これまで冊封国になる前の韓半島(ハンバンド)の歴史を、<古代韓半島>として振り返りました。今回アップして来た『王は愛する』の時代背景が、大陸と半島の歴史的関係のちょうど分岐点だったと思います。(冊封制度は、大陸が明の時代に完成したとされ、日本の室町時代にも明に朝貢したとの記録があります)元からの安全保障を得るべく、高麗第24代王が世子をいわば“人質”として元に預け、その世子(後の第25代・忠烈王)が...
これまで冊封国になる前の韓半島(ハンバンド)の歴史を、<古代韓半島>として振り返りました。今回アップして来た『王は愛する』の時代背景が、大陸と半島の歴史的関係のちょうど分岐点だったと思います。(冊封制度は、大陸が明の時代に完成したとされ、日本の室町時代にも明に朝貢したとの記録があります)元からの安全保障を得るべく、高麗第24代王が世子をいわば“人質”として元に預け、その世子(後の第25代・忠烈王)が...
大陸の元と高麗王朝1.王氏高麗ソン・ジナ作家は高麗末期を描いた『信義(シンイ)』で、当時の高麗最大の貴族・“奇(キ)”一族の家長キ・チョル(実在)を登場させました。妹は「元」の皇后となった『奇皇后』です。『王は愛する』では、ワン一族とウン一族を登場させています。いずれも貴族ではあるものの、史実としてはワン一族が王家の外戚です。リンの父親の妹が第25代・忠烈王の最初の妻(実在)です。ただし、父親(ワン...
王は愛する 第40・最終話 王は愛した…一度人生を体験して、もう一度人生をやり直してみたい。そうすれば二度目はもっと良い人生で、反省することは少ないかもしれない。(ウォン)# 以下は3人と師匠で作り上げたストーリーだと思います。イ・スンヒュ師匠のナレーション…元からの使節団は重要な情報を得ました。それはワン・ジョンからでした。…「私が反元勢力の主導者のことを知っています」と、ワン・ジョンはその勢力のこと...
王は愛する 第40話(上) 1297年の夏タンとサンサンがすっかり元気になって挨拶に来たので大喜びのタン「大丈夫なのですか?」「ええ、元気です。 ちょっとだけ、胃が痛みますけどね」「良かった!」「胃が悪くてもですか?」「良かった…」「ピヨンによく似て泣き上戸ですね」「そうなんです。 いつもオラボニに笑われていました」ハンカチを渡すチン・グァンでした。サンはこっそりと料理のコツを教えて欲しいとタンに…。家を...
王は愛する 第39話(下) 王は愛した~元からの調査団ウォンが宮殿に戻ると、元からの使節・調査団が到着していました。回復した王が玉座に座っています。「いったい秘書官は何をしているのか?」「使節団の面々にはたくさんの説明が必要でしたから…」「何を知りたいのでしょうかな?」調査を行った使節団が見せたものは小動物の死骸「元成殿の礎石から発見されました」「呪詛だと?!」「ワンビ媽媽は呪詛により亡くなったとい...
王は愛する 第39話(中) 陰謀の果てに(昨日のシーンのつづき)「私を裏切る気なのか? お前を救ったのは私だぞ。 衣食住を与えて、育てて来た」「一度も裏切ったことはありません。 命令に従い、たくさんの人を殺して来ました」 「これからもそうだ」「あなたは高麗のためだと言った。 しかし…」「あの女を殺せと言ったからなのか?」「ナウリこそ、元の国に高麗を歯向かわせようとしています。 国賊です」「ムソク!...
王は愛する 第39話(上) 解毒剤と玉璽~ムソクの良心今は人がいないウン判府事の元の屋敷駆けつけたウォンとリン。まず、リンは縛られたピヨンを見つけます。「助けて下さい!」「何があったのか?」「世子嬪媽媽とサンアガシが…」「どこなのか?」「もとのアガシの部屋の中です」「!」「これを!」「?!」「彼がくれた解毒剤です」「解毒剤?」「ええ、陽が沈む前までに飲む解毒剤です。 日没と共に死ぬと聞きました」# ム...
王は愛する 第1話(下) 娘・サンへの伝言ゴロツキたちのアジト「お前たちよりも役に立つ連中がいるそうだぞ!」「ところでどうしてこんなに武器が必要なのか?」「ウン・ヨンベク商団の荷物を奪う計画だからだ」「ウン・ヨンベクだと? 奴らの私兵は官軍よりも強いと聞いているぞ。 3日に一度は軍事訓練をしているぞ。 正気なのか?」「俺たちも刺客を集めている。 絹の一反もあれば一年分の稼ぎになるのにな~」「奴らは...
高麗(コリョ)の建国は918年。それから1392年(朝鮮王朝建国)までの474年は、後の朝鮮王朝(518年間)と同様に長い歴史です。ドラマ『王は愛する』は、高麗中期の歴史の転換点を舞台背景としています。脚本はソン・ジナ作家。(同名の小説をソン・ジナ作家が脚本にしたもの)また、ドラマ『信義(シンウィ)』も同じくソン・ジナ作家の脚本・小説で、舞台は14世紀末の衰退する頃の高麗でした。『信義』は第31代...
新羅の首都・慶州の仏国寺(プルグクサ)ドラマ『善徳女王(ソンドクヨワン)』と新羅(シルラ)の興亡大帝国だった高句麗が、唐と新羅の連合により足元をすくわれ、北に追いやられて渤海へと転じました。三国時代が終わった7世紀末のことでした。その唐と新羅の同盟関係ができる少し前のこと。新羅初の女王・『善徳女王』が第27代王として即位しています。ドラマはほとんどがフィクションなのですが、当時の時代背景としては、...
歴史を駆け抜けた八咫烏(やたがらす)ドラマ『朱豪』では、初めて国家のシンボルマークに三本足の八咫烏(やたがらす)がデザインされました。新羅と唐の連合軍に滅ぼされても高句麗のヤタガラスは歴史を駆け抜けます。1.南北の二国の時代へ668年、第28代の宝臓(ポジャン)王が新羅と唐との連合軍に屈服し、高句麗が滅びます。そこで新羅は、滅ぼした百済と高句麗の民や軍を吸収して、半島での覇権を我が物にしました。さ...
関西に渡来した豪族1.広隆寺と秦氏半島から4世紀から5世紀にかけて渡来した有力な豪族に、漢(あや)氏と秦(はた)氏の一族がいました。それぞれが奈良と京都に一大勢力を築き、とくに京都の秦氏は養蚕・機織り、農業灌漑の技術を伝播し太秦から嵯峨野にかけての農業用地開発と産業を発展させました。京都・右京区太秦(うずまさ)の広隆寺は、603年に秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立し...
半島の三国時代ドラマ『朱蒙』のラストの解説ではソソノの次男が百済の建国者ではないかとの余韻を残しました。また、『太王四神記』では高句麗の版図拡大が描かれました。以下は高句麗、百済、新羅の三国時代の話です。1.三国時代後の第19代王・広開土(クァンゲト)大王(テワン)こと、タムドクが16歳で高句麗王となったのが391年でした。 広開土王の高句麗(コクリョ:고구려)が版図を拡大して次の歴史地図のような...
百済から来た王子~および聖徳太子のころ高句麗の王族・若光とその子孫が関東に根を下ろしたように、百済の王族・豪族の一部も日本に渡り、関西(大阪)に根を下ろしました。遡って、新羅と唐の連合軍により高句麗が滅びた話は前回でした(668年のこと)。それよりも少し前の660年に、同連合軍により百済が先に滅びています。しかし、残党によるゲリラ戦は各地で行われていました。1.百済のラストプリンス百済最後の王は義...
(高来神社:2017.11.02)高句麗の王族・若光 (1)1.そのミッション「日本書紀」によると、日本には552年に百済から仏教が伝来。また、聖徳太子が大切にもてなし、師匠として尊敬した慧慈(えじ)は高句麗から派遣(595年)された僧でした。もう一人特筆すべき高句麗からの人が、666年に渡来した「若光」で、彼は高句麗の王族の一人。当時の高句麗は新羅と唐の連合軍との厳しい戦闘状態にありました。日本からの援軍...
高句麗大帝国と『太王四神記』~生きて帰る伝説の王子『朱蒙(チュモン)』は40歳で王位をユリ王に譲り、亡くなります。そして、ユリ王の息子ムヒュルが高句麗の第3代・大武神王(ムヒュル)で、これは同じ作家と主演の『風の国』で描かれます。さらに、ムヒュルの子・ホドンの秘話は『自鳴鼓(チャミョンゴ)』です。高句麗の創世記が楽しめました。そして時は流れ、高句麗第19代・広開土大王の物語は、『太王四神記』へと引...
韓国ドラマ『太王四神記(テワンサシンギ)』と風水(プンス)(高句麗第19代王・広開土大王=タムドク:役はぺ・ヨンジュン)時代背景は次の版図のように韓半島(ハンバンド)には高句麗、百済、新羅の3国+αで、半島では戦が数々繰り広げられていました。そんな中で高句麗の第19代・広開土太王が国を拡大していく物語。なお、『太王四神記』以外にもドラマ『広開土太王』があります。1.風水と『太王四神記』中国神話において...
高朱蒙(コ・ジュモン)伝説と『朱蒙(チュモン)』# 先月、ふと立ち寄った鉄板焼きのお店のテレビ(フジテレビ系列の番組)では『朱蒙』が再放送されていました。レジェンドドラマなのですね。懐かしくなりました。物語のベースとなったのが、「高朱蒙伝説」韓国の『統一日報』2012年5月16日(日本語版)「韓国史を彩る王たちの物語(10)」にその伝説が掲載されました。「コンギョクコラ~!(攻撃だ~!)」1.高朱蒙...
おはようございます。昨日までの『大君』への拍手とランキングクリックありがとうございました。今日は感想を交えて以下の記事にしました。儒教精神なのか?~不条理な朱子学およそ200年後になって、第19代王・粛宗(スクチョン)が廃位された魯山君(ノサングン)の復位を認め、第6代王・端宗に追尊しました。他方、この追尊により、第7代王・世祖の蜂起が“背徳のクーデター”であったことを認めることにもなったのではない...
大君 最終話(4) たくさん愛します引退を決めたソン・オクとフィの二人でしたソン屋敷では庭を開放して、祝宴が開かれています。クッタンとドゥクシク「裏切者!」「なぜ私が裏切者なのですか?」「俺がチンヤン大君が与えてくれた地位を辞退して、 科挙試験を目指した時から、待つべきだった」「若旦那は両班で、私は下女です。 なぜ待たないといけないのですか?」「そうすべきだった。 ジャヒョンは恋人が死んでも待ってい...
# 第3話の本編を前にプロローグが数分流れます。ここで史劇のファンの方々にはこのドラマの時代背景がすぐに解ると思います。第16代王・仁祖(インジョ:在位1623~1649年)の時代です。1637年の清国軍との南漢山城での戦闘の模様、および、仁祖の長男(昭顕世子:ソヒョン)が清国の人質となった後に帰国(1645年)したシーンがありました。御史とジョイ第3話(上)Joy to the World「お元気でしたか、世子殿...
御史とジョイ第2話(下)郡守逮捕~忠清左道の郡守を逮捕イアンはユクチルに漁村での聞き込みを命じます。暗行御史のパク・ムギョン暗殺の際の船頭を探すためです。そして、遺体安置所に忍び込みます。ついに馬脾(マぺ)を使います「これからは私がこの件を処理する」と、パク・ムギョンが握りしめていた馬脾も押収さらに、グバルには常設の民兵の宿舎に向かわせます。(暗行御史のために馳せ参じる民兵を集めるため)ジョイは焼...
(ナビ)# ナビ:<朝鮮王朝>時代、庶民たちは離婚をしたという証明書(ナビ)を得ました。御史とジョイ第2話(上)ジョイのナビイアンは捜査を決断しました。忠清道に派遣されていた暗行御史のパク・ムギョンの遺体が海岸に漂着し、握りしめていた「馬脾(マぺ)」を見たからです。イアンはユクチルに両班の服で正装させて庁舎に向かいます。「もの申す! 出て来い!」助役には「漢陽のオ・ドンイン大監の甥だ!」と中央省庁の...
(タイトル画像より)御史とジョイ第1話(下)忠清左道の帳簿ボリの居酒屋(兼宿場)「ボリや~、いるの? ファン・ボリ~」ジョイは夫のギャンブル癖を証明するために証人を探していました。他方、ボリは「両班の側室になることにした」と、赤ん坊の服を縫っていました。「私を蝶々のように自由にして欲しいわ。 お願い。 この村の男たちは知らん振りなのよ」「でも私のお客様たちなのよね~」「私だって男たちのように科挙試...
(『御史とジョイ』第1話)御史とジョイ第1話(上)突然のご指名~勅書荒れる海の揺れる船内で一人の両班(ヤンバン)が刺され、「忠清道記録(公文書)」が強奪されます。その両班の手には「馬脾(マぺ)」と呼ばれる暗行御史(アメンオサ)の印籠。(# 暗い船内に浮かぶ影は郡守と助役か…?)そして、海に投げ捨てられた御史(オサ)の手が馬脾(マぺ)を守る…。翌朝の<漢陽(ハニャン:現在のソウル)>ワカメを洗って今日の...
# いよいよこれで50話の長編が終わります。私にとっては歴史の教科書のように、いやそれ以上のものだった…。最終話(下) 『華政』翌日が最後の審判(1651年)ポンリムは、「腐敗した権力者たちを我々の努力と意志の力で排除できた。 私は、この国を民の国である朝鮮へと戻していくつもりだ」との前置きを述べた上で王命を下します。昭容(スヨン)趙氏が“賜毒”のところにチョン尚宮、オクジュ、ウンソルも集まります。チ...
「華政」最終話(上)親友カン・イヌ「御医を呼びなさい!」「御医をすぐに呼べ!」「ジュウォンな…、アボジのことを責めないでくれ…。 たとえ罪は拭い去ることができなくとも…」迎賓館を襲ったカン・ジュソンポンリムは、「この多量の血の痕を見ろ。 これがお前が流させた血だ。 若者たちや自分の息子の血の痕だ」泣き崩れるカン・ジュソンでした。ポンリムは「内禁衛(ネグミ)はもちろんだが他の王室の兵を動員したカン・ジ...
『華政』第49話(下)カン・ジュソンの暴挙清国の検察・監察官キム・ジャジョムが現れたので、検察官に随行した団員の一人が「キム・ジャジョムが現れたことを、カン・ジュソンに伝えて来い。いったいカン・ジュソンは何をやっているのか…」と…。さて、交渉開始ジュウォンは、「新しい王は軍備の強化を急いでいます。 しかし、これは日本に対する防衛力の強化策です」「日本だと? 日本だけに対抗するのか?」「それに、 清国...
誰かがイヌの後を付けていると気付いたチャギョンは、「実は数日前からその気配があったのです、ナウリ。よく分かりませんが、暗殺者たちの狙いはナウリです」と。他方のイヌは、「カン・ジュソンの居場所を突き止める方法がある」として単独行動でした。「華政」第49話(上) 康仁祐(カン・イヌ)イヌとチャギョン「そなたが朝鮮までやって来たのは、俺と同じように媽媽への愛のためだったんだよな」「…」「お傍にいたかったん...
『華政』第48話(下)史実の果てに…ポンリム世子とジュウォン「私はこの王座の重さに耐えることができるのか不安だ。 私ができることは私の仲間たちと共に、この国の民・百姓たちの一人ひとりの守ることだけだ」「その運命を理解して忘れないでいるだけで十分だと思います、チョハ」「その座の権力と栄光だけを求めて権力を振り回す者もいますが、その権力の使い方と責任を知っている者もいます。 これはとてつもない大きな恐...
西人派の領袖・キム・リュを最後に標的にしたと思われる仁祖。彼が余命を懸けて示したのは“正義”であり、これは議場に集まった“反ポンリム世子+崇善君擁立”派閥を一掃することであったと考えています。自分の正室からの次男のポンリムを後継ぎにするための極秘の戦術が第47話で成功しました。キム・ジャジョムと側室の貴人・趙氏との決別でもあったわけで、これを遠くから眺めるチョンミョンは涙を流しました。最後の決戦だと思...
『華政』第47話(下)最後の王命清国の皇帝カン・ジュソンから大量の銀貨が届けられます。「つまり、兵を動かしてくれと言うのか?」チョンミョンとポンリムは、おそらくカン・ジュソンの最後の手段は“清国に頼るしかない”でしょうと。チョンミョンだけでなくソヒョン前世子もポンリムも含めて清のヨンゴルテ(龍骨大)将軍とのパイプがあるので、連絡を取る算段。仁祖は先が長くないことを知り、イ・シベクを呼びます「チョナ、...
華政 第47話(上) さらなる陰謀“二匹の猛獣がいるのに我々には1本の矢しか残っていない”という状況で、カン・ジュソンとキム・ジャジョムの二人を共に陥れる作戦が成功しました。しかし…。キム・ジャジョムを前に、ジュウォンとチョンミョン「これに何が書いてあったのか分かるでしょう?!」「…」「“大君と王を退位させて、崇善君を即位させる”と書いてありますよ」「何を…」「謀反を起そうとしていたのは公主媽媽ではなくて...
「華政」第46話(下)龍虎の格闘仁祖の病状が悪化しているとのことがチョンミョンにも伝わってきます。仁祖は内官に「いったいどれくらい余命が残っているのか?」と寿命を問います。この情報はソヨンにも伝わり、「計画を早めないといけない!」キム・ジャジョムはカン・ジュソンに会います。イヌとチョンミョン「ごめんなさい、ナウリ」「いいえ、媽媽からは“ミアナムニダ”の言葉は要りません。 後悔はしていません」「ナウリ...
華政 第46話(上) 希望の新星清国の皇帝(第2代・ホンタイジ)の前で土下座をされれるいという、歴史に残る屈辱の国王。仁祖(第16代)にとっては、清国の文化を吸収した昭顕(ソヒョン)世子よりも次男の鳳林(ポンリム)大君を可愛いと思ったに違いありません。ただし、傍には側室・昭容(スヨン:正三品)との長男・崇善君がいて、王位継承を誰にするか…?ソヒョン世子の毒殺を医官に命じたのは昭容。このことが明らかに...
『華政』第45話(下)晩年の仁祖体調が悪くて寝込んでいるとの仁祖キム・ジャジョムは内官に面会謝絶を命じます。その仁祖は世子ソヒョンの死後は気力を無くしています。# 内官・尚膳(サンソン)は王の私的面での世話係。ジュウォンはポンリムが過去にカン・ジュソンと手を組んだことが気掛かりで、世継ぎとなることには賛成しません。「権力とは使い方次第でどうにでも悪くなるからです。 媽媽! 大君には王になる資質がある...
# 1645年の春を前にしてのマラリア?スヒョン世子が風邪をひいたのだとは思いますが、留めを差した歴史上の容疑者は昭容(スヨン)のお抱えの医官イ・ヒョンイク(李馨益)であることは間違いなさそうです。「華政」第45話(上)悲しみの漢陽スヒョン世子は亡くなります「まさか…」東宮では…。「どうか目を開けてください!」(ジュウォン)「チョハ…」(チョンミョン)そしてヌンヤンと内官も悲しみに…。しかし、チョンミョ...
呪詛を使った濡れ衣事件はしばしばドラマ(史劇)に出て来ます。ここでは、ヨジョンが日々チョンミョンを狙っています。ただし、歴史における貴人(クィイン)・趙氏(ヨジョン)が悪女の本領を発揮するのは、世子(スヒョン)とそのピングンに子供(仁祖の初孫)が生まれてからです。目的は、仁祖との間に生まれた長男・崇善君(スンソングン)を世継ぎにするためです。1645年:世子が清国から帰ってから。1646年:ピング...
「華政」第44話(下)世子の死~王室への遺志ヌンヤンと昭容「食事を下げろ! 食べたくないと言っているではないか!」# 右上は“アワビ”でしょうか?「どうか健康を考えて下さい。 崇善君もそう言いなさい」「アバママ、どうかご健康を。 アバママが夕食を食べないと自分も眠れません」「お前も私のことを気にしてくれるのか…。 それなのに、あの世子はいったい…?」「チョナ、それは世子だけのことではありません。 裏には...
ソヒョン世子が帰国したのは1645年の2月。ドラマでの画像とは違って韓半島は寒かったと思います。約8年間の清国・瀋陽での人質生活の間、ソヒョンと妻のピングン・姜氏は待遇にも恵まれて国際派として見聞を広げたのですが、その間の仁祖・朝鮮王朝の改革は逆戻り。キム・ジャジョムが漢陽に戻るとともに副総理となり、ヨジョンは正三品の昭容(ソヨン)に昇格。また、この昭容・趙氏は長女・長男を出産し、その長男(王子)...