と范曄の時代の情報がミックスしています。建武中元二年(57年)倭奴国 [続きを読む]
  • 古代日本人の発音と大陸の漢字
  • 以前にも書いた記憶がありますが、再度です。魏志倭人伝に登場する国名と読みを50音に当てはめてみました。※末盧国(マツロ)など一つの感じで、二文字の読みは対象外にしました。結果え母音 は、0個(大きく口を開く発音が苦手?)あ母音 が 23個 圧倒的に多い、続いて い母音 15個タ行は と のみ、ナ行は な 、ヤ行は り のみカ行、ア行、ナ行が多く登場するが、ナ行 は 奴が7回き も7回登場するが、鬼 [続きを読む]
  • 卑弥呼の邪馬台国の次に 第二の邪馬台国 が出来た。
  • 日本で起きたの三国志シリーズで卑弥呼以後の日本を三つの大国に分けて考えてみました。しかし、邪馬台国 と ヤマト朝廷 の関係がいまいちです。諸説あります。1、魏志倭人伝に紹介される邪馬台国は、近畿にあった。  卑弥呼の死後、ヤマト王権と呼ばれるようになり栄え、後に西日本を統一2、邪馬台国は九州中部の国、卑弥呼は狗奴国との戦いで亡くなった。  邪馬台国も無くなり、近畿のヤマト王権が九州も支配するように [続きを読む]
  • 「筑紫磐井の乱」に秘められた謎
  • 日本で起きたの三国志(大和朝廷と筑紫王朝)で筑紫磐井の乱を紹介しましたがふと疑問が筑紫磐井の乱(527年)・ヤマト王権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した。・この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の有力者であった磐井へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請した。・磐井は挙兵し、火の国と豊の国を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路 [続きを読む]
  • 中国大陸の歴史と日本
  • 先の投稿で、魏志倭人伝に登場する邪馬台国から大和朝廷まの時代を推測しました。実は、中国大陸の歴史に大きな影響を受けています。秦の時代 紀元前776〜206年 秦の始皇帝で有名です。武力による大陸の統一を果たします。     この時代に徐福など、自国を捨てて日本へ移住をする渡来人が多く、弥生時代の到来となります。前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)     倭国では、九州北部の国(奴国) [続きを読む]
  • 日本で起きたの三国志(大和朝廷と筑紫王朝)
  • 時代は、5世紀(400年代)になります。この時代は、『宋書』倭国伝と七枝刀 と 広開土王碑の資料から大まかにわかります。4世紀後半、百済は倭国の属民だった。この倭国は筑紫王朝の事です。396年 広開土王みづから、倭の「臣民」となった百残を討った。399年 新羅に倭兵が侵入したと聞いて新羅の救援を約束した。400年 新羅救援のため5万の兵を派遣し、逃げる倭兵を追って任那加羅まで追撃した。404年 倭の水軍が帯方界 [続きを読む]
  • 日本で起きたの三国志(大和朝廷)第二話
  • 日本で起きたの三国志(大和朝廷)第一話続きです。卑弥呼の死後、九州で勢力を伸ばす筑紫朝廷 と 出雲王国 共に3世紀後半の出来事です。旧邪馬台国一派は、行き場をなくし、大分、宮崎で過ごします。日本神話では、天孫降臨の神話にあたります。その様な時代に、大陸と朝鮮半島では、もっと大変な時代に突入します。大陸、265年 魏が滅びる、司馬炎により西晋が出来る   316年 司馬炎が滅びる。八王の乱の時代に突 [続きを読む]
  • 日本で起きたの三国志(大和朝廷)第一話
  • 日本で起きたの三国志(筑紫朝廷)日本で起きたの三国志(出雲王国)に続いて、最後の国 大和朝廷 です。親魏倭王の金印を贈られた卑弥呼も248年に亡くなり、邪馬台国は、その権力を失います。次女王、台与(トヨ)も九州北部から大分(瀬戸内海側)に移住します。魏の国も265年に亡くなり、親魏倭王の金印も力を失います。玄界灘が筑地朝廷、山陰湾岸は、出雲王国が支配しています。大陸との交易ができません。残る航路は [続きを読む]
  • 日本で起きたの三国志(出雲王国)
  • 次に、紹介するのが出雲王国(出雲朝廷かもしれません)魏志倭人伝 が 魏書 で魏の国の歴史書、280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間に、魏国に新着された西晋の陳寿が書いています。内容は、当然、魏からの目線であり、297年までの歴史です。魏志倭人伝によりますと・投馬国(とうま、つま、づま国)があります。・投馬国は、五万余戸、奴国は二万余戸ですので、奴国より大きい国です。 ※戸数で人口を推察すること [続きを読む]