前回までは「自我」の感覚が形づくられるメカニズムについて少しばかり話してきました。自我の感覚というのは、意識の場(知るというはたらきのあるところ)に、体性感覚…
今回は、ここまでの話(No.1~No.10)を、簡単にまとめてみます。本ブログは、心とは何か、命とは何かを問うて行きますが、まずは心の中心である「私」(の感覚…
前回のブログでは、私たちの意識経験は、明澄でありながらも意識対象を取らない、「空(くう)」の状態が存在するということを話しました。このような意識レベルを考慮し…
前回のブログでは、「知る」「意識する」というはたらき(仏教で言うところの五蘊の「識」)を、四つのレベルに分けて説明しました。第四のレベルの「知る」は、「林檎だ…
仏教は「私」を仮構する要素として、「色(しき)「受」「想」「行」「識」の五つを挙げます。最初の四つ(色、想、想、行)については前回のブログで簡単に説明しました…
構造化される私(1);ボディ・イメージと思考・感情・意志 No.7
仏教では、自我(の感覚)は「身体と精神の集合体(の感覚)」によって仮構されている」と言い、ヨーガでは、普段の私は、心のはたらきに同化したかたちをとっていると言…
実体的な自我、仮構的な自我(3);ヨーガの立場から No.6
これまでは、『自分の心の内の自我(私)を一つの実体であるかのように感じることができるとしても、実際に心を精査した際にはそのような(実体的)自我を捉えることは難…
前回は、私たちが常日頃、心の内の中心に、「私」を実体的な存在としてありありと感じることができるとしても、自分自身の心に分け入って「私」というものを丁寧に観察し…
前回は、主観的な自己(自我)の感覚には、多様性があることを書きました。私は私の「私」しか感じることができませんが、その感じ方、捉え方には、個人差、文化差、地域…
前回のブログでは、『自己(自我)の感覚というのは、いろいろあって、人によって感じ方が異なっているらしい (自己感覚の多様性)』という話をしました。今回はその続…
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