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虚構の世界〜昭和42年生まれの男の思い〜さんの人気ランキング

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  • 社長

    社長

    この春より念願だった社長に就任した。今の会社に就職して28年目を迎える。どんな山登りになり、どんな風景が見えてくるのだろうか。そんな思いをまた綴っていきたいと思います。社長

  • 生きるとは

    生きるとは

    生きるとは戦いの連続だ。疲れる。つくり笑いをしながら、午後もしがみついて生きてやる。プライドもメンタルもボロボロだけど・・・54歳のオヤジは這いつくばって生きている。昭和42年生まれの皆さん、最近も調子はどうですか?生きるとは

  • 泥水を飲む役目

    泥水を飲む役目

    取引先の部長が「うちの会社では、部長のところまでクレームが来ないんですよ。その前にみんな部下が処理してくれるんです」と自慢げに話している性格の悪い人がいる。その会社は社内の雰囲気が暗幕で覆われているような独特なものだった。みんな疲弊していた。おそらく上司にクレームを報告すると余計に怒られるのだろう。恐怖で押さえつけられていると推測できた。私は尊敬する上司から出世するほどに誰もが嫌がる相手との取引や苦情を引き受けろと教えられた。部下のストレスを除去する上司でなければ信頼されないことを学んだ。今でもその教えは正しかったと思っている。今日も疲弊する苦情処理に自ら手を染めた。メンタルはボロボロだ。しかし、帰り際、みんなが心の底から「部長、お疲れ様です」と言ってくれたような気がした。少しだけ癒された。泥水を飲む役目

  • 感情コントロール

    感情コントロール

    全ては感情のコントロールができるかだ。イライラ、不機嫌オーラ等をいかに包み込めるかだ。勝負だ。感情コントロール

  • 理屈っぽい人

    理屈っぽい人

    みんなから煙たがられている50代の社員が私の部署にいる。とにかく理屈っぽい。若いころからそうだった。理論武装が好きで、議論大好きのタイプだった。20年前はそれでも会社への存在価値はあった。何かあったら上司にでも食って掛かることに生きがいを見いだしていた。理屈っぽい正義感が売りのタイプだ。しかし時代は変化した。会社に貢献し、チームとして同僚性を発揮することができなければ口先だけの人間で相手にされなくなる。現実に彼も正論をふりかざすが、成果が伴わない。だれからも相手にされない晩年を迎えている。彼は常に相手を議論や理屈でねじ伏せようとする。それでは相手に恨まれるだけだ。相手を理論的に屈服させるのではなく、歩み寄り、理解する姿勢が今は求められている。あたたかい雰囲気で相手に接することができるかだ。今日も一日が始まる。理屈っぽい人

  • 仕事ができる幸せ

    仕事ができる幸せ

    いつも文句ばかり垂れているが、仕事ができることは、この上ない幸せだ。毎日毎日忙殺されている日常だが充実している。目の前に広がる部下の机常に判断と決断を要求される場面緊張させてもらえる仕事を与えてもらっていることにも感謝だ。さて、今日も張り切って行こう。仕事ができる幸せ

  • 周りを元気にさせる人

    周りを元気にさせる人

    私の部下で10歳年下の課長がいる。私なんかよりも出世コースの王道を歩んでいる。彼は、とにかく周りを明るくする才能がある。彼が来ると周辺は明るく爽やかになる。私なんかは暗さと近寄りがたさを発しているが、そんな雰囲気は彼からは一切出てこない。王道を行く人はやはり違う。周りを元気にさせる人

  • 胸の苦しさを抱えながら

    胸の苦しさを抱えながら

    月曜日、外は天気がいいのに、自分の心は相変わらずにぼんやりしている。というか、胸の苦しさが感じられる。権限、責任、判断、決定・・・複雑化する自分の仕事内容それに伴い、慢性的な胸の苦しさに襲われている。しかし、この苦しさを感じなくなった時、自分の人生は味気ないものになるのかもしれない。まだ、月曜日・・・今日も帰りは22時を過ぎそうだ。胸の苦しさを抱えながら

  • 国武万理「もう離れられない」

    国武万理「もう離れられない」

    ホームワークというドラマの挿入歌だったこの曲清水美紗が福山に別れを告げに行くシーン福山の家を出たところで一人崩れ落ちるシーンマンションの外には、唐沢が待っていた。抱き合う二人「結婚しよう」という唐沢の言葉にうなづく彼女私の大好きなシーンだ。そしてこのシーンに流れていた「もう離れられない」は名曲だった。さて、月曜日が始まる。国武万理「もう離れられない」

  • お蔵入りと言われたドラマ

    お蔵入りと言われたドラマ

    「悪魔のKiss」という1993年頃のドラマがあった。私はこのドラマの主題歌が好きでよく聴いていた。加藤いづみの「好きになってよかった」という歌だった。当時、付き合っていた女性がカラオケでこの歌を歌ってくれた。衝撃的な歌詞だった。また、彼女の歌声に私はいつも深酒をしてしまったものだ。ドラマの内容も今では放送できないストーリーだった。当時はこのような破滅的なストーリーのドラマがよく放映されていた。私は「この世の果て」もよく観ていた。観ていたというより、当時、同棲していた彼女がよく観ていたドラマだった。当時の私は就職もしないで、ひものような暮らしをしていた。そんな時代に出会ったドラマは今も記憶の中に深く刻み込まれている。お蔵入りと言われたドラマ

  • 80年代の映画

    80年代の映画

    セイントフォーというアイドルグループが出演した映画をCSで放送していた。何だか最後まで見てしまった。世良公則の歌が良かった。また、その歌をセイントフォーがカバーする場面も何だか心に染みた。80年代のカラフルな華やかさが画面から伝わってきた。このころは、華やかな色の服などか流行った時代懐かしかった。華やかさに誰もが憧れた時代・・・それがバブルという時代につながっていったのかなあと感じた。80年代の映画

  • 優しい陽射し

    優しい陽射し

    尾崎豊の「優しい陽射し」という歌が好きだった。人生の絶不調にいたころによく聞いた。「夢は夢のままで諦めてみて・・・」そんな歌詞に傷口が癒されていた。大学を卒業しても定職には就かずに彷徨っていたあの頃・・・周りからもあいつの人生を終わったと陰口を叩かれていた。あれから30年あまり・・・何とか今日も生きている。部長という役割を弱々しく演じながら・・・優しい陽射し

  • かなわない

    かなわない

    30歳前後になると、将来、出世するかどうかの雰囲気が漂ってくる。うちの部署にも若手の優秀な社員がいる。彼を見ていると、全てにおいて、かなわないと感じてしまう。コミュニケーション能力が半端じゃない。常に相手目線の言動なのだ。だから、顧客はもちろん社内でも抜群の評価だ。私の時代は一芸に優れた職人タイプが出世した。○○といったらあいつに任せとけ・・・こんなタイプで会社を引っ張っていた。しかし、今は全てにおいて、相手の期待を上回る成果を求められる。これからの時代、生き残っていくのは難しい。かなわない

  • 夏と言えば

    夏と言えば

    高校2年生のころ山下達郎の「Bigwave」のアルバムをよく聴いていた。浪人一年目のころ、TUBEのテープを擦り切れるまで聴いていた。個人的には稲垣潤一の「夏のクラクション」が好きだった。80年代の夏の思い出の曲・・・夏と言えば

  • 80年代の思い出~オリジナルテープ~

    80年代の思い出~オリジナルテープ~

    車のダッシュボードの上にお気に入りのテープを並べていた。その人の車に乗るとその人の音楽センスがわかった。オリジナルのテープをよく作っていた。どんな曲の構成にするか、順番は?どんな時に誰に聞かせるか?そんなことに夢中な時代だった。LPを借りて、テープに録音していたあの頃今朝は浜田麻里を聴きながら出勤した。今日も一日が始まる。80年代の思い出~オリジナルテープ~

  • 1984年

    1984年

    1984年私は高校2年生だった。頭の中は「彼女が欲しい」ということ彼女とデートをしたいということ当時、流行っていたホットドックやポパイなどの雑誌を購読していた。ちょうど、今ぐらいの季節に同じ学年の女性と付き合った。テニス部のマネージャーをしていた。ポニーテールが可愛らしかった。初めてのデートの日、待ち合わせは喫茶店だった。前の日から緊張で眠れなかった。何を話そうか何を着ていこうか喫茶店のあとはどこに行こうかそんなことばかりを考えていた。背伸びしていた1984年さて、今日もがんばりますか1984年

  • 80年代

    80年代

    80年代を美化する番組が多い。「生きやすかった」と伝える人たちも多い。しかし、何事も表裏一体だ。80年代は、今よりも治安が悪かった。私が中学生ぐらいのときは、街に行くと、よく「カツアゲ」と言われる恐喝もよくあった。街には不良が溢れ、喧嘩や小競り合いもよくあった。公園では集団の乱闘もあった。学校対学校でケンカをする時代だった。また、街には吸い殻が溢れていた。空き缶もよく落ちていて、今より街も汚かったように思う。反対に今、街で恐喝にあう機会はほとんどないだろう。防犯カメラと人の目の監視、加えて誰もが画像や映像を撮影できる時代証拠はすぐに保存され拡散される時代治安はよくなったが、生きにくい時代かもしれない今日も一日が始まる。80年代

  • 恨みとの付き合い方

    恨みとの付き合い方

    仕事をしていると理不尽な怒鳴られ方をすることがある。お客様という関係を利用して、攻撃される。もう30年近く働いているが、何度経験してもメンタルに来る。相手に復讐したいという衝動が溢れてくる。相手の住所も電話も名前もわかってるときは、何とか相手に仕返ししたいという思いが日々継続する。どのぐらい時間が経つと許せるのだろうか。私はとことん復讐する方法を考える。実行しないが、とことん考えているとだんだん面倒くさくなる。そのうち、恨みも消えていくことが多いようだ。それでも完全には消えない。だから、人を攻撃すると、その恨みは残り続けるということ。恨みを買うような言動はしてはいけない。恨みとの付き合い方

  • 日曜の夜

    日曜の夜

    日曜の夜、一人で映画に出かけた。映画館を出ると夜9時を過ぎていた。緊急事態宣言で街は暗闇に包まれていた。人々のため息が聞こえてくる。日曜の夜、サザエさんのエンディングを聞くと、憂鬱になると新入社員が話していた。いつの時代も変わらないんだなあという思い新人さんはこの時期みんな覇気がない。転職サイトを見ているにちがいない。今日はそんな新入社員に研修で話をする。乗り越えた先輩として、あの経験があったから・・・そんな話はしたくない。新人は出社しているだけで100点だということ研修を受けられているみなさんはすごい優秀だということだから優秀さをつぶさずに会社は支えていく日々の小さな幸福感を感じられる生き方仕事以外の充実さこんなことを伝えていく日曜の夜

  • 帰る

    帰る

    腹が立ったから帰る。そればできないから、会社を離れて、クールダウン。このままだと誰かを怒鳴ってしまいそうなので・・・帰る

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