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  • ドノホウメダルとコメットメダル

    新彗星の発見者には、戦前から永きにわたって、アメリカの太平洋天文学会からメダルが贈られた。直径60mm、厚さ10mm位のブロンズ製の「ドノホウメダル」で、表面には美しい彗星をデザインし、裏側には天文学界と発見者の名前を彫り込んである。 日本では戦前には下保茂、

  • 嗚呼、幻のセキ彗星

    かれこれ10年くらい昔になるだろうか?木星を撮影してみたら、そのすぐそばに、あたかも衛星の如く青い彗星が写っていた。随分後で気が付いたので、それが何の彗星なのか分からなかった。残念ながら日時がはっきりしない。 その頃ルーリン彗星と言う、かなり息のながい彗

  • 竜馬郵便局とハレー彗星

    高知市の上町にある、その名も『竜馬郵便局』である。私の自宅から100mほど東にある。終戦直後くらいには龍馬の生まれた電車道りの家のすぐ隣にあったが、その後移転して現在の場所にきた。「龍馬郵便局」とは比較的最近名乗り出した。伝統的に局長以下、数名の局員が全員

  • ”わかきのさくら”

    植物学者の牧野富太郎博士が発見し、最も愛したと言われる「wakakinosakura」が星(小惑星)になって、博士が飛ぶ宇宙に行くことになりました。 1991年9月7日に、芸西天文台で発見した小惑星(43803)に関が命名したのです。 宇宙にはすでに小惑星Makino (6606)が飛ん

  • いそげな天体望遠鏡

    ”イソゲナ”とは、昔から伝わる土佐弁ですが、私にも本当の意味はわかりません。良いものの反対を意味する方言であることは、わかっています。 木の箱で出来た珍奇なこの望遠鏡で、誰が世界最初に彗星を発見すると思うでしょうか?しかし、実際には世界を揺るがすような

  • 嗚呼バンダの森の思い出

    雪も消えた四国中央山地からの南の眺めです。雄大に聳えている山は高知県須崎市のバンダの森です(標高800m)。 1965年10月21日、太陽に0.006天文単位(太陽表面から約30万キロ)まで接近し、摂氏100万度と言われる太陽コロナの中を潜り抜けてきた彗星を、世界で最初に確

  • 宇宙を行く「牧野博士」の星

    1990年10月16日、高知県の芸西天文台で発見した牧野博士の小惑星です。”MAKINO”の小惑星は、国際的な6606番の星として登録され、火星と木星との間を数年かけて公転しております。地球とは約2年毎に接近します。 牧野博士は植物を愛した人ですから、今度は博士の最も愛

  • 星になった牧野博士

    宇宙に日本の誇る植物学者「牧野富太郎」の星が輝いていることを知っている人は少ないと思います。即ち、1990年10月16日に、高知県の芸西天文台で発見した小惑星〈6606〉に「MAKINO」と命名し、国際的に登録されました。 小惑星は16等級で、黄道に沿って太陽を公転し、比

  • 鏡川畔の桜

    高知市でも比較的遅い桜の満開です。高知市の中央を流れる2級河川の鏡川ですが、台風の時期には度々大きな水害を出しました。堤防ができてから、鏡川から水が溢れることはなくなりました。 「鏡川」の名称の由来ですが、県外から来られた多くの人は、鏡のように美しく澄

  • 「 本田 実」の詩集

    コメットハンターの本田実さんは、天文家であると共に詩人でもありました。 彗星の捜索に励みながら、折あるごとに多くの詩や歌を記しました。古都、倉敷の美しい街並みを記したものも多くあります。 今から30年ほど昔に本田さんの没後、倉敷天文台を管理していた監物邦

  • 北極圏のオーロラとホウキ星

    ここは一体どこでしょうか。一面にオーロラらしい、赤い光が、まるでカーテンのように立ち込めています、そしてよく見るとホーキ星らしい一条の青い光の筋が立ち昇っています。そうです。そは「イケヤ彗星」らしいです。 この写真を撮影して提供して下さったのは、昔から

  • 天文台も花盛り

    少し遅かった高知市の桜の満開ですが、ここ芸西村の天文台でも、見事な満開の時季を迎えました。私の観測所ができた1970年頃、植えられた桜ですが、白亜のドームが桜の花に埋もれるように輝いている光景は見事です。はるか南には、太平洋の青い海が輝いています。そして夜

  • 高知城の桜

    ここ南国高知市ですが、ようやく桜が満開に近くなりました。写真は、高知城を取り囲むお堀の中の公園の桜です。高知県では、この付近の桜が早いようです。 お花見には非常に古い記憶があります。まだ幼稚園にも入っていない幼少のころ、母に連れられて、高知公園に花見に

  • 早春の怪光

    早春と言うには時期が少し遅いかもしませんが、私は桜の咲き始める頃の早春は好きな季節です。 「怪光」と言うには、聊かオーバーな表現かもしれませんが、この時期には夕方の西の空に”黄道光”が、まるでピラミッドのような形をして、立ち昇るからです。これは春の夕空

  • 南海大震災の夜の怪光

    今年の2月下旬には、夕空に輝いていた金星と、太陽系最大の木星とが接近して輝いた。この異常な現象は前回写真で紹介したが、その時ふと1946年の「南海大震災」の朝にも同じ現象が起こっていたことを思い出した。金星は太陽から最大離角の時には、マイナス4等以上に輝くの

  • ☆夕空のランデブー☆

    いま夕空に二つの惑星が接近しています。宵の明星「金星」と太陽系最大の惑星「木星」です。 写真では上が金星で下が木星です。実は2月の下旬にもっと接近していたのですが、昨夜屋上に上がってみて、意外と壮観な光景で、写真に撮ってみました。 木星はマイナス2等。金

  • ☆カノープスが見ごろ☆

    りゅうこつ座の老人星「カノープス」が、今見ごろを迎えています。南に山が無く、海が見えるような見晴らしの良い場所でしたら、夕方、案外簡単に眺めることが出来ます。私の住んでいる高知市上町は、南に標高300mの鷲尾山があって、永いこと見たことが無かったのですが、

  • 宇宙にも牧野の花(星)

    いま牧野富太郎博士がブームになっています。高知市五台山の博士を記念した「牧野植物園」に久しぶりに行ってみました。20年ほど昔と違って、花も博士の業績の記録も、随分充実したものになっているのにおどろきました。三々五々と人が絶え間なく訪れています。植物はもち

  • 菜の花と以蔵の墓

    春まだ浅き高知市の北部、比島というところに、祖先の墓の掃除に行っていました。まだ風が寒く冬のさなかとういう感じですが、お墓の近くには菜の花が一面に咲きほこっていました。比島山は江戸時代、日本で最初の完全な皆既日食の観測に成功した山ですが、史跡と言えば、

  • スパイカメラと私

    極小カメラである「ミノックス」は戦前の1930年代に、今紛争のさなかにあるウクライナの隣国のバルト3国の一つ、ラトビアのリガで誕生した。ライターを少し大きくした程度の極小カメラで、戦後はドイツにわたり、立派なスパイカメラとして世にでた。戦時中は、敵国の軍港

  • そは彗星か小惑星か?

    宇宙を探索していると沢山の太陽系天体と遭遇する。そのほとんどは未知の小惑星であって、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡時代には優に1,000個を超える小惑星を発見した。しかし、数年にわたる長い追跡観測が完了して、アメリカの小惑星センターから確定番号をもらえたもの

  • ☆ 風船爆弾余話☆

    第2次大戦中の末期に、日本が発明した風船爆弾には、多くの天文家も関与していたらしいことが判明した。ある天文雑誌に連載していた頃、それを読んでいたある天文同好会の会長が戦時中に横須賀の陸軍技術研究所に配属されていた。終戦の、不要になった和紙をリヤカーいっぱ

  • 風船爆弾の秘密(2)

    奇想天外な発明とされる”風船爆弾”は、関東地方から東北にかけての海岸の基地から発射された。一説によると終戦まぎわの僅かな期間に、数百発が飛ばされたというが、実際にアメリカ大陸に到達したものは少なかった。当時の新聞には、あちこちの山岳地帯で、原因不明の山

  • 風船爆弾の秘密(1)

    今話題になっているアメリカ大陸や、日本の東北地方で目撃された謎の風船はここ高知市の上空でも目撃された。 数年前の秋の良く晴れた日、自宅の屋上で雲の様子を確かめているとき、一機の白い巨大な風船が、偏西風に乗って、比較的早いスピードで東進していた。風船の下

  • ☆天文講演会の収穫☆

    去る2月4日に芸西天文台で、恒例の観測会が開かれました。昔の春分の日ですが、私にとって2月4日は忘れられない記念の日でもありました。 そうです、1962年と1967年の2月4日に、それぞれ新彗星を発見した日で、特に1962年の「関-ラインズ彗星」は、彗星が太陽に0.03天文単

  • 「彗星年表」の歴史

    東亜天文学会の彗星課から、毎年発行されている「彗星年表」は、1960年代の終り頃から発足した。当時京都大学の大学院生だった古川麒一郎氏。東亜天文学会の計算課に籍を置いていた長谷川一郎氏。それと同じく東亜天文学会の彗星課にいた私(関)が話し合って、主に国内の

  • 寒さとの戦い

    ここ高知市では寒波来襲で、夕方から氷点下の気温になりました。明日の早暁はマイナス5度くらいに下がるでしょう。 かつて彗星の捜索に熱中していた頃には、このような寒さは、ざらにありました。午前3時から6時までドームのない野外で15cmの自作のコメットシーカーに

  • C/2022 E3 東天に明るし

    かねてから期待されていた彗星ですが、1月19日の朝の芸西の観測では明るく非常に美しい様相を呈していました。芸西天文台の下元繁男さんが撮影し画像処理を行いました。撮影は2023年1月19日の午前5時半の撮影で、70センチ反射望遠鏡にNikon D-700を装着し、ガイド撮影を行

  • ☆☆コメットシーカーと私(7)☆☆

    このシリーズもいよいよ最後が登場した。世界1の名捜索鏡である。 それは戦前から、東京三鷹の「東京天文台」に置かれていた謎の彗星捜索鏡である。添付した図を見ても分かる通り、人間が椅子に座ったまま、ほとんど動かずにハンドル一つで全天を捜索できる。便利で強力な

  • 冬景色

    早春と言うにはまだ早い冬の真っただ中である。春を迎えようとする冬の終りには、不思議と静寂な、暖かい日がある。近くの公園に出てみた。美しかった晩秋の色づいた景観はもはや無く、すべての樹木は寒さに打ちひしがれ、しびれた色である。 この場所に、戦前にはある一

  • 四分儀座流星群

    1月4日は「四分儀座流星群」の最も活発に活動する日である。1年中で最も寒い時期の、しかも朝方の観測であるから身にこたえる。余り明るい流星は無いが、微光星がたくさん飛ぶ。流星の経路を星図に書き込むいとまがないほどである。 1954年だった。夕方から水道管が凍るほ

  • 謹賀新年(月光とギター)

    昨日の大晦日は、少し買い物に出かけただけで静かに過ごしました。夜は相変わらずの華やかなテレビ番組ですが、恒例の「紅白歌謡大会」なんか、この50年間見たことがありません。自室にこもって静かにクラシックギターを練習しました。 随分昔ですが、大晦日の日にNHKのラ

  • 夕月の唄

    昔NHKのラジオ歌謡に「夕月の唄」というのがあった。まだ暮れ染めぬ夕闇の空に、まるで爪で跡を付けたような細い月が浮かんでいた。季節は秋なのか冬なのか、今の喧噪の世の中では考えられない、町の空には静寂があった。じっと三日月を眺めていると、抒情的な詩が浮か

  • 惑星たちの夕べ

    去る12月22日は、芸西天文台の観測会の日でした。ざっと30名の観客を入れて、主に太陽系の惑星たちを観測しました。 夕方、、東方最大離角の水星と、金星を肉眼で観察し、続いて夜半の土星や木星、火星そして天王星や海王星を望遠鏡で観察しました。考えて見ると今夜は太

  • 南国も雪景色

    昨夜は快晴の下、芸西村の天文台で観測会があって、満天の星空をたのしみました。中国人の団体の見学者(明徳高校)もあって、今接近中の火星や、木星のほかに、遠くの銀河も見ました。予報では、曇りや雨の予報でしたが、天気予報というものは昔から当たりにくいもの、少

  • 南海大地震の星

    今日12月21日は1946年の南海大地震が起こってから76年になる。 その頃、中学生だった私は、近所のクラスメートを迎えて徹夜で鉱石ラジオの組み立てに熱中していた。戦時中はテレビは無く、ラジオが唯一のニュースの源だった。それも高知の第1放送しか入らなかった。

  • 寒波襲来

    このところ、今冬最大の寒波がやって来て殊のほか寒い日が続いた。気温が氷点下になると、観測は無論、室内にいても仕事が著しく困難になる。私が彗星の捜索をはじめた1950年代は寒かった。夕方から水道は凍り始め、夜中から、早暁にかけてはマイナス7度にもなる日が2〜3

  • ☆☆コメットシーカーと私(6)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(6)☆☆ 山崎式コメットシーカー こんな奇妙なコメットシーカーは見たことが無い。何しろ立ったままアイピースに目を当て、少しずつ足の位置を変えて行くだけで、全天が楽に掃天できる。これを発明したのは、高知県佐川町出身の山崎正光氏であっ

  • ☆☆コメットシーカーと私(5)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(5)☆☆ペルチャー彗星 20世紀の初めごろから活躍し、10個以上の新彗星を発見したアメリカのペルチャーは、代表的なコメットハンターだった。1950年にこぐま座の中で10等級の彗星を発見した時、駆け出しだった私も10cmの反射望遠鏡で発見したが、

  • ☆☆コメットシーカーと私(4)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(4)☆☆ 理想の双眼鏡が台頭 1950年から、約10年間にわたって、たくさんの眼視的新彗星を発見して世界中の天文家を驚かせた、当時のチェコ-スロヴァキアの、スカルナテ・プレソ天文台は1400mと言う標高の高い山上で、ムルコス氏やパドゥシャコ

  • 晩秋初冬の散歩

    晩秋と言っても今は完全な冬です。例年に比べて暖かく、散歩するのにはもってこいです。自宅の周辺の鏡川の沿道を、カメラを持って珍しい風景を撮影しながら歩いています。3kmくらいの道のりですが、晩秋のいろんな風景に出遭います。そう!「柿の秋」ですね。 しかし歩

  • ☆☆コメットシーカーと私(3)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(3)☆☆ シーソータイプの望遠鏡 前回、写真で紹介した私の自作第2の望遠鏡は「シーソータイプ」と呼ばれ、一時期大流行した。何しろチューブレスで、工作が簡単だったからである。 虫メガネのレンズではものたりなくなって、コメットシーカ

  • ☆☆コメットシーカーと私(2)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(2)☆☆ 戦後の明星「ホンダ彗星」 暗澹たる終戦直後の1947年と、1948年に連続して新彗星を発見した本田実氏は1復員兵であった。上等兵として、従軍していた本田氏は、内地の慧(さとる)夫人から送られた小さな屈折望遠鏡で、南十字の輝く南天

  • ☆☆コメットシーカーと私(1)☆☆

    ☆☆コメットシーカーと私(1)☆☆ 私が中学を卒業したばかりのころだった。ある子供向けの科学雑誌に、東京上野の科学博物館に勤める、田口武二郎と言う人が、「老眼鏡のレンズで空の宝石を見て見よう」という奇想天外?な記事を発表していた。天体望遠鏡もろくに売ってな

  • 最後の秋の日

    晩秋初冬にしては、随分暖かい日が続きました。明日は寒波が襲ってきて、急激に寒くなるという穏やかな日に、近くの公園にいってみました。見事な銀杏の葉です。一面の落ち葉は、まるで黄色い絨毯を敷いたよう。やがて強い北風が、この落ち葉を一掃するでしょう。 戦前の

  • 高知公園の銀杏

    あたたかい晩秋がつづきました。落葉前の最後の銀杏の美しさです。ここは高知公園の入口です。この銀杏の葉の散りかけた坂道を上ると土佐24万石の高知城に達します。坂道の左側は丘で、わたくしたちは幼い頃「スベリヤマ」と言って親しんだところです。桜の名所でもありま

  • 晩秋初冬の景

    日赤を退院してから、未だ体調は完全ではありません。今日初めて近くの公園まで歩いてみました。今や晩秋初冬の景観です。私は11月に生まれた関係もあって、この季節が大好きです。暖かかった関係で季節はそれほど進まず、黄色い銀杏の木は、今が最高の輝きを見せています

  • 秋空の怪

    日赤に入院中は毎日が退屈で仕方ありませんでしたが、いろいろと面白い現象にも出遭いました。中には現実を離れた出来事も生じました。 建物で一番高い8階に入院していましたが、部屋を出ると廊下の端で、繁華な下界の様子が、手に取るように見えました。廊下の椅子に座っ

  • 秋の雲と火星

    怪我が完治し、約2週間にわたる入院生活から解放され、ふと仰いだ空には、秋の見事な「サバ雲」が広がっていました。26日には接近中の火星を対象とした観測会が芸西天文台であり、県外からも参加者が数人訪れるという事で、よい観測会になるように今から構想を練っていると

  • 病床の窓2

    まだ日赤にいます。8階からの眺めは抜群で山並みの美しさ、街並みの美しさが印象的です。ベランダで空を見ていたら、男の看護師さんがやってきて"ここでは毎日のようにUFOが飛ぶのを見ている"と言っていました。 11月26日の天文台の公開は予定通り参ります。家内の車で行

  • 病床の窓

    血流が悪くなり、11月11日に高知赤十字病院に入院しました。約10年前に、ペースメーカーを入れているのですが、滅多に入院などしないので生活が変わり、異様な感じです。しかし今年中には退院できると思います。天文の多くの仕事が待っています。 ベッドで独り寝ていると

  • ☆北極点を掠め通った彗星☆彡

    1989年10月の事である。1986年の「ハレー彗星騒動」も一段落し、ここ芸西天文台では新しい微光の天体の捜索に余念が無かった。その10月のある日、60cm反射望遠鏡の極軸を確かめる為に、鏡筒を正確に天の北極の方向に向け、モータドライブを止めて10分間の露出を行った。

  • ☆秋の天文講演会☆(2)

    池谷・関彗星に関する講演会の白眉は、何と言っても、香美市の佐々木衣織さんの、キーボードによる生演奏であった。難しい現代曲を力強く弾きこなした。私も初めて聞いた。彗星が、太陽の灼熱を浴びながら、その界隈を飛ぶ姿が、力強く表現された。ほかにサックスやヴァイ

  • ☆秋の天文講演会☆(1)

    秋たけなわの10月30日、高知市の「自由民権会館」で、天文講演会が開催されました。主催は「高知天文ネットワーク」で、芸西村の天文台を運営する「高知県文教協会」や地元の「高知新聞社」が後援する形となりました。 毎年10月末は、お天気も安定し、また歴史では「イケ

  • ☆池谷・関彗星の曲のCD☆

    幻の曲「イケヤ・セキ彗星」が、宮地さんや、あるピアニストの努力でCDに記録されました。これは無論発売するものではなく、関係者のみの視聴盤です。このCDによって57年間も謎に包まれてきた、曲の姿がつかまれます。そして作曲者のキューバのホセ・カレヨがどんな姿の彗

  • 運命の奇遇

    毎年星の美しくなる10月が訪れると、初めて発見した彗星の事を思い起こす。当初は発見出来ないのがあたりまえだった。そしてマンネリになっていた。ちいさな、コメットシーカーに目を当て、何も発見出来ない空を見るのが日課になっていた。捜索の延長時間は優に1,000時間を

  • 晩秋初冬の散策

    よい気候がやってきました。少し寒くなったものの、快晴のお天気は落ち着き、樹木は見事な秋の色です。こうした景色の中を散策していると、天文学上のよいアイデアが浮かんできます。10月30日の講演会に向かって、ふとお話のモチーフが浮かぶのです。良いお話をしよう、と

  • 秋の雲

    もう晩秋なのに、ここ高知市では予報に反して、連日、真夏の様な気温の高い日がつづいている。今日の気温は、最高28度あり、冷房を使っていた。 雲もそうだが、昔から「天気予報は当たりにくいもの」とされてきた。しかし戦後は気象衛星が日本列島を、空から監視するよう

  • ☆10月21日の観測会☆

    1965年の同じ10月21日は、世界中の科学者が空を仰いだ特別の日でした。それを知ってか知らずか10月21日の今日が、芸西天文学習館の観測会の、私が担当となりました。主催者もそれを知らずに偶然私の担当となったわけです。 あの〈世紀の大接近〉と言われた”イケヤ・セキ

  • ”イケヤ・セキ彗星”が来た

    今日10月21日も57年前の10月21日のように快晴の美しい空となりました。彗星は、半日前の20日、ハワイの観測所でばらばらに砕け散ったことがAP電で報じられ、落胆していたのですが、どうしたことか、本物は朝のすがすがしい青空をバックに、白い短かい尾を引きながら21日の

  • ある星の好きなご婦人への手紙

    夏も去りいよいよ星の輝く秋、そして晩秋へと進んでまいりました。今日は少し手が震えてペン字が書きにくいので、タイプ打ちで大変失礼いたします。私も昭和5年生まれで、父は100歳。母は80台の終りまで長生きいたしました。 折角長生きするからには、天文学上の貢献を多

  • コスモスの花咲くころ

    わたしは昔から「コスモス」の花が好きだった。ひとつひとつ手に取ってもそれほど美しいと思わないが、何千本も何万本も一面に咲くのが良い。今回は3年ぶりに一家で越知町の花の名所を訪れた。お天気は悪い方向に向かっていたが、花を観賞するあいだは美しい秋晴れに恵まれ

  • ☆天文講演会☆

    高知市主催の「イキイキライフ講演会」で、1時間半の講演を行いました。大変熱心な中年の婦人層の多い中で天文学のお話をしました。テーマは「星を見つめた半世紀」で、実際はもう10年長い私の天文生活の事でした。 聴衆の熱心な眼差しにリードされて、自分でも忘れていた

  • おお!オリオン星座よ!!

    オリオン星座のまた輝く季節がやってきました。 行儀よくきちんと並んだ”三ツ星”に、北に赤いベテルギウス。南に青いリゲルを配した良く均整のとれた星座はほかにありません。それに「三ツ星」はちょうど天の赤道上にあって、世界中、何処からでも眺められるのも人気の

  • 街は夕焼け

    自宅3階屋上からの眺めです。地平線に低く蜃気楼に似た景色が展開していると思っていたら「アッ」と言う間に目の覚めるような夕焼け空になりました。(この赤さは凄い!)と思っていたら僅かの間に太陽は地平線下に低くなって雲は赤く輝かなくなりました。 昔、祖父の時代

  • 13夜の月の観測会

    芸西天文台での天体観測会である。13夜の月が明るかったが、いま惑星が見ごろなので、観測会が強行された。南の中天には美しい輪で有名な土星があった。そして東に登ったばかりの明月のそば(北)には、惑星第1の明るい木星が煌々と光を放っていた。 望遠鏡の赤道儀が故障

  • 秋の月

    仲秋の名月のころはどちらかと言うと、お天気の悪い時期で、雲の多い中に名月を仰ぐことが多い様に思う。しかし旧暦の15夜には、いやと言うほど晴れて、煌々と光る満月を見る事が多い。私の好きな曲に滝廉太郎の「秋の月」という歌曲があった。 ♪ 光はいつも変わらぬも

  • 嗚呼「岡林・本田彗星」

    岡林−本田彗星(1941 s1)が発見されたのは、今から遠く1940年の10月4日(UT)のことであった。当時倉敷天文台にいた岡林滋樹氏と鳥取県の八頭郡の自宅で農業を営んでいた本田実とがそれぞれ独立して発見した。場所は明け方の獅子座の大鎌の中で、光度は8等級であった。

  • 幻か現実か

    キューバの作曲家「ホセ・ミシェル・カレヨ」によって、”池谷・関彗星の曲”が作曲され、地元のキューバで演奏されてから、その録音を度々聞きながら私は天文台で観測していた。”太陽を掠めるグループ”の彗星は、顕著なものでは1843 D1(3月の大彗星)、1882 R1 9月の大

  • 作曲家「ホセ・ミシェル・カレヨ」

    キューバ西部に位置するピナール・デル・リオでは、早速、管弦楽団の団長に会いました。そして楽譜を見せると一見して「オッ!これはミシェルの書いたものだ」といいました。そして次の言葉に愕然としました。「サックス奏者のミシェルは良い男だった。しかし5年間に亡くな

  • イケヤ・セキ彗星の曲

    これが問題の「イケヤ・セキ彗星」の楽譜です。キューバの作曲家「ホセ・ミシェル・カレヨ」の作曲したもので、日本音楽著作権協会を経由で、発見者の下に送られてきました。表紙には「彗星発見のニュースを知り、即興的に作曲した」との添え書きがありました。楽譜はスコ

  • 夏雲の果てに

    巨大な台風13号の接近中の不穏な空です。しかし夏雲は沸き立って青空は美しく、間もなく台風が襲ってこよう、とは思えません。 私が初めて彗星を発見した年には、同じ9月の中旬に山にのぼりました。折から台風24号(第2室戸台風)のやって来ている不穏な空気の中でした。

  • 芸西観測所の仙人

    いくつかの彗星を発見してきた高知市上町の星空も、1970年頃を境として公害(光の害)のために見にくくなった。もともと人口18万ほどの小都市であったが、戦後は急速に人口が増え、かつ高いビルも多くなって天体発見には不向きとなった。1970年頃、芸西村の岡村村長の好意

  • 物干し天文台の時代

    観測所が自宅にあるという事はとにかく便利だった。1965年9月の「イケヤ・セキ彗星」発見の時など、夜明け寸前に飛び起きて中庭の観測台に駈け上がり発見した。しかしコメットシーカーは口径僅かに9cmの短焦点鏡だったので、精密な位置観測の精度に欠けていた。スケッチに

  • 名月と孤独

    今夜は仲秋の名月です。やや雲が多かったのですが明るい惑星「土星」とならんだ光景は絶景です。月の名所は桂浜がありますが、若い頃一度観光バスでいきました。浜辺の大勢の観客が集まった中で、拡声器からベートーベンのソナタ「月光」の第一楽章が静かに流れていました

  • 彗星を見つける眼

    先のブログでは「彗星を見つける心」について語った。「彗星を見つける眼」も捜索に当たっては重大である。私の知り合いで”新彗星を50年間追いかけて一個も発見無し”と言う、不名誉な記録をつくった人がいたが、問題はその内容である。そして、真面目な意味での彗星を見

  • 彗星を見つける心

    彗星を発見するには、よく訓練された独特の眼があるらしい。彗星捜索を半世紀以上もやって、私は特にそのような目を意識したことは無い。しかし、いつも発見した時「今日も無念無想だったなあ」と思う。何も考えずに、ただ一心に捜索に集中した時、新しい彗星はあらわれる

  • 彗星発見奇談

    時あたかも春爛漫の5月。上町の自宅中庭に設置した観測台に上がった私は、ようやく明け染めんとする東南の低空を一心に見つめていた。時刻は午前4時半。東南に低く見えている筆山の峯がわずかに白く染まっていた。その薄明の中に、私は、先刻から彗星状の白くボウッと光

  • 夏と秋の雲

    自宅二階の窓からの南の眺めである。 遠くに鷲尾山がこんもりと見えている。夏も終りでそろそろ秋風が吹くころであるが、空には夏の入道雲と秋の高いさば雲が同居していて、なかなか暑さは収まらない。8月24日は高知市一宮の「しなね様」のお祭りの日だった。この夏祭りが

  • 幻の彗星発見

    あれは1951年の秋も深くなった11月だった。夜開け前の東北天を水平捜索していた私は、午前4時30分に「牛飼い座」の一角に、白く輝く10等級の彗星らしい天体を捉えた。望遠鏡は口径10cmの反射鏡を自分で組み立てたもので、当時流行した”シーソータイプ”と呼ばれる奇妙な形

  • ハレー彗星と虫の声

    最近は秋になっても虫の合奏を聴くことが少なくなったように思う。ハレー彗星のやってきた1985-86年には芸西村の天文台のそばでは、まるで遠来の大彗星を歓迎するかのような虫の大合奏が聞かれたものだ。♪リーン・リーン ♪チンチロリン ♪ズイーチョン ♪ガシャガシャ

  • 雨の日の意外な訪問者

    お盆に入ってからの天体観測会であるが、それほど暑さは感じなかった。しかしあいにくの台風8号の接近で、雲の多い天候だった。 ここ芸西村の天文台には約30人の見学者が押し寄せた。ほとんどの方が、お子さん連れの県内の方であるが、参加者名簿の中に独りで遠路、東京

  • 高知県「名誉県民」天文講演会

    去る7月19日、高知県の主催による天文講演会が高知市の科学館(オーテピア)で開催されました。これは、関の名誉県民になったことを記念したもので、四国はもとより、北は網走の熱心なコメットハンターまで参加して開催されました。 関の講演は、この半世紀に及ぶ彗星の捜

  • 思い出の遠花火

    久しぶりに高知市の鏡川畔、筆山の下で納涼花火大会が開かれました。花火大会は高校生の頃、終戦後初めての大会を現地に行って見ただけで、それ以来すべて自宅からの遠望となります。今回は、新型コロナウイルスの関係で、ショーを早く終わらせたい意図があったのか、あ

  • ”神田茂賞”のメダル

    珍しいメダルです。1990年ごろ日本天文学会から、国内の天文家数人に贈られました。神田茂氏は大正年代から、昭和にかけて、東京天文台に努めた方で、その配下に広瀬秀雄博士がおられました。共に彗星や小惑星の軌道研究に従事されましたが、終戦後、神田氏は「日本天文研

  • 山は夕焼け

    珍しく落日とは反対側の南の空に夕焼けが立ち込めました。有名な鷲尾山です。標高は300mと、登りやすい山で、小学生の頃から、何回も遠足で親しみました。北には高知市全体が眺められ、はるか南の眼下には浦戸湾や、それに連なる太平洋も見えます。鷲尾山に登山した、ある

  • 雲ながれる果てに

    昭和19年の7月。夢だったのか、現実だったのか南の戦線ラバウルから3機の特攻機が飛び立って行ったのを見た。関大尉の率いる特攻機だった。特攻第一号で国内では大変な話題を呼んだ。特攻後、関大尉は「大佐」に昇格した。 その日から20年も経ったある日、私は音楽関係の

  • 意外なる邂逅

    去る7月16日、知り合いから依頼されて高知県の越知町で、天文講演を行いました。テーマは「星を見つめて」。 講演は1時間余りで無事終わったのですが、意外な人との出会いがありました。どこかで講演会を開くと、思いがけない懐かしい人と出会ったりして楽しい思いをする

  • 梅雨明け

    本当の梅雨明けはセミが知っていました。見事な青空が市街の上に輝き、今まで沈黙していたセミが一斉に鳴きだしました。 6月にろくに雨が降らずに、梅雨前線も遠くなったものですから、異例のはやさで梅雨明けが発表されましたが、こんな時は7月になって大雨がぶり返すも

  • 天文講演会

    7月18日「名誉県民」を記念する天文講演会が、高知市のプラネタリウムのあるオーテピアのホールで開催されました。かなり広い範囲に宣伝したため、四国内はもとより関東や遠く北海道の熱心家まで参加されました。 私は愛用のコメットシーカーをもって、彗星発見を語り、特

  • 彗星会議礼讃

    7月10日の今日は、第50回目の記念すべき「彗星会議」が開催されています。 第一回目は、たしか1971年だったとおもいますが、愛知県の蒲郡市で開催され、多くの成果を得ました。添付した写真は、第4回目の静岡市での大会で、彗星ファンのほかに、指導的立場にあった多くの

  • 緑林の下で

    私の愛するギター音楽で「緑林の下で」という小品がありました。まだ新前のころ盛んに演奏していた愛奏曲でした。 今年の梅雨は短く終わったようです。近くの1kmほどの散歩道を歩いて、児童公園にやってきました。頭上を鬱蒼と覆う新緑が余りにも綺麗なので、白いベンチに

  • 赤い夕焼けの幻想

    西空に展開した夕焼雲の複雑な様相をみていたら、ふと1945年7月4日に、ここ高知市が大空襲を受けたことを思い出した。人口18万の高知市は町も川も赤一色にそまり、まるで地獄絵そのものだった。しかしやがて七夕様を迎えて、宇宙には優しく平和な星が輝いた。8月15日には終

  • 早い梅雨明け

    ここ高知県では、すでに梅雨があけたらしく真夏の光でいっぱいです。すぐ南の鏡川畔に出て見ると、南の鷲尾山連峯が明るい光を浴びて、うつくしく光っていました。 この山は、かって1962年の4月「関・ラインズ彗星」発見の時、太陽に突入する彗星を追って登山した場所で

  • 天狗高原の思い出

    古い手紙を整理していたら、天狗高原の絵はがきが出てきた。30年以上昔であるが今もほとんどその光景は変わっていない。出したご本人は、高知県の越知町の女(ひと)であるが、今もお元気であろうとおもう。海抜1400の山の聳える天狗高原の宿舎まで独り歩いて行ったという

  • ☆7月18日の天文講演会☆

    四国地方は梅雨に入っていますが平年のように激しく降りません。それかといって星のよく見えるような好天もありません。雲の多いグズグズした御日和が続いています。 梅雨は毎年7月の20日前後に明けますが、今年はその7月18日の梅雨の明けた頃、天文講演会があります。高

  • 追憶の「岡林・本田彗星」

    1940年、太平洋戦争が勃発する寸前の秋の夜だった。急にサイレンが短い尾を曳いて鳴り始めて目が覚めた。父が「勉、起きろ!火事だ」と叫んだ。寝ていた二階の北の雨戸をあけたが、近くには火事らしい赤い光は見えなかった。 自宅から東北に道路をまたいで100mほどの位置

  • 天狗高原の空

    深いガスがかかって、残念ながら星は見えなかった。1000m級の重畳たる山が亭々として連なる、ここ天狗高原の天文台は海抜1,400mの高所にある。いったん晴れたら、きっと恐ろしいばかりの星空が展開するであろう。ここには、五藤光学の45cm反射望遠鏡がある。 チェコの

  • 天狗高原の天体望遠鏡

    天狗高原の標高1400mの宿舎には、五藤光学の45cmのカセグレン式反射望遠鏡がドームの中にあります。肉眼で見ても7等星近くまで見える素晴らしい気象条件の下で見ると、一体どんな宇宙が展開するでしょう。世界最大級の天体望遠鏡でながめる世界がそこにあるかもしれませ

  • 夏雲の果てに

    高知県天狗高原の出張から帰っても高知県は厚い夏雲におおわれました。関東地方では珍しく、南より、早く梅雨に入ったそうですが、ここ高知市ではまだ晴天が続きそうな気がします。 真っ白な太陽がいっぱいの夏雲の彼方には、遠く南の「鷲尾やま」がみえています。標高は

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