今日5月29日は見事な「日本晴れ」に恵まれました。大空には見渡す限り雲一点ない快晴です。梅雨を目前に控え、しかも台風第1号の追いかけてくる中での奇跡の一日です。 自宅3階の屋上からの真南のながめですが、遠く鷲尾山が見えています。標高300mの山頂からは南に浦
今日5月29日は見事な「日本晴れ」に恵まれました。大空には見渡す限り雲一点ない快晴です。梅雨を目前に控え、しかも台風第1号の追いかけてくる中での奇跡の一日です。 自宅3階の屋上からの真南のながめですが、遠く鷲尾山が見えています。標高300mの山頂からは南に浦
フォーレの作品に「夢の後に」と言う名曲があった。セロの独奏であったとおもうが、夢をみたあとの複雑で、そしてすがすがしい気分を弦は良く表現していた。 大昔、ここ高知市上町の夕空に突然蜃気楼が輝いた。広い練兵場を、馬に乗った騎兵が盛んに駆け回っている光景で
1910年以来、約75年振りに回帰したハレー彗星は、1984年12月、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡の中の「クモ糸」に誘導されて、正確に移動していた。正に東洋最初の発見である。 天体望遠鏡のファインダーの中の十字線は、従来「クモ糸」を張るのが常識であった。なぜなら
私の古い観測ノートにこんな記録があった。 怪天体??!2004.04.12 22時30分 怪天体目撃??!2等星にて 1分間に天頂より東へ30度移動する。移動天体の視直径は、約20分で純白。輪郭クッキリ。 この天体は関東地方でも目撃者があり、同時刻に真南に地平高度が30度位
4月28日、福島県の佐藤裕久さんから、「未確認の彗星」と言うテーマでメールによる報告を受けた。未確認の彗星らしい天体を観測したのは、コメットハンターの村上茂樹さんで2024年4月27日の日本時間の4時33分に11等星で、薄明の中を移動していく天体を発見したが高速のため
1948年、終戦直後の荒廃した時代に、ラジオ歌謡で、岡本敦夫さんのうたった「白い花の咲くころ」が大ヒットした。私はその頃まだ高校生で、クラシックギターを始めたばかりであった。 それから何年かたって独りで「梶ヶ森」と言う高山に登った。途中のちょっとした水場に
私の良く散歩する鏡川の土手です。藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲で
幼いころの最も古い思い出である。 高知城下の桜が満開のころ(昭和10年ころ?)、母に連れられて夜桜を見に行った。私にはこれより古い幼い日の記憶はない。思い出は茫呼としてかすんでいる。低い丘の上に、いくつかのぼんぼりが赤くともって、多くの人が花見音頭で踊っ
私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。 その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年
この彗星は1812年、フランスのコメットハンター、ポンとブルックスによって独立に発見されました。比較的明るい彗星で、ポンはわずか口径5センチ30倍くらいの屈折望遠鏡で発見したと伝えられています。 当時は明るい未知の彗星が多かったと想像されます。ポンは当時パリ
今度、高知こどもアストロクラブの生徒たちにお渡しする彗星の拡大写真は、いままででもっとも自信のある美しい写真です。ダストの尾もイオンの尾もはっきりしていて、子供たちに物理を説明するに持ってこいです。(添付写真)50年に1回くらいの出現の大彗星で今回の生徒た
私は、昔からショパンのピアノ曲が好きであった。中でも円舞曲集は、幻想的な美しさと共に哀愁がこもって大好きであった。ここに楽譜で紹介した作品69-2は、イ短調の旋律の美しさと共に、リズムに哀愁がこもって、何回聞いても聞きあきることが無かった。やさしく純粋な、
いまから100年以上も昔のドイツの大数学者「ガウス」の開拓した天体の軌道計算法の公式は、当時流行した対数計算に基づいたものであった。 新しい天体までの距離を求める数式は、いかめしい4次方程式が組まれていた。天体までの距離(天文単位)が求まったら、あとは何と
1961年10月11日、朝方のしし座に発見した彗星らしい天体は、直ちに東京天文台に打電した。天文台からはその日のうちに全国の有力な天文台や、研究機関に彗星発見が報じられた。 倉敷天文台の本田実氏は、口径8cmの写真レンズで、これを二日間にわたって撮影した。ところが
その朝、彗星らしき天体を発見して5時間後、私は再び中庭の観測台に立った。そして、手製のコメットシーカーと共に写真を撮った。しか私の心の中は動揺していた。イソゲナ天体望遠鏡に新天体らしい光芒が影を落としたのだ。世界中には、大小様々な望遠鏡が、新しい天体を求
早春のシンボル、梅の花です。 私の良く通る鏡川沿いの散歩道ですが、四季それぞれの花に出逢えます。特に早春のころには白い梅の花が美しい。 ♪白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日、、、♯ 終戦直後のまだ世間が暗澹としていたころ、ラジオ歌謡で岡本
去る2月18日は芸西天文台の一般公開日でした。 今は、これと言う珍しい天体の出現はありませんが、日本のロケットが月面に着陸する関係もあって特に着陸地点の「海」を口径70センチの反射望遠鏡に400xかけて眺めました。最高の倍率です。あいにく雲が盛んに流れていました
周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいると
世界の大型望遠鏡の活躍によって、多くの太陽系の天体が、まだ微光星のころに遠くで発見される。そして地球に接近して眼視で見え出すころには、すでに発見が確定しており手遅れである。このような状態が続いており、従来の眼視的ハンターは、なかば諦めていると言う状態が
南国高知では、冬は長い晴天が続きます。空は限りなく澄んでホウキ星がやってきそうな気配です。1962年の立春の日に発見した彗星も、ちょうど今日の様な美しい空でした。格別「発見しよう」という意識は無く、コメットシーカーと共に自然と美しい星空に引きずり込まれまし
中浜万次郎が漁業中に遭難して鳥島に流れ着いたとき、アメリカの捕鯨船「ジョンホーランド号」が現れて助けられ、万次郎はアメリカに向かった。1843年の事で、船が南米のホーン岬を通過するとき、南の空に巨大なホウキ星が見えた。これが有名な”3月の大彗星”と呼ばれるホ
ここ高知市の鏡川のほとりの土手に、アメリカの飛行士「フランク チャンピオン」の記念碑が立っている。日本では、まだ飛行機の珍しい大正時代(1917年10月30日)に高知市の上空にやってきて、数々の曲芸飛行を観せた。高知市朝倉の陸軍の広い練兵場の上空で、当日は10万人
戦前の彗星発見者には、アメリカ太平洋天文学会が発行する「ドノホウ メダル」が授与された。日本では本田実氏を初めとして、古くは山崎正光、下保茂、岡林滋樹氏らの発見者がもらった。メダルの表面には美しい彗星の姿が彫刻されていた。戦後になって、いったん廃止され
本田さんがカラーで撮影して下さった「関彗星1961 T1」は、発見後次第に地球に接近してきて明るく大きくなった。そして10月の下旬には0.1天文単位と地球に大接近し、満月の大きさとなって一晩に30度以上も動いて南下した。あまりにも急速な運動だったために一旦見失ったが
1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」 電報を発進したのは、天体掃索部の下
古い写真アルバムを見ていたら、半世紀ほど昔の静岡市での「彗星会議」の写真が目についた。 国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二
口径88mmのレンズを装備した自作のレンズボックスです。この木製の四角な箱の中から新彗星が飛び出しました。そうです、1961年の関彗星、1962年の関ラインズ彗星、そして怪物の1965年のイケヤ・セキ彗星です。 写真は、1961年10月11日、暁天のしし座に新彗星らしい謎の光
私の住んでいる高知市の上町は歴史的な伝統の街並みである。明治大正から栄えた白壁の酒屋や、道場、それに製紙工場が何軒かあった。上町1丁目の「竜馬郵便局」の前に大正時代から続いたと思われる古い門構えの家を発見した。それは竜馬が暗殺された京都の近江屋そっくりで
高知市の私の家から、遠く真南に見える美しい山は「鷲尾山」と言う。標高は300mであるが見晴らしがよく、頂上からは南に太平洋の広い海原が見渡せる。 小学低学年の時、学校から遠足で登り初めて海をみた。蒼茫たる大海原には、いつも白い外国航路の汽船が浮かんでいた。
先に紹介した「龍馬の生まれたまち記念館」には「龍馬」を慕って、県外から多くの観光客が訪れる。記念館には常時専属の案内人が付いていて、希望者には上町の名所を案内する。 まず、龍馬誕生の地の案内板の建っている、上町1丁目の屋敷跡を第一に、龍馬が少年時代に剣術
先に高知市の上町1丁目にある「竜馬郵便局」について紹介したが、同じ上町の2丁目にある「龍馬の生まれたまち記念館」について紹介する。 私の家から、わずか東北に100m位のところにある同記念館は、比較的新しい施設である。明治維新に活躍した坂本龍馬のほぼ完ぺきな資
高知市上町2丁目の自宅屋上からの西の眺めである。とりわけ、美しい夕焼け空の見える場所でもある。(添付写真) 大正時代には私の祖父が、同じこの場所で珍しい蜃気楼を見た。昭和になって、高知市の各地で蜃気楼が見えたが、今はその様な噂を聞かない。 1951年頃であ
新彗星の発見者には、戦前から永きにわたって、アメリカの太平洋天文学会からメダルが贈られた。直径60mm、厚さ10mm位のブロンズ製の「ドノホウメダル」で、表面には美しい彗星をデザインし、裏側には天文学界と発見者の名前を彫り込んである。 日本では戦前には下保茂、
かれこれ10年くらい昔になるだろうか?木星を撮影してみたら、そのすぐそばに、あたかも衛星の如く青い彗星が写っていた。随分後で気が付いたので、それが何の彗星なのか分からなかった。残念ながら日時がはっきりしない。 その頃ルーリン彗星と言う、かなり息のながい彗
高知市の上町にある、その名も『竜馬郵便局』である。私の自宅から100mほど東にある。終戦直後くらいには龍馬の生まれた電車道りの家のすぐ隣にあったが、その後移転して現在の場所にきた。「龍馬郵便局」とは比較的最近名乗り出した。伝統的に局長以下、数名の局員が全員
植物学者の牧野富太郎博士が発見し、最も愛したと言われる「wakakinosakura」が星(小惑星)になって、博士が飛ぶ宇宙に行くことになりました。 1991年9月7日に、芸西天文台で発見した小惑星(43803)に関が命名したのです。 宇宙にはすでに小惑星Makino (6606)が飛ん
”イソゲナ”とは、昔から伝わる土佐弁ですが、私にも本当の意味はわかりません。良いものの反対を意味する方言であることは、わかっています。 木の箱で出来た珍奇なこの望遠鏡で、誰が世界最初に彗星を発見すると思うでしょうか?しかし、実際には世界を揺るがすような
雪も消えた四国中央山地からの南の眺めです。雄大に聳えている山は高知県須崎市のバンダの森です(標高800m)。 1965年10月21日、太陽に0.006天文単位(太陽表面から約30万キロ)まで接近し、摂氏100万度と言われる太陽コロナの中を潜り抜けてきた彗星を、世界で最初に確
1990年10月16日、高知県の芸西天文台で発見した牧野博士の小惑星です。”MAKINO”の小惑星は、国際的な6606番の星として登録され、火星と木星との間を数年かけて公転しております。地球とは約2年毎に接近します。 牧野博士は植物を愛した人ですから、今度は博士の最も愛
宇宙に日本の誇る植物学者「牧野富太郎」の星が輝いていることを知っている人は少ないと思います。即ち、1990年10月16日に、高知県の芸西天文台で発見した小惑星〈6606〉に「MAKINO」と命名し、国際的に登録されました。 小惑星は16等級で、黄道に沿って太陽を公転し、比