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2018/01/19

  • 甲状腺摘出手術から5年

    5年前、2017年10月に右側の甲状腺を摘出しました。 濾胞線種が肥大し、右側の甲状腺ごと取る手術をしました。 5年経って、今あらためて感じること メリット 息がしやすい 物が喉に詰まらなくなった 見た目がすっきりして良い デメリット 体力が落ちた 体調が安定しない事が多くなった 無理をする事がムリ 病気が治りにくいかも 甲状腺ホルモン減った 寒がりになった 前より疲れやすい です。 こうしてみると デメリットの方が多いですね。 子宮摘出と比べると、 甲状腺摘出の方がホルモン変化があって 体調の変化を感じやすくなりました。 でも仕方がないです。 大きくなり続ける悪性疑いのある腫瘍を、 放置する…

  • 最後の3日間

    たくさん話してそばにいた3日間 私が帰ってから、亡くなるまでの3日間は、 今思い出すだけでも長く濃い時間でした。 今でも、亡くなった瞬間を思い出さない日はありません。言葉にすると鮮明に蘇るし辛いので、なかなか詳しくは書けません。 そして、 あれで良かったのか、 もっと出来たことがあったのではないか、 私が薬を飲ませたすぐ後に亡くなったので 私のやり方がよくなかったのでは、 自分のせいでと自分を責める思いが消えずしばらく受け止める時間が必要でした。 それでも、病院ではなく 父が住み慣れた自宅の寝室で 母と私の手の中で亡くなったこと。そばにいて温もりを感じられたこと。 寂しい思いをさせなかったので…

  • そこからはあっという間だった

    空港に着いて 今までは到着すると すまんの、と言いながら座って待っていてくれた父はもういなかったお迎えがなく1人路線バスとタクシーを乗り継いで帰ったのは 初めてだった 3000円ほどかかった想定はしていた事だったけれど 実家の交通の便の悪さを痛感したこの日は訪問看護や介護の人が入り、ベッドマットなどの交換があった家の前では私と面談希望した訪問看護と介護ステーションの代表者の方が待っていた見慣れない景色 物々しい非日常の実家の風景に いよいよだと気を引き締めた家に入ると手洗いうがいし、 父のところへ行った「弱ってしもうた」なんとなくバツが悪そうに 第一声、そう言った今でもその場面は忘れる事ができ…

  • 訪問看護

    そして夢を見ました 前述した夢の記録。 息子と話した15日の日曜日の夜、私は夢を見ました。 その話をしたら、 なんと息子もその同じ日の夜、 夢を見たと。 その内容もしんどいもの。 トイレで父が吐いていて… それが広がっていて…と その話を聞いて、すぐ実家に帰ろうと思いました。 緩和ケア外来に電話 17日の火曜日、本来なら入院していた病院で抗がん剤治療の日でした。 でもそんな退院したばかりで体力も落ちてる。 抗がん剤なんてできるはずない、思っていました。 やはり父は前日の月曜日から体調が悪化。 トイレも1人で行く事が難しくなってきていました。 そして火曜日の診察も、往診してくれたかかりつけ医が主…

  • 5月13日 退院

    腹水を抜いた ステントを新しく交換し、 その後おも湯から食べられるようになり、 退院日が決まりました。 13日の金曜日です(-。-; その1日前に 退院おめでとう電話をしました。 そうすると、 「腹水抜かれたぜ」 と父が言いました。 「うそ……」 前から、 腹水が多ければ、入院して強めの利尿剤を使いながらの 腹水治療をする、という話は出ていました。 もしくはそれでもダメなら最終的には抜くしかない、 とも言われていました。 その判断をするための、 エコーの予約もしていたのですが。 それより前に入院になってしまったのです。 それでも、 まさかステント交換で絶食になり、 体力も落ちている状態で、 腹…

  • 再入院②

    下書きしている途中でしたが、 記録として残しておきます。 ステント交換まで胆汁を出す 溜まってしまった胆汁を出すため、 また絶食に。 緊急入院し、 即その日に古いステントを出し、 胆汁を鼻から出すチューブをいれ、 その後はナースステーションに1番近い個室に移ったようでした。 5月2日に電話で話す。 また弱ってしまったと言う。 5月3日に 千葉から数年ぶりに兄がやっと帰省。 少しだけデイルームで面会できる。 今後のことなどお願いしていたよう。 ただ、兄は初めから無関心で、 今回の帰省も私に促されての面会。 でも一緒にやる予定だった、 夏野菜の苗の植え付けを頼まれて 母と2人でやったようだった。 …

  • 5月22日 父、永眠

    記録が追いつかないまま。 父、永眠しました。 夢に出てきて4日後に帰省。 その3日後に亡くなりました。 息子も私が夢を見た同じ日、 父の夢を見ていました。 具合が悪くて、実家のトイレで 吐いていて 吐いたものが床に広がって… という夢だったそうです。 退院して1週間でした。 最後に会えて触れたこと 最後まで話ができた事 入院せず家でそばにいられた事 ありがとう 最後はしんどい思いさせて ごめんね でも そばにいられて 触れていられて たくさん話してくれて お葬式やお墓の事も言ってくれて ありがとう あの3日間で 分かり合えた気がします これから強く生きていけると思う ありがとう お父さん にほ…

  • 再入院①

    発熱から緊急入院 私が自宅に戻った4月上旬から1か月間。 ゲムシタビンを3週続けて打ち、1週休んだのが4月18日の週。 その間、畑を母と2人でやったり、 一度は外食をしたようでした。 ただ4月14日の3週目の抗がん剤治療の前、 採血で白血球が下がりギリギリのラインだったようです。 しかし父は腹水が溜まるのが嫌なのか、 治療を受けると言って受けたようでした。 休薬期間中に体調も戻るかと思いきや、 しんどいと言って寝ている日が2日ほどあったようです。 それでも、 4月28日の次クールの1回目の抗がん剤治療前の採血で、 白血球の数値も戻っていたので、 普通に抗がん剤治療を受けて帰りました。 抗がん剤…

  • CTの結果

    腹水がたまる 3月23日にCTをした結果、 癌の方はあまり変化なく、 それほど大きくも小さくもなっていないようでした。 そのかわりに、 腹水がかなり溜まっていることがわかりました。 腹水がたまる、 この事実はかなりショックな事だったと思います。 4月はじめに旅行に行く予定だったそうです。 少し遠いところに思い切って宿を取ったと言っていました。 最後になるかもしれない桜を、 母を連れて見にお出かけしたかったのだと思いました。 それも、キャンセル。 腹水=末期 そんな覚悟をしたのだと思います。 私は旅行に連れて行ってあげたくて、 運転するために帰省しようかと思っていました。 それを言った時、 「バ…

  • 夢の記録

    おとうさん、冷たいよ 昨日の夜、父の夢を見た。 父が病気になって 今までも何度も見ていたけど、 夢に現れるのは たいがい父の調子が悪い時。 それか悪くなる前兆。 こちらに来た父の顔を見ると アザのようなものが顔半分に広がっていて、 それが緑だった 緑に変わっていった たまらず抱きしめたら 父の身体はとても冷たくて おとうさん、冷たいよ そう言ってギュッとしたら、 おとうさんは抱きしめ返してくれた いつ以来だろう こんなに抱きついたのは 父もギュッとしてなかなか離してくれなかった そうしたら、身体がだんだんあたたかくなってきて あー良かった そう思って目が覚めた しばらく寝付けなかった 今日の昼…

  • 抗がん剤の変更

    3月3日 2回目 シスプラチン中止 2月24日に再開した抗がん剤は、しばらくの休止後ということもあって、 副作用の吐き気がひどかったようでした。 その事を次の診察で話し、 「3月中抗がん剤治療を1ヶ月ほど休みたい」と 思い切って言ってみたそうです。父もこのままでは、 まともな日常生活が送れない、 と思ったようでした。そうしたら、吐き気の強いシスプラチンをやめる事になりました。 2回目の3月3日はゲムシタビンのみに シスプラチンをやめる代わりに、ゲムシタビンを1週間に1回を3週間行い、 その後1週間を休薬期間にする治療に変更になりました。というわけで、 3月3日はゲムシタビンのみ。少しは楽になっ…

  • 子宮全摘から4年目を迎えて

    ゴールデンウィーク中に手術した4年前 今年は30日、1日が土日なのでGWの中日の平日が2日だけですね。4年前、1日に入院、2日に手術をしました。GW中は入院する患者さんがいなくて、 同室の方も1泊2日で退院されて、個室状態だったのを思い出します。今思えば、GW中病院では過ごしたくないですもんね…思い出すのは、歯の痛みと戦ったこと、 術後すぐティッシュを取ろうと動いてしまい、 傷口から大量出血したことを1番覚えています。 4年経ってみて変わったことは? メリット 生理がなくなった 排便痛や予想できない腹痛がなくなった 下腹部が重だるい感じがなくなった もうすでに、1キロ超えの筋腫持ち子宮があった…

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